- 43 :舞踏9話 1/18:2006/01/28(土) 22:00:39 ID:???
ざぁん、ざぁんと。
規則的なリズムで紡がれる水音が、海に立つ波によるものだと気付いた時。
アスランは、気絶こそしなかったものも極度の疲労の影響で朦朧としていた意識を、ようやっと確かなものとさせる。
熱で焼けたせいか、ノイズとデッドピクセルが五割がた埋め尽くす正面モニターには
呆れるほど真っ青に突き抜けた、晴空が広がっていた。
自分が機体ごと、仰向けに寝転がってる姿勢に気付いた彼は
次に、現在の状況を把握すべく、脳内に散らばってしまった記憶のピースを、のろのろと拾い集めはじめる。
確か自分は…ミネルバと共に無人機を追い、地球へ降下する際
無人機の特攻を受け、降下軌道外に跳ね飛ばされたインパルスを連れ戻すべく
スペック上はギリギリ可能だったとはいえ、大気圏真っ只中を駆け抜け、
引き寄せたインパルスともども、ミネルバの後部甲板に命からがら着艦したところまで、思い出す。
――それから、どうなった?
続く記憶の破片を見つけられず、困惑したように顔をしかめる青年。
波の音が間近ですることと、伝わる振動が海上で揺れる船のそれと同じことから、
ミネルバと共に、地球に降下していることは明らかだった。
問題は、何処にいるかだ。
疲労のため重くなった腕をゆっくり上げて、コンソールのキーを数度叩く。
画面の隅に立ち上がるマップ画面。 自機の位置を示す赤い光点と、地図の全景を見比べ…
「オーブ領海に近い…か。 少しはマシな場所だな」
掠れた小声で呟きながら、アスランは目を閉じる。
ミネルバから伝えられていた予定降下ポイント、カーペンタリア基地周辺からは大きく離れていたうえに
少なくともプラントと友好的な関係ではない国家、大西洋連邦の領海内に着水した模様だったが
ミネルバに乗艦しているカガリが代表を務める、オーブ連合首長国の領海に比較的近い位置だった。
これが不幸中の幸いと言えただろう。 迅速に動いてオーブ領海に入れば、ミネルバの安全はまず保証される。
- 44 :舞踏9話 2/18:2006/01/28(土) 22:02:00 ID:???
- 安心したところで、もう一つ浮かんだ疑問。
自分が助けたインパルスに乗っていた少女、マユ・アスカの安否――。
「大丈夫か? マユ・アスカ」
確か、大気圏中で回収した際には、呼びかけに応答がなかったはずだ。
一抹の不安を覚えながらアスランは、もう一度同じ言葉を繰り返す。
『………大丈夫です。 さっき、気がつきました…』
幾らかの間を置いて返ってきた、少女の声。
苦しそう、というよりは気だるげと表現した方が的確な響きに、怪我はなさそうだと判断したアスランは、安堵の息をついた。
念のため相手の機体状態を確認すべく、ザクのモノアイカメラを横手へと動かす。
すぐ隣に見えた、白いGの姿。 今の自分と同じように、甲板の上で手足投げ出して仰向けに転がっていた。
見た感じ深刻な外傷のないそれを見て、アスランはインパルスの性能に舌を巻いた。
同じように大気圏突入をしたというのに、四肢の駆動系が完全にやられ、指一つ動かせない自分のザクとはえらい違いだ、と。
『……助けてくれてありがとうございます、アスランさん』
思考していたところに唐突にかけられた、少女からの感謝の言葉。
一瞬、何のことやらと他人事のように目を瞬かせていたアスランは、やがてその意味に気付き、微かに笑み見せる。
「ん? …ああ、当然のことをしただけだ。
それよりも、そっちは動けるだろう? 早く機体をデッキに入れておくんだ。
君も、コクピットシートよりは自室のベッドの上で休みたいだろう?」
『はい…そうします』
彼の言葉に促され、軋むパーツが奏でる盛大な駆動音と共に、インパルスがゆっくりと身を起こしていく。
その過程をなんとなしに眺めていたアスラン。
不意に。 彼の耳へと、機械を通した少女の小さな声が届く。
- 45 :舞踏9話 3/18:2006/01/28(土) 22:03:24 ID:???
