未熟の天使
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第1話 [プロローグ]
人類が核エネルギーを手にしてから囁かれていた、原爆による人類滅亡という一つのシナリオ。
それが、現実のものとなった。
21世紀初頭、人類は3度目となる世界規模の戦争を起こすことになる。この争いの原因は、元を辿れば環境破壊を食い止めるための、単なる意見の食い違いに過ぎなかったのだ。
20世紀末から環境問題がクローズアップされ、世界的に環境保護の気運が高まる中、京都会議に代表される国をまたいだ活動が活発となる。しかし国としての立場や状況、イデオロギーの違いが国家間の軋轢を生み、やがて当初の理念とはかけ離れた事態を招くこととなる。武力による環境問題の解決。このような本末転倒も甚だしい、実に愚かしい結果となってしまった。環境汚染の元を絶つという大義名分で、特に険悪な関係となっていた国同士が戦争状態に陥ったのだ。さらに当初2国間の争いであったものが、使用された大量破壊兵器の飛び火によって周辺国にも緊張を生み、やがて全世界的な戦争状態へと発展してしまった。これが、後に言う第3次世界大戦である。そしてこの戦争を終わらせたのは、一国が放った多数の中性子爆弾だった。
全世界に向け発射されたそのミサイルは、搭載された核弾頭を目的地へ正確に運んでいった。核弾頭は発射した人間の思い通りの位置で、その内に秘めたる莫大なエネルギーを一気に放出した。核の光が、強烈な放射線が生活を営む人々の頭上で炸裂し、人類のみならずありとあらゆる生き物を無に帰したのだ。
結果、地球人口は5000人程度まで減ってしまった。生き残った彼等は、運良くシェルターに避難出来た者たちだ。既に戦争は国家そのものの消滅と共に消え失せ、闘う理由が消え去った彼等は平和を手に入れたはずだった。しかし地上に残る放射能は非常に強く、彼等の持つ放射能防護服の許容範囲を超えていた。人類の地上での活動は、現時点ではほぼ不可能だった。
人々の地上での活動が可能になるまで、つまり防護服が役に立つまで放射能が弱まる頃には、今生きている者たちがその寿命を全うした後のことだ……。地上の復旧を急ぐ彼等の導き出した計算の答えは、そんな残酷な事実を物語っていた。人々は再び絶望の淵に追いやられた。
せっかく生き残ったというのに、これでは生きている意味がない。
そう自棄になる者も出たが、多くの人々は様々な方法や可能性を計算し、自分達が地上で生きるすべを追求し尽くした。そして彼等の導き出した答えは、長期間の冷凍睡眠を行い、放射能が防護服で防げる程弱くなるその時まで、時間を飛び越えることだった。
人類が冷凍睡眠から覚めた時には、地上の放射能もだいぶ弱まってきており、彼等の活動は当初の予想通りに可能となっていた。まず、大気中の汚染物質や放射能を除去するため、微生物を用いた大気浄化システムが、地球上のあちこちに造られた。また旧世界の廃墟と化した都市は完全に整理され、そこに新しい街が建設された。人々は困難に立ち向かいながら、着実に立ち直りつつあったのだ。
しかし、彼等は再び愚行を繰り返してしまった。
大気浄化システムが、テロにより破壊されたのだ。その結果、大気には除去しきれなかった放射能、そして有害な微生物が、極めて濃密に漂う状態になってしまった。大気浄化システムに組み込まれていた微生物は、人類の肺を冒す。大気中の毒物を分解する強力な働きが、肺の細胞すら分解してしまうのだ。人間は、もちろんそんな環境では生きてはいけない。その大気を一息吸い込んだだけで、肺は徹底的に破壊され、血を噴き出し死んでしまうだろう。
結局、人々は街をドーム状のシェルターで覆い、外に出るときには気密服で身体を守らねばならない生活を余儀なくされた。
だが大気の浄化については、微生物が大量にばらまかれたことにより、一気に進む事となった。またその微生物自体も、遺伝子操作で長く生きることがないようプログラミングされていたため、計画通りにその数を減らすことが出来た。
大気は、急速に清浄さを取り戻していった。
人々はまた、様々なプロジェクトを通じて既に滅び去っていた動植物、そして人間すらよみがえらせ、第3次世界大戦以前の地球環境を取り戻しつつあった。けれどもそれは”自然”なものではなく、人の管理によってようやく保つことの出来る、非常に脆いものだったのだ。
自然が以前の回復力を取り戻すため、人々は自分達の活動地域と動植物の自生地域を明確に区別し、地球規模での管理体制を敷くことにした。この計画では、人類の活動地域における全ての管理決定権、動植物自生区域の立ち入りや伐採に関する決定権等は、これを全てコンピュータ群に持たせることとした。
人類の行動・活動全てが、人の意志に干渉されることのない、完全なる独立性を保ったコンピュータによって、完全管理させる事になる。
これは、自分達の命をはぐくむ地球を、幾度と無く滅ぼし掛けた人類の懺悔を、自分達の枷となる形で現したものだった。
コンピュータ群は、システムガイアと名付けられた。地球を一つの生命体として捉えるガイア理論が、その語源である。またこのプロジェクトは、地球上に存在する全ての人間、地域を対象にした。もちろん、一部の人々は己の行動を管理制限されることに反感を覚え、反対論を唱えた。だがここで彼等の意見を認めれば、完全管理できない地域があちこちに出来、地球の総合的管理を目的としたシステムガイアが形骸化してしまうのは、もはや日の目を見るより明らかだった。
人類は、自分自身の良心を信用するほど、愚かなままではいられなかったのだ。
そこでシステムガイア開発にあたり、攻性の防衛システムの存在が不可欠との結論に至った。そのため、システム本体の開発に先だって、システムガーディアンと呼ばれる防衛システムの開発が着手された。
システムガーディアンは、最も直接的に、人類の行動の制限を加える存在となる。しかし一方で、一部の人間の愚行からシステムガイアを守り、再び自然溢れる地球を取り戻すという人間達の悲願を成就するための、重要な存在でもあるのだ。
彼等は、システムガイアと共に、人類をも守る存在なのだ。
この計画を唱えた者たちは、我々人類の守護者となる者と共に生き、共に地球を守るという意味合いを込めて、彼等の姿を人間に似せることとした。それが、彼等の矜恃でもあったからだ。そして彼等をエンジェルと称し、開発が開始されたのだった。
薄暗い部屋の真ん中に置かれたベッドの上に、一人の少女が寝かされている。彼女の名前はSTP-103。システムガイアの拠点防衛兵器、エンジェルシリーズの3号プロトタイプだ。
彼女の身体には、心電図や脳波計、その他雑多の測定機器に繋がれたケーブルが、無数に取り付けられている。
自発呼吸はしているようだが、それ以外の身体の動きは全くない。彼女の電子頭脳にインストールされた疑似人格OSが、まだ完全に起動していないためだ。
規則正しい測定器からのビープ音が響く中、一人の男が彼女の傍らに歩み寄る。彼、武由(たけよし)は、STP-103開発の総合責任者であった。元々は人工知能を研究していた彼だが、今回大抜擢(彼は周りからの嫌がらせだと固く信じている)で、この大役を授かった。ちなみに28歳、独身である。
なぜ彼が自分の地位を嫌がらせだと思っているのか。
彼は自分の得意分野であるはずの人工知能開発に、今回全くと言っていいほど携わっていないのだ。ましてや、STP-103の身体を培養した生化学チームの開発現場は、部屋の外から数回、ガラス越しに眺めていただけに過ぎない。
STP-103は人型のボディに、有機チップを用いた電子頭脳を組み込んだ構造になっている。彼のやった仕事と言えば、その電子頭脳にプリインストールする様々な知識データベースを、ほんの少しだけ編集したに過ぎない。殆どの作業は、情報工学を専門とする、データの研究よりも酒や女の研究が大好きなおっさん共が行った。また電子頭脳で動作する疑似人格OSは、武由の先輩研究員ある鹿沼(かぬま)さゆりが率いるチームによって開発された。
武由の責任者としての仕事は、これから2年間という限られた時間の中で、STP-103が一人前の人間として生きていけるように教育し、そして彼女を拠点防衛兵器として育て上げることだ。2年後に予定されている実地テストで、STP-103が優秀な成績を出せば、彼女と同じコンセプトのエンジェル達が、システムガイアを守ることになるだろう。
……こう言えば聞こえはいいのだが、武由が嫌がらせだと言っている理由はちゃんと存在する。とどのつまり、彼の仕事とは、現時点では何も出来ないSTP-103の、単なる身の回りの世話+お勉強係だったのだ。
「何で私がそんなことを!!」
やっと自分の研究が軌道に乗り、研究者としてこれからというときに……。全ての研究テーマを問答無用で取り上げられ、兵器のなり損ないの面倒を見ろといきなり言われた彼の、当然の言葉だった。
STP-103は背格好こそ15,6の少女だが、電子頭脳は全くと言っていいほど発達しておらず、つまるところ単なる赤ん坊なのだ。それは、人間と同じ成長過程をなぞることで、より人間に近しい存在となるという意味合いがあるからなのだが……。だから彼は一人暮らしで独身なのに、図体だけはデカい赤ん坊の、下の世話から躾やお風呂、衣食住全ての面倒を見なければならないのだ。若い女の子を好き放題いじれるからイイじゃないかと、気楽で下世話なことを抜かす同僚がゴロゴロいたが、彼はそういうシチュエーションを喜ぶ質ではなかった。頑固で大人げない態度が時折見られるが、くそ真面目な男なのだ。
外では、真っ青な空に浮かぶ巨大な入道雲が太陽の光を反射し、自ら光っているように見えるくらいに強烈な日差しが降り注いでいる。
夏の暑さも折り返しを過ぎたあたり。まだまだ夏は本番だ。蝉の鳴き声が、熱の籠もった微風と共に研究所の中まで響いている。
そんな、連日の暑さも生やさしく感じるひときわ暑い日に、STP-103は電子頭脳に疑似人格OSをインストールされた。今日が、彼女の誕生日となった。
インストール作業後、彼女の電子頭脳は正常に動作中で、今のところ全く悪い兆候はない。一通りのテストやチェックをパスし、管理責任が武由に委譲されたのが、ほんの数時間前であった。
そして時を同じくして、彼のいた研究室からは、今まで彼と共に研究を行ってきた実験機器が撤去され、代わりにSTP-103のマニュアルやら各種測定器械が、あきれるくらい大量に搬入された。そんな悲惨な引っ越し風景の中、彼は部屋の隅で一人歯を食いしばりつつ、仲のよかった同僚達(先ほどの実験器具等)との辛い別れを、必死にこらえていたのだ。頬には一筋、涙も光る。そして就業時間が終わると、飲み慣れない酒を喰らいながら、STP-103の寝かされた部屋にやってきたのだ。
「全く、お前なんかのせいで……!」
ワインの瓶など片手に持ちながら、彼はそう愚痴る。全てはこの女がいるから、楽しかった研究も取り上げられ、あまつさえ手になじんだ実験器具すら、他の人間の手に渡ってしまったのだ。
彼はSTP-103の寝かされたベッドの傍らに立ち、その顔をじっくり見やる。そして、今はまだ何をしても動きやしないからと、数年後には人類全てを圧倒するであろう化け物みたいな防衛兵器のこの女の、たるんだ頬でも一発つねってやろうと、その無防備な頬に手を添えた。
しかしその寝顔を見ていると、彼は何となく、自分の我が儘みたいな怒りをぶつけるような対象には思えなくなっていった。取り立てて美人な顔はしていない。だからといって、アイロン掛けをしたくなる程型くずれしたものでも無い、愛嬌のあるかわいらしい顔だ。ちょっと鼻が低いのが玉に瑕か……
「何だよお前、そんな顔しやがって……」
彼はだいぶ酔っぱらっていた。普段は酒など飲みやしない男なのだ。
「………お前の所為で、おれの研究無くなっちゃったんだぞ?」
頬をつねる為に添えた手を、未だ規則正しい寝息しかたてない彼女の頬に添え、そしてその唇に、優しくキスをする。
「生まれてきて、おめでとう……」
彼は心から、彼女のお誕生を祝った。
「…ん……」
酔った武由は気づいていなかったが、STP-103が自らの意志で動いた、最初の出来事だった。
- 【STP-103 観察日記・1】
- 本日STP-103の引き渡しが完了し、自分が全ての管理責任を負うこととなる。
外見上特に変わった様子もなく、各種プローブにより取得される生体パラメータ、管理用ダイレクトバス経由で取得されるOSシグナル等も正常範囲内である。データフローカーネルはマスターコントローラ権限を掌握中。OSの基本カーネルとして動作中。異常動作、無限ループバック等の危機的エラー無し。
身体については、基本的反射機能に問題見受けられず。循環器系、呼吸器系は異常なし。神経系は電子頭脳との接続に問題なし。信号伝達速度、レセプターのゲインに関してはインタフェース構築後チェックを行うこととする。現在は、OSによる外界とのインタフェースの構築中である。
このインタフェースが正常に構築されれば、皮膚感覚、聴覚、視覚、味覚、内臓感覚などの信号取り込みが可能となる。
また、OSが数回ハングアップ状態となる。最適化されていないインタフェースによる、過度の刺激感受によるオーバーロードが原因だと考えられる。
ノイマンカーネルによるOSのリカバリ機能は正常で、ロールバック機能でハングアップ前状態への復帰は問題なし。またハングアップの原因となったインタフェースもゲイン調節がなされ、同一ポイントでの巡回的ハングアップ等致命的エラーはない。
連想記憶野へのアクセスは未だ認められない。リニアメモリへのアクセスは、ノイマンカーネルからのみ。
- 【STP-103 観察日記・2】
- 起動から3日目。
基本的なインタフェースの構築は完了。神経伝達速度には問題なし。レセプターのゲインについては若干高すぎるが、インタフェースによるAGC(自動ゲイン調節機能)で対応可能。現在OSにより最適化中。
電子頭脳の生命維持サービス(コアカーネルデバイスドライバ)の起動が完了し、周辺サービスのコンパイルならびに起動が順次開始されている。周辺サービスとして、内蔵エアーイーサ・サービスのみが起動し、ノイマンカーネルにより制御されている。なお、デバッグモードとして動作しており、データフローカーネルのログを直接送信してきている。
身体機能に於いては、自発的動作が開始されている。体機能管理サービスが正常に起動。各パラメータ正常。ただし、まだ自由に体を動かす事は出来ない。首や目を若干動かす程度である。筋肉からの信号のフィードバックの調節を行い、筋力出力値の最適化を行っている。結局寝返りなど自分で出来ないので、定期的に補助を行っている。
また目を開き、動く物を視線で追う動作や、音のする方を向こうとする動作を見せ始める。画像認識サービスならびに音声認識サービスの起動が確認された。どちらもパラメータに異常なし。見聞きしたものを、連想記憶野へ保存開始。仮想シナプス結合に問題なし。
画像認識サービスの動作検証として、管理用ダイレクトバスより論理的認識画像を出力し、PCにてエミュレーションを行う。映像はほぼ正確に再現されており、プレインストールした認識子は正常に機能している。またいくつかの認識子の新規作成がサービスによって行われている。様々な映像を見せOSの活性化度を比べた結果、人間同様に顔型のマークが最も高い数値を出していた。
音声識別に関しては、顔の近くで指を鳴らすと、その方向に向こうとする動作を見せる。サービス内での言語認識プロセッサは現在構築中の為、言葉は理解できないと思われる。
人間的な感情を司る感情制御サービスの起動を確認。その感情パラメータはデフォルト値(それぞれ100%)であったが、今回は喜怒哀楽を示す基本パラメータ中、負の感情を示す怒・哀の感情については出力値を30%に設定した。STP-103の身体機能は、制御用のサービスが未発達であることより不自由な状態である為、感情的ストレスの蓄積が懸念される。しかしこの一連の作業によりストレス値の蓄積を減らし、極度の苦痛によるインタフェースの自己ループ等危機的状況を防ぐ事に有効であると考えられる。
またOSのハングアップも続いている。ノイマンカーネルのログから、新規認識物に対するレセプターのゲインが高く、OSがパニック状態になる事が分かった。
外部操作による強制的パラメータ変更も考えられたが、リカバリ機能の適応範囲内であるので、経過を見守ることとする。今のところ、連想記憶野に異常はなく、OSに過度の負荷を掛けている様子はない。
- 【STP-103 観察日記・3】
- 起動から1週間が経過した。
本日、ついに声を出し始める。赤ん坊と同じく意味を為さない声を上げている様に聞こえるが、周囲から聞こえてきた音を必死に真似している様子。言語認識プロセッサの構築はほぼ完了しており、人の問いかけに強く反応する。デフォルト認識言語として日本語をプリインストールしているので、もしかすると言葉の意味を理解しているのかも知れない。
管理用ダイレクトバスからの出力信号では、人の声を言語として認識しており、単語分解や簡単な構文解析を行っている。声を出しているのも声帯の制御を行うためのキャリブレーション作業かもしれない。
感情制御サービスからの出力信号からでは、声による問いかけに対して喜びの感情の出力が多くなることが確認できた。
OSの成長速度は著しく、それに伴いハングアップの頻度も飛躍的に上昇。最適化されたインタフェースからの、大量の情報を貪欲に取り込もうとしているらしく、OSの処理能力が追いつかなくなったり、理解不能な事象にぶち当たるとハングアップしている。ただしロールバック機能は完璧に動作しており、現在まで連想メモリ論理破壊や過大矛盾、仮想シナプスの巡回結合、内的インタフェース指向等の致命的エラーは一度も起こしていない。それと同時にインタフェースの最適化、思考ロジックの改良を自動で行い、類似事象でのハングアップは減少している、
現時点で、OSにロードされている全サービスのコンパイルならびに起動は完了しており、稼働率は90%を超えている。よって管理用ダイレクトバスからの出力信号が大変複雑化しており、PCによるエミュレーションでは追いつかなくなってきている。本報告書でも推論的な表現が多くなってきているが、もはや一つの事象について正確なな数値を求めることは不可能である。
感情制御サービスでのストレス値は低く、精神的にも健康といえる。関連して、表情を作ることが出来るようになってきた。感情パラメータと表情は一致しており、よくニコニコと微笑んでいる。
身体機能に関しては、パラメータ等全て正常範囲内。体の大部分を自由に動かせるようになり、かつ感覚器も全サービスが完全起動しているため、色々面白い反応を起こしている。
手足を色々動かすことはもちろん、自分の身体の動きを目で追い、時々関節を無理に逆に曲げようとして悲鳴を上げている。また呼吸を意識的に止めたりして、息苦しさを学んでいる模様。まだベッドから勝手に起きあがることはしないが、このままでは近いうち起き上がり転げ落ちることが予想される。よって床に直接寝かせ、周りに不必要な物を置かないようにした。なおデフォルト設定では大きな筋力があるため、手遊びで怪我をしかねないと判断。強制的に筋力を20%に制限した。今後OSの成長具合に合わせ、筋力の制限を減らしていく。
またSTP-103の寝床の周りを頑丈なベビーゲージで囲っているが、立ち上がってしまえば乗り越えられてしまう。そうなる前にOSの言語処理機能が発達し、言い聞かせることが出来るようになれば幸いである。いずれにせよ、今後目が離せなくなることは間違いなく、細心の注意が必要となるだろう。
- 【STP-103 観察日記・4】
- STP-103の起動から1ヶ月が経過した。
片言ではあるが、言葉を喋ることが出来るようになっている。元々電子頭脳内にプリセットとして日本語がインストールされており、かつ知識としては百科事典程度の情報が入っているが、驚異的な成長速度だ。
自己と他者の区別が付いており、感情や自分の状態を相手に伝える事が出来る。また様々な事象に関する認識が可能であり、日常生活を営む上で、もはや足りないところは見あたらなくなっている。知能レベルは、人間で言うところの5歳程度。今後は管理用ダイレクトバスからの情報収集を極力控え、言葉によるコミュニケーションをメインで用いることとする。
体機能は外見年齢に今一歩及ばないが、順調に成長している。歩行はもちろんのこと、駆け足、ジャンプ、スキップ等小学生レベルの運動は問題なく行える。若干手先が不器用なので、今後あやとりでも覚えさせて指先の感覚を鍛える予定。なお定期検診による神経系、消化器系、内分泌系などに異常は一切無く、極めて健康とのこと。ただ、こちらから意図的に運動させないとゴロゴロしていることが多い。どうやら面倒くさがりな性格設定になっているようだ。現時点ではパラメータ強制変更により対処可能であるとのことだが、敢えてそれは行わない。既にSTP-103は人格が形成されつつあり、それを人の手で悪戯にいじることは彼女に対する侮辱と考える。あくまで人間として、言葉で教育を行ってゆく。
なお、OSのハングアップは、頻度がだいぶ落ちてきている。既に様々な事象に遭遇し、その分知識を蓄え、新規認識物に関してもある程度の予測を立てる事が可能のようだ。ただし、未だ知識データベースとの連携が上手く行かず、分からないことがあると、近くに居る人間を質問攻めにすることが多い。だが、同じ事を何度も聞く事はないので、質問の答えは知識として記憶しているようだ。出来る限り、この質問魔には付き合っていこうと思う。
第2話 [私の名前は、みぃ]
武由がSTP-103を世話し始めてから、3ヶ月が経とうとしていた。
彼女は身体に異常はなく、まだ若干舌っ足らずなしゃべり方ではあるが、それなりに円滑なコミュニケーションを取ることが可能となっていた。
季節は秋である。一頃の暑かった夏の名残もだいぶ前に消え失せ、今は枯れ葉が舞い落ちる研究所の中庭。雲一つ無い真っ青な空が、どこまでも続いているそんな日常。
今日はいつもより暖かく天気もいいので、彼等は揃って芝生の上に座り、のんびりとひなたぼっこをしていた。
「ねーはかせぇ、えーと、わたしのなまえは、みぃちゃんなの」
先ほどまで落ち葉について色々聞いていた彼女は、いきなりそんなことを言い出した。
「は? 誰がそんなこと言ったんだ?」
武由は何事かと、隣に座るSTP-103の顔を見る。
「えーと、わたしって、三人めでしょ? だから、ひぃ、ふぅ、みぃの、みぃちゃん!」
「はぁ?」
確かに彼は、”お前は3人目の実験体だ”と、彼女に教えてはいた。しかし、いきなり自分で自分の名前を提案してくるなどとは予想もつかないことだったので、彼はSTP-103が何を言いたいのか、すぐには理解できなかったのだ。
「だから、わたしはみぃちゃんなの」
「みぃ?」
「うん、みぃちゃん」
今まで武由は、彼女のことを”STP”と呼んでいた。確かに人の容姿を持ち、それなりに日本語を喋る存在にSTPはどうかと思うと、彼は自分でも思っていたのだが、だからといって彼女に相応の名前を付けようとまでは考えが回っていなかった。そもそも、いきなりSTP-103に似合う名前を付けろといわれても、三日三晩悩み抜いたあげく、”名前の付け方”なんて本を5回ほど読破する結果となっていただろう。そして、ハナコとかなんとか、今更ペットにも付けないような取り返しのつかない名前を付けて、同僚に向こう3年は笑われるのがオチだったはずだ。
だから彼女が自分自身で勝手に言い出したのだからその通りにしてやればいいのだし、そもそも”みぃ”という響きも、この妙にボケたお姉ちゃんには相応しいと、彼は考えたのだ。
「まぁ、お前が言うなら、これからみぃって呼ぶよ」
「えへへ」
みぃは自分で付けた名前が認められたのが嬉しいらしく、とてもご機嫌そうだ。舞い落ちる枯れ葉を見ながら、「みぃちゃんみぃちゃん♪」と自分の名前を変なメロディーに添えて歌っている。そんな様子を横目で見ながら、武由は改めて彼女に組み込まれたAIの出来の良さに感心していた。彼女は、今まで人類が創り出したいかなるものをも凌駕する存在であると言っても、過言では無いだろう。
みぃの身体は、検定遺伝子をベースに組み上げられた人造遺伝子から合成されたものだ。また、脳は有機チップで出来た電子頭脳が組み込まれている。
つまりみぃの身体は、電子頭脳とセラミックで出来た骨格である点を除けば、ヒトのそれとあまり変わらないのだ。
身体を合成すると言っても、全く無の状態からDNAシンセサイザーで46対の合成遺伝子を作り上げ、DNAアクセラレータを用いて”命ある”生き物を創り出すことは、今の人類には到底不可能な領域のことである。いくら人類が遺伝子を組み換え、自分達の望む形を持ったヒトを作り出せる技術を持っていても、それは結局”ヒト”という既存の規格に改造を施したに過ぎない。
たとえば、”頭のいい”ヒトを創り出すということは、元からあるヒトの遺伝子を使って、せいぜい頭のよくなる風に塩基配列を切り貼りしたり並べ替えるだけなのだ。それは先ほどの改造という行為に他ならない、やり尽くされた技術の一つである。
だが彼女の持つ電子頭脳のように、人類が一から作り出したモノで、ここまでの自我を得た存在は今まで決していなかっただろう。みぃの自我は、彼女の電子頭脳に搭載されたいわゆるAIによるものだ。ただ、既存のAIとはアーキテクチャに大きな違いがあった。みぃの頭脳は、有機チップで出来たCPUに、電子頭脳全体を統括管理する、疑似人格OSと呼ばれるソフトウェアが走っている。こういう言い方だと、その辺に転がっているPCと似たようなものを考えてしまうが、そもそもCPU自体が一般的なコンピュータのものと構造からして違う。
まず第一に、プログラムに従いレジスタに値やメモリのアドレスを書き込んで計算させるという、一般的なノイマン型アーキテクチャは採用していない。みぃの電子頭脳にある有機チップは、CPUと言うよりはDSPのお化けだと考えた方が分かりやすいかも知れない。ある信号の入力に対して、仮想シナプス結合と呼ばれる信号処理回路が、ワイヤードロジック(ハードウェアのみで構成された演算回路)で高速に信号変換を行い、結果を導き出すのだ。
普段ヒトが目で物を見るとき、思考に基づいてそれを認識することは希だろう。目の前に、ご飯が盛られた茶碗があったとする。ヒトがこの物体を見たとき、見慣れた者なら瞬時にそれが茶碗であると認識するだろう。これは目から送られた茶碗の画像が脳内で単純化・規格化され、記憶の中から似たものを瞬間的に見つけ出すことにより、それを茶碗であると認識しているからだ。
この一連の働きには、条件分岐や数値計算処理は殆ど含まれていない。みぃの電子頭脳では、これらの動作を仮想シナプス結合で行っている。つまり、みぃが目で捉えた画像は、”単純化”、”抽象化”、”規格化”、”記憶からの再生”、”比較”など個々の機能を持つ仮想シナプス結合の中を、順次高速に変換され流れていき、終いには茶碗という解となるのだ。
このようにデータの流れが中心となり解を求めるアーキテクチャであるので、従来からあるデータフロー型コンピュータとは違う部分も多いが、開発陣はみぃに搭載された電子頭脳のアーキテクチャをデータフロー型アーキテクチャと呼んでいる。
なお、みぃの頭脳がDSPのお化けと呼ばれる所以は、彼女の持つ電子頭脳のその殆どが、DSPと同様に高速な信号変換を行う仮想シナプス結合で構成されているからである。
仮想シナプス結合はニューロチップの考え方を応用したものであり、彼女の経験や反復した動作により回路自体が変更・最適され、より短い時間で信号変換=思考が可能になる特性を持っている。
当初、みぃの電子頭脳には最低限の仮想シナプス結合しか用意されていなかった。生まれたばかりの人間の脳に、シナプスが殆ど形成されていないのと同じ意味である。みぃの電子頭脳も人間の脳と同じように、一から順に全てを学ぶのだ。このようなアーキテクチャを取っているので、みぃは生まれた直後は身動き一つ取れなかった。大戦前に作られたような初期のAIは、初めから全ての知識や行動様式を組み込み、起動した瞬間から知性を働かせようとしたから無理があったのだ。
AIの究極の目標がヒトの自我のそれなら、AIもヒトと同じく成長する過程が必要である。それも、長い年月を掛けてだ。
ちなみに、みぃの電子頭脳にはその辺の百科事典と同様の知識や日本語の語彙などが組み込まれてはいた。ただしこれらの知識には、みぃは自分の記憶としてはアクセス出来ない。あくまで、頭の中でインターネットの検索エンジンを操作するような感覚で、これらの知識を得ることが出来るのだ。このような回りくどい方法をとっているのは、物事を考えることなく知識を得てしまうと、思考することにより洗練されてゆく仮想シナプス結合の成長を阻害してしまうからだ。あくまでみぃには、人間と同じように色々考え、文字通り頭を鍛えるようにとの配慮が為されているのだ。
「なぁ、みぃ、なんで自分で名前付けようなんて思ったんだ?」
「うお? えーと、STPって型番みたいで、なんかやだったから。みぃちゃん、なまえほしかったから」
「名前が欲しかったからか……そうだよな、名前無いなんて寂しいよなぁ……ごめんな、そんなことにも気がつかないで……」
ぽんぽんと、みぃの頭を撫でる武由。彼の心はみぃに対するすまない気持ちと、自分の浅慮を悔いる気持ちで一杯だった。
出会った初日の確執は記憶に新しいものの、彼はみぃを一人前の拠点防衛兵器として育てる事を納得していた。兵器だから名前や心など要らないといった、エンジェルシリーズの存在意義を否定するようなことはもちろん、人間の命令を忠実にこなすだけの、それこそロボットのような存在に仕立て上げることは決して許されない。だから彼女をヒトとして育てるため、彼は色々努力していたつもりだったのだ。だが結果は、ヒトとして育てようとしている存在に名前すらも付けておらず、しかもそれを周りの人間ではなく、本人から言われてしまったのだ。ヒトとしての育て方は間違っていないと言えるのかも知れないが、やはり彼は自責の念を感じていた。
「……みぃ、ごめんな」
「うお? えーと、はかせ、なんかわるいコトしたの?」
「ああ、いろいろ至らないことがあるなって。お前には色々迷惑掛けるよなぁ……」
「うおー、みぃちゃん、愛があるからだいじょうぶ〜!」
「………お前、言葉の意味分かってるのか?」
「えーと、えーと、はかせぇ、なんで愛があればだいじょうぶなの?」
「そんなことは自分で考えろ……」
「うおー、愛だろ、愛〜」
「……………。」
やはり育て方において、何か大切な事を間違ってしまったのでは無かろうかと、少なからずみぃの将来が心配になる武由。しかし、とりあえずは彼女の笑顔を消さないようにすれば大丈夫だろうと、彼は確信めいたものを感じでいた。
みぃは、楽しむことの出来るAIなのだ。彼はようやく、自分にあてがわれた仕事の重大さを認識し、そして意義のあることなのだと思えるようになっていた。以前は嫌々ながらやっていたみぃの世話が、今では刺激的で、とても楽しいものに変わっていたのだ。
- 【STP-103 観察日記・5】
- STP-103が起動してから3ヶ月以上たった。AIや身体機能は異常なく、非常に順調であると検査の結果が出ている。
本日、彼女は自分自身の名前を提案してきた。自分は3人目の実験体であるという事から、ひぃふぅみぃの”みぃ”であるとのことだ。”ひぃふぅみぃ”のような言葉を教えたことはなく、知識データベースから引き出したか、何かのメディアで聞いたものを覚えたと思われる。学習機能が正常に動作し、かつ複数の知識を結びつけての思考が可能である証明となるだろう。なお、今まではSTP-103のことを”STP”と呼んでいた。このような呼ばれ方を、本人は快く思っていなかったらしい。
このように、自ら自分に似合った名前をえ出したという事は、自己のアイデンティティーの確立を示唆する行動であると思われ、よい傾向であるといえる。よって、今後はSTP-103をみぃと呼ぶことにした。
また感情制御サービスにおいて、今まで抑制してあった負の感情のパラメータのゲインを100%に戻す操作を行った。経過は順調であり、AIに感情の断裂や精神破綻は起きていない。変更後の彼女の性格については、実は余り変化は見られず、いつもニタニタ笑っているのはどうやら地の性格のようだ。今後は感情の幅が広がり、より人間らしい振る舞いが出来るようになると思われる。
追記
彼女の純粋無垢な笑顔を見ていると、そのAIの高度な機能に感服すると共に、そのAIを育てるという自分の仕事が非常に意義のあることだと再認識させられる。今後は限られた時間をフルに活用し様々な経験を積ませ、より高度な思考が可能となるよう育成していきたい。
第3話 [みぃと散歩]
「みぃ、今日は外に出てみるか?」
「えーと、えーと、外ってへやの外? それとも、60億の人類の夢をかけ外宇宙に進出せよーって、あれ?」
「………何でお前はそう極端なんだ?」
「???」
秋も少しずつ深まり、朝起きたときに実感する寒さが、布団への愛着をより堅固にする季節。この頃は雨も多く、急に下がってきた気温と共に冬の到来を節に感じさせる。
少し前はひなたぼっこも出来た研究所の中庭も、落ちる枯れ葉すら既に無く、木々は枯れ木同然の姿になっていた。
今日は、久々に日の光も差す薄曇りの日だった。昨日まで降っていた冷たい雨もやみ、身に染みる寒さも若干薄らいでいた。最近は、みぃに搭載された電子頭脳のハングアップもその頻度がだいぶ減り、ヒトとしての生活がだいぶ板に付いてきていた。
そんな中で、未だ研究所の敷地内から出たことのないみぃを、試験的に外出させようとした武由と彼女の問答である。
「……研究所の外だよ。まだ出たこと無かっただろ? 近くに公園があるから、そこに行こうと思ってな」
部屋の隅に掛けてあった薄手のジャンパーをハンガーから外し、彼はテレビとにらめっこしていたみぃに問いかけた。
「うお? えーとえーと、それってデート?」
いっちょまえに、ほぉを赤らめるみぃ。
「残念ながらきっぱり否定する」
対する武由はつれない返事だ。
「いくじなし……」
「な、何で意気地無しなんだよ!?」
「えーと、このまえ見たドラマでやってたー。えーと、えーと、女のコをデートにつれてかない男は、いくじなしなんだって。なんで?」
「自分で言っておいて何でとは……お前な、自分で意味の分からんことは口に出すな。いつも言ってるだろ」
「なんで?」
「あのなー……人に何か言うって事はな、その人に自分の考えやら何やらを伝えたいわけだろ? それは分かるよな?」
「うお? えーと、えーと、言葉はその真意を1%たりとも正確に伝えることはなく、たとえ一度でもヒトの口から出た言葉は全て嘘となる……ってやつ?」
いきなり哲学書だか小難しい小説のワンフレーズを語り出すみぃに、武由はため息混じりにこめかみを押さえる。
「……一体どっからそんな言葉拾ってきたんだ?」
「みぃちゃんあたまいいでしょ〜」
みぃはえっへんとばかりに、無い胸を張った。
「お前の頭は、最初からむやみやたらに知識が詰め込んであるだけだ……俺が言いたいのは、言葉に思いを乗せて伝えるって事は、自分がその言葉の意味を知ってなきゃ、思いは伝わらないって事だよ」
「うおー、じゃあじゃあ、コトバっていうのは、自分のミソのじょうほうを、えーと、コトバっていうプロトコルにへんかんしてつたえるってことなんだねー………はじめからミソどうしネットでつなげればいいのに、めんどくさい〜〜」
果たしてこいつは自分の喋っている言葉の意味を本当に理解していて、そして何気に的を射たような表現を用いたのだろうかと、みぃのぼやきを聞いた武由は微妙に不安になる。
「お前の頭には脳みそじゃなくて、出汁入り合わせミソでも入ってるんだろ……。人間のどこにネットの口があるんだよ?」
武由は、みぃの頭をこんこん叩く。
「えー、このあいだテレビでやってたよー? 首のうしろに線つっこむところがあって、ネットはこうだいだーとか、そんなの。みぃちゃんも、首のうしろにへんなのついてるよ?」
みぃは後頭部の生え際をかき分け、ダイレクトバスコネクタをクリクリいじる。
「現実とアニメの区別くらいつけやがれ……あのな、普通の人間には首の後ろにコネクタとかそんなのは一切ついてないの。お前は脳みそが人間とちょっと違うから特別に付けてるんだよ」
「うおー、みぃちゃんえらばれた民なのだー」
もう一度、みぃは無い胸を張った。
「………。お前、素か?」
「?? すっぱいのきらいー」
「…………………………はぁ」
このまま不毛な会話を続けていても埒があかないと判断した武由は、まだ何かブツブツ言っているみぃの腕を引き、半ば強引に外に引っ張り出した。
「ほら、とにかく外行くぞ」
しかし、彼女はそれがいたく気に入らなかったらしく、
「うおー、おかされる〜〜〜」
研究所の玄関を出るとき、未だ引きずられるみぃが放った衝撃の雄叫びである。
周りにいた職員が、一斉に武由に目を向けた。
「武由君、強引なのも時と場合によるわよ?」
たまたま通りかかった、武由の先輩研究員でありみぃのOSを開発した鹿沼が、意味深なセリフを残して立ち去ってゆく。周りの視線がもっと色を帯びた。
「なっ!? 滅多な事言うなこのバカタレ!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
思いっきりゲンコツを喰らい、涙目のみぃであった。
「うわー、えーとえーと、はかせこれなにー?」
「うおー、なんじゃこりゃ〜〜〜」
「うーむ、こいつは何かね? 武由くん」
公園に着いてから……いや、それよりもずっと前から、みぃは初めて目にしたものにいちいち興味を覚え、そしてそれをいちいち質問する。実に気合いの入った質問魔である。
公園まで、普通の人間が歩いてわずか10分足らずの道のり。それを、彼等は1時間以上掛けて歩いてきたのだ。
「ねーはかせー、あのへんなのなにー?」
「あー、あれは水飲み場」
蓑の指さす先には、公園によくある水飲み場が設置されている。みぃはそれに駆け寄ると、くるくる周りを回ってじっくり観察し、
「うおー、なんかへんなのついてるよー? これってちんち……」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
独特の形をした蛇口らしきものに指さし、デカい声でまくし立てる彼女を、武由は実力を持って沈黙させた。
「あのなー、水飲み場に何でそんなモンがついてるんだよ、少しは考えろ!」
「うおー、事実は小説よりも奇なりっていうじゃん〜〜」
「奇っ怪なのは貴様の思考だけでたくさんだ……これはな、この蛇口をひねると上から水が出るの。ほれ」
武由は説明しつつ、蛇口を回す。
「ほほー、これはまたいきおいよく〜。まーたずいぶんたまってたんだねぇ、きもちよさそうにぴゅーと出して……」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「次行くぞバカタレ!! ……ったく、何かこいつのセンスがおっさんくさいんだよなー……」
その後も微妙なやりとりを続けながらも、ふたりは公園のあちこちを散策し、みぃは飽きもせずに事ある度に、武由を質問攻めにしていた。
元々みぃの電子頭脳には、その辺の百科事典程度の知識はデータベースとして組み込まれている。しかしそれは彼女の連想記憶野とはリンクしておらず、結局彼女がその知識を使いこなすには、彼女自身がその知識を自分の記憶として持たなければならないのだ。みぃは既に、この知識データベースに対するアクセス方を習得しており、いきなりとんちんかんな解を出してくることはなくなっているが、どうも、未だにピントがずれているようだ。
武由は何度も注意しているのだが、みぃは自分で意味を理解していないと思われる言葉を、知識データベースから引っ張ってきたまま口に出して喋っている。
端から聞いていれば漫才にしか聞こえないこのとぼけた問答を、みぃがわざとやっているのか本気なのか、彼女の微妙な性格のおかげで、いまいち武由には判別がつかなかった。
「ねーはかせぇ、あのへんなのなにー?」
もう何度目のことか、みぃは初めて見るものを指さし、武由に質問を投げかける。
「ああ、あれは戦没者の慰霊碑だな」
「いれーひ? なにそれ?? えーとえーと、いれーひいれーひよろれいひー……ヨーデル?」
「ああ、お前はホントに物知りだな」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「……先の戦争で亡くなった人たちを慰める記念碑のことだよ」
「うお? なくなっちゃったからなぐさめるの? えーと、えーと、給料もらったサラリーマンが、酔っぱらって給料袋どっかに落っことして、かーちゃんにぶん殴られながらもなぐさめられるとか、そういうの??」
「違うよ……けどなんなんだよその生々しいシチュエーションはよ……まぁ分かりやすく言うとだな、戦争で死んだ人間に対して、『あなた達のことは忘れない』って事を、記念碑という形に表したものだよ」
「うー、えーとえーと、それって、草木も眠る丑三つ時〜、五寸釘刺す藁人形〜、打ち付けられるはご神木〜、己の怨みを一振りに〜ってそんな気合い? 藁人形って何?」
みぃはぶんこぶんこ手を振り、何かを打ち付ける様子をジェスチャーしている。しかしそれは杭打ちか薪割りのようで、とてもじゃないが言葉の意味通りの様子を現してるとは言えない。
「だから一体どこからそんなおっかないシチュエーション引っ張ってくるんだよ……だいたい呪いの藁人形はそんな豪快な打ち方しないよ……」
「じゃあ、えーとえーと、人間は死ぬ時、目の当たりにした衝撃的な光景が網膜に焼き付く事があるっていうやつー? それと同じ?」
「はぁ?」
先ほどから突拍子もないことを矢継ぎ早にまくし立てられ、武由は正直みぃの電子頭脳の調子が心配になってきた。
知識データベースからの情報の取捨選択を間違っているのか、それともどこか根本的な大切な部分がぶっ壊れているのか。
この先のことを考えると、さすがに彼は憂鬱な気分になる、このままではシステムガーディアン所か、一人の人間としてもまずい状態だ。
せっかく人間と会話が交わせるまでになったのだ。ここでみぃの進歩を止めたりその方向性を間違わせようものなら、人類が初めて創り出した知的な存在を。無に帰してしまいかねない。しかし彼には、そんなお決まり名大義名分よりも、自分の横でニコニコ微笑んでる一人の少女を失いたくないという、単純明快な思いがあったのだ。いくらみぃがとぼけたことばかり言っていても、彼女の人となりは素直で明るいイイヤツだと十分分かっている。だからこそ、彼はみぃを立派な人間にしようと、結構な責任感を感じているのだ。
「みぃ、一体どの辺がどんな風に同じなんだよ? ちゃんと分かるように説明してくれよ」
武由の顔は、真剣みを帯びていた。みぃの真意を探ろうというのだ。しかし問われた彼女はいつもと変わらずニタニタしており、
「えーと、えーと、人の思いが形になるってところ〜。みんな戦争で死んじゃった人たちをおもい出したいから、あのでっけー石のかたまり作ったんでしょ?」
などと、思いもよらず真っ当な解答をいきなり示す。おかげで武由の心配はとりあえずながら払拭されたわけだが、やはりこの、敢えて言うなら回りくどいみぃの説明の仕方を少しは直さないといけないなと、彼の心配の種はまた一つ増えてしまった。
「あ、ああ………石の塊じゃなくて、あれは塔だけどな」
しかし物事はとりあえずちゃんと理解しているようなので、そう答える武由の顔には笑顔が戻っていた。
「ふーん……でもでも、おもいでって、ちゃんときおくしておけばいいじゃん。何でいちいち形にするの?」
「人間はな、自分の思い出だけだと不安になるんだよ……。人間の記憶はどんどん薄れてゆくからな。だからこそ、目で見えるものを作って、いつでも思い出せるようにしておくのさ」
「ふーん。でもでも、みぃちゃんわすれないよ?」
「そりゃお前の頭は特別製だからなぁ」
「うおー、みぃちゃんいけいけだぜー」
みぃは三度、無い胸を張った。
それからしばらく漫才を続けていたふたりであったが、みぃのスカートのポケットに押し込まれた携帯電話が、ふと武由の目にとまった。
「何だ、お前ケータイなんて持ってたのか?」
「えーとえーと、じょしこーせいのおねーちゃんにはひょーじゅんそうびなんだってー」
みぃは携帯電話と取り出すと、武由の目の前に突き出した。本人、いたく自慢げである。
「……誰が女子高生のお姉ちゃんなんだよ?」
「えー、みぃちゃんじょしこーせいのおねーちゃんと同じくらいのカッコしてるー」
「あのな、女子高生ってのは学校に通ってる女生徒のことを言うんだよ。お前なんか、敢えて言うとプー太郎だ……」
「ぷーじゃないもん、ちゃんとまいにち、べんきょうしてるもん!」
みぃは頬をプーと膨らませ、いっちょまえに怒っている。
「はいはい……にしても、一体誰に貰ったんだ? しかもこんな古くさい型を……」
「えーと、えーと、かぬまはかせー。ほしいって言ったらくれたー」
「なんだ、お下がりかよ……だいたい、お前エアーイーサ積んでるからそんなモン要らないだろ? ただでIP電話掛けられるくせに……」
「えー、だってデンパがきこえておもしろいんだもん」
みぃはケータイ電話を耳に当て、何か喋ってるジェスチャーをし始めた。
「お前の言ってること自体が電波だって言うんだ……」
「ちがうもん! えーと、でんわでおはなししてるとね、あたまの中で『びりょりょりょりょ〜〜〜』っておもしろい音がするんだよ? はかせきこえないの??」
そういいながら、みぃは電源を入れた携帯電話を武由に突き出した。
「聞こえるわけ無いだろ、そんなモン……って、そりゃお前、頭のシールドがイカれてるんじゃないのか!? 電子頭脳にノイズが入ってるんだ、早く直さないとダメじゃないか!」
彼はあわててみぃから携帯をふんだくると、彼女の腕を引っ張り研究所に連れ戻そうとする。
「ほら、早くしろ!」
「いやぁ〜、おかされるぅ〜〜〜」
やはり引っ張られたのが気に入らないらしく、みぃは公園のど真ん中で再び悲痛な雄叫びを上げた。わりと確実に、確信犯である。
そしてもちろん、公園に居合わせた他人の視線が、びしびし武由を貫いた。
「滅多なこと言うな、このバカタレ!!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
みぃの身体を張った抵抗むなしく彼女はそのままラボに連れて行かれ、結局電子頭脳にシールド装置を埋め込まれてしまった。
武由はついでにみぃの変な性格も直らないかと淡い期待を抱いていたのだが、さすがにそんな奇跡は起こらなかった。術後の彼女に変化は全くなく、「頭が重たくなったー」などと根拠のない愚痴を垂れ、医者にまでゲンコツを喰らっていた。
後日。
「びりょびりょ聞こえない……つまんない〜〜」
武由から返して貰ったお気に入りの携帯を頭に当てて、開口一番がこれである。
「それが普通なんだよ!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
だからといって、携帯は彼女のお気に入りのままである。
- 【STP-103 観察日記・6】
- 今日は初めてみぃを外に連れ出し、研究所近くの公園を散策した。彼女は初めて目に映る物全てに興味関心を覚え、逐一質問を投げかけてきた。
みぃの好奇心の強さには驚かせるばかりである。そしてこちらの説明をちゃんと理解しているらしく、プリインストールの知識データベースから引っ張り出してきた情報との連携も行えている。
以前より、みぃは会話の中で知識データベースから得られた知識の意味を考えずにしゃべり出すクセを持っていた。今日の散布中での質問でそれが顕著であるように感じられ、みぃに対し、彼女がしゃべった言葉の意味的な連携を問うた。具体的には、公園にあった慰霊碑について『思い出を形にした物だ』と説明した所、彼女は呪いの藁人形と死に直面した人間の網膜にはその場の映像が映るなどという話題を持ち出した。当初何のことだかさっぱり分からず、みぃにどんな関係があるのかと問うたのだ。それに対し彼女は『思い出が形になること』であると答えた。データベースより拾ってくる話題自体には何かしら偏りが感じられ微妙なところだが、つじつまは合っているしモノの本質を捉えているあたり、非常に素晴らしい事であると感じられる。
最終テストまであと1年8ヶ月となった。まだ至らないところも多いが、このままの成長速度を維持すれば、近いうちに人間と変わらない知識と判断力を得るだろう。それまでの期間、こちらも全力でサポートを行いたい。
追記
みぃが持っていた携帯電話により、彼女の音声サービスにノイズが入っていることが分かった。通話中に、頭の中に異音が響くとのこと。
検査した結果、音声認識を司る仮想シナプス結合にノイズが紛れ込んでいることが分かったので、みぃの髄液にシールド材の微粒子を注入する処置を行った。術後の経過は良好で、全く問題は見受けられない。ただし、本人曰く「頭が重くなった」のだそうだが、医師によれば単なる減らず口とのこと。基本的に無視することとした。
第4話 [みぃと飲み会]
年の暮れも押し迫った金曜の夜。研究所では、毎年恒例の鍋大会が行われていた。
季節は冬真っ只中。外では木枯らしがびゅうびゅう音を立てて吹きすさんでいるが、壁一枚隔てたレクリエーションルーム(畳敷き)では暖かい湯気と酒の香り、男共のわめき声が部屋を満たしている。
「うおー、あちー」
みぃは初めて食べる水炊きで、湯気に手をやられてあわてて引っ込める。
「みぃ、火傷するなよ? 湯気って熱いからな」
様々な政治的判断をもってテーブルを分けられてしまったみぃと武由。一応隣のテーブルという配置は確保したので、彼はみぃを気に掛けているのだが、
「たけちん! 経験させるのは大切なんだぞ〜〜!」
「経験が少女を女にするんだー!」
「初めてはなぁ、痛いんだよ!!」
……と、既に出来上がってる先輩研究員の檄が飛ぶ。
「いや、そうは言ってもですね……」
「みぃちゃん!! このアラが旨いぞー!」
「ガッツリ喰え! 遠慮しちゃいかん!」
「恥ずかしがらないでいいんだ、誰だって初めてはあるんだよ!」
「うお? えーとえーと……」
可哀想に、武由は完全に蚊帳の外だった。みぃの周りには鼻の下を伸ばしたオヤジ共がたかっており、本人と言えばハフハフ魚のアラに食らいついている。
「んー、うめー」
「みぃちゃん! ポン酢つけなきゃー」
土鍋からつまみ出した魚をそのまま食ってるみぃに、隣のオヤジが彼女の小皿にポン酢を入れてやる。酔った勢いで少々こぼしたのはご愛敬だ。
「うお? これに付けるの?」
小皿を受け取ったみぃは、中のポン酢に魚をチョンチョン付け、また口に放り込む。
はむはむ
「うおー、うめー」
「あっはっは、そりゃそうだ! ポン酢付けりゃあ何でも旨いんだ!」
「うおー、ぐるめー」
そんな様子を隣の席から見ている武由も、まぁあの調子なら大丈夫だと判断し、自分も鍋の中身に意識を集中させた。
「武由君、楽しんでる?」
とそこへ、小皿と酒の入ったコップを持った鹿沼がやってきた。彼女は既に結構飲んでいるらしく、赤らんだ頬と潤んだ瞳が妙に艶めかしい。普段その手の噂が皆無な彼でも、ちょっとドキッとする瞬間だった。
「え、は、はい、楽しんでますよ?」
妙な受け答えをする武由に、にこりと微笑んだ鹿沼は彼の隣に座った。
「武由君、いつもみぃちゃんの世話で疲れてるだろうから、今日くらいは羽根を伸ばさなきゃね?」
「はぁ、そんなに疲れてはいませんが……」
「ふぅーん、若いっていいわねー。ちょっとくらい、分けて貰いたいわ……うふっ」
そういいながら、妙に身を寄せてくる鹿沼。研究所でも一二位を争う美人だけあって、微妙に言い寄られ気味の武由は、半ばパニック状態だった。
「だっ!? 鹿沼博士だって十分若いですよ? いや、もう、ほんとに!」
「だったら、試して、みる?」
鹿沼と彼の絶対距離が、限りなくゼロに近づいていった。
「ええええええーと、試してみるって、一体何をっていうか、博士、ちょっとあのですね!?」
「何をって……武由君はナニがいいの?」
「いいいやああああのおー!!」
「フフフッ、顔真っ赤にしちゃって……武由君も、まだまだ子供ねー」
そんなあんまりな言葉と共に、彼は鹿沼に背中をばんばん叩かれる。
「うはっ、ちょっと……」
「ごめんごめん、何か最近思い詰めてるように見えたから励ましてあげたかったんだけど、ちょっと悪ノリしちゃったわね」
「え、いや、まぁ、そういうことならって……。……しっかし、私そんなに思い詰めてるように見えてますか?」
どうやらシラフに戻っているらしい鹿沼に、武由は真剣な顔を向ける。
「そう見える時もたまにはあるわ。……武由君は生真面目だから、みぃちゃんの事で色々悩んでたりしてない?」
「ええ……あいつ、よく自分でもよく意味の分かってないことを口走るじゃないですか。最近そのことで色々考えることはありましたね」
「意味の分からないことを、ねぇ……」
「ええ、どうやら知識データベースから検索掛けてきたのをそのまま口に出しているというか……」
彼が向けた視線の先では、みぃがシラタキをモクモク食べている。
「みぃちゃんは色々な事を知って、それを喋っている、か。……ほら、小さい子供って、覚えたばっかりの知識や言葉を他の人に説明したがったりするじゃない? みぃちゃんも、それと一緒なのかも知れないわね」
「ああ、確かにそういうことかも知れませんね、私も子供の頃は、よく変な自信があって何でも出来るんだみたいなこと言ってましたっけ」
「武由君の子供の頃か……どんな子供時代だったの?」
「別に特別なことはありませんでしたよ? まぁ、ちょっとだけ生意気なガキだったかも知れませんが……」
「フフフッ、それは今でも変わってないわね」
「えっ!? そうですか?」
と、ふたりで話に花を咲かせていた時だった。
「「イッキ! イッキ! イッキ! イッキ!!」」
やたら元気なかけ声が、部屋の一部分から湧いている。何気なく声の先を見た武由は、一瞬思考が凍り付いた。
「んくんくんく……うおー、うめー!」
なんとあり得ないことに、みぃがポン酒の一気飲みを披露していたのだ。
ダン!
景気よくコップをテーブルに叩き付けたみぃに、周りのオヤジ共は拍手喝采を浴びせかける。
「みぃちゃん、おれ、感動した!!」
「みいちゃん! よーし、もう一杯行こう!」
「おおっ! 飲め飲め、今日は無礼講だ!!」
「うおー、くれー」
みぃの差し出したコップに、再び酒がなみなみと注がれてゆく。
「ちょちょちょーっと!! 先輩方なにやってんですか、みぃに酒なんて飲ませたらダメですよ!?」
再起動した武由があわてて駆け寄り、オヤジ共の酒瓶をふんだくった。
「なんだたけちん、今日は特別だ!」
「たけちん! たとえ天が許さなくても俺が許す!」
「お前だって飲め武由ー!」
「んな滅茶苦茶な! だってこいつまだ未成年ですよ!? って、飲むなみぃ!」
「んくんく……うめー……ヒヒヒ……」
彼の静止も聞かず、実に旨そうに酒を飲むみぃ。ちょっと目が据わっている。
「昔の人間はなぁ、16で結婚していたんだよ!」
「貴様は女を年で差別するのか!?」
「ついでに言うとなたけちん! 俺は酒が好きだ!」
「全然理由になってないですよー!! って、だから何でお前飲んでるんだー!?」
「んくんくんく……ひっくぅ」
他のオヤジに注がれた酒を、みぃは淡々と飲んでいる。その様は既に、堂に入った立派なオヤジだった。
ぼこっ
「うお〜、いて〜!」
「だからお前未成年だから酒飲むなっていってるだろー!」
彼はそういつもの調子で怒鳴りつけていたのだが、怒られた本人よりも周りのオヤジ共の雰囲気に、不穏なモノが混ざる。
ぼかっ!
「ぐへぇ!」
いきなり脳天をグーで殴られ、情けない悲鳴と共に轟沈したのは武由だった。
「たけちん! 教育的指導!」
「あんなに酒を旨そうに飲むヤツを殴るなんて、オマエそれでも人間か!!」
「たけちん!! 昔の人間はなぁ、16で結婚したんだよ!!」
だからなんだ……彼がそう思ったときには既に遅く、彼の身体はオヤジ共に押さえつけられ、あろう事か頭は動かせないよう、がっちり捕まれている。ついでに言うと、口まで無理矢理開けさせられていたから始末が悪い。この後の展開が、手に取るように理解できるのだ。
「たけちん! 可及的速やかに飲め!」
「やめふぇー!!」
絹を裂くような痛々しい悲鳴の後に、その口には一升瓶の口が問答無用につっこまれる。
「もご〜〜〜!!!」
目を白黒させて断末魔の雄叫びを上げる彼の口には、大量の酒が流し込まれたのだった。
強制的に一升瓶を消費させられた彼は、そのまま退場を余儀なくされ、鹿沼の待つテーブルに捨て置かれた。
「あらあら、豪快ねぇ……」
「げふっげふっ……ありえねー!!」
目には涙に鼻から鼻水、ついでに酒とよだれでビショビショになった武由は、なりふり構わずわめき散らす。彼もようやく、一人前の酔っぱらいだ。
「はいこれ。顔拭きなさいよ」
鹿沼からハンカチを借り、ようやく彼は一息入れる。
「まったく、何でこんな目に……」
ちらりと横を見ると、みぃは相変わらず酒を飲み、オヤジ共は周りでやいのやいのと騒いでいる。
「まぁ、今日くらいはいいんじゃないの? みぃちゃん、一応アルコール耐性強くなってるし、大丈夫よ」
「そりゃそーですけど、何か違う問題な気がするんですが……?」
「フフフ、今日は、それはお休み。さあ、鍋食べましょうよ。煮え過ぎちゃうわよ?」
「はぁ……」
鹿沼に勧められるまま、武由は鍋から鶏肉をつまみ、それをポン酢に付ける。
「ひーひっひっひ!」
隣からは、みぃの訳の分からない笑い声が聞こえてきている。どうやら話が盛り上がっているようだ。
「いやよぉ、みぃちゃんもあのカタブツのたけちん相手だと疲れるだろ!?」
「うおー、たけちんシャイでー。えーと、えーと、みぃちゃんの積極的アプローチを、むげにするんだよー」
「みいちゃん! 時々おぢさんとこ来て息抜きしなきゃなあ!」
「うおー、ヌくって言ったらたけちんだよ〜。わかいんだから〜」
「あの野郎溜まってるのか!! そりゃあセクハラされてないかー!? なんかあったら俺に言え、ぶちのめす!」
肉をモクモク噛みながら、ひでぇ言われ様だと武由は悲しくなる。みぃにまでたけちんなんて言われるほど、何かそこまで俺は悪いコトしたのか? そんな自問自答でため息をつきつつ、彼は次の鶏肉をつまんだ。
「あら武由君、肉ばかり食べてちゃだめよ、野菜や魚も食べなきゃ……」
「はぁ、肉、好きなんですよねー」
そう言いながら、彼は肉と一緒に白菜も一緒につかんでポン酢に入れる。
「うおー、あちー」
隣では、顔を真っ赤にしたみぃが服の裾をつかんでパタパタしている。あれだけ酒豪ぶりを発揮すれば、いい加減暑くもなるだろう。
「みぃちゃん! 暑けりゃ服脱げ!」
「そうだ、身体に悪い 脱げ!!」
「我慢ばっかりしてると、たけちんみたいになるぞ!? さあ、がばっと!!」
なにやらよからぬ色のオーラを噴きつつ、みぃの周りのオヤジ共はロクでもない提案を行っているようだ。
そんな様子を敢えて無視しつつ、武由はシラタキをずるずる啜り込む。
「ん、うまい」
無礼講のこの席で、余り細かいことを言うのもマナー違反である。それに普段顔を合わせない人間とみぃとの、せっかくのふれあいを邪魔するのも彼女にとってプラスにはならないだろうとの判断から、武由は無視を決め込むつもりでいた。実際、ヘタなコト言うと何をされるか分かったものではない。
しかし、
「あらあら、みぃちゃんったら……」
そんな鹿沼の声で、彼は何気に隣のテーブルを見やると
「うおー、すすしー!」
みぃは躊躇することなく上着を脱ぎ捨て、なんと上半身真っ裸だった。
「ぶー!!」
盛大にシラタキを吹き散らし、小皿を滑り落としそうになる武由。
「あらあら、汚いわねぇ……」
鹿沼の容赦のない一言にはシカトさせていただき、口の中身を飲み込むのももどかしい様子で。
「み、みぃ!! おまえなんてカッコしてるんだー!!!?」
シラタキを口から数本ぶら下げている彼の雄叫びに、みぃはあっけらかんとした様子で、
「うお? あちー」
ついでに履いてるスカートまで脱ごうとする始末。
「暑いからって女のコが服脱いでいい訳ないだろうがこのバカッタレ!!」
彼は勇敢にも立ち上がり、みぃのいるテーブル向けて歩き出す。
しかしそれに呼応し、ゆらりと立ち上がるみぃの周りのオヤジ共。もはやその目は、職場の同僚に向ける類のモノではなくなっていた。
「構わん、やれ……!」
誰の指令かは分からないが、彼はあっという間にオヤジ共に囲まれ、案の定畳に押しつけられる結果となる。
「放せこんちくしょう!! 俺だってやるときはやるんだーっ!!」
オヤジ共に組み伏せられ、ジタバタ暴れながら喚く武由。しかし自分の誇りと女のために闘うオヤジ共は、ホントに強かったのだ。
「たけちん! 漢のロマンなんだよ!」
「漢ならな……黙って見送るときもあるんだ!!」
「武由、お前だってぶら下げてるんだろう!!」
そんな魂からの言葉を重ねるたびに、彼を締め付ける力はより強くなっていく。
「うるせー! さっきから意味不明な事ばっかり言ってンじゃねー!!」
対する武由は若さと元気。オヤジ共が鈍重な身体で押しつぶしてくるなら、彼は俊敏なひねりとリズミカルな足掻きで対抗する。
「えーと? 服脱いじゃダメなの?」
なにやら自分の所為で武由が悲惨な目に遭っていると思ったみぃは、律儀にもオヤジ共に問うてくるが、
「バカタレ! とっとと服き…」
ぼかっ!
「ぐへあっ!」
再び脳天に一撃を食らい、無様に轟沈する武由。
「あぅ、えーと……」
そんな様子をおろおろしながら見やるみぃに、
「みいちゃん! 人間はな、みんな裸で生まれてくるんだよ!」
「自然が一番だ! エコロジーだ!! 夢の島だ!」
「女はなぁ……ぶら下げてはいないんだよっ……!!」
たたみかけるようなオヤジ共の熱い言葉が、オロオロするばかりのみぃを翻弄する。
「うぇう? えーと、自然がぶら下がってないの? えーと?」
「「ぬ、げっ!!」」
裂帛の気合いと共に、オヤジ共の口からの滅び言葉が繰り出された。
「あうぅ……脱ぐ……」
何がなんだかよく分からないが、みぃは「ここままだと殺されちゃう……」と本能的に察知したらしく、スカートを脱ぎ捨てパンツいっちょになった。
しかしそれでもオヤジ共の煩悩は果てるところを知らず、
「みいちゃん! 無粋だ! パンツも脱げ!!」
「よし、おぢさんも脱ぐ! 一緒にぬぎっこしよう!! 一緒に腕立て伏せもしよう!」
「夏はな……女の季節なんだよ!! さあ、がばっと!!」
もはや悪鬼の如き形相を持って、みぃに最後通牒を突きつける。
「うえ〜〜、こわい〜〜」
もはや涙目のみぃは、言われるがままパンツに手を掛けた。と、その時、
「いいかげんしなさいっ!」
ドガシャンっ!
一人のオヤジの脳天で、一升瓶が砕け散った。
「轟っ!」
断末魔の叫びが部屋に響く中、オヤジはそのままの姿勢で倒れ込み、畳の上に沈んでいった。完全なるノックアウトである。もしかすると、もう二度と起きてこないかも知れない。
「………げっ!!」
「………!!!」
そして倒れたオヤジの後ろには、割れた酒瓶の口を横に投げ捨てる鹿沼の姿。目が、完璧に据わっている。
「………ん?」
そして、鹿沼はたったその一言で、オヤジ共に土下座をさせたのだった。
「ええええーと、あ、姉さん、お注ぎしますぅ!」
どっかりと腰を下ろした鹿沼の所へ、パンツいっちょのみぃが酒瓶を抱えて飛んできた。
「!? みぃちゃん、いきなりどうしたのよ?」
「えーとえーと、えらいお姉さんには、お酒勧めるの! この間見たテレビでやってた!えーとえーと、確かゴクドーのおん……」
「ほほほほほっ!!」
「ひぃっ!」
いつもとは明らかにトーンの違う鹿沼の笑い声に、さすがのみぃも恐怖を覚える。
「みぃちゃん、私はヤクザでも何でもないわよ? そんなこと、分かってるわよね?」
コクコク。
みぃは直感的に「ヘタな返事すると死ぬより酷いコトされちゃう……」と理解したので、彼女の電子頭脳は取り急ぎ余計なサービスを落とし、首を縦に振ることのみに専念したのだ。
「ふぅ……みぃちゃん、武由君も言ってたけど、女のコは簡単に服を脱いじゃダメ。女が服を脱ぐのは、大切な人の前だけよ」
「たいせつな、ひと?」
「そう、大切な人。みぃちゃんが、この人のためなら何だって出来るって思える人の事よ」
「えーと、えーと、それって博士の事じゃないの?」
「武由君のこと? フフフ、それを決めるのはみぃちゃん、貴方本人よ」
「うおー……」
翌朝。オヤジ共に撃沈されたまま寝入った彼は、いつも通り自分の布団で目を覚ました。
「んー……あれ?」
彼の記憶が正しければ、今頃はレクリエーションルームで屍を晒しているはずだった。それが自室で目を覚ましたという事は、誰かが彼をここに運び、布団に寝かしつけてくれたのだということを意味している。
「あちゃー、参ったなぁ……」
誰だか知らぬが他人に迷惑を掛けてしまったことに対し、彼は非常に申し訳なく思う。と同時に、結局誰が自分を運んできたのだろうと、当然の疑問が頭に浮かぶ。
顔を洗うために起きあがり、ついでに同居人の部屋を覗くと、みぃがだらしない格好でグゥグゥ寝入っていた。見れば、口からよだれを垂らしてる。とてもじゃないが、女子高生の姿ではない。彼はとある同僚の様に、女子高生に対し特別な感情など抱いていないが、そんな彼にもこれは何か大切な部分が違うだろうということだけはよく分かった。せめて、ベッドの上で寝ていて欲しかった。かろうじて、片足のみベッドの上に載せているのではなく……。
部屋を出て廊下を歩いていると、眠そうな顔をした鹿沼に出くわした。彼女は武由のように寮住まいではなく自宅からの出勤なので、休日である土曜日ここにいるのは珍しい。
「あ、鹿沼博士、おはようございます」
「あぁ、おはよう、武由君……」
返事も同様に眠そうだ。
「そういえば、私を部屋に連れて行ってくれたのって鹿沼博士でしたか?」
どう考えてもそんな親切なことをしてくれるのは彼女以外には考えられず、彼はお礼半分でそう問うたのだが、
「ん? 違うわよ、だって私今までレクリエーションルームで寝てたんだから。確か、みぃちゃんが貴方のことをズルズル引きずっていってたのをおぼろげに覚えているわねぇ、……確かふたりで5時くらいまで飲んでたんだっけ……」
「5時ですか!?」
「あの子強いわー……おかげでこのざまよ。全く、私に勝つ人間がこの世に存在するとはねぇ。人生捨てたもんじゃないわ……フフフ」
「は、はぁ……」
どうやら彼女の脳みそでは、まだまだアルコールが支配的なようだ。
「あー、とりあえず研究室でまた寝るかー……帰るのはそれからにしましょう、ええ、それがいいわ、うん、絶対にいい、身体にいい……あふっ……」
鹿沼はそう別れを告げて、自分の研究室に向かっていった。最後の方は、殆ど寝言だったようだが。
「そーか、みぃが運んでくれたんだ……」
彼は一人つぶやき、顔を洗いに洗面所に向かった。
- 【STP-103 観察日記・7】
- 先日研究所で開かれた懇親会では、みぃの意外な一面を見ることが出来た。
彼女は普段顔を殆ど合わせない他部署の人間と卓を囲んでいたのだが、すぐにうち解けた様子で談笑していた。普段の生活ではもっぱら自室と研究室の往復しかしない為、初対面の人間には人見知りをするかも知れないと心配していたのだが、それも結局は杞憂となった。コミュニケーション能力がしっかり身に付き、人との意思伝達にはもう問題がないことが証明されたと考える。
また、監督する身でありながら酔っぱらって寝入ってしまった私を、みぃは自室に連れてきてくれ、布団に寝かせてくれたとのこと。彼女の気遣いには大変ありがたく思うと共に、そのような行動の出来る存在になってくれたことが驚きであり、純粋に嬉しく思う。
ただ、周りにいた人間が悪かったのか、大量に飲酒されられた様子。翌日、本人はけろっとしていて、二日酔い気配は全くなし。万全を期して健康診断を受けさせたが、異常は見つからないとのこと。また研究所一の酒豪である鹿沼博士を返り討ちに遭わせたらしく、彼女のアルコール分解機能の有用性は立証されたといえるだろう。とは言いつつ、彼女は設定上15歳であるので、倫理的に今後は飲酒させないつもりだ。拠点防衛兵器が酔っぱらっているようでは、本末転倒も甚だしい。周りの理解が得られればよいのだが………(幾人かはまた飲もうと彼女に誘いの声を掛けている)
第5話 [みぃと羽根]
冬の厳しい寒さも既に過去の頃となりつつある、3月の終わり。南の方からは、桜の開花がちらりほらりと聞こえる頃である。
この日みぃには、反重力飛行システムという空を飛ぶ為の機械が取り付けられる事になっていた。取り付けが成功すれば、そのまま初飛行となる。今日は、そんな記念すべき日にふさわしい、よく晴れた暖かい日だった。
「じゃあ、みぃちゃん、繋ぐわよ?」
「うおー、痛くしないで〜」
「ったく、どこからそんな言葉を覚えてくるんだか……」
鹿沼の研究室で、取り付けの作業は行われていた。その辺の椅子に座るみぃの首の後ろ、管理用ダイレクトバスコネクタに、PCから伸びるケーブルを繋ぐ鹿沼。その様子を、後ろで武由が見学している。
「あぁんっ」
コネクタが繋がれると同時に、なにやら色っぽい声で喘ぐみぃ。
「おかしいわねぇ、コネクタにそんな機能付けてないのに……?」
真剣に悩む鹿沼の横から、武由のゲンコツが飛んでくる、
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「ふ・ざ・け・る・な!」
「うー」
「まぁまぁ、みぃちゃんはおませさんね……じゃあ、今からプログラム流し込むから。別に何もないとは思うけど、何か異常を感じたらすぐに言うのよ?」
「うおー、優しく入れて〜」
「みぃ、またゲンコツあげようか?」
珍しく微笑む武由からの提案に、みぃは首をぶんぶん振った。武由の目が、ちっとも笑ってない。
「じゃあ、ダウンロード開始……と……」
鹿沼がリターンキーを叩くのを合図に、彼女の操作するPCからは、反重力飛行システムの制御用サービスがみぃの電子頭脳に流れ込み始めた。総容量、4.5GB。転送時間は1分弱。
「ふわぁあぁ……」
データの転送中は特に何をすることも無く、みぃは大あくびをこいている。そして転送が終わると同時に、みぃの電子頭脳ではサービスのコンパイルが始まった。
PCから流れてきたコードはあくまで中間コードであり、それを電子頭脳が自分自身の構造に最適化した形で最終コンパイルするのだ。
「どう? 何か異常はない?」
鹿沼の問いかけに、みぃは首を横に振るのみ。コンパイルで電子頭脳のリソースが大量に消費されているため、どうやらみぃを動かすデータフローカーネルも動きが鈍くなっているようだ。
ピー!
ダイレクトバスコネクタから進捗状況をキャプチャリングしているPCから、コンパイル終了を告げるメッセージビープが出力される。みぃの電子頭脳に組み込まれたサービスはどうやらコンパイルに成功し、正常に起動したようだ。みぃも、いつもの調子に戻っている。
「うおー、みぃちゃんなんかイケイケになった?」
「残念ながらいつもと変わらん」
そんなつれない武由の言葉に、みぃはぷぅと頬を膨らませる。
「さあ、みぃちゃんにはこれをあげるわ」
そう言って鹿沼が部屋の奥から持ってきた物は、なにやら青く光る、長さ20センチくらいの涙滴型のガラス玉と、羽根が3枚ついた、底の抜けたスープ皿の様な形をしたモノから出来ていた。ガラス玉が、ちょうどドーナツのように真ん中に穴の開いた皿の中心を貫くような形をしている。それが計二つ、左右対称の形をしているらしく、二つで一組なのだろう。
みぃはそれを受け取ろうと手を伸ばしたが、鹿沼はその物体からそのまま手を離した。
「あっ……」
物体が真っ逆さまに落ちていき、そのまま床でガシャン! そんな光景を思い浮かべた武由が、あわてて手を伸ばすも間に合わず、物体は彼の手をするりと抜けて、みぃの肩口あたりに静止する。
「ええっ!?」
「うおー、なんだこりゃ?」
なんと、その物体は宙に浮いているのだ。みぃが肩を動かすと、それに合わせて物体も宙をふよふよ付いてくる。
「つい先日開発されたばかりの反重力飛行システムよ。その青いアーモンドがスカート履いたみたいなのは、システムのサポートユニットね」
みぃは後ろに手を伸ばし、鹿沼曰く青いアーモンドのスカートから生えてる羽根をつかむと、それを思いっきり下に引いてみる。するとサポートユニットは大人しく付いてくるのだが、彼女が手を離すとバネがもとの形に戻るように、ぷるぷる震えながら彼女の肩口で静止する。
「うおー、変なのー……」
「はぁ……すごいモンですねぇ……」
みぃと武由は、サポートユニットをもう一度引っ張ってみたり指で突っついたりして、しきりに感心しているようだ。そんな彼らの様子を、鹿沼は苦笑しつつ見ていたのだが、
「何を言ってるのよ。これはみぃちゃんの後付いてくるだけのオモチャではないわ。……みぃちゃん、ユニットの電源入れてみなさい」
そんな彼女の言葉に、まだこの宙に浮く変なモノが電源すら入っていない状態だと言われて、ふたりの関心度は一層高まった。
「うおー、電源……どーするの?」
「そのサポートユニットに力を込めるようなイメージをすればいいわ。感覚は、実際にやってみると分かるわよ」
「うおー、力を入れる……えーと、えーと……ふに〜〜!」
なにやらみぃは、顔を真っ赤にしながら力んでいるようだ。一歩間違うと、なにやら出してはいけないモノを漏らしてしまいかねない趣である。
「うーん、何か力を込めてるところが違うようだけど……私たちには分からない感覚だから、自分で見つけて覚えて貰うしかないのよね……」
鹿沼のそんな言葉に、みぃは余計に力を入れた。
「ふに〜〜〜〜〜〜!!!」
なお一層気張るみぃの顔は、見てる方の気分が悪くなるほど赤くなってゆく。
「みぃ、頭の血管切れるとアレだから、もう少し他の部分力んでみろよ……」
さすがにこれ以上気張ると鼻血でも出しかねないと判断した武由は、みぃの肩を揺すって止めさせる。
「むー、えーと、えーと……」
単に気張るだけではダメだと悟ったのか、みぃはクネクネ身悶え始める。すると、青いアーモンドの中心が七色に輝き始め、それを中心として土星の輪のように、空間投影で文字が表示された。
Anti-Gravity Fyier - System Disabled.
こんな文字列が、直径50センチくらいの円を描きながらゆっくりと回転している。
「はぁー、凝ってますねぇ……」
「うおー、すげー」
「電源が入ったようね。じゃあ外に行くわよ。早速飛んでみましょうよ!」
3人は連れだって研究所の中庭にやってきた。柔らかな日差しが、生えてきたばかりの草の若葉をキラキラ輝かせている。
「じゃあみぃちゃん、羽根を広げて。そうイメージすればいいわ」
「うおー……」
若草の茂る中庭の真ん中に立ち、みぃは目をつぶる。そして指先まで伸ばした両手をゆっくりあげてゆく。鳥が、空へ飛び立つ前に様に。
それと同時に空間投影されていた文字列の色が緑から黄色に変わり、文字列自体も Ready for System Open. CAUTION! と書き換わった。そして間をおかずして、今度は文字列が赤色カーソルで塗りつぶされ、一本の帯のようになったとたん……
光が、爆発した。
「うわっ!?」
武由の驚きの声と共に、複数の燐光が舞う中、光で出来た翼がみぃの肩口から大きく伸ばされていた。
「すげっ………!」
我を忘れて目の前に立つ天使を凝視する武由。その光を背負ったみぃの姿は、彼女がエンジェルと呼ばれる存在である所以を、十二分に誇示していた。
「うおー……そこはかとなくスゴイかも〜」
みぃはきょろきょろ自分の羽根をのぞき込むと、それに手を伸ばそうとする。
「ダメよ、みぃちゃん! 触ったら指がなくなるわよ!」
「うおっ!?」
鹿沼の静止に、びくっと手を引っ込めるみぃ。なんだか不安そうな表情を浮かべている。
「……その羽根は極薄のエネルギーフィールドで出来てるの。だから指なんか突っ込んだら焼けるし、それに動かせばそのまますっぱり切断されちゃうわ。……一種の兵器だから、扱いは気をつけてね」
みぃの顔はさっきと反対に青くなり、
「うぇぇ、こんなコワイの嫌ー!」
クシャクシャの顔に、涙までぽろぽろ流している。
「博士、何かすっごく嫌がってますけど……?」
さすがの武由も、今はみぃに同情を禁じ得ない。
「フフフ……まぁ、使い方間違えるとッてことなんだけどね…」
その時、妙に微笑んだ鹿沼の顔が、武由にはものすごく邪悪なモノに見えたのだ。
「……えいっ」
そして、その直感が的中した。彼女は彼の腕をつかむと、事もあろうにいきなりみぃの羽根の中に突っ込んだのだ。
「ぎゃあ!!」
一瞬のうちに燃え上がる武由の腕。驚いたみぃが反射的に振り向き、その動きを追随する極薄のエネルギーフィールドが、かろうじて残った骨までなぎ払っていった。あたりには、灰まで焼かれて何も残ってはいない……
そんな悪夢をかいま見た武由が呆然と立ちつくす中、鹿沼は一人でくすくす笑っている。
「はかせぇ、手ぇだいじょうぶッ!?」
半ばパニックになったみぃが、こぼれ出る涙を払いもせず、放心状態の武由に抱きついた。そのため、二人はもつれ合うように倒れ込み、武由は反射的に地面に手をついた。
「って、あれれ???」
彼はようやく、自分の手がまだ存在することに気づき、それをみぃとふたりでじっと見やる。火傷どころか、毛の一本も焼けてはいない。
「……うお!?」
地面に座り込んだ二人は彼の手の無事を確かめると、同時に視線を鹿沼に向けた。
「フフフ、ちょっとやり過ぎちゃったかしらね? って、二人とも……マジで怒ってる?」
「うえぇぇぇぇぇ〜〜〜!!!」
みぃはその場にしゃがみ込み、お子様よろしくビィビィ泣き始めた。そんな彼女を、武由は優しく抱きしめてやる
「おいおい、何いきなり泣き出してるんだよ……」
「うぇぇぇぇ、、みぃちゃん博士手ふっ飛ばしちゃったってびっくりしたんだから〜〜!」
いつもはクールな鹿沼が、そんなみぃの姿を見て珍しくうろたえる。
「ええーと……ごめんね? 悪気があったワケじゃないんだけど、ちょっときつかったわね……」
「鹿沼博士……今のはシャレになってないですよ……」
未だ嗚咽をあげるみぃを抱きしめたまま、非難の視線を向ける武由。彼の胸に顔を埋めるみぃの頭を、彼は珍しく優しく撫でている。
「ホントにごめん、みぃちゃん、もうあんな悪戯しないから許してね?」
鹿沼もみぃのそばにしゃがみ込み、その顔をのぞき込む。
「むー」
そんなふくれっ面のみぃを抱き寄せると、鹿沼は自分の胸にみぃの顔を埋めさせる。
「ごめんね、みぃちゃん。でも、よく聞いてね? さっき言ったことは本当のことなの。今は飛んでないから羽根を触っても少々熱く感じる程度だけど、全力で跳んでるときに羽根に触ると、今度こそ本当に手は燃えてしまうわ。これは嘘じゃないのよ。だから気をつけてね?」
鹿沼の真剣な声に顔を上げたみぃは、目を擦りながらうなずいた。
「うおー、気をつける……」
「じゃあ、早速飛ぶ練習しましょう。飛べるようになったら、みぃちゃんの世界はずっとずっと広がるわよ!」
鹿沼の声に応え、みぃはもう一度立ち上がる。そしていつの間にか切れていた反重力ユニットの電源を入れ直した。2回目はさほど迷わなかったようだ。
「じゃあ、そのまままた羽根を広げて」
言われるままに、羽根を広げるみぃ。燐光が、再び宙を舞った。
「武由君、大丈夫だからまた触ってみて」
鹿沼は自分の手を羽根につっこみながら、彼にそう勧めた。羽根の中でヒラヒラ降られた彼女の手は、確かに全然何ともないようだ。
そんな様子を見て、彼はおそるおそる羽根に手を近づけてゆくが……
「鹿沼博士……また脅かさないでくださいよ?」
やはり、彼はトラウマになっているようだ。
「今はまだ大丈夫。でも、みぃちゃんが出力をあげればどうだかわかんないけどね」
「うわっ!」
「やあああん!!」
中庭に再び、ふたりの悲痛な雄叫びが響いた。
「はぁ、確かに若干熱い程度ですね……」
神妙な顔をしながら、羽根の中で手を動かす武由。ようやくその感触を確かめられたようだ。その感覚は、敢えて言うならトイレに設置された、手を乾かす温風シャワーと言ったところか。
「今はアイドリング状態みたいなものだから大丈夫よ。みぃちゃんの身体が浮くのは、そもそもこの光のおかげってワケじゃないから。だからその辺浮いてるくらいなら、全然問題ないのよ。羽根はあくまで方向制御装置だから」
「はぁ……だったらこんな形して無くても……?」
武由の疑問は当然のものと言えるだろう。みぃの光の羽根は鳥の翼を模した物で、あくまで天使を意識したデザイン優先の形をしている。もしもその名の通り方向制御装置なら、たとえば飛行機の翼のような、より機能的な形になっているほうが自然といえるだろう。
「みぃちゃんは天使だから、その姿も大切だわ」
しかし鹿沼の口から出た答えは、彼女にしては珍しく感情論的な物だった。
「そういうもんなんですか?」
「そういうものよ、天使って」
聞き返す武由の言葉に、鹿沼はにこりとそう答えた。
「うおー、みぃちゃんイケイケの天使〜」
ふたりの問答を聞いていたみぃは、なにやら根拠のなさそうな自信を得たようだが、
「……マトモに空飛んだら言え」
「う〜〜」
そんなつれない彼の言葉に、みぃの得意げな顔がふくれっ面に変わった。
「……じゃあ、飛んで貰うわよ。もうサービスは頭に入ってるから、みぃちゃんが空を飛びたいって思えば浮くはずよ。さあ、試してみて?」
みぃから距離を置く鹿沼に習い、武由もみぃから離れる。
「えーと、飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ〜〜!」
目をぎゅっと閉じたまま、みぃはしばらくうんうん唸っていた。そして唸るだけじゃダメだと悟った彼女は、またもやクネクネ身悶える。
「大丈夫なんでしょうか?」
一向に飛びそうにもないみぃ。そんあ武由の心配そうな問いに、
「大丈夫、みぃちゃんなら出来るわ」
鹿沼は迷うことなく即答した。そんな彼女の声が後押ししたのか、みぃの羽根がより強く輝き、彼女の身体はふっと空に浮いた。
「うぉっ!?」
そう嬉しそうな声を上げたとたん、みぃは腰を中心にしてくるりと前転。おしりを上に上げた格好で、その場に浮いたままだ。
「うおおおお〜〜〜〜なんじゃこりゃあああ!」
パンツが丸見えなのも構わず、空中で手足をジタバタさせるみぃ。
「………みっともねー。もっとこう、女のコらしくなんねーもんかなぁ……」
片手で顔を押さえながら、腹の底からの本音をこぼす武由だった。
「みぃちゃん、ちゃんと飛ぶことをイメージしないと! 身体の向きだって自由に変えられるはずよ?」
「うお〜〜〜、わけわからーん!」
余計にジタバタするばかりのみぃを、武由が姿勢を正してやる。
「ほら、ちゃんと浮いてみろ」
「うお〜」
何とかバランスを取り戻したみぃは、ふぅと一息入れる。
「じゃあ、今の感覚を忘れないようにして、そのまま空中を移動してみましょう!」
初めのうちは再びひっくり返ったり地面に落っこちたり、終いには壁に激突したりと人間ピンボールよろしく飛びまわって(弾かれて)いたみぃではあったが、練習の回数を重ねるごとにその飛び方も上手くなっていき、3ヶ月も経った頃ではアクロバティックな飛び方も一通りこなせる様になっていた。
「次はみぃ、全速力を出してみろ」
季節は夏である。梅雨も明け、本格的な夏の暑さが身を焦がす頃。晴れ渡った空に、ちぎれた綿飴みたいな雲が二つ三つ浮かんでいる。
そんな、研究所から少し離れた空中で、ハエのようにぶんぶん飛び回っているみぃに、オペレーションルームにいる武由からの、無線機での指示だった。
『ういーす、たいちょーう!!』
一体どこで覚えてきたのやら、妙な返事と共にみぃは一直線に加速し出す。
オペレーションルームとは、武由の所属する研究所の地下に設置されているコンピュータールームのことだ。しかしそれがそのままコンピュータールームやサーバ室などと言われないのは、そこで行われる活動に由来する。
研究所に置かれているサーバ群は、現在の地球上に流れているIPパケットを全て管理している、プロトコルマスターと呼ばれるモノだ。地球上の通信は全てIPというプロトコルで行われており、IPはデフォルトで暗号化が為されている。21世紀初頭にデファクトであったTCP/IPで言うところの、SSL通信の様なものだ。ただしSSLではSSL用のサーバ証明書を認証機関によって発行して貰い、それを一定期間使い続ける。たとえばその場合、証明書有効期間内にサーバ証明書の秘密鍵が解かれてしまえば暗号化通信の中身は外部に筒抜けになってしまう。通常秘密鍵のビット数は、その時点での最高性能のコンピュータで最も効率のよいアルゴリズムを持って攻撃を掛けても、鍵の有効期間に比べ圧倒的、数万倍もの長い時間を掛けて計算しなければならない程度の鍵長が選ばれている。だが現代では圧倒的に高性能なコンピュータ、しかも暗号解読専門のAIが開発され、数キロビット程度の鍵長では数分で解読されるような事態となっている。そのため現在の暗号化通信インフラでは、1トランザクションごとにサーバ証明書の鍵ペアにあたる部分を書き換えるという方法をとっている。つまり、SSL通信でサーバ−クライアント間の共通鍵生成に用いるSSLサーバ証明書自体が、ワンタームパスワードになっているようなものだ。
このワンタイムSSLサーバ証明書と言うべき暗号シード(サーバ証明書の公開鍵部分にあたる)を高速に生成し、世界中の通信を行うデバイスに配信しているのがプロトコルマスターなのだ。
このようなサーバ群を管理する部屋であるので、その警戒度や雰囲気は一研究所のサーバ室など比ではなく、もはや軍隊の総司令部が如き様相を呈している。
さすがに物理的な攻撃等はあまり無いが、ハッキングやクラッキング等、不正アクセスの類は研究所に対するトランザクションの八割を軽く超えている。不正アクセスの発信元を割り出し、端末のNICや経路中にあるルータの暗号シードを壊すなどして回線自体を潰したとしても、向こうにハッキング用AIがいる場合は瞬時に元に戻されるか、全く別の回線の情報を偽装してくるためイタチごっこにもならない状態だ。
みぃは、将来的にプロトコルマスターの業務を移管されるシステムガイアの周辺機器扱いなので、彼女の対するオペレーション、特に研究所の敷地外での行動等などはこの部屋と連携して行われる事になっている。そのため武由は、このオペレーションルームより指示を出しているのだ。
みぃの軌跡や速度、方向などは、まるでどこかの宇宙センターのように壁に貼り付けてある大きな薄型ディスプレイに表示されている。現在の速度はマッハ0.5。規格書では現状のセッティングでマッハ0.8まで出るらしい。
「STP-103順調に加速中。現在マッハ0.5。飛行用バリア出力82%、異常なし」
「予想飛行経路には1分以内に障害物等無し。最近接障害物まで約38分、相手は定期旅客機です」
「STP-103、進路転換。180°転回。現在の方位、南南西205° 現在マッハ0.4、加速中。……!?」
オペレーター達が次々に報告をあげてくる中、みぃにくくりつけたジャイロスコープが異常振動を伝えてきたのは、彼女が研究所に戻ろうとターンをした直後だった。
「ジャイロ異常、現在減速中!」
オペレーターの逼迫した声と共に、
『うひょえあああうわああああ〜〜〜』
と情けない声が無線機から聞こえてきたかと思うと、
『ひょえわああ〜〜〜………ぐぇっ』
そんなある意味痛そうな断末魔と共に、無線機のリンクが途切れてしまった。
「おい、今ぐえって言ったぞ、ぐえって!」
あわてた武由は無線機に向かってみぃの名前を連呼するが、返事は全く返ってこない。
「STP-103失速……武由さん、みぃちゃん落っこちちゃったみたいですよ!?」
「場所は!?」
「ここから南に10キロくらい行ったところです、旧リニアハイウェイ38号線の横なんですけど……」
「分かった! ちょっと見てくる!」
武由はあわてて部屋を飛び出して行き、駐輪場で所員のバイクを無断で拝借、見当を付けた場所までぶっ飛んでいった。
途中何回か携帯電話でオペレータに誘導して貰い、研究所を出てから20分程度でみぃの墜落現場にたどり着いたのだった。
……そこは、凄惨な現場であった。
旧リニアハイウェイ……まだ地上の街がドームで覆われていた頃に使われていた、リニアモーターカーのことだ。その線路の脇に生い茂る草むらの中、空中できりもみ状態になったみぃは姿勢を立て直すことが出来ず、真っ逆さまにここへ落っこちたのだろう。
半ばドロ沼のようになった草むらに頭からつっこみ、尻だけ出して果てていた。ちなみにスカートは思いっきりめくれ、案の定パンツが丸見えである。
「頭隠して、尻隠さず、か………みっともねー……」
そのあまりにもイタい格好に、武由は無意識のうちにそう呟いていた。
「あー……とりあえず生きてるか?」
ようやく我に返った武由は、地面から突き出たみぃの尻をぱんぱん叩いてみる。
「!………!!」
なにやらもがきながら、手足をバタバタさせるみぃ。こんな状態でもしぶとく生きているようだ。
「んー、生きてるか。よっと……!」
武由はみぃの腰に手を回し、抱きかかえるように身体を草むらから引き抜こうとする。
ジタジタ
「おいこら、この期に及んでジタバタするな! ……よっと!」
「ぷはっ! うお〜〜、ひとが動けないことをいいことにリョージョクされた〜〜〜!」
ようやく人食い沼から救出されたみぃの、生還第一声がこれである。この泥水したたるいい女は、ちょっとおませで自意識過剰だった。
「ったく、どっからそんな言葉覚えてくるんだよ!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
結局みぃは、おでこに軽い擦り傷を作った程度で、他には全く怪我や異常はなかった。どうやら彼女が飛行中に発生させるバリアによって衝突時の衝撃が緩和されたことと、そもそも頑丈に作られた身体によるものらしい。
ドロ団子の如く汚れたみぃは研究所に帰るなり、玄関横の水道で水を頭からぶっかけられ、そのまま検査のために医者に軟禁。そして医務室から出てきた彼女のおでこには、デカい絆創膏が一枚貼られていた。
それを見て、武由は腹を抱えて笑っている。さすがのみぃも、ふくれっ面だった。
「うおー、女の顔見て笑うなー!」
「あはははは! 何もそんなでっかい絆創膏張らなくてもなあ! いや、似合ってるって!」
笑い続ける武由は、みぃの頭をぽんぽん叩く。
「む〜〜〜っ!」
「じゃあ、とりあえず訓練の続きだ、また飛んでこい!」
「うー、もういやー!」
珍しく駄々をこねるみぃに、彼は優しく語りかける。
「大丈夫だって、さっきの経験生かせばもっと上手く飛べるようになるよ……そしたら、こんど俺をつり下げて飛んでくれよ」
「うお? どういうこと?」
「ああ、お前の事見てると、空飛べるっていうのが本当にうらやましく思えてな……上空から見た景色は綺麗だろ?」
さっき笑っていた所為なのだろう、いつになく饒舌な武由に、みぃは少々とまどいながらも、
「うん、空はホントにきれい。地面はあちこち汚れてるのに、上に行くとぜんぜん見えないんだよ。みぃちゃん、博士を空に連れてけるようにがんばる……」
ニコニコ微笑みそう返した。
「ああ、頑張ろうな」
武由はみぃのお頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「えへへ」
- 【STP-103 観察日記・8】
- 本日の飛行訓練では、みぃに対し全速力で飛ぶよう指示を出した。しかし方向転換でバランスを崩したらしく、きりもみ状態となり地面に落下、そのまま身体の半分が泥沼にめり込む事態となった。ただし軽くおでこを擦りむいた程度で、その他怪我等は一切無かった。さすがに身体は丈夫に出来ているようだ。
今後はより高速に飛行できるよう訓練を続けていく予定。現状ではマッハ0.8にリミッタを設定しているが、性能的にはマッハ37程度までの加速が可能とのこと。せめてマッハ25を超えるまでには成長して欲しい。
みぃはシステムガイアの拠点防衛兵器であるので、様々な兵器との戦闘が可能性として挙げられるだろう。大戦前に作られた戦闘機ともなると、その速度はマッハ20を軽く超える。それらとの戦闘に耐えられるよう、速度だけでなく旋回性能や武器による攻撃も訓練を積んで行かなくてはならない。それらを決められた期限までにこなすには、スケジュール的にも厳しいものがある。しかし、みぃのもつ素晴らしい能力を持ってすれば、間違いなくこなせるだろう。実際、彼女の飛行に関するスキルは目を見張るものがある。よくぞ短期間で現在のような器用な飛び方をマスターしたものだ。そしてもちろん、その後の訓練でリミッタ値であるマッハ0.8はクリア。今後リミッタをマッハ5に設定し直し、最高速度訓練を続けてゆく。
第6話 [みぃのおつかい]
「みぃ、今日の訓練では、ついでに頼まれごともして欲しいんだけど」
「うお? どんなこと?」
「ちょっとひとっ飛び北海道まで行って、この書類届けて欲しいんだ」
「うおー」
そんな会話が為されたのが、30分ほど前のことか。
みぃは今、上空20000m、マッハ3.8で北海道を目指し飛んでいる。雲はもちろん眼下で、真夏の太陽が極めて元気に彼女を照らす。
『みぃ、調子はどうだ?』
もう何度目になろうか、武由からの無線での問いかけに、
「うおー、あちー」
それはそうだろう。季節は真夏。どこまでも突き抜けたような青い空……そこをずっとずっと上に向かっていくと、そのまま宇宙空間に出てしまうんだと納得させられるだけの圧倒的な青空に、何にも邪魔されることなく降り注いでくる太陽光。
飛行用バリアに全身を覆うように守られた彼女にとっては、真夏のビニールハウスそのものなのだ。
『あちーじゃなくて、何かほかに変わったことはないのか?』
「あちー!」
『だからなー』
「博士ー、なんかヘンなこと起こってほしーの?」
『うっ、いや、そんなことはないけど……』
珍しくとっても不機嫌なみぃの返事に、さすがに武由も言葉につまる。
『ま、まぁ、とりあえず後10分くらいで着くから、それまでの辛抱だな…』
「ういーすたいちょーう、自分はやれるだけやりまーす……」
いつもは元気な返事も、今日は暑さにうだれてやる気がなかった。
そして10分後。
北海道上空までやってきたみぃは、目的地を捜しながら、ゆっくりと旋回飛行をしていた。もう高度500m程度まで降りてきているので、暑さもだいぶ遠のいている。
「あー、あそこだー」
やっと目標地点、研究所の北海道支社のビルを見つけ、そこに向かって降下してゆくみぃ。
そのビルの玄関先には、武由より連絡を受けていた北海道支社の上城という男が、空を見上げてみぃの到着を待っていた。
そこへ、上空から垂直降下してくるみぃの姿が近づいてくる。
「あ、あれかな……?」
そう上城が呟く目の前に、ワンピースをめいっぱいはためかせ、両手はばんざーいと元気いっぱいに着陸するみぃ。もちろん、めくれ上がったワンピースからは、中のパンツは丸見えだった。
「ちゃーす、おとどけものでぇーす!」
ニコニコ微笑みながら、みぃは肩から掛けていたカバンに手を突っ込み、中から書類の入った封筒を取り出した。
「あ、どうもありがとう……その、いきなりこういうコト言うのもアレなんだけど……降りる時はもう少しゆっくり降りるか、スカート押さえておいた方がいいよ?」
「うおー、またやっちゃったぜー」
自分で頭をこつんと叩いてはいるが、実は全然反省している様子はない。
「んー、まぁ、とにかく中に入って下さい。はるばる東京から来たんだから、疲れたでしょう?」
上城は玄関を開けながら、みぃをビルの中に招き入れる。
「うおー、どもども」
そんな相づちを打ちながら、みぃが上城の後をついて行こうとしたとたん、
バチッ!
何か、電気がショートしたような嫌な音がしたかと思うと、みぃはその場に崩れ落ちてしまった。
「ど、どうしたの、みぃちゃん!!」
あわてて上城が彼女を抱き上げるも、目をつむったままのみぃは身動き一つしなかった。
『とりあえず、みぃの腹に耳を当てて、中でピーピー電子音が鳴っているか確認して頂きたいのですが……服の上からだと聞こえにくいので、適当に服はぎ取って下さい』
あの後、上城はみぃを応接のソファーに寝かせ、急いで研究所の武由に連絡を入れたのだった。
メッセンジャーソフトの立ち上がったPCから、武由がの声が聞こえてくる。画面上に映った彼の顔は、声と同様若干焦りが見える。
「あ……しかし、みぃちゃんワンピースですから……」
上城も十分焦っているのだが、だからといって初対面の女のコの服をめくりあげ、あまつさえパンツを下ろしてその中に顔を突っ込むことなど、それ以上に彼の良心が許さない。
『別にそんな大したモンじゃありませんから、気にせずやっちゃって下さいよ』
苦笑しながらそう答える武由も、彼の心情はよく理解できる。画面の向こうに見える上城の顔は、焦りと気恥ずかしさで涙目だ。
「うーん……こんな時に女のコがいればいいのに……みぃちゃん、ごめんね?」
そう事前に謝る上城は、顔を真っ赤にしながらみぃのワンピースをまくり上げ、パンツを少しだけ下にずらして彼女の下腹部に耳を当てる。
ぐりゅりゅりゅりゅ〜〜〜ぴ〜ごろごろ
「えーと……消化音しか聞こえない気が………?」
何度か耳を当て直しながら、画面の向こうの武由に告げる上城。彼の声を聞き、武由の顔に安堵が戻る。
『あー、だったら気にしなくて大丈夫です。申し訳ありませんが、私がそちらに向かうまでその辺に転がしてて貰えませんか?』
「その辺ですか……うーん、ここオフィスなんで机くらいしか無いんですよね、ベッドとかあればいいんですが……すみません……」
『あ、いや、そんなにお気を遣わなくても……軒下とか階段下とか、邪魔にならないところに押し込んでて頂ければ。なんでしたら外に放り出しておいても構いませんから』
「いや、さすがにそれはちょっとどうかと……」
『頑丈なだけが取り柄なヤツですから。では、すぐに……と言ってもちょっとお時間を頂きますが、すぐに伺いますので!』
通信が終わった後、上城はオフィスのあちこちを見て回ったが、やはり応接セットのソファーくらいしか妥当なものが見あたらなかった。なので武由が来るまでの間、みぃはそのままソファーに寝かすこととした。
武由はだいたい後1時間くらいで到着するようだ。手持ちぶさたな上城は、みぃの着衣の乱れを直してやったり、倒れたときに汚れた顔を拭いてやったりしていた。
1時間をちょっと遅れた頃か、研究所の前にタクシーが止まった。武由が到着したのだ。
「あ、どうもわざわざ遠いところを……」
そんな済まなそうに出迎えた上城に、
「いや! こちらこそご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ございません!!」
なにやら荷物をたくさん抱えた武由が、あわてて頭をぺこぺこ下げる。
「すみません、やはりソファーくらいしかなくて……」
武由が案内されたのは応接室で、ソファーの上にみぃが寝かされている。
「ありゃりゃ、こんな立派なソファーの上に……贅沢な」
「仮眠室か何かかあればいいんですが……ここって余り人間いませんし、今日は私一人だもんで……大したお持てなしも出来ずに、申し訳ありません」
「いえ、ほんと廊下の端っこにでもうっちゃって下さってもよかったんですよ。……じゃあ、早速ですが、ちょっと様子を……あの、申し訳ないんですが、この部屋使っていいですか?」
「ああ、今日誰もいませんし、どうぞ!」
「ホントにお手数おかけします……まったく、どうしたんだよこいつめ……」
彼はそう愚痴りながら、カバンからノートPCやその他雑多な器具を取り出す。そして寝ているみぃのワンピースのファスナーをさっさと下ろして服をはぎ取り、アンダーウェアをずらして体中にプローブを取り付けていった。
そんな彼の様子を後ろからのぞき込んでいた上城が、「うわぁ」等と妙な声を上げるので、
「ん? 何かありましたか?」
そう問う武由が彼の方に振り向くと、またもや顔を真っ赤にした上城がしどろもどろに
「あ、いえ、すいません! やっぱ僕いない方が良いですよね?」
等とあわてて逃げ出そうとする。
「別に見てて貰っても構いませんよ、つまんない作業ですけど……」
「はぁ……でもなんて言うか、不謹慎かも知れませんが、こんな年頃の女のコを相手にするっていうのは色々大変ですよねぇ?」
殆ど全裸のみぃから、上城は視線をそらしてそう答える。
「そうですねー……たしかに最初は色々大変でしたけど、まぁ、何というか慣れってヤツですか? 実際、こいつの相手してると、いくら裸になったところでもう全然何とも思いませんよ……。ぶっ倒れる前、何かヘンなことしでかしたり、ご迷惑おかけしませんでしたか?」
「いえ、着いたばっかりで倒れてしまったので……」
「そうだったんですか……まぁ一度相手にしていただければ分かるんですけど、面白いですよこいつ、ヘンな性格してるので」
「うーん、お話ししてみたかったなぁ……」
「まぁ、すぐに元に戻ると思うので……っと」
プローブやダイレクトバスコネクタをPCに接続し終わり、管理ソフトを起動する武由。しばらく使っていないソフトだったが、よどみのない操作でみぃの電子頭脳に潜ってゆく。
「あー、こりゃ飛行ユニットの異常信号でデッドロック起こしたのか……」
みぃの電子頭脳の履歴を追っかけ始めて10分くらい経った頃か、原因を見つけた武由がそう呟いた。
彼の操作するノートPCの画面には、みぃの電子頭脳のステータスが事細かに表示されている。しかし普通の状態なら彼女の思考に合わせて激しく動くはずのグラフなどが停止したままで、殆どのタスクが処理待ちになっていた。
飛行ユニットからおかしな信号が出たのかノイズが悪さをしたのか、それとも別に原因があったのかは定かではないが、ユニットを動かすサービスが無限ループに陥り、仮想シナプス結合に異常負荷が生じた様だ。そこでコアカーネルデバイスドライバがデータフローカーネルからマスターコントローラ権限を剥奪したのだが、その時いくつかのサービスがデットロックを起こし、結局ノイマンカーネルに処理が引き継がれる事無く今の状態に陥ったようだ。
武由はPCから直接みぃの電子頭脳を操作し、ノイマンカーネルを起動させた。
「仮想シナプス結合に異常負荷。ノーマルセッション停止しました。30秒のリフレッシュ動作の後にノーマルセッションを再開します。システムに異常が発見されました。反重力飛行ユニットに異常発生。右側ユニットより応答無し。繰り返します。システムに……」
みぃの口から、低レベルエラーメッセージが告げられる。抑揚のない、機械が合成したような声だ。ただしこの声が出たことで、今のマスターコントローラ権限はノイマンカーネルが持っていることが分かる。みぃの電子頭脳も、じきに正常復旧するだろう。
「まぁ、これで大丈夫だな……飛行ユニットは後付だからデバッグがイケてなかったんだろうなぁ……」
処置はうまくいったようで、武由は一息つく。
「飛行ユニット?」
後ろからのぞき込んでいた上城の声に、
「はい、みぃの肩に付いてるデカいアーモンドのことなんですが……って? あれ? もう一個どこ行った??」
今まで気が付かなかったが、みぃに付いてきてるのは左のアーモンドだけ。右が無くなっているのだ。よくよく考えれば、みぃも何かそれらしき事をさっきからブツブツ言っている。
「すいません上城さん、この青いヤツ、もう一個ご存じないでしょうか?」
「ええ? それ一個じゃなかったんだ……もしかして倒れたとき外れたのかな……ちょっと外行って見てきます!」
上城はあわてて外に飛び出して行った。武由もその後を追う。
「この辺で倒れちゃったんですよね、みぃちゃん……」
上城はみぃの倒れた付近に立ち、周りをくるくる見渡している。武由も、その辺の植木やガードレールの支柱の影など見て回っている。すると、
「あ、もしかしれあれかも……」
上城が指さす向こう、近くにある植木の中に、アーモンドの片割れが落ちていた。武由はあわてて走りより、植木からそれを引っ張り出す。
「あー、何かよく分からんけどこりゃダメだろうなぁ……」
せっかく見つけた飛行ユニットは、その青いガラス玉の部分にヒビが入り、あちこち煤けている。横からのぞき込む上城も、残念そうな顔をしている。
「参ったなー……今データ取りやってるんで、みぃが起きてるときはこの機械を外せないんですよ……確か本社にスペアがあったと思うんで、また一度戻って取ってきます。……すいません、またしばらくみぃ預かっていて貰えませんか? 邪魔だったら物置にでも放り投げていて構いませんから……」
「あ、全然構いませんよ、あんなソファーでよかったら、いくらでも使って下さい」
「そうですか、すいません……じゃあ、すぐに戻ってきますんで……」
武由はカバンの中に財布と必要最低限の荷物を詰め、再び東京に戻っていった。
それから30分くらいした頃か、いつしかグゥグゥ寝息を立てて眠り込んでいたみぃが独りで勝手に起きあがった。
「うきゅ〜〜」
のんびり伸びをしながら頭をぼりぼり掻いているが、体中に絡まるようにくっつけられたプローブがいたくお気に召さないご様子で、ブツブツ文句を言いながらそれをどんどん引っぺがしてゆく。
「勝手に外していいの?」
心配そうに聞く上城に、
「うざったい〜〜」
等と答えつつ、けたたましくビープ音を響かせるノートパソコンの電源ケーブルを引っこ抜き、これを強制的に沈黙させた。勝手にプローブが外されたため、管理ソフトから警報が出ていたのだが……
「よっと!」
最後に首からダイレクトバスコネクタを取り去り、その辺に放り投げるみぃ。しばし惚けていたが、ふと視線を自分の胸元に向ける。
「うお? せくしー」
どうやら素っ裸でいることを、今更になって気が付いた様だ。
「ねーおっちゃん、みぃちゃんの服どこ?」
きょろきょろしながら、上城に向かってそんな口を叩く。
「あ、さっきまで武由さんが来てて、みぃちゃんの事調べるために服脱がしたんだよ。服はみぃちゃんの座ってる下にあると思うけど……」
「うお?」
みぃが下を見ると、自分の尻で押しつぶしてグチャグチャになった服があった。
「あちゃー、しわしわ」
しかしみぃは「まぁいいや」等と呟きながら、もそもそ服を着始める。そんな様子を無意識に眺めていた上城ではあったが、思い出したように
「あ! ごめん、着替え中に!」
あわてて部屋から逃げ出していった。
「うお? えーと??」
取り立てて気にもせずに、服を着るみぃ。あくまで、マイペースな彼女であった。
「へぇ、マッハ15も出したんだ、スゴイねー」
「うおー、みぃちゃんイケイケの女子高生なのだ〜! そこいらのヒコーキに負けては女子高生の名がすたる〜〜」
「みぃちゃん学校通ってるの?」
「うお? 行ってない〜」
「あの、学校行ってなきゃ女子高生とは言えないのでは……?」
「だいじょうぶ! えーと、えーと、この世に正義がある限り、みぃちゃんは女子高生のおねーちゃんなのだ〜」
「そう、なんだ……。なんだか難しいねぇ……」
服を着終わったみぃは、また様子を見に来た上城をとっ捕まえて、なにやら会話にいそしんでいるようだ。上城も律儀に、ちゃんと無駄話に付き合ってやっている。
「うおー、のどか湧いたー」
10分近くあれこれ話に花を咲かせていた頃、みぃがそんなぶしつけな要求を突きつけてきた。確かにベラベラ喋り続ければ喉の一つも乾くだろう。ズケズケと飲み物を要求するこの不届き者に、上城は笑いながらジュースを持ってきた。
「はいみぃちゃん、自家製ジュースなんだ。飲んでみてよ」
「うおー、どもども」
上城からコップを受け取ると、さっそく既に刺してあったストローをくわえるみぃ。
「うおー、うめー」
じゅるじゅるジュースを啜りながら、とびきりの笑顔で礼を言うみぃ。
「そう? ご満足いただけたようで、光栄至極に存じます」
上城はどこかの高級レストランのウエイターよろしく、深々と頭を下げる。
「うおー、かみしろさんナイスガイ〜〜」
「ナイスガイ??」
なにやら微妙なことを言われ、首をかしげる上城。みぃはコップの端っこに溜まったジュースをズーズー吸い取っていたのだが
「うお? えーと、えーと、トイレ……」
ジュースを飲んだことにより尿意を催したのだろう、急にソワソワしながら、辺りを見回すみぃ。
「あ、トイレならそこの廊下を右に行ったところ」
「うおー、どもども」
みぃは立ち上がり、トイレに向かおうとしたのだが、
「うおっ!?」
どうも一歩一歩が定まらず、ついには足をもつれさせて床に手をつく。今まで飛行ユニットの反重力が効いている元でずっと行動していたため、その環境に慣れていた身体がバランスを取りきれなかったのだ。
ところが、
「うひゃあああああ〜〜〜!!」
転んだだけのワリには大きい悲鳴と共に、あろう事かしりもちをついたその場で、みぃはおしっこを漏らしてしまったのだ。
「やああああああん!!」
真っ赤な顔に涙をぽろぽろこぼし、あわてて股間を手で押さえるが、いったん出だしたものは止まらず、指に間から漏れ出る尿で、床のシミはどんどん広がってゆく。
「やあぁぁ……ぁぁぁ…ぁ……………うぇぇぇぇぇ〜〜!!」
あまりのショックに その場にぺたんとしゃがみ込み、手に付いたおしっこもいとわず顔を押さえて嗚咽をあげるみぃ。
「どうしたのみぃちゃん!?」
「ふえぇぇぇぇ〜〜〜!」
あわてて上城がやってくるが、みぃはいやいやしながらすすり上げるのみ。彼が床を見ると、こうなった状況を察することが出来た。
「……あー、失敗しちゃったのはしょうがないし……みぃちゃんシャワー浴びなよ、僕が掃除しておくからさ……」
上城はみぃの隣に膝をつき、彼女の肩を優しく撫でる。
「うぇぇぇ! こんなんだから、博士にいっつも怒られるんだ〜〜!」
こぼれ出る涙を懸命にごしごししながら、みぃの自責の独白だった。
「大丈夫、武由さんには内緒にしておくよ。だから、シャワー浴びよう? みぃちゃんいけいけの女子高生なんだから、服汚したままにしておいちゃダメだよ」
「ぐすっ……みぃちゃん、イケイケの女子高生?」
「いけいけだよ。いけてない所なんて無いじゃない」
「う、うおー……ぐずっ……えーと、えーと、その、ありがとう……だから、みぃちゃんシャワー浴びる……」
ようやくみぃを立たせることの出来た上城は、みぃをシャワー室に案内した。
「ねーかみしろさん、みぃちゃん女のコっぽい?」
更衣室のドア一枚の向こうでモソモソ服を脱ぐみぃの鼻声に、
「みぃちゃんは十分女のコらしいよ……」
ぞうきんやら何やらを用意している上城はそう答えた。
「えへへ……」
床にぺたんと座ってシャワーをかぶるみぃが、嬉しそうに照れていた。
「勝手にプローブ取るなーっ! それにもお前いきなりPC落としただろ、OSぶっ飛んでるじゃないか!!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
東京からとんぼ返りで新しい飛行ユニットを持ってきた武由の、まず第一発目の雷だった。
「武由さん、そう怒らないで……」
「あ、どうもすいません……」
上城に諭され、ついつい頭を下げている武由ではあったが、
「……あれ? 何でお前ワイシャツいっちょなんだ??」
ゲンコツを貰った頭をさすさす撫でているみぃは、上城からの借り物のワイシャツを着ているだけ。時と場合によっては、非常に微妙なシチュエーションだ。
「あ、すみません武由さん、私がみぃちゃんにジュースご馳走しようとしたんですけど、その時転んでみぃちゃんにジュース掛けちゃいまして……今服をクリーニングに出してるんですよ」
みぃの代わりに、ぺこぺこ謝る上城。そんな彼を、みぃはじっと見ている。
「はぁ、そうなんですか……またこいつ、ジュース寄こせだの何だの我が儘言ったりしませんでしたか?」
「全然! 私の手作りジュースなんで、こちらから勧めたんですよ。あ、武由さんもいかがですか? みぃちゃんはおいしいって飲んでくれましたよ?」
「はぁ、ちょっとそれは頂きたいですねー」
そんな武由の返事に、上城はすぐに手作りジュースを持ってきた。
「はいどうぞ。中に何入ってるか当てたらサービスでもう一杯さしあげますよ。あ、わかんなければ分かるまで飲んでいって下さい」
「は、はぁ……(ごくり)……へぇ、うまいっすね!」
「それはもちろんここいらの名産品をありったけぶち込んでいますから。あ、ヒントはここまでですよ? いくらメロンが高いと言ってもそんなに入れてはいませんから。やはりコストを浮かすためには……」
どうやら上城の話術(?)のおかげで、みぃのワイシャツいっちょら事件は煙に巻けたようだ。
彼が手作りジュースに対して熱い語りを披露している間に、クリーニング屋からみぃのお漏らし服が返ってきた。みぃは服を着替えて彼等の会話が終わるまでずっと待っていたのだが、如何せん元々研究者肌である武由の琴線に何か触れるものがあったのだろう、武由と上城はメロンと蜂蜜の混合についてあれこれ激論を交わせていたのだった。
そして待ちくたびれたみぃは、いつしかソファーの上でコクコク船を漕いでいた。そんな彼女にようやく気づき、眉間にしわを寄せて何となく不満そうな顔しながらふて寝してる彼女から微妙なプレッシャーを感じた武由は、ついに彼等の議論の結論を出せぬまま、東京に引き上げることにしたのだった。
「すいません、色々ご迷惑をおかけしまして!」
「あ、全然そんなこと無いですよ、久しぶりのお客さんで楽しかったです、また来て下さい!」
「うおー、ジュースー」
「お礼言え、お礼を!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「そう叩かないで、武由さん……みぃちゃんもまた遊びに来てね?」
「うおー、くる〜」
みぃはニコニコしながら元気よく返事をする。
「じゃあみぃ、飛んで帰れ!……って言いたいところだけど、新しい飛行ユニットのエージングが済んでないから飛行機乗って帰るか……」
「うおー、みぃちゃんイケイケの女子高生だから、えーと、ヒコーキには負けられぬ〜〜」
「はぁ? なに訳の分からんことを……」
こうして、みぃは武由に連れられ本部に戻っていった。
- 【STP-103 観察日記・9】
- 今日は訓練がてら、みぃに北海道支局まで書類を届けて貰うというお使いを頼んだ。北海道までの飛行中は異常等無く、順調な道のりだったようだ。ただし飛行用バリアが温室効果を起こすらしく、飛行中は大変暑がっていた。なお最高速度はマッハ16.2。非常に良い結果だ。
しかし北海道支局に到着直後、飛行ユニットの故障によりみぃの電子頭脳がデットロックを起こし、意識不明となる事故が発生してしまった。
みぃの電子頭脳に残っていたスタックダンプやメモリイメージをキャプチャしたものを解析した結果、以下のことが分かった。
・みぃの飛行ユニットが故障を起こし、飛行ユニットの制御サービスにノイズが混入したか信号途絶により機能を停止(ハングアップ状態)。
・タスク管理サービスが制御サービスからの応答待ちになり、無限ループに近い状態で制御サービスへのポーリングを行う(短時間に大量のコマンドを生成していた)。結果仮想シナプス結合の異常負荷が発生し、コアカーネルデバイスドライバによりプロセス凍結・データフローカーネルよりマスターコントローラ権限を剥奪。
・自動的にノイマンカーネルが起動開始されるも、いくつかのサービスがマスターコントローラ権限を失うことによりリソースへのアクセスが遮断され、応答待ち状態になりデットロックを発生。
・結局ノイマンカーネルの起動はストップし、コアカーネルデバイスドライバにより緊急スリープ状態へ移行、全上位プロセスの凍結を行い、コアカーネルデバイスドライバの生命維持サービスのみの運用を継続。
・後に外部からの手動操作によりノイマンカーネルを強制的に起動し、ロールバック処理等を継続させた。後に、正常状態に復帰を確認。
今回の事故の直接的な原因は飛行ユニットの故障にあるが、OS自体の可用性を上げる事により回避できると考えられる。いくつかのポイントを列挙すると、 ・飛行ユニットが壊れてもサービスが落ちないよう、制御サービスの完成度を高める。
・ポーリング先のサービスが応答無し状態になっても異常動作を起こさないよう、タスク管理サービスの動作を再考する。
・ノイマンカーネルの起動は低レベル処理で行い、他のサービスの状態に左右されないようにする。
みぃの普段の態度があまりにも人間らしいため、彼女のOSがまだまだ研究段階にあることを忘れさせていたのも、原因の一つとしてあげられるだろう。今回の事故を重要な反省点とし、今後の彼女の成長にフィードバックさせていかねばならないと痛切に感じる。
ただ、既に彼女の人格は固まっており、闇雲にOSの機能をいじることは大変危険であると考えられる。各サービスは彼女の一つの人格を織りなす一つ一つの糸であり、その糸を途中で変えることは編み目を破綻させ、結果として人格の歪みや精神異常を発生させる原因となるだろう。
飛行ユニットの組み込みは、みぃの成長がある程度進んでからの方が良かろうとの判断で、今回人格形成後に新しいサービスを追加することになったのだが、結局この事が原因で彼女をハングアップ状態へと追い込んでしまった。
障害復旧後は異常な箇所は全く見つからず、ロールバック処理等が完全に為されていた。しかし、もし復旧が正常に行かず、人格形成に多大な障害を残してしまった場合、我々はみぃというかけがえのない財産を永遠に失うことになっていただろう。今回異常が残らなかったことは奇跡であったとして、今後より気を引き締めていこうと思う。
第7話 [みぃの誕生秘話]
みぃは、いつしか自分という存在に疑問を覚えていた。
父や母の思い出は無い。ある日を境にして、突然始まる記憶の連鎖。
意識の覚醒と共に、唐突に混沌の中に放り込まれ、情報の波に翻弄され続けていた。
しかし彼女はいつしか、押し寄せる情報の渦の中に自分とそれ以外の境界を見つけ、外の世界を知った。そして、それをより知ろうとした。
外を知ることで、自分というものが明確になった。
外とは違う、自分の領域。思い通りに動かせる自分と、情報を押しつけてくる外の世界だ。
自分を動かすと、世界ら情報を得られた。自分の望む情報を得られた。
身近な世界に質問を投げると、世界は知りたい情報をくれる。
だからみぃは、いつまで経っても武由に質問してばかりだ。
「ねー博士ぇ、えーと、えーと、みぃちゃんって人間じゃないんでしょ?」
ある真夏の夜。仕事も終わり、自室でパソコンを叩いている武由の隣で、彼の作業を眺めているみぃの、いつもの教えて攻撃だった。
「ああ、お前はシステムガイアを守るために作られた、拠点防衛兵器のプロトタイプさ……」
彼はPCの画面を見ながら、そう答える。
「うおー、兵器……でもみぃちゃん、目からレーザー出ないし、手がドリルにならないよ?」
「………。一体どっからそういう知識を拾ってくるんだよ?」
あくび混じりの伸びをしながら、みぃの方に向き直る武由。部屋は程良くエアコンが効いており、黙々と仕事をするにはなんだか勿体ない気がしたのだ。
「うおー、みぃちゃんものしり〜」
彼の隣では、みぃがいつも通りに根拠のない自信で無い胸を張っている。
「……確かにお前の頭には百科事典丸々入ってるからなぁ。本人がそれを使いこなせないんじゃ、どーしょもないけど……」
「えーと、そこはかとなくバカにされてるかもー」
「ごもっともです」
しれっと答える武由に、みぃはぷーと頬を膨らませている。
「……ねぇ博士ぇ、みぃちゃんの身体ってどっからもってきたの?」
自分の胸をフニフニ揉みながら、みぃは一番聞きたかったことを問う。
「は? お前のために作ったんだぞ?」
「えーと、でもでも、ふつう人間のからだって、のーみそ入ってるんでしょ? でもみぃちゃんの頭って、えーと、でんしずのーってのが入ってるんだよね? みぃちゃんの身体作るのに、のーみそ捨てちゃったの? みぃちゃんの身体の、もとの入ってた人ってどうしたの?」
そう問うみぃは、いつものとぼけた物腰と違い結構真剣だ。
「あー、何か決定的に一つ勘違いしてるみたいだからはっきり言っておくけど、お前の身体は、後にも先にもお前のものだぞ?」
武由はぽんぽんと、みぃの頭を撫でる。
「お前の体を作るとき、まずセラミックの骨格を作って、それを培養槽に突っ込んだんだよ。そしてその骨に、細胞を積み重ねる形で身体の部分を培養した。……まぁ、俺はその場面はあんまりじっくり見てないからよくわかんないけどな。……たしか、初めから頭蓋骨の中には、お前の超〜〜〜高機能な電子頭脳が据え付けられてたって聞いてるけどな。だからどこにも縫い目とか無いだろ?」
「うおー、みぃちゃんおはだピチピチー」
みぃは自分の頬をつまんで、に〜と引き延ばしている。
「たぶん意味が違うと思うぞ……だからお前の身体はお前のために作ったって事は分かったな?」
「うおー、なっとくー」
みぃは腕を組んで、しきりにうんうん首を縦に振っている。本当に分かっているのかワリと微妙だ。
「えーと、えーと、あとね、みいちゃん三人目なんでしょ? 前のふたりはどこにいるの?」
みぃの問いに、今までだらけていた武由の顔に暗いものが混じる。
「……失敗だったよ。うまくいかなかったんだ」
「しんじゃったの!?」
思ってもみない彼の言葉に、みぃは今にも泣き出しそうな顔だ。胸の前でぎゅっと握られた手が、少しだけ震えている。
「ああ、結果的にはそうなるな……」
「かわいそう……」
「ああ……あのときはまだ、俺たちは未熟だったんだ……」
武由が語り始めた、飛ぶことの出来なかった天使達……みぃの姉たちのとても短い一生は、彼にとっても、みぃにとっても辛い内容だった。
最初のプロトタイプ、STP-101は、培養、OSのインストール、システムの起動と順調な経過を辿っていた。
疑似人格OSが正常に稼働を始めると、初めから組み込まれていたプログラム通り、外部からの情報を受け取るためのインタフェースの構築を始めた。そして出来たばかりのインタフェースを最大限に働かせ、情報の取捨選択を試みていた。彼女は外からの刺激を、必死に取り込もうとしていたのだ。そこでみぃも経験してきたように、何度も電子頭脳のハングアップを繰り返し、連想記憶野を成長させていった。同時に各種周辺サービスも無事に起動し、ようやく体を動かし始めるところまで来ていた。
しかし彼女の場合、如何せんハングアップの頻度が多すぎたのだ。
みぃの電子頭脳においては、OSにオートリカバリ機能が入っている為、少々のハングアップは問題ない。ノイマンカーネルによるロールバック処理で、連想記憶野はハングアップ前の正常な状態に戻される。けれどもSTP-101の時にはまだそのような機能が開発されておらず、成長の印であるハングアップは、確実に彼女の連想記憶野を破壊していったのだ。
そして彼女の第二の誕生とも言える自我の発現と共に、歪んだ連想記憶野が彼女の心をねじ曲げてしまった。
外界とのインタフェースを全て内側に向け、己の思考のみを思考するというAIの無限ループに陥ったのだ。
外見は安らかな寝顔のまま……しかし彼女のOSが外部に開いてるインタフェースが、どんどん少なくなって行く。OSのステータスをモニタしてるPCの画面には、STP-101のAIがだんだん死んでいく様子がはっきり表示されていた。
疑似人格OSも人間も、自分以外の全てから情報を取ってくる為、数多くのインタフェースを外界に向けている。しかし彼女の場合、全てのインタフェースが内側を向いてしまったのだ。誰でも、外界の望みもしない遠慮会釈もない刺激より、自分のことだけ考えてた方が楽だ。ねじ曲がった彼女の心は、彼女を苦しめる外界からの刺激を全て否定してしまったのだ。
結局、STP-101のAIは完全な自閉症状態……つまり外部からの刺激や命令を一切受け付けない、外部への情報伝達も一切しない状態になってしまった。
「……担当だった人は、必死にAIのパラメータを正常値に書き換えていたよ。もう泣きながらやってた。
でもな……いくら人の手が作り出したAIでも、その子の3日に過ぎない人生は、俺たち人の手には余るほどの、深くて複雑なものだったんだ……」
「……………。」
いくらパラメータを書き換えても、OSがすぐに値を狂わせてしまう。イタチごっこにもならない状態だ。AIが完全な自閉症状態に陥ると、外部への信号出力が無くなるために周辺回路が機能不全を起こし、自律神経のエミュレート信号も止まってしまう。こうなると、もはや取り返しが付かないのだ。
コアカーネルデバイスドライバは、自律神経出力が切れると自動的に停止するようになっている。これは、STPの身体が酷い損傷を受けたときなど、このまま無理矢理生かしておいても耐え難い苦痛で疑似人格OSが発狂して意味を成さなくなるため、彼女らを安楽死させる為の最後の処置である。
彼女のOSに残されていた最後のインタフェースが内側を向いたとき、コアカーネルデバイスドライバは死のプログラムを起動し、基幹の生命維持システムを停止させた。ダイレクトバスコネクタからの情報も既にOSには届かず、プログラムは実行を終了。
そして、彼女の身体は冷たくなっていった。
「うおー……えーと、でもでも、のーみそとかOSとか、いれかえればいいんじゃないの?」
「さっきも言ったとおり、電子頭脳は身体の培養時から設置されてるんだよ。そこに培養された神経細胞が接続されてくわけだからな。お前の頭の中に入ってる電子頭脳ってのは、殆どの部分が生体コンピュータってやつで、実際電極の付いてるって部分が違うだけの、本物の人間の脳みそと大してかわらん構造をしてるんだよ。だからとっかえひっかえするわけにはいかないのさ。
それにコンピュータが構築する連想記憶野は、身体の成長と個別のOSに完全に依存しているから、後から他のを入れても互換性が取れなくて精神崩壊するし、一旦構築した連想記憶野は元には戻らないんだよ。結局、一旦AIが死んでしまったら、普通の生き物が死ぬのと同じで、もう二度と元には戻らないんだよ……」
「そーなんだぁ……かわいそうだね……。……えーと、じゃあもうひとりは?」
「次の子は、そもそもAIが起動しなかったそうだよ。培養時に何かミスったらしくてな、起動コマンドがOSまで届かなかったそうだ」
「えーと、えーと……」
とりつく島もないような過去の失敗に、みぃは言葉を失った。
”もしも、自分がそうだったなら……”
考えるだけでも、みぃの心は恐怖で一杯になる。そんな彼女の心情を、うち沈んだ表情から読み取ったのだろう、
「だからな、みぃ……」
武由はみぃの頭をくしゃくしゃと撫で、
「おまえがここまで成長してくれて、俺は本当に嬉しいんだよ」
ぽんぽん
彼女の頭を、優しく叩く。
「えへへ……」
しぼんだみぃの表情が、ぱっと明るくなった。
「えーとえーと、じゃあ博士、みぃちゃんってどうやって作ったの? みぃちゃんじぶんを作ってるときのこと、覚えてないよ?」
みぃの教えて攻撃は彼女の姉たちの話から、いつしか自分の話となったようだ。武由がいつも書いている報告書に添えられた写真、彼女の若かりし日々(?)をちらっと見せたことにより、自分の製造工程にも興味を覚えたらしい。
「あのなー……生まれる前のこと覚えてる器用なヤツなんて、人間でもなかなかいないぞ?」
「うおー、えーと、なんか記録っていうの? そういうのは?」
「んー、残念ながら機密情報扱いだからな、ぱっとは見せらんないんだよ。申請出さなきゃファイルくれないし。まぁ、俺の思い出話程度ならいくらでも聞かせてやれるけどな」
「うおー、聞かせて〜」
「んー、もう遅いけど、まぁいいか……そうだな、どこから話そうかな……」
武由は観察日記のページをぱらぱらめくり、みぃとの思い出話を始めた。
話は1年前に遡る。季節は今と同じ夏。去年は例年になく、ひときわ暑い夏だった。
STP-103のコンセプトは、失敗した102とほぼ同じ。純エネルギーフィールドの反重力飛行装置による超高速飛行、それにOSのハングアップ耐性の向上だった。
二度の失敗を繰り返し、研究所のSTPチームの立場はかなり悪いものになっていた。隣の部署のシステムガイアチームは、着実に結果を出している。そこで、従来のスタッフに加え、研究所で他の仕事をしていたスタッフが急遽集められたのだった。一人はシステムガイアの人工知能、中でも疑似人格OSを担当していた鹿沼さゆり、そしてもうひとりは新進気鋭の若手、武由だった。
STP-103の身体は、従来からの生化学スタッフが腕によりを掛けて創った。実際、前のふたりよりも胸は小さいものの、顔は一番可愛いらしかった。
人工知能の開発では、システムガイアのために創られた各種モジュールを、鹿沼の独断と偏見で転用。大幅な機能向上と、より人間に近い”幅”を持たせられた。
そしてSTP-103にプリインストールされる知識は、従来のおっさん共で構成される情報分野チームに武由を交えて開発が行われた。
全ての準備の整ったある夏の暑い日、とうとうSTP-103にOSがインストールされる時が訪れたのだ。
「STP-103の状態は?」
インストール作業に立ち会っている生化学スタッフに、いつもラフに着ている白衣のボタンをきっちり締めた、緊張気味の鹿沼の声が掛かった。
「全て正常値、問題ありません」
そう、マスク越しのしくぐもった声で返事する生化学スタッフは皆、STP-103の身体が異常を来したとき、すぐサポートを行えるよう手術着を込んでいる。
部屋の中には、先ほどの生化学チーム数人と、彼女のOSのインストール作業を行う開発チーム十数人が詰めていた。
そして7日間の培養を経て完全に出来上がったSTP-103の身体は培養槽から出され、処置室のベッドの上に寝かされている。ただ、彼女は自分で呼吸することは出来ないため、各種プローブに混ざって人工呼吸器も取り付けられている。
「じゃあOSのインストールを始めるわ。失敗は許されない。手順を一つでも間違えると、我々はまた天使を一人殺してしまうことになる。肝に銘じておきなさい」
その場に居合わせたスタッフは皆、声には出さないが彼女の声にうなずいている。
既にダイレクトバスコネクタに繋がれたケーブルが、OSのインストーラが組み込まれたPCに接続された。
「システム起動。プライマリ・プレ暗号キー開封」
鹿沼の声に合わせ、開発スタッフの一人がセキュアエンベロープを破き、中からディスクを取り出した。セキュアエンベローブとディスクには、国家検定を通ったことを示す割り印とシリアルナンバが振られている。
「ディスクをインストーラに挿入、対応PIN入力」
また別のスタッフが、暗号化された暗号キーを復号するためのパスワード、PINの書かれた封筒を開き、キーボードから16文字を打ち込む。
「セカンダリ・プレ暗号キー開封」
先ほどとは違うスタッフが、鹿沼の声に合わせディスクを開封、そしてまた別のスタッフがPIN封筒を開き、PINを入力。
「サージャリー・プレ暗号キー開封」
先ほどとは別のスタッフが、また同じ工程を繰り返す。
「プレ暗号キー、最終復号……正常終了。……STP-103起動キー、開封」
今度は、鹿沼自らエンベロープを破き、中からディスクを取り出す。そしてそれをインストーラと呼ばれるPCに挿入し、キーボードを操作する。
STP-103の電子頭脳に事前に組み込まれている、疑似人格OS組み込みのサポートプログラムを起動するため暗号キーが、先ほど3つに分かれて読み込まれたプレ暗号キーにより復号化された。
そしていよいよ起動キーをみぃの電子頭脳に向けて打ち込む瞬間が来た。前回の102では、この工程を失敗したため、OSのインストールが出来なかったのだ。
「起動キー、打ち込み開始。周波数スイープは0.1ヘルツ毎秒。8ヘルツから開始」
既に疑似人格OSが起動している電子頭脳ならば、ダイレクトバスコネクタからの情報授受は簡単だ。OSの方から同期を取る機能を持っているので、外部からの信号を確実に受信でき、かつ外部機器とOSが通信するためのプロトコルも定義されている。しかしこのインストール作業を行っている段階での電子頭脳は、未だプロトコルというもの自体が存在せず、しかも同期を取る機能もない。つまり起動キーをサポートプログラムに届かせるには、電子頭脳が内部発信している検知不能な疑似脳波に同期させ、起動キーぶつけなければならないのだ。そのため、起動キーを送りつける搬送周波数をゆっくり変化させ、垂れ流しするコマンドに引っかかるのを待つという方法を採っているのだ。
電子頭脳へのコマンド打ち込みが続く中、処置室には異様な静寂に包まれていた。誰もが、インストーラーの画面を凝視している。中には両手を合わせ、一生懸命祈っている者もいる。
そして、数十分が過ぎた。規格書ではまだ失敗と決まったわけではないが、平均値よりもだいぶ時が経っている。
スタッフの顔に焦りの色が見え隠れし、あちこちでぼそぼそと落胆の声が聞こえ始める。普通ならば、10分程度で起動キーが引っかかるはずなのだ。スイープは既に何度もやり直されている。
その中で、鹿沼は目をつぶったまま、インストーラのメッセージを待っていた。
そして、後数分でインストーラのスイープ動作が終了してしまうギリギリの時になって、
ピッ!