- 『…あの、アスランさん』
「うん? なんだ?」
若干固い響きで綴られた、自分の名を呼ぶ声にアスランは小首を傾げる。
あいにくと通信系統がイカれているため、声のみの彼女がどんな表情をしてるかは分からないが
どこか、ためらいながら話しているように感じていた。
『あの、なんで……なんで貴方ほど強い力を持つ人が、オーブなんかに留まっているんですか。
非戦を掲げる国より、プラントに居た方が多くの人の力になれるはずなのに…』
腹の底から搾り出したような、囁きほどの音量の言葉を聞いて、藍髪の青年は驚いたように目を丸めたが、
やがてゆっくりと瞼を下ろすと、ふっと吐息してからゆっくりと口を開いた。
「…情けないヤツ、って言われるかもしれないがな。 俺はもう、戦いたくなかったんだ。
あの戦いで、あまりに多くの人を失った。 親を、友達を、同胞たちを…。
そして、それと同じぐらいの人々を傷付け、殺した」
ぽつりぽつりと、青年がゆっくりと語る言葉に傾聴しているのか
長い間を置いて紡がれていく言葉に、割り入る声はない。
「…戦場で人を撃つのは、最初は怖いがすぐに慣れる…って、言われたことがあるよ。
誰かを撃つこと、誰かと殺し合うこと。 そんな非日常的な事態にも、人間はすぐに順応できるんだと。
…だがな、いくら慣れたとしても、それは感じないだけで無くなったわけじゃない。確実に積み重ねられていく。
そして、人を殺したという罪の存在に気付いた瞬間、人間はその重さで動けなくなってしまう」
元来、彼は多弁とは程遠い人間なのだが。
まるで水槽のコルクが抜けたかのように、密やかに胸中で渦巻いていた感情が、言葉の奔流となって流れ出る。
それは初対面の少女が向けてきた疑問よりも、自分が再び戦場に立ったことによる影響が大きかったかもしれない。
「死んだ父の躯が目の前で浮いているのを見たとき、俺はそれを思い知らされた。
…直接殺したわけじゃないが、俺が選んでしまった道の末に、父は死んでしまったんだと考えてるよ。
ずっとザフトにいて、父の命に従い父を守っていれば、たった一人の肉親が死ぬことはなかったんじゃないのか、とな」
そう、彼がそれに気付き、今まで自分が歩んできた道をかえりみた瞬間。
人の骸のような無数のMSの残骸と、路傍の石さながらに転がる人間の髑髏(どくろ)の数々を、幻視したのだった。
- 46 :舞踏9話 4/18:2006/01/28(土) 22:05:02 ID:???
- 「…あの時、俺はここで死のうと思ったよ。 もう、何処にも行けないほど、重い罪を背負っていたから。
せめて、父が最後に残した大量破壊兵器を道連れに壊すことで、少しでも罪を償おうと考えていた…。
だがまぁ、どこかの誰かに説教されてな。 結局命永らえ、今はそのお節介なヤツの所で世話になっている」
『アスハ代表…ですか?』
沈黙を破り、そっと聞いてきたマユの声に、そうだと答える。
「もう、決してMSには乗りたくないと―― 思ったよ。
命を奪うことの罪深さを知り、臆病になってしまった俺はオーブ軍に所属するのではなく、
彼女のSPとして働く道を選び、今に至るというわけだ」
柔らかく目を閉じたまま、微かな自嘲の笑みを口元に刻んだアスランは、そこで言葉を切った。
一体彼女は、どんな感想を口にするだろうかと…多分、罵られるだろうなと思いながら彼女の言葉を待つ。
――十秒、二十秒と。 無言の二人の間には、長く感じる時間を置いて、それは紡がれた。
『……それでも、貴方は再び戦場に戻ってきたじゃないですか。
多くの民間人が巻き込まれた事件に向かって、MSに乗って立ち向かっていったじゃないですか。
貴方は……誰かを守るために、戦ったじゃないですか』
言葉を選びゆっくりと、しかしはっきりと聞こえる音量でマユは言う。
彼女が、どんな表情で喋っているのかは窺い知ることが出来ないが
それは静かに、それでも確かにアスランの行動を肯定するものだった。
そして、直接言葉に含まれていたわけではないが、彼には少女がこう言っている気がした。
――貴方は戦える。 誰かを守るために、戦うことが出来ると。
「……ありがとう」
立ち上がり、慎重な歩みでモビルスーツデッキへと還っていくインパルスの背を見つめながら
アスランはただ一言、少女へと礼を述べた。
そして、ゆるりと上げられる瞼。
その裏に隠れていた青年の瞳には、銅の燃ゆる緑色の炎に似た、固い意志の光が宿りつつあった。
- 47 :舞踏9話 5/18:2006/01/28(土) 22:06:24 ID:???
- 先ほどまでの暗い宇宙空間から一転し、平穏な青空と凪の海をスクリーンに映すブリッジ内では
艦長と副長が難しい顔をつき合わせ、今後の行動について話し合っていた。
「ともかく、すぐにでもこの領海を離脱する必要があるわね。
このまま留まっていれば、大西洋連邦の艦隊に包囲されるのも時間の問題だわ」
「しかし艦長…この損傷じゃあ、カーペンタリアまで随分と時間がかかりますよ………」
口元に手を当てながら発言したタリアに、クリップボード型のモバイルと睨み合うアーサーは
参ったように頭をガシガシと掻きつつ、嘆息交じりに応える。
地球降下の際、突入形態を取っていたところで無人機の特攻を受け、
体勢を崩した状態で大気圏突入を行ったミネルバは、その影響で相当な被害を負っていた。
船底部の装甲は焼けただれ、機関部は熱の影響で調子の悪い状態だ。
その状況で、カーペンタリアまで迅速に向かうなどということは随分と無茶があった。
頭痛がしそうなほど深刻な事態に、二人は暗い顔で深い嘆息を付く。
そんな彼らの様子を見ていた第三者が、横合いから会話に入ってくる。
「艦長、オーブ領海へ向かおう。
ここからなら、カーペンタリアへ向かうよりはよほど近い」
「アスハ代表…よろしいのですか?」
タリアはこちらへ歩み寄ってきた金髪の娘、カガリへと視線を向け、聞き返す。
いくら中立を宣言するオーブでも、他国の戦艦に領海進入されることを見逃すはずはないと考えながら。
しかし、カガリは大きく頷いてみせると、白い歯覗かせニカリと笑った。
「ミネルバには、私を安全にオーブまで送り届けるという任務があるんだぞ?
これは正当な理由だ。 オーブ艦隊には、私から連絡しよう」
気風良くそう語った娘。 驚いたように顔を見合わせる二人の軍人を前に、きりと表情改める。
「今はまだ非常事態だ。 あれやこれやと気にせずとも、あとでつじつまは付けれるさ。
このままじっとしていては、厄介な事になる…今はこれが最良の選択だと私は考える」
「…ありがとうございます。 ご配慮に感謝します」
恐縮したように淡く笑みながら、タリアは彼女の厚意に感謝し、それに従うことにした。
- 48 :舞踏9話 6/18:2006/01/28(土) 22:07:39 ID:???
- 『――これより本艦は、オーブ本島へと向かいます。 繰り返します、これより本艦は……』
メイリンによる艦内放送で告げられた、船の針路を耳にしながらマユは枕の上で、頭をころんと横向ける。
寝転がるベッドの上で、体勢を仰向けから側臥に変えると
眼前で掲げる携帯電話の彼方に、隣のベッドで横たわる赤髪の少女の姿が見える。
よほど疲れていたのだろうか、緩んだ表情で熟睡するルームメイト、ルナマリアの寝姿を見ながら思う。
自分がモビルスーツデッキに戻ってきた時は、あんなに騒がしかったのに…と。
艦内に帰還し、インパルスから降りたマユを待ち受けていたのは
彼女の身を心配し、ヤキモキしていた人々だった。
真っ先に駆け寄ってきたルナマリアには苦しいほどきつく抱き締められ、怪我はないかと何十回も聞かれ。
今にも泣き出しそうな表情を浮かべたアゼルからは、馬鹿馬鹿、マユの馬鹿などと繰り返し言われ。
仲の良い整備兵、ヴィーノとヨウランからはしつこいほど、医務室に行こうと世話を焼かれ。
いつも以上に口を固くへの字に曲げたレイには、任務より優先すべき事項を忘れるなと、くどくど説教された。
大勢の人間に詰め寄られ、マユは目を白黒させたりなだめたり、自分が無事である事を繰り返し説明し…
ついにはあまりのしつこさに、全員へ向けて悲鳴交じりのかんしゃくを起こす始末だった。
けれども、自分の無事を心から喜ぶ彼らからの、『おかえり』の言葉に
マユは思わず込み上げてきた涙をこらえつつ、『ただいま』と満面の笑顔で言った。
その後、医務室で簡単に検査を済ませ、優良の太鼓判を頂いた彼女は
休息を許され、姉のルナマリアと共に自らの士官室へ戻り、睡眠を摂るべくベッドに横たわる。
しかし…ルナマリアのようにすぐさま寝付くことが出来ず、一向に重くならない瞼は上げられたまま。
そして、手持ち無沙汰な様子で携帯電話を弄っていた。
パールピンクのカラーリングのそれは、本来なら鮮やかな色合いだったろうが
今となっては薄汚れ煤けていて、大小さまざまな傷もたくさん付いていた。
マユは思い出す。 自分の愛用する携帯が、このような姿に変わってしまったその瞬間を。
これから向かう場所、かつて住んでいた自分の故郷、オーブで遭った出来事を。
「…もう、2年近くに経つんだ…」
微かに開いた口元から零れ落ちた、小さな言の葉。
ぼうとした表情で携帯の画像ライブラリを見る彼女の菫色の瞳には
自分の両親や兄、友達、そして彼らと共に写る幼い自分の姿が、スライドのように順々に映りこんでいた。
- 49 :舞踏9話 7/18:2006/01/28(土) 22:09:05 ID:???