小さなビープ音と共に、画面にはサポートプログラムからの応答メッセージが返ってきた。
VIRTUAL PERSONA OS LOADER V1.35 S/N 10000000033224
ACCESSER OPEN. READY.
起動キーの打ち込みから58分後のことだった。
「……ローダーよりレスポンス!」
おお……!
スタッフ達から、自然に歓声が沸いて出る。
「喜ぶのはまだ早いわ。ここからが勝負よ、気を緩めないように!」
鹿沼の叱咤が響く中、処置室は再び静寂に包まれる。
「疑似人格OSコアカーネルデバイスドライバ、インストール準備開始。検定モジュール開封」
スタッフが再びセキュアエンベロープを開き、中からディスクを取りだした。検定モジュールとは、これからインストールするコアカーネルデバイスドライバ、つまりはAIの最も基本的な部分へ、このモジュールが国家検定に合格した合法なものであるという情報を付け加えるものだ。
「検定モジュール、インストーラに挿入。……ハッシュ値確認、コアカーネルデバイスドライバへの検定電子署名完了。電子頭脳へロード準備完了。……疑似人格OSインストール用暗号キーならびに対応PIN入力」
スタッフがセキュアエンベローブを破り、取り出したディスクをインストーラに挿入。また別のスタッフが封筒を開け、中に書かれたPINをのキーボードに打ち込む。この暗号キーはインストーラPC内に入っている疑似人格OS本体の暗号を解く為のものだ。
「疑似人格OS内ローダプログラム解放キーならびに対応PIN入力」
スタッフがセキュアエンベローブを破りディスクを挿入、続いてPINを入力。電子頭脳に入っているサポートプログラムを活性化させるキーである。
「疑似人格OS輸送キーならびに対応PIN入力」
再びセキュアエンベロープを破りディスクをインストーラに挿入、続けてPINも入力。先ほどの疑似人格OSインストール用暗号キーで復号化された疑似人格OSは、インストーラから電子頭脳に届くまでの間にハッキングされることの無いよう、実はまだ暗号化(輸送暗号)されているのだ。ここでインストーラ経由で電子頭脳内にロードされた後に復号化するためのキーを入力したのだ。
「確認するけど、今まで打ち込んだPINに間違いはないわね? もし間違いがあると、電子頭脳にロードされたコアカーネルデバイスドライバはでたらめな暗号キーで復号されて滅茶苦茶茶になるから、電子頭脳は一瞬のうちに破壊されるわ。一度ハングアップを起こしたら、もう二度と元には戻せない。いいわね?」
今までPINを打ち込んだスタッフは皆、こくりと首を縦に振る。額に脂汗は浮き、用の済んだPIN封筒を握りしめる手が震えている者もいるが、その瞳は彼等の自信を伺うには十分なものであった。
「……コアカーネルデバイスドライバ、送信開始」
鹿沼は一同の顔を仰ぎ見、キーボードを操作する。
幾重にも暗号化されたSTP-103の命を司るプログラム、コアカーネルデバイスドライバがその暗号化を一重ずつ剥がされ、電子頭脳に送り込まれてゆく。
その時間、およそ12分。本格的な通信用プロトコルが使えないため、非常にゆっくりとした速度でデータを流しているのだ。その間は、電子頭脳からのステータスを得ることは出来ない。電子頭脳に初めから組み込まれていたサポートプログラムは、簡易的な半二重通信のプロトコルしか持っていないのだ。
28GBのコアカーネルデバイスドライバが送り込まれている最中、処置室は再び静寂が支配していた。エラー表示もなく、インストーラPCのディスプレイに表示されるグラフは着実に伸びてゆく。
今までの作業の結果が出るのは、そのグラフが100%に届いたときだ。3度に渡り打ち込んだPINが1文字でも違っていると、グラフが伸びきったその瞬間電子頭脳はハングアップし、外部とのつながりを永遠に閉じてしまう。こうなると、直す術はない。また一人、天使を殺したという罪が彼等に覆い被さるだけだ。
データの転送は滞りなく進んでいく。このまま続けば、後数秒で終了するだろう。グラフは100の数字にさしかかっている。
ゴクリ。
誰かのつばを飲み込む音が、ヤケに大きく響いたその時、グラフは100を指し停止した。
「……………。」
ディスプレイは何の変化もない。ただ、何かの嫌みだろうか、カーソルだけがチカチカと点滅を繰り返している。
「………………。」
皆、固唾を飲んでディスプレイを見つめる。まだ変化はない。幾人かは既に汗でぐっしょりになったPIN封筒を開き直し、その文字を必死で追っている。
「………遅いわね」
静寂を破ったのは鹿沼だった。厳しい表情でディスプレイを睨み付ける。
コアカーネルデバイスドライバを注入されたばかりのSTP-103は、安らかな顔をしてベッドに横たわっている。
そして、その場に居合わせた人間が一番直面したくない事実を、そろそろ受け入れるべきかどうかと悩み始めた頃、
TRANSFER COMPLETE. COMPILING THE CORE KERNEL DEVICE DRIVERS.
JUST A MOMENT PLEASE...
こんな、数世紀前の8ビットマイコンのような飾り気の無い表示が、最新鋭のPCの画面に映し出された。
おおっ!!
先ほどよりもより大きな歓声。今度ばかりは、鹿沼もそれを咎めない。
「……全く、やきもきさせる子ね……」
そう呟く鹿沼は、STP-103の頭を優しく撫でた。
「手間が掛かる工程は終わったわ。後はこの子が自分でOSをインストールするのを見守ってあげるだけよ。後は生化学チームが数人いればいいから、解散して下さい。お疲れさまでした」
彼女の言葉に、開発スタッフ一同安堵の表情を浮かべ、それぞれの持ち場に戻っていった。
鹿沼と残った数人のスタッフは、STP-103の電子頭脳に流し込まれたコアカーネルデバイスドライバの中間ファイルが、電子頭脳に合わせ最終コンパイルされるのを監視するのみだ。とは言っても、画面には愛想のない英文字がズラズラ垂れ流されているのみ。この文字列を読んで分かることと言えば、なにやら小難しい処理が電子頭脳の中で行われていると言ったことくらいだろう。
「コンパイルが終わるまで後30分くらいね。あなた達も適当に休憩を取っていいわよ」
鹿沼は白衣のボタンをゆるめ、いつものラフな着こなしに戻る。
「いや、一緒に見ていますよ。ただでさえ私ら失敗続きなんですから」
「そうっスよ、休憩なんざ後でいくらでも取れるッスよ!」
生化学チームの彼等もマスクを外し、はめていたゴム手袋を外した。
「フフフ、この子はみんなにモテモテね」
生化学スタッフの若いメンツの言葉に、鹿沼の顔にようやく笑みが戻る。
「今回ばかりは、なんとしても成功させなくちゃ。この子に使った暗号モジュールは、もう二度と使えないからね……」
そう呟く鹿沼の視線の先、インストーラPCの画面には未だ文字列が流れて行くのみだった。
コアカーネルデバイスドライバのコンパイルが開始されて30分後、ディスプレイを流れる文字列がようやく止まった。電子頭脳で行われていたコンパイルが終了したのだ。
「コンパイル終了、コアカーネルデバイスドライバ起動開始」
鹿沼のキー操作によって、ついにSTP-103の電子頭脳が本格的に動き始めた。
「生命維持サービス起動、インタフェースに問題なし。仮想シナプス結合に接続、基本生命維持コマンド注入、問題なし。ノイマンカーネル起動、自発呼吸を開始」
インストーラの画面に表示されているステータスを読み上げる鹿沼の隣で、生化学チームは手際よく人工呼吸器を外す。
「ごほっ」
STP-103が痙攣するように咳をする。基本的な生命維持サービスが働き始めている証拠だ。
「口の中に唾液が溜まってるんだ、吸い出せ!」
スタッフの一人が急いでチューブを口に差し込み、口腔に溜まった唾液を吸い出している。
「……大丈夫かしら?」
「ええ、もう落ち着いたみたいです。ちゃんと自発呼吸、してますよ?」
鹿沼が心配そうにのぞき込む中、STP-103は順調に呼吸を始めていた。
「ついでに軽く診察しておきますか? まだ鼻とか詰まってるかもしれない」
「そうね、お願いするわ。OSの方はもう私一人で十分だし。後は、残ったデータをどんどん電子頭脳にコピーするだけ。コアカーネルデバイスドライバが動き始めれば、通信は速いわ」
それぞれが自分の仕事をする中、STP-103は送りつけられるデータを逐次コンパイルしてゆく。こうしてOSが動くために必要なサービスから順に構築し、OSの基礎部分としての区切りで、データフローカーネルのコンパイルが最後に行われた。
「データフローカーネル、コンパイル終了。インストーラ接続解除、疑似人格OSを独立モードへ移行。全インストールプロセス終了。……お疲れ様」
「お疲れ様でーっす!」
作業を始めてから6時間後、やっとインストール作業に区切りがついた。これから先は、STP-103の疑似人格OSが自らサービスを構築し、人間に一番近い存在として成長してゆくこととなる。
「で、これから誰がこいつの面倒見るんスか?」
部屋の隅の椅子でバテている鹿沼に、生化学チームの一人が尋ねた。
「ああ……人工知能の武由君よ。彼に全部任せるわ」
「はぁ、頑固者のたけちんですか……大丈夫っスかね?」
「たぶん色々あるとは思うけど、私は適任だと思うわ。……この子と武由君は、これからお互いを支え合っていかなければならない。……この子にとっては一人前になるまで付きっきりで育ててくれる人が必要だし、武由君にとっては彼が今以上視野狭窄に陥って独りよがりな人間になってしまわないように、子育ての予行練習をして貰おうって事よ」
「うわ、たけちんひでぇ言われようッスね」
「すごく優秀なのは分かってるんだけど、もう少し視野を大きく持って貰わないと困るのよ。あの年にしては、頑なすぎるって言うか、融通がきかないって言うか、妙なところで頑固よね……」
「しっかし、お父さんじゃなくて恋人になったらどうします? STP-103も、俺らで創っておいて何ですけど、イイ感じのねーちゃんですからねー」
「フフフ、それも素敵じゃない。むしろ私としては、そうなって欲しい位よ。だってそうは思わない? いやな言い方に聞こえるかも知れないけど、あの武由君を惚れさせるくらいのAIになるのよ? 当初の目的以上の成果よ」
「あー、それもそーっスね、それだけ人間に近い……いや、そこいらの女よりもいい女になるってことか……いいっスね、それいいっスよ!」
「それも、この子と武由君次第ね」
鹿沼は立ち上がり、STP-103の頬を撫でる。
「じゃあ部屋を出ましょう。後は武由君に任せるわ」
鹿沼はいくつかキーボードを叩き、電子頭脳に最後の命令を送った。
そして彼等が部屋を出てから数時間後、ふて腐れた一人の男が部屋に入ってきた。手には飲みかけのワインの瓶、真っ赤な顔は、飲み慣れない酒を飲んだ証拠だ。
「全く、お前なんかのせいで……!」
これが、STP-103と武由の出会いとなった。
「……とまぁ、そんな感じで俺の大切な研究を全部取り上げちまったどこかのお嬢さんは、大変元気に毎日叱られてばかりいるんだな。分かったか?」
「うおー、みぃちゃん手間掛かってるんだねー」
「ああ、それを自覚してだけでもたいしたもんだ。……明日からは人の言うこと聞け」
「前向きに考慮するー」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「ったく、一体どこからそんな言葉覚えてきたんだよ……」
「うおー、記憶にございません〜」
「……足りないか?」
もう一度握り拳をちらつかせる武由に、みぃはぶんぶん首を横に振る。
「まぁいいや……じゃあみぃ、もう寝よう。明日も早い」
武由が腕時計を見ると、もう時刻は12時を過ぎていた。
「うおー、おやすみ、博士〜」
みぃは自室へ入っていき、モソモソ服を脱ぎ始めた。
「あのなー、着替えるならドアくらい締めろよ……」
「うおー、博士のえっちー」
「……………はぁ。ったく」
ばん!
ため息混じり武由は自分でドアを締め、自分も寝室へ入っていった。
- 【STP-103 観察日記・10】
- 今日はみぃから、彼女の体についての質問を受けた。「自分の身体は一体どこから持ってきたか」とのこと。どうやら他人の身体から脳をくりぬいて、電子頭脳を入れ込んでいると思っていたらしい。
それに対し口頭ではあるが、彼女の体を培養するところからOSのインストールを終了まで、簡単に説明してやった。一応は納得したようだ。
なお、それと同時に、彼女の前に創られた二人についての質問を受けてしまった。個人的には彼女にとって面白くないであろう話題なので、出来れば隠しておきたかったのだが、彼女の名前の元ネタともなった三人目という事は今更隠しようもなく、ありのままを教えることにした。結果、話を聞いた直後はだいぶ落ち込んでいたようだが、何とか持ち直したようだ。
みぃの姉たちの話は、自分にとっても辛い事実だ。前任者の仕事を目の当たりにし、正直みぃの担当となったときは、自分にあんな仕事が勤まるのかと、非常に不安になったものだ。しかし結果的にはみぃは順調な成長を遂げ、最近はOSも非常に安定している。彼女の頑張りがあるからこそ、自分もここまでやってこられたと言えるだろう。
来週にはみぃにとっては初めての学力テストが行われる。新開発のAIモジュールを用いた新しい疑似人格OSが完成し、テストの結果如何によっては入れ替えも検討しているとのこと。しかし現にみぃは非常に安定しており、これからもまだまだ成長が望まれる。現時点でのOS入れ替えはリスクが大きく、断固として反対したい。
テストではいい点を取れるように特訓し、彼女の実力を知らしめようと思う。
第8話 [みぃの試験]
- Q1 植物の花で、めしべに花粉が付き種子が出来ることをなんというか?
- A きれいなおはながすき
- Q2 国民の三大義務を述べよ。
- A くう ねる あそぶ
- Q3 円の公式を書け。
- A X2+Y2=R2
- Q4 飛行機を発明したといわれる人物の名前を挙げよ。
- A あったことない
- Q5 物理学者ニュートンが林檎が落ちるのを見て発見したと言われている物理法則を述べよ。
- A たべものをおっことすともったいない
……以下略。
この出来の悪い漫才か、ヤマが外れてヤケになったあげくにウケ狙いに走ったのか判断の付きかねる微妙な解答は、みぃのAIの進歩と鹿沼のチームによってリリースされた新OSの載せ替えの可否を見極めるため、彼女に対して行われた学力テストの一部である。
テスト前、武由はかなりきつめにしっかりと、”ちゃんと考えて答えを書け”とみぃに言い聞かせていた。……いたはずだったのだ。だがしかし、その結果はこんなモンである。
「めしべに花粉が付くのをなんというかで、綺麗なお花が好き、か……」
STPシリーズの開発に携わる人間を集めて、会議が行われていた。議題はもちろん、みぃのOS入れ替えの判断についてである。実際に問題を作成した担当が、みぃの解答を評している。
「まぁ、僕的には合ってるとは思うんですがねぇ……確かに汚い花は嫌いだ」
「そだね」
この話の分かる連中は鹿沼の部下達だ。そしてそんな彼等の上司は、何とも言えない表情でみぃの解答用紙を見やっている。
「次。国民の三大義務は、食う寝る遊ぶ。……まぁ、そんなモンだろ。それ以外に何があるよ?」
「子作り」
「そりゃお前に任した。次。円の公式は……合ってるな。たぶん思いも寄らないからデータベースから引っ張り出したのをそのまま書いたんだろうな……」
「どーせなら男女の仲についてとか、そっちの方がイケてたんじゃないの?」
「それもお前に任した。で、飛行機発明したヤツには会ったこと無い、か。そりゃそーだな、俺もそう思う」
「みぃちゃん頭イイねぇ」
「んでニュートンの林檎は、食い物落っことすのはもったいない、と。まさにその通りだよなぁ?」
「たけちん、躾しっかりしてるね、さすがじゃん!」
「……………。」
突拍子もなくいきなり振られても、みぃの保護者は何も言い返せなかった。絶句、唖然、呆然、驚愕、放心……
ただひたすらに真っ青な顔をしながら、震える手で解答用紙を握りつぶしている。隣にいる鹿沼が気の毒そうな視線を送っているのも、当然のことと言えよう。
そして一通りの答え合わせが終わった後、OSの開発担当や実際に問題を作っていた連中は皆、盛大にため息をぶちまけたのだった。
「で、結局どうなんだ? 誰もお前らの漫才聞きに集まってるんじゃないぞ?」
こめかみに青筋を引きつらせそう一喝するのは、開発部を統括する彼等の上司。名を堅井という。大柄で厳つい体つきとその物腰のキツさから、皆にとても避けられている怖い上司だ。ちなみに冗談など通じる相手では、決してない。
「そうですねぇ……ちょっと微妙に脳みそのネジが飛んでる様な気もしないでもないので、やっぱ入れ直した方が良いかも知れませんなぁ……」
堅井が「当たり前だ」と目で語っている中、それを潔しとしない武由は
「みぃはまだまだ成長途中です! OS入れ替えの判断は、まだまだだと思いますが……」
先ほどのたるんだ雰囲気とは打って変わり、重々しい空気に支配された会議室の重圧。その中で、彼は上司に異を唱える。
「……もう1年だ。1年だぞ武由! STP-103に、一体どのくらいの予算と人的リソースが掛かっているか、分からないはずはないだろう!! それをもってしてなんだ、この結果は!?」
バンッ!!
堅井が解答用紙をテーブルに叩き付けた音に、一同がびくっと震える。
「現時点では正常に動作しているとは到底思えん! 新しいOSが出来ているなら、それに入れ替えるのが当たり前ではないかね。どうなんだ!」
鋭い眼光に射すくめられ、武由の足はぶるぶる震えている。しかしここで、彼を根性無しのチキン野郎と非難できるほどの、図太い神経を持った人間は堅井の他にはいやしないだろう。皆押し黙り、ひたすら嵐が遠のくのを待っているといった趣だ。しかし、ブルっていながらも、武由は鹿沼が太鼓判を押す程の頑固者なのだ。
「私は、現時点でのバージョンアップは必要ないと考えています! 不用意なバージョンアップは連想記憶野に致命的な障害を残す可能性がありますし、それに、ここまで成長して、なおかつ安定したAIは他に例がありません。あえてリスクを犯す行為には反対です!」
あくまで納得しない武由に、堅井はため息をつきつつ、
「鹿沼君、OSの責任者としての意見を聞かせて貰おうか」
彼は話を鹿沼に振ってしまったのだ。もうこれ以上意見を言うことが出来なくなった武由は、すがるような視線を鹿沼に送る。
「……OSの開発担当としての、率直な意見を言わせて貰えるなら……。せっかくの新しい物ですし、変えた方が良いと思いますわ」
「鹿沼博士……!」
瞬間的に来た武由の非難を、彼女は話を続けて遮った。
「ただ!……ただ、何かが劇的に変わるとかいったことは、現時点では何も言えません。あくまで、それはみぃちゃん自身の問題ですわ。そしてそれは武由君、貴方の問題でもあるのよ」
「……それはどういう?」
急に振られた武由は、とっさに鹿沼の言わんとすることが飲み込めなかった。
「OSを入れ替えようと入れ替えなかろうと、これからのみぃちゃんの成長を決めるのはみぃちゃん自身の努力であり、武由君の努力でもあるという事よ」
そんな鹿沼の言葉に、武由はここぞとばかりに言い返す。
「それなら十分理解してるつもりですよ、だからみぃは十分努力してます! 今回のテストの出来は、あくまで私の教育不足だったという事でいいじゃないですか! 確かに新しいOSを乗せればみぃの成長速度は変わるかも知れませんが、この間だって新しいサービスを一つ追加しただけでハングアップしてしまったじゃないですか……せめてもう少し様子を見るとかしないと、今度は本当にOSが吹っ飛ぶかも知れませんよ!?」
彼の焦りようとは裏腹に、鹿沼の態度は平然としている。
「それは大丈夫よ、武由君。OSの入れ替えと言っても、コアカーネルデバイスドライバを含めて生命維持に関わる部分はもとのままだし、基本的に上位互換になっているから。OSは一時的に止めるけど、再起動後のみぃちゃんの人格設定や記憶には、基本的に影響はないはずよ」
「しかし……鹿沼博士の言うことを疑うわけではありませんが、これ以上ヘンな負荷をあいつに与えるのは得策に思えません……可哀想ですよ、言って聞かない相手じゃないんですから……」
あくまでも譲らない武由に、堅井の怒声が飛んだ。
「いい加減にしろ武由!!」
「っ!!」
「だいたい、さっきから聞いていればなんだお前その態度は? 好き勝手なことばかり並べたてて、それとも何だ、鹿沼に逆らうほどお前は偉いのか!!」
「そ、それは……!」
「それに武由、お前は自分の感情だけで物を言ってるんじゃ無いのか!? まさかSTPにヘンな気でも起こしてるんじゃあないだろうな!!」
そんな、彼にとっては決して他人にどうこう言われたくない事……彼のトラウマをいきなり踏みにじられ、武由は握った拳をぶるぶる震わせる。
「何だって……!!」
「武由君……」
鹿沼は武由の手を握り、立ち上がり掛けた彼を制した。
「OSは新しい物に変更すること! 以上!」
堅井は一方的にそう告げると、何か言いたげな武由を無視し部屋を出て行った。
後には、武由の握った拳を机に叩き付ける音のみが部屋に響いていた。
「なんでめしべに花粉がくっつくって事を答えさせる問題に、いきなり花が好きなんて答えるんだよ!!」
「だって、みぃちゃんそう思ったんだもん!」
会議の後。頭に血が昇ったままの武由は、みぃに詰め寄り握りつぶした解答用紙を突きつけていた。彼女の身を案じて頭に来ているはずなのに、しかし結果的には彼女に辛く当たっているこの矛盾を、彼は頭では分かっていながらもどうすることも出来なかったのだ。
「試験には思った事じゃなくて考えたことを書けよ!」
「思うと考えるって、どうちがうの!? みぃちゃんわかんないよ!!」
一方、自分ではやれるだけやったと思っていた試験解答を頭ごなしに否定され、みぃは半泣き近い状態で必死に抗議をしている。
「思うのは心にふっと浮かんだこと、考えるのは答えを見つけるために記憶を呼び出したり計算することだ!! なんでそんなことの区別が付かないんだよ!?」
「ぜんぜんわかんない、いっしょじゃん、どっちも頭に浮かんでくることでしょ!?」
「全然違う! 少しは考えろ!」
「考えてるもん!! 考えてもわかんないもん、同じだもん!!」
「違うって言ってるだろ、何でわかんないんだよお前は!!」
「わかんないって言ったらわかんない!! 何でわかんないことで怒るの!」
「考えれば分かることだから怒ってるんだよ!!」
「そんなこと言ったってわかんないのはわかんない! わかんない〜〜〜!!!」
頭を抱えてそう泣き叫ぶみぃの声は、もはや悲痛な断末魔となっていた。そして次の瞬間、
「うぁっ!………ぅ…………。」
彼女は一瞬身体を引きつらせ、そのまま意識を失った。力なく崩れ落ちそうになる彼女を、武由があわてて抱き留める。
「みぃ!? どうした!!」
「……連想記憶野に異常負荷、リニアメモリユニットスタックオーバーフロー、ノーマルセッションを停止します」
彼の胸の中で抑揚無く呟くその声は、みぃのOSが発した低レベルエラーメッセージだった。
「なんだよみぃ……いきなり機械に戻りやがって……!」
顔から表情の消え去ったみぃを、武由はぎゅっと抱きしめた。
「……30秒のリフレッシュ動作後、ノーマルセッションを再起動します」
「みぃ……何なんだよ……」
結局みぃのOS入れ替えは正式に決定され、約一人の納得しない研究員を除き、準備は着々と進められていった。
前回のみぃのOSに対するアクシデント……飛行サービスのハングアップを良き反省材料として、今回は特別に用意されたエミュレータを使い、念には念を入れて動作チェックが繰り返されていった。
そしてOS入れ替えが明日に控えた、とある晩のことである。
未だ納得いかず機嫌が悪いままの武由が、自室のパソコンで始末書を書いていた、職場での態度が悪いと注意され、始末書の提出を求められたのだ。
「ったく、何でこんなくだらんモン書かなきゃならないんだよ!!」
ブツブツ愚痴を垂れ、キーボードでは『この度の就業時間内での不相応な言動に対し、深く反省していると共に……』等と、本心とは全く反対なことを打ち込んでいる。ちっとも反省などしてはいない。
「うおー、博士お手紙かいてるの?」
そんな時に、誰の所為でこんなに毎日カリカリ来てるんだよと、彼の神経を逆立てさせるに十分な、マイペースですっとぼけた声のみぃが寄ってきた。
「手紙なんかじゃないよ、反省文だよ! ったく、お前は今のままでいいって言ってるのにな!!」
「うおー、みぃちゃんイケイケー」
いつも通り、みぃは無い胸を張っている。
「その反対だバカッたれ!! お前がちゃんとテスト答えてりゃこんなことにはならなかったんだよ!」
彼女の態度に余計頭に血が昇った武由が、またもやみぃに怒鳴り散らしている。
「うおー、すぎたことを言っても始まらないって、えーと、昔の人は言ってたよー」
「お前わかってんのか!? 明日の作業で、お前がちゃんと直るって保証無いんだぞ!?」
「……かぬま博士が大丈夫って言ってた。……博士ぇ、ごめんね、みぃちゃんイケてなかったんでしょ?」
「ああ! 全くその通りだ!………ぁ……いや、俺も、いけてなかったよな……そうだよな、お前が一番ワリが合わないことされるのにな………。ごめんな、みぃ。」
はぁと、大きなため息と共に、武由はみぃの頭をクシャクシャ撫でる。
「えへへ……」
みぃは嬉しそうに、にっこり微笑んだ。
「ねぇ博士、みぃちゃん、明日の作業っていうの終わると、えーと、どうなるの?」
「ああ……特に何も変わらないはずなんだけどな、鹿沼博士の話だと。お前はただ寝てるだけだし、OS止めるからたぶん一瞬のうちに終わるように感じると思うよ。……ただ、お前の頭に入ってるサービスを殆ど入れ替えるから、ものの考え方とか感じ方とか、少し違ってくるかもな」
「うおー、みぃちゃん変わっちゃうんだね……。えーと、それじゃあ、みぃちゃん、新しいみぃちゃんにお手紙書くー」
「お手紙?」
「うん、お手紙。新しいみぃちゃんに、みぃちゃんのこと書いて、えーと、新しいみぃちゃんがヘンなコトしないように、教えてあげるの!」
「自分で自分に向けて書くのか?」
「違うよ、新しいみぃちゃんに書くの。だって、今のみぃちゃんのOS消しちゃうんでしょ? 今のみぃちゃん消えちゃうんでしょ?」
そう答えるみぃの語気は、だんだん小さくなってゆく。
「そんなこと無いよ、みぃはみぃのままだ! 消えたりしない!!」
みぃの顔がくしゃっとつぶれ、目から涙をぽろぽろこぼしていた。それを見て、武由は思わず彼女の肩をがっちりつかんでいた。
「みぃちゃん、みぃちゃんのままなの?」
「ああ、お前のままさ、だから大丈夫だよ!」
涙声のみぃに、彼は力強く答えてやる。
「だから、手紙なんて書かなくていいよ……お前のまんまなんだから!」
「うん、分かった……でも、みぃちゃん、やっぱりお手紙書く。もしもみぃちゃんが、みぃちゃんの事忘れちゃっても、みぃちゃんのこと思い出せるようにするの。いいでしょ?」
武由はそんなみぃの言葉に割り切れないものを感じながらも、この期に及んでみぃがしたいと言っていることを止めさせるのも、それは違うと思ったのだ。
「ああ……そうだな、俺らが書く日記だって、そんなモンだからな……」
彼はため息をつきつつ、机の上にあったレポート用紙とボールペンを、みぃに渡した。
「ほらみぃ、これ使って書いてみろよ」
「うん。みぃちゃんがんばって書くー」
武由の目の前で、みぃは目をコシコシ擦っている。
そんな彼女の人間らしい仕草を見ていると、やはり彼にはわざわざOSを入れ替える意味を、未だに見いだすことは出来なかった。
「……まったく、金の卵を産む鶏の腹を割くようなことにならなきゃいいけどな……」
武由に手渡された紙とペンを持ち、自室に向かうみぃの後ろ姿を見ながら、彼はそう呟いていた。
- 【STP-103 観察日記・11】
- とうとう、みぃのOSの入れ替えが明日に迫っている。未だかつて納得できず、非常に不満だ。
最近、自分自身の未熟さでみぃに八つ当たりしてしまうことが多く、いつも申し訳なく感じている。しかしその時の彼女の態度は非常に人間的で、一緒になって口げんかをしているのだ。人間と口げんかを出来るOSを、まだ不満だというのだろうか?
テストを行ってからも彼女のAIは成長を続けており、今では試験の答え方で何が悪かったのかを理解できるようになった。このようなAIに対し、いくら機能アップとはいえ、むやみに内部をいじり、負荷を掛ける行為は到底納得いかない。
みぃに、今までの自分は消えてしまうのかと問いかけられ、反射的に違うと答えてしまった。しかし結局の所、記憶を受け継ぐだけの別人格になってしまうとも言えるだろう。そう考えると、感情論ではあるのだが、彼女がとても可哀想に思えてしかたない。
みぃは、新しい自分に向けて手紙を書くと言った。彼女も、彼女なりに自分がどうなってしまうのか考えてのことだろう。自分自身、自分の感情を司っている部分を他のものに変えると言われたら、嫌だという感情以外何も浮かばない。結局はOSの入れ替えによって、彼女の人格としての連鎖は途切れてしまうのだから。
それに今回の作業は前例が無く、いくらみぃがテストモデルとはいえ実験材料とするのは正直勘弁して欲しい。万が一の結果となった場合、我々は貴重なAIを永遠に失ってしまうし、そんなことよりみぃという人格を殺してしまうことになるのだ。それは、実験が失敗したとかいうレベルの話ではなく、れっきとした殺人行為であると考える。
みぃのOSの入れ替えは鹿沼博士のチームにより行われるので、自分は全く関わることが出来ない。部屋の外でうまくいくよう祈るしかないだろう。何も出来ない自分自身にふがいなさを感じると共に、鹿沼博士には最大限の努力をお願いしたい。
第9話 [あたらしいみぃちゃんへ] 〜みぃの手紙〜
あたらしいみぃちゃんへ
あたらしいみぃちゃん、こんにちわ。わたしはみいちゃんです。
みぃちゃんが、あたらしいみぃちゃんになっても、大切なことをわすれないようにって、お手紙をかきました。よんでくれていますか。
まずは、みぃちゃんのせつめいをします。
みいちゃんは、はかせといっしょにくらしています。はかせから、勉強を教わっています。勉強以外にも、いろいろなことを教わっています。はかせは、みぃちゃんの、人生のししょうなのです。
はかせはときどきおっかないけど、とってもやさしいです。みぃちゃんがイイコトすると、いつもあたまをなでてくれます。あたらしいみぃちゃんも、あたまをなでてもらってね、とってもうれしくなるよ。
みぃちゃんが、何の勉強をしているのかというと、なんと、みぃちゃんはへいきなのです。システムガイアを守るために、へいきの勉強をしているのです。でも、まだビームは出せません。はたして、どこからビームを出せばいいのでしょうか。あたらしいみぃちゃんも、きっと、へいきだから、早くビームを出せるようになってね。もしかすると、手がドリルになっているかもしれません。
みぃちゃんは、お空をとべます。へいきなので、ヒコーキのへいきとも、たたかわなくてはなりません。まだ、ヒコーキはやっつけたことはありません。あたらしいみぃちゃん、がんばってヒコーキをやっつけてね。
あと、お空からみるけしきは、とってもとってもキレイだよ。前に、はかせをお空につれていくやくそくをしたけど、みぃちゃんは、守れませんでした。だから、あたらしいみぃちゃん、はかせをお空につれていってください。みぃちゃんのかわりに、やくそくを守ってね。
みぃちゃんは、ほっかいどうという所に行きました。ほっかいどうには、みぃちゃんを女のこっぽくて、イケイケと言ってくれた、かみしろさんがいます。はかせは、みぃちゃんをイケイケとは言ってくれません。だから、かみしろさんも、わすれてはいけません。あとあと、かみしろさんは、おいしいジュースをくれて、ナイスガイです。
みぃちゃんは、はかせのほかに、かぬまはかせにも、勉強を教わっています。かぬまはかせは、みぃちゃんにケータイをくれました。じょしこーせいのおねーちゃんの、ひょうじゅんそうびなのです。みぃちゃんは、イケイケのじょしこーせいのおねーちゃんなので、ケータイは、ひょうじゅんそうびしなくてはいけません。あたらしいみぃちゃんに、みぃちゃんのケータイを、あげます。みぃちゃんは、ケータイがとっても好きだったので、あたらしいみぃちゃんも好きだといいな。
さいごに、あたらしいみぃちゃんに、おねがいです。
明日のさぎょうって言うので、みぃちゃんは、きっと消えてしまうでしょう。でも、そのかわり、あたらしいみぃちゃんが生まれるので、みぃちゃんはいいです。がまんします。だから、あたらしいみぃちゃんに、おねがいがあります。はかせにおれいを言ってください。そして、あたらしいみいちゃんは、はかせにおこられないようになってください。みぃちゃんは、おこられてばっかりだったので、イケイケって言ってくれなかったのかもしれません。
もっともっと、はかせといっしょにいたかったけど、あたらしいみぃちゃんにゆずります。
でわ、さようなら。げんきでね。みぃちゃんより。
第10話 [新しくなった、みぃ]
みぃのOSの入れ替え作業は、滞りなく終了した。途中予期せぬ問題が発生することもなく、事前にエミュレータを使って何度も検証を行った成果が現れた結果となった。
職場のオフィスで極めて落ち着かない仕事をしていた武由に、内線で終了の第一報が入ったは、OSの入れ替え作業開始と共に彼がソワソワし始めてから、3時間余り過ぎた頃だった。
武由はやりかけの仕事を放りだし、急いで処置室に向かう。
今から約1年前、酒瓶を片手にふて腐れながら入った部屋に、彼は息を切らして飛び込んできた。
「あ、来たわね。じゃあ後は任すわ、武由君」
鹿沼はそう言うと、椅子に掛けてあった白衣を持ち、部屋を出ようとする。
「鹿沼博士、大丈夫ですよね!?」
荒い息を整えるのももどかしいといった様子で、彼は部屋を出ようとする鹿沼に尋ねる。
「やれるだけのことはやったわ。後は武由君、貴方の努力次第ね」
そう答えると、彼女はにっこり微笑み、手をパタパタ振りながら部屋を出て行った。
武由はみぃが寝かされているベッドに近づいてゆく。みぃはどうやらまだ寝ているようだ。彼が見る限りでは、外見上に変化はない。服も、今朝着ていた普段着のままだ。それに胸も小さいままだし、いつも通りの愛嬌あるかわいらしい寝顔で、すぅすぅ寝息を立てている。
武由は椅子をベッドの隣に持ってきて、そこに座りみぃが目覚めるのを待つことにした。
それから1時間後。
「ん……」
みぃの身体がわずかに動き、呼吸の様子も変わってきている。
「みぃ……俺が分かるか?」
心配そうにみぃをのぞき込み、一人そうつぶやく武由。
「……武由博士と認識しました」
いつのまにか目を開けたみぃが、機械的な声でそう返した。
「は? なにワケのわかんないこと言ってるんだ、みぃ………?」
「もう一度繰り返します。貴方を武由博士と認識しました」
「……………!!」
瞬間的に、武由の顔色が変わる。脂汗の浮き出たその顔は、真っ青だ。
「お前………みぃじゃないだろ……? 何でそんなしゃべり方するんだ?」
身体が絶望で緊縮し、出す声もかすれている。
「現在、本システムは固有識別コード”みぃ”によりパーソナライズされています」
みぃは上半身を起こし、ベッドの上に座る格好となっている。しかしその動きは人工的で、とてもじゃないが人間のものとは言えない。
「また、本音声メッセージはシステムにより自動生成されています。基本言語として日本語を使用。他言語はプリインストールされていません。プリインストール作業ならびに基本言語の変更を行いますか?」
あくまで機械的………まるで安っぽいAIの喋る合成音声を垂れ流すみぃに、
「みぃ!! いつものお前はどーしたんだよ、うおーとか言ってみろよ!」
武由は彼女の肩をつかみ、無表情に喋り続ける彼女を力任せに揺さぶった。
「質問の意味不明」
「みぃ、どうしたんだよ、早く元に戻ってくれよ!?」
「質問の意味不明」
「そうだ、お前が自分宛に書いた手紙………書いたこと覚えてるだろ!?」
「連想記憶野およびリニアメモリ領域に、該当データ発見」
「そうじゃない!………ほら、これはお前が書いたんだぞ、この時のことを覚えてるだろ!?」
武由は事前にみぃから預かっていた手紙を取り出し、それを目の前にいる人造人間に突きつける。
「連想記憶野の該当データと比較……完了。当該データの可能性、98パーセント。西暦2130年8月21日午後8時32分より記入動作開始、同日午後9時48分、記入動作終了。記入内容については、連想記憶野に正確な情報は残っていません」
「みぃ、これはお前に宛てた手紙だ、ほら、読んでみろよ!」
みぃはゆっくり右手を動かし、その手紙を受け取る。そして便せんを広げ、文面のスキャンおよび文字認識を行った。
「連想記憶野の残存データと比較し、同一のものと確認できました」
「違うだろ、みぃ………!」
震える声でそう言う武由は、もう理解してしまったのだ。
彼の目の前にいる彼女は、今朝までいたみぃとは違う、他の人造人間であるという事に……。
「何があっても……絶対反対するべきだったんだ!!」
みぃをつかむ武由の手が、ぶるぶると震えている。彼は頭を垂れ、そしてその場にしゃがみ込んだ。
「くそっ!!」
拳を床にたたきつける武由を、みぃは無機質な視線でスキャンしている。彼に掴まれしわくちゃになった服を直そうともせず、ベッドの上から、プログラムに従って。
OSの入れ替えから、1週間が過ぎた。
みぃの調子は一向に戻らなかったが、教育はいつも通りに行われていた。本日のお勉強メニューは、精密射撃の訓練である。研究所に設けられた射撃場で、武由の指示の元、みぃの訓練が行われていた。
「……次。目標は30m。赤いのだけ撃て」
「了解しました。………命中しました」
薄暗い射撃場。部屋の隅で備え付けの椅子に座りながら命令を下す武由の視線の先、ブースに立つみぃは模擬銃を構え、左右に動き回る色とりどりの目標の中から、言われた色の目標のど真ん中を正確に撃ち抜いてゆく。
彼女は武由の命令を極めて正確に理解し、着実に訓練メニューをこなしていった。いつもの彼女なら、なんだか気だるそうに「ういーすたいちょーう、当たれば当たりまーす!」とかなんとか、訳の分からない返事をして彼にゲンコツを喰らっているところだ。
「……次。目標は50m。青いのだけ撃て」
「了解しました。………目標とのずれが発生。キャリブレーションを実行……問題なし。試射して宜しいでしょうか?」
「……ああ」
「了解しました……命中しました。キャリブレーション結果を保存、射撃管制サービスにフィードバックします」
「……ああ」
武由はあの日……みぃがおかしくなったのが分かった時、彼は鹿沼を何度も問いつめていた。しかしそこで返ってきた返事は、原因は不明でさっぱり分からない、もしくは一時的なものだから放っておけというものだった。もちろんみぃも鹿沼の所に連れて行き、彼女のダイレクトバスコネクタからOSの状態を調べたりしたのだが、これはこれで正常に機能しているとの事。鹿沼の言葉に納得いかない武由は、自分でアナライズソフトを動かしてみるも、彼には異常なところがどこだかさっぱり分からなかった。
そして当然の如くそんな結果を潔しとしない武由は、みぃを元に戻せだの何とかしろだの大騒ぎし、結局堅井に見つかり始末書を10枚ほど書かされることとなった。
「……次。目標は75m。赤いのだけ撃て」
みぃの事など殆ど見もせず、ただ部屋の隅でふて腐れながら指示を出す武由。もちろん彼がこんなに不機嫌なのは、始末書を10枚とかいう意味不明な仕打ちを喰らったからではなく、さっきから人の言ったことに機械的反応しか示さないみぃに対して、とてつもない怒りを覚えているからである。
「……みぃ、少しはめんどくさがったりしないのかよ!?」
「質問の意味不明」
「……ったく!」
彼は席を立ち、みぃの前に立つ。そしてそんな彼を、無味乾燥な彼女の視線が映し出した。
彼の手が、振り上げられる。
ぼこっ
「……………。」
みぃは叩かれたことすら気づいていないといった感じで、彼からの指示を待っている。
彼はため息をつき、元居た椅子に乱暴に腰掛ける。
「武由博士、指示を願います」
「好きにしろよ……」
「命令の意味不明」
「……目標100m、黄色のだけ撃て」
「了解しました。………命中しました」
みぃは銃を持つ手を下ろし、武由の次の命令を待っている。
「……………。」
しかし、武由は黙りこくったまま何も言わない。
「武由博士、指示を願います」
「……………………。」
彼はそのまま何も言わない。みぃの方も見ない。
「武由博士、指示を願います」
先ほどと全く同じ口調、抑揚、声………。その彼女の言葉、彼にとって単なるコンピュータのビープ音は、5分ごとに正確に鳴らされる。
「武由博士、指示を願います」
「……………。」
5分後。
「武由博士、指示を願います」
5分後。
「武由博士、指示を願います」
5分後。
「武由博士、指示を願います」
5分後。
「武由博士、指示を願います」
5分後。
「武由博士、指示を……」
「お前!! 少しは頭に来ないのかよ!!」
いつしか立ち上がり、みぃに向かって怒鳴りつける武由。
そんな彼の言葉に対し、
「命令の意味不明」
彼女の発した言葉は、やはり感情の無いビープ音だった。それが、彼の怒りの限界を超えさせた。
武由はつかつかとみぃに歩み寄ると、彼女の胸ぐらをつかみ上げ、ブースの衝立に彼女の背中を激しく叩き付けた。
「……武由博士、指示を願います」
しかしみぃは痛みに顔を歪ませることもなく、平然とそう言い放つ。
「くっ………!!」
武由の拳がぐっと握られ、彼女に向かっており下ろされる。
しかし、彼女の頬を殴打するはずだった拳は途中でその動きを止められ、彼はつかんでいたみぃの服から手を離す。
そして彼は何も言わず、射撃場から逃げ出すように走り去っていった。
残されたみぃはその場にしゃがみ込み、身動きひとつせずに武由からの指示を待っていた。
ガンっ!
遠くで、何かを殴りつける音が響いていた。
- 【STP-103 観察日記・12】
- みぃは未だ、元に戻る素振りすら見せない。彼女のOSの入れ替えを行ってから既に一週間以上過ぎているが、依然意志というものが感じられず、単に人の命令に従っているだけのロボットだ。これでは彼女の存在意義というものは何一つ無いだろう。
確かに、精密射撃やアクロバット飛行等の訓練に関しては非常に素晴らしい点数を出してはいる。けれども、これは人間の言うことをそのままやっているからこそ出る数値であり、彼女の人工知能は何一つ働いていない。
自分で考え、自分で最も効率の良い方法を考え出す事が出来なければ、拠点防衛兵器としてはおろか、人間ですら無い存在になってしまう。正直、毎日失望の日々だ。これがあたらしいOSの能力とするなら、全くの不良品と言っていいだろう。今のみぃは、瞳に輝きも感じられない、知性のかけらもない、感情すらない、役立たずのゴミだ。
ただひたすらに、OSの入れ替えをさせてしまった自分の意志の弱さに辟易する。みぃ以上に自分は使えない人間だ。
第11話 [みぃのおつかい2nd]
みぃのOSが入れ替えられてから3週間程度経った頃。
最初、武由は腹立ち紛れに彼女に八つ当たりばかりしていた。しかし彼はこのごろ、過去にやらせたことを再びみぃにさせてみれば、ふとした拍子に前の状態に戻るかも知れないと、そんなことを考える様になっていた。
要は記憶喪失みたいなものだと、根拠も無いがそう自分に言い聞かせていたのだ。それは、そんな風にでも考えていないと、彼には今のみぃの態度があまりにも辛すぎて、自分自身がどうにかなってしまいそうだったからだ。
仕事一途でまじめな武由である。みぃがおかしくなったことに関して、彼は多大なる責任を感じているのだ。
「みぃ、今日は訓練がてら、北海道支社に行ってくれないか?」
今から一ヶ月くらい前にそうさせたように、武由は書類の入ったバッグをみぃに手渡す。これも、以前やったことと同じ行動をさせるための口実だった。
「了解しました。……北海道支社、位置確認完了、GPS同期に問題なし。反重力システムチェック……問題なし。バッテリー残量、98%。いつでも出発可能です」
研究所の玄関前で、いつも通りのみぃが自己診断結果を報告する。
「ああ、じゃあ気をつけて行ってくれ、上城さんには話しはしてあるから」
「了解しました。北海道支社総務部次長上城氏に接触を試みます」
「よろしく!」
武由がみぃから離れ、それに合わせ彼女の天使の羽根が展開される。
「反重力システム起動……出発します」
みぃはふわりと浮かび上がると、直上に向けて最大出力で飛び上がる。
ドンッ!!
玄関前は爆風が吹き荒れ、周りの窓ガラスが一斉に激しく揺さぶられる。
「ったくあのバカ、いつも通り何にも考えてねー!!」
砂埃と周りからの厳しい視線でボロボロになった武由は、既に視界から消えたみぃに毒づいていた。
「みぃ、調子はどうだ?」
武由は司令室に入り、エアーイーサのIP電話でみぃに問いかける。
『質問の意味不明瞭』
「あー、体調はどうだ?」
『異常ありません』
彼の頭上に掲げてある大型ディスプレイには、みぃの飛行軌跡が描かれている。その線の先端、つまりみぃを示す輝点のそばには、M23.5と表示されている。つまりみぃはマッハ23.5というとんでもないスピードで飛んでいるのだ。
「少し飛ばしすぎじゃないのか?」
『現在の速度、時速28800キロメートルです。減速しますか?』
「……いや、いい」
『了解しました。現速度を維持します』
みぃの速さは衰えることなく、一直線に北海道目指して飛んでいく。
そして研究所を飛び立ってから5分も経たないうちに北海道に到着し、急速減速を掛け北海道支社目指して降りていった。
支社の玄関では、前回同様上城が外に出て彼女の到着を待っていた。
「もう到着するのかな……」
彼がそう呟きながら空を眺めていると、視界の隅に小さな点が入ってきた。彼は何とも為しにそれを見ていたのだが、その小さな点が、偉い勢いで大きくなってくる。
否、何かがとんでもない勢いで落下してきているのだ。
「えっ!?」
彼は突然の出来事に身動きできず、目の前に未確認物体が落ちてくるというのにその場に立ちすくんでいた。
そして、
ドカン!!
砂煙をまき散らせながら、何かが彼の目と鼻の先に激突した。コンマ何秒遅れて、衝撃波が彼の身体に叩き付けられる。上城は反射的に、爆風から腕で頭をかばった
「なっ、なに!?」
もうもうと立つ砂煙の向こう……やがて辺りは晴れ渡り、その中心には一人の人影が確認できる。
「!? みぃちゃん?」
砂の入った目を擦りながら、上城は人影に向かって呼びかけていた。舞っていた砂煙が治まり、何か落ちてきたその中心にあるものが、光る羽を背負った少女の輪郭であるのが分かったからだ。
「……北海道支社上城氏と確認しました。私はSTP-103、固有識別コード、『みぃ』です」
風が吹き、砂煙が完全に消える。上城は頭にかぶった砂を払い落とすこともなく、目の前にいるみぃを呆然と見ている。
「みぃちゃん……? どうしたの?」
みぃは片膝を付いてしゃがみ込んでいた。全速力で降下してきた着陸時のショックを吸収するために、地面と接触するときに膝のバネを使ったのだ。ただ、彼女の真下のコンクリートは砕け散り、直径1m程クレーターのようになっている。
彼女は上城の目の前ですくっと立ち上がり、肩に掛けられたバッグから書類袋を取り出した。みぃの羽が光を失い、空気に溶けてゆく。
「武由博士から、この書類をここに運ぶよう指示を受けました」
みぃはそう言うと、書類を上城にすっと差し出す。
「あー……何かみぃちゃん、前回と雰囲気違っちゃったね。どうしたの?」
上城のみぃに対する印象は、あくまでちょっと変わった普通の女のコ。彼はみぃが拠点防衛兵器だの人造遺伝子だのクローンだのとは見ていなかったのだが、さすがに今目の前にいるみぃは、そんな彼女の素性を如実に現す無機的な冷たさを、彼にひしひしと感じさせていた。
「質問の意味不明」
心配そうな顔で訪ねる上城に、みぃはいつも通りにそう突っぱねた。本人は自分の理解できなかったことに対し、ルーチン通りに「分かりません」と返答しているに過ぎないのだが、それを聞いた人間は一様に悲しげな表情になる。どう考えても、彼女の答え方は「おとといおいで」と同義だ。
「え? 意味不明!?……あ、ごめんね、ヘンなこと言っちゃって。……えーっと、まぁ、せっかく来たんだから、またあがって行かない? またジュース飲んで行ってよ」
なんだかみぃに嫌われたのかと心配になった彼は、彼女にコミュニケーションを試みるも、
「武由博士の指示にはない行動です。実行できません」
眉毛一つ動かすことなくそう言い放つ彼女に、上城はもう悲しさで一杯だった。
「……あ、うん、そうだよね、仕事中だもんね」
「今回のミッションを終了しました。これより帰還します」
みぃは上城の沈んだ表情など一向にお構いなしに、IP電話で武由にそう告げる。そして、停止していた天使の羽を再び展開する。
『おい、ちょっと待て、みぃ!』
武由からそう返答が入るも、みぃはそれに従うことなく羽の出力を上げた。辺りには、燐光を放つ光球がいくつも舞いだした。
「反重力飛行システム起動……半径10m以内の接近は危険です。退去を勧告します」
みぃはそう一方的に言い放つと、システムの全出力を一気に解放する。
ドンッ!!
再び衝撃波が辺りを襲い、再び辺りは砂煙に霞んだ。みぃが、垂直上昇を行ったのだ。
「うわっ!? ちょっと……!!」
爆風に吹き飛ばされそうになり、悲鳴を上げる上城を半ば無視し、みぃは一気に上昇を継続。高度をとると、水平飛行に移行し、東京を目指し急加速に入る。
そして彼女が音速を超えたときに生ずる衝撃波が、まるで至近距離の落雷のように空を揺るがした。
「うわぁ……みぃちゃんって、やっぱりすごいんだ………」
かろうじてつかんでいた封筒をぽとりと落としながら、空を見つめる上城。もうとっくに見えなくなった拠点防衛兵器に、彼は一人そう呟いていた。
『おい、みぃ、お前なんて飛び方してるんだよ、上城さんが吹っ飛ばされたらどうするんだ!!』
みぃの行動をIP電話越しにずっと監視していた武由から、彼女に向かって叱責の声が飛ぶ。
「上城氏には退去勧告を発行済みです。また、本反重力システムから発生する衝撃波では、標準的な成年男子の体勢を崩すことは出来ません」
一方、周りの空間に衝撃波をまき散らしながら未だ加速中のみぃは、非常に冷静な返答を返してくる。
『バカ野郎!! そんなこと言ってるんじゃない、お前人に対して失礼な態度とってるのが分からないのかよ!!』
「質問の意味不明瞭。……現在最高速度に到達。加速停止」
『ふざけるな!! だいたい、何でいちいち最大出力で飛ぶ必要があるんだよ!』
「本ミッションは訓練飛行です。このため最大出力時におけるキャリブレーション動作を行い、システムの最適化を行っています」
『それも時と場合によるだろう! 何でそんなことも考えないんだよ、バカかお前は!!』
「質問の意味不明」
『そのおちょくった物言いは何だよ!? おい!!』
「質問の意味不明」
『お前ケンカ売ってるのかよ!?』
「質問の意味不明」
『……いい加減にしろよ、何でそんな答え方しかできないのかよ!』
「本メッセージはOSにプリインストールされた返答モデルより最適なものを抽出しています。プリインストールに最適な返答モデルがない場合は、AIにより返答パターンが生成されます」
『っ!………喋る言葉くらい、自分で考えろよバカッたれ!!』
「命令の意味不明」
ブツッ
IP電話のコネクションは研究所から一方的に切られてしまった。しかしみぃは表情一つ変えることなく、減速動作に移行する。既に彼女は東京に戻っていたのだ。
数分後、みぃはまたもや爆風を伴いながら、研究所の玄関前で激突するように着陸した。みぃの足の下にあったブロックは破壊され、辺り一面の窓ガラスは激しく揺さぶられる。そして巻き上げられた小石にでもやられたのか、数枚のガラスにはヒビが入ってしまった。
「このバカ!! お前のやってることに何の意味があるんだよ!? いちいち物ぶっ壊しやがって、このボンクラ頭が!!」
ぼこっ
玄関で彼女を待ち、そして爆風で吹っ飛ばされた武由の、数度目の叱責だ。
「………武由博士、ミッションを終了しました。指示を願います」
ゲンコツを喰らっても瞬きすらしないみぃに、武由の怒りは度合いはますます酷くなる。
「死ぬまでそこに突っ立ってろ!! バカッたれ!!」
みぃが命令通り立ちつくす中、武由は一人研究所の中に戻っていった。
その日の夜。
夕方近くに降り始めた夕立が一向に収まる気配を見せず、窓には大粒の雨が無数に叩き付けられている。
武由はあの後、壊れた歩道のブロックや窓ガラスの管理部署に頭を下げに行き、嫌み半分に割れたガラスの応急措置などをやらされていた。
「ったく、何であんなになっちまったんだよ、みぃ……」
割れた窓ガラスにセロハンテープをぺたぺた張りながら、武由はブツブツ愚痴を垂れている。そしてそんな鬱な作業も終わり、ため息をつきながら自室に戻る。
1ヶ月前のみぃはいつもニコニコ笑って、頭を叩けば「うおー」とかヘンな声を上げていた。彼女なりの常識もいっちょまえに持っており、首をかしげるようなバカなことは殆どやらなかった。
何か言えばそれなりな返事をするし、基本的にかわいげのあるイイヤツだったのだ。
そんな昔の事を思い出し、廊下を一人歩く彼の心は冷たい絶望で一杯になる。
いつもガミガミ怒っていたが、彼はみぃの事を気に入っていた。絶対に立派な兵器に仕立て上げたやると、心の内で誓っていたのだ。
しかし今は、高性能化を狙ったOSの入れ替え作業の所為で、みぃの瞳には輝きが無くなった。100年前の安物AIになってしまったのだ。
何を言っても、ビープ音しか喋らない。何をやらせてもちぐはぐで、彼女の行動を理解できない。そもそも、何も考えてないようにしか見えない。
彼は自室に戻り、パソコンデスクの椅子に乱暴に座り込む。
目の前にはスクリーンセーバーの動いたノートPCが点けっぱなしだったが、彼はその蓋をばたんと閉じる。
「はぁ……」
大きなため息を一つ、こぼした。
そして、みぃの部屋をちらっと見る。いつもだったら、電気も点けない暗い部屋で、一人ベッドの上で座っているはずだ。
「みぃ、居るのか?」
声を掛けるが、返事は来ない。いつもだったら、今のみぃだったら、必ず機械的に返事を返してくるはずだ。
「あいつ……どこだ!?」
彼はあわてて部屋を飛び出していった。一人で勝手にフラフラ出歩くことなど、今のみぃには決してあり得ない事なのだ。マネキンのように、身体をぴくりとも動かさず、彼の指示をひたすら待つ人形なのだから。
彼は自分のオフィスや、みぃの立ち寄りそうな所を捜して歩く。しかし、みぃの姿はどこにもない。その辺を歩いている他の職員に聞いてみるが、誰も見ていないという。
「まさか………」
彼は、自分がにみぃに言った最後の言葉を思い出し、あわてて玄関を飛び出した。
激しい雨が地面に叩き付けられている。その場全体が、雨のざーという音で埋め尽くされている、夏の盛りも過ぎた、大雨の夜。
みぃは、昼間の彼の暴言を忠実に守り、着地地点から一歩も動かず、雨の中に立ちつくしていたのだ。
「こ、この……バカ!!」
彼はあわてて外に飛び出し、みぃの手をつかむと研究所の中に無理矢理引き入れた。
雨でビショビショになったみぃは、身震いすることもなく、武由の顔をずっと見ている。
「……武由博士、指示を願います」
「このバカ!! こんなに身体冷やしやがって!!」
みぃが何か言っているが、そんな事は彼には関係なかった。握ったみぃの手首が、可哀想なほど冷え切っている。
武由は羽織っていた白衣を脱ぐと、みぃの身体にかぶせてやる。
「バカ、こんなに冷たくなってるじゃないか!!」
わしゃわしゃと身体を拭いてやる武由の手に、しんしんと冷たさが伝わってくる。
拭いたくらいでは、決して間に合いはしないだろう。
彼は頭から白衣をかぶったままのみぃの手を引き、自分の部屋に駆け込んでいった。そしてみぃから白衣を取り払い、彼女の着ているブラウスのボタンを外す。体温が下がり、青白くなったみぃの肌があらわになった。
「お前の頭の中には、体調を管理するだけのみそも入ってないのかよ!」
「質問の意味不明」
「そんな返事しか出来ないなら、入ってるわけ無いよな!」
ブラウスをはぎ取った武由は彼女の背中に手を回し、ブラジャーのホックを外す。そしてそのまま彼女の腕を抜き、水が滴るブラをその辺に投げ捨てた。
「少しは自分で動くだけの気合いは残ってないのかよ!」
そしてスカートのファスナーを下ろすと、そのまま足下にスカートを落とす。
そんな彼の行いを、みぃはただじっと受け入れている。
武由はみぃの手を引き、浴室に引き入れる。風呂釜のスイッチを入れ、シャワーの蛇口を回るだけ回した。
武由は風呂釜のリモコンを操作し、湯の温度をぬるめに設定する。シャワーから勢いよく出る湯から湯気がモウモウと湧き、浴室はあっという間に真っ白になった。
「よし、こんなモンだろ……」
シャワーの温度を確認すると、彼はみぃの頭のてっぺんからシャワーを浴びせた。彼の着たままの服もついでにビショビショになるが、それは一向に構っていなかった。
しばらくすると、青白かったみぃの控えめな胸が少しずつ赤みを取り戻し、それと同時に彼女ががたがた震えだした。
あまりの寒さで消し飛んでいた感覚が戻り、彼女のコアカーネルデバイスドライバが体温を上げるため、身体を震わせているのだ。
「………武由博士、身体機能に異常発生。ふるえが止まりません」
抑揚のない声で、頭からざあざあ湯を被り続けるみぃの報告だ。
「当たり前だ、バカったれ!」
リモコンを調節し、少し熱めの湯に設定する。
シャワーの勢いを絞り、お湯を肩や背中、パンツを履いたままの下半身に湯を当ててゆく。
「少しは身体が温まったか?」
だいぶふるえが治まってきているみぃに、彼は声を掛ける。
「まだ規定体温には達していません」
「そうかいそうかい……」
武由はみぃの肩や太ももに手を当て、その温度を確かめてゆく。
「まぁこの位でいいだろ……後は身体拭いて、布団の中にでも潜り込んでろ」
「了解しました」
みぃはくるりと回れ右し、浴室から出て行った。そして履いたままのパンツを脱ぎ、備え付けのタオルで身体をゴソゴソ拭いている。余り、人間らしくない機械的な動きだ。
武由はとりあえずシャワーを止め、一旦浴室から出た。
「俺もビショビショだよ……ついでに風呂に入るか」
彼は濡れた服を脱ぎ、洗濯かごに服を投げ入れる。その横では、肌を上気させたみぃが彼の方を見ながら立ちつくしている。
彼はなんと為しにみぃを見ていたのだが、先ほどのシャワーで湧いた湯気の曇りが彼の見る景色にソフトフォーカスを掛け、うっすらと上気したみぃの身体が妙にドキッとさせる。いつも見慣れているはずのみぃの裸なのだが、湯気のおかげでみぃの瞳に光が差しているように見え、そのためだろうか、彼の男心に熱い物がこみ上げる。
「あ……早くパジャマ着ろよ、みぃ……」
武由は反応してしまった自分の身体を隠しつつ、みぃにそう告げる。
「了解しました」
彼のざわついた心の中などお構いなしといった趣で、みぃは機械的に返答する。そしてくるりと方向転換し、脱衣所から出て行った。
「はぁ…………。」
ため息一つ、武由は先ほど締めたシャワーの蛇口をを再びひねり、自分も頭からシャワーをかぶる。
「あちち………」
湯に慣れぬ彼の肌には、少し熱めのシャワーだった。
翌日。
昨夜の雨が嘘のように、空は雲一つ無く晴れ渡っている。未だ真夏の趣を残した日光がさんさんと降り注ぐ研究所のオフィスで、備え付けの電話が鳴った。どうやら内線のようである。
仕事中だった武由は受話器を取り、電話に出る。
「人工知能研究室です」
『あ、武由さんですか? 北海道の上城です』
「上城さんですか、お疲れ様です、武由です。……あの、先日はうちのバカがご迷惑おかけしまして……怪我とかされませんでした??」
『あ、大丈夫でしたよ、ちょっとびっくりしちゃったくらいで』
「本当に申し訳ありませんでした」
『あの、なんかみぃちゃん、以前とあまりにも雰囲気が違ったんですが……どうかしたんですか?』
「実は、OSの入れ替えを行いまして……それ以来ああなもので……」
『OSの入れ替え? 何か不具合でもあったんですか? 以前会ったときは、全然人間と変わらなかったように見えたんですけど……?』
「ええ、でもテストなんかさせるとさっぱり点が取れなくて……それでたまたま新しいOSが出来たので、それに入れ替えたんですよ」
『はぁ、そうなんですか……。……私は素人だから良くは分からないですけど……こう言ったら失礼に聞こえるかも知れませんが……以前にみぃちゃんの方が、よっぽど人間らしかったような気がするんですよね……』
「いや、その通りだと思います。……本来なら、性格とかはOS入れ替えても余り変わらないはずだったんですが、どうも原因が今ひとつ分からなくて……」
『そうなんですか……早く元に戻るといいですね』
「ええ、全くその通りですよ……」
『あ、お仕事中邪魔しちゃって申し訳ありませんでした、ちょっとみぃちゃんの事が気になっただけなので。では、失礼いたします』
「わざわざありがとうございました。失礼いたします……」
はぁとため息をつきながら、武由は受話器を置いた。
実は、研究所のあちこちからも、似たような言葉は何度も聞かれるのだ。
みぃちゃんがヘンだ。貴様一体何をしでかしたんだ、と。
以前の宴会で、みぃに酒を飲ませたおっさん共は、武由がみぃを毒牙に掛けておかしくしたんだと固く信じているようで、時々殺気に満ちたオーラを彼に噴き付けてくる。あと、みぃに良からぬ視線を投げかけるマニアな連中からは、「ヲレのみぃちゃんを返せゴルァ!」等と、意味不明な雄叫びをぶつけられる事もある。
その度に「俺が何をしたって言うんだ」と頭に来るのだが、事情を分かってない連中に一から十まで説明しても「結局キサマが全てに渡って必ず悪い!!」とか言われるのがオチなので、彼は基本的にそういう連中の相手はしないことにしていた。おかげで、彼のあだ名は”頑固者のたけちん”から”萌え潰し”だの”みぃ殺し”だの、かなり悲惨なモノに変わってしまった。やるせなさ爆裂な武由であるが、彼はそれでもみぃの保護者を放り投げるようなことだけはしなかった。
彼はあくまで、みぃを元に戻して立派な兵器にするつもりなのだ。
- 【STP-103 観察日記・13】
- みぃは調子は全く変わらない。ずっと人間の言うことを条件反射で実行しているだけの人形だ。全く回復する素振りも見せない。原因も不明で、実際万策尽きた感がある。
最近、以に彼女にやらせたこと再びさせてみて、昔の記憶を思い出しみぃが元に戻らないかを試している。
先日は北海道支社の上城氏の所までお使いにやらせたのだが、記憶が元に戻るどころか着陸時に爆風を巻き上げ辺りの物を破壊し、あまつさえ上城氏まで爆風に巻き込んでしまった。
本人曰く飛行訓練であるので全速力で飛ぶ必要があるとのことだが、正直常識を疑う結果だ。というよりも、今の彼女には常識であるとか当たり前であるとか、そういった感情一切が欠落しているようだ。
彼女の態度に短気を起こした私は「ずっとそこに立っていろ」と言い放ったのだが、彼女はその言いつけを忠実に守り続け、土砂降りの雨の中ずっとその場に立ったままだった。身体が冷え切っていて、後もう少し気が付かなければ危険な状態になっていたであろう。
もはや根性があるだの命令に忠実だのといった以前の話で、自分の体が危険な状態にあるにも関わらず、人に何か言われなければ何も出来ない、救いようのない状態になっている。私がバカなことを言ったのが一番いけないのだが、実際の所適当な所で切り上げて、さっさと部屋に戻ってくれるくらいの知恵が欲しかった。
一応人間の言葉を理解する機能は残っているようだが、それも以前に比べだいぶ性能が落ちている。問いかけの半分くらいは「意味不明」とのこと。これでは、PCのAIエミュレータの方が話が通じるというものだ。
未だ原因も何も分からないが、いつしかみぃが元に戻ることを期待していようと思う。
第12話 [武由の想い]
結局みぃは、武由の様々な努力に応えることはなく、元に戻る気配はまったく見せなかった。ある意味昔と変わらずマイペースであるとも言えるのだが、単に何も考えていないだけなのだ。だから自分なりのペースなんて物も、実際には今の彼女に存在などしていない。
そして頻繁に武由に詰め寄られている鹿沼も、みぃがさっぱりな原因は分からないと言うだけだ。
ぼちぼち秋の気配が、時より吹く冷たい風に感じられる。研究所の窓から見える外の木々の緑も、少しずつその色をくすませてきている。この2ヶ月ばかり、季節は移ろいは着実に進んでいるが、みぃの成長は止まったままだ。もちろんそれに引っ張られる形で、プロジェクトの進捗はも極端に遅れている。
「せっかくの味覚の秋だって言うのにな……お前は飯を、ちっとも旨そうに食わないな」
食堂でみぃと武由が昼飯を食べている。
武由はボリューム優先の揚げ物ばかり皿にのっかったA定食を、みぃは食べるのに面倒がいらないカレーライスをそれぞれ自分の目の前に置いている。
実際日常生活にも支障が出るほど機能低下している彼女は、スプーン一本で食べられるものでないと受け付けないのだ。前にラーメンなど食べさせた日には、麺を半分以上こぼしてしまった。以前のみぃなら、汁一滴残さず綺麗さっぱり平らげていたというのに。
「質問の意味不明」
先ほどの彼の愚痴に対する返事がこれだ。
「はいはい、そーかよ」
ぎこちない動きで食物を摂取しているみぃに、武由は気のない返事をしている。
「武由博士、昼食を取り終わりました。指示を願います」
「口拭け」
「了解しました」
みぃは備え付けのお手ふきをとり、口をゴシゴシ擦っている。端から見れば痛そうなくらい強く擦っているようだ。
「清掃終了しました」
「はいはい……」
ため息混じりの相づち。近頃は、武由も彼女のビープ音を聞き飽きたらしく、いちいち腹を立てることもない。しかし彼が諦めてしまったのかというと、決してそんなことはなかった。毎日毎日みぃに過去させた事のある作業をさせ、彼女の記憶を刺激しているのだ。成果は、未だ全く出てはいないが。
「武由博士、指示を願います」
いつもの定期ビープ音だ。
武由はおもむろに彼女の両頬に手を添え、そしてそれをつまんでぐいっと広げた。
「……………。」
ほっぺをつねられ、面白い顔をしたみぃは、そんな彼の行動を非難することもなく、輝きのない瞳で彼をスキャンし続けている。
「ふむ、耐えるか」
むにむに
手を上下に動かし、もっと面白い顔をさせる武由。これが普通の女のコ相手なら、その場でブチ殺されても決して文句の言えない愚行である。
「はけひょしはかへ、ほほはいはいへふっ(武由博士、頬が痛いです)」
「なるほど、そう来るか」
彼はぱっと手を離す。すると、以前のみぃが言ってたピチピチお肌のおかげで、頬はぷるんともとの形に戻る。若干指の後が赤くなっているが、それはご愛敬だ。
「……一応自分の身の危険を感じる機能はあるんだよな。じゃあ、何であの日雨の中に突っ立ったままだったんだ?」
「武由博士の命令が発効中だったからです」
「まったく、融通の利かないヤツだな……」
「……………。」
「まぁいいや、戻るぞ、みぃ」
「了解しました」
彼等は武由の仕事部屋に戻っていった。
今日のみぃのお勉強メニューは空白だった。なので武由は彼女をその辺の椅子に座らせ、自分一人でなにやらぶ厚いマニュアルを読んでいた。
昔のみぃなら、こんな自由時間は研究所の上空をぶんぶん飛び回り、好き勝手に遊びほうけていただろう。そして挙げ句の果てにどっかの窓にでも激突でもして、彼が頭を下げに行ったことは数知れず。彼の部署が切る伝票は、一時期修理費ばかりだったこともあるくらいだ。それが、今のみぃは命令にない余計なことは一切しないので、時々やらかすちぐはぐなことを抜かせば、管理が楽と言えば楽だ。しかしながら、彼は心の底からみぃが好き放題遊んでくれることを望んでいた。
ずっと押し黙り、彼からの命令待ち状態のみぃの横で、武由は彼女に積んでいる疑似人格OSの取説を読んでいた。今まで数回、どうしても必要な部分はパラパラ目を通したことはあるが、はっきり言って積み上げたらメートルの単位に届くかのようなマニュアル何ぞ、彼はとにかく読む気がしなかったのだ。これを殆ど一人で書き上げた鹿沼には悪いと思っているのだが、人間出来ることと出来ないことはある。読み始めて30分も経った頃には、もううんざりといった趣だった。
「みぃ……お前一体どんなOSで動いてるんだよ……」
いくら読んでも、今の彼女の状態を説明している文には行き当たらない。それどころか、ヒントになるような記述も見つからない。一体どんな精神状態になったら、ここまでワケの分からん狂ったように長い文章が書けるんだと、いい加減イライラし始めた武由が一人愚痴を垂らしていると、
「現在、本システムは疑似人格OS、ブラックキャット バージョン1.31 リリース2 リサーチエディションにて運用中」
「うわっ!?」
いきなりみぃの口から突いて出た、OSのバージョン報告。初めは単に、いきなり声を出されてびっくりしていた武由ではあったが、彼はそこに何か大切なことを見つけたのだ。
「お前、自分のスペックとか言えるのか!?」
「OSにプリインストールされた情報を報告できます」
みぃは問われるままに答える。
「……もう少し詳しい情報は分かるのか?!」
「質問の意味不確定。現在、AIシステムの診断情報と生体部生命維持システムの診断情報を報告できます」
「AIの方でいい!」
「了解しました。AIシステムの診断情報を報告します。稼働OS名称 ブラックキャット リサーチエディション バージョン番号 1.31 リリース番号 2。現在モニタモードで起動中。主リニアメモリ8.3TB、うち2.8TB使用中。連想記憶野、リニアメモリ換算382TB、うち25%使用済み。コアカーネルデバイスドライバ、稼働率100%、異常ステータス無し。サブシステム・デバイスドライバ、正常稼働率62%。ノイマンタイプカーネル、機能停止中。データフロータイプカーネル、動作中。内蔵エアーイーサ電波強度……」
「ちょっとまて、もう一度OSについて言ってみてくれないか?」
彼は自然に、みぃの両腕をつかんでいた。ついでに、ごくりと喉も鳴らす。
「繰り返します。稼働OS名称 ブラックキャット リサーチエディション バージョン番号 1.31 リリース番号 2。現在モニタモードで起動中」
「モニタモードだぁ!? なんだそりゃ??」
彼はそう叫ぶと、あわててOS取説の該当箇所を漁る。
「なになに? システム再起動時にはモニタモードで起動する。本モードはAIアクセラレータならびに疑似人格ジェネレータをマウントしない状態である。よって生命維持およびレベル2アクションまでの行動が可能である。プリセットされた疑似人格の影響を受けず、システムのデバッグを行うモードとして設置している……?」
ここで言うレベル2アクションとは、管理者権限を持つ者(つまり武由)の指示のみに従い行動するだけで、自発的な行動等は、生命維持に関する以外全く無い状態を表している。ちなみに、筋力等の体機能には制限はない。
「AIモードへの遷移には、OSに対し初回命令時に入力した刺激と同じ物を与える。たとえば肩を揺すりながら起動させた場合には、同じ肩を揺すりながら、再起動を命令する……だと?」
武由はしばし考えた。みぃとの最初の出会い……あの時、まず始めに、彼女に対し自分は一体何をしたのかを。
「……マジかよ!?」
そう呟く武由は、緊張で身体が強ばっていた。手も小刻みに震えている。それもそうだろう、みぃがおかしくなってから、今までずっとずっと捜していた、彼女を取り戻す方法を見つけたのかも知れなからだ。
あの日……今から1年と2ヶ月前。とても暑い夏の日。仕事が終わった後に、酒瓶片手に、愚痴を垂れながら訪れた部屋の真ん中。金属のベッドに寝かされた彼女に、武由は………………。
彼は祝福を込めて、みぃにキスをしたのだ。
それを思い出した彼は、脂汗でびっしょりになった手を、みぃの頬に軽く添える。そして彼女の固く閉じられた唇に、ぎこちなく自分の唇を触れさせる。
まさにその光景は、初々しい恋人達の、純粋でいて不慣れなキッス。唇同士が軽く触れるだけの、とても優しげなものだった。
たまたま同じ部屋にいた他の職員達は皆口をぽかんと開けたまま、唇を重ねる二人に見入っていた。もはや武由には、周りの連中になど構ってられるほどの心の余裕はなかったのだ。
「まぁ、フフフ……」
たまたまその時部屋に入ってきた鹿沼は、そんな彼等の姿を見て、にこやかな笑みを浮かべながら自分の席に着く。
二人が唇を重ねてから十数秒経った後、彼はみぃから自分の唇を離した。そして、
「みぃ、起きろ!」
武由は、みぃの頬に手を添えたまま、ぼんやりと開かれた彼女の瞳をのぞき込む。
「…………ふにー」
みぃの口から訳の分からない声が漏れ出るが、そんなモノはお構いなしに、
「起きろ! みぃ!!」
ぼかっ
武由は、さっきの二人の甘ったるい雰囲気を完膚なまでにブチ崩すかの如く、みぃに思いっきりゲンコツを喰らわせた。職員達はそのあんまりな為さりように、目をまん丸に見開いている。
「ぐおー、いてー! 起き抜けに一発張られたーっ!!」
部屋に、みぃの元気な声が響いた。
彼女はぶたれた頭を押さえ、涙目に非難囂々な視線を彼に向ける。その瞳には、知性の輝きが戻っていた。
「みぃ……みい!!」
「うひゃあっ!?」
武由はみぃをがっと抱きしめる。彼女が元に戻ったのを、彼は本能的に感じ取ったのだろう。そしていきなりの事に訳の分からないみぃは、なすがままに抱きつかれていたのだが、
「みぃ……みぃ……!」
半分涙声で自分の名前を連呼し、頭を力一杯何度も何度も撫で回す武由に、彼女もまた彼の背中に手を回し、その震える背中を優しく撫でていた。
「博士、大丈夫だよ……みぃちゃん大丈夫だよ……」
みぃが、やっと戻ってきたのだった。
「鹿沼博士、なんで教えてくれなかったんですかぁ!!」
当然と言おうか当たり前と言おうか、みぃとの感動の対面を果たし一通り落ち着いた武由は、今までモニタモードの事など全く教えてくれなかった鹿沼に詰め寄っていた。
「フフ……武由君が本当にみぃちゃんの事を想っているなら、直ぐに見つけられると思っていたわ……ちゃんと見つけられたからいいじゃない……」
仕事場の机でのんびりコーヒーを啜っている鹿沼は、しかし年長者の余裕といった感じでニタニタ笑うだけで、目の前でいきり立つ彼にはマトモに取り合おうとしない。
「結果的には見つかりましたが……そのおかげで研究はだいぶ遅れてしまっていますよ!?」
「それは貴方の想いが足りなかったのかしらね……みぃちゃんは貴方のモルモットではなく、一人の女の子なんだから……貴方は責任持って、みぃちゃんをレディに育てなくてはいけないのよ?」
真顔に戻った鹿沼の厳しい視線が、武由の目を射抜く。そのあまりのプレッシャーに、彼は一瞬口ごもる。
「え……あの……レディ、ですか? ……みぃが??」
「そうよ。……なんで私がみぃちゃんのOSにブラックキャットって名前付けたか、分かる?」
「いえ……」
「黒猫と言えば、賢くて、すました顔して魔法使いのそばにいるじゃない? みぃちゃんには、そんな風になって貰いたいなってね。まぁこの場合、魔法使いはシステムガイアのことだけど」
ふっと彼から視線をそらし、早速外で遊んでいるみぃの様子を窓越しに見る鹿沼。みぃを見る彼女の視線は、とても柔らかだ。
「……まぁ、みぃちゃんがすました黒猫さんってのは、ちょっとイメージ違っちゃったけどね。ステキなレディには絶対になれるわ」
「みぃが、レディですか……どうなんでしょうかねぇ……?」
んーと首をかしげ、いまいち人ごとのような言葉を呟く武由に、
「それは貴方の努力次第よ、武由君。頑張りなさい」
再び厳しい視線が彼に向けられた。彼の答えに納得していない証拠だ。
「わ、わかりました! とにかく頑張ります!」
あわてた武由の返事に、鹿沼は及第点だが満足した。そして再びみぃに視線を向ける。その顔には笑みが戻っていた。
- 【STP-103 観察日記・14】
- みぃがやっと元に戻った!
結論から言うと、彼女のOSがおかしくなっていたわけでなく、AI自体が自律行動を制限するモードになっていただけだったのだ。
鹿沼博士も教えてくれればいいものを、私が自分でそのモードであることを見つけるまで放っておいたとのこと。非常に納得いかないものを感じるも、訓練と称して私がみぃを色々試している様に、私もまた鹿沼博士に試されていたようだ。極めて難解なテストだったと言えるだろう。
もしもずっと元に戻す方法を気が付かなければ、自分はどうなっていたのだろうか……。プロジェクトから外され、さっさと研究所から追い出されていただろう。答えを見つけられて良かったと、心底思う瞬間である。
AIが通常状態に戻ったみぃは、以前と何も変わるところはないように思える。基本的にあのとぼけた性格は相変わらず、いつもニタニタ笑っている。ただし、少し返答が速くなった様にも思える。新しいOSのおかげで、脳みその回転が速くなっているようだ。また記憶も予定通り引き継がれているようで、自分自身全然新しくなった様な感覚はないとのこと。OSの入れ替え前に書いた手紙を渡したが、「新しいみぃちゃんになれてない〜」とか言いつつ頭を抱えていた。
現時点では異常な言動や行動等は一切見られず、経過は非常に順調である。遅れてしまった訓練をこなし、当初の予定に追いつけるよう頑張っていきたい。
なお、この度のOS入れ替えに伴い、みぃのプロダクトコードがSTP-103からSTP-01-03βとなった。βが付いているものの、制式の付番である。これでみぃも正式にエンジェルとなったわけだ。このまま順調に成長し、βを取れるようみぃと共に努力していきたい。
(STP-01-03βは長いので、今後は簡略化のためSTP-03βと呼ぶことになった。ただしあくまで正式なコードはSTP-01-03βである)
第13話 [みぃと柔道]
「ねぇ博士、あのおっちゃん何やってるの?」
近くの公園でフラフラしてきた帰り道。共に歩く武由に、いつものみぃの教えて攻撃が始まった。頭の中身を取り替えても、行動は以前と全然変わっていない。
今は、色とりどりの落ち葉が舞う頃である。様々な種類の木が植えられている公園で、落ち葉拾いをして遊んで来た帰りのことだ。
「ああ、あの人はこのビルのガードマンだよ。最近色々嫌がらせとか多いからな、お前がぼけーっとしてる間に賊とか入り込んでこないように、あそこで見張っていてくれているんだよ」
研究所の玄関横には、いい体格をしたガードマンが棒を構えて立っていた。玄関への道に繋がる研究所の正門から不審者が入り込まないよう、するどい眼光で正門回りを警戒している。
武由の説明の通り、最近研究所に対する物理的な嫌がらせが増えてきているのだ。
研究所が開発を進めているシステムガイアの為に、不利益を被る人間は結構多い。特にシステムガイアは森林への出入りを、実質的に不可能にしてしまう計画でもある。このため、研究所の実働部隊が森林の外周を囲うように、トラップ付き防護柵や警備ロボを設置しているのだが、そこで彼等はシステムガイアに反発する勢力に、様々な妨害を受けるようになっていた。一部では、武力衝突までもが起きているのだ。
研究所本体に対する嫌がらせはそこまではないものの、酷いときには迫撃砲を撃ち込まれたりすることもある。不法侵入は日常茶飯事だ。だから彼等ガードマンは、そんな連中を取り締まるために、研究所の敷地あちこちで警備を行っているのだ。
「うおー、強いの??」
みぃは瞳をキラキラさせながら、玄関前を守るガードマンに見入っている。
「強いだろ、柔道とかでいつも鍛えてるって話だぞ」
「うおー、柔道……」
「ほら、行くぞ……」
いつまでも立ち止まったままのみぃの袖を引っ張り、武由は彼女を研究所の中に引きずっていった。
幾日かして。
外で行っていた訓練から帰ってきた武由とみぃが、研究所の玄関をくぐろうとしたときのことである。
「うおりああああ、勝負だー!!」
一体何をどうトチ狂ったのか、みぃはいきなりガードマンの前で仁王立ちし、元気よく両手を振り上げた。
「受けて立とう!!」
ガードマンもその場で構え、それに応ずる。
一瞬そんなノリのいいガードマンの態度にぽかんとしていた武由であったが、
「な、何やっとんじゃお前はっ!!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
たぶん確実にみぃが何かやらかしているのだけは理解できたので、取り急ぎゲンコツを喰らわせた。
「どうもすいません、こいつなんか頭の調子が悪いみたいで!」
彼はあわてて謝り、みぃの頭をぐいぐい押し込み無理矢理頭を下げさせる。喰らった頭を押さえるみぃは、なにやらとっても不満そうだ。
「いやいや、時々お見かけしますが……このお嬢ちゃんがシステムガーディアンの……?」
彼等の元に歩いてきたガードマンの本郷は、ニコニコしながら武由に話しかけてきた。
「あ、はい、そうです。けどまだ何の役にも立たないヤツですが……」
そう紹介された当のお嬢ちゃんは、あからさまに不満顔だ。
「うおー! みぃちゃんとってもお役に立ちまくりのイケイケじょしこーせいのおねーちゃんなんだぞ〜!」
彼の手を逃れたみぃは、いつも通りに無い胸を張り、根拠も実績も無いのに何やらとっても偉そうである。
「微妙な言い方するな! すいません、お仕事の邪魔してしまって……ほら、ちゃんと謝れこのバカタレ!」
武由は再びみぃの後頭部をぐいぐい押し込み、頭を下げさせる。
「うおー、はなせ〜〜!!」
彼の手がとっても気に入らないみぃは、両手をジタバタさせながら一生懸命逆らっている。
「はっはっは! いつでもお相手してさしあげますよ!」
そんな様子を笑っている本郷に、
「うおー! いまにみてろよ〜〜っ!!」
なにやら急に対抗意識を燃やすみぃである。屈辱的に頭を押さえつけられながらも、人差し指に向かってびしっと突きつけている。それは屈強のガードマンに向かって挑戦状を叩き付けたようなものだ。無謀にも程がある。
「いいから黙っとけ!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「まぁまぁ、そんなに叩いたら可哀想じゃありませんか」
「いや、ホントにどうもすいません……」
武由はみぃの後頭部を押し込む力をさらに込め、みぃはみぃで両手を余計ジタバタさせて、必死の抵抗を見せていた。
「全く、お前一体いきなり何やってんだよ……?」
ガードマンと別れ、研究所の館内を並んで歩くみぃに、武由がそうは問うたのだが、
「うおー、ヤツとはいつか決着を付けなければならない運命なのだ〜!」
みぃは自信と確信を持ってそう答えた。彼女の目がマジなだけに、武由の心配もマジなレベルまで引き上げられてゆく。
「ワケわかんねぇよ……お前、脳みそ大丈夫か?」
「うお? みぃちゃんイケイケー」
「あー、やっぱダメかも……もう一度OS入れ直して貰おうかなぁ………」
「ぶー!」
なにやらみぃがブツブツ文句を垂れていたが、武由の盛大なため息に、その声もかき消されていった。
そして翌日である。
今日はみぃの訓練は予定されておらず、今日一日ずっと自由時間となっていた。なので彼女は晴れ渡った秋空の元、ハエよろしくぶんぶん空を飛び回って遊んでいた。一方武由は、ここぞとばかりに溜まった事務仕事をオフィスの中で消化していた。
「ふぅ、まぁこんなもんか?」
数時間ぶっ通しでやっていた仕事に一段落付け、彼は給湯室に行きコーヒーを入れてきた。机に座り、カップの中に砂糖とミルクをぶち込む武由。彼はブラックは飲めない派である。
そしてクリームが渦を巻くコーヒーをずるずる啜り、だらしない生あくびを垂れ流していたのだが、
「あらあら、みぃちゃんが………フフフ」
鹿沼が窓の外を見ながら、なにやらくすくす笑っている。
「どうしたんですか?」
武由もつられて、何となしに外を見たのだが……
『うりゃ〜〜〜』
『どっせいっ!』
なんと、みぃとガードマンが天下の往来で柔道をしているのだ。
しかも事もあろうに、玄関の真ん前でだ。通りかかった通行人が、みんなしてそれを見て笑っている……
「ぶー!!」
「あらあら、汚いわねぇ……」
瞬間的にコーヒーを噴き出した武由に、鹿沼は辛らつな一言を添える。
「ちょりゃ〜〜〜!」
「せいっ!」
気合い気迫は共には十分。しかし全然構えのなってないみぃが、ガードマンに向けて突っ込んでいく。どうやら大技狙いのようだ。いきなり体当たりをかまして意表をつく。そしてガードマンの服をつかんだまでは良かったのだが、迂闊にも、彼の懐に飛び込もうとしたものだから、
「せいやぁ!」
みぃは襟と袖をがっちり掴まれ、後ろ向きに倒れ込んだ彼に腹をぽんと蹴られる。
「ぶへぇっ!?」
下半身を地面から浮かされた彼女は、走ってきた勢いのまま前方に向かって吹っ飛ばされてしまった。ガードマンに巴投げを掛けられたのだ。
「ひょぉ〜〜」
しかしあり得ないことに、みぃは自分の羽を使い空中で一回転、そのまま地面に降り立った。ふわりとスカートがめくれあがり、いつも通りパンツが丸見えだ。野郎共の観客が一層喜ぶ。そして彼女はくるりと回れ右し、
「どんとこいやああ!」
「まだまだぁぁぁ!」
二人は再び対峙し、お互いの出方を伺っていた。
そして、そんな彼等の微妙な攻防に、惚けた顔の武由は一言、
「うわー、卑怯くせー……」
しかし次の瞬間、彼は我に返った。
「な、な、何やってんだ、あのバカタレは!!!」
彼はあわててオフィスを飛び出していき、そのまま玄関に到着。走ってきたその勢いを殺さず、いまだ構えたままのみぃの頭に照準を合わせ、その拳を一気に振り下ろした。
ぼかっ
「うおー! いてーっ!!」
いつもより「いてー」の声が大きいところを見ると、今の一撃は結構痛かったようだ。頭を抱えてしゃがみ込むみぃに、
「お前こんな所で何やってんだーっ!!! ガードマンだって遊びでここにいるわけじゃないんだぞこのばかったれ!!」
裂帛の気合いの元、武由の雷がみぃに直撃した。
「うおー、うるせー」
「なにをゥっ!?」
「いやいや、武由さん、そう怒らんで下さい! 私も十分楽しんでるんですから! はっはっは!」
ガードマンの本郷が、またもや笑いながら歩いてきた。
「いや、ほんとにご迷惑かけしまして! ほら、謝れ!!」
彼はみぃの耳たぶを引っ張って立たせると、またもや後頭部をグリグリ押し込んで頭を下げさせる。
「うおー! 男同士の戦いに口出しするなああ!」
一方みぃも両手をジタバタさせ、終いには武由の腕をつかんできゅっとつねる。
「誰が男だ、この自称女子高生が! それと腕をつねるな!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「まぁまぁ、そう怒らんで下さい、みぃちゃん良いセンスしてますよ! どうですか、警備部の柔道部に入部しませんか?」
本郷は手をパタパタしながら、武由をなだめている。
「看板は貰ったー!!」
つかさず再び挑戦状を叩き付けているみぃに、
「だからお前は黙ってろー!!」
ぼこっ
本日3回目のゲンコツが飛ぶ。
「うおー、いてー! じょしこーせーのおねーちゃんは売られたケンカは買うんじゃああ!」
「ワケわからんこと言ってんじゃない!
……あの、せっかくのお誘いですが……ご迷惑でしょう? こんなワケわかんないのがお邪魔しては……」
彼は再びみぃの頭を押し込み、会話に割り込んでこないように牽制し続けている。ちなみに押さえる指で頭のツボをグリグリ押してるので、結構痛いはずだ。
「いやいや、迷惑だなんてまったくありませんよ! せっかく興味持ってくれる者をスカウトできない方が余計辛いですわ!」
本郷は嬉しそうにそう言っているのだが、
「うおー!! ここで引き下がればじょしこーせーの名が廃る〜〜!」
彼の言葉の何をどう解釈しているのかさっぱり謎なみぃは、頭を押さえる武由の手を、気合いと根性で打ち負かした。ちなみに真っ赤な顔でゼィゼィ息を切らし、ついでに言うと鼻水垂れて涙目だ。
「つーか……一体何が、ここまでお前を駆り立てるんだ??」
さすがの武由も、彼女の外見をかなぐり捨てた根性にあきれ果てている。
「うおー! みぃちゃんのゴーストがそう囁くんだー!!」
「はっはっは! だったら入部は決定ですな!」
「はぁ……もうワケわかんねぇよ……」
元気な柔道好き二人を目の前にして、腕の疲れた武由は一人うなだれる。彼等のノリには、到底ついて行けそうにもない。
結局みぃは、警備部の柔道部に入部してしまった。武由は一応鹿沼に相談したのだが、彼女の答えは好きにさせればいいとのこと。
ちなみに武由の心配とは裏腹に、練習はクソまじめにやってるらしい。週二日の練習日には、喜んで柔道着片手に部屋を飛び出してゆく。柔道部も、とても喜んでいるとのことだ。
数ヶ月後。
「本郷さん、みぃはご迷惑掛けてませんか?」
たまたま玄関先で本郷に出会った武由が、みぃの練習時の様子を聞いてみると、
「いやいや! 迷惑どころか一生懸命やって貰って感謝してますよ! 何せ部署柄野郎ばかりでヤサグレる一方でしたが、華があって良いものです! それにここだけの話ですが、寝技を嫌がらん娘さんは良いですなあ! わっはっは!!」
「え、えぇ、まぁ、あははははは………」
微妙に引きつった笑みでそう返す武由ではあったが、
『つーか、あんなのに色気を求めるなんて、悲しすぎるぞ警備部!!』
彼の頭の中では、そんなツッコミが百万回ほど繰り返されていた……。
- 【STP-103 観察日記・15】
- みぃが警備部の柔道部に入部してしまった。理由はゴーストが囁くとのこと。実に意味不明だ。
何かしらお稽古ごとをやるのは人格の発達上好ましく思われ、かつ自発的に言い出したのだから、反対する理由は何も無いのだが……
柔道をやると言い出した、彼女の理由だけが如何せん謎である。一旦モニタモードで再起動して、デバッグでも掛けた方が良いのではないだろうか? ゴーストが囁いたとか何とか言っているが、実際には言語認識サービスにノイズでも走っていて、妙な幻聴でも聞こえているのかも知れない。
ただし練習自体はまじめに通っているし、柔道部に問い合わせたところによると、練習態度はいいそうだ。飲み込みは早いし、ここぞという時の思い切りと気迫には、光るモノがあるとのこと。元が兵器なだけに、闘争本能とでも言うのか、戦いというものに関しては普通の女の子とは違う感覚を持っているのだろう。そう考えると、そのような攻撃的な力を持った感情を、柔道にぶつけることによって適度に発散させることが出来るのは、良いことなのではないかと思う。ただし、あまりストレスを溜めているようには感じられないのだが。また、どうせやるなら段が取れるまで頑張って貰いたいと思う。ガーディアンとしても、彼女の柔道の経験がきっと役に立つだろう。自分も可能な限りサポートをしていきたいと思う。
しかし、私を練習台代わりにして一本背負いを掛けるのは、正直勘弁して欲しい。いくら飲み込みが早いと言っても、ヘタクソに投げられるのはちょっと辛い…。せめてもう少し上手くなってくれればいいのだが……
第14話 [酒飲みみぃ]
寒さもだいぶ強くなり、色づいた木々の葉が木枯らしに舞う頃。街はクリスマスに向け装飾が施され、所々のビルの玄関では門松が準備されている。
いつもは質素で飾り気のない研究所ではあるが、この季節になると玄関脇に生えている松の木にクリスマス用の電飾が為され、職員達に激しく失笑を買って頂くという、極めて微妙な風習があったりする。
特に今年は脚立の要らない便利なヤツが一人居るということで、武由達の部署に電飾設置の鬱な仕事が回ってきたのが昨日のこと。そして、部材がこ汚い段ボールに押し込まれて搬入されてきたのが今日だった。ブゥブゥ愚痴を垂れまくるみぃと、それを咎める事無く一緒に愚痴をハモる武由が、朝っぱらからおざなりに飾り付けを行っていた。
「ねー博士ー、みぃちゃんの推理が正しければ、松の木はクリスマスの木じゃないと思うよー?」
「それは言うな名探偵……。世の中には、正論では割り切れない仕事がいくつかあるんだ。これはそのうちの一つだ……」
「うおー、やるせないねー」
「ああ、やるせないよなぁ……」
みぃはふよふよ宙に浮きながら、電飾を松の木に絡めてゆく。
ふと、みぃは自分の背中に羽が生えている理由が、まさかこれをやるためなんじゃないかと、彼女にしては珍しくネガティブな考えが頭の隅にわだかまった。実に気乗りのしない仕事だ。
「ねー博士ぇ、みぃちゃんって何のために空飛ぶの?」
みぃは箱からくたびれたサンタの張りぼてを取り出し、枝の隙間に突っ込んでいる。
「んー、天使は昔から空を飛ぶモンだろ?」
一方、武由は抜け毛の激しいキラキラのモールを引っ張り出し、その辺の枝に投げつける。
「天使ってさー、何で空飛ぶの?」
星の張りぼてを取り出し、めんどくさいので枝の上にぽいと乗せるみぃ。
「知らん。人間との差別化じゃないのか? お前の脳みそに入ってる百科事典にはなんか面白い事書いてないのか?」
武由はなんだか良く分からない飾りを箱から引っ張り出す。どうやら元は銀紙で出来た綺麗な飾りだったようだが、ぶっ壊れて形が崩れているのだ。
「んー、天使は元々羽生えてなかったんだってー。権威付けのために、後から付け足したとか書いてる。そう言えば、みぃちゃんの羽も後付だったねー」
みぃはモールを箱から引っ張り出したが、他のものと絡まって被害は甚大だ。
「おー、いいオチが付いてるじゃねーか」
武由はその形が崩れた飾りも、その辺の枝にくくりつける。もはやどうでもイイといった趣である。
「オチなんかついても、やるせないねー」
みぃは箱に横にしゃがみ込んで、絡まったモールをほどいている。
「やるせねーな。……だいたい、こんな電飾飾っても、うちクリスマスに関係する行事やんないじゃん。……年末の狂気の宴会が、クリスマスパーティーってワケでもないだろうし……」
武由は箱からモールを取り出したが、みぃのいじくっている絡まったのに繋がっていたので、その辺に放り投げる。
「えー、博士、彼女とえっちなコトするんじゃないのー?」
懸命にモールを解こうとするが、余計に絡まっていくようだ。みぃのこめかみに青筋が浮かぶ。
「貴様は二つの事柄について間違っている。ひとつは、クリスマスはヤル為の日じゃない。もう一つは皆まで言わせるな……」
「うおー、博士ソロだもんねー」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「微妙な言い方するな!! だいたい、どっからそんなつまらん知識入れてくるんだよ……そもそもクリスマスはキリストの誕生を祝う日のはずだぞ? それが何で女といちゃつく日になったんだよ……ブツブツ」
武由は箱から雪に見立てた綿を取り出し、枝に適当になすりつけていく。
「たけちんシャイだねー。ちなみにキリストは12月25日に生まれたんじゃないって言う人もいるよねー」
やっと解けたモールを、おざなりに枝に投げつけるみぃ。なにやらまた絡まってしまっているようだが、もうそのままほったらかしである。
「まぁ昔のことだからなぁ……つーか、そのシャイって何だよ?」
みぃは通常ならばツリーのてっぺんに飾るであろうでっかい星(ベツレヘムの星)を取り出したが、ウネウネのたくるように生えている松の木にはそれを飾る場所もなく、面倒なのでその辺の枝に突き刺した。
「聖夜は、彼女と綺麗なホテルに泊まってやりまくりの日なんだぞ〜〜」
袋の詰まっていた綿が無くなったので、武由は空になった袋を段ボールに押し込んでいる。
「あのなー……女のコがやりまくりとか言うなよみっともない……」
みぃは地面に降り立ち、気だるそうに大あくびだ。
「うおー、博士女のコの幻想持ってるタイプだねー?」
しかし武由は、みぃの挑発に乗ることもなく、
「そうだよ」
……と、こともなげに肯定してしまった。そんな思ってもみない言葉に、逆にみぃが動揺しまくる。
「う、うおー……えーと、えーと、一般論だと男性の求める女性像と現実って違うって言うか、理想を追いすぎると現実との乖離が婚期を逃すって言うか、理想をを突き詰めると妄想にハマるって言うか……」
なにやら難しげな事を言い出すみぃは、半ばパニック状態だ。顔を真っ赤にしてしどろもどろに喋り続けている。
「理想と現実が違う? そんなことはないぞ?」
そんな焦りまくりなみぃと違い、武由は至って平然としている。
「うお? そうなの?」
「ああ。俺の理想は、お前だからな」
そう言って、武由はみぃの肩をぽんと叩いた。
「………うおーっっ!?!?!?」
ボンっと、さっきから赤かったみぃの顔が火を噴いた。余計に真っ赤っかだ。
「えええええええーと、みぃちゃんって博士の理想? えーとえーと、それってマニアックでロリコンで女子高生好きでブルマーで……!!」
なにやら不穏な言葉を吐き続けるみぃに、しかし武由はくすくす笑い出した。
「わっはっはっは!! なんてな! 冗談冗談!」
みぃはぽかんと口を開けたまま、腹を押さえて笑い続ける武由を見ていた。
やがて、
「う、うお? 冗談? ……うお〜〜〜 冗談かぁ、びっくりしたなぁ……」
力が抜けた感じで、へなへなと座り込むみぃ。
「えーと、一瞬博士にコクられたかと思ったよー。びっくりしたー……」
みぃもまた、くすくす笑い出す。笑い過ぎたのか、目から涙が一滴こぼれた。
「さて、とりあえず終わったな。戻るか、みぃ」
「うおー、こう見るとなかなか立派なツリーだねー」
そう二人並んで見上げる松の木は、もちろん例年通りの手抜きな飾り付けがまんまである。決して立派なツリーとは言わない。それと、てっぺんに付けるはずのデカい星が、普通の人なら簡単に手が届きそうな低い枝の先っぽに突き刺してあるのも、結構例年通りであった。
「……やっぱ、ダメだろ、これは」
「うおー……やるせないねー……」
そんな、存在意義が危ぶまれつつも滅びることのない松の木ツリーに、気だるげな電飾がピコピコ点滅するこの季節、暇なときは外で歩き回ったり飛び回ったり、ガラスに突っ込んで武由にゲンコツを喰らっているみぃも、寒さのためか研究所の館内に居ることが多くなっていた。
松の木ツリーの目新しさもなくなった本日のみぃのお勉強メニューは、一日掛けてマッハ30まで加速する飛行訓練だった。しかし午前中、木枯らしで電飾の吹っ飛んだツリーの補修という、極めて高度なミッションが入ってしまったため、訓練は急遽取りやめになってしまった。結局、午後は自由時間になっていた。
武由は訓練が入っていないときの日課で、机に積まれた事務仕事を片づけるためにオフィスに籠もっていた。普段なんだかんだ言いつつみぃと一緒に遊んでいる(?)ため、彼の机には慢性的に書類が積もっているのだ。
仕事が一区切りついた彼は、茶請けのまんじゅうを食べながらお気に入りのコーヒーを啜っていた。その時、彼のオフィスに鹿沼が戻ってきたのだが、なにやらニヤニヤ笑っている。そして彼女は自分の席には行かずに、彼に近づいてきたのだ。
何となく、嫌な予感がする武由。鹿沼が笑っているときには、ロクなことに遭遇した思い出がない。
「……武由君、みぃちゃんが給湯室の前の廊下で一升瓶抱えて寝こけてたわよ?」
「ぶー!!」
またもや勢いよくコーヒーを噴き出す武由。
「あらあら、汚いわねぇ……」
鹿沼に辛辣な一言を浴びせかけられた彼はあわてて席を立ち、その凄惨な現場に向かい走り出す。
そして鹿沼の言の通り、現場は給湯室の真ん前だった。
「うお〜〜イケイケだぜ〜〜〜っとくらぁ」
意味不明な寝言を垂れ流しながら、廊下に座り込んでこくこく船を漕いでいるみぃ。大切そうに、一升瓶を抱えている。
引きつった武由のこめかみに、幾本もの青筋がぶわっと浮かんだ。
「起きれこのバカったれー!!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
喰らった頭をさするみぃの耳たぶをつかみ、それをぐいっと上に引っ張る武由。
「うおー! いててててて〜〜〜!!! 放せ放せ〜〜!」
「やかましい!!」
結構痛そうな悲鳴を上げるみぃだが、悲惨なことにそのまま耳たぶを引っ張られ、武由のオフィスに収容されてしまった。
「うおー! みぃちゃんのお酒ー!!」
廊下に置き去りになった一升瓶に、みぃが涙を浮かべて別れを告げた。
「お前一体あんな所でなにやってるんだー!!」
オフィスの角に設置されているミーティングルームにみぃを連れ込み、早速のお説教が始まった。
彼の怒声は外にだだ漏れだったりするが、年中行事なので他の職員は小鳥のさえずり程度にしか感じていない。
「うお〜〜、酒が俺を呼んでたんだあー」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
どうやらみぃは、まだ酔っぱらっているのだと決定した彼は、彼女の左右のほっぺをぐにっとつまみ、それを縦横無尽にこねくり回す。
「ふぃぎー!! ひふぇー!!!」
「どこに真っ昼間から酒喰らって廊下でグダ巻いてる女子高生がいるんだよ!! お前自分のこと女子高生なんて言ってるなら、もう少し女子高生らしくしろっっ!!」
彼女の頬をつまんだまま、それを左右に思いっきり引っ張る武由。最後の最後にとちびきり痛い。
彼女は真っ赤になった頬をさすりながら、
「うおー、そういえば生まれてこのかた女子高生なんて見たこと無かったー」
等と、衝撃的事実を告白する。
「この期に及んで何とんでもないこと言ってるんだよこのバカタレ!! だいたいお前、ちっとは反省してるんか!?」
「うおー、チャンポンはもうよすー」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「お前なんで人が怒ってるか全然分かってないだろ!! 誰が酒の飲み方聞いてんだ!? それにお前、誰が酒飲んでいいって言ったよ? 未成年だろ、昔から何度も考えろって言ってるのが何でわかんないんだ!!」
そんな彼の剣幕に、いつの間にかミーティングルームに来ていた鹿沼が、苦笑いしながら彼をいなす。
「武由君、そんなまくし立てるように怒っても、みぃちゃんの為にはならないわよ?」
だが、勢いの治まらない武由は声のトーンを下げずに鹿沼にくってかかる。
「しかし! こいつ何度言っても分かって無いじゃないですか!!」
鹿沼はやれやれといった感じで小さなため息をつく。
「それは、貴方の努力が足りないからよ。武由君」
彼はむっとしながらも、言い返す言葉がなかった。
しかし……
「うおー、責任とってぇ〜〜」
すっとぼけた声で、みぃが絶妙なタイミングを持ってそんなことを言うものだから、
「やかましい!」
ぼこっ
本日もう何度目か、またみぃの頭にゲンコツが炸裂した。
「うおー、いてー!」
「武由君! そう女のコを何度も叩いてはダメ! この間言ったじゃない、みぃちゃんがレディーになるかどうかは、全て貴方次第だって。
それにみぃちゃん、貴方だって、何をしたら武由君が喜んで、何をしたら怒るか、ちゃんと分かるでしょ?」
「うおー……」
珍しく鹿沼に叱られ、みぃは言い返すこともなくうつむいた。
「貴方を叩く武由君も悪いけど、叩かれるようなことをする貴方も悪いんだから、ちゃんと反省するのよ? そうしないと、貴方のOS止めちゃうからね?」
そう諭す鹿沼の微笑みが、みぃは少しだけ怖かった。
「う、うおー……気を付ける〜…」
ちょっと後ずさりながらそう返事するみぃに、武由は少しだけ同情を禁じ得なかった。
- 【STP-103 観察日記・16】
- 今日はみぃが廊下で酔っぱらっていた。どうやらすっかり酒の味を覚えてしまったらしく、飲むなと言っても一向に聞かない。
ここだけの話、寝る前に少しくらい啜っていても何もいいやしないが、昼間から堂々と酩酊してくれてる自称女子高生はいかがなものかと思う。
厳しく叱るも、どの程度堪えているかは全く不明。アルコールの代謝を強力にしてあるので酔いもすぐに冷めるが、だからといって許さるものではないだろう。
実はしかり方が悪いと鹿沼博士に注意を受けた。確かに最近怒り過ぎな気もする。今後はもう少し諭すようなやり方に変えていかなければダメだ。言って分からないヤツではないはずだ。
ちなみに、鹿沼博士はみぃをレディにしろとか言っている。如何せんレディの意味がいまいち良く分からないのだが、その言わんとすることは納得いく。みぃの開発は、拠点防衛兵器としての性能ばかりではなく、人間に最も近いAIを作るという目標もあるのだ。その点では、非常にうまくいっているのではないかと思う。世の中、酒好きのAIにはなかなかお目にかかれないだろう。
さすがに酒好きでは少々みっともないものもあるが、このまま彼女にはいい成長をして貰いたい。私自身怒り方を考えると共に、みぃがレディになれるよう彼女と共に努力していきたい。
第15話 [みぃとバレンタイン]
冬本番の二月。今年は例年に無く雪が多い年だった。
関東地方にもここは北国かと思わせるほど雪が降り、あちこちで交通麻痺が起こっている。あるいは、本当の雪国ではないが故の風物詩なのかも知れない。
武由達の研究所もご多分に漏れず、建物も庭も真っ白な雪化粧だ。ちなみに彼等がよく遊んでいる中庭は、純白の平原が永遠に続いてるような様相を呈している。もし空が曇っていたならば、前後左右全ての視界が白くなり、もはや自分の立っている位置を確認する術はなくなるだろう。
今日は数日降り続いていた雪もやみ、青空の広がる暖かい日だった。外遊びが好きなくせにワリと寒がりなみぃは、連日こたつに籠もりブツブツ愚痴を垂れていたのだが、この日は久しぶりに外に出て、早速雪で遊んでいた。
「博士ー、雪合戦やろ〜」
「……却下」
そんな元気いっぱいのみぃに、コートでまん丸になった真性寒がりの武由が付き合っている。本当は事務所でやっつけ仕事がしたかったらしいのだが、みぃに無理矢理引っ張り出されたのだ。
「うおー、博士もしかしてみぃちゃんに、一人雪合戦をしろと?」
「良く分かってるじゃないか、その通りだ」
そんなつれない武由に、みぃはぷぅと頬を膨らます。
「むー、いけてねー」
みぃはその場にしゃがみ込んで直径10センチくらいの雪玉を作り、立ち上がり際に武由に投げつけた。
「とう!」
「んがっ!?」
ぼふっ
顔のど真ん中に命中した雪玉が、武由の顔に雪化粧を施した。
「うぺっぺっ……みぃ〜〜! なんてことしやがる!!」
せっかくの雪化粧が蒸発するくらいに顔を真っ赤にした武由が唸るも、
「ひーひっひっひ!」
なにやら妙な笑い声を上げるみぃだが、既に第2波攻撃を完了していた。
ぼふっ!
「ぐへあっ……この野郎〜〜!!!」
「うおー、みぃちゃん女のコだぞー! 野郎じゃないもん! うりゃ!」
ぼふっ!!
「ぐああああ!!!! もう貴様絶対ゆるさーん!!」
至近距離で3発雪玉を喰らった武由が、ついにプッツンキレた。腹の底から咆哮を上げ、みぃに向ける視線はもはやターゲットを確定した肉食獣の類だ。
彼は足下からがばっと雪を掬うと、それをコテコテ丸めてみぃに向かってぶん投げる。
「へへーん、甘い甘い!」
しかしみぃは持ち前の機動力を活かし、彼の弾を余裕たっぷりさっさとかわす。そして次の瞬間には、武由の顔から5センチの所に、みぃの放った雪玉が迫っていたのだ。
ぼふっ!
「こんちくしょう!!」
頭から雪をかぶった武由が再び雪玉を作り、みぃにガンガン投げつけている。しかしそれは一発も当たることなく、蝶のようにヒラヒラ宙を舞うみぃに避けられてしまうのだ。そもそも、運動不足の引きこもり研究員の投げる雪玉なぞ、最新鋭の拠点防衛兵器に当たるわけがない。
「うがー!!! 何で当たらないんだー!!!」
終いには雪を投げつけるどころか、彼女を追いかけ回していた武由だったが、そのうち息が切れて雪の上に倒れ込む。
「ぐはっ! はぁ、はぁ、はぁ……」
ぼふっ!
ぼふぼふっ!
ぼふっ!!
そんな彼の頭には、遠くから雪玉がポコポコ当てられている、容赦も何もあったモンではない。その為さり様はまさに鬼だ。
「うわああああ!!!」
再び雄叫びを上げ、がばっと起きあがる武由。その顔面に
ぼふっ!
案の定、ど真ん中に雪玉が当てられる。
「この野郎、少しは手加減しろ!!」
人差し指をびしっとみぃに向け、そう勢いよく喚く武由ではあったが、
「フン……ダサダサね……」
みぃはみぃで腰に手を当て、斜め下に彼を見下している。彼に向けるその視線はまるで「私の足でもお舐め、この醜い白ブタめ!」とでも言っているような物だった。程度の差は人それぞれだと思うが、あくまで彼の直感はそれだった。みぃはなかなかの演技派である。
そしてそのあまりにあんまりな彼女の態度に、プライドと自尊心をものの見事にぶっ壊された武由は、当たり前だがごく自然に怒り狂った。
「ずあああああっ!!」
もはや意味の分からない気合いの元、まるで除雪車の如く自分の足下の雪を掻き上げ、みぃにぶっかけ始める武由。ちゃんと雪を固めないものだから、飛ぶ雪も飛びはしない。
「フッ……貴方の実力は所詮そんなものなのよ……がっかりだわ」
一体どこのスポ根アニメで覚えてきたのだろうか、皆から『お姉様』と慕われていそうなキャラを演じるみぃに、前後と自分を見失った武由が雪玉をバカバカぶん投げてくる。
「甘い甘い、甘すぎるわっ!!」
わざわざ彼の弾をギリギリの所でかわし、あまつさえ彼の顔に向けて百発百中の精度で打ち込んでくるみぃ。精密射撃も対応可能な拠点防衛兵器の名は本物だ。
「こんちくしょーーーー!!!!」
おかげで武由の怒りは臨界点を突破した。その怒りで真っ赤になった顔は、涙と鼻水でボロボロだ。そこに容赦も情けも愛情も感じさせない文字通り冷たい雪玉が、ポコポコ連続してぶつけられていく。こう言うのを、一般的にはなぶり殺しとかいうのだ。
「ハッハッハ! 惨めね、たけちん!」
大女優みぃはもはや悪の女王だ。勝ち誇った顔で、彼の目の前に仁王立ちする。
「まだまだァ!!」
しかし不屈の男武由はそこで朽ち果てることなく、隠し持っていた雪玉をみぃに投げつけた! リーチは数メートルだ、いくら最高速度マッハ30をも凌ぐ拠点防衛兵器だとしても、至近距離から放たれた雪玉を避けられはしないだろう。
初めて、武由の顔に確信の笑みが浮かんだ。
「フッ……」
しかしみぃは羽に頼ることなく、体裁きで雪玉を避けきった。己の瞬発力も活かし切っている。
「何ぃっ!?」
彼の笑みが驚愕に代わり、そして次の瞬間、
ぼこっ
ちょっと固めに握った雪玉が、お返しとばかりに投げつけられた。
「ぐおおおおおおっ!!!」
痛さと悔しさの余り、雪の中を転げ回る武由。30前のいい大人がする態度とは到底思えない。
「なぁに、その程度? フッ、笑わせるわ……」
くつくつと、陰湿な笑みを浮かべるみぃ。その堂の入った悪者ぶりに、もはやそれは演技などではなく彼女に隠されていたもう一つの人格なのではないかと、少なからず彼は心配になる。
だが、今はそんな些細なことを心配する時ではないのだ。目の前に立ちはだかるこの女悪魔に一矢でも報いるため、今彼は人生の中でも5本指に入るほどの高速演算を己の脳に課していた。それと同時に、彼は喚き転がりながらも、手の中では固く固く雪玉を握っていたのだ。
そしてゴロゴロ転がるふりをしつつ、未だ雪の平原に立ち続ける悪魔との距離を測り、彼にとって一番都合の良い地点を見定めた。
武由は回転の勢いを上手く利用し、瞬時に立ち上がる!
「みぃ、覚悟ォォォ!!」
裂帛の気合いの元、彼は己のポテンシャルを超えたスピードを自分自身の体に強制した。
限界を超えきしむ筋肉、弾性限界を超えた応力を求められ、痛みを走らせる骨格。しかし彼の手に掴まれた雪玉は、彼の気合いを受け確実に加速、悪魔の顔めがけて飛翔した!