- あの日、家族と共に、避難場所を求め走っていた時。
あの瞬間、目の前を飛んだMSと、激しい閃光を目にした時。
意識を失った私が、再び目を開けた時、真っ先に視界に飛び込んできたのは、眼前を埋め尽くす緑色だった。
節々が痛む身体をなんとか動かし、周囲を見回せばそれが木の枝葉なのだと気付く。
…どうやら私は運よく、爆発で倒れ込んできた木の茂みに入り込んでいたようだった。
多少の打ち身や擦り傷はあるものも、我慢できないほどの痛みでもないし、五体も無事で動かすことは出来た。
――とりあえず、今の状況がよく分からない。
目の届く範囲には、お父さんとお母さん、お兄ちゃんの姿も見えなかった。
家族の姿を求めて、私は枝葉をかき分け木の下から這い出す。
先ほどの爆発の凄まじさを思い出しながら…それでも、家族も絶対無事なはずだと、心に言い聞かせつつ
葉っぱを押しのけて外に出た私の目に飛び込んできたのは、見るも無残に抉られ焼き払われた荒地だった。
つい昨日まで緑溢れる場所だった、歩きなれた山道の面影はなく
燻ぶり燃える木々と、引きちぎられたような断面晒す根元ばかり散らばっていた。
その光景を前に、私は言葉も出せないまま呆然と立ち尽くすばかりで。
あまりの衝撃のせいか、何を目にしても心が動かない。
山肌に叩きつけられ、真紅を飛び散らせて転がる、壊れた人形のようなお父さんたちの姿を前にしても
叫び声一つ、涙の雫一つ出なかった私の心はすっかり凍り付いていたんだろう。
「……お兄ちゃん…?」
ふと、お兄ちゃんの姿が見当たらないのに気付く。
もしかしたら生きているかもしれない、私を探してどこかをさ迷ってるかもしれないと
絶望的な状況の中で唯一の希望を抱きながら、ふらつく足をなんとか支え、歩みだす。 一歩、二歩と。
五歩目の足を伸ばし、地面を踏んだ瞬間。 ピルルと場違いなほど高音のメロディが鳴り響いた。
それが自分の携帯のアラーム音だと気付いて、何処にあるのだろうと足元を探したその時。
…私は見てしまった。 時刻を告げる音楽奏でるピンク色の携帯を握る、お兄ちゃんの手を。
右手の肘から下だけしか残ってなかった、お兄ちゃんの姿を。
- 50 :舞踏9話 8/18:2006/01/28(土) 22:10:37 ID:???
- まるでつっかえ棒を失くしたかのように、膝から力が抜け、ガクンと崩れ落ちる。
倒れ込む身体を反射的に腕が支えたけれど、それ以上動けない。 動きたくない。
誰もいなくなってしまった。 私の家族は。
みんな消えてしまった。 お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも。
その事実を理解した瞬間、厚く氷張っていた心の湖面に亀裂が走り
大粒の涙と一緒に、途方もない量の感情の波が押し寄せてきた。
悲しくて悲しくてしょうがなかった。
幼い自分の小さな世界を形作っていた、一番大きなピースが突然無くなった。
寂しくて寂しくて胸が苦しくなった。
自分を愛してくれた人たちがいなくなったと理解した瞬間、心臓も肺もまるごとくり貫かれたかのように
胸にぽっかりと大穴が開いたように空虚な、そのくせ重くズキズキとした痛みが生まれた。
――もう、私には何も残ってない。
真っ白に焼かれた頭の中に、ただ一つ浮かんだ言葉。
その考えを否定したくて、私は震える手を眼前の『兄』へと伸ばし、引き寄せてかき抱いた。
それは以前のお兄ちゃんの手とかけ離れていた。
人ごみの中で、はぐれないように手を引いてくれた力強い手ではなかった。
壊れてしまったオモチャをまるで魔法のように直してくれた、器用に動く手ではなかった。
私が初めて焼いたクッキーの味を褒めながら、頭を撫でてくれた優しい手ではなかった。
マネキンのそれのように、動きもしないただの冷たいモノだった。
――神様、カミサマ。 本当に居るのなら、お兄ちゃんにこの腕を返してあげて下さい。
どこかに行っちゃったお兄ちゃんは、腕が無くてきっと困ってます。どうか返してあげて下さい。
それまで自分は、神様の存在なんて信じていなかった。
見えもしないモノだったし、少なくともその恩恵を実感したことはなかったから。
だけど、もし居るのなら…と。 お兄ちゃんの腕を抱き締めながら、天空を仰いだ。
- 51 :舞踏9話 9/18:2006/01/28(土) 22:11:55 ID:???
- 溢れる涙のせいで、水面下から見上げたように揺れる不確かな空には
まるで舞い踊るように飛び交う、たくさんの人型のシルエットが見えた。
…その中の一つ。 一際目を引くMSに、私は心奪われる。
蒼い翼を広げ、鳥のような優美さで飛ぶ、真っ白なMS。
スマートなフォルムのそれは軽々と銃弾を避けながら、何機ものMSを相手に戦い、次々と撃墜していく。
その時の私には、その白いMSがまるで戦争に終わりをもたらす天使に見えて。
助けて下さい、と祈りながらその姿へと手を伸ばしてしまった。
――けれど、その考えは間違っていた。
思い出した。 お兄ちゃんから携帯を受け取ろうとした瞬間、爆発の直前に見た光景を。
私たちの頭上を飛んでいた、青の翼背負う白いシルエットを。
――アレが、私たちを撃ったんだ。
「っあ………いやああああああああぁぁッッ!!!!」
込み上げてきた感情が、喉を突き抜ける。
あのMSが自分たちを撃ってきたなんて確証はなかった。なかったけれど。
それでも…少なくとも私たちのことを見殺しにしたんだ。天使のようなあれは、私たちを守ってくれなかったんだ。
胸中に生まれた激しい憎悪のままに、私は空へ向かって叫び、泣いた。
でも、たった一人の女の子の泣き声なんて、今もなお戦いを繰り広げる彼らに届くはずもなかった。
- 52 :舞踏9話 10/18:2006/01/28(土) 22:13:12
ID:???