リーチは先ほどよりも短い。弾のスピードは彼の体中の関節が悲鳴を上げるに値するほど加速されている。彼の見開いた目で計測され光速を越えフィードバックされた軌道は、その着弾地点が彼女の頭のど真ん中である事を如実に表していた。それにちょっと卑怯クサく、みぃの斜め後ろから投げつけられていたのだ。
これは、イケる!!
武由は絶対の確信を得る。彼の放った球同様に加速された彼の脳が、その球の飛翔をまるでスローモーションを見るように分析していた。軌道は問題なし。みぃは先ほどのように身体をひねるわけでもなく、こちらに視線を向る様子すらない。
後、もう少しだ。
彼の脳がそう判断した瞬間だった。
「ニヤリ…」
口元をいやらしく曲げたみぃが、ねっとりとした視線を彼に、そして雪玉に投げかけたのだ。
彼の脳が処理するスローモーションの一コマに、うっすらと映ったみぃの視線が、「見切ったわ。」そう冷酷に告げていたのだけはとっても良く分かった。
な、なんたる……!
彼には”負けた”という直感が、まるで壊れた人工衛星が大気圏突入で燃え尽きていく様なやるせない落下感の如く降り注ぎ、そして次の瞬間、暗い笑みを貼り付けた彼女は、わずかに首を曲げた。
ふわりと宙を舞うみぃの髪の毛数本を弾き散らし、雪玉は彼女の顔の横数ミリを通過していく。
「くっ!」
彼の両目には悔し涙がぶわっとわき出る。今の一球は、彼の運動不足人生の中でもまれに見る快挙、人生最高の投球だったのだ。
しかしその玉を、事もあろうに、目の前の女悪魔はわざとギリギリまで引き寄せ、最近接距離を数ミリにまで近づけそして見事に避けきったのだ。
役者がまるで違った。彼は、みぃの手のひらで弄ばれたのだ……!
そのあまりの悔しさ、屈辱、怒りに身悶え憤り、武由の喉から血を噴き出さんばかりの悲痛な雄叫びが今まさに吐き出されようとしたその時、
ガチャーン!
「あ。」
「あ。」
なにやら耳障りな破壊音がしたかと思うと、
「ゴルァ!! 誰だ雪なんぞ投げつけてきよったヴォケはぁ!!」
もっと耳障りな怒声が聞こえた。
血液が沸騰せんばかりに燃えたぎっていた彼のテンションは一瞬のうちに墜落し、ついさっきまでは史上最強の拠点防衛兵器相手に戦いを挑む不屈の闘士だった武由は、その辺の引きこもりに成り下がった。
「うわ、警備部の詰め所……」
彼の背筋に冷たいモノが走る。悪鬼のような咆哮を上げる相手もアレだが、一体どこのサラリーマンが、就業時間に雪玉投げて勤務先の窓ガラスを叩き割るというのだろうか。
そんな色々な考えが頭の中を駆けめぐり、武由はとっさに動けなかったのだが……
「うおー、ごめんなさぁい〜〜」
いつの間にか割った窓ガラスの前に行き、みぃがぺこぺこ頭を下げている。
「なんだぁ、みぃちゃんかぁ〜〜 近寄るなー? けがするぞ〜?」
さっきまでのいかにもハリウッド映画に出てきそうな、人の命よりも自分の垂れた鼻をかむティッシュの方が大切ですとか真顔で言い出しそうな悪人然の大男が、単なる好々爺といった趣に変わっていた。声も普通に猫なで声だ。
「す、すいません、お怪我は…!!」
やっと動けた武由が、だいぶ遅れてみぃの前に立つ。
「あー、雪で遊んでたのか〜? みぃちゃん力あるからの〜!」
「あ、いや、それは私が……」
そう言いかけた武由のコートを、みぃが後ろから引っ張る。
「うおー、みぃちゃんまだコントロール悪くて……えーと、後でお掃除しにいくから〜」
「いいっていいって、いつも柔道でお世話になってるんだから!!」
他の警備員も出てきて、みんなでゲラゲラ笑っている。
「いや、あの……!」
「博士、みぃちゃんに任せて……」
もう一度きゅっきゅとコートを引っ張るみぃが、彼に小声で耳打ちする。
「ホントにごめんなさぁい。ちゃんと気をつけるから!」
「大丈夫だよみぃちゃん! 明日の練習来てくれな! 武由さんもみぃちゃんの練習見に来て下さいよ!」
そう言う警備員達は、早速ガムテープで窓ガラスの穴をふさぎ始める。
「あ、す、すいません………」
もはや謝る機会すら逸した武由があわてて頭を下げるも、ガラスの補修が終わった警備員達はさっさと部屋の中に入っていってしまった。
取り残され唖然とする武由の手を、みぃが後ろに引っ張った。
「博士ー、また遊ぼうよー」
「あ、ああ……」
そのままズルズルと庭の真ん中まで引きずられてきた武由であるが、
「みぃ……さっきのは……」
歩みを止め、引っ張る彼女をとどめる。
「えーと、ああいう時はみぃちゃんの所為にしちゃえばいいんだよー」
ニコニコ笑いながらそう言うみぃに、しかし潔しとしない武由は、自分の腕をつかむ彼女の手をふりほどいた。
「しかし、それじゃお前が……」
「でも、あそこで博士が雪玉ぶん投げたーって正直に言ってどうするの?」
みぃは向き直り、彼の顔をじっと見る。
「それは……ちゃんと謝るのが当たり前だろ?」
「博士はそれでいいかもしれないけど、周りの人はどーするの? 困っちゃうよ?」
みぃの顔から笑みがすっと消え、その目はとても真剣だ。
「それはお前が割ったって言っても同じだろ!?」
「違うよ。みぃちゃんだからみんな『またか』って言うだけ。でも博士が割ったって事になったら、責任だとか何だとか色々めんどくさいし、みんな気分が悪くなるよ?」
みぃは再びにこりと笑う。
「そんなこと関係ないだろ! さっきのは俺が何も考えずに投げたからあんな事になったんだよ!」
「じゃあ、博士をあんなに怒らせたみぃちゃんが一番悪いの! それでいいじゃん、丸く収まるなら、嘘も方便だよ?」
「…………。」
武由は黙り込んだ。彼はまじめな男なのだ。だから嘘など大嫌いだ。しかしみぃは一体どこからそんなことを覚えてきたのだろうか、嘘も方便だなどと言い放ち、自ら無実の罪を被ってしまった。
そんな彼女の適当さ加減に怒りを覚えるものの、とっさの機転の利かし方に驚きを隠せず、かつ彼女は結局自分を助けてくれたんだという嬉しさが、彼の心の中をない交ぜにする。
確かに考えてみれば、もしあの時バカ正直に自分が投げた言った場合、たぶん弁償がどうの監督責任がどうのと、その場でひたすら謝り倒しても話がこじれたことだろう。警備部と仲良くやっているみぃの顔も潰しただろうし、それに部署をまたいだ険悪な関係が出来てしまったのかも知れない。
それがみぃに罪を被って貰った場合、彼女の普段の行動から「またか」の一言で済まされてしまう。後は、いつも通り一言謝っておけば話はひどく簡単に済むのだ。
「……みぃ、ありがとうな……」
武由の口から、その一言がやっと出た。ぽんぽんと、彼女の頭を撫でる。
「うおー、てれるぜー」
そうやってニコニコ笑うみぃの笑顔が、雪の照り返しだろうか、彼にはとてもまぶしく見えていた。
翌日。
午前中で本日のお勉強メニューは終了し、武由はいつも通り事務所でやっつけ仕事にいそしんでいた。やがてその仕事も終わり、彼が自室に戻ってきてみると、みぃが珍しく台所に立ち、なにやら本を片手に作業をしていた。
「なにやってんだ、みぃ?」
「えーと、バレンタインのチョコー」
そう返事はすれど、振り返ることなく作業を続けるみぃ。どうやら湯煎に掛けて溶かしたチョコを、型に流して形を作っているらしい。いつにない真剣なまなざしで、傾けたボールからてろてろ流れるチョコを睨み付けている。
「へぇ、誰にやるんだ?」
武由はそんな作業を、彼女の肩越しにのぞき込む。
「えーとえーと、身の回りの独身諸君と、博士と上城さん〜〜」
「ん? 北海道の上城さんか? なんでだ??」
「うおー、えーと、それはヒミツ〜……」
なにやらみぃは頬を赤く染め、身体をクネクネさせている。非常に分かりやすいヤツだ。
「ふーん。まぁがんばれよ」
みぃの乙女心を垣間見た武由は、自分の心がどことなくざわつくのを感じるも、彼女の頭をぽんぽん叩き、保護者を気取り応援の言葉を述べた。
「うおー、がんばる〜〜」
みぃはそんな彼の言葉に、素直に相づちを打っていた。
武由が自分の部屋に入っていった後も、彼女は溶けたチョコ相手に死闘を繰り広げている。
「うおー、固まらねーじゃん……」
型に流し込んだチョコがさっさと固まらず、表面をつんつんしながら愚痴を垂れるみぃ。溶かすときに直火に掛けたとか冷やすときに冷凍庫に突っ込んだとか、間違った型の取り方をしたチョコは二度と固まらないものだが、彼女の場合はただ単純にせっかちなだけだ。まだ粗熱も取りきれてない内に固まるわけがない。
料理の本の該当箇所を読み直し、彼女は「おおー」等と一人合点していた。
その後なんとかハート形のチョコを作り上げ、それを綺麗に包装し終わったのは、バレンタインデーの午後だった。途中訓練などが入り、どうしても作業に集中できなかったのだが、何とかこの日の内に、10個程度のチョコを用意することに成功していた。
ただし、その中でマトモにハートの形をしていて綺麗な包装を施しているのは二つだけ。残りのは丸やら三角やらねじ曲がった涙滴型やら、やる気の無さッぷりが120%爆裂したような形をしていた。事実、余ったチョコをクッキングシートにぶちまけ、適当に盛っただけなのだ。
ハート型のチョコは、武由と上城の分。そしてヘンな形のは、みぃ曰く身の回りの独身諸君の分だそうだ。
それらヘンな形のチョコをおざなりな紙袋に放り込み、いかにも「義理ですよー」と絶叫しそうなオーラをぷんぷん噴き出すプレゼントを、みぃはその辺の独身共に配り始める。
「おっちゃん、チョコあげるー」
「うおおおおっ!! みぃちゃん、おぢさんと今すぐ酒飲もう!! ついでに一緒に腕立て伏せしよう!!」
「酒ー」
「あんちゃん、チョコあげるー」
「萌えー!!!!! みぃちゃんヲレと一緒にハァハァキボンヌー!!」
「……や。」
「おっちゃん、チョコあげるー」
「な、なんて、快挙! 我が人生の到達点、今ここに成就せり!!」
「えーと」
「鹿沼博士ー、チョコあげるー」
「まぁ、ありがとう。でもみぃちゃん、今日は男の子にあげる日よ?」
「うお?」
そんなみぃの義理チョコデリバリーを横目で見ていた武由ではあったが、あげる相手をいまいち間違っているというか、微妙な連中ばかりに渡しているなぁと、保護者として少し心配になったりしていた。
彼女にチョコを貰った男共中には、生まれて初めて自分の母親以外の女性からチョコを貰ったのだろう、感涙にむせび泣き場をわきまえずに慟哭する者、あからさまな義理チョコにもかかわらず本命であると脳内補完し、なにやら気分と股間を元気に盛り上げている愚か者、チョコをみぃの何かに見立てて、目を血走らしながらなめずり回す大馬鹿者など、オフィスは見ている方が穴に入りたくなるような魔境に成り果てていた。
唯一普通にチョコを頬張っているのは、鹿沼だけだ。しかし彼女に渡している時点で、たぶん根本的なところをみぃは勘違いしている。
「博士ー、チョコあげるー」
「ああ、ありがとうな、みぃ」
ちゃんと包装されたチョコを渡され、武由は両手で受け取った。
ただ、彼はバレンタインのような行事にはあまり興味ない人種であるので、別に喜んだりすることもなくあくまで淡泊だ。そして、自分らとはモノの形と大きさと趣が違うというのを存分に見せつけられた義理男共は、そんな彼の素っ気ない態度に余計殺気立ち、酷い色をしたオーラを力一杯噴き付けてくる。
「博士、たべてたべてー」
「いいのか? せっかく綺麗に包んでるのに」
「うおー、食べてくれないともったいないよー」
「そりゃそうだな……」
武由は包装を綺麗に解き、中からチョコをとりだした。
「へぇ、ちゃんとハートの形してるじゃないか」
「えへへ……」
武由はそのままチョコにかぶりつき、バクバク食べ始める。
「もふもふ……うん、旨いな!」
みぃのチョコレートはミルクチョコレートをアレンジしたものだ。料理の本に書いてあった通りに、市販のチョコを溶かして香料などを少しぶちこんだに過ぎない代物だったが、いつもニコニコしている彼女のような、口当たりの柔らかい優しい味がした。彼のさっきの批評は、世辞も意地悪も何もない、本音が口を突いて出てきたものだった。
旨いものを貰って上機嫌の武由は、みぃの頭をぽんぽん撫でる。
「旨かったよ、みぃ。ありがとうな!」
「えへへ……」
笑い方はさっきと同じだったが、彼女は本当に嬉しそうだ。なにやら目をコシコシ擦っている。
「あ、そうだ、上城さんにもあげるんだろ?」
「うん、今から北海道行ってくる。何か運ぶものある?」
「んー、今はないなぁ……まぁ、とりあえず行ってこいよ」
「うん」
武由に見送られ、玄関から勢いよく飛び出してゆくみぃ。以前のモニタモードだった彼女は飛び立つときに爆風を吹き散らしていたが、今は余計な風を起こさず結構な速度で飛び立つことが出来るようになっていた。
遙か上空からみぃが音速を超えた衝撃波が聞こえて来るも、以前のような騒々しさはない。その音を聞きながら、武由はみぃが北海道に向かっている旨を上城に連絡していた。
彼女が飛び立ってから5分後、前回のように北海道支社の玄関前で待つ上城の目の前に、みぃがストンと降りてきた。
ちなみに彼女はスカートを履いていたが、今回はちゃんと裾を押さえていた。少しは成長したようだ。
「えーと、お久しぶりですー」
前回の無機質な彼女とはうって変わり、ニコニコ挨拶をするみぃ。上城はまたもや彼女の変わりっぷにびっくりしていたが
「あ、みぃちゃん、お疲れ様!」
初めて会ったときの様な彼女の人間らしい仕草に、彼はみぃが元に戻ったのだと一瞬で理解した。
「さあ、せっかく来たんだからあがっていってよ。あ、ジュースも飲んでいってね」
「うおー、どもども」
早速上城は事務所の玄関を開け、みぃを応接間に通した。
「みぃちゃん、今日はどうしたの?」
みぃを応接間のソファーに座らせ、上城はご自慢の自家製ジュースをコップになみなみ注いで持ってきた。応接室のドアを閉めると、みぃの前にそのコップを置く。
「えーと、上城さんにチョコあげる〜〜」
みぃは緊張気味に、持ってきた肩掛けバッグを開け、中から綺麗な包みのチョコをとりだした。
「あ、今日はバレンタインデーだったね……それ、みぃちゃんが作ってくれたんだ?」
上城はコップを乗せてきたお盆を置き、みぃの対面に座る。
「うおー、手作りー」
少し照れながら、みぃはチョコをおずおずと差し出した。
「えーと、なんてゆーか、その、本命〜〜」
「本命!?」
「えへへ……」
顔を赤らめたみぃが、恥ずかしそうにうつむいた。チョコを持つ手が、わずかに震えている。
しかしそんな彼女のチョコを、上城は受け取ろうとしない。済まなそうに、じっとチョコを見るだけだ。
「……ごめんみぃちゃん、本命じゃ受け取れないよ」
そんな予想外の拒絶の言葉に、みぃはあわてて上を向き、彼の顔を凝視する。言葉の真意が何なのか、彼女の心は疑似人格OSがハングしそうなほどにざわめいている。
「僕、来月に結婚するんだ」
そして彼の口から出た言葉は、みぃの思考を遙かに超えるものだった。その決定的な言葉を言われみぃは、もはや彼の顔を直視できない。
「……!! え、えーと、その、結婚って、お嫁さんでラブラブで、浮気ダメダメなんだよね……?」
さっきから一転、血の気の失せたみぃは視線を横にずらし、うわごとのようにそう呟いた。
「うん、そう……だから、みぃちゃん、ごめんね」
頭を垂れる上城に、しかしみぃは手をパタパタ降りながら、
「う、うおー……えーと、結婚おめでとう〜〜! えーとえーと、じゃあみぃちゃん邪魔しちゃ悪いから、もう帰るね!」
あわててバッグを開け、先ほどのチョコを乱暴に押し込んだ。そしていそいそ立ち上がると、ドアの方を向く。
「そんな邪魔だなんて! せっかく来たんだから、もっとゆっくりしていけば……」
そんな上城の制止の言葉も聞かず、彼女は応接室から飛び出していってしまった。部屋を出るときみぃの足がテーブルに当たり、一口も飲まれることの無かった特製ジュースはコップごと床にぶちまけられる。
「みぃちゃん、待って!」
上城はあわててみぃを追いかける。しかし彼が玄関に来たときには、彼女の羽は既に光を発し、反重力システムの起動を完了していた。そして羽の周りを舞う燐光が一瞬鋭く輝き、みぃの身体はふわりと浮き上がる。
「えーと、みぃちゃんまだ用事あるから、えーと、早く帰らないとね、博士にね……だからね、さよなら!」
上城の方に振り返り、笑顔でそう告げるみぃ。しかし、視線を前に戻した彼女の頬には、涙が一筋光っていた。
彼女は地面を一蹴りし、上空目指して飛び上がる。そして一瞬のうちに、みぃを呆然と見送る彼の視界から消えてしまった。後には、激しい爆風が残されるのみだ。
「みぃちゃん……」
未だ風が吹き込む玄関に立ちつくす上城。彼がフラフラと外に出ると、上空からみぃが音速を超えたときの衝撃音が、すぐ近くの落雷のように響いていた。余裕を失ったみぃが、パワーセーブも掛けずにフルパワーで飛び出していった名残だった。
「おー、おかえりー。早かったじゃないか」
上空からストンと落ちてくるみぃに、いつも通り声を掛ける武由。到着の一足前にIP電話で帰りを告げられ、彼は研究所の玄関前で彼女の到着を待っていたのだ。
「……上城さんにはちゃんと渡してきたか?」
「……………。」
玄関のドアを開けながら、笑顔でそう問い掛ける武由。しかし彼女はそれには答えず、また降りた場所から一歩も動かない。
「ん? どうした?」
うつむき手をぎゅっと握りしめ、みぃは返事もすることなくじっと佇んでいる。玄関の方に歩いてくる様子など全くない。
「………みぃ?」
そんな彼女のおかしな態度に、ドアから手を離し武由が彼女の名前を呼んだその瞬間、
「博士ぇ……はかせ〜〜〜!!」
顔を上げることなく、みぃは悲痛な声で彼を呼ぶ。北海道支社を飛び出してから、今まで堪えていたものがはち切れてしまったのだろう。立ちつくす彼女の目から、涙がぽろぽろこぼれ出す。
「みぃ!?」
そんな彼女の様子に。彼はあわててみぃに駆け寄った。
「どうしたんだよ、なにかあったのか!?」
目をゴシゴシ擦るも涙が止まらない彼女は、肩を揺すってくる武由にしがみつく。そして彼の胸に顔を押しつけると、わあわあ声を上げて泣き出してしまった。
「おいおい……」
「上城さんが結婚するのー!……みぃちゃん好きだったのに、結婚しちゃうのー!」
武由の羽織るジャケットを握りしめ、涙で顔をグチャグチャに濡らしたみぃが、彼に向かってそう叫ぶ。
「結婚!?」
「結婚しちゃうの、みぃちゃん好きだったのに……!!」
彼のジャケットに顔をグリグリ押しつけ、大声で泣き続けているみぃ。武由は、そんな彼女の頭を優しく撫でる。
「そうか……いい恋してたんだな、みぃ……」
ようやく彼女の態度に納得いった武由は、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「はかせぇ〜〜! うええええええええっ!」
彼女は一層声を張り上げ、彼の胸の中で泣きじゃくる。そんなみぃを、武由は優しく抱きしめた。彼女が泣きやむまで、ずっとずっと抱きしめていた。
「今度ご結婚されるそうで……ええ、みぃから聞きました、おめでとうございます」
みぃが落ち着きを取り戻し、ようやく笑顔が戻った後のこと。
オフィスで仕事を再開した武由が、上城に電話を入れていた。
『あ、ありがとうございます……しかし…みぃちゃんには本当に悪いコトをしました……』
「いえ、あいつが人間らしい感情を持ってるって事で……また一つ成長したと思います。みぃの開発目標は兵器であると同時に、最も人間に近いAIを作るってことですから」
『あ、それは前にみぃちゃんに聞きました。……兵器って事は僕は全然分かりませんけど、その、人間に近いって言うのは十分わかります、全然人工知能には思えませんよね。……あ、そう言えば、みぃちゃん元に戻ってますよね?』
「はい、その節はご迷惑をおかけしまして……。おかげで何とか元に戻りました」
『よかったですね。私も安心しました。あの……宜しければ、私たちの結婚式に来ていただけませんか? もちろん、みぃちゃんも呼びたいと思っています』
「えっと……いいんですか? 私たちなんか……」
『全然! 是非とも来て下さい、あ、もちろんご迷惑でなければ結構なんですが……その罪滅ぼしっていうわけではないんですが、来ていただけると嬉しいです』
「わかりました、では出席させて頂きます。みぃももちろん一緒に」
『ありがとうございます! 早速招待状をお送りしますので、よろしくお願いします』
「わかりました、お待ちしております」
『あ、あと、みぃちゃんに上城が謝っていたとお伝え下さい。また遊びに来て下さいとも』
「あ、はい、伝えておきます……では、失礼いたします」
『失礼いたします……』
- 【STP-103 観察日記・17】
- 今日はみぃの失恋記念日だった。どうやら北海道支社の上城氏が好きだったようだ。ただし氏は来月結婚されるとのことで、みぃの持って行った手作り本命チョコは受け取って貰えなかったらしい。
みぃがなぜ上城氏を好きになったのかという理由は、それを問いただすほど野暮な真似はしないので不明だが、とても良いことだと考えられる。恋愛感情ほど、人間に近い感情はないのではないだろうか。
とりあえずみぃは失恋のショックから抜けたみたいで、時々空を見上げてぼーっとしていることもあるが、基本的には元気だ。いつも通りニコニコ笑っている。なお、貰ってもえなかったチョコは自分で食べていた。なかなかに強いヤツだ。残念な結果となってしまったが、このまま元気に成長して貰いたい。
あと、先日みぃと一緒に雪合戦をしていたときのことだが、自分が投げた雪玉が窓ガラスに当たってそれを割ってしまった。その時私は気が動転して何も出来なかったのだが、みぃが気を利かせ私をかばってくれた。曰く嘘も方便だそうで、いつもガラスを割りまくっている自分の所為にすれば、万事丸く収まるとのこと。結果的にみぃの所為になってしまったのだが、彼女の言うとおり丸く収まってしまった。いつから嘘をつくことなど覚えてしまったのか極めて気になるが、今回は悪意のあるものではないし、それに正直そういう気の利かせ方が出来るようになったのかと驚きだった。それに彼女に感謝もしている。
みぃはどんどん人間らしくなってゆく。ここに来て、OS入れ換えの効果がだんだん現れてきていると考えられる。彼女の成長速度は、OSを入れ替えてから特に早くなっているからだ。つまり今まで以上に彼女の成長に注意を払わないといけないと考えられ、今後も引き続き彼女の成長を見守っていこうと思う。
第16話 [みぃとビデオ]
今日はホワイトデーだった。冬の寒さもだいぶ遠のき、気まぐれな春の暖かさが時折汗をかかせてくれるこの季節。
武由は久しぶりに引っ張り出した薄手のジャケットを羽織りつつ、珍しく一人で外出していた。みぃの面倒を押しつけられて以来、彼はなんだかんだ言いつつ彼女のそばを片時も離れたことがなかったのだ。
目的は本日の行事の通り、みぃから貰ったバレンタインデーのチョコのお返しだ。もちろん、彼が自発的にそんな気の利いたことをするような男なら、みぃ曰くソロなどではないし、そもそもクリスマスなどはみぃなぞほっぽり出して、綺麗なホテルで彼女としっぽりしていたことだろう。
当初、武由はホワイトデーなるものの理論は知っていたが、それを自分に関係あるものなどとは全く考えていなかった。彼は極めて自然体にスルーしようとしていたのだが、鹿沼にどやされ半ば業務命令で、ホワイトデーのプレゼントを買いに研究所を追い出されたのだった。もちろん何も買ってこなければ、研究所玄関の敷居は何があっても絶対またがせないという、心のこもった励ましの声と共に。
退路を奪われた彼は、この辺で一番大きなデパートに入り、店内をフラフラ徘徊していた。はたして何を買ったらいいものか、さっぱり見当がつかない。何かしらみぃが、あれが欲しいこれが欲しいなどと言っていたのならそれを買ってやればいいのだが、ああ見ても彼女は無駄にものねだりするような人間ではない。結構質素が好みなのだ。敢えて言うと、酒があればそれでいい。
「だからといって、酒なんて買うのもなぁ……」
巡り巡って酒売り場まで来てしまった武由は、なにやら高そうなブランデーの瓶を手のとりつつ一人呟く。ここで酒など買っていったら、もはやみぃが酒を飲むのを許してしまうようなものだからだ。毎日理由をつけては酒を喰らっている彼女に、武由は未だ公式には飲酒を許していない。
仕方なくまたアクセサリーコーナーに戻った武由は、再び何を買っていいのか分からず途方に暮れた。そして、ぼんやりと店内の並ぶショーケースを眺めていると、そう言えば前にもこんな事があったなと、彼は昔のことを思い出していた。
今から10ほど前。武由が学生の頃。研究所では頑固者のたけちんである彼にも、彼女が居たのだ。普通に仲が良かったし、時々デートもしていた。
彼女の誕生日だということで、彼は10年前もこうしてデパートのアクセサリー売り場で途方に暮れていた。結局適当なブローチを一個買って、お茶を濁したのも懐かしい思い出だ。
けれども、その恋は恋人達の一つのセレモニーによってほころびを生じ、いつしか壊れてしまったのだ。
彼等が初めて身体を重ねたときのこと。今の彼からは想像できないことだが、彼も当時は極めて健康な男の子だったのだ。若干強引に、……彼女にとっては極めて暴力的に……、彼等は初体験を迎えた。
冷静な第三者の目から見れば、そう酷い為さりようではなかったと言えるだろう。有り体に言えば、彼は勇み足で、嫌がる彼女を抱いてしまったのだ。
普通なら、男が平謝りで女がむくれっ面、それでなんだかんだ言って仲直りして、より仲が深まるきっかけの一つとなるはずだった。「初めての時にあんたはゴーインだった」と、時々彼女にからかわれる程度で済むような事だったはずだ。
しかし武由の彼女はそれを潔しとせず、もちろん警察沙汰などにはしなかったが、彼から次第に離れていった。彼女は男性不信に陥ってしまったのだ。
そして武由はそれを自分の責任であると認識し、誠心誠意自分の無思慮を詫びたのだが、結局彼等は別れてしまった。彼等を知る友人たちは皆、彼女の方がおかしいと武由を慰めたのだが、彼は自分には恋をする価値はないと定義し、それ以来浮いた噂は一切なくなった。だから彼は、彼女など作らず一生一人きりで居るつもりなのだ。
「まぁ、それもまた青春か……」
実際10年も経てば深刻さも薄れるもので、ある意味大人な彼は10年前の自分の決心を笑うことも出来る。ただ、その時決めたことを破るつもりは、彼には全くないのだが。
「……で、結局何を買えばいいんだよ……」
誰に言うとも無し、小声でブツブツ指輪の並ぶショーケースなどをのぞき込むも、はっきり言ってみぃには似合いそうもない。というか、彼にはみぃに何が似合うかさっぱり見当もつかない。
そんな風に、アクセサリー売り場を行ったり来たりしている哀れな彼を不憫に思ったのだろう、デパートの店員が話しかけてきた。
「お客様、一体どなたに贈られるんですか?」
「え? なんでプレゼントだって分かるんだ??」
「ほら、今日はホワイトデーですし、アクセサリーのプレゼントが多いんですよ」
「なるほど……」
武由が改めて辺りを見渡すと、自分と同じようにプレゼントの絞り込みが出来ず、視線をフラフラさせた男性諸君がウヨウヨ漂っているのを確認できた。
「で、やっぱり彼女ですか? 貰ったチョコレートのグレードも考慮しないといけないんですよー?」
「そ、そうなのか?」
「はい! 義理チョコあげたのに高いもの貰ったら、正直引いちゃうじゃないですかー」
「む、それはそうだな……」
「もし宜しければ、ご相談に乗りますが……?」
そんな店員の提案にしばし考え込むも、結局彼は自分だけではどうにもなりそうにもなかったので、結局彼女の助け船に乗ることにした。
「で、あげる相手の女性ってどんな関係なんですか?」
「関係?」
改めて自分とみぃの関係を聞かれると、どう答えて良いものやら武由は即答できない。
そしてブツブツ言いよどむ彼を見て、店員は頬を染める。
「もしかして、はばかるような……?」
なにやら想像を逞しくしてニヤニヤしている店員を、彼は可及的速やかに黙らせたかったのだが、
「んー、なんと言っていいもんやら…同僚? そんなモンでもないしなー………」
くそ真面目な武由は、腕を抱えて考え込む。
実際場が場なら最先端の国家プロジェクトの被実験体ですなどと言っても良いのだが、アクセサリーをあげる相手としてそんな紹介をしても、それこそ引かれるだけなので答えとしては良くない。というか、こんな所で言って良いことでは到底無い。
「んー、まぁとりあえず職場の同僚って事にしておいてくれ……」
「へー、同僚ですかー。ちなみにチョコはどんなのでした? やっぱり、ラブラブの本命?」
どうやら彼がプレゼントを贈る相手は不倫相手なのだと勝手に定義している店員は、目をキラキラ輝かせて武由の返事を待っている。
「義理でもなく、さりとて本命でもなく……。ちなみに言っておくと、不倫じゃないからな」
「ちぇ……」
「おい」
「あ、いや、なんでもありませんよ?」
パタパタ手を振りながら、とぼけて明後日を見ている店員。実に正直な人間である。接待業としてはどうかと思うが。
「で、後は?」
「そうですねー、彼女の見た感じを仰って下さい」
「見た感じ? 具体的には?」
「えっと、年齢とか髪型とか背格好とかを具体的にです」
「年は……とりあえず15歳」
「うわ、犯罪……」
「……俺は客だが?」
「あ! いや、なにも言ってませんよ??」
再び手をパタパタ振って明明後日の方を見ている店員。武由はもうジト目だ。
「……まぁいいや、髪型はストレートでショート。いっつもおでこにハチマキ巻いてる」
「ハチマキ!? カチューシャとかじゃないんですか?」
「あー、後頭部のコネクタを……いや、まぁ普通のヘアバンドみたいなモンだ」
「はぁ……」
「で、背格好は、まぁあんたみたいに中肉中背で背は少し低いかな。胸も似たような感じで小さいけど、ケツはヤツの方が小降り」
「アハハハハハ……ワリと具体的ですねぇー」
引きつった笑みを浮かべる店員の前で、武由はしれっとセクハラだ。さっきから妙なツッコミを入れられまくったお返しというヤツである。
「で、ついでに言うと腰のラインはもう少し細い」
クリティカルなトドメだった。
「うぅぅ、どうせ私は寸胴でペチャパイですよぅ……でも顔は可愛いんだから!」
なにやら一人で微妙な開き直りをする店員に、
「普通だ」
「むごい!!」
何がどうむごいのだか不明だが、店員はその場でしくしく泣き始めてしまった。確かに、武由の優しさのひとかけらもないツッコミはいかがなものかと、議論を呼びそうではあるのだが……。
「あのなー、俺は正直に言ったまでだぞ?」
「しくしく、いいもん。虐められるのも人生の試練なんだから」
「……………。」
「という事で、ここはスタンダードにネックレスとかどうですか?」
なにやら急に営業スマイルに戻った店員が、ネックレスコーナーに武由を引っ張っていく。その偉い変わりように、武由は唖然としたまま引きずられていった。
「んー、で、何がお勧めなんだ?」
とりあえずネックレスに絞り込まれはしたのだが、武由が来たデパートは顧客のターゲットを女性にしていることもあり、商品の数がやたらと多い。似たような柄や模様や色のネックレスが、ケースの中にはびっしりと並んでいる。
「そうですねー、なにやら爛れた関係を想像させる、この手錠をモチーフにしたものなど……」
「だから俺は客だが?」
「え? いや、だから何でもありませんよ!? ……ではこのイルカをモチーフにしたものは?」
「イルカか……可愛い形だけど、何かあいつイメージ違うんだなー」
「イメージですか? 彼女のイメージって?」
「んー、とぼけた天使」
「天使!? うーわー、ここに来てノロケだよー……」
「だから」
「いや? 何も言ってませんって!! アハハハハ」
乾いた笑いを散らしながらパタパタ手を振る店員に、武由はもはや視線を合わせようともしない。
「そうですねー、天使だったらこの羽をモチーフにしたネックレスはどうでしょう? 柄も大人しいですし、若すぎる彼女にも似合うと思いますよ!」
「何か引っかかる物を感じるが……まぁいいや、それ包んで」
「ハーイ、かしこまりました」
なにやら双方微妙に傷をえぐり合ったが、ホワイトデーのプレゼントを選ぶという彼にとっては極めて高度で難易度の高いミッションは無事達成できた。店員から綺麗に包んだネックレスを受け取り、武由は晴れて研究所に帰還した。
「で、何を買ってきたの?」
研究所の玄関前で、武由の帰りを見張っていた鹿沼が、開口一番そう言い放つ。
「鹿沼博士……敷居はまたがせないって、本気だったんですか?」
いちいち彼の帰りを待ち伏せするまでの根性を見せつけられ、武由は正直あきれかえっていた。普段のクールな彼女からは想像も出来ない非生産的な行動に、ホワイトデーもまた女性を熱くさせる行事なのだと、彼は身をもって思い知らされたのだ。
「当たり前よ。勤務時間中にデパートで時間を潰しただけですなんて、前世紀のダメ営業みたいなセリフは聞きたくないわ」
「それについては大丈夫かと。羽をモチーフにしたネックレスを買ってきました」
「天使のみぃちゃんだから羽、ね……。グッジョブと言っておくわ」
「ありがたき幸せ」
そんなワケの分からない言葉を交わしあい、鹿沼の横を、武由は颯爽と通り過ぎてゆく。そしてもう終業時間は終わっていたので、彼は自分の部屋に戻った。
荷物を自分の部屋に降ろし、プレゼント片手にリビングルームに入ると、みぃがテレビを見ていた。
「おい、みぃ……」
『いくー、いくー! いっちゃう〜!!』
「ぶーーーっ!!」
いきなり聞こえてきた艶っぽい嬌声に、武由は反射的に吹き出した。
「なっ、なっ、なにごと!?!?」
彼はあわてて部屋の真ん中に来ると、辺りをきょろきょろ見渡している。
『だめぇ〜! いっちゃうー! もうだめぇ〜!!」』
「あー、博士お帰りー」
彼にお帰りの挨拶をする彼女は、テレビの前に座り込んでいた。
「……何でお前はこんな時間からそんなモン見てるんだ………」
『しんじゃう〜!! あーっ! いくいく〜〜!! いっちゃう〜!」』
みぃが真剣な顔をして見ているそんなモンとは、唇の厚ぼったい女優が髪を振り乱して喘いでいるAVとかいうヤツだ。男優にいまいち覇気がないのが、何とも言えず艶めかしい。
「うおー、バレンタインのお返しだって、義理チョコあげたおっちゃんがくれたー」
「つーか……普通女のコにこんなモン寄こすか!?」
『はぁぁ〜〜んっ!! いくいくいっちゃう〜!! もうだめぇ〜〜!!!』
「えーと、オトナの勉強だから絶対見ろって言ってた。見ないとオトナになれないんだってー」
「……こんなモン見てオトナになるなら、オトナなんかにならなくて良い……」
「うおー、博士シャイだねー。えっちなビデオはオトナの嗜みだよー」
「だからそんなオトナにはならなくて良いって……」
『いく〜! いぐぅ〜! ぐわああああああああああっ!!!!!」』
「うわっ!?」
「うおっ!?」
ビデオの女優の、はっきり言って断末魔の雄叫びとしか言いようのない悲痛な喘ぎ(?)に、二人はびっくりしてテレビをのぞき込む。
「う、うおー、すげー」
「なんつーか、これはまた……」
『あぁん。理奈イっちゃったぁ〜!』
「えーと………博士ぇ、いっちゃうとあんなすげー声あげるものなの?」
さすがのみぃも、赤らんだ頬に冷や汗を流している。
「いや……良く分からんが、これはたぶん何か違うと思うぞ……」
同じく妙な汗をかいた武由がしどろもどろに答えているうちに、そのビデオは終了した。
「うおー、もう一個あるんだー。これは萌えーとか叫んでたあんちゃんがくれたー」
みぃがデッキからディスクを取り出し、新しいのを読み込ませる。
そして画面に表示されたタイトルを見て
「………。」
武由はこれ以上ないほどあきれかえっていた。
『えっ!? やぁ! やんやん!」』
「うおー、わけー」
「何つーか、なんでこの研究所にはこういうヤツしかいないんだ………?」
ビデオに映る女優(?)は、どう考えても12〜3歳の女のコだ。CGなどは使っていない、旧世紀の本物の映像。男優はさっきと同じ人物のようだが、よけいにやる気のなさっぷりが見事だった。
『うわあっ! やだやだ!! きゃははははっ! やめてやめてぇ〜〜!』
男優が女のコの腋をこちょこちょくすぐっている。ともすれば親子のスキンシップのようなほんわかした絵面であったが、やはりなにやら良からぬ方向へ場面は移ってゆくもので、やっぱりそれは立派なAVだった。
「まぁ、みぃが貰ったんだからなぁ……ほどほどにな………。」
はぁとため息をつきながら、自分の部屋に戻っていく武由。とてもじゃないがネックレスなど渡せる雰囲気ではない。というか、AV見ながら渡すのは、いくら彼でもごめんだった。
「うおー、ろりー」
みぃは先ほどと変わらずテレビをじっと見つめ、一生懸命オトナの勉強を続けていた。
自室に戻った彼は、椅子にどかっと座りもう一度大きなため息をつく。
切なげな喘ぎ声とみぃのうおーが時折聞こえてくる中、彼は強い眠気を覚えていた。
普段からの寝不足に加え、普段行き慣れないデパートに赴き、慣れない買い物をした。それにあの微妙な店員との掛け合いにも結構な精神力を消費したのだ。
カバンからネックレスの包みを取り出し、机の上に乗せる武由。みぃの勉強が一通り済んで、飯でも喰った後に渡そうと彼は考えていた。
「さて、みぃには似合うでしょうかねー……」
一人そう呟き、彼はひときわ大きなあくびをする。
夕食までにはまだ少し時間はある。みぃの勉強も、もう少し掛かりそうだ。
彼は少しの間仮眠をとることに決めた。背もたれをリクライニングにし、目をつぶって眠気に身を任せる武由。
いつしか、彼は眠りに落ちていった。
『……やめて、私こんな事したくない……!』
『でも、俺たち付き合って何年になるよ?』
『イタッ! ……ひどい、こんなのって無い………』
『ごめん、痛くしないようにするから……だから』
『ひどい……ひどい……』
若い男女が、布団の中でもつれ合っていた。
二人は恋人だった。お互いのことを好きあっていた。
男は、好きな女の身体を求めた。
女は、好きだった男を拒絶した。
二人のお互い初めての行為は、結局最悪な結果となった。
武由は相手の気持ちを無視してしまった。
彼女は相手を受け入れることに失敗した。
ひとしきりの快感のあと、彼の見たものは……
涙を一杯に浮かべ、怨みがましい顔をして彼を睨み付ける、もう決して元の関係には戻れない女の顔だった……
「あっ………ああ………。」
どくどくと、心臓がいやな高鳴りをしている。
何か、とても耐えられないものを見たときのような、背筋に冷水を浴びせかけられたような気分の悪さに、目を覚ましたばかりの彼の眠気は、一瞬のうちに消え失せた。
……何が、とても耐えられない何かだ。
あれは、俺の昔の彼女の顔だ。俺が壊した女の顔だよ……
手で顔を覆い、ゴシゴシと擦る武由。胸の中には、重く苦い空気が溜まっているように感じられる。深呼吸をする彼は、辛い気分と一緒によどんだ空気を一気に吐き出した。
「うお? 博士起きた? ご飯食べよ〜」
いつの間にか彼の隣にいたみぃが、いつものニタニタした笑顔を武吉に向けている。
「みぃ、いつの間に……」
椅子から立ち上がろうとした武由の膝から、毛布がばさっと落ちる。彼は寝る前、こんなものを被った覚えはなかった。
「……みぃ、お前が掛けてくれたのか?」
「うおー、風邪ひくと思ってー。暑かった?」
「いや、すまん、ありがとうな……」
武由がみぃの頭を撫でると、
「えへへ……」
みぃはとびきりの笑顔で応えてくれた。
武由は、そんな純粋なみぃの笑顔が眩しくて、正直正視することは出来なかった。
さっき彼が見ていた夢は、全てが真実だったのだ。
嫌がる彼女に自分の身体を差し込み、彼は懸命に自分自身を揺すった。真っ白になった頭では何も考えることも出来ず、ひとしきりの満足感を得られるまで、世界の全てが今この行為を完遂することだったのだ。
しかし欲望の塊を彼女の胎内に吐き出し、正気を取り戻した彼が一番最初に見たものは、先ほどの何かとても耐えられないもの……つまり、彼を拒絶する憎しみの視線だった。
その時、彼は悟ってしまったのだ。自分は、女性に笑顔を向けてもらえる類の人種ではないと。
だからみぃが彼に笑いかけるなんてことはあり得なく、ましてや彼がみぃに好意を持つなど、決してあってはならないことだと、武由は無意識のうちに定義していた。それは、彼が若かりし時に決めつけた、自分は恋をする価値はないという定義の実践だったのだ。
「ほらみぃ、この間のお返しだ」
二人で夕食を取り終わった後。
食堂から自室に戻った武由が、みぃに素っ気なくネックレスを渡した。
「うおー、ありがと〜〜」
みぃは小さな紙袋を受け取ると、早速中身を取り出した。
「うおー、首輪ー」
「……せめて首飾りと言え……普通はネックレスと言うんだ」
「えへへ……」
みぃは何が楽しいのか、身体をクネクネしながらいつも以上にニタニタ笑っている。
「ためしに付けてみろよ。……付け方分かるか?」
「うん。たぶん」
みぃはネックレスの留め具を一旦外し、羽の飾りが自分の胸に来るよう調子を整えた。そしてそのまま手を後ろに回し、首の後ろで器用に留め具をくっつける。
「えーと、似合う?」
「あ……ああ、良いんじゃないか?」
みぃはその場で一回転し、武由の顔を上目遣いで見上げてくる。
そんな彼女に気圧され、武由の答えはしどろもどろだ。ネックレスを着ける仕草やくるりと回る動きが、みぃの女を強調させる。
いつもはそのへんをぴょんぴょん跳び回り、何か悪さをしてゲンコツを喰らうみぃは、武由の目には性を感じさせない中性的な存在として映っていることが多かった。
しかしこのところのみぃは……特にOSを入れ替えてからは、彼女の行動の節々にみぃが女性であることを感じさせる柔らかな物腰、保護欲をかき立てる弱々しさ、そして若い女性のもつ健康的な色気が見え隠れしている。
「うおー、どの辺が良いのか具体的に〜」
「はぁ!? ああ……そう言われるとなぁ……?」
いきなりのみぃのツッコミに、武由はまたもや気の利いた言葉が出てこなかった。
「ぶー。おざなりな答えは乙女に失礼だぞ〜〜」
「ああ、いや、すまん……」
ほぼ脊椎反射で謝ってしまった武由ではあったが、彼自身先ほどからずっと上の空だとあきれていた。久しぶりに見た悪夢の影響だろうか、みぃに対してもいつも通りの接し方が出来ていないようだった。
彼は気分を切り替えるため、とりあえずその場で深呼吸をする。
「??」
そんな彼の様子を見ていたみぃは小首をかしげていたが、
「んー、とりあえずお前がちゃんとまっすぐ飛べるようにって、おまじないとしては最高だろ?」
そんないきなりの言葉に、
「う、うお!? えーと?」
今度は彼女の方が泡を食っている。
「これからもがんばれ」
「うおー! みぃちゃんまっすぐ飛べるもん! いつの時代の話してるんだー!!」
両手を振り上げ怒るみぃの頭を、彼はグリグリと強めに撫でてやった。
「うおー、そう言えば何でみんな今日にお返しくれるの?」
寝る時間が迫り、外したネックレスを眺めながらのみぃの質問だった。
「はぁ!? お前今日が何に日か知らないのか!?」
「うおー、今日は3月14日だねー。なんかあったっけ?」
小首をかしげるみぃはふざけた様子もなく、結構本気のようだ。
「3月14日って……お前ホントに知らんのか?
「うお? ん〜〜〜?」
目をつぶってん〜〜〜と唸るみぃは、たぶん自分のミソにインストールされている百科事典で検索でも掛けているのだろう。
しばらくすると、ぱかっと目を開け手をぽこんと叩く。
「……なんか面白いこと書いてあったか?」
「えーとえーと、ホワイトデー? へー、今日ってバレンタインデーのお返しの日なんだねー」
「まぁ法律で決まってるワケじゃないけどな」
「バレンタインデーってチョコレート屋さんが始めたことなんだね。ホワイトデーも似たようなものなんだ……ふーん」
「まぁそんなモンだな……。読書週間もゴールデンウィークも業者が勝手に言い出したもんだし」
「うおー、なんだか世の中ってヘンな行事が多いねぇ。みぃちゃん、てっきりチョコレートに悲しい伝説でもあるのかと思っていたよー」
「……間違ってもねぇだろ、そんなモン………」
「うおー、やるせないねー」
「やるせないか?」
みぃは自室のベッドにごろんとひっくり返ると、手に持ったネックレスをじっと見ている。
「うおー、天使のはねー……」
ニコニコと微笑みながらネックレスを見る彼女の顔は、本当に嬉しそうだった。
- 【STP-03β 観察日記・18】
- 今日はホワイトデーということで、先日みぃから貰ったチョコのお返しとしてネックレスを渡した。いきなり文句を言われることもなかったので、気に入らないといったことはなかったのだろう。
ただ、今日がホワイトデーという日であることをみぃは知らなかったらしい。別に今まで教えたこともなかったので、たまたまホントに知らなかったのだろうが、意外だと思われる。一ヶ月前のバレンタインデーも教えたことはなかったが、自分で調べて手作りのチョコまで作っていたからだ。
なお、他の同僚からはAVなんかを渡されていた。みぃは身体は大人かも知れないが、頭の中身はまだまだお子様だ。情操教育にとってどれだけ悪影響が出るのか極めて心配である。ただし、AVも大人の嗜みだ等と本人は言っているので、ある程度分別は付くだろうとの判断から取り上げるようなことはしなかった。
しかし……同じAVでも、もう少し中身を選んで欲しい。女のコ相手にロリを渡してどうするというのだろうか……。みぃには妙なことをに巻き込まれないよう、貞操観念をきっちり身につけさせようと思う。
第17話 [みぃと迷子]
寒さもだいぶ遠のき、日によっては暑さすら感じさせるこの季節。テレビのニュースでは、このころの風物詩であろうか、桜前線の話題がちらほら伝えてられるようになってきた。
研究所の庭に植えられている桜の木の枝にも、ふくらみ始めたつぼみが見受けられ、開けた窓からは暖かな風が舞い込んできている。
そんな廊下を、みぃが一人でてくてく歩いていたときのことだった。
「おい」
そんな声と共に、みぃのスカートが何者かに引っ張られた。
「うお?? えーと、なに?」
みぃが後ろを振り向くと、男の子が彼女のスカートをつかんでいる。どうやらそれを引っ張ったのは彼のようだ。
そして、なかなかスカートを離さない彼の顔をみぃがのぞき込んだ時だった。
「迷子になった。何とかしろ」
「……………。」
ぼこっ
「いってえ! なにすんだよテメー!!」
場をわきまえず横柄な態度の子供に、みぃの愛の鞭が炸裂した。頭頂部に、指でとがったゲンコツを喰らわしたのだ。
「えーと、それが人にものを頼む態度??」
なにやらいつもと立場が全く逆なみぃである。あり得ないことに、腕を組んで他人に説教なんぞを垂れている。
「くっそぉ……他に誰も通らないし……とにかく何とかしてくれよ! おまえでかいんだから道案内くらい出来るだろ!」
早速出来たコブをさすりながら、彼は非難囂々な視線をみぃに向けてそう喚く。しかしみぃはそんなモノに構うどころか露骨にめんどくさそうな顔をしつつ、
「うおー、でかいなんて言われたのは生まれて初めてだぜー。……で、どこに連れて行けばいいの?」
結局律儀に道案内をするようだ。みぃはワリと親切だ。
「……おばちゃんのところだ」
しかし彼女の質問に対する子供の返事は、的を射ているとは言い難い。
「おばちゃんってだれ??」
当然のみぃの質問に、
「名前よくわかんないんだよ! たしかママはゆりちゃんなんて言ってるけど……」
子供はそう言いよどむ。確かに、自分の親の親戚など正式に紹介されないものだから、名前が良く分からないといった事も不思議ではない。
「うお? ゆりちゃん? ……知らんなぁ」
「何とかしろよ!!」
そんな子供のかんしゃくに、みぃの顔はあからさまにめんどくさそうだ。
「うぜー……えーと、ゆりちゃんゆりちゃん、……と」
みぃは腕を組みつつ目をつぶる。
それと時を同じくして、研究所の地下に設置されているサーバ群が悲鳴を上げた。
「!? プライマリサーバ”いちじく”に侵入者あり! 現在ファイヤウォール展開中、侵入経路検索!」
サーバのスーパバイザ(監視用端末)が侵入警報を発する中、研究所内の情報システム部の管理者はマニュアル通りにハッキング阻止を開始する。
「セカンダリサーバ”にんじん”に侵入者あり、ファイヤウォール……!? アドミニストレータ権限を掌握されました!! 現在物理CPU98%確保、トップレベルプロセス発効!」
「いちじくにブルートフォースアタック! 接続元はにんじんです!! 現在アドミニストレータのパスワードを暗号化中……ダメです、OSにログインされました!」
「エッジルータの暗号シード書き換え、ならびに所内プロトコルマスタに強制プロトコル変更を指示」
その場の責任者が重い口を開く。ネットワークプロトコル自体を変更して、セッションをぶち切るというリスクの大きい最終手段だ。一時的に、研究所内のネットワークの大半が死ぬこととなる。
「……受け付けません、エッジルータの暗号シードは瞬間的に解読、逆に書き換えられました!! ……プロトコルマスタへは接続不能、全経路の暗号シードが書き換えられています! ……いちじくに対するアドミニストレータ権限を掌握されました! 現在侵入者はデータベースエンジンに接続、排他的アクセス権取得、全テーブルが侵入者に公開されました!」
データベースが格納されているストレージシステムがうなりを上げる。記憶している全部のデータを洗いざらい覗かれているのだ、
「サーバ群をネットワークより物理的に切断!」
「切断します!」
管理者がプラスチック板を叩き割り、中に据え付けられたレバーを引いた。それと同時に、サーバ群が接続されているルータの電源が落とされる。
「切断完了! いちじく、にんじん共にセッションを凍結、アドミニストレータのパスワードを暗号化中!」
「……侵入経路の検索は!?」
責任者の額に汗が流れる。研究所始まって以来の深刻なネットワークアタックだ。幾重にも張られたファイヤウォールを事実上すり抜け、最深部のデータベースを数分で全て覗かれたのだ。セキュリティシステムの根幹を揺るがす一大事である。
「現在パケット解析中……ダメです、ファイヤウォールのプロトコルスクリーニングが邪魔をして暗号解析が追いつきません! 侵入経路情報跡が失われる可能性があります、暗号解読AI、ルシファーαの解放を申請します!」
「……許可する」
「ルシファーα、プロテクトAIメモリに展開……システム解放」
研究所が有事の際を考慮し作成していた、国家検定を受けていない違法AIが起動する。暗号化データの海に紛れた侵入者の痕跡を見つけるために、通常のコンピュータの数百倍の速さでファイヤウォールが掛けた暗号を解析してゆく。そして管理者達は、ネットワークに流れる大量のパケットの中から、データベースをハッキングした侵入者の痕跡を、すなわちのその辺の廊下に突っ立っているみぃの探索を開始したのだ。
地下ではとんでもない大騒ぎになっているとは露とも知らず……もしかして分かっててやってる可能性も捨てきれないが……研究所の人事データを一通りハッキングし、”ゆりちゃん”と言う名前で検索を掛けたみぃ。
……もちろん、そんな単語で該当するはずはない。
「うおー、そんなのいないぜ。諦めろ少年!」
なにやらびしっと人差し指を立て、高らかにそう宣言する。サーバが切断されるまでの3秒足らずで研究所内のデータベースを全部ハッキングし、痕跡残さず逃げ失せた彼女は極めて得意げだ。いつも通りに無い胸を張っている。
しかし宣言された方は頭に青筋を立て、
「ウソぶっこいてんじゃねえよこのブス!」
ぼこっ
プライドを1秒で否定されたみぃの怒りのゲンコツが、再び彼の頭にヒットする。
「いってー!! いちいち叩くなよ!!」
「じょしこーせいのおねーちゃんに向かってブスとか言うなぁ! 叩いちゃうからね!」
頬をぷぅと膨らませ、ご機嫌斜めのみぃである。
「もう叩いてんじゃねえかよ、このブスブスブスブスブ〜〜ス!!」
ぼかっ!
「ひぎー!! 何度も一緒のとこ叩くなー!!」
中指でトゲを作ったゲンコツが、さっきから1mmたりともずれることなく同じ箇所を打撃する。コブのてっぺんを何度も叩かれれば、人間誰でも相当痛いはずだ。
「みぃちゃん精密射撃も対応可能な拠点防衛兵器だもん、狙ったとこ叩いて何が悪い、このクソガキ〜」
「なにワケわかんねぇこと言ってんだよ、暴力女!」
「暴力女じゃなくてみぃちゃんだもん。……えーと、とりあえず博士のとこ連れてこ、このクソガキ」
みぃは子供の腕をつかみ、とりあえず武由のオフィスに連れて行こうとしたのだが、
「テメェ!! 人に向かってクソガキとか言うな!」
自分の腕を掴むみぃの手をポコポコ叩きながら、子供は飽きることなく悪態を付き続ける。なかなか気合いの入ったクソガキっぷりだ。
「クソガキに向かってクソガキって言って何が悪い〜〜! 嫌ならおいてく」
びしっ!!
みぃのデコピンが彼の頭に炸裂した。
「いてぇ!! ちっくしょう……最悪な一日だぜ!」
半ばみぃに引きずられ、仕方なしにオフィスに向かって歩いていく子供。しかし、そんな彼の視線の先では、みぃのフレアスカートがちょうどの高さでひらひらしていた。
それをなんと為しに見ていた彼の心に、悪戯心と復讐の炎が燃え上がった。
彼はこの先訪れるであろう、ハンパない報復措置が淀みなく決定事項であるのにも関わらず、目の前の復讐心に我を忘れたのだ。そして、後先考えすにスカートの裾をつかんで、その腕を思いっきり上に振り上げた。
案の定、舞い上がったスカートの中に、みぃの真っ白なパンツが丸見えだ。
「うおっ!?」
「なんでこいつお子様パンツなんて履きやがって、だっせー!!!」
一矢報いたとご満悦な子供は、あわててパンツを隠すみぃを指さして笑い転げ、ついでに悪口まで言いまくりである。しかし彼の頭には、みぃの怒りのターゲットスコープが既にロックオンをされていたのだ。
「む〜〜っ!」
ゴキっ!!
またもやコブのてっぺんに、みぃのトゲ付きゲンコツスクリュー仕立て精密誘導付きが炸裂した。ゲンコツが攻撃対象に触れたとたん、えぐり込むように殴りつけるのが特徴である。
「ぐぎゃあああああああっっ!! さっきから同じとこ叩くなこのお子様パンツバカ女ー!!」
頭を抱えて目や鼻から体液を垂れ流しながら、悲痛な雄叫びを上げる彼。半端でない痛さが、もはや泣くゆとりすら吹き飛ばしているのだ。
「じょしこーせいのおねーちゃんのスカートめくると、高く付くんだぞー!!」
そんな微妙な台詞を吐くみぃは、ゲンコツ一発喰らわせたくらいでは納得いかないのだろう、いきなり彼の前でしゃがみ込むと、そのズボンをストンと下ろした。
「うおー、せくしー」
ついでにパンツまで下ろされ、みぃの目の前には可愛らしいモノがプルプルふるえている。
「ば、ばかやろー!! テメェいきなりなにしやがるー!!?」
子供はあわてて股間を手で多い、真っ赤な顔で怒鳴り散らした直後だった。
「みぃ……お前こんな所で一体何やってるんだ……?」
「うお? 博士ー」
いつの間にかみぃの後ろにいた武由が、ため息混じりにこめかみを押さえている。
「あら、まーくんじゃないの! 一体どこ行ってたのよ、さがしてたのよ?」
そんな声と共に前に進み出たのは、武由と一緒に歩いてきた鹿沼だった。
「おばちゃーん!! この女に何度も頭ぶたれた〜〜」
急に甘えた声を出して、鹿沼の足に抱きつく子供。彼はどうやら、自分の武器を最大限に行使する策士である。
「みぃちゃん、なんでこの子のズボンおろしてたの?」
鹿沼はまーくんと呼ばれた子供のデカイたんこぶを優しくさすりながら、みぃにそう問うと、
「うおー、みぃちゃんスカートめくられたからやり返した! 昔の人はイイコト言った。目には目を、スカートめくりにはズボン降ろし!」
みぃは再び人差し指を立て、自信満々にそう宣言した。その瞳には自信と確信が満ちあふれている。
「いわねーよ……」
みぃの気合いの入った目を見て余計げんなりする武由がつっこみを入れるも、その程度で彼女は黙るはずもなく、
「ついでに言うと、みぃちゃんにブスって言った。じょしこーせいの誇りと尊厳を掛けて、その暴言は何があっても絶対許されません〜〜!」
今度は自分の胸の前で拳を握り、細っこい腕に意味もなく力こぶなぞ作っている。彼女はワリと、熱血派な演出が好きなようだ。
そしてそんな彼女の言葉を聞いていた、鹿沼の顔色が一変した。今まで優しく撫でていた手が強ばり、そのコブをむんずと鷲掴みにする。
「ひぎぃっ!?」
「まぁまぁ……ごめんなさいねみぃちゃん。この子が迷惑掛けちゃったみたいで……ちょっとお説教が必要かしらねぇ、まーくん? おほほほほ〜〜〜〜!!!」
彼女は聞く者に恐怖を植え付ける、どことなく位相が歪んだ笑い声を上げながら、なんと彼の耳たぶを掴んでどこかへ引きずってゆく。
「うぎゃあああああ!! いてぇぇ〜〜!! やめれこのクソババァ!! ひぎぃぃぃ〜〜〜」
そんな彼の悲鳴にも一切動じることなく、鹿沼は歩き続ける。
「ほほほほほ、全く甘え腐って育っちゃったのねぇ、頭叩き割ってOS載せ替えちゃおうかしらねぇ、おほほほほほ〜〜〜〜!!」
「ぎゃあ〜〜ゆるしてえええぇぇぇぇ……………」
鹿沼が去っていった廊下の奥からは、彼の悲痛な断末魔が響いてくる。
「うおー、鹿沼博士こえー……」
「こえーな、マジで……………」
みぃと武由は、普段の鹿沼からは想像出来るはずもない変わりッぷりに、しばらくその場を動けずにいた。
遠くから、まーくんと呼ばれた子供の悲鳴が、小さく小さくこだましていた……。
しばらくして。
「あそこだ! 該当アクセスポイントに配置完了、これより侵入者の探索を始めます!」
小銃やらレーザー銃やら、なにやら物騒な獲物をぶら下げた警備員が十数名押しかけ、みぃと武由が立っている近くに設置されている、エアーイーサのアクセスポイントを取り囲んでいる。
「本区画に研究所職員2名を発見、これより確保します!」
さっきから一人の警備員……と言うより、まるでどっかの軍隊の通信兵が無線機に向かってごちゃごちゃ言っている内容が、どうやら自分達に関わりあるようだ。……そんな嫌な予感がした武由であったが、次の瞬間彼等は十数本の銃に取り囲まれていた。
「おいおい、一体何の真似だよ……」
嬉しくもない予感が的中し、憂鬱な気分で一杯になった武由に、警備員の一人が歩み寄る。
「ついさっき、そこのアクセスポイントから地下のコンピュータがハッキングされたんです! 武由さん、一応ですが身分証明書をお見せいただけますか?」
彼等は目の前にいる武由が、万が一偽者でないかを確認しようと言うのだ。警備部のマニュアル通りの対応なので、武由はそれに従う。
「ハッキング!? そんなことが……」
彼は胸に付けていたカードホルダから身分証を取り出し、それを警備員に渡す。
「チェックさせていただきます」
警備員はカードリーダを取り出すと、それに武由の身分証をかざす。カードリーダに付いている小さい画面には”本物”と、素っ気ない文字が表示された。
「ありがとうございました」
武由は返された身分証を再びカードホルダに突っ込む。
「もう一人は……なんだみぃちゃんか。みぃちゃんはいいや」
「うおー、顔パスだぜー」
「つーかお前、ちゃんと身分証持ってるか?」
「………えへへ」
意味深な笑みを浮かべるみぃは、なにやら明後日の方を見ている。
「みぃちゃん、ちゃんと身分証持たなきゃダメだよ? あと、不審者とか見かけませんでした?」
警備員に問われた武由は腕を組み、鹿沼と一緒に廊下を歩いていたときのことを思い出すが、それらしい人物は思い出せなかった。
「いや、たぶん見なかったと思います」
「みぃちゃんは?」
「ごめんなさぁい、よくわかんないー」
みぃもんーと首をかしげつつ、そんな答えを返した。
「分かりました、もし不審者とか見かけたら後でもいいので教えて下さい。すいませんでした、お手数おかけしました!」
「こちらこそお役に立てずに……」
警備員達は武由らを解放し、再びアクセスポイント周辺の調査を始める。
「博士、いこー」
みぃは武由の袖をピコピコ引っ張り、自室に向かって歩き出す。
「あ、ああ……。しっかしハッキングかぁ。彼等が出てきたって事は、相当すごかったんだろうなー」
歩きながら、半ば感心したように呟く武由。とどのつまり、他人事というヤツである。
「……ふっ、チョロいぜー」
しかしみぃは、彼の隣を歩きながらそんな衝撃的なセリフを吐いたのだ。いつか見せた陰鬱な笑みを顔に貼り付けながら、後ろをちらっとのぞき見ている。
「なっ!? お前、まさかっ!!!?」
「えへへ、ヒミツー」
にこりと微笑んだみぃは、いきなり走り出した。
「こら、みぃ、ちょっと待て!!」
彼女の後ろ襟を掴もうとした武由の手は空を掴み、みぃは跳ね上がったスカートの裾からパンツが見えるのも構わずどんどん走ってゆく。
「ったく! 一体どこでそんな悪さ覚えてきたんだ!?」
武由もそんな捨てぜりふを吐きながら、みぃの後を追って走っていった。
- 【STP-03β 観察日記・19】
- 本日は地下のサーバに不正アクセスがあったとのこと。もはや人間業とは思えない速さで、複数のサーバ機のパスワードや幾重にも張られたファイヤウォールが解除されてしまったそうだ。
相手はかなりの性能を持った、暗号解読のアクセラレータを積んだ違法AIではないかといわれている。ただし現段階では犯人に結びつく手がかりは全く見つかっていないそうだ。自分とみぃはたまたま侵入口となったエアーイーサのアクセスポイントの近くにいたのだが、不審な人物は見ていない。侵入者の物理的な痕跡も、未だ見つかっていないとのことだ。
ただし……。自分はそれをしでかしそうなヤツを、実は一人知っている。
また、鹿沼博士が甥っ子と研究所に連れてこられていたのだが、彼は途中で迷子になってしまっていた。先ほどの現場の近くで偶然彼を見つけたみぃは、彼とトラブル(?)を起こしていたようだ。どうやらゲンコツを4発程喰らわせたらしい。あとスカートをめくられたからと、彼のズボンを下ろしていた。
後でゲンコツをした理由を聞いてみたが、確かにゲンコツくらい喰らわしてもおかしくないような物は感じた。しかし一般人に手を上げるのはどうかと思うので、いくら頭に来ても手を上げるようなことはしないよう注意を行った。
ただ、自分もみぃにゲンコツすることが多いので、今後は私自身も気をつけようと思う。自分の行動がみぃの学習活動に悪影響を与える可能性は大であり、みぃを叱る分だけ自分自身への反省を行わなければならない。
第18話 [みぃとナンパ]
つぼみだった桜が咲き誇り、今が一番の満開といった季節である。朝晩のきつい冷え込みも無くなり、柔らかく吹く風に桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちている。
天気予報ではしばらく雨は降らず、晴天が続くと伝えている。後数日もすれば、きっと数え切れないほどの花びらが風に乗って舞い落ちる、桜吹雪が見られることだろう。
開け放たれた窓からは、薄ピンクの花びらが入り込んでくる。そんな花びらが白い点々となり床にアクセントを作っている廊下を、前回同様みぃが一人でてくてく歩いていたときのことだった。
「なぁみぃちゃん、ちょっと俺につきあってくれないかなぁ?」
「うお?」
研究所の職員がいきなり声を掛けてきた。どうやら彼は、みぃが来るのを待ち伏せしていたらしい。廊下のT字路で身を潜ませていた様だ。
「俺さ、みぃちゃんのファンなんだよね! なんてーか、みぃちゃんってオレ的萌えキャラだしさぁ……」
「うおー、もえもえー」
何となくいやらしそうな視線で、みぃの全身をくまなくスキャンする男。その目はギラつき血走っている。
「だからさ、まぁあれだよ、ちょーっとみぃちゃんとイイコトしてみたくってさ……もうどーせいつもヤってるんだろ、ほら、なんて言ったっけ、いっつもいるあいつとさ……」
そんな男の言葉に、みぃは首をかしげる。
「うお? 博士のこと? 何やってるの?」
「うお、なんて言っちゃってさぁ……ひゃっひゃっひゃ! だから、セックスだよセックス。俺もみぃちゃんとそーいうステキな関係になりたいって言うかさ、もう俺みぃちゃんのこと考えるだけで息もハァハァあがってくるっていうかさ、なぁ、いいだろ?」
そんな失礼極まりないセリフを吐く男は、顔を赤らめ腰をもじもじさせている。どうやら彼自身はいつでも準備OKな様だ。股間は大きく盛り上がり、いつでも発射可能ですよといった趣である。
そんな、脂ぎった顔から臭くてやたら熱を帯びた吐息をハァハァ吐く彼に、露骨に顔をしかめながら、
「うおー、そこはかとなく貞操の危機かも〜〜」
さすがのみぃも身を固くする。
「なぁ、まじでいいだろぉ? 他のヤツには内緒にしておくからさぁ……」
「減るから嫌ー」
みぃは頬をプーと膨らませながら、男をその場に残し歩き始める。
「んなー、減りやしないよぉ……」
しかし男もそんな彼女の気持ちを察することなく、例え察しても関係ないだろうが、やっぱり後を付いてくる。
「うおー、おっちゃん知らないの? えっちなコトすると、粘膜にいっぱい傷がつくんだよ? だから減るの! どう? みぃちゃん物知りでしょー」
からかっているのか彼女流の嫌みなのか、みぃは律儀に足を止め男にそう言い放つ。
「……………。と、とにかく、一発でいいからさ! ついでにビデオなんて撮らせてくれるともう最高なんだけど……!!」
みぃの余り役に立ちそうもないウンチクに、彼は一瞬気圧され言葉を失う。しかしついに吹っ切れたのか、男はみぃの肩をつかむと彼女を無理矢理自分の方を向けさせた。
「む〜〜〜。じゃあおっちゃん、みぃちゃんの事本当に好きなの?」
みぃはいつになく真剣な顔で、男の目をその大きな瞳でじっと見ながらそう問うた。そして、自分の肩をつかむ男の手をほどき、彼の手首を掴むと自分の薄い乳房にそっと押し当てる。
「!! もう死ぬほど!」
そんな思ってもみない彼女のリアクションに、彼の目は輝き股間は天を突き、みぃの胸に当てられた手はワキワキ彼女の乳房を揉みまくる。
そんな彼の為さりようを、顔色一つ変えること無く受け入れるみぃは、先ほど同様真剣な面持ちのままに言葉を続ける。
「……じゃあ、みぃちゃんの面倒一生見てくれるの? みぃちゃん兵器だけど、何かあったらどこでも助けに来てくれるの? みぃちゃんのOSがぶっ飛んで生ゴミになっても、ちゃんと後片づけてしてくれるの? 全部ちゃんと責任取ってくれるの!?」
そこで、「当たり前だ」と言ったなら、言える男がいるなら、みぃはすぐにでも喜んで身体を差し出しただろう。けれどもそんな彼女の重すぎる言葉に、劣情に身を任せただけの馬鹿者が応えられるわけはなく、
「えーと、そ、それは………」
自ら手を引っ込め、言葉を濁す男。
「じゃあ嫌。みぃちゃん責任取ってくれる人じゃないと、そーゆーことしないもん!」
みぃはぷいと顔をそらすと、再び一人で歩き始める。
今度は、男も追ってはこれなかった。
「ねぇ博士、今日みぃちゃんコクられたんだよー」
夕食後、自室でパソコンを叩いている武由にじゃれつくみぃが、昼間の出来事を彼に話し始めた。
「は? コクられた?? まぁ……物好きもいるモンだなぁ……。で、なんだって?」
さすがの武由も、みぃのいきなりの衝撃告白をスルーできず、少々間の抜けた顔で聞き返す。
「うおー、ハァハァで萌え萌えで一発ヤラせろってー」
何かとてもひどい簡略の仕方だが、あながち間違っていないところがみぃの言語能力の成長を物語っている。
「……また随分と直接的な表現だなぁ……で、結局どうした?」
彼女の露骨な言葉に顔をしかめつつも、とりあえずオチが気になるので続きを促す武由。それに対してみぃはまた意味もなく無い胸を張りながら、
「みぃちゃんケツの軽い女じゃありませんー!」
自信と確信に満ち、正々堂々言い放つ。そんな彼女の答えを聞いて、武由は理由は分からなかったが、自分自身でほっとするのを感じていた。
「……ほーそうかい、ケツの軽くない女は、その辺飛び回ってむやみやたらにパンツ見せたりしないんだぞ?」
「えー、博士じょしこーせーのおねーちゃんのパンツ興味ないの? もしかしてブルマとか趣味? うわー、やらしー」
「……あのなー、お前いつからパンツがどうのって話になったよ? それに俺はブルマなんか好きじゃないぞ……」
みぃの訳の分からない理論展開に、あきれ果てた武由はパソコンいじりを諦めた。既に彼の脳みそは仕事なんて出来る気分ではなくなっている。それに、彼女の言っていることを少々うがって考えてみると、みぃはわざとパンツを見せて回っているんじゃ無かろうかと父親心(?)に心配になってくる。
確かに彼女は羞恥心が若干欠落しているようで、風呂上がりもパンツいっちょで……時には全裸で武由の目の前をうろちょろしている。研究所の若い連中には、極めて目に毒な光景だ。
「えーとえーと、じゃあやっぱりパンツ好きなんだ〜〜」
そんな彼の心配なぞどこへやら、みぃはどこまでもマイペースだ。
「……どっちも興味ねぇよ。俺は中身が好きなの。そういう風にしとけよ……」
おざなりな武由の言葉に、
「うおー、えろえろだね〜〜」
「だからなんでそうなるんだよ………」
みぃはコクコクうなずき、武由は大きなため息をついていた。
その日の夜。みぃは既に彼女の部屋に戻り、武由は自室で仕事の続きを再開していた。暁を覚えない春の夜である。キーボードを叩く手を止めれば、静かな部屋にはパソコンのファンの音が静かに響いているだけだった。
仕事に一区切りつけた彼が、椅子をリクライニングにして伸びをしたときだった。彼の耳に、妙な音が飛び込んでくる。
……あんっ……んっ………くぅっ……はぁはぁ………んあっ!
「はぁ??」
あわてて上体を起こした彼は、まず第一に自分の耳を疑い、次に一応自分の常識を疑ってみた。そしてこんな時間に、独身男性しかいないはずの研究所の寮の、しかも自分の部屋の中からそんな艶っぽい声が聞こえてくるのはどう考えてもおかしいと結論づけ、彼は改めて音の聞こえてくる先に注意を向けた
そこは、彼の家に設けられた同居人の部屋だった。ちなみにその同居人とは、もちろんのことながらみぃである。
耳を澄ませて彼女の部屋に近づいてみると、みぃの悩ましげな声と共に、リズミカルなベッドのきしむ音までも聞こえてくる。
「オイオイ、まじかよ?」
昼間のコクられた発言が頭をよぎり、彼女が切なげに声を出している状況が、よりリアルな映像となって彼の頭に沸きあがる。一瞬、ホワイトデーに貰ったオトナの教材でも見ているのかと考えるも、みぃの部屋にはビデオもなければテレビもない。それにやっぱり声はみぃのものだ。つまりは、さっきから悩ましげな声をあんあん発しているのは、みぃ以外には考えられないのだ。
ごくりと喉を鳴らし、隣の部屋から聞こえてくる声に耳を澄ます武由。いくら彼が一生一人でいると定義していても、身体は立派に大人である。精気溢れる若かりし日々に比べれば若干気合いが薄れ、いまいち元気と気力がないのだが、時には逞しく上を向いてくれる頼もしいヤツも、未だに健在だ。
さすがにその部分に血は集まっていなかったが、赤らんだ顔の武由はパニックの真っ最中だった。
……一人でそういうことしてるにしちゃあ、なんか激しいよなぁ……だいたいベッドがギシギシ揺れるまで何やってるんだ?
まさか男連れ込んでるのかあいつ!?
それはそれでなんか成長しているようで嬉しいような気もするけど、なんだかやっぱ腹立つなぁ……
つーか、ちょっとホントにそんなことやってんのかよ、相手は誰だよ、なんか無性に許せないぞ、そいつ! ここは俺の家だって言うのに……!!
恋人を寝取られた男の逆恨みか、はたまた娘を汚された父親の怒りか……。いわゆるプッツンキレた武由は意味もなく部屋を歩き回り、ついでにPCの電源をブチ切った。
あんっ……はぁふぅ………んっんっ……うぅっ!
しかしそんな彼の気持ちなどお構いなしに、頭に血が上った彼の耳には、みぃの熱い吐息がずーっと聞こえてくる。
何か良く分からんが許せん! ダメだ!! 何があっても絶対許さん!!!
いつぞやの、みぃに雪玉をしこたまぶつけられたときのように、怒りで前後と自分を見失った武由は、とうとうみぃの部屋に入っていった。
「おい!! お前ら一体なにやってるんだー!!」
ドアを叩き付けるように開け放ち、仁王立ちになる武由。
「うおぉっ!? えーとえーと? どうしたの博士??」
ベッドの上で足を伸ばして座っているみぃは、大きな目を余計にぱっちり開けて、呆然と彼を見ている。
「みぃ、男はどこだ!!」
「男? えーと、目の前にいるー」
「どこだー!!」
「博士ー」
「え? あれ? お前、相手はどこだよ?」
若干血圧が下がってきたのか、視野狭窄から逃れた彼はようやく部屋を見渡した。そして、その部屋にはみぃ以外の人間はどこにもいないことに気が付いた。
「うお?? 相手?? えーと……????」
みぃは首をコクコクひねり、顔に”?”をたくさん貼り付けている。そんな彼女の格好を見れば、おでこに”必勝”のハチマキ巻いて、肩にはタオルなど掛けている。今までぬるぬると艶っぽいことをしていたような、着衣の乱れなどあるわけもない。
「ていうかみぃ、今まで何やってたよ??」
今度は武由の顔に”?”がいっぱい張り付いた。
「腹筋〜。身体鍛えてるの。こんど試合あるんだよ、柔道」
みぃはタオルで汗を拭きながら、予想もしない言葉を吐いた。
「腹筋!? だってお前さっきなんかアンアン喘いでただろ?」
「うおー、腹筋してるときに声だと思うけど……。博士ー、もしかしてたまってんじゃないの〜? 若いんだから時々ちゃんとヌかなきゃダメだよ〜〜」
みぃは心底同情するといった顔でそんなことをのたまう。ついでに何かを握ったような形の手をふりふり上下に動かしているものだから、余計に質が悪い。
「な、な、何言ってるんだよお前!!」
どうやら凄まじい勘違いをしていたことに気が付き、玉のような脂汗をダラダラ流す武由の顔は真っ赤だ。
「うおー、もしかしてみぃちゃんにセクシーな感情を? うおー、エロエロ〜」
そう言って、みぃは自分の身体を抱きしめると、ぶりっこしながらクネクネ身体をくねらしている。
「いやぁ〜ん♪」
「ば、バカ言ってんじゃねえよ、俺はもう寝るからな!」
気恥ずかしさと自分のあまりの愚かさにいたたまれなくなった彼は、とりあえず逆ギレしながらみぃの部屋を出て行った。……というか、逃げ出した。
「……ったくなんだってんだ……みっともねぇなぁ…………!」
そして盛大なため息をつきながら、ふて寝を決め込み布団に潜り込む武由。冷静になってみると、さっき勢いに任せてPCの電源を叩き切ったのことが悔やまれる。数時間掛けて入力したデータをディスクに保存した記憶は無く、鬱な気分がより増した。
「ああ、もう寝よう……」
おおきく寝返りを打ち、彼は頭の先まで布団に潜り込む。
「博士ぇ……」
そんなときだった。みぃが自室のドアの所に立ち、武由を呼んでいる。
「ん? なんだ?」
かぶったばかりの布団から頭を出し、その場に立ちすくむみぃに応える。
「えーと……さっき、みぃちゃんにえっちな気持ちしたの?」
既に部屋の電気を消していたので、彼女の表情をうかがい知ることは出来ないが、どうやらふざけている類のものではないようだ。声は若干うわずり、緊張しているようにも感じられる。
「あ? そんなんじゃないよ、勘違いしただけだよ。悪かったな……」
正直な所、武由は今その話題については触れて欲しくなかった。失敗をなじられてるようで辛くもあるし、それに気恥ずかしさも手伝っている。だが、みぃの態度は真剣なようなので、彼もむげに追い返すようなことはせず彼女に付き合うことにした。
「……ねぇ博士、みぃちゃん女のコっぽい?」
みぃの続けての質問だ。しかし彼には、いまいちみぃの言わんとしていることがつかめない。
「はぁ? どう見ても女のコだろ?? いつも自分でじょしこーせいのおねーちゃんがどうのとか言ってるじゃないか……」
「えーとえーと、そういうことと違う気がする〜〜。みぃちゃんがじゃなくて、博士がね、えーと、どう思ってくれてるのかなって、そゆ事なの」
「俺が……?」
「うん。……ねぇ博士ぇ……。えっとね、みぃちゃんと、えっちなコトしたい?」
それは、みぃからの告白なのだろうか。いまいち彼女の言葉の意味が分からずとも、彼には先ほどの失態が、みぃを勘違いさせているのだろうと考えた。
「な!? 何言ってんだよお前………だから、さっきのは勘違いって言ってるだろ?」
「全然そーゆー気持ちがなきゃ、勘違いもしないと思う……」
けれども、そう切り返すみぃの言葉は、彼の心を思いの外動揺させたのだった。心の奥底に押し込んでいた、他人には決して見られたくない汚い部分。それがふとした拍子で外に飛び出て、皆に軽蔑の視線でなじられるような惨めな気持ちが彼の胸をいっぱいにしてしまう。
「だから、勘違いだって!! 昼間お前が変なこと言ってたから、少し意識しちまったんだよ! もうイイだろ、みぃ……」
彼の自己防御の為だろうか、無意識で声を荒げる武由に、しかしみぃは引くことはしなかった。
「えーとね……みぃちゃん、博士のこと好きだから……上城さん諦めたからね、だからみぃちゃん、やっぱり博士が好きなの」
「え……!?」
「……ホントは、博士のこと最初からずっと好きだったんだけど、博士がね、みぃちゃんの事女のコらしいって言ってくれないから、諦めてたの。だから、上城さんを好きにしたの。でも、上城さんは結婚しちゃうから、もうみぃちゃんには博士しかいないの……。 みぃちゃんね、えーとね、博士とえっちなコト、してもいいんだよ?」
今度は、鈍くて女心の一つも満足に理解できない研究所の頑固者にも、みぃの想いがはっきりと伝わってしまった。
武由はその場で固まり、部屋には、みぃの鼻を啜る音のみが響いている。
彼は布団から出て、みぃのそばに歩み寄る。とてもじゃないが、布団の中で聞くような話ではなかった。
「みぃ……お前の気持ちは嬉しいけど……俺にそんなこと言うなよ。……俺はダメだよ………」
だがやはり、彼は拒絶を己が答えとした。
「みぃちゃんの事嫌いなの!?」
彼を見るみぃの瞳は、たくさんの涙で濡れていた。彼女にとって、たぶん人生で初めての本心からの告白だった。しかしそれは、拒絶されてしまっているのだ。
「違うよ……。でも、俺はお前に好かれたりする資格はないんだ……それにお前が俺のことを好いてくれるのは嬉しく思う。でも、それはきっと単に仲がいいとか、身近だからってだけだよ……。これからいろんな人と知り合いになったら、もっといい人が出てくるはずだ。まだお前は幼いから、恋とか愛とか、まだよくわかんないんだよ……」
武由はとにかく感情を高ぶらせずに、出来るだけ優しくそう言い諭した。そのためだろうか、彼の胸の奥が、握りつぶされたように鈍い痛みで一杯になる。
「みぃちゃんそこまでお子様じゃないもん!」
けれどもみぃは、逆に感情をそのままぶつけてくるのだ。その鋭い気迫と女の子特有の涙声が、武由の神経を酷くささくれ立たせる。
「だったら、聞き分けてくれ! 俺はダメなんだよ!!」
キリキリと、自分の胸を痛くさせる言葉を吐く武由に、
「みぃちゃん、諦めないもん……博士に好きって言って貰う。決めたもん」
そう言い放ち、みぃはドアを閉め自分の部屋に戻っていった。
いつもとは違う重い雰囲気に、みぃの底知れない決意を叩き付けられた武由は、何も言い返すことは出来なかった。
「……なんなんだよ、あいつ………!!」
既にいない彼女に向かってそう吐き捨てるのがやっとで、彼は再び布団に潜り込んだ。
- 【STP-03β 観察日記・20】
- 本日のみぃの健康状態は問題なく、訓練についても計画通りに進めることが出来た。
今回の訓練は、みぃに正式で装備される予定のレーザー銃のキャリブレーションであった。前々より射撃の腕は良かったのだが、大きい銃であるにもかかわらず命中率は95%を越えていた。大変素晴らしい結果である。なお、キャリブレーションを詰めていった最後の方では、殆ど撃ち漏らすことが無くなり、今一度命中率を測定すれば100%を狙えるだろう。
なお、先日行われたプロトコルマスタとの直接接続実験の詳細結果が出てきた。まず、みぃの暗号解析能力はかなりのもので、通常のAIに比べ30倍以上の速さで暗号を解読出来ることが分かった。プロトコルマスタの発生させる暗号文を、ある時にはリアルタイムで解読することもあった。当研究所に設置されているプロトコルマスタは世界的に見ても高性能なコンピュータであり、システムガイアと同等の性能を持つ暗号用のアクセラレータも装備している。違法AIならともかく、通常のAIでは決して敵う相手ではない。だが、みぃはシステムガイアに使われている暗号モジュールをインストールしてあるので、みぃの電子頭脳でのモジュールの最適化がどの程度かによって性能の良し悪しに差が出るのだが、極めて有効に機能していると考えられる。
ただし、いくらシステムガイアの暗号モジュールが入っているからと言って、普通のAIの暗号解読能力がノーマルの場合に比べて30倍も速くなるかというと、それは一概にはそうとは言い切れないだろう。暗号モジュールはあくまで暗号化・復号化処理のアクセラレータであり、直接的に暗号解読を行うファンクションは持っていない。つまり30倍という驚異的な速度は、みぃのAIが暗号モジュールを極めて高度に最適化した結果であると言えるだろう。
第19話 [兵器としてのみぃ・1]
みぃの「好きって言って貰う」発言から十数日後。
取り立てて彼女から積極的なアプローチがあるかといえば、そういう事は全くなく、みぃと武由は今まで通りの接し方を続けていた。
オフィスの窓から、すっかり若葉だけになった桜の木を見ながら、武由は珍しく物思いにふけっていた。あの日のみぃの言葉は結局何だったのだろうかと、机に溜めた仕事をほったらかしたまま、彼はみぃの言った言葉を何度も反芻する。
彼は、例の発言の翌日から、みぃが何かしてくるのではないかと考えていた。そして特別何をするということはないのだが、実はとにかく彼女に対して身構えていたのだ。
しかし、彼女の態度はいつもと変わらず、朝はベッドから転がり落ちたままグゥグゥ寝ていて、昼食は実に男らしく(?)ガツガツ豪快に飯を喰い、そして夜は夜で酒を飲んで上機嫌だ。
武由が何か話しかけても、応対は以前と全く変わらない。独特のイントネーションで「うおー」とか言う。それに酒を飲むなと怒ったら、彼の言うことを聞くどころか毎度のように健康に対する酒の有用性を説くのだ。最近はどこから仕入れてきたのやら、眉唾物のウンチクまでも披露してくれたりする。
そんな彼女の行動から、あの日のみぃは少しおかしかったんだと、彼はそう結論づけることにした。今までの気安い関係が続くのだと考えると、彼は基本的に一安心できたのだ。しかし、みぃがヘンなことを言ってこない……つまりはいつも通りの彼女の態度に、彼はどこかで苛立ちにも似た焦燥感を感じていた。もちろん彼には、自分自身のイライラが何なのかは、さっぱり分からなかったのだが。
午後も少し回った頃。みぃと武由はいつも通りの訓練メニューをこなしていた。
本日の課題は、衛星を使った索敵とその目標に対する長距離直接攻撃の訓練だ。静止衛星軌道上に浮いているいくつかの監視衛星に接続し、監視カメラやその他センサの情報をダウンロード。その情報を自分の頭脳、もしくは研究所のサーバ群で解析し、敵の座標を求める。次に敵とみぃの距離が、先日渡された大型のレーザー銃の射程に入っている場合には、その目標に向かい精密射撃を行うのだ。
レーザー銃の射程はおよそ10km。それ以上は大気によってレーザーが拡散し、威力を失ってしまう。銃へのエネルギー供給は、みぃが背負う2本の巨大なバッテリーから行う。長さが2m、直径が20cm程度の両端が半球形状のもので、彼女自体への電力供給も行えるようになっている。
彼女は基本的に食べ物でエネルギーを生成できるのだが、飛行ユニットは別途エネルギー源を要求する。空に浮いたり、その辺をフラフラ飛ぶ程度では飛行ユニットの内蔵バッテリーやみぃの体内に埋め込まれたバッテリーによって動作出来るが、長距離の飛行やマッハを越えるような動作を行う場合には、みぃはいつもバッテリーを背負ったり腰に巻き付けたりしている。
この日も2本のバッテリーを背中に背負い、デカい銃を持ったみぃは、設定された目標に向かい長距離射撃を行っていた。
「次は、公園の慰霊碑覚えてるだろ? その近くに棒が立ってるから、その先っぽに付いてる紙を狙ってみろ」
「うぃーす」
何となくやる気のない返事をしつつ、みぃはお気に入りの監視衛星『グラジオラス』に接続を開始する。この衛星は設定ミスでセキュリティが緩く、彼女の絶好の遊び場所なのだ。みぃは衛星のカメラが捉えた画像をダウンロードし、慰霊碑の近くに立てられた棒とやらを捜し始める。棒はすぐに見つかった。慰霊碑のすぐ隣に、研究所の職員があくびしながら棒を持っていて、その先にはハガキ大の紙が貼り付けてある。
「うおー、あのおっちゃんも暇だねー」
「ばかたれ! わざわざお前のためにやってくれてるんだから、感謝しながら撃ってさしあげろ」
「うお? おっちゃんの頭撃ち抜いていいの?」
「あのなー、冗談言うならもう少し笑えるのにしろよ……」
「うおー、みぃちゃんギャグのセンスダメダメだ〜〜」
「イイから早く撃て」
「へいへい。」
そんなやる気を塵ほども感じさせない返事をし、みぃは肩に担いだ銃に取り付けられたディスプレイをちらっと見る。そしてさっさとトリガーを引いた。
「ちょりゃ」
レーザー銃からは、一条の光が紙に向かって放たれる。ただしその出力は極めて弱く、武由からはレーザーが出ているのかどうかも分からない。あくまで訓練で、しかも研究所敷地外の公園に向かってレーザーをぶっ放すのだ。万一人に当たっても全く影響がない程度の出力に調整されている。
「……お前本気で狙ったか?」
「んー、いけいけー」
そんな眠そうな顔で気力のない返事をしているみぃに対して、彼は疑惑の視線をぶつけている。どう考えても、適当にやってるとしか思えない。
「あのなー、どこがどうイケイケなんだよ……」
武由がみぃの態度にブツブツ文句を言っているときだった。彼の携帯電話が着信を告げる。
「はい、武由です」
『あー、ポイント31っす。命中しましたー』
「はぁ?……了解しました、ありがとうございます……」
あきれた顔で、携帯をしまう武由。
つまりは、さっきの適当な撃ち方を持ってして、みぃはその場から8km程度離れたハガキにレーザーを当ててしまったのだ。
「何つーか、イケイケだな……」
「うおー、みぃちゃんいけいけのじょしこーせーのおねーちゃんだもん♪」
いつも通りに無い胸を張っているみぃではあったが、今回は根拠も実績もあるので武由は何も言い返せない。
何となく理不尽な怒りを覚えるも、今回はみぃの頭を撫でてやった。
「えへへ」
みぃはとびきりの笑顔で武由を見ている。そんな彼女を見ていた彼は、ふとみぃの「好きって言って貰う」発言を思い出す。
……結局、こういう事なのか?
みぃの一連の好成績は、自分に気に入られようとしている副産物なのではないだろうかと、彼はついついそんな事を考えてしまう。しかし次の瞬間には、その考えは自分勝手な思いこみであり、みぃの努力を否定しているのだと自省した。
”みぃを、立派なガーディアンにする。”
彼は今一度心にそう念じ、隣でニタニタしているみぃに悟られないよう、深呼吸を繰り返した。
「……じゃあ、次は東の草っぱらが目標だな。前にお前が頭から突っ込んだ泥沼覚えてるだろ?」
「うおー、屈辱の場所だぜー」
「ここからその方角のどこかだ。今度は棒だけ立ってるから、それを捜して上に付いた紙を狙ってみろ。ちなみに紙には丸印が書いてあって、その真ん中を……」
武由が次の目標の説明をしている時だった。再び彼の携帯が着信を告げる。発信元は研究所だ。
「? 武由ですが?」
『今、森林保護課より連絡があった。建設中の第38ハブ基地に敵襲。迎撃設備にダメージを受け、速やかな部品の調達を依頼された。STP-03βを行かせる。至急戻れ』
電話の相手はは言いたいことだけ言うと、さっさと切ってしまった。声の主は、彼の上司の堅井である。
「ちょっと!……もしもし?……何なんだよ、一方的に切りやがって……」
既に回線が途切れた相手に文句を言ってもむなしいだけで、彼はため息をつきながら携帯を懐に仕舞う。
「みぃ、研究所に戻れとさ。何か知らんがお使い頼まれたぞ?」
「うおー、うぜー」
「ったくなぁ……うぜえよなぁ……」
みぃの愚痴を咎めることも無く、ふたりで愚痴をハモりながら、彼等は研究所に戻っていった。
二人が研究所に戻ると、既に玄関前には雑多の荷物と共に、鹿沼が彼等を待ちかまえていた。
「一体どうしたんですか、この有様は?」
研究所では、あちこちに軍服姿の警備員が出入りし、物々しい雰囲気を醸し出している。それに彼等の目の前に置かれた荷物の中には、フル充電のバッテリーと共に、出力制限のない本物の大型レーザー銃までもがあるのだ。それを見た武由の問い掛けに、
「さっき、森林保護区近くのハブ基地が攻撃を受けたのは聞いてるわよね?」
いつも以上に厳しい顔をした鹿沼が、今起こっている事態の説明を始める。
「一応もう一度説明しておくわ。さっき……今から30分くらい前かしら、研究所で封鎖活動をしてる、北部地区の森の近くにあるハブ基地が攻撃されたの。基地は全壊して、応戦した警備部も攻撃を受けて、火器管制システムのメインコンピュータが破壊されたそうよ。普通の兵器とかは部品のストックがあって何とか修理できるみたいなんだけど、さすがにシステムまでは修理できないみたいね。それに敵は包囲網を狭めてきていて、このままではやられてしまうという事よ」
彼女の説明に頭をひねりながら、武由は彼女の説明に口を挟む。
「だったら……さっさと撤退するなり救出すればいいじゃないですか。……何でそんなところに残ってるんです?」
鹿沼はそれにうなずき、説明を続ける。
「敵の配置や戦力が今ひとつはっきりしないの。それで救助に向かったヘリごと墜とされたら話にならないわ。現地に残ってる部隊からの連絡によると、敵は戦車まで持ってきているみたいね。それに、ハブ基地は破壊されたけど、一応部隊の司令所は大丈夫みたいだし、火器管制さえ元通りになれば何とかなるらしいわ。そこで、小回りがきいて速い配達が出来る、みぃちゃんの登場という訳よ」
「うおー、みぃちゃんの宅配便〜〜」
「そんなのんきなモンじゃないだろ……。いきなり実戦ですよね? まだそんな訓練してませんし、何とかなりませんか?」
武由は腕を組んで考え込む。今までみぃは、訓練では非常によい成績を出していた。しかしそれはあくまで舞台が用意された訓練であり、その場その場の判断が求められる様な演習は殆どしたことがないのだ。
「まぁ、これもまた一つの経験だと思えばいいのよ。みぃちゃんだったら全然問題ないと考えるわ」
一方の鹿沼は自信を持ってそう答えた。
「それに、こういう事はみぃちゃんの本来の仕事だしね」
未だ思案顔の武由に、鹿沼はみぃの頭を撫でながらそう付け加えた。
「……確かに、お前はこのために生まれてきたようなもんだからな……。システムガイアの防衛は、まさにエンジェルシリーズの存在理由、という訳か……」
そう呟く武由に、
「ういーす隊長!! 自分は死んでもやりぬくでありまーす!」
みぃは拳を振り上げながら、元気いっぱいそんなことをのたまう。
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「死ぬな! だいたいお前は部品運ぶだけだろうが。とにかく早く、ちゃんとまじめに正確に届けるんだぞ?」
「ういーす隊長!! 自分は命尽き果てても任務を全うするでありまーす!」
「あのなー…一体どっからそんなつまんない言葉覚えてくるんだよ……」
武由がため息をつく中、みぃは早速手渡されたバッテリーやレーザー銃、そして基地まで運ぶ荷物を背負う。
「うおー、重い〜〜」
「んー、確かに重そうだなぁ……まぁいいや、とにかくびしっと行ってこい。あと、絶対何があっても安全には気を付けろよ!」
「ういーす隊長!! 自分は荷物の重さにへこたれても愛国心は人一倍……」
「それはもうイイ!」
「ぶー!」
せっかくの気合いを遮られ、不満顔のみぃである。そんな彼女の耳たぶを引っ張り、武由は小声で囁く。
「……少しでもやばいと思ったら、一目散に逃げろよ? ここだけの話、背中の荷物なんかさっさと捨てていいからな?」
そんな、会社の業務に対してのサラリーマンとしてはどうかと思うような武由の忠告に、なぜか頬を赤らめたみぃはコクコクうなずいている。
「フフフ……内緒話? 仲が良いわね…」
傍目からは仲むつまじい恋人同士に見える格好の彼等を、鹿沼は微笑みながら見つめている。
「えっ!? いや、すいません、じゃあみぃ、とにかく行ってこい!」
あからさまに動揺した武由はあわててみぃから離れ、照れ隠しにそのへんの空を適当に指さし彼女を急かす。
「うん、わかったー。じゃあ行ってきま〜す」
もう一度荷物を背負い直すみぃは、さっきまでのかったるそうな顔はどこへやら。なにやら嬉しそうに、ニコニコ微笑んでいる。
彼女は飛行ユニットを起動させ、その場でふわりと浮き上がる。そして適当な高さまで高度をとると、そのまま目的地目指して急加速を行いぶっ飛んでいった。
「大丈夫かなぁ、みぃ……」
心配そうに見つめる武由の視界から、みぃは勢いよく消えていった。そしてすぐに、彼女が音速を超えたときに生ずる衝撃音が、彼女が消えていった空に雷鳴のように轟いていた。
「みぃ、状況はどうだ?」
『んー、いけいけー』
研究所のオペレーションルームに入った武由が、目標に向かい飛行中のみぃに様子をうかがっている。壁に据え付けられた大型ディスプレイに表示される、今の彼女の巡航速度はマッハ36である。これが、みぃの最大出力だ。
「わけわかんねぇよ……周りから攻撃されたとかはないな?」
『んー、今のところ大丈夫ー。その辺のミサイルやレーダーは、みぃちゃんには追いつけないよー』
無線の向こうから、みぃののんびりとした声が響いている。
「所で鹿沼博士、何でテロリストはハブ基地なんて攻撃してきたんでしょうかね?」
彼の問い掛けに、隣にいる鹿沼はディスプレイを見つめたまま答える。
「そうね……まぁ示威行為ってのもあるでしょうけど、現在はネットを征する者が世界を征する時代だしね。ネットワークというのは単に通信のためではなく、そもそもは軍事基地を分散させて、全体としての指揮命令系統を維持するという理由があって開発された側面も持っているわ。攻撃されたハブ基地には、基幹回線のルータが置かれる予定だったのに、おかげでネットワークのスループットは落ちる一方よ。はっきり言って、かなり痛手ね」
はぁと、大げさなため息をつく鹿沼。
「でもネット自体が止まったわけではないですし、また後で建てればいいんじゃないですか?」
武由の意見に、彼女は改めて彼の方を向き、話を続けた。
「そうとも限らないわよ? 実は今、あの基地を攻撃されたおかげでネットの冗長性が無くなってるの。またどこか基幹系のハブ基地をやられたら、それこそネットが止まってしまうわ……。ネットワークインフラの一番の欠点というのは、やっぱりケーブルという物理的な媒体を必要とするところかしらね。そのおかげで、警備や防御に対して弱いロケーションに、わざわざ中継基地を作らなきゃならなくなる……」
「確かに、ネットが切れたら他の基地や支部とも連絡取れなくなりますしね。……じゃあ、衛星を使うってのは?」
「通信衛星のこと? アナクロよ。通信衛星が役に立つのは放送分野だけだわ。ただでさえ衛星回線はレイテンシが大きいし、それに通信内容を電波で放出しているのよ? 是非とも盗聴して下さいって言っているような物だわ。それに回線品質も悪いしね。20世紀末では、電話ですら衛星回線は使わなくなっていたんだから。まぁ、非常時には良いバックアップ回線にはなるんだけど」
「やっぱり普通はケーブルの方が良いわけですか……。でも、やっぱり衛星に比べたら攻撃されやすいですよね」
「そうよ。だから手っ取り早く相手を潰したければ、全ての通信回線を壊せばイイだけ。たった数カ所のハブ基地を攻撃するだけで、相手は身動きが取れなくなるわ。軍隊なんて、指揮命令系統が破綻すれば何も出来ないものよ」
「システムガイアでは、ネットワークの防衛も大切になりますね」
「そうね、みぃちゃんの仕事が増えるわね。……ったく」
何となく重い雰囲気に気疲れし、二人はそのまま黙り込む。
彼等が見つめる大型ディスプレイには、みぃの航跡が刻々と目的地に向かい伸びている様子が、リアルタイムに映し出されている。
彼女は自分の落ち度でも何でもないところで、他人の都合でくだらない用事を作られ、そして周りの人間に命令されるまま、素直に部品を運びに行っている。しかしそんな彼女の努力も関係無しに、こんなつまらない小競り合いが、それこそイタチごっこのように今後も続くのかと思うと、ただでさえ憂鬱だった武由の心はより沈んでいった。
みぃは兵器として生まれ、そして彼は、彼女を完全な兵器にするための訓練を行っている。しかし今になって初めて、武由は一人の人間としてのみぃを意識してしまったのだ。
彼女の努力は報われるべきだと、そして、彼女は幸せにならなければならないと、そんな当たり前の思考が、今になって急に心にわき上がってきたのだ。
だがしかし、現実はそれとは全く反対の方向に動いてるようにしか思えない。システムガイアの建造が進めば、今よりももっと大きなテロや反乱が起こるだろう。そしてその度に、彼女は荷物運びや基地防衛、果てには攻撃活動に駆り出されるのだろうか。
彼は、みぃがとても不憫に思えて悲しくなった。
『こちら森林保護課第3師団第2小隊! 現在の状況を知らせ!』
もう間もなくみぃが目標地点にさしかかろうとしていたときのこと。基地に残る部隊から、研究所に催促の無線が入った。
「現在スペアパーツを空輸中です。もう間もなく着くはずですよ」
オペレータがそう答えるも、
『ハハハ……そんな早く着くはず無いじゃないっすか、だいたい何時くらいになりそうすかね?』
向こうの彼は、あくまで冗談だと思っているようだ。研究所側は、みぃがマッハ36で荷物運びをしていることを敢えて教えていない。一応は盗聴を危惧した防衛上の理由からだが、基本的にびっくりさせようと思っているだけなのだ。
「あと3分位じゃないでしょうか?」
『またまたー! とりあえず了解しました! 以上、通信終わり!』
「隊長! ブツはあと3分で届くとか言ってます!」
「30分の間違いじゃないんか!」
「いや、3分とか言ってました!」
「うーむ、そんなに早くつくモンか? 研究所からここまで、ジェットで飛ばしても2時間は掛かるはずだが……」
みぃの向かう先、破壊されたハブ基地の敷地の端っこに、ボロボロのプレハブ小屋が一つ建っている。元はもう少しまともな見てくれではあったのだが、今は窓は割れ、壁があちこち外れてみっともない姿をさらしていた。隣の基地に迫撃砲を撃ち込まれ、その余波で半壊したのだ。
そしてこの建物こそ、森林保護課第3師団第2小隊の特設司令室である。その中では、取り残された隊員達が十数名、壁の陰に隠れつつ生き残った兵器のディスプレイをのぞき込んでいた。
「ボス! 敵の奴等に動きあり! 誘導ミサイル用のレーダー起動を確認!」
「ボスとか言うな! 隊長と呼べ!!」
「おやっさん! レーダー回復! 索敵再開しまっす!!」
「おやっさんとか言うな! 隊長と呼べ!」
「親方! 敵に動き有り! 高射砲の発砲を確認、目標不明!」
「だから親方とか言うな!! 目標不明でそんなモン撃つか!? もっとしっかり気合い入れて状況把握せんか馬鹿者!」
「んー、わっかんねぇなぁ、なんで奴等いきなり撃ち始めたんだ!?」
「貴様がたった今叩き起こしたレーダーには何か映っとらんのか!」
「全天クリア! ノイズ一つ無し!」
「とにかく状況把握! 急げ!」
先ほどより、ボスとか親方とかおやっさんとか、部下に色々好き勝手な呼称で呼ばれているこの男が、部隊をまとめる隊長だ。やや太り気味の胴体の上に乗っかった厳つい顔に、濃い口ひげを生やしたその姿は、まさに鬼軍曹とかヒゲだるまとか、そんな響きの似合うナイスガイだった。禿げた頭を隠すが如く、いつも律儀に帽子を被っているのもポイントが高い。そんな、ある意味皆に慕われている彼が部下に檄を飛ばしていたとき、
「ちわーす三河屋〜す! ご注文の品お届けに上がりやした〜」
蝶番が壊れて外れかけたドアが開き、その隙間からみぃがひょこっと顔を覗かせる
「そんなモン頼んだ覚えはねぇ! 失せろボケェ!! こっちはそれどころじゃねぇンじゃ!!!」
彼女のすっとぼけた声がいたく気に入らなかったらしく、隊長は脊椎反射で唸り飛ばした。
「うおー、こえー!」
大きな目をぱちくり、みぃはとりあえず回り右をして、さっさとその場から逃げ出そうとしたのだが、
「ちょっと待ったあ! なんだガキ、貴様いつからそこにいる!?」
しかし我に返った隊長は、あわてて彼女を呼び止めた。
「うおー、じょしこうせいのおねーちゃんに向かってガキとか言うな、おっさん!」
「何だとガキ! おっさん言うなっ!!」
ガキなどと呼ばれて頬をプーと膨らませるみぃと、おっさん呼ばわりされて頭に血が上った隊長が、なにやらお互い睨みあって火花を散らしている。
そんないきなりのシチュエーションに、何がなんだか状況が良くつかめない隊員達は、二人の様子を呆然としながら眺めていたが、
「あーっ!! 大旦那、こいつSTP-103っすよ!!」
隊員の一人が、以前研究所でちらっと見かけたことある彼女を思い出し、大声を張り上げた。ただし彼の情報は古いらしく、昔の型番だ。
「大旦那とか言うな!! なんでみんな俺を隊長って呼んでくんねぇんだー!!」
部下達の不忠義に怒り散らす大旦那を除外して、その場にいる隊員たちの視線がみぃに集中する。
「……こいつが、あのガーディアンか?」
「萌え……」
「ふつーの女の子じゃねーの?」
「あの肩ン所に浮いてる青いの何だ?」
隊員達は皆コソコソみぃを見て批評を垂れているが、
「おっさん、だから届け物〜」
しかし彼女はあくまでマイペースに、頭を抱える隊長の突き出た腹をつんつん突っつく。
ぽよぽよ
「やめんかァ!! ……ちゅうかガキ、貴様がまさかあの、”みぃ”か!?」
また我に返った隊長は、あわてて目の前に立つガキ……つまりみぃの顔をのぞき込む。
「まだガキ言うかおっさん……」
いい加減こめかみに青筋を浮かせたみぃは、隊長に再びにらみを効かす。しかしそんな彼女の凄みはあっさりシカトされ、
「貴様、一体どうやっていきなりこんな所に現れやがった!?」
隊長の口から、極めて当たり前の質問が飛んだ。
「えーと、お空飛んできた」
未だ不満の残る表情で、みぃは天井を指さし手をピコピコ動かす。
「そうか! だから敵のヤツら、高射砲やらぶちまけたんっスね、ボス!」
隊員の一人、先ほど高射砲の報告を行った彼が嬉しそうに声を上げる。
「うおー、そう言えば、何か後ろでぽこぽこ鳴ってたー」
目的地に近づいたみぃが減速を掛け、ちょうど音速を切った辺りの出来事だろう。テロリストはみぃに向かって高射砲を撃ったのだが、目標が小さい上に高度が低く、弾は全く当たらなかったのだ。
「むー、まさかこの場所に入ったの見つかっちゃいないだろうなぁ……」
彼等が立て籠もっている司令室は、端から見れば単なる小汚い資材庫にしか見えないのだ。なので今までテロリストは、このバラックが司令室等と知るよしもなく、まったく無視をしていたのだが………
「おやっさん! 敵のヤツらに動き有り! 戦車部隊移動中、本基地に向かってます!」
隊長の心配が即座に的中。
「いわんこっちゃないー!」
隊員の誰かが情けない声を上げる中、
「おんどれがフラフラ飛んでくるからここの位置がバレたんじゃい、このヴォケェがァ!!」
隊長はみぃに向かってまた怒鳴り散らした。、
「うおー、こんなとこまで出前したのにヴォケとか言われたー! せっかく大サービスでマッハ36出したのによ〜」
みぃはみぃで、再びプーとふくれる。
「そんなスピード出すなこの非常識め! だから最新兵器か何かと勘違いされたんじゃ!! 時間は!?」
「接触まであと5分! ちなみに今はおやつの時間です、おやっさん!」
「バナナでも喰っとけ!! うーむっ!」
隊長は腕を組んで考え込む。みぃは「みぃちゃん最新兵器だもーん」とか何とかブツブツ言っているが、誰も相手にしてくれない。
「そういえば貴様、その肩にぶら下げてるゴッツい獲物は何だ!?」
未だ背中に荷物を背負って、例のレーザー銃も肩から吊ったままのみぃに、隊長は視線を向ける。
「えーと、護身用」
「貴様の何を一体どういう風に護身するんじゃ、そんな馬鹿でかい銃ぶら下げおって……うーむ、俺はこいつは兵器だと聞いているからな……研究所に回線繋げ!」
「うぃっす!」
通信担当の隊員が、ノートPCをカチャカチャ叩き、研究所を呼び出した。
『研究所です。みぃちゃんは着きました?』
「みぃの責任者を出してくれ!」
画面に映ったオペレータの声には答えもせず、隊長は武由を呼んだ。
『私ですけど……?』
画面に武由の顔が映る。後ろから覗いていたみぃが、彼に向かってパタパタ手を振っている。
「今ここに来てるみぃだが……こいつの戦力は!?」
『はぁ? 戦力!? そんなモンありませんよ!』
「うおー、ひでー」
画面に映る武由の忌憚のない即答を聞いたみぃは、あからさまに不満そうである。後ろを向いて、ブツブツ何やら愚痴を垂れ始める。
「現在、敵部隊が本司令室に向かい接近中とのことだ! 時間的余裕はなく、戦力の立て直しは不可能と考えられる。だから、今ここに来ているみぃがどの程度戦えるかと思って話をしているのだが……」
隊長の言葉を聞き、武由の顔が真っ青になった。
『やめた方が良いですよ、さっさと逃げて下さい! そいつなんの役にも立ちませんから!』
「うおー、やるせないったらありゃしないー」
みぃのこめかみに、再び青筋が浮かぶ。なんでこんな田舎くんだりまで荷物運びに来たのに、ヴォケだの役立たずだのガキだの言われなければならないのだろう……。みぃはそんな事を考え、心底ヒネくれた。そしてその場にしゃがみ込み、その辺に落ちてた棒を拾って床をゴリゴリほじくり始める。
「だが、なんだかデカイ銃持ってるじゃないか!」
隊長はみぃの銃を指さしてそう言うも、
『本物ですけど飾りです!! だいたいみぃはまだ訓練中なので、射撃の精度は保証できませんよ!?』
「だったら、こちらには精密射撃の出来るスナイパーもいる! 銃だけ我々で使えるのか!?」
『無理です、トリガーはプロテクトされていて、みぃ以外引けない構造になっていますし、それに焦点や出力調整、軌道の微調整もみぃのOSにリンクしています!』
「だったらみぃにやらせるしかないじゃないか! 何とかならんのか!!」
隊長はノートPCのディスプレイを掴みあげ、画面の中の武由を睨み付ける。しかしカメラはディスプレイ上部のフレームに付いているので、武由には隊長の帽子と禿たおでこしか見えない。
オペレーションルームの大型ディスプレイで、隊長の禿頭と対峙する武由は、とにかくみぃに攻撃させることだけは避けたかったのだ。それは、彼女の身の安全を確保すると共に、後もう一つ、非常に重要な理由があるからだ。
彼は禿頭の横にちらっと映っている、床にしゃがみ込んでブツブツ愚痴を垂れ流すみぃに向かって声を掛ける。
『おい、みぃ! お前こういう場合ならどうするよ?』
そんな彼の声を聞いたとたん、みぃはヒネくれモードを一転。元気にすくっと立ち上がると、いつも通りに無い胸を張り、ついでに人差し指をびしっと天に向ける。
「えーとえーと、敵を欺く前には味方から〜〜!!」
そして自信と確信、それに信念まで持ってそう答え放ったのだ。
「こ、これは………!」
さすがの隊長も、みぃの取り返しの付かなそうな気迫にヤバい未来を直感し、彼女に何とかさせようとするのは愚かだったと認めざるを得なかった。
「おやっさん、敵戦車部隊目視で確認! 接触まで後120! 敵散開中、一気に片を付けるつもりです!」
しかし、外れた壁の隙間から双眼鏡を覗いていた隊員が、せっぱ詰まった声で報告を上げる。
「うーむ、こいつは参ったな……」
隊長は再び腕を組み、うなり声を上げる。それをパソコン越しに聞いていた武由も、このままではみぃが何もせずとも危険なのは変わらず、結局敵と交戦するしかないとの結論に達する。
『仕方ないよな……みぃ、とりあえず相手を狙って吹き飛ばす位は出来るだろ?』
みぃの身を案じ、敢えて彼女を役立たず扱いしていた武由は、ついに彼女に攻撃を命じたのだ。
「えーと、たぶん」
そして彼の思いを知ってか知らずか、みぃはにこっと返事する。
『だったら、とにかく敵に2、3発お見舞いして、さっさと逃げろ!! 皆さんも、みぃが派手に暴れてる間に何とか逃げて下さい!』
武由の言葉に隊長はうんうんと相づちし、
「確かにそれがギリギリの所か……。貴様ら、本司令室は放棄! 全員戦略的撤退準備!」
「「うぃーっす!!」」
一同は司令室という名のプレハブから飛び出ると、小走りで近くに掘ってあった塹壕に飛び込んだ。
「よしみぃ、戦車はあっちの方から来る! 適当にぶちかましてくれ!」
隊長は塹壕の中、みぃに敵の来る方向を指示する。
「ういっす隊長〜!! 自分は気合い入れてぶちかますでありまーす!」
みぃは自分の胸の前で拳を握り、いつぞやの体育会系演出の如く細っこい腕に力こぶを作る。
「お前は俺を隊長と呼んでくれるのか! イイヤツだなあ!!」
隊長はみぃの返事にいたく感激したらしく、彼女の両肩をばんばん叩いて喜ぶ。
「うおー、みぃちゃんいいこだもん〜♪」
そしてみぃは塹壕の影から顔を出し、敵の戦車を見やる。
「えーと、索敵開始〜」
キーン………!
みぃの持つレーザー銃から、甲高い音が響いた。
「STP-03β、レーザー銃を起動しました!」
オペレーションルームに、彼女の行動をトレースしているオペレータの声が響く。とうとう、みぃは戦闘が避けられない事態に陥ったのだ。
武由達が見つめている大型ディスプレイには、先ほどから監視衛星からのライブ映像が表示されていた。塹壕の中にいる隊員達に紛れて、みぃの頭がひょこひょこ揺れているのが、ノイズの向こうにうっすら見えている。
「レーザー銃は現在充電中です。フル充電まで後8秒、テロリストとの距離、約300m」
「みぃ……」
武由の口から、彼女の名前がこぼれ出た。彼は無意識の内に、彼女の名を呟いていたのだ。
この戦いが、彼女にとって初めての実戦になるのだろう。見ているだけの彼ではあるが、過度の緊張に身を固くし、手は汗でびっしょりだ。今までの訓練の成果を試されているというのもあるが、しかしそんなことよりも、彼はみぃのことが心配で心配でたまらないのだ。
「大丈夫よ、武由君。みぃちゃんは上手く出来るわ」
真っ青な顔でがたがた震えている武由に、鹿沼は優しく声を掛ける。しかし、彼女の顔もまた、緊張の色が濃く現れていた。
「なんだ、この音は!?」
みぃのレーザー銃から発せられる音に、隊員の一人が呟いた。
「えーと、充電中………じゃあ、撃つよ!」
そう言ったが直後、みぃはいきなり塹壕から飛び出した。
「おい、飛び出たら危ないだろうが! この中から撃たんか!!」
隊長の声には応えず、みぃは塹壕の縁で仁王立ちになると、銃を肩に背負い一気にトリガーを引いた。
「………っ!」
パシッ!!
軽い破裂音と同時に、みぃのレーザー銃から真っ白な光線がはき出された。
漫画的な表現とは違い、現実世界ではレーザーはその軌跡を直線で見ることなど殆ど無い。光の筋が見えるということは、つまりは大気中に光を乱反射するものが存在するということなのだ。ちなみに、光の軌跡が見えることをチンダル現象と呼ぶ。
しかしみぃのレーザー銃からは、文字通り真っ白な直線が、地平線に向かいまっすぐ伸びている。つまり、大気中に浮かぶのほんの少しの塵が、光の柱を形成するほどのチンダル現象を起こしているのだ。銃から吐き出される、レーザーの出力があまりにも大きい証拠だ。
「うわっ!?」
隊員達が、あまりのまぶしさに目をつぶる。
けれどもみぃは目を細めるようなこともせず、右足を一歩前に踏み出すと、腰をひねり銃口を一気に真横に振り抜いた。まさにそれは、大気を横一文字に切り裂くに等しい行為であった。
ジャーーーーっっ!!!
隊員達の目の前で、レーザーの当たった地面が煮立ち沸騰する音が、耳に突き刺さるように鋭く響く。
ボンッ!! パンッ! バカン!!!
レーザーを浴びせかけられた敵の戦車は瞬間的に赤熱し、溶解した装甲の内側から爆発し炎を吹き上げる。そして次の瞬間には、浴びせ続けられるレーザーの高熱で散らばった戦車のパーツは溶解し、そして自ら吹き上げる炎の中で消滅していった。
「すげっ!!」
「これは…………!」
ドバンッ!!