- 神様なんてモノは、やっぱりいないんだろう。
天使かと思ったあのMSでさえ、多くの人を、私の家族を殺したんだから。
だから、助けてもらえないお兄ちゃんの手はお父さんたちに預けてきた。
子どもが二人ともそばにいなかったら、心配するだろうと思って。
せめてお兄ちゃんだけでも、お父さんたちのそばに居てて欲しいと思ったから。
…本当は、自分も一緒に死ねたら幸せだったんだろうけど。
それでも、一人だけでも助かった命をこの場で投げ出したら、家族に怒られるような気がして
兄の手の中にあった携帯電話を握り締めながら、行く当てもなくふらふらと歩き続ける。
いまだ頭上で絶えない、裂かれる空気の悲鳴と鉄人形の駆動音が
ショックで真っ白に焼かれた私の心を、ぐしゃぐしゃに掻き回していく。
涸れることを知らない眼から伝う雫を拭う気力もないまま、私は軍港の近くを歩いていた。
「…なんだったんだ、あの黒いMSは…」
「詳細までは分かりません…しかし、連合のダガーシリーズと合致する特徴がいくつかありました…」
遠く遠くから、男の人たちの声が聞こえてくる。
向かいからこちらへ歩いてくる、軍服姿の人たちが話しているみたいだけど
私にはまるで、妖精の囁きのような別世界の出来事にしか感じられなかった。
「…っ?! そこの君、大丈夫か! 家族は何処に……」
私の方を見て、驚いた様子で一人の軍人さんが駆け寄ってくる。
しゃがみ込んで目線を合わせ、私の肩に手を置きながら覗き込んでくるそのおじさんの顔は、とても心配そうで。
多分、お父さんとお母さんを二人一緒に並べるため、運んだ時に体中に付いてしまった血糊のせいだろう。
「ここはもうすぐ危険な状態になる。 私たちと一緒に行こう!
君の家族のことも、必ず探してあげよう!」
大丈夫です、おじさん。 お父さんたちの眠っている場所はちゃんと覚えてるから、大丈夫です。
そう答えようとしたのだが、ずっと前から唇が震えていて、全然いうことを聞いてくれないので上手く言葉にならない。
ああ、とかうう、みたいな呻き声しか出せない私を前に、おじさんはひどく悲しそうな表情を浮かべてた。
遠雷のように、どこからか鳴っていた爆発の音が、不意にそう遠くない場所で鳴り響く。
間髪入れず襲いかかってきた、黒煙交じりの突風に吹き飛ばされそうになった私の身体を
軍人さんが大きな手でしっかりと掴まえて、倒れないようにぐいと抱き寄せてくれた。
そしてそのまま、私の身体を抱き上げて走りはじめる。
私は、おじさんの広い腕の中で爆風から守られながら
せめて、せめてこれだけは絶対に失くすまいと、携帯電話を強く握り締めていた。
――もう、私の家族の姿はこの中にしかないのだから。
- 53 :舞踏9話 11/18:2006/01/28(土) 22:15:05
ID:???
- 私たちが軍港の施設に避難して、間もなくの話。
オーブ連合首長国代表…つまり、私たちの国のリーダーであるウズミ・ナラ・アスハは
今回、地球連合軍が侵略してきた目的だったマスドライバー『カグヤ』と
有数の軍需企業だったモルゲンレーテ本社を爆破し、自らも五大氏族の代表たちと共に、カグヤを焼く炎の中に消えた。
爆破の直前、残存していたオーブ軍の一部はマスドライバーで宇宙へと上がったらしい。
そして、防衛のために残留していたオーブ軍は全て武器を捨て投降し、連合軍に対して降伏した。
…私たちの国は、負けたんだ。
私はといえばあの後、助けてくれた軍人さん…トダカさんの家で厄介になっていた。
保護された時の私の精神状態が酷かったことを心配して、自分の家で預かると申し出てくれたらしい。
トダカさんは、連合軍の占領下にあるオーブの状況を少しでも良くするために
毎日毎夜、人命救助や瓦礫の撤去、被害者に対する救済活動なんかに忙しくて、滅多に家に帰ってくることはない。
でも、時々家に休憩に戻ってくる時は必ず私の様子を見に来て、心配してくれているし
家で一緒に暮らしているトダカさんの奥さんも、私に対してすごく優しくしてくれた。
――けれど、けれど私はここにいたくなかった。
トダカさんの家に、じゃあない。 この国、故郷であるオーブにいたくなかったの。
傷ついて、ひとりぼっちになってしまった私を温かく迎えてくれたトダカさんたちには
すごく感謝しているし、すごくすごく大好きな人たちだって思ってた。
でも、この国は私にとって、あまりに辛い場所になってしまった。
お父さんとお母さん、それにお兄ちゃん。 大好きだった家族を、一度に全員失ってしまった場所だから。
それに、子どもながらに私は、この国の偉い人たちのことを心から憎んでいた。
オーブを戦火に晒す失態を起こした原因であろう首長、アスハ家のことを。
それを止めることが出来なかった、無能な政治家や将軍たちのことを。
私が心から愛していた家族と故郷を守れなかった『国家』を、軽蔑していた。
- 54 :舞踏9話 12/18:2006/01/28(土) 22:16:56
ID:???