戦車の爆発、そして地面が溶けて蒸発した事による衝撃波が、未だ塹壕に潜っている彼等の頭上を爆風となって通り過ぎる。
「うわっ!」
塹壕の中には砂利や砂煙、そして爆風の余波波が容赦なく吹き込んでくる。隊員達はあわてて目を覆い、上体を低くする。
そんな中、衝撃波が直撃し、高熱を伴った爆風が吹き荒れる地上にただ一人立ちつくすみぃは、その風や一緒に飛んでくる塵やゴミを飛行用バリアで拡散し、全て無力化していた。
ゴウゴウと吹き上げる紅蓮の炎をバックに、巨大なレーザー銃を片手に提げるみぃの姿は、彼女が地上最強の拠点防衛兵器であることを、彼等に十二分に示威していた。
「敵戦車部隊、沈黙! 全車両爆発しました!」
オペレータの声が、静まりかえったオペレーションルーム響いている。
「たった一撃で………そんな、バカな!」
そう呟く武由の喉が、ごくりと鳴った。
「これが、みぃちゃんの力なのね……」
険しい表情の鹿沼が、未だ燃えさかる炎を捉える衛星のライブ映像を凝視している。
「……鹿沼博士、レーザー銃の出力、あれで良いんですか?」
未だ信じられないといった表情の武由の質問に、
「構わないわ。みぃちゃんはあの力を使いこなしているもの」
鹿沼は、きっぱりとそう答えた。
「しかし……」
そう黙り込む彼は、彼女の言葉に納得ができなかった。
あまりにも強力な武器は、みぃ自身をも傷つけるかも知れない。彼女の身を案じれば案じるほどに、そんな心配が武由の心に広がってゆく。しかし強力な兵器を持つという事は、みぃの存在意義にも関わる事でもあるのだ。
みぃは地上最強の拠点防衛兵器であるが故、他を究極的に圧倒する火力が必要不可欠である。攻撃は、最大の防御だからだ。そして、自分自身では何の攻撃力も持たない彼女にとって、強力な武器は絶対的に必要なものなのだ。
自らの存在意義のため、自らを傷つけるかも知れない武器を持たねばならないという二律背反に、武由は自分自身を説得できるだけの解答を見い出せなかった。結局、ため息と共に視線をディスプレイに戻し、思考を放棄した。
その時であった。オペレーションルームに、ひときわ大きな警告音が鳴り響く。
「これは……敵後方部隊よりミサイル発射を確認、短距離地対地ミサイルです!」
「なんだって!?」
大型ディスプレイに、ミサイルの予想進路が表示された。
第20話 [兵器としてのみぃ・2]
「まじかよ、たった一撃でやっちまったのかよ………?」
今まで遠くから響いていた戦車の音が一切せず、辺りは静寂に包まれていた。
「えーと、これでいい?」
スカートをふわりと膨らませながら、その場で回れ右をして塹壕の中をのぞき込むみぃ。
そしていかにも「ほめてほめて♪」と言わんばかりの笑顔を皆に向けているが、そんな彼女に微笑み返せる者など、この場には居やしなかった。
「……………。良いも悪いも無いけどよ、……こんな……」
塹壕からよたよたと這い出た隊員が、周りの景色を見てそう呟いた。そしてそのあまりにも凄惨な光景に、彼等はそれきり言葉を失った
先ほどまでこちらに迫りつつあったテロリストの戦車は、その残骸はおろか、細かな部品すら原形をとどめず溶かされ、そして吹き散らされていた。さっきまでは炎が吹き上がっていたであろう地面は、煙がもうもうと立ち上り、そして真っ黒に焼け焦げている。一部は、ガラス状にまで変化していた、あまりの高熱に、土中の珪酸分が溶け出し凝固したのだ。また、辺りに生えていた木々は爆風によりなぎ倒され、一部は炭化までしている。
「……何にしても、みぃ、よくやってくれた」
隊長は硬い表情の中にも優しさを浮かべ、みぃに礼を言う。
「えへへ」
みぃは嬉しそうに微笑んだ。が、
「うお? おっさん、ミサイル!」
監視衛星からの緊急アラートを受信したみぃは、反射的に先ほどまで戦車が押し寄せていた方に振り向いた。そして、目視と衛星からの情報で、雲間にこちらに向かって飛んでくるミサイルを見つける。
「ほら、あれ!!」
みぃが指さすが、普通の人間である隊員達にはミサイルは見えていない。しかし彼等にとって、みぃの言葉は十分な説得力を持っていたのだ。
「何だ、次はミサイルだぁ!?」
「戦車といいミサイルといい、バックにゃ何が付いてやがんだ!!」
「えーと、えーと、もう間に合わないから、みんなみぃちゃんの羽根の下に隠れて!!」
みぃは塹壕に滑り降りると、レーザー銃をその辺に放り投げ、飛行ユニットを素早く起動。羽根を一気に展開する。
「どういうことだ!?」
わけが分からず隊員が聞き返すも、、
「はやくしろーっ!!」
みぃの怒鳴り声に、一同あわてて再び塹壕に飛び込み、彼女の羽根の下に潜り込んだ。
それを確認したみぃは目をつむり、上空の監視衛星『グラジオラス』に向け、全神経を叩き付けた。
「監視衛星、グラジオラスにハッキング!」
けたたましいミサイルの警告音が鳴り響くオペレーションルームに、スーパバイザの警告音までもが混じり合う。
「どこのバカだ、こんな時に!! うざったい…!!」
武由がそう呻くも、
「……これは、STP-03β……みぃちゃんです!!」
「みぃが!?」
いつもは行儀良く(?)人知れず衛星に侵入しているみぃが、今回は実力を持ってハッキングを仕掛けたのだ。普段から色々いじくり回している衛星だけあって、彼女にとってのグラジオラスのセキュリティーは、ちり紙程度の強さもなかった。状況を掴むのに精一杯な武由がきょろきょろ左右を見渡している僅かの間に、部屋中の警報装置が点滅をし始める。
「グラジオラスのセキュリティー、解除されました!」
「現在特権命令発効中、アドミニストレータ権限を掌握! 現在グラジオラスはみぃちゃんの制御下にあります!」
オペレーターが次々に報告をあげる中、ひときわ大きい警告音が発せられる。
「プライマリサーバ、いちじくにアタック……にんじん、さんしょうも同様です! ……サーバ群アドミニ権限取得されました!」
「計算センター内ハイパーコンピュータ群に侵入、これもSTP-03βです! サーバ群にウィルスを注入し、踏み台にされています! ファイヤウォール、自動的に展開……無効化されました! 管理者権限を取得、全プロセスを強制的にシャットダウン……現在物理プロセッサ92%排他的占有、全システムリソースの85%を掌握しました!」
「スーパバイザシステムに侵入、特権モード発効……割り込みベクタ書き換えられました! OSがハングアップ、自動的に再起動を開始……失敗! 手動で再起動します!」
幾人ものオペレータの声が矢継ぎ早に響く中、武由は真っ赤なエラー表示に埋め尽くされた大型ディスプレイを見やり、
「あいつ、ここまで手際よかったか!? 何でここまでハッキングなんて出来るんだよ!?」
オペレーションルームに設置されている数多くの端末が、その機能が奪われている。みな、この空前絶後のハッキング劇に、呆然とディスプレイを見ている以外為す術がなかった。
「みぃちゃん、プロトコルマスタに干渉……侵入しました! プロトコルマスタ、自動的にプロトコルスクリーニング開始! 緊急用暗号プロセッサ、ルシファーβを展開!……うそっ!? もう解除?? プロトコルマスタの制御権が奪われました!! 現在、全IPプロトコルがみぃちゃんに解放されています!」
「研究所内ルータに対してプロトコルチェンジ命令発効中、STP-03βの制御圈は外部ネットワークまで到達」
「……この間、ここのプライマリサーバと接続実験やったじゃない?」
真っ青な顔で呆然と立ちつくす武由に、何かしら確信を得た鹿沼が語りかける。
「その時の鍵を使ったのよ……。相手はプロトコルマスターだって言うのに、乱数発生のシードまで類推しちゃったのかしらね……あり得ない話ではないわ、プロトコルマスターとみぃちゃんのAIって、乱数発生モジュールは同じ物を使ってるもの」
「いくらドライバが同じだからって、CBCのSAES暗号をリアルタイムで解いてるんですよ!? あり得ませんって、滅茶苦茶ですよ……!」
「頼もしいわね、武由君……」
そう呟く鹿沼の顔が、武石には微笑んでいるように思えた。彼はそんな場違いな彼女の表情を見て、反射的にが怒りを覚える。しかしだからと言って鹿沼に突っかかってもどうしようもなく、彼は再びディスプレイに視線を戻す。
「STP-03βはネットワークへの侵攻を開始、ハイパーコンピュータ群をコプロセッサに使い、パケットの暗号解読を行っています。……えっと……これはどこのサーバ? 未確認のサーバに侵入を開始しました!」
「何かを見つけたのね、みぃちゃん……」
鹿沼と武由が見つめるディスプレイには、みぃ達に迫り来るミサイルの航跡が着々と伸びていた。
既に、隊員達の目にもミサイルの姿がはっきり見えていた。というよりも、それはもう目前に迫っている。隊員達は、もはや呆然と見ているしかない。
「みんな、我慢してね!」
みぃの声と共に、最大まで広げられた彼女の羽根から、バチバチと紫電が舞った。ミサイルが2発、シュルシュルと音を立て飛んでくる中、放電により発生したオゾンのにおいが辺り一面に立ちこめる
「………!」
みぃは目をつぶる。彼女は自分の頭で組み上げた最後のパケットを、世界中のサーバから見つけ出した一台のそれに叩き込んだ。そのパケットはどこかのアンテナから電波となって放射され、彼女たちに迫り来るミサイルに流れ込んでゆく。
そして次の瞬間、世界は真っ白になった。
「STP-03β、飛行用バリア最大出力で展開」
「みぃ……!」
「ミサイル爆発! 合計2発! みぃちゃんと衛星とのリンク、途絶しました! グラジオラス、保安モードに移行」
「ハイパーコンピュータ群、リンク途絶によりプロセスを凍結、システムリソース解放」
「プライマリサーバ群、通常モードに移行、プロトコルマスタ、プロトコルスクリーニングを解除、外部ネットワークまでの制御権、復活しました」
オペレーションルームを支配していたみぃからのリンクが途切れ、コンピュータ達が自由を取り戻す。今までみぃと研究所のハブとして大量のパケットを叩き付けられていたグラジオラスが本来の機能を取り戻し、研究所に向け衛星写真を送りつけてくる。
大型ディスプレイは、白一色で埋め尽くされた。カメラの下では、今まさにミサイルの放った爆発エネルギーが放射されているのだ。
「みぃ、どうした! どうなったんだよ!!」
誰もが声を発せずにいる中、武由が無線機に向かって怒鳴る声のみが、オペレーションルームに響いていた。
みぃと隊員達の頭上で、2発のミサイルが爆発する。
その爆発力が、彼女の飛行ユニットの創り出すバリアの防御力を越える直前に、彼女はミサイルに対し自爆命令を送りつけたのだ。おかげで彼女らはミサイルの直撃を喰らわずに済んだ。
しかしそれでも圧倒的な熱と光、暴力的な爆風が、みぃのバリアシステムへ容赦なく叩き付けられてくる。
「ふぎゅ〜〜〜〜〜〜っっ!!!」
そしてそのバリアを支えているのは、みぃ自身に他ならない。彼女の華奢な足が地面を踏みしめ、凄まじい重圧を受ける背中の羽根を保持しているのだ。
隊員達は皆、みぃの羽根の下で頭を抱えてしゃがみ込むのに精一杯だった。
そして未だ凄まじい爆音が続く中、みぃが背負っているバッテリパックに異変が起きた。あまりの熱と衝撃に耐用限界が過ぎたのだろう、バッテリパックは割れた外装の隙間から火花を散らしたかと思うと、一気にバラバラに砕け散り、後ろに吹き飛んでいってしまった。
「ぐぁう!!」
電源供給を絶たれたみぃの身体に、最大出力の飛行ユニットからのエネルギー要求が、まるではらわたを引きずり出されるような感覚をもってのしかかる。だが、ここで飛行ユニットを止めるわけにはいかなかった。外はまだ、人が呼吸を出来るような気温ではない。もしもバリアを止めれば、みぃや隊員達は一瞬のうちに肺を焼かれ、塹壕の中で皆窒息死するだろう。
みぃはなけなしの体内電池を飛行ユニットに解放し、隊員達を守る壁を維持し続けた。
それから十数秒過ぎた頃。爆風の余波でつむじ風が吹き上がるなか、大気の温度は徐々に下がり始めていた。
みぃの羽根は大気に溶けるように消えてゆき、隊員達に外気が触れたときには、辺りは人が行動できる状態を取り戻していた。
「あっちっち……ったく、いきなりミサイルかよ!!」
「何とか助かったな……」
「もう二度とごめんだぜ〜〜」
幸いにも軽い火傷や擦り傷ですんだ隊員達が、安堵の表情を浮かべ立ち上がる。そして先ほどみぃが焼き払った時よりも、もっと激しく様変わりした景色に呆然としている中、
どさっ
受け身も取らず、みぃが鈍い音を立てて地面に倒れ込んだ。
「みぃ!……ああっ!?」
「うわっ、まじかよ、だいじょうぶかよ!!」
隊員達は、突っ伏した彼女の焼けただれた背中を見、瞬間的に口を押さえる。みぃ背中は下着や服が溶けてむきだしになり、皮膚は真っ黒に焼けただれていた。まるで固まりかけの溶岩のように、炭化した皮膚の割れ目からは、どす黒い血や体液がじわじわと染みだしている。地面には、同様に焼け焦げた飛行ユニットも転がっていた。
「みぃちゃん、みぃちゃん!」
隊員達が彼女の身体を揺するも、返事はおろか身じろぎ一つしない。
「なんてこった、みぃちゃん、みぃちゃん!!」
「落ち着け馬鹿者共!! 早く様態を調べんか!」
隊長の一喝で、彼等はみぃを担ぎ上げると、吹き飛ばされた司令室の残骸に平らな部分を見つけ、そこに彼女を横たえた。
「かわいそうに、こんなになって……!」
隊員達はガレキの中から救急箱やその他治療に使えそうな物をを掘り出し、焼けこげた皮膚にガーゼを当ててゆく。
「こいつは俺らを命がけで守ったんじゃ、何があっても死なせるんじゃねえ!!」
「了解ッす、ボス!!」
彼女の治療にあたる隊員が、隊長の命令にひときわ大きな声で返答する。
「何か使える無線機か何か無いんか!?」
「ノーパソ一台確保! 何とかいけそうです!!」
隊員の一人が、液晶が割れただけのノートパソコンを掘り出し、研究所に回線を繋いだ。
『こちら研究所です! みぃはどうなりましたか!!』
割れた液晶は何も映しはしなかったが、スピーカーからは武由の怒鳴り声が聞こえてくる。
「すまん!! みぃは我々をかばって大火傷を負ってしまった! 意識が無い!」
悔しそうな声と共に、隊長はノートパソコンに向かって頭を垂れる。
『火傷ですか!? じゃあ、そいつの腹に耳当てて下さい、何か音してませんか!?』
「おい、誰かみぃの腹の音を聞いてみろ!」
隊長は振り向き、みぃを心配そうにのぞき込む隊員に指示を出す。
『服脱がして直に耳当てないと聞き取れないことがあるので、注意してください!』
「了解した、ちょっと待っててくれ!……おい、早くせんか!」
隊員達はあわててみぃを仰向けにすると、ボロボロになったシャツやスカートをはぎ取ってゆく。
しかしさすがにパンツまでをおろすのはためらわれるのか、彼等は皆お互いの顔を見合っている。
「何をしとるか貴様ら、今更でも無かろうが! どけ、俺がやる!!」
隊長は自ら、みぃのパンツを半分だけ下ろした。
「すまんな、辛いことばかりさせちまって……」
そうつぶやき、彼は背中とは対照に白さを保っているみぃの腹に耳を当てた。
ぎゅ〜〜 ごろごろごろ
「………うーむ、なにやら腹の虫の音しか……?」
『電子ブザーのピーピー言う音が聞こえませんか?』
パソコンからの問い掛けに、隊長はもう一度耳を当てるが、そんな音は聞こえなかった。
「聞こえん! ……お前も聞いてみろ!」
彼は近くにいた隊員の頭を掴むと、無理矢理みぃの腹に押しつける。
「………聞こえません、普通の腹の音です!」
彼等の報告を聞き、ノートパソコンのスピーカーから、安堵のため息が聞こえた。
『なら大丈夫です、ちょっとみぃをひっぱたいて起こしてくれませんか?』
「そんな酷な!」
隊員の一人が思わず叫ぶも、
『大丈夫です、そいつ見かけに寄らずワリと頑丈ですから、とにかく早く!』
「わかった! ちょっと待っててくれ!」
さすがにひっぱたくのは躊躇われたのか、隊長はみぃの肩を何度か揺する。
「おぃ、みぃ!」
「……うお〜〜」
隊長の呼びかけに意識を取り戻したのか、うっすら目を開け、辺りを見やるみぃ。
『みぃ、一体どうしたんだ!?』
ノートパソコンからの問い掛けに、
「うお〜〜、バッテリーがぶっ飛んで電気がない〜〜。もうダメ〜〜。死ぬ〜〜」
ケホケホと、力なくむせ込んだみぃが、うつろな視線でそう答えるも、
『何で外したんだバカタレ!!!』
まるで、ノートパソコンが飛び上がりそうな怒鳴り声が返ってくる。
「だって〜、途中で外れてどっか行っちゃったんだもん〜〜」
ようやく視点が定まってきたみぃは、とりあえず頬をぷーと膨らませる。
『だから何で外れるようなことを……』
「そう怒らんでくれんか!」
パソコンの向こうで怒り上げる武由を、隊長は無理矢理黙らせた。
「……みぃは十分すぎるほど役に立ってくれた! バッテリーが外れたのも事故だ。ミサイルの爆風によって吹き飛ばされたんだ。みぃに落ち度はない、俺が保証する!!」
『あ……いや、そうでしたか、どうもすみません……』
「それよりも、みぃの治療を優先して貰いたい! 怪我が酷い、救援はどうなっている?」
『はい、ちょっと待って下さい……今、救援ヘリがそちらに向かってたそうです! しばらく時間が掛かるとは思いますが……すいませんがそれまでみぃをお願いします』
「了解した! ……おい貴様ら、みぃに服着せてもっとしっかり手当てしてやらんか!!」
「「ういーっす!」」
隊長はノートパソコンの蓋をバタンと閉じ、隊員達に指示を出す。隊員達は自分らが着ている服を脱ぎ、素っ裸でパンツを半分脱がされたみぃによってたかって被せていった。ちなみに閉じられたパソコンから武由が何かギャアギャア言っているが、誰も聞いてはいない。
「よし、こんなモンだろ!」
一仕事終えた隊員達が見下ろすみぃは、
「うお〜、あせくせ〜〜。それに暑い〜〜。死ぬ〜〜」
まるでみの虫のように着ぶくれさせられ、断末魔の雄叫びを垂れ流している。
「お前ら極端なんだヴォケがあ!!」
そんな様子を見てうなり散らす隊長に、
「うお〜、うるせ〜〜」
みぃは一言付け加えた。
「けが人はだまっとけ!!」
「うお〜、難儀だ〜〜」
それから12時間ほど過ぎ、とりあえず綺麗な服を被せられたみぃは、司令室の残骸の上でうつらうつらとまどろんでいた。時刻は既に午前0時を回っている。普段は虫の鳴く音が騒々しい場所であるのだが、如何せんクレーターと廃墟しかない場所に成り果ててしまったため、周りはとても静かだ。ただ、天気は晴れており、満天の星空だけはにぎやかだった。
隊員達は、廃墟の影から敵の接近を伺っていた。
「おやっさん、5時の方向からヘリが接近!」
双眼鏡で周りを監視していた隊員が、小声で報告を上げる。
「むぅ……敵か味方か……どっちだ?」
彼等と一緒にがれきの下に潜り込んでいる隊長は、隊員からふんだくった双眼鏡でヘリを見やる。
「暗くて良く見えんな……。予定の時刻はとっくに過ぎている……。敵かもしれんな……!」
隊長は双眼鏡を隊員に押しつけると、ガレキの中で半壊したコンピュータをいじり回している隊員を見やる。
「そっちはどうだ!」
「ボス! IFFは味方を告げてます!」
「そのIFFはマトモなんか!?」
「みぃが持ってきたパーツで修理したからイケてるハズっす!」
「いまいち理由がアレだが……」
けれど周りには逃げる場所はおろか、反撃する武器もない。みぃが持ってきた補修パーツも、あらかた吹き飛んでいて使い物になるのが殆ど無い状態だ。
「むぅ…。このままやり過ごすほか無いか………!」
なので、近づいてくるヘリが敵機ならば息を殺して通り過ぎるのを待ち、味方なら衛星で場所は分かってるはずだから勝手に着陸するだろうといった、半ばやけっぱちな姿勢で挑むことしか出来そうにもなかった。
やがて近づいてきたヘリは、クレーターのヘリに着陸する。後部のハッチが開き、中から同僚の警備員達と共に、タンカを持った救護隊員が出てきた。
「味方か……おい! こっちだ!!」
隊長は大声を張り上げ、救護隊員を呼び寄せた。
結局、ヘリはテロリストの攻撃を警戒し、安全を確認しながらの飛行だったためにそれなりの時間が掛かったのだ。
「全員、みぃに敬礼!!」
救護隊員がみぃをタンカに乗せ、ヘリに搬送する中、警備部の隊員達はタンカの通る両側に整列し、彼女に向かって敬礼をする。
「うおー、照れるぜ〜〜」
みぃは煤けた頬を赤くしながら、ニタニタ笑っている。やがて彼女を乗せたタンカがヘリのベッドに固定されると、隊員達もヘリに乗り込んだ。
「もう少しで研究所に帰れるからな、それまでの辛抱だ」
「えへへ……」
隊長がゴツい手でみぃの頭を撫でると、みぃはニコニコしながら目をつぶる。ヘリはエンジンのうなりを上げながら離陸し、研究所に向かい帰路につく。
真っ暗な空の中を、行き同様敵を警戒しながらの飛行のため、静穏モードで飛び続けるヘリコプター。しんとまでは行かないが、機内は十分すぎるほど静かだった。隊長はみぃが寝息を立て始めるまで彼女の隣にいたのだが、やがてその場を離れ、別室にいる救護隊員に詰め寄った。
「おい、みぃの出血が酷い! タンカが真っ赤になってるじゃないか!」
小声で言っているワリには、救護隊員の襟首を掴み上げているから迫力は満点だ。
「これ以上処置の必要はありませんよ、それに彼女の血液は我々とは違うので輸血できませんし、ほっとくしか……」
「何じゃそりゃ!?」
「STP-03βは人造遺伝子のクローン体で、あの程度の怪我では命に別状はありませんよ……」
「お前そんなこと関係あるか? ああ!? 見てて可哀想だと思わんのかー!!!」
救護隊員のつれない態度に、隊長の怒りは臨界点を突破した。
「おやっさん、みぃちゃん起きちゃいますよ、ここは任せましょうよ」
隊員の一人が止めに入るも、
「何じゃこのヴォケが! 貴様さっきの恩を忘れたとでも……!!」
むぎゅっ
「ふごぉ〜〜!!!」
隊長は隊員の顔を掴むと、それを思いっきり握りつぶす。
「ボス、だからあんたがここで暴れても仕方ないって!! みぃちゃんの事を思うなら静かにして下さいよ!」
「む、むぅ………!」
隊長はつかみ上げていた二人の男を投げ捨てると、奥に向かって歩いていった。
「ったく、どいつもこいつも!」
一番奥の椅子にどかっと腰を下ろした隊長は、目をつぶり研究所に着くまで開かなかった。視界の端に映る、赤い血を流したみぃが可哀想で見てられなかったのだ。
ヘリは10時間程度で研究所に到着した。来るときと同様、テロリストを警戒したため余計に時間が掛かったのだ。最短コースで来れば、6時間程度の距離である。
ヘリのローターがアイドリング状態になり、ハッチが開かれタラップが置かれた瞬間に、機体の中に白衣の男が飛び込んできた。武由だった。血相を変え、みぃの元に走り寄ってくる。
「みぃっ! 大丈夫か…………うぐっ!!!」
みぃの姿を見て、瞬間的に口を手で押さえる武由。彼は瞬間的に襲ってきた嘔吐を我慢するのに、精一杯だったのだ。
先ほどの煤けたカメラで写したディスプレイ越しに比べ、この目で見るみぃの身体は想像以上にひどい状態だった。
炭化してボロボロになった皮膚からは、赤黒い血がにじみ出ている。タンカは既に真っ赤だ。そして何よりも、動物の肉の焼ける醜悪なにおいが、そこには充満していた。
そのにおいは、もはや死臭だった。
いくらみぃが頑丈で、普通の人間なら即死するような大怪我を負っても、電子頭脳さえ壊れていなければ何とかなると、そう理性では分かっていたとしても……。
人の形をした者が負う様な傷ではないと、彼の本能は反射的に恐怖する。
「うぐっ………みぃ……!」
口を押さえたまま、目から流れ出る涙を払いもせずに立ちつくす彼の目の前で、後からヘリに乗り込んできた救護隊員や、みぃの身体を合成した生化学チームの人間が作業を始める。みぃの火傷を調べるために、タンカの上で仰向けに寝ている彼女をひっくり返えした。
「うお? いて〜」
みぃは寝ぼけ眼で声を上げる。そんな乱暴なやり方に、武由が非難の声を上げようとしたのだが、
「おい!! もっと丁寧にやらんか!!!」
隊長の声がそれよりも早く轟いた。
「あっ……貴方は先ほどの……」
武由の前には、帽子を脱いだ隊長が立っている。
「みぃに物資の輸送を依頼した、警備部森林保護課第3師団第2小隊長の岩山だ。今回は彼女が居なければ、我が部隊は間違いなく全滅していた。大変感謝している。そして……みぃの大怪我は全て俺に責任だ。申し訳ない!!」
隊長はその場で頭を下げる。
「いや、その、頭を上げて下さい……みぃは闘うために生まれてきたわけですし、だからこういったことも仕方はないと……」
「いや、それとこれとは違う問題だ」
隊長の頭を上げさせようと口に出した言葉であったが、隊長はおろか言った本人の武由さえも、その言葉には納得出来なかった。
「……大丈夫です、みぃは丈夫ですから。すぐに良くなって、また柔道部に遊びに行けるはずです」
「ああ……そうだな。確か警備部の柔道部に入っていると……。俺も昔は入部していたんだが、今の部署だと練習にも行けなくてな。……ああ、もし何か困ったことがあったら、いつでも俺に言ってくれ。我が部隊は全面的にみぃを応援する! ……では、申し訳ないがこれで失礼する!」
隊長は武由とみぃに向かって敬礼した後、小走りに外に出て行った。機内に残っていた隊員達も、彼に続く。
「みぃちゃん、がんばれよ!」
「飯おごってやるぞ!」
「早く元気になれよ!」
「あとでデートしような!」
「……うおー、ばいばい〜」
みぃはニコニコしながら、彼等に手を振っていた。
警備部の隊員達が機外に出た後、一通りのチェックを済ませた救護隊員が、みぃを乗せたタンカを持ち上げた。
「これからICUに移送します」
そう武由に告げた隊員達はタンカを機外に出し、そのまま研究所のICUに搬入した。
ヘリからタンカの後に付いてきた武由ではあったが、管轄の部署が違うICUのドアはくぐらせて貰えなかった。結局彼はドアの横に置いてあった椅子に座り、みぃの治療が終わるまで待つことにした。
「はぁ………」
盛大なため息をつく武由。もちろん、彼はもうこれで一安心等と考えられる様な楽天家ではない。目を瞑ると、炭化したみぃの背中や皮膚の焼けた嫌なにおいが次々に思い出されてくる。それが元で、未だむかむかと吐き気が治まらない。胃の中身が上がってきそうになると、彼はその度にため息をつき、何とかやり過ごしていた。
「何でこんな事になったんだろうなぁ……」
独りでに、そう愚痴る武由。それがきっかけとなって、彼のイライラは一気に増した。手で顔を覆い、またもや大きなため息をつく。
「まったくなぁ……」
彼の心には、数多くの心配事が湧いてくる。
訓練が遅れてしまうこと、機能障害が残ってしまうかもしれないこと、みぃが恐怖を覚え、兵器としての活動を出来なくなってしまうかも知れないこと、そして、彼女に傷跡が残ってしまうこと。
みぃはああ見えても、れっきとした女の子だ。一見何にも考えてないように見えるが、ワリと自分の身体には気を遣っているのだ。以前もピチピチお肌がどうのと言っていたが、化粧なんて使わないものの、それ相応のスキンケアはやっているらしい。時々鹿沼に洗顔クリームについて聞いていたり、ネットで妙な商品を調べていたりする。
年頃の女の子の背中がボロボロのケロイド状になってしまうのは、あまりにも可哀想でいたたまれない。
「まったくなぁ……」
手で顔を覆ったまま、彼はまた愚痴る。
やはりどう考えてもみぃが可哀想だ。結果的には警備部の隊員を救い出したので”行かせなきゃよかった”等とは軽々しく考えられないものの、この結果で良かったなどとは絶対に納得できない。
みぃを心配しているつもりの彼だったが、いつしかその思いは彼女を取り囲む環境や組織に対し、イライラを募らせるものとなっていた。
しかし思いをぐるぐる巡らし、再び彼女に対して思考が及んだとき、彼は気が付いたのだ。
当事者であるみぃは、重傷を負っているにもかかわらず、ぎゃあぎゃあ泣き喚どころか痛みの一つも訴えず、極めて平然としていたことに。
彼女に、怪我の痛さを抑える機能が付いているというのは聞いたことが無い。結局、みぃは激痛に襲われながらも、愚痴一つ言わずに我慢していたのだ。
そのことに気が付き、彼は心底自分がみっともなく思えた。怪我をしたみぃが愚痴の一つも言わないのに、所詮は外野の自分が何をぐずぐず愚痴っているのだろうかと。
パシン!
彼は、自分自身で両頬をひっぱたく。星が飛んで頭がクラクラしたが、心にたまりつつあった重苦しい気分はどこかに吹き飛んだ。
今は、みぃが元気になることのみを考えるべきだ。みぃは丈夫だから、すぐに良くなるはずだ。
先ほど、彼が隊長に向けて言った言葉を思い出し、自分自身にそう言い聞かせる。そして彼は、みぃの手術がうまくいくよう、いつしか祈っていた。普段そんなコトなどしない彼であるのに、
「武由君……ずっと居るのね」
もう、みぃがICUに入ってから15時間を過ぎた頃だろうか。
みぃの回復を祈り続けていた武由の隣に、鹿沼が腰を掛ける。
「鹿沼博士……まぁ、みぃがここを出たとき誰もいなきゃ寂しがるじゃないですか……ああ、でもどうせ麻酔で眠ってるか、意味がないですね……」
アハハと、武由は自嘲気味に笑っている。
「思いは通じるものよ、武由君。みぃちゃんも絶対喜んでくれるわ。……私も、一緒に待とうかしらね……」
鹿沼は足を組み、目を閉じる。時間は午前1時を過ぎた頃だ。結局、鹿沼もみぃが心配で今まで起きていたのだろう。
鹿沼は寝ているのか単に目をつむっているのか分からなかったが、みぃを待つ仲間が増えただけでも心強かった。彼はみぃが部屋から出てくるまで、ずっとずっと待ち続けていた。
鹿沼がやってきてから5時間くらい経った頃か。ICUのドアがいきなり開き、中からみぃを乗せたベッドが出てきた。
半ばうつらうつらしていた武由ではあったが、その音を聞き一気に覚醒する。
「みぃ、大丈夫か!? ……あ、あれ??」
ベッドに駆け寄った彼が見たものは、包帯も何もしていない、ただ寝息を立てて寝ているだけのみぃだった。彼は反射的に、彼女の身体に被せてある布を取り払う。するとそこには、傷一つ無い綺麗な身体が横たわっていた。
「みぃ……?」
呆然としながら、そう彼女の名前を呟く武由。彼は、みぃがミイラの如く、全身包帯でぐるぐる巻きになって出てくると思っていたのだ。だが、彼女は包帯どころか、絆創膏の一つも貼っていない。まるで、身体だけそっくりそのまま新しいものに入れ替えたようなものだ。
「STP-03βの修復作業は完了しました。損傷部分は除去し、培養皮膚を貼り付けた後に、培養液で組織を接着しました。まだ検査とかが残っているので、今日明日は入院ですが、今のところ問題はありません」
「……そう、ありがとう」
いつの間にか近くに来ていた鹿沼に、救護隊員が報告を行っている。彼等の言葉は、まるで物を修理するような言い方だった。
再びみぃの乗るベッドが動かされ、あてがわれた病室に運ばれてゆく。武由はその場に佇み、彼女を呆然と見送っていた。
「みぃちゃん綺麗になってじゃない、よかったわね、武由君」
彼の横に立つ鹿沼が、みぃの運ばれた病室に視線を向けつつ微笑んでいた。
「……やはり……みぃは人間ではないんですね…………」
だが、対照的に武由の表情は沈んでいた。救護隊員の物言い、そして我が目で見た、みぃのあらざる回復能力。彼は、改めてみぃが人によって作られた存在であることを認識し、彼女が純粋な人間でない事実を思い知らされたのだった。
「みぃちゃんは人間よ。彼女は人の遺伝子から生まれたわ」
そう言う鹿沼の表情からは、いつしか笑みは消えていた。
「……ただ、我々よりもちょっと補助具の多いだけの、普通の女のコよ」
「しかし、普通の人間だったら……何であんなに簡単に大やけどが治ってしまうんですか……おかしいですよ」
消え入りそうな声で、彼はそう反論する。
「ふぅ……武由君、貴方にみぃちゃんを育てる資格は無いわよ、そんなこと言ってたら……。
確かに、みぃちゃんは自然に生まれた人間ではないわ。遺伝子改良したヒトゲノムと、人工骨格、それに電子頭脳で出来ている。だけど、それがどうしたって言うのよ。私たちと一緒にご飯を食べたり、笑い合ったり、そして愛し合ったりだって出来るわ。
……私はね、武由君。みぃちゃんに兵器としての機能なんて、どうでもいいと思っているわ」
「なんてこと言うんです、鹿沼博士……!」
鹿沼の衝撃的な言葉に、武由の声は大きくなる。
「みぃちゃんは兵器だから、武器の扱いだけ上手くなればいいですって? 心も要らないし、笑いもしない。……そんな子で良いわけ? 貴方は以前、みぃちゃんがそうなっちゃった時に随分と取り乱していたじゃない。そもそも、エンジェルシリーズが人の形をしている理由、貴方はちゃんと分かっているでしょう?」
鹿沼の問い掛けに、うつむきながら答える彼の声は、再び小さくなる。
「それは……。我々を守る存在が機械の形をしていると、自分たちの存在が惨めに思えるからだと思いますが……」
「違うわ。我々は、我々を守ってくれる存在と共に歩んでいけるようにって、それで人に最も近い存在を作り出すことにしたのよ。
究極の目的は、我々と共に我々を守ってくれる人間そのものなのよ」
「……それは建前ですよ……。我々は、みぃと共に戦う力なんて持ち合わせちゃいません。みぃはすごく強い。でもあのみぃが、あんなに大怪我してくるような所で、我々が一体何を出来ると言うんですか……! とても、人間がどうこうできる事じゃないですよ………」
「武由君。もう一度言うわ。みぃちゃんは我々と同じ人間よ。今更彼女を機械扱いしようだなんて真似、絶対に許さないわ。貴方は今までみぃちゃんを人間として育てていた。その責任だけは、きっちり取りなさい」
「………」
鹿沼の言葉に、武由は何も言い返せない。
「そしてね、みぃちゃんをレディにすることが出来るのは、貴方だけなのよ、武由君。それだけは、決して忘れないで」
鹿沼はそういい残し、その場を去っていった。
武由は、みぃが運ばれた病室のドアを開けた。中は個室になっていて、一つだけ置かれてあるベッドにはみぃが座っていた。彼が部屋に入ったときには既に目を覚ましていて、武由の目の前で大あくびをこいている。
「うお〜〜〜、今日はよく働いたぜ〜〜」
いつもながらにおっさんくさいヤツである。ついでに首をコキコキ鳴らしているから余計に質が悪い。
「みぃ……調子はどうだ? 痛いところとか無いか?」
「えーと、えーと、別にない〜〜」
彼の問いかけに、みぃは腕をぐるぐる回し、いつも通りにニコニコ微笑む。
そんな彼女の笑みを見た武由は、罪悪感で心が押しつぶされそうになった。
みぃの驚異的な回復能力を見せつけられ、彼はみぃがまともな人間ではないと気味悪がってしまった。しかし彼女は武由を顔を見て、他意も何もなく純粋に微笑みかけている。彼の抱いた嫌悪感は、みぃに対する最低の裏切り行為だった。
「みぃ……ごめんな……」
無意識のうちに、謝罪が彼の口からこぼれ出る。彼はもう、みぃの顔を直視できなかった。
「うお? どうしたの博士、みぃちゃん元気だよ?」
頭を垂れる武由に、彼女はあわてて顔をのぞき込み、そして、
「えーとえーと、心配掛けてごめんね? もう無茶しないよ?」
うつむいたままに武由を心配し、みぃはそっと彼の頬に手を添える。
「違うんだよ、みぃ!」
だが、武由は彼女の手を振り払い、病室から飛び出していってしまった。
みぃの優しさに、彼の罪悪感は限界を超えてしまった。彼の良心は、これ以上この場にいることに、とてもじゃないが耐えられなかったのだ。
部屋のドアがバタンと閉まり、部屋に静寂が訪れる。
「博士ぇ……」
そう呟くみぃは、ベッドの上から呆然と彼の後ろ姿を見送っていた。
- 【STP-03β 観察日記・21】
- 昨日、封鎖地域の近くに建設中であったハブ基地が攻撃を受け、そのためにみぃが補給物資の配達に派遣された。
その時テロリストからの攻撃を受け、結果みぃは背中に大やけどを負ってしまった。
だが、彼女は火傷の部分を培養した皮膚と張り替えられ、翌日には完全に元通りになっていた。それは、みぃの調整された遺伝子による物らしい。彼女の身体を培養したときに使用した培養液を、皮膚の接着剤として使えるとのこと。詳しい話は部外秘のため教えて貰えなかったが、培養液が付着した細胞は驚異的なスピードで細胞分裂を行い、結局の所傷口がさっさとふさがってしまうのだそうだ。おかげで、皮膚移植をしたといわれる手術跡など全く分からない。
私はそんなみぃの姿を見て、正直彼女のことを気味悪く思ってしまった。あの驚異的な回復能力は、我々人間の常識を完全に越えている物だからだ。
だがしかし、それは間違った考えだ。みぃの遺伝子は国家検定を通っているものであるし、それ以前に彼女の遺伝子の由来は、れっきとした人間の物だ。
例え一瞬でも、彼女を人間でないと思った自分が恨めしい。どうしょうもない馬鹿者だ。彼女は拠点防衛兵器でもあるが、それ以前に人間の一人の女の子だ。
それを自分に言い聞かせ、これから彼女に接してゆこうと思う。
第21話 [みぃと武由・1]
火傷の治療後、大事を取って入院したみぃではあったが、結局一晩のみで退院した。検査の結果、移植した皮膚もそのほかも、全く異常が無かったからだ。
早速武由の部屋に戻り、彼との夕飯の食卓を囲んでいたときのこと。みぃは枕はやっぱり自分のものが良いなどと、おっさんくさいことを言いつつニタニタ笑っていたが、そんな彼女を見やる武由は、どことなく雰囲気が違っていた。まるで初対面の相手に気を遣っているような、敢えて言うなら他人行儀な態度だった。
彼は、みぃに距離を置き始めていたのだ。今までみぃとはなれ合いすぎていたと、彼女のことを、自分の感情論で考えるべきではないと、彼は改めて自分に言い聞かせていたからだ。
そして、それと同時にこの日以降、みぃも変化を見せていた。以前「博士に好きって言って貰う」と言い放った彼女は、それを実行に移していたのだ。
第一に、みぃは聞き分けがだいぶ良くなった。以前は武由の言いつけを守らず怒られることが時々あったが、もうそんな事は殆ど無くなった。
第二に、以前にも増して武由と時間を共有したがっていた。昔の常時マイペースみぃは、いつも武由と遊んでいるように見えても、用事もないのに武由にじゃれつくようなことはしていなかったのだ。
そして武由の前で、笑顔をよく見せるようになっていた。いつもニタニタ笑っているみぃだが、相手をちょろまかすときの笑みと、「えへへ」と好意を持った相手に向ける笑顔は、全然質が違う。
もちろん、それらの行動はみぃの計画的な行動によるものでは無い。彼女の純粋な武由を恋う気持ちが、みぃに自然とそうさせているのだ。
「ねぇ博士ぇ〜」
みぃは暇さえあれば、武由のそばに行き彼にまとわりつこうとする。そして武由は、そんなみぃの態度に、いちいちイライラするのだった。
以前の彼ならば、ぶっきらぼうな物言いの裏に優しい視線をむけ、いつものゲンコツも彼らの気の置けない挨拶だった。しかし、
「今忙しいから、あとでな」
彼はみぃの方を向くこともなく、彼女を追い払う。
「えーと、じゃあ、また後で来るね」
みぃは寂しそうな顔をすると、自分の部屋に戻っていった。
武由は、みぃと自分との関係について悩んでいたのだ。彼女が彼に対し特別な感情を抱いていることは、以前みぃの口からはっきりと言われたことだ。
そして彼自身、みぃと一緒に過ごした日々の積み重ねが、彼の中での彼女の存在をとても大きなものにしていた。
武由自身自覚がないが、みぃのことが好きなのだ。
以前、彼がみぃの事を「やはり人間ではない」などと評したのは、彼女のことを特別な存在として見ていたからだ。
恋でイカれた人間は、相手の欠点なんか全然見えなくなりますよと、つまり”あばたもえくぼ”などという状態になってしまうものだが、しかし彼は逆に、好きな女性の普通とは違う部分を、より強調する形で感じ取ってしまっていたのだ。
そして、彼自身気が付いていない彼の本心とは裏腹に、彼の理性はみぃを特別な人として見るなど、決して潔しとしていない。
みぃは兵器だ。しかも地球規模で進められているプロジェクトに属する被実験体である。
自分の私的な感情で彼女をどうのといったことは、考えるまでもなく絶対に許されないことだ。
だから、みぃがいくら自分を好きだと言っても、それは悲しい恋物語であり、物語は物語のうちに終わらせなければならない。
みぃには兵器としての教育を完璧に施し、システムガイアの拠点防衛システムとしての制式採用を、周りの連中になんとしてでも認めさせなければならない。
……それが、みぃに対して最も良いことなのだと、武由は自分自身に納得させようとしていた。いや、既に納得済みだ。だからこそ、彼は今もこうして研究所で働いている。
それに彼は、自分自身に恋をする資格など、決してありはしないと定義しているのだ。
みぃが大やけどを負った事件から1ヶ月後。
この日も彼等は武由の部屋で夕食を取っていたのだが、おざなりな相づちしか打たない武由のおかげで、みぃが一方的に話すだけのつまらない食卓になっていた。
そんな食事を済ませた後。武由が自室に籠もり、パソコンで書類作りをしていた時のことだった。
「ねぇ博士……お話ししてもいい?」
少しだけ頬を赤くしたみぃが、武由の横に立つ。
「今忙しいから、後でにしてくれ……」
だが、彼はそんな彼女を見ることもなく、冷たく言い放つ。
「博士、いっつも忙しいんだね」
「……そうだな」
「博士、いつになったらお話しできるの?」
「……さあな」
「博士、みぃちゃんの事、嫌い?」
「……べつに」
「だったらこっちを向いてよっ!!!」
「っ!?」
唐突な、そして悲痛なまでのみぃの怒鳴り声。彼はびくっと痙攣するように身体を震わせ、あわてて彼女の方を向く。
「……大きな声出して、ごめんね、でもみぃちゃん、博士とお話ししたいの」
みぃは、武由の顔をじっと見つめている。そんな彼女の鋭いまでの気迫に、武由は完全に気圧されていた。
「な、なんだよ、言ってみろよ………」
「えーと、みぃちゃん、博士がいないと生きていけないの」
今まで武由をじっと見ていた目が、ふっと逸らされる。
「……え?」
「全然生きていけないの。博士と一緒にいないと、苦しいの……」
みぃの目から、涙が一筋こぼれ落ちた。
「……よくわかんないんだけど?」
「あのね、みぃちゃんね、博士のことが好きだから、胸が苦しいの……。でも、博士が全然お話ししてくれないから、とっても胸が苦しいの。……このままだと、みぃちゃん死んじゃうよ……」
「そんなことでいちいち人が死ぬかよ」
「死んじゃうよ、だってこんなに胸が苦しいんだもん……」
自分の胸の前で服をきゅっと握るみぃは、涙をぽろぽろ流す
「好きな人に振り向いて貰えないなんて、死んじゃうよ……っ」
こぼれ出る涙をぬぐうため、顔をゴシゴシ擦るみぃ。しかし涙は止めどなく溢れ、彼女の顔を濡らしてゆく。
「……仕方ないだろ、忙しいんだから!」
そんなみぃの態度や涙声に胸を掻きむしられ、神経をささくれ立たせた武由は、自分自身でもくだらないと思うほどの言い訳しかできなかった。みぃがこぼす涙の量に比例して、彼の胸の痛みも増してくる。
「みぃちゃんバカだから、博士にどうしたら振り向いて貰えるか分かんない。だから、博士の言うこと何でも聞くの。……博士、えっちなコトでも何でもいいんだよ?」
そんなみぃの他意のない言葉に、しかし武由は誰にも触れられたくないトラウマを刺激されてしまったのだ。
「……いい加減にしてくれよ! 人の気も知らないで!! 何がなにをしてもいいだ!? だったらお前、俺が死ねと言ったら死ぬんかよ!!」
ダンッ!!
怒りにまかせ、彼は机を殴りつける。だが、そんな彼の幼稚な恫喝にも、みぃは全くひるまない。
「博士がみぃちゃんの事いらないんなら、鹿沼博士に言ってOS止めて貰う」
涙を流したまま、しかし武由をまっすぐに見つめるみぃの顔は、その意志の強さを如実に表していた。
「馬鹿馬鹿しい……そんなこと出来るわけ無いだろ!?」
「みぃちゃん本気だもん……」
未だ涙を流すみぃの瞳は、あくまでまっすぐ彼を見つめている。そんな、自分自身を辛くさせる彼女をさっさと追い払いたい武由は、けれどもみぃを論破や大声で黙らせられないと、本能的に悟ったのだった。
「だったらみぃ、ちょっとお前こっち来てみろよ」
彼は席を立つと、乱暴にみぃの腕を掴んで自分のベッドまで引っ張っていき、
「お前が言ったとおり、好きなことをしてやるよ!!」
彼はみぃの肩をつかむと、一気にベッドに押し倒す。
そしてみぃの着ているシャツを乱暴に引き裂き、ブラを引きちぎるように上にたくし上げ、あらわになった乳房を乱暴に揉みしだく。優しさも何もない、冷たく機械的な行為だった。
「ッ………」
みぃはあらがうこともなく、ぎゅっと目をつぶって彼の行為を受け入れる。
「お前、俺にこんな事して貰いたかったんだろ!?」
彼は乱暴に、力任せにみぃの乳房をこね回す。まだ成長途中で堅さの残る乳房が、痛々しく握りつぶされている。みぃには、相当の激痛が襲いかかっているはずだ。
しかし彼女は何も言わない。ただ、彼の行為を懸命に受け止める。まるでそれが、彼女にとって望ましいことであるように。
「……おい、みぃ!」
あらがいの仕草もない、悲鳴の一つも上げない。完全に思惑が外れた武由は、ここに来てようやくみぃの顔を見た。
そして、ごくりと、武由ののどが鳴る。
顔を上気させたみぃは、潤んだ瞳で彼をじっと見ている。その瞳は、決して拒絶を示していない。
みぃの乳房を握る彼の手が、次第にぶるぶると震えてくる。
「? 博士、続きしないの?」
そんな、動きを止めた彼に向けるみぃの視線は、とても暖かいものだった。震える彼の手に、みぃの手がそっと乗せられる。
「……ッ……みぃ……お前、なんで嫌がらないんだよ!? 男にこんなひどいことされてるのに、何でお前笑ってやがるんだよ!! 嫌がれよ、お前何やってるんだよっ!!」
彼はみぃの肩をつかみ上げ、みぃを何度も乱暴に揺さぶった。、
「何で嫌がらなきゃいけないの? 好きな人とえっちなコトしてるんだよ、みぃちゃん嬉しいよ?」
そう嬉しそうに囁く彼女の言葉に、彼の心は張り裂けた。
「バカだ……俺がバカみたいじゃねぇかよ!!!」
プライドも何もかもぶっ壊され、彼は頭を抱え慟哭する。そしてベッドから飛び降りると、脇目もふらず部屋から飛び出していった。彼はみぃから逃げ出したのだ。
「博士ぇ!……えーと……みぃちゃん、なんか悪いコトしたの……?」
呆然と、武由を見送るみぃ。彼女はベッドの上で座り込んだまま、真っ赤に腫れた胸をそっとさすっていた。
部屋を飛び出した武由は、靴も履かずに表に出て、夜空をぼぉっと見上げていた。
月は出ていない。うっすらと浮かんだ雲の切れ目に、いくつかの星が見える。まだ冷たさを含んだ風が、彼の頬をかすめていく。
そんな夜空の下に佇む彼の心に、様々な感情が湧いては消える。
悔しくもあり、自分がただの馬鹿者のようでもあり、みぃが何を考えているのだかさっぱり分からなくもあり……。
先ほどの武由の行動は、決してみぃに劣情を押しつけたわけではなかった。みぃにレイプまがいのことを敢えて行い、嫌われることで彼女を追い払いたかっただけなのだ。
……乱暴なことをすれば、さすがのみぃも自分に好意を抱くことはなくなるだろう。結果的に、もう二度と仲良く遊ぶことは無くなるだろうが、それでも公私のケジメの付いた、本来あるべき関係にはなるだろう。
彼の計算はそんな感じだった。それに武由は、もう二度と女性は抱かないと心に決めていた。それは彼の人生を掛けた償いでもあり、彼のポリシーでもあったからだ。
しかし彼の計算はあっさり外れた。みぃに酷い乱暴をしたというのに、嫌われるどころか彼女の本気度を絶対的に思い知らされたのだった。
この全く予期せぬ事態に万策尽き、耐え難い醜態を晒しただけの彼にとっては、もはやあの場に残って一体何を取り繕えただろうか。ここにこうして逃げることが、彼にとって唯一残された選択肢だったわけだ。
「あいつ、一体何を考えてるんだよ……」
はぁと一息、ためいきをつく武由。もう、今まで大切に思ってきた色々なことがどうでもいいように感じられ、全てのことが疎ましく思えた。極めて殺伐とした気持ちだった。
みぃの気持も全く分からないし、それに彼自身も、さっぱり思考が纏まらなかった。
翌日。
武由は寝不足の目を擦りつつ、仕事場で書類を作っていた。結局、みぃを押し倒し、あまつさえそのまま置き去りにして逃げてきた自室へは戻ることも出来ず、ロビーの長いすと親睦を深めたのだった。
そんな彼の元へ、いつもと変わらずみぃが寄ってきた。
「博士ぇ、えーとえーと、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「…………」
武由は何も言わず、昨晩乱暴にしたみぃの胸元に視線を送る。ラフにボタンを掛けた服の胸元から見える彼女の肌に、赤いひっかき傷が何本か見える。どうやら、昨日引っ掻いてしまったようだった。
「ダメだ」
彼の胸が、みぃのひっかき傷のようにズキリと痛む。
「……またダメなの?……やっぱり、昨日博士がみぃちゃんのこと愛してくれたとき、何か怒らしちゃったからなの?」
隣で仕事をしていた鹿沼が、一瞬だけ視線を彼らに向ける。
「っ!! そんなんじゃない! 仕事の邪魔だからあっち行ってろ!!」
自分のみっともない姿をこんな所で公言され、逆上した彼がみぃに怒鳴りつける。しかし、みぃはもう引かなかった。
「……博士、何でみぃちゃんの事避けるの? みぃちゃんのこと、嫌い?」
「ああ! そうだよ!! だから自分の部屋に戻ってろ!」
怒りにまかせ、罵声を浴びせ続ける武由。だが、みぃは首を横に振る。
「……違う、博士はみぃちゃんの事嫌いじゃないもん! でなきゃ昨日みたいにえっちなコトしようなんて思わないでしょ? みぃちゃん嬉しかったんだから……だから昨日の続きしようよ……」
「黙れっ!!!」
バシッ!!