- けれど、トダカさんのことを考えて、その思いは絶対に表に出さないように心がけていた。
トダカさんは、困っているオーブの人たちをなんとか助けようと頑張っている軍人さんだったから。
でも、私の思いにトダカさんは気付いていたのかもしれない。
ある日、トダカさんに訊ねられたのだ。 プラントに行かないか?と。
彼の話によるとオーブ政府に、プラントから難民受け入れの申し出があったらしい。極秘裏に。
連合軍占領下にあることで迫害される恐れのある、コーディネーターの保護が目的とのことだった。
私もお兄ちゃんと一緒で、コーディネーターとして生を受けた人間だ。
もっとも、コーディネイトされた部分は健康面だけなのだけど、コーディネーターには変わりないだろう。
ニュースを見ていた時、流されていたコーディネーター排斥運動の映像について、お父さんが説明してくれたことがあった。
地球に住むナチュラルの中には、ブルーコスモスと呼ばれる巨大な組織があると。
彼らはコーディネーターの存在を否定し、それらを滅ぼすか、あるいは徹底的に管理しようと目論んでいると。
一緒に聞いていたお兄ちゃんは、怖い人たちなんだねと言いながら深刻な顔をしていたけど
この国に住んでる限りは大丈夫だよ、と私たちを安心させるようにお父さんは笑っていた。
けれど、今のオーブは地球連合軍の占領下に置かれている。
その地球連合軍の中核を成す、大西洋連邦にはブルーコスモス関係者が多く、強権を握っているとの話だった。
もう、オーブは昔のようにコーディネーターの安全が確約された国じゃなかった。
屈みこみ、目線を合わせて私を見つめてくる、トダカさんの眼差しを受けながら
私は、意を決して頷いた。 プラントに行きます、と。
言われたその場で決断したのは、オーブに居たくないという理由も大きかったけれど
6年前、お母さんの弟、つまり叔父に当たる人がプラントに移住していることを思い出したからだった。
小さい時のおぼろげな記憶の中、よく私とお兄ちゃんと遊んでくれた穏やかな青年の姿を思い浮かべながら
もう一度大きく頷き、プラントに行く決心をトダカさんに伝えた。
- 55 :舞踏9話 13/18:2006/01/28(土) 22:18:13
ID:???
- その話を聞いてからの経過は早く、プラント行きのシャトルは二日後には出発準備を完了していた。
私は僅かな私物をバッグに詰め、空港の出国ゲートの前に立っていた。
僅かな休暇を使って私を空港まで送ってくれたトダカさんは、今も私を見送るためにいてくれる。
「プラントに問い合わせたところ、君の叔父さんはセプテンベル市に居るそうだ。
向こうについたら、入国管理官の人に聞きなさい。 すぐに住所を教えてくれるだろう」
「はい。 …本当、なにからなにまでしてもらって……。
ありがとうございました。トダカさん」
深々とお辞儀をして、顔を上げると。 トダカさんが微笑んでいるのが見えた。
「一人で、見知らぬ土地に行くのは不安だろうが、きっと大丈夫だよ。
落ち着いたら、連絡してくれ。 家内も、君のことを気がかりに思っているから」
「はい、必ず連絡します」
大きく、少しでも安心させようとしっかり頷く。
その拍子に、目の縁に溜まりつつあった雫がこぼれそうになったので、少々慌てたけれど。
――館内にアナウンスが鳴り響く。 そろそろ、シャトルに乗らなきゃ。
「…マユ君。 いつか、全てが落ち着いたら我が家に遊びに来てくれ。
私も家内も、いつまでも待っているよ」
私の両肩に乗せられる、大きな手のひら。
あの時、私を包んで守ってくれた力強い手のひら。
トダカさんの顔を仰ぎ見れば、微笑みにはいつの間にかほんの少しの寂しさが混じっていた。
「…はい。ありがとうございます。
いつかきっと…遊びに行きます!」
涙こらえながら、精一杯の明るい笑顔を作って、お辞儀と共に背を向け搭乗ゲートへと歩みを進める。
そんな私の背中を、トダカさんは無言でぽんと押してくれた。
優しい恩人の見送りを受けながら、私は振り返らずにシャトルへと歩いていった。
- 56 :舞踏9話 14/18:2006/01/28(土) 22:19:35
ID:???
- 初めて乗ったシャトルの舷窓に映る宇宙空間に、時間を忘れて見入っているうちに
シャトルはプラントの首都、アプリリウス市へと到着した。
入港すると、すぐさま大勢の係官さんが私たちの元に訪れ、別室へと案内してくれた。
その道中、一緒のシャトルに乗ってきた人たちを見ていて、気がついたことがあった。
乗客は、ほとんどが大人だったのだ。 子どももほんの数人いたけど、みんなお父さんお母さんと一緒だった。
…つまり、私のような戦災孤児は一人だけだったんだ。
両親の間で手を引かれながら、見慣れぬ場所を物珍しげに見回している小さな男の子を見ながら
不意に寂しさに襲われた私は、ポケットの中にある携帯電話をぎゅうと握り締めた。
連れて来られた大部屋で、係官からの入国手続きについての説明が始まる。
まずは乗客の遺伝子を調べ、コーディネーターであるかどうかを。
そして、どういった箇所をコーディネイトされているのかを調べ
そのデータを元に、適性のある職業を斡旋する目的もあるとのことだった。
どうやらここは宇宙港に併設された医学施設らしく、検査はすぐさま開始される。
人々は順々に別室に呼ばれ、血液採取や問診を受け、その結果が出ると用意されたホテルへ案内される。
その後は、与えられた住居や職場で生活していくことが出来るらしい。
比較的早い段階に検査を受けた私は、置かれた長椅子に座りながら結果を待ちわびていた。
…けれど、それがなかなか来ない。 私より後に検査を受けた人も、多くが移動しているというのに。
何故か自分の結果だけが後回しにされたかのように来なくて、ずぅっと待ちぼうけていた。
部屋に大勢いた乗客たちは、次々といなくなっていく。
結果を告げられ、係官さんに案内される親子連れの、お母さんらしき人が足を止め
ぽつんと残っている私の方を不憫そうな眼差しで見ていたけど、やがて係官さんに促され、退室していく。
……完全に、一人になってしまった。
室内が寂しくなってしまったことにしょぼくれながら、いつまで経っても来ない係官さんにぶーたれながら
子ども一人には広すぎる長椅子の上で、私はこてんと身を横倒しにした。
- 57 :舞踏9話 15/18:2006/01/28(土) 22:20:41
ID:???
- 「――スカ…………マユ・アスカ君?」
「…ふぇっ?! は、はいっ!」
頭上から降りかかった声に私は目覚め、慌てて身体を跳ね起こした。
…不覚にも、ヒマすぎて寝ていたらしい。 授業中、不意に先生に当てられた時のように、心臓がバクバクしている。
私の慌てっぷりに、声をかけてきた男の人は不思議そうに目を瞬かせていた。
その人は丈の長い白衣を羽織っていて、本当に理数系の先生みたいに見えたのはナイショだ。
「疲れているところすまなかったね。 こちらの手違いで遅れていた検査の結果が出たよ。
君がコーディネーターであることは確認した。 我々プラントは、君を国民として迎え入れよう」
「あっ、ありがとうございます!」
雪のように白い肌と黒髪のコントラストが際立つその人の、やんわりとした笑みと言葉を前に
私は立ち上がり、姿勢を正しお辞儀した。
「それでだ、アスカ君。 君に二、三確認したいことがある。
どうやら君は一人でここに来たようだが…ご家族は?」
「……私の家族は、みんな死にました。 オノゴロの戦闘に巻き込まれて…」
「ん、やはりそうか…。 すまない、不躾な質問だったね」
「いえ、大丈夫です」
返答に、微かに表情を曇らせた男の人へ、私は努めて笑顔を作る。
とはいえ、鏡がないから自分がちゃんと笑えたかどうかは分からないけれど。
「ところで、君はプラントに頼れる知人は居るのかい?
……もし、当てがないようだったら、私の所に来ないかい?」
片膝をつき、身を屈め、私に目線を合わしながらのその言葉に、私は面食らった。
…流石に、今出会ったばかりの名も知らぬ男性に、一緒に暮らさないかと言われてためらわない女の子はいないと思う。
小首を傾けて私の顔を覗き込んでいた彼も、十秒ほどしてようやく気付いたのか、苦笑めいた笑いを浮かべた。
- 58 :舞踏9話 16/18:2006/01/28(土) 22:21:57
ID:???
- 「ああ、これは失礼した。 名乗っていなかったね。
私はギルバート・デュランダル。 職業は…遺伝子研究をしている、しがない科学者さ。
今回の難民受け入れに際して行われた、入国検査の責任者を任されている」
差し出された彼、デュランダルさんの手をなんとか握り返すものも
どうやら偉い立場にいるらしい彼の意図をいまいち掴み切れず、私ははぁ、と生返事を返すことしか出来ずにいた。
そんな私の様子がおかしいと感じたのか、ふむと言いながら考え込む仕草を見せるデュランダルさん。
「いやいや、すまない。 説明が足りなかったね。
プラントでは現在、少子化の傾向が強くてね…君のように身寄りのないコーディネーターの子どもを
子宝に恵まれない家に養子として斡旋する制度があるのだよ。
君に頼る人がいないようなら、私が君の保護者になりたいと思っているのだが、どうかね?」
説明を聞いて、ようやくプラントの事情というのを理解できた。
もしかしたらトダカさんはこれを知っていて、私が天涯孤独になることはないと思って送り出したのかもしれない…。
「あの。 一人だけいるんです、親戚が。
母方の叔父が、6年前にプラントに移住していて…セプテンベル市に居るらしいんですけど…」
「ふむ…そうか。
分かった。 その人の住所を調べて、連絡を入れておこう。 して、名前は?」
「お願いします。 名前は、エイジ・カザハラさんです」
おじさんの名前を告げると、何故かデュランダルさんは一瞬驚いたような表情を浮かべて
「セプテンベル……まさか、彼女の所の…」
などと、ブツブツ呟きながら難しそうに眉根を寄せていた。
見ている感じ、放っておいたらずっと考え込んでそうな様子だったので、私は何か声をかけようと口を開きかけたが
ちらりと私の顔を見てきた彼は、再び表情を笑顔に変えて
「ああ、すまない。 すぐにプラントの住民管理局に連絡し、調べてもらってくるよ。 少し待っていてくれ」
- 59 :舞踏9話 17/18:2006/01/28(土) 22:22:55
ID:???
- その後、10分ほど経ってから。 別室に移動していたデュランダルさんが戻ってくる。
「マユ君、分かったよ。 君の叔父さん、エイジ・カザハラ氏はセプテンベル1に在住している。
現在はとある屋敷に住み込みで働いているようだが……」
そこまで言って、彼は困ったように少し表情を翳らせる。
「少々、込み入った事情があるようでね…すんなり会うことは出来ないようだ。
連絡したところ、向こうは君の受け入れを是非ともと希望していたんだが…」
「えっ……ダメ…なんですか?」
告げられた言葉に不安を感じて問い返すと、彼は私をなだめるように笑顔を作り、言葉を続けた。
「何とか出来ないことはない。 私がなんとか掛け合ってみよう。
とりあえず、今日のところは手配したホテルで休みなさい。 必ず吉報を持ってこよう」
「…ありがとうございます。 よろしくお願いします!」
デュランダルさんの親切な言葉に、私は感謝を覚えながら深く深く頭を下げた。
当然のことだよ、と答えた彼に連れられて、私は空港近くのホテルへと向かった。
用意されたホテルはいかにも高級そうな場所で
美味しいご飯に広い部屋、暖かいお風呂と至りにつくせりだったけれど。
灯りを消し、大きなベッドに寝転がって天井を見上げていると
これが、自分が初めて経験する、一人ぼっちの夜だということに気付いた。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、恐怖で寝つけない私のそばにずっといてくれた、トダカさんの奥さんも。
自分の部屋で一人で寝ることは出来るし、大丈夫だと思っていたけれど
それは、家に家族がいるという安心感のおかげだったんだって、今更ながらに痛感する。
部屋包む暗闇と静寂の中、私の心は静まることなく。
目を閉じても、瞼をスクリーンにしたかのようにあの日の光景が見えてくる。
耳を押さえても、洞窟の中で反響するように爆発の轟音が身体の内側で再生される。
怖くて怖くて、さみしくてさみしくて眠れないまま
私は初めての、長い長い孤独の夜の中でずっと泣きじゃくっていた……。
- 60 :舞踏9話 18/18:2006/01/28(土) 22:24:36
ID:???
- 「……マユー? ……おーい、マユったらー!!」
「ひゃぅっ?!!」
耳元で叫ばれた呼び声に、ベッドに横たわっていた少女はがばりと飛び起きる。
目を忙しく瞬かせながら、巣穴から周囲探る小動物のようにキョロキョロ辺りを見回してるマユへと
声の主、ルームメイトのルナマリアはあきれたような苦笑で笑いかける。
「もうとっくに起床時間よぉ? 早く身支度して、朝食食べに行きましょ!
ご飯食べたら、訓練規定のスケジュールが入ってるんだからね? ほら、ちゃっちゃと動いた!」
「う、うん、ごめんなさい!」
急かすようにパンパンと鳴らされた手拍子に促され、ベッドから這い出して制服に着替え始めたマユ。
赤いコート様の上着を羽織りながら、ふと先ほどまで見ていた夢のことを思う。
まったく、酷い夢見だった。 時々こんな風に昔の夢を見るのだけれど
場面は決まって、自分が一番辛かった時期の光景ばかりなのだ。
…こういうのをトラウマって言うのだろう、と彼女は思う。
寝付けずに、携帯のライブラリに収められた昔の写真ばかりを見ていたせいで、こんな夢を見たのだろうか、と。
制服のボタンを合わせながら、心地悪い夢の余韻にぼうとしていた少女。
その横顔に、突然ぺたりと水気のある物体が当てられる。
「うぁっ?! な、なに…ルナ姉ちゃん?」
濡れたタオルを顔に当ててきた少女へと、マユは悲鳴交じりの困惑を見せる。
相手はといえば、その態度に構うことなく濡れタオルをマユの顔に押しつけゴシゴシと擦りながら笑う。
「そんな顔で出て行っちゃ、みんなに要らない心配かけられるわよ」
そう言われ、マユはようやっと自分の状態に気付いた。
どうやら寝ながら泣いていたようで、顔は涙でグシャグシャのパリパリになっていることに。
お湯に浸けて絞られたのか、暖かいタオルで顔を拭かれながら
ルナの、姉らしい世話焼きっぷりと幼い子どものような自分の扱いに少し苦笑いする。
…内心では、今の自分が置かれている幸せな環境に、感謝しながら。
多くのものを失った夢を見た後だから、余計に身に染みて感じられる。
新たな家族、大勢の友達、大切な居場所を得ることが出来た自分の幸せを。
それらの大切さを噛み締めながら、サッパリした顔に満面の笑顔を浮かべながら
マユはルナマリアに、ありがとうと礼を述べた。
意識が目覚めていくにつれて、自覚し始めた空腹を抱えながらルナマリアと共に部屋を出るマユの
ベッドの上に残された携帯電話の画面には幼い少女と、共に並ぶ彼女の兄の笑顔が映し出されていた。