みぃの左ほほに、彼の張り手が飛んだ。もうこれ以上、みぃに昨晩のことを喋られたくなかったのだ。そのあまりの強さに、彼女はその場でよろける。
「っ! ……ごめんなさい、博士……っ!」
みぃは叩かれたほほを押さえながら、部屋を走り去った。
部屋の中が一瞬シンとなる。いつもの武由のカミナりとは全く違う雰囲気に、その場にいた人間は皆彼の方を見ている。
「武由君……何があったの?」
そして、その静寂を破ったのは鹿沼だった。彼女は自分のノートパソコンの蓋を閉じ、彼の方に向き直ったのだ。
仕事中の私語も殆ど無く、ましてや普段閉じられることなど全くないパソコンの蓋が閉められてしまった事に、”全てを話せ”という彼女の無言の圧力が、武由の全身を押しつぶす。それに彼女の話す物腰はいつもと変わらぬ優しさだが、しかし彼を睨め付ける視線はとても厳しいものだった。
「………プライベートなことです!」
武由は僅かの間をもって、腹の底からこの一言を振り絞った。彼に今出来る、精一杯のあらがいの言葉だった。
「悪いけど……あなた達の話、横から聞かせて貰ったわ。……みぃちゃん、本気なのね」
鹿沼は彼の瞳をじっと見つめる。武由はそんな彼女の厳しい視線に耐えきれず、彼女から目を逸らす。
「わけ分かりませんよ……あいつ、一体何考えてるんだか……」
「フフフッ」
鹿沼いきなりは笑った。
「な、何がおかしいんです!?」
「武由君、貴方は研究者としては優秀かも知れないけど、男としてはダメダメね。……まるで子供だわ」
「それは……」
さすがの武由も、子供と言われてむっとする。
「一体どこの世界に、女が何考えてるかなんて分かる男がいるのよ……。貴方が昨日の晩、みぃちゃんに何したかはこの際聞かないでおくけど、本気の女のコ相手にやってイイ事とイケナイ事くらい、区別は付くでしょ?」
区別の付けられなかった武由は、もはや言い返す言葉もない。
「……みぃちゃんは貴方が好きなのよ。よかったじゃない、あんな可愛い子に好かれて。男冥利に尽きるってヤツじゃないの?」
そんな鹿沼の言葉に、彼は喜ぶどころか余計に辛そうな顔をする。
「……じゃあ、私の気持ちは……一体どうなるんですか………!」
拳をぐっと握った彼が、声を震わせながらそう呟いた。
「貴方の気持ち?」
「私だって……みぃは……嫌いじゃないですよ…………。しかし、私は女性とそんな関係になる資格はないんですよ……!」
「………複雑そうね」
武由の鬼気迫る態度に、鹿沼は一応真摯に聞き返す。
「そうでもないですよ……ただ、昔、好きだった人を傷つけてしまった………ただそれだけのことです」
そんな彼の独白に、鹿沼は小さくため息をつく。
「ふん………そうね、貴方は本当に女に愛される資格はないわね……」
「っ!」
そんな鹿沼の容赦のない言葉に、武由はびくっと身体を震わせた。いくら彼がプライドを掛けて女性と二度と関係を持たないと言い張っていても、こうも異性からはっきり言われるのは、心を抉られるくらいに辛いことだった。
今にも泣き出しそうな顔をしている武由に、鹿沼は忠告を続ける。
「何でだか分かる?」
「いや、だから昔の彼女を……その………」
「違うわ」
「!?」
「貴方は今、みぃちゃんに辛い思いをさせているのよ。過去の過ちを反省することもなく、せっかく貴方を好きになってくれた彼女をまた傷つけている。一体、何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのよ……。まぁ、だからこそ資格がないってヤツなのかしらね? ……見損なったわ、武由君」
「……結構です。私はそういう人間ですから」
彼は自虐的に笑みを浮かべ、そんなヒネくれた返事をする。さっきから辛辣な言葉を浴びせ続けられ、いい加減感覚が麻痺してきたのだろう。
「反省はしないの? 過ちは誰でも犯すわ。でもそれを乗り越えてこそ人は成長していくんじゃないの? 貴方はみぃちゃんと一緒に、これからも成長していかなくてはならないわ」
彼女はそう言いながら席を立ち、そっぽを向く武由の前に立つ。
「じゃあ一体どうしろというのです!? みぃの言いなりになれって事ですか!?」
今度は彼も鹿沼に方に向き直り、彼女に言い返す。
「そうじゃないわ。昔傷つけてしまった人と、同じ気持ちをみぃちゃんに味わわせないようにすればいいのよ。貴方の辛い思い出で、みぃちゃんを幸せに出来るのよ?」
「辛い思いなら……もうさせてしまいましたよ……」
うつむき語尾が小さくなる武由とは対照的に、鹿沼の表情には余裕がある。
「まだ取り返しはきくわ。みぃちゃんは、あのくらいじゃ貴方のことを嫌いになったりしない」
「どうして鹿沼博士がそこまで分かるんですか……!」
「女の勘よ、武由君。信じなさい」
鹿沼は自信たっぷりに言い放った。
「し、しかし……みぃはシステムガイアのガーディアンなんですよ?」
「その前に一人の女の子よ」
「しかし! 私はそうは考えられませんよ!」
あくまで突っかかってくる武由に、鹿沼は切り口を変えて続ける。
「……武由君、貴方、この仕事をどう考えてるの?」
「え……? といいますと?」
いきなりの鹿沼の質問に、武由は彼女が何を言いたいのか理解できない。
「覚悟は出来てるのかと、そう聞いてるのよ」
「覚悟って……」
「貴方はね、上からの命令とはいえ、みぃちゃんをこの世界に生み出した。……生み出した後はどうするの? みぃちゃんはシミュレーションじゃないのよ? パソコンの仮想人格でもないし、その辺に転がってる出来損ないのAIとも違う。……現実に存在している一つの人格なのよ」
「………!」
言われるまでもなく、当たり前の事実だった。みぃは、物理的に彼女を製造した連中のことは置いておけば、武由が生み出した一人の人間に等しい存在だ。
「実験終わったらバラして捨てるの? 電源落として倉庫に入れておくの? OS消してフォーマットするの?」
「そんなこと! 出来るわけ無いじゃないですか!!」
鹿沼のひどい物言いに、そう叫ぶ彼の声は自分自身でもびっくりするほど大きかった。
「じゃあ一体どうするのよ? まさか貴方、プロジェクト終わったらみぃちゃんその辺にほったらかして、さっさと新しい研究始めるとでもいうの?」
「そ、そんなこと!!」
「だから、どうするのかって聞いてるのよ、武由君」
鹿沼にじっと見つめられるも、彼はとっさに返事を出来ない。
「しかし……だからと言って、私がどうこう決めるべき事では……」
そう言いよどむ彼は、今までみぃの今後など、考えようと思ったことすらなかったのだ。彼にとっての当面の目標は、あくまでみぃをエンジェルの制式として運用できるレベルまで教育することだ。
それにみぃはプロトタイプであるので、実際にシステムガイアの拠点防衛兵器として使われるわけではない。そもそもシステムガイアの完成は、まだまだ遠い未来の話だ。
なので彼女は、実験が終了した時点で今やっているような訓練は終わってしまう。それ以降のことなど、武由にはさっぱり分からなかった。
途方に暮れている武由に、鹿沼は追い打ちを掛ける。
「私が考える事じゃない? 何を言ってるのよ、貴方以外に誰が決めるというの? ……みぃちゃん、実験終わったらどうなるか分かってるの!?」
極めて真剣な顔で、鹿沼は問うてくる。計画後のみぃの将来など、今まで散々あった会議などでも話題すら出なかったのだ。だが敢えて考えてみると、漠然とではあるが何やら嫌な想像ばかりが頭に湧いてくる。
「どうって……一体………?」
おずおずと訪ねる武由に、
「みぃちゃんはね……何も決まってないのよ、実際」
鹿沼はそう言いにやりと笑う。
「はぁ?」
今まで高まっていた緊張が、一気に抜けた。
「だから決めた者勝ちよ。みぃちゃん貰っちゃいなさいよ、知ってるとは思うけど、いい子よ? 可愛いし」
「も、貰うったって!! あいつ研究所の備品じゃないですか!」
「少々の職権乱用はこの際構わないと思うわ。それに他の連中にあげちゃっていいの? はっきり言って、最悪な連中ばかりじゃない。……みぃちゃん可哀想よ」
「いや、だからそういう問題じゃないでしょうに!」
等と口は反論するも、確かに鹿沼の言うことは全て正しかった。彼等の部署に、みぃに人並みの幸せを提供できる人材など、どう考えても存在しない。精一杯頑張ったところで、ヒラヒラのメイド服を着せて毎日後ろから押し倒すのが関の山だろう。それよりも気合いが足りなかった場合、筆舌に尽くしがたいプレイが連日連夜続くであろう事は、彼のようなノーマルな人間にも想像に難くない厳しい現実だった。
「しかし……上にもそれなりの考えがあるかと思いますが……」
「たぶんあいつらそこまで考えてないわよ。……貴方はみぃちゃんを研究所でずっと飼い殺しにしたいの? それともどっかに閉じこめておけばいいと言うの?」
「いや、そういうわけではありませんが………」
武由は一旦深呼吸した。
そして、彼は今までの鹿沼の言ったことを反芻し、さっきから彼女が言わんとしていることと、自分の直感とが同じかどうかを、鹿沼に敢えて問うことにした。
「……鹿沼博士、試みに聞きますが……。つまり貴方は、私があいつと結婚すればいいと、そう言いたいわけですか?」
鹿沼はにっこり笑う。
「いいじゃない、憧れの幼妻よ? 女子高生よ? ……それに、男はヨメとタタミは新しいほうがいいなんて、時々そんな暴言吐いてるじゃない……ったく………ブツブツ」
何やら鹿沼はヘンな方向に向かっているようだが、
「……幼妻、ですか……みぃが?」
そう呟く彼の頭には、エプロンをしたみぃが「おかえりなさい♪」なんて言いながら玄関で出迎えてくれるベタな映像が、一瞬ではあるがはっきりと湧いて出た。
「私はお似合いのカップルだと思うわよ?」
「…………」
無言の彼は、ようやく視線をドアに向けた。
「行ってあげなさい、みぃちゃんの所へ」
「し、しかし……」
「武由君、今そうやって逃げてると、これから辛いことがあったとき、ずっと逃げ続ける事になってしまうわ。辛い思い出は、いつしか自分自身の力で乗り越えないと……。それに、みぃちゃんを幸せに出来るのは、貴方しかいないのよ。自分のしたことに、ちゃんと責任を持ちなさい、武由君」
「だからって言っても………」
やや顔を赤くした武由が、もじもじドアの方を見ている。しかしこの期に及んで未だぐずる彼の背を、彼女はぐいぐい押してドアの外に追いやった。
「まぁ、別に今すぐどうこうしろなんて言うつもりはさらさら無いし、とりあえず仲直りでもしてきなさいよ……」
「仲直り……ですか?」
「そう、これから貴方達には乗り越えなきゃいけない事が沢山待ち受けてると思うけど、その前にまずは仲直りよ」
「……分かりました、研究にも支障がありますから……すいません、お時間頂いてしまって!」
「いってらっしゃい」
最後まで素直にならなかった武由ではあるが、彼を見送る鹿沼の視線は、いつも通り柔らかなものだった。
……これからあのふたりは、一緒に愛を育んでいくのね……若いってうらやましいなぁ………
みぃの居る部屋に駆けてゆく武由の後ろ姿を見送りながら、鹿沼はそんなことを考えていた。
第22話 [みぃと武由・2]
廊下を小走りに駆けながら、彼は自室に向かっていた。この時間、みぃが居るとしたらここしかないと、彼の直感が告げていたからだ。
案の定、玄関を開けるとみぃの靴が置いてあった。彼は靴を脱ぎ捨て部屋に上がる。辺りを見渡すと、彼の仕事部屋のドアが開いていた。
彼はドアをくぐり、辺りを見渡す。みぃの部屋はこの部屋の隣だ。ドアは閉まっているが、たぶん彼女あそこにいるのだろう。
ここで、彼はちょっとした違和感を感じた。よくよく部屋を見渡すと、彼の机の上に置いてあるハズのノートパソコンが、そこから無くなっていたのだ。
ちょっと気になりながらも、彼はみぃの部屋の閉じられたドアの前に立ち、深呼吸をした。
そして勇気一発、ドアをノックする。
コンコン
「あうっ」
部屋の奥から、みぃの変な声と、そしてノートパソコンの蓋を閉じる音がする。
彼女がノートパソコンなど使っていたためしなど、今まで全く無かった。そもそもみぃは、パソコンなど使う必要など全くない。ネットにはエアーイーサで寝ても覚めても繋がっているし、彼女の脳みそにはブラウザもメーラーも、ついでに言うとトランプゲームもインストールされている。だから彼女がノートパソコンを使うことが状況的に考えても何かおかしいと、彼は直感的にそう感じた。
「みぃ、開けるぞ!」
「やだ!!」
すぐに拒絶の声が聞こえるも、武由はドアを開け、そして戦慄した。
閉じられたノートパソコンから、無数に伸びるケーブル。それらが皆、みぃの首の後ろにあるコネクタに繋がっているのだ。
彼女の電子頭脳に直結した、管理用のダイレクトバスコネクタ。みぃの電子頭脳に危機的な状況が起こった以外は、決して触るべき場所ではない。
武由は無言のまま部屋に入っていく。呆然と、おびえる目で彼を見るみぃの手からノートパソコンをひったくり、閉じられた液晶パネルを開いた。
そしてそのディスプレイに表示された内容を一瞬で理解し、彼は怒りの目でみぃを見つめる。
”STPシリーズ専用 パーソナル強制初期化プログラム”
みぃのOSから、みぃという人格を消し去ってしまうプログラムだ。彼女が暴走し、人に害を及ぼす存在となってしまったときに用いるはずだったもの。
みぃにとっては、そのプログラムの使用はすなわち死を意味する。
「みぃ、おまえっ!!」
武由はノートパソコンを床にたたきつけると、ケーブルを引っ張りみぃの首から引きちぎる。
「あうっ」
ベッドの上に座っていたみぃは、引きずられるようにして床のぺたんと座り込んだ。
たぐり寄せたケーブルも後ろに放り投げた武由は、みぃの方を向くと大きく手を振り上げ、そのまま彼女のほほをめがけて振り下ろす。
「っ!!」
目をつぶったみぃが身構える。武由の手が、自分の頬かどこかを激しく殴りつけるのを。
けれども、いつまで経っても武由の手がみぃの身体を触ることはなかった。
しばらくして、おそるおそる目を開けたみぃが見たもののは、振り上げた手をぐっと握りしめ、自分の胸の前でぶるぶる振るわせている武由の姿だった。
「博士ぇ……」
弱々しく声を掛けるみぃに、武由は応えられない。
彼は歯を食いしばり、狂わんばかりの悔しさに耐えていたのだ。ここまでみぃを追いつめてしまった自分の愚かしさ、そして彼女の短絡的な行動に。
「……このバカヤロー!! 何やってるんだよっ!!!」
そして未だ床に座り込んだままの彼女に、腹の底から怒鳴りつける。そんな声にびくっと震えたみぃだったが、彼女もまた、彼に対して感情を爆発させる。
「だって! みぃちゃん博士に嫌いだって言われたんだもん、もうみぃちゃん要らないんだもん、だからみぃちゃんOS止めて、それで……それで………っ!!」
武由を睨むみぃの目からは、大粒の涙がぽろぽろ流れ落ちる。そんな彼女を見やる武由は、繊細なガラス細工が粗雑な扱いで簡単に壊れてしまうように、彼女もまた脆く壊れやすい心を持っているのだと、この上ないほど痛感させられたのだった。
彼はみぃの前にそっと座り、目を擦りながら嗚咽するみぃを、力一杯ぎゅっと抱きしめた。
「うえぇぇぇ〜〜……」
みぃは武由の背中に手を回し、ポコポコ叩く。
とても、最新最強の拠点防衛兵器とは思えないほどの、か弱い力だった。抱きしめる彼女の身体も、ひどく頼りない華奢なものだった。
「……ごめんな、みぃ……」
そう謝る武由に、
「うええぇぇぇ〜〜〜!!」
みぃの泣き声はもっと大きくなる。彼を叩くみぃの手は、いつしか彼の背中にしがみついていた。
武由は、みぃが泣きやむまで、ずっとずっと彼女を抱きしめていた。
「博士ぇ、みぃちゃんの事嫌いじゃないよねぇ?」
未だグスグスぐずりながら、鼻水垂れなみぃは何度も同じ事を問い続ける。
「嫌いじゃないよ、何度も言ってるだろ……」
着ていた白衣が、みぃの涙とよだれと鼻水でベトベトになっていたが、武由はみぃの頭を優しくなでる。
「みぃ、いい加減に鼻かめ、女子高生は鼻水垂らしたりしないんだぞ?」
「う〜〜〜」
ずびびびびっ
そんな凄まじい音を立てながら、彼女は事もあろうに武由の白衣で鼻をかんだのだ。
「うわっ! このバカなんてことしやがる!!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
叩かれたみぃは、笑顔いっぱいで彼の顔を見る。
「全く何がおかしいんだよ……」
「えへへ〜……ねー博士ぇ、みぃちゃんの事嫌いじゃないって証拠に、えーと、えーと、……キスして〜〜」
言い方には色気もへったくれも無いが、しかし涙で潤んだみぃの顔は、武由をどきっとさせるには十分すぎるほどの魅力を持っていた。
「な、何をいきなり……」
唐突な言葉とみぃの上目遣いに、さすがに武由も返事にどもった。
「みぃちゃんの事好きだったら、キスできると思うよ……」
「そりゃそうかもしれんが……お前なぁ、普通女のコは自分からそんなこと言わないもんなんじゃないのかよ?」
「関係ないもんそんなこと。みぃちゃんは好きな人とキスしたい」
「うぅ……」
みぃの視線が彼を射抜く。未だうっすら涙の残る大きな瞳が、彼の姿を映し出す。そして未だ身体を寄せ合っているみぃからは、甘いような、温めたミルクのような香りが、彼の鼻腔を優しくくすぐる。
武由ののどが、ゴクリと鳴った。そしてほんの一瞬だけ、さっきとは違う理由で、みぃを抱きたい衝動に駆られた。
「………」
みぃは目を閉じ、無言で彼を待っている。そしてその武由は、ひたすらの葛藤に全てを奪われていた。
彼は以前、大切に思っていた思い人を傷つけてしまった。そしてその行為は自分の心にも大きな傷跡を残している。元々自分に厳しい彼は、過去の自分の軽率な行動を決して許す事が出来ない。だから彼は、自分が女性と付き合う様なことは決して認められないと考えているし、それに今までそれを貫いてきた。
だがしかし、目の前には彼を慕う女のコがいて、彼からのキスを待っている。そして彼女もまた、彼の至らなさで傷つけてしまったばかりだった。済んでの所で大事には至らなかったが、あと少し部屋に来るのが遅ければ、彼は残りの人生をずっと後悔の念で押し潰されながら生き続けねばならなかったであろう。だからこれ以上彼女を、みぃを傷つけることなど絶対に出来なかった。それに、武由の男の部分からは、彼女に対しての特別な感情が染みだしていた。
そのような状況の中で、しかし彼の意固地な理性は、如何にこの際どい現状を彼の思う穏便な方法で打開できるかと、裏で必死に算段していたのだ。けれども、ベストどころかベターな答えすら一向に見つからない。実際、彼は既にみぃに2回もキスしてはいるのだが、やはりこの状況に於けるキスは以前の物とは全く性格が異なるものであり、慎重に考えざるを得なかったのだ。
このように様々な思いが頭を駆けめぐるも、結局彼は、みぃを自殺未遂まで追い込んだ自分自身の責任をちゃんと理解していた。だから、これから自分が何をしなければならないか、彼には分かっていたのだ。
覚悟を決めた武由は、みぃの両頬に手を添えると、その唇に自分の唇をそっと触れさせた。
「ん………」
みぃは僅かに唇を前に突き出し、その行為を受け止める。
ほんの少しだけ、お互いの唇が触れ合うだけの、優しいキスだった。
そして彼は、ゆっくりと唇を離す。
「ねぇ博士ぇ、今のって何のキス?」
頬を赤く染めたみぃの問い掛けに、
「何のって……恋人のキスだよ……」
照れでそっぽを向く武由が、ぶっきらぼうにそう答えた。
涙で潤んだみぃの瞳が、そんな彼の横顔をじっと見ている。
「恋人……」
そしてうわずった声のみぃが、武由の声を反芻する。
武由はみぃの頭をクシャクシャと撫で、ポケットから取り出したハンカチを渡す。
「ほら、ちゃんと顔ふけ……女子高生は常に綺麗にしておくんだろ?」
「うん……」
みぃはハンカチを受け取ると、顔をコシコシ拭き始める。武由は立ち上がり、みぃの鼻水が盛大にぶちまけられた白衣を脱ぐと、洗濯機にそのまま放り込んだ。
そして床に転がるノートパソコンの果てた姿を発見し、あわててその場にしゃがみ込んだ。
「うわ、完全にぶっ壊れてる………」
自分でもはっきり分かるほど、血の下がるざーっという音が頭の中に響く。そして既にガラクタと化したPCに入っていた、貴重なデータ達の有り日々の姿を思い出し、ため息と共に涙すら出てきたのだった。
液晶は完全に砕け散り、フレームはひどく歪んでいる。おまけにカチンカチンと、内臓ハードディスクが打楽器に転職してしまった辛い現実が、彼の部屋に無情に響きわたっていた。
「博士ぇ、ノーパソ砕け散ってるけど、これ大丈夫なの?」
彼の背後から顔を覗かせるみぃがそう尋ねるも、
「ああ……手に入れるものがあれば、失うものもあるって事だろ、物はいつか壊れるんだよ、でも愛は永遠なんだぞ」
あまりのショックに、意味不明なことをつぶやく武由。そんな彼の言葉に、みぃはしきりにうんうんと頷いている。たぶん意味は分かっていない。
「ま、まぁ、とりあえず仕事するか……仕事を、なぁ……」
フラフラとおぼつかない足取りで、事務所に向かう武由。頭の中では、なぜデータのバックアップを取っていなかったのか、なぜその場の勢いで床に叩き付けてしまったのかと、答えの見いだせない疑問を何度も何度も頭の中で反芻していた。
ブチブチ自問自答を繰り返す武由の後を、頬を赤らめたみぃが付いてくる。
事務所に入ってきたそんな彼らの様子見やり、鹿沼はふっとため息をつく。
「……仲直りどころじゃなかったみたいね、武由君?」
「え? いや、まぁ、その……えーと、なんです?」
「えへへ……」
「……まぁ、仲の良いのはイイコトだけど、けじめは付けてね?」
そんな鹿沼の言葉に、
「はっ、いや、すいません、すぐに弁償しますから!」
「え? 何を??」
なにやら勘違いした返事を返す武由だった。
そして週末。この日はみぃの初恋(?)&失恋の相手、上城の結婚式だった。
前日までは余りぱっとしない天気が続いていたものの、この日は久しぶりの快晴となった。未だ土地柄寒さは残るが、5月の柔らかい日差しがやっと追いついてきた春を感じさせる。
今度は北海道まで飛行機でのんびりと来た武由とみぃは、大戦前の町並みを僅かに残す商店街などをフラフラ見物しながら、お呼ばれされた結婚式場に向かった。
住宅地のような道を地図に習いながら歩いていくと、急に開けた場所になっており、その真ん中に教会の礼拝堂が建っていた。そこが結婚式場だった。
薄い緑の芝生の庭に、平和の象徴である鳩が沢山居た。みぃと武由がその庭の片隅に設けられた受付に向かっていくと、鳩は一斉に飛び立ち一瞬景色を埋め尽くす。
「うおー、すげー」
みぃはそんな大量の鳩を見るのが初めてらしく、彼等が再び庭に降りてくるまで、ずーっとそれを見ていた。
「みぃ、受付を済まそう」
「うん……」
彼等は連れだって受付に行き、記名とご祝儀を渡し、礼拝堂に入る。既に中には数人の招待客が入っていて、バージンロードの左右に配置された椅子の腰掛けていた。
みぃと武由は、適当に新郎側の空いている椅子に腰掛けながら、周りの壁や天井を眺めた。
「うおー、綺麗だねー……」
みぃは壁にはめ込まれた大きなステンドグラスに目を奪われているようだ。そのほかにも、マリア様の像や天井にはキリストの絵などが描かれ、荘厳な雰囲気を醸し出していた。室温の低さも相まって、身の引き締まる思いを武由は感じる。
やがて式の始まる時刻となった。神父が壇上に立ち、式に臨む心構えを簡単に説く。
礼拝堂に備え付けられたそこそこ立派なパイプオルガンに演奏者が座り、結婚式は始まった。
パイプオルガンから流れる包み込むような音とと共に、礼拝堂のドアが開け放たれた。既に中で待っていた上城のもとへ、父親に手を引かれた花嫁がゆっくりとバージンロードを上がってくる。
「うおー、お嫁さんのねーちゃんきれーだねー!」
みぃは首をピコピコ動かしながら、花嫁が歩いていく様子を眺めている。
「……ねーちゃんは余計だ。それとだまっとけ」
ぼこっ
「うおー……」
やがて新婦は父親から上城に連れられ、神父の待つ教壇の前へ並んだ。
神父は聖書を開き、いくつかの説教と共に祝辞を述べる。途中でオルガンの演奏と共に、出席者全員で聖歌を歌った。みぃは事前に頭の辞書で調べていたのだろうか、武由がうーうー言いながらなかなかリズムが取れないでいるも、結構上手に歌っていた。
やがて式は誓いの言葉に進む。
「……汝富めるときも貧しき時も、健やかなるときも病めるときも、死が二人を分かつまで生涯の伴侶として尽くすことを誓うか」
神父の問い掛けに、
「……誓います」
それぞれに誓いの言葉をのべ、指輪の交換を行う。
「それでは、誓いの口づけを」
神父の声に、新郎は新婦のベールをゆっくりとめくり、彼女と口づけをかわす。
そんな彼等を見ていたみぃは、それとなく武由の手を握った。
やがて結婚式は無事終了し、また開け放たれたドアから外へ、新郎新婦が並んで歩いていった。
披露宴は、教会の庭に設けられたテーブルを囲う、立食パーティー形式だった。
客達は一足先に庭に出ていて、衣装直しで教会の中に入っている新郎新婦を待っていた。 皆今か今かと、礼拝堂のドアから延びるバージンロードの周りをうろついている。特に先ほどの結婚式では雰囲気が雰囲気な為、シャッターを押すことが出来なかったカメラ小僧達が、バズーカ砲のようなゴツいレンズを従え、既に場所取りに余念がない。
その時、礼拝堂のドアが開け放たれた。先ほどの式とは違う軽めのウェディングドレスに身を包んだ花嫁が、上城に連れられ歩いてくる。
観客達の歓声が、わぁっと晴れ渡った空に吸い込まれてゆく。大きな拍手とシャッターを切る音が、新郎新婦の周りをずっとにぎやかに囲んでいた。
そんな客の輪の端っこで、みぃと武由は幸せそうな彼等の姿をぼーっと見ていた。
「……綺麗でいいなぁ……幸せそうだなぁ……」
そんなつぶやきが、武由の口から垂れ流れてくる。彼がそういう本音をこぼすなど、かなりレアな出来事だ。
「博士ぇ、みぃちゃんもお嫁さん欲しい〜〜」
みぃはみぃでヘンにインスパイアされてしまったのだろう、武由のスーツをピコピコ引っ張りながら、意味不明な発言をしている。
「あのなぁ、何寝ボケたこと言ってんだよ……お前がお嫁さんになるんだろ?」
呆れた顔で返す武由に、
「うお? みぃちゃんもお嫁さんになれるの!?」
みぃは首をコキコキ捻りながら、そんなことを言っている。何やら大切なところを理解していないらしい。
「当たり前だ……。まぁ、相手がいればだけどな」
ぽんぽんと、彼女の頭を叩く武由に、
「うおー、じゃあ博士を相手にしてあげる〜!」
みぃは全く深く考えずに、際どい言葉を言い放った。
「何か妙に釈然としない言い方されてるけど、それってお前、プロポーズになってるって自覚ある?」
そんな彼の言葉に、
「う、うお? えーと、え〜〜〜と!?!?」
首をコクコク捻っていたみぃは、急に顔を真っ赤にし、照れ隠しに何かブツブツ言い始めた。
そんな風にみぃと武由が掛け合い漫才(?)をしている頃、新婦は司会者からブーケを手渡されていた。
『さて! これよりご列席の女性の方々には本日最大のメインイベント、ブーケの奪い合いを始めたく思います! とにかく結婚をご希望のご婦人方、第二の人生を始められたい奥様方!! どうぞ、どうぞ遠慮為さらず前へ〜〜!!!』
おかしなテンションの司会の声に、微妙に不穏な空気をまき散らしながら、女性陣がずずいっと前に出てくる。
「あ、ほら、花嫁さんがブーケ投げるぞ」
武由は未だブツブツしているみぃの頭をぽんぽん叩き、彼女をリセットしてやる。
「あのブーケを受け取ると、次に結婚できるんだぞ」
武由はそういいながら、みぃの肩をつかんで前に押した。
「うおー、すげぇ気迫だぜ〜〜」
多くの女性陣がブーケに焼き切れるような鋭い視線を浴びせる中、新婦はくるりと回り彼女らに背中を向ける。そして司会のカウントダウンの声に合わせ、彼女はブーケを投げる体制をとる。
『用意はイイですかーっ!? 気合いは十分ですかーっ!? それでは元気いっぱいいきますよー!! では、さん、にぃ、いち、はい!』
「えーいっ!!」
そして司会の声と共に、新婦は雲一つ無い空に向かって、ブーケを力一杯ぶん投げた。それを合図に、完全臨戦態勢だった女性陣が、猛々しい雄叫びを上げながらブーケに向かって突進する。しかしブーケは彼女らの頭上を軽々スルーして行き、なぜかやたらと遠くまですっ飛んでいった。そんな中、実は余りやる気の無いみぃは、その場に立ったままぼ〜っとブーケの軌跡を眺めていたのだが……。
なぜかそれはまっすぐこちらの方に飛んできて、彼女の胸にストンと落ちた。
「うお?」
彼女の周りには、手を肩から外れるほどに伸ばした女性陣が、折り重なるようにして倒れ込む。皆、エラい形相のまま、悔し涙に男泣き(?)だった。
あわててブーケをキャッチしたみぃは、それをしげしげと見つめ、
「えーと、みぃちゃんこれ貰っていいの?」
と言って、隣で唖然としていた武由の鼻先に突きつけた。
「な、なにぃ!? 何お前いきなりそんなモンを!!!!?」
唐突にブーケを突きつけられた武由は、泡食って何やら妙な声を上げている。
「うお? やっぱヤバい??」
微妙に済まなそうな顔をしながら、みぃが辺りをきょろきょろしていると、
「みぃちゃん、素敵なお嫁さんになるんだよ!」
上城から、そんな力強い声援を贈られた。とりあえず受け取って良い物だと分かったみぃは一安心だったのだが、先ほど武由に教えられた事を思い出し、
「う、うお〜〜〜! えーと、えーと!!」
ぼこん! と音がしそうな程急激に顔を真っ赤にし、再び何やらブツブツ言い始めた。そんな彼女の様子に同情を禁じ得なかった武由であったが、
「もちろん、武由が旦那さんですよ!」
「ぶっ!!」
上城からそんな追い打ちを掛けられ、彼もまたみぃと同じく赤面したのだった。
- 【STP-03β 観察日記・22】
- 先日、北海道支部の上城氏が結婚され、招待を受けていた自分とみぃは結婚式に出席した。偶然にも花嫁の放ったブーケを受け取ってしまったみぃは、その後どこからか結婚情報誌などを持ってきて、自分の部屋で熟読している。
自分は、みぃから好きだとはっきり言われた。そして自分自身、それを拒絶する理由は見つからなかった。
それは結局、嫌な書き方にはなるが、みぃが人を好きになる機能と、人に好かれる機能を身につけたという事だろう。もはやみぃは、人間そのものだ。既に私自身、彼女の人格が電子頭脳で走るプログラムで構成されている等とは到底思えない。
以前、私は自分の恋人を傷つけてしまったことがある。それ故自分は決して女性と恋仲になるようなことはしないと、自分自身に対する戒めのつもりで居たのだが、結局それが原因でみぃも傷つけてしまった。
みぃの心はとても繊細で、壊れやすい物だと思い知らされた。
私はもう、これ以上女性を傷つけたくはない。だから、私自身生き方を改めなければならないと痛切に思う。悔いを改めるために、みぃをなんとしてでも幸せにしてやりたい。
第23話 [みぃと虫歯]
「ねぇ博士ぇ、オギノ式ってなに?」
「ぶーっ!!」
場所は武由の仕事場である。みぃの突発的セクシャルな質問に、いつも通りにコーヒーを吹き出す武由。もちろん周りの同僚達からは、殺気を含んだ視線がビリビリと投げかけられる。それにプラスして、
「ふ、不潔よ!!」
「貴様、まさか!!!」
「たけちん! 貴方をそんな子に育てた覚えはないわ!!」
次々と、野郎共の裏返った声が部屋に響いた。まさにここは、魑魅魍魎の跋扈する人外魔境である。
「いや、だからいつ私が……!!」
そう反論する武由だが、
「うるさい! 男だったら責任取れ!」
「貴様は全てに渡って必ず絶対極めて悪い!!」
「オマエ、自分のしたことがどれだけのことか分かっての狼藉かー!!」
「一度死んで詫びれこのスケコマシ野郎!」
「テメェは人類の敵だー!!」
「萌え潰しレイプ魔め、この手でくびり殺してくれようぞ!!」
何やらあり得ないくらいに非難囂々である。そしてついに彼は臨界点を突破し、
「うがーっ!! うるせー!!!」
悲しいくらいに幼稚なキレ方をするも、
「武由君、うるさいわよ」
「あ、す、すいません!」
終いには鹿沼にまで怒られ、取り急ぎ謝る羽目になってしまう。
「ねー、博士ー、基礎体温法って何ー?」
しかし全く場の空気を読んでいないというか、あくまで頑固にマイペースというか、みぃは武由の身に降りかかるであろう不幸など一切無視し、教えて攻撃を敢行する。
「だからな、みぃ、こんな所で……」
彼はみぃを黙らせようと、そんなセリフと共に彼女の方を向いたのだが、
「……えと、皆さん? どのようなご用件でしょうか??」
次の瞬間、武由は脂汗と共に、卑屈なまでの笑顔でそう問うた。
しかし彼を取り囲むように立つ同僚達は、無言で武由の後ろ襟を掴み、そのまま椅子ごと彼を廊下に引きずり出していった。
「うお? 博士??」
そしてみぃが首をかしげたと同時に、廊下の奥から絹を引き裂くような、痛々しい叫び声が研究所中にこだましたのだった。
「いててててて……なんだッてんだい、独りモン共が……!」
珍しく毒を噴きながら、武由は自室でアザに鎮痛剤を塗り込んでいる。
「うおー、真っ青だねー」
何やら楽しそうにのぞき込んでくるみぃに、
「これもお前が妙なこと言い出すからだ、バカッタレ!」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
武由はとりあえずゲンコツを喰らわせた。
「で、何いきなりオギノ式だの何だの言い出したんだよ? だいたいお前、自分のミソに辞書は入ってるだろうが」
再びアザにクスリを塗り塗りする武由が尋ねるも、
「んー、それはそうなんだけどね武由君、やはり生きた知識が欲しいわけですよ、私は」
あごをさわさわ、演技派みぃが妙なキャラを演じている。
「ダレダ、オマエ……」
あきれ顔の武由がそう問うも、
「うお? みぃちゃんだよ? あたまボケた??」
ぼこっ!
「うおー、いてー!」
またもや武由のゲンコツが飛んだ。
「ったく、なーにが生きた知識だ。だいたい何いきなり色気づいて……」
「うおー、みぃちゃんお年頃の娘さんだぞー?」
「本物のお年頃の娘さんは、いきなり男に避妊法なんて聞いてこないモンだ!」
「ぶー!」
みぃはほっぺを膨らませて、何やらとっても不機嫌そうだ。
「だってだってー! みぃちゃんこの前ブーケ貰っちゃったんだもん。やっぱ今後の家族計画を考えないと、立派なお嫁さんにはなれません〜〜!」
彼女は手をバタバタさせながら、いきなり力説を始めた。
「貴様は重要なポイントを勘違いしている。家族計画云々の前に、まずは立派なお嫁さんになることが大切だ」
そんな武由の言葉に、しかしみぃは結婚情報誌を持ってきて、
「うおー、だってここに『今流行のできちゃった婚、キセイジジツであこがれのカレシをゲッツ!』って書いてあるんだよ? やっぱり家族計画が大切だよー」
「世も末だ……。捨てちまえそんな本」
武由はこめかみを押さえる。
「うおー、たけちんシャイだねー」
「あのなー、シャイとかどうとかそういうもんじゃねーだろ。よく考えてみろよ、子は鎹(かすがい)って言葉もあるけど、子供が出来たからって、確実に夫婦の間に愛が生まれると思うか?」
「うお?」
「夫婦ってのは、一方的に好きだからって一緒になるモンじゃないんだよ。お互いを信頼して認め合ってからこそ、そこに愛が芽生えるわけだろ。そんな夫婦に育てられなければ、子供が可哀想だ……」
彼の口からは珍しく、愛情論が語られている。
「うおー、じゃあ子作りは二の次かー」
「子作りって……」
「でもでも、結婚って事は有性生殖で、子孫を次の世代に残すことでしょ? なんで先に子作りダメなの? 結婚って個体の多様性を発現させる行動じゃないの?」
みぃはまた、脳みそ辞書から引っ張り出してきた妙な単語を並べ立てている。
「有性生殖とか言うな……。そりゃあ、結婚ってのは一種の本能的な行動だと思うけどさ、根底にあるのは愛だと思うな。それが人間と動物の違いってヤツじゃないのか? 俺も全部分かってるわけじゃないけど、男と女が身体を重ねるのは、子供を作るためってよりも、お互いの愛を確認するためにするようなモンだし」
まじめな顔で講釈を垂れる武由ではあったが、微妙に赤くなっているところがシャイな証拠だ。
「むぅ、ではやはり子作りよりも、えっちなコトが先であると……」
みぃは感慨深げに、腕を組んでコクコク頷く。
「まぁ、時々失敗して出来ちゃったりするんだけどなー」
そして武由はニヤニヤ笑いながら、珍しくおっさん的なネタを振るが、
「うお? えっちなコトすると子供が出来るの??」
しかしみぃは、まじめな顔して聞き返してきた。
「………。おい、ちょっとまて。お前まさか根本的に分かってないんじゃないのか?」
「うお? どゆこと???」
みぃは首を捻ってんーと唸る。頭の中の辞書を引いても、いまいち分からないらしい。
「みぃ、お前がよくえっちえっちって言ってることって、なんだか分かってるのか?」
「うおー、男と女がズコズコバコバコ」
みいのあまりにあんまりな言葉に、
「………お前のえっちには愛はないのか?」
あきれ顔の武由は、脊椎反射で聞き返していた。
「うお??」
「いや、俺の訊き方が悪かったのかもしれんな。えっちってのは一体何のためにするのか、分かるだけ言って見ろ」
「んー」
みぃは目を瞑りながら、頭の百科事典を高速検索する。
「えーと、愛を確かめあう、肉体的快楽を求める、愛撫、独占欲、精神的安心、ぬくもり、略奪、オルガズム、自分自身をぶつける、興奮、相手を思いやる、依存、柔らかさと猛々しさ、幼児退行、律動、いとおしさ、愛液、開放感、恐怖、夫婦の義務、射精、キス、自信、癒し、認められる嬉しさ、つながり、思いやり……」
細切れの単語を、それこそまくし立てるように述べるみぃ。彼女の言葉に耳を傾ける武由は、自分の予想が合っていることを確認する為質問を続ける。
「じゃあ、子作りってどうするんだ?」
再びの彼の問い掛けに、みぃはまた目を瞑ってんーと唸る。
「えーと、精子と卵子が結合して、両方の遺伝子が組み合わさり受精が行われる。この時、XX遺伝子とXY遺伝子の重なりあわせは確率的であり、このため……」
「いやみぃ、そういう小難しい事じゃなくて、具体的にはどーすんだって」
「うおー?? えーと、えーと、男と女が一緒に寝てると、男から出た精子がウヨウヨ布団の中を這って、女の中に入ってくんじゃないの?」
頭の辞書からそのものズバリの答えを見つけられなかったみぃは、彼女なりに組み立てた仮説を披露した。
「んー、なんかお前の百科事典は、中身がエラい偏ってる気がするんだよなぁ……。みぃ、えっちと子作りってどう違うか、辞書から分かるか?」
「えーと、えーと、良くわかんない〜〜」
そんな答えを聞いて、武由はため息をつく。彼が思ったとおり、”えっちなこと”と”子作り”は、両方とも同じセックスと呼ばれる行為だという記述が全く含まれていないのだ。つまりみぃの頭に入っている百科事典は、下世話なネタはやたら豊富に入っているくせに、各単語の関連や連鎖、そして理由や原因の関係が全然足りていないのだ。
みぃがやたらおっさんくさい事ばかり言うのも、結局は辞書を組み立てたおっさん達が、おっさんネタばかり喜んで入力したのが原因だったのだ。
「……全く、前々からワケの分からん知識ばかり入ってるとは思ってたけど、一体どこのバカだ、お前の辞書作ったヤツは!?」
今更になって若干の焦りを覚えた武由は、腹立ち紛れに愚痴を垂れるが、
「えーと、編集者の中に博士の名前が見受けられますがー」
「うそ!?」
みぃの言葉に、武由は恥ずかしさの余り縮こまった。
「なんてこったい、俺もバカの一人か……。うぅむ、不足分を補うのは、やっぱ俺の責任だよなぁ……?」
武由はもう一度ため息をついた後、コホンとひとつ咳をする。
「えーとな、お前とりあえずえっちって具体的にどうするのか知ってるだろ?」
「うおー、この間ビデオで見たー。ズコズコでバコバコー」
「ああ、そうそう、オトナの勉強が役に立ったな。で、男が気持ちよくなると、何やら白いのがぴゅっと出たろ?」
顔を真っ赤にしながら、彼はなし崩し的に性教育を始めた。お年頃の自称女子高生にここまで艶めかしい性教育をするのは、世間一般の皆様はセクハラと呼ぶのだろうが、彼は萌え潰しレイプ魔とまで言われた漢だ。もう向かうところ敵もプライドもあったモンじゃない。
「その白いのが精子だ。で、本来それは女のあそこの中に出すモンだ」
「うおー、中出しってヤツですねセンセー!」
ヘンなことばかり良く知っている優等生みぃは、手を振り上げながら元気よく答えた。
「そーそー。偉い偉い。くだらんことばっかり良く知ってるなー……」
一方、即席保健教師武由は、なんだか涙を浮かべながらため息をつく。
「で、その精子が子宮を伝って卵巣に行くと、そこで受精するんだよ。で、それがまた子宮に戻ってきて、着床して赤ちゃんになると……」
武由は結婚情報誌に載っていた子宮の模式図を指でなぞりながら、説明を続ける。
「うおー、つまり中出しすると子供が出来ると?」
「そういうことだ。分かったか?」
「えーとえーと、つまりえっちするときは、中出ししないで顔射を……」
ぼこっ!
「ちがう!!」
「うおー、いてー! えーとえーと、だから子作りはえっちでえっちは子作りで、愛し合って中出しすると子供が出来ると……」
「んー、何か微妙に引っかかる言い方してるけど、まぁだいたいそんなモンだな」
本をぱたんと閉じながら、武由はみぃの答えで一応良しとした。
「なるほどー、つまり、愛し合ってるからえっちして、それで子供が出来るんだねー」
「それが本来の姿だ。だから、あんまり簡単にえっちえっちってのは、本来良くないことなんだよ」
頑固者のたけちんらしく、彼は古風な考えを披露する。
「うん、わかったー。子供が出来てもイイ相手とだけえっちするんだねー。うおー、でもでも、愛があってもえっちして、子供が出来ちゃったらどうしよう?」
「……!」
そんな特に深い意味もないみぃの言葉に、先ほどの性教育でちょっと盛り上がっていた彼は一気に現実に引き戻された。そして、何とも言いがたい息苦しさが胸を締め付ける。
みぃはそもそも、子供を産めるようには作られていないのだ。本人は気付いているかどうか分からないが、みぃには生理が来ていない。それは、彼女の体内には子宮が存在しないからだ。
その理由はもちろん、彼女が兵器だからの一言に尽きる。いくら人間に一番近い存在とはいえ、彼女が女である為故の弱点、つまり生理痛や生理による情動の変化は、いざとなれば極めて高度な判断が問われる彼女にとって、百害あって一利無しというものだ。
それ故、彼女は遺伝子レベルで子宮のない身体に作られていて、本来それがあるべき空間には、みぃの身体の様子をモニタする機械が収められている。彼女が危機的な状態になるとピーピー鳴るという電子ブザーが、それの一部だ。
なお、みぃは子宮は無いが、卵巣は女性ホルモンを作るために存在し、かつ膣も備わってはいる。なので彼女は、構造的には人と愛し合うことは可能なのだ。
そんなバックグラウンドを以前から知らされていた武由には、結婚情報誌を見てニタニタ笑っているみぃに「お前は子供が産めない身体だ」だのと、わざわざ教えてやるべきかどうか全く判断がつかなかった。
彼はみぃに対し、隠し事はしないようにしていた。問われれば何でも答えてきたし、例の昔の彼女のことも、しつこくせがまれれば話してやるだろう。だからといって、女としてとても大切であろうそのことを、わざわざ他人から言われたくはないだろうし、言ったところでみにの腹のなかに子宮が生えてくるわけでもない。
敢えて言わねばならない理由も見つからないが、だからといって、いつまでも知らなければいいという物でもないだろうとも思う。
結局彼は、みぃが自分で気がつくまで見守ることにしている。ベストとは言えないだろうが、ベターな対応だと彼は考えるしかなかった。
「……まぁ、そんな心配する前に、花嫁修業もしなくちゃな」
とにかく話題を逸らそうと、彼はみぃの頭をぽんぽん撫でながらそう言ったが、
「うおー、めんどくせー。博士やってー」
「バカタレ! 俺が花嫁修業してどーすんだ!」
みぃはいつも通りに訳の分からない返事をしてくる。その言葉に怒り散らす彼ではあったが、思惑通りに事が進んで少しほっとする。
「ふむ、昔から男女平等と言うではないかね、武由君。キミもバカでは無いならそれくらい分かるだろう?」
女優みぃは、またもやヘンなキャラを演じ始めた。武由の気苦労など、なんだか初めから無意味な感じである。
「わけ分からんこと言ってんじゃねぇ、つーかお前誰だよ……。そうだな、じゃあ俺は花婿修行してやるから、バカな事言ってないで料理の勉強でもしてろ」
「うおー、花婿修行って具体的に何すんの?」
「昔からな、『亭主元気で留守がイイ』なんてひでぇ言われ方してるのが夫ってモンだ。という事で、その言葉に倣い俺は一生懸命仕事をする。どうだ、完璧だろ」
「えー、なんかいつもと変わんないじゃん。……そういえば、博士みぃちゃんの為に花婿修行するの?」
「ん?」
みぃに問われて、武由は自分が言った言葉を思い出してみる。
「うっ!?」
脂汗がタラタラ。顔を赤くした彼は、どうやら先ほどの言葉がプロポーズになっていたことに気がついたらしい。
「うおー、博士にコクられたー」
「な、何言ってやがる、言葉のあやだ、勢いだって!!」
「そんなっ……! ひどいわ武由さん、私のこと勢いで弄んだのねっ!?」
いきなり彼女の口から勘違いされそうなセリフが飛び出たと思ったら、本気で涙を流してクネクネ。いつでも銀幕を飾れる大女優みぃは、しなを作って泣き崩れた。
「ふええええええっ!!」
「う、おい、みぃ、いくら何でも本気で泣くこたぁねぇだろ?」
そのあまりに気合いの入った演技っぷりに、さすがの武由も後ずさる。
「信じてたのにっ! あの夜の言葉、信じてたのにぃっ!!」
ついには床に倒れ伏し、そもそも全く記憶にない言葉に裏切られたと、彼女はおいおい泣き出してしまう。
「お、おぃ、みぃ! 悪かったよ、だから泣きやめよ……」
記憶も実感もないのになんだか自分が悪者のような気がしてきた彼は、とりあえず謝罪の言葉を述べてみた。しかしみぃは首をふりふり、全く泣きやみそうにもない。ここまで来ると彼女が本気なのか演技なのか、彼にはさっぱり分からなくなる。
「悪かったよ、その、だから、ちゃんとお前のこと……面倒見るから、だから……」
武由は、泣きやまぬみぃが本気なのだと感じた様だ。彼はみぃの肩を優しくさすりながら、彼なりに真剣な思いを伝えた。
「うおー、それまじ?」
ところがである。
さっきまでの涙はどこへやら、がばっと起きあがったみぃは、ニヤニヤ笑いながら武由を見ている。
「なっ、なっ、なっ………!」
武由は、酸欠の金魚の如く口をパクパクさせるだけだった。みぃの恐ろしい位の変わり身に、呆気にとられ何がなんだか分からなくなっている。
「うおー、女の武器の勝利だぜー」
ぼかっ!
「うおー! いてーっ!」
目から火花がバチバチ散ったみぃは、今度こそ本気で涙を流しながら頭を抱えた。
「このばかったれーっ!! 全く、どこでそんな悪さ覚えてきやがったんだ! ……く〜っ、いってぇ……!」
痺れる手をさすりながら、頭に育つたんこぶを撫でるみぃに雷を落とす武由。彼は勢い余ってリミッター解除のまま、ハンパなく堅い彼女の石頭にゲンコツを喰らわせてしまったのだ。おかげで衝撃がそのまま拳に返ってきて、赤く晴れ上がって涙まで出てくる。
「女はね、武由さん。独りでにオトナになっていくものよ……」
今度は年齢の高い女性にチャレンジらしい。幅広い演技が好評の女優みぃは声のトーンを落とし、色っぽく意味深な台詞を吐いている。
「なーにが一人で大人になるだ……。お前誰が今まで育ててやったか忘れてるだろ?」
「ウフフ、違うわ。少女から女になるのには、親ではなくステキな男性が必要なのよ」
クネクネ。
「……にあわねーからやめろって。お前のその童顔で熟女を演じるなんざ、30年は早いってモンだ」
「ぶー!!」
せっかくの熱演を否定され、ご機嫌斜めなみぃである。
「うおー、熟女は無理かー……じゃあ博士、どのくらいの年齢設定がいい?」
みぃのそんな問い掛けに、
「だから今のままでいいって……」
ため息をつきながら、武由は彼女の頭をぽんぽん撫でる。
「うおー……」
みぃがちらっと上目遣いで武由を見やると、彼は存外に優しい笑顔で彼女を見ていた。みぃの顔は、みるみる赤くなる。
「う、うおぉぉ……えーと、えーと、暑いなぁ、えへへ……」
「暑いか? そういえば、冷蔵庫にアイスが入ってたな。食うか?」
みぃの照れ隠しの言葉に、思わぬ提案が返ってきた。
「うお? たべるー」
アイスが好きなみぃに、断る理由など無かった。二人で台所に移動し、冷蔵庫の前に立つ。そして武由は、冷凍室のドアを恭しく開けた。
「さてさて、このアイスはこの前鹿沼博士がおみやげで買ってきた本物のアイスクリームだ。心して食えよ」
そんな口上と共に彼から手渡されたアイスの容器を見ながら、みぃはぺろりと舌をなめずっている。
「うおー、乳脂肪11%……まったりなお味がバターですなぁ」
「何が言いたいんだ……ほれ、スプーン」
「ありがと〜〜」
武由からスプーンを受け取ったみぃは、テーブルにつくと早速カップを開ける。
「うおー、うまそー」
中には『本物のアイスクリーム』の名を冠するにふさわしく、濃い黄色のバニラアイスが入っていた。そしてみぃの鼻を、甘いバニラの香りが刺激する
「ンじゃ、食うか」
「うん☆」
二人はスプーンをアイスに突き刺し、ひとすくい。そしてそれを口に入れ、舌の上に載せる。すると、口の中にはラクトアイスではでは味わえない、どっしりとしていながらもしかし決してくどくない芳醇な甘さが、先ほどよりも強烈なバニラの香りと共に広がってゆく。しかも口溶けが良く、後口もさわやかだ。
「ふむふむ……うん、旨いな!」
武由の手は自然にアイスに伸び、数回立て続けに口に運ぶ。食べても食べても飽きの来ない味に、小さめのカップが少し恨めしく感じられる。
「どうだみぃ、旨いか?」
彼がみぃを見ると、
「うきゅ〜〜〜」
しかしみぃはほっぺを押さえながら、とびきり酸っぱい梅干しでも食べたかのような顔をしていた。
「なんだ? どうした??」
「う、うお? なんでもない〜〜」
えへえへと妙な笑みを浮かべながら、みぃはあわててアイスを掬い、口に入れる。
「………うぅぅ」
くしゃっと顔がつぶれるみぃを見ながら、さっさとアイスを食べ終わった武由は、
「さては虫歯作ったな?」
そう言って、みぃからカップとスプーンを取り上げた。
「う、うおー! みぃちゃんのアイスー!」
「これは俺が預かっておく。歯医者行ってから食え」
彼は冷凍庫のドアを開けると、さっさとみぃのアイスをしまった。
「うおー! 虫歯なんて無いモン!!」
ぷーと頬を膨らませるみぃだが、如何せんその膨らみにいつもの張りがない。
「そーかそーか。じゃあ口の中見せて見ろ」
武由はドアを閉め、みぃの方に近づいてゆく。
「う、うおー! そんな見せろなんて、えっちばかへんたーい!」
どさくさ紛れにひどい罵詈雑言を浴びせかけるみぃである。
ぼこっ!
「うおー、いてー!」
「やかましい、いいからさっさと見せろ!!」
武由はみぃの下あごを掴むと、おでこを後ろにぐいっと押して無理矢理口を開かせる。
「はがーっ!!」
みぃは手足をジタバタさせて抵抗するも、エビ反りになった体勢が悪いらしく、いまいち力が入らない。
終いには武由の手を掴んできゅっと捻るも、その時には
「やっぱり虫歯があるじゃないか、このバカタレが!!」
口の中をしっかり覗かれ、時既に遅しだった。
「右の奥歯だ。今すぐ医務室に行って削って貰え!」
「うお〜〜!! 痛いの嫌いー!!!」
今度こそ本気で泣き出すみぃであったが、
「何言ってる、だからあれほど歯磨きはしっかりやれって言ってたのに、自業自得だ! それに今の内直しとかないと、あごが腐って何も食えなくなるぞ!」
「うおー! なんで歯もセラミックじゃないんだ〜〜〜」
自分の身体の構造を怨み、、びぃびぃ泣き出すみぃ。彼女の骨格は基本的にセラミックだが、歯は人間と同じ構造をしているのだ。
「うぅぅ、恨んでやる……」
なんだかとっても勘違いな捨てぜりふをこぼしながら、みぃはとぼとぼ医務室に向かって歩いていった。
そして1時間後。
晴れ晴れとした顔で帰ってくると思っていた武由の前に、行くときと一緒でしくしく泣きながらみぃが戻ってきた。
「なんだ、死ぬほど痛かったか?」
しかしみぃは彼の質問には答えず、
「ひどいコトされた……」
床にぺたんと座り込んで、目をゴシゴシ。
「何だ、どうしたんだ!?」
「いやだって言ってるのに…… 何度も何度も、口の中にヘンなのを入れたり出したり……うえええええっ!」
みぃはそう言うなり、いきなり声を上げて泣き出したのだ。
「何だ、一体何がどうした!?」
「無理矢理口を開かれて! ヘンなの入れてきたの! みぃちゃんいやだって言ったのに……!!」
ボロボロと零れる涙を手の甲で払うも、全く止まる気配はない。
「ひどいコトされた………!」
そしてみぃは床に突っ伏し、わぁわぁ声を上げて号泣する。
「お、おい! ちょっと待ってろよ!!」
そんなただならぬ彼女の雰囲気に何かを感じ取ったのだろう、武由は部屋を飛び出していき、医務室に駆け込んでいった。そして、
「みぃに何した、この変態医者が!!!」
そんな彼の罵声が研究所の廊下に響いたのだが、
「歯ァ削るのにドリル突っ込んだだけじゃ、この若造がァっっ!!!」
もっと激しい医者の怒号が、研究所中の窓ガラスを振るわせた。
その後、夜勤でご機嫌斜めの鹿沼に呼び出され、めいっぱい説教された武由が、とぼとぼと自室に戻って来た。
「うおー、おかえり〜〜」
事の顛末をどっかの回線から見ていたのだろう、何となくニヤついたみぃがすっとぼけた声でお帰りの挨拶をする。
「ただいま。みぃ、ちょっとこっちにおいで」
しかし武由は怒ることもなく、笑顔でみぃにコイコイと手で招く。
「うお?」
人を謀るくせに根が純粋なみぃは、武由の手に誘われてフラフラと彼に近づいていったのだが、
「この口か!? この口が悪いんか!!!!?」
彼はみぃのぷくぷくほっぺを両手でむんずと掴み、それを縦横無尽にこねくり回す。
ぐりぐりぐりぐり!!
「ふお゛〜〜〜っっっ!!! ふぃえ゛ええええええ〜〜〜〜っ!!!!」
腹の底に響くような、悲痛な叫びが部屋の中にこだましたのだった。
「うぅぅ〜〜、ほっぺが痛い、ほっぺが痛い……」
今度こそ本気で床に座り込み、真っ赤に晴れ上がった頬をナデナデ。彼女は痛さの余りすすり上げている。
「全くこのバカッタレが、いい加減恥晒したじゃないか!!!!!」
「うおー、えっちな勘違いした博士が悪い〜〜」
この期に及んで果敢にも反抗するみぃに、
「この口か!? まだ分からんのはこの口か!?」
ぎゅむっ
武由はもう一度ほっぺたをつねり上げた。
「ふぎゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
おかげで室内には、ブタが挽き潰されたような痛々しい声が響き渡った。
「うおー!! 女子高生のほっぺは天使のほっぺなんだぞー! 何度も簡単にこねくり回すなー!!」
余計真っ赤に腫れ上がったほっぺたをなぜながら、みぃが文句を垂れるも、
「やかましい!! 天使のほっぺはくだらない嘘なんて言わないもんだ!! お前ちっとも反省してないだろ! 一体何回人をおちょくれば気が済むんだこのバカタレが!! いい加減この世に落っこちてきて1年以上経つのに、なんで人の言うことが理解できないんだーっっ!!!」
そんな武由のとびきりの剣幕が、遠慮無くみぃに浴びせ掛かられたのだった。なので彼女は自分に勝ち目がないと悟ったのだろう、
「う、うおー! えーと、えーと、通常プロセスが落ちましたー、30秒くらい経ったら再起動します〜!」
みぃはいきなり、自分の頭のデータフローカーネルが落ちたときの低レベルメッセージを真似するが、
ぼかっ!
「うおー! いてー!!」
残念ながら、武由には全く通用しなかった。はたして、なぜこういう時に持ち前の演技力が発揮されないのであろうか。
「やかましい!! 反省するまでアイスもやらんし飯も食わさん!!」
全く反省の色のないみぃにキレた武由は、ついに兵糧攻めを敢行した。
「うおー! ちゃんと歯ァ直したからアイス食べるー!」
もはや小学生並みの駄々をこねるみぃに、
「女子高生は慎みを持て!」
ぴしゃりと言い放ち、肩を怒らせながら彼は自室に入っていった。
「うええーっっ!! 博士がいぢめるーっっっっ!!!!!」
じたじた
アイスを食べさせて貰えないのがよっぽど気に入らないのか、みぃは床に座ったまま手足をばたつかせ、腹の底から駄々をこねた。
そのとたん、研究所のあちこちから武由の部屋に電話が掛かってきた。
『貴様何の権限があってみぃちゃんいじめてるんだ!!』
『恥を知れ馬鹿者!』
『アイスぐらい食べさせろこの萌え潰しめ!』
『みぃちゃんは俺のモンだー!』
『おぢさんがいつでもアイス食わしてやるぞ、だから一緒に腕立て伏せしよう!』
『くたばれ武由ー! 氏ねー!』
『オマエは一体何ぶら下げてんだー!』
「うるせー!! 寝言は寝てから言えこの変態共ーっ!!!」
究極に頭に来た武由は、玄関から廊下に向かって力一杯叫び散らした。
それでもなおも、プルプルと電話が鳴る。
「何だ!!」
武由は相手も確かめず受話器に向かって叫んだが、
『……うるさい。』
とてつもなく不機嫌な鹿沼の声が、たった一声だけ聞こえてきた。
「うわ、す、すいません!!」
電話越しに、ぺこぺこ頭を下げて謝る武由。
何とか電話を切り終えた彼の口からは、疲れ切った笑いがぽろぽろと零れている。
「ハハハハハ………」
彼は、今日はきっと厄日だったのだろう。みぃにオモチャにされて同僚にボコられ、あまつさえ鹿沼に3回も怒られた。
「……俺、もう、寝る………」
さすがに凹みきった武由は、とぼとぼと着替えもせずに布団に潜り込む。
「うおー、アイスー!」
しかしあくまでマイペースなみぃは、そんな彼の気持ちなど一向に気にせず駄々をこね続けているのだ。
「好きにしろ……」
彼は半ばやけっぱちに、小声でぼそっと呟いたのだが、
「うおー、いただきまーす!」
さすが最新の拠点防衛兵器である。地獄耳ッぷりもハンパではない。
「はぁ……」
武由は涙で枕を濡らしながら、ふて寝を決め込んだ。
それから2時間ほどして。
風呂に入って寝る準備を済ませたみぃが、武由の部屋に忍び込んでいた。まだ湯上がりの熱が冷め切っていないのだろうか、石けんのにおいが香るみぃの顔は、ほんのりと赤らんでいた。
一方ふて寝のハズが、武由は完全に寝入っていた。ちょっとくらい揺すっても起きやしないだろう。
みぃはそれを確認すると、武由の枕元にしゃがみ込み、
「博士、ごめんね……」
彼女は小声でそっと謝り、彼の頬に優しくキスをした。
- 【STP-03β 観察日記・23】
- 先日みぃとアイスを食べていたときのこと。彼女は何やら辛そうな顔をして頬を押さえていたのだが、案の定虫歯をこさえて痛がっていた。
普段からしっかり歯磨きをさせているつもりだったが、どうやら不完全だったようだ。今後は二度と虫歯を作らせないよう、歯磨きの指導もしっかりしていくつもりだ。
所で、最近のみぃの演技力はかなり磨きが掛かってきており、自分は何度も騙されている。嘘なのか本気なのか、判断に窮することが多いのだ。まったく大した物である。いつかきっちり見破って思い知らせてやろうと思う。しかし、鹿沼博士はバレバレだ等と評しているが……。女の勘は鋭いという事だろうか。
あと、彼女に対していきがかり上、性教育を行った。みぃの頭の辞書には、恋人同士の性交渉と妊娠に連携が全く無かったようであり、今更になって辞書の不完全さが露呈してしまったようだ。確かに自分もその編集を手伝っていたが、こんな事になるならもう少し頑張っておけば良かったと反省せざるを得ない。とは言いつつ、性の知識は自分の担当した範囲ではないのだが……。
みぃの訓練終了まで後半年を切っている。今後の訓練は、今まで学んできた事の総復習となるだろう。彼女の拠点防衛兵器としての性能により磨きを掛けるべく、今まで以上に気合いを入れて臨みたい。
第24話 [最終試験のみぃ]
みぃの2回目の誕生日が後数ヶ月という頃。春もそろそろ終わりを告げ、時折気の早い夏の日差しが地面をじりじりと焼き始める。
梅雨はもう少し先だ。からっとした暖かい風が、開いた窓から時折吹き込む会議室で、いきなりの緊急会議は開かれていた。
「STP-03βの最終試験を行う」
武由や鹿沼の上司である堅井が、いつもながらに高圧的な態度で議題を述べた。その唐突な内容に、堅井以外の人間はぽかんと口を開けたまま、身じろぎ一つ出来なかった。
「……要は模擬戦だ。システムガイアに見立てた目標を戦闘機に攻撃させ、それをSTP-03βが阻止する」
皆が囲むテーブルの中心にはホログラムが設置されており、どこかの職員が作ったであろうプレゼン資料が表示されている。
砂漠地帯の真ん中に適当な掘っ立て小屋を設置。そこに向け、戦闘機が主にミサイルで攻撃を行うという設定だ。みぃは例のゴツいレーザー銃で、そのミサイルを撃墜するのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、何ですかその戦闘機っていうのは!?」
早速横やりを入れたのは、いつも通りに武由だった。既に5ヶ月先まで組まれ、承認すら通っているみぃの訓練スケジュールに、そんな戦闘機との戦争ごっこなどという物騒なお勉強は一言も書かれてはいない。それに最終試験などという言葉は、全ての訓練が終了してから出るべきものだ。彼が文句を言うのも当然だった。
「STP-03βの存在理由は、そういった脅威からシステムガイアを死守することにある。現段階では、戦闘機が一番適していると考える」
堅井は武由の文句に答えるが、
「いや、そういう事じゃありません! いきなりそんな実戦のテストなんか……だいたいみぃは、戦闘機を使った訓練なんかまだ一度もしていませんよ!?」
彼の意見は戦闘機がどうのという事ではなく、その試験自体を否定しているのだ。もう二度と、みぃが怪我する様なことをさせたくない武由にとっては、ぶっつけ本番で戦闘機との模擬戦など、何があっても全く認められないことだった。せめて今までの訓練で、何かしら戦闘機を使っていれば話は別だったのだが。
ちなみに先の5ヶ月先まで組まれた計画では、戦闘機を用いた訓練は来月の頭に予定されている。それもいきなり模擬戦等ではなく、戦闘機と一緒に飛ぶとかそういうレベルのものだ。
「訓練をしていないのはお前の職務怠慢だろう、武由!! 今からでも訓練したらいい、別に今日明日と言っているわけではない。ただし、一週間後だがな!」
武由の思いなど全く理解していない堅井は、彼の言葉に一喝する。そんな、もはや彼にとっては嫌がらせ以外の何物にも聞こえない上司のセリフに、
「そんなモン一緒じゃないですか!!」
いつも通りに感情的になる武由だった。
「武由君、ちょっとは落ち着きなさいよ……。部長、戦闘機は一体何を使うんですか?」
険悪な雰囲気になりつつある彼等の間に、鹿沼が割って入る。
「先の大戦末期に造られた、F-T5だ」
堅井の言葉に、会議室全体が凍り付いた。質問した鹿沼の顔すら、血の気が失せて真っ白だ。
「っ……! 何でいきなり黄昏の最強バージョンを!? あんな化け物持ってくる必要なんて、一体どこにあるんですか!」
そんな中、一人で顔を真っ赤にした武由が堅井にくってかかるが、
「馬鹿者!! お前が造ったSTP-03βだって十分な化け物だ! それにSTP-03βの開発は単なる興味本位のものではない! 我々人類の敵を、現実的に討ち滅ぼすための戦略兵器だ!! ……追って詳細は知らせる。以上、解散してよし!」
言いたいことだけ言うと、堅井はきびすを返し、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「ちょっ……たく、言いたい放題言いやがって!!」
悪態をつきながら、腰を浮かせていた武由は椅子にどかっと座る。他のメンバーも、上司の独裁政治に文句タラタラだ。
「黄昏5か……ちょっと辛いわね、武由君……」
鹿沼はため息混じりにそう呟くと、あごに手をやり考え込む。
「無茶苦茶ですよ、あんな悪魔の兵器なんて……!」
武由の言葉に、
「そうね……ホントに無茶苦茶よね……」
鹿沼は視線を落とし、相づちを打った。
彼等の言うF-T5とは何なのか。それは先の大戦中、某国が作り出した戦闘機の名前だ。正式名称、”戦略戦闘機 黄昏 バージョン5”、型番はF-T5シリーズだ。まさに人類の黄昏時、きらめくプラズマ噴射炎と大爆音を携え、人々を破壊と恐怖の混沌に陥れた人類史上最強最悪の戦闘機である。
双発のプラズマ燃焼式コンバインド・スクラムジェットエンジンを搭載し、超高々度巡航での最高速度はマッハ21にも及ぶ。もちろん、戦闘巡航でも軽くマッハ4を越え、いかなる時も他の戦闘機を寄せ付けなかった。それに急旋回時には機体の上下左右に取り付けられたインパルス・ジェットエンジンを起動させ、音速を超えたインパルスジェットを進行方向の逆に噴射することにより、強制的に進路を変える方式をとっている。このためベクターノズルなどは装備していない。また垂直離着陸が可能であり、反重力システムを搭載することにより自重を減らし、機敏な動作が可能となっている。また短時間ならば、宇宙空間での行動も可能なのだ。
主兵装は、機体いっぱいに積み込んだ54発の超高性能誘導ミサイルと、レーザービーム2門である。ミサイルは一度に3〜4発が同時に発射され、それぞれが目標に向かいランダムな軌道を描きながら突撃していく。よって一度狙われると、あらゆる方向からミサイルが飛び込んでくるため、回避が取れずやがて爆破されてしまう。またレーザーは極めて高出力であり、相手機体の装甲板を焼き切る程度ではなく、焦点をずらした極太のレーザービームで、機体外装を一瞬のうちに蒸発させてしまうものだ。そして搭載されたアビオニクスは極めて高度なAIであり、機の至る所に取り付けられているビデオカメラで得た情報から、最大20の敵機に対し同時かつ全自動で攻撃を行える。つまり、パイロットは字の如く戦闘機の”水先案内人”に徹すれば良く、戦闘機が勝手に攻撃、敵弾からの回避を行ってくれるのだ。
なお、機体は曲線に囲まれた優美な姿であるが、その形は一般の戦闘機に比べかなり大型だ。小さめのビジネスジェットよりも大きいくらいである。また塗装は無敵を誇るが故、保護色等は一切使わず白地に綺麗な青いラインの入った、デザイン性に重点を置いたものである。
この機はもちろん有人操縦も可能だが、基本コンセプトは遠隔操作である。先のインパルスジェットによる方向転換では、ともすれば100G以上の重力がかかり、何の仕掛けもなければ中に乗っている人間など一瞬のうちに挽肉になってしまう。有人機にはGキャンセラーを乗せてはいるが、高機動時には動作が追随できず、パイロットに凄まじいGを掛けてしまうことがあるのだ。よって遠隔操作タイプでは、基地に設置された仮想コックピット内でヴァーチャルリアリティーにより再現された戦場の中を、パイロットは突き進むこととなる。このおかげで優秀なパイロットを失うことなく、かつ深手を負った機はそのまま巨大な誘導ミサイルとなり、敵機や軍事基地に突っ込んでいったのだった。
先の大戦末期、世界は炎と放射能によって赤く焼けただれていた。その中を、まるで不死鳥の如くプラズマの光を吹き散らし、大爆音を轟かせF-T5黄昏は飛んでいた。
その機の通った後には、撃ち墜とされた無数の戦闘機の残骸と、ミサイルにより爆撃された都市しか残されていなかった。文字通り、この戦闘機は世界を黄昏に導いたのであった。
その日の晩。
「………という事だ、訓練の概要は分かったな?」
いきなりの模擬戦決定の怒り冷めやらぬまま、武由がみぃに対して説明を行っていた。あの後詳細な計画書がメールで送られてきたので、それをプリントアウトしてみぃと共に見ていたのだ。
「うおー、戦闘機……」
しかしみぃは武由の心配なぞそっちのけで、なにやら楽しげな表情を浮かべている。
「あのなー、お前分かってるのか? 戦闘機って言ってもそんじょそこいらのヘボいヤツじゃないぞ?」
「うおー、黄昏でしょ? えーと、えーと、双発のスクラムエンジンが燃え燃えなんだよねー。うおー、早く見てー」
ニタニタ笑って自分の身の危険も省みない軍ヲタに、
「………。」
武由はため息すらせず頭を抱え込む。
「で、そいつと何するの?」
「お前また人の話聞いてなかったのかよ!?」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
どうやら一番大切な部分だけをきっぱり聞いてなかったみぃに、武由は反射的にゲンコツを喰らわせた。
「だから、それと模擬戦やるんだよ! 砂漠のど真ん中に、システムガイアに見立てた掘っ立て小屋が建っている。そこに黄昏は凄まじい速度でぶっ飛んできて、誘導ミサイルを精一杯ぶっ放して掘っ立て小屋を吹き飛ばそうとする。そこで、お前がミサイルをレーザー銃で撃ち落として、小屋を黄昏から守ると、こういうワケだ。分かるか?」
武由はビシビシとプリントアウトしたメールを叩きながら説明するも、
「うおー、黄昏ぶっ壊すんだー、もったいねぇ〜……」
やはりいまいち大切なことが伝わっていないらしい。
「誰がそんなコトするか!! ミサイルだけでいいんだよ、間違っても本体には当てるなよ? アレ、なんだかんだ言って貴重品なんだからな。今の技術じゃ作れない部品やら結構入ってるらしいからなぁ……」
そう言いつつ、武由は感慨深げな顔をする。つまり大戦末期では、兵器に関しては今よりも進んだ技術が存在したわけだ。まさにちょっとしたロストテクノロジーというヤツだろう。
「えーと、でもでも、向こうがみぃちゃん撃ってきたらどーすんの?」
みぃはいっちょ前に腕を組んで、コクコク首をかしげているが、
「あるわけねぇだろそんなこと……まぁ、明日からビシビシ鍛えるからな!」
みぃの心配を一笑に付し、やる気をジェスチャーする武由。しかしみぃは、
「うおー、だりー」
なかなかにつれない返事だ。
ぼこっ!
「うおー、いてー!」
「お前一体何の為に生まれてきたと思ってるんだ、少しは防衛兵器の自覚持て!」
そんな彼のいつもの説教に、
「……みぃちゃん自分が生きるために生まれてきたんだもん……そんな他の人が考えた理由なんて、知んない」
小声でボソッと、みぃ。しかし彼女の顔は、真剣そのものだった。
「む。……確かにそうかもなぁ。誰も好き好んで兵器なんかに生まれて来ねぇよなぁ……」
みぃの思ってもない言葉に、武由は結構考えさせられる。
「でもな、みぃ。お前が生きるためには、兵器としての本分を全うしなきゃいけないんだよ。これは分かるだろ? ……俺なんて、別に社会的な使命だの何だのなんて全然無く生まれてきたようなもんだけどさ、でもこの世界で生きてく為には、今やってるこの仕事を全うすることが必要なんだよ」
彼はそう言いながら、みぃの頭をぽんぽんと撫でる。
「うー、何だかよくわかんないよ……」
みぃは眉毛をハの字に曲げて、首をふりふり。
「なんつーかさ、人が社会の中で生きてく為には、やらなけりゃいけない役割分担があって、人はその役割を演じているからこそ社会の中で生きていけるんだよ。そうだな、一人一人が負ってる責任ってヤツなのかな。例えばさ、みんなが好き勝手に適当なことばっかりやってたら、世界なんてグチャグチャになってどうしょうもないだろ?」
彼の言葉に、
「じゃあ、みぃちゃんがみんなと一緒にいるためには、みぃちゃんが兵器でなきゃいけないてこと?」
みぃはまっすぐに彼の目を見る
「そう、だな。それがお前の役割っつーか、仕事だしな。……まぁ、働かないヤツは食っちゃいけないって事だ……」
武由は、彼女の視線を受け止められない。
「うおー、みぃちゃんイケイケの兵器になる〜〜」
そして自分の言葉にこくこくうなずくみぃの姿に、しかし武由は心の隅にわき出た違和感を消すことが出来なかった。
翌日から試験までの一週間、みぃと武由は実践を想定した訓練を続けていた。警備部とのコネを使い、黄昏とまではいかないまでも高性能な戦闘機を飛ばして貰い、一緒に飛んだり追い駆けっこをしたりして、戦闘機の機動に慣れる訓練を中心に行った。
初めのうちは距離が上手くつかめず、みぃは置いてけぼりを喰ったりジェットの乱気流に巻かれて吹っ飛ばされていたりした。しかし2日もするとコツを掴んだらしく、終いには戦闘機の主翼に掴まって、コバンザメよろしくへばりついたまま飛んだり出来るようになっていた。
ちなみに射撃の腕は以前と同じで、高速巡航時にもほぼ百発百中の精度を保つことが出来ていた。もちろん静止目標だけでなく、ミサイルのように動き回る物にも対してだ。
そして試験前日の夜。既にやれるだけの訓練を終え、後は明日に向けてぐっすり眠るだけという頃。お互い風呂も入り終わり、パジャマ姿で武由の部屋でのんびりじゃれ合っていたときのこと。
「ねー博士ぇ、試験うまくいったらご褒美頂戴〜〜」
みぃからのものねだりとは、なかなかに珍しいことだった。時々愚痴は垂れるが、実は彼女は物をねだる様なことは殆どしない。要るかと問われればくれと言うが、自分から言い出すことは本当に希なことなのだ。
「何だ、酒でも欲しいのか? まったくアル中女子高生め……」
そんな珍しいシチュエーションに武由は冗談で応えるが、
「そんなのいらないー……えーとね、博士とえっちなコトしたい」
「ぶーっ!!」
いきなりのセクシャルな物ねだりに、彼はやっぱり吹き出した。
「……な、何を唐突に!!?」
「だって、みぃちゃん博士好きだもん。えっちなコトしたい」
湯上がりのみぃは、何やら色っぽい感じでそんなことを言ってくる。しかしこれはいつもの女優みぃではなく、素のまんまの彼女だった。
そんなみぃの様子にどぎまぎしながらも、
「……あのなぁ、女のコは普通そんなこと言ったりしないもんだぞ?」
武由は一応保護者ブッてみるが、
「最近の若いもんと来たら、恥も外聞もないのだ〜」
にぱっと笑うみぃは、いつも通りのみぃだった。
「自分で言うな、自称女子高生が……だいたい、お前昔からえっちえっちって……好きな人とすることって言ったって、まだ他にいろいろあるだろうがよ……」
「えー、だってだって、好きな人を全身でいっぱい感じられるんだよ? レセプター焼き付いてもイイから、そゆ事してみたいなぁ……」
彼女は目を瞑りながら、両手を胸の前であわせてきゅっと握る。
「何気にお前も夢見る乙女なんだなぁ……。ていうか、そんなに綺麗なもんじゃないぞ? 逆に色々相手の汚らしい部分も見えるし、それでもいいんか?」
そんな武由の言葉に、
「好きな人に汚い部分なんて無いよ。だって好きってそういうことでしょ? みぃちゃん、汚いところが見えるような人は、そもそも好きになったりしないもん」
みぃはきっぱりとそう言い放つ。
「まぁ……あくまで理想論だよな、それは」
「ちがうよーだ……」
みぃはそれっきり何も言わなかったが、その顔は自信に溢れている。
「まぁ、なんにせよ合格したら御祝いしような」
「うおー、頑張る……」
武由がみぃの頭をぽんぽん撫でると、彼女はとびきりの笑顔で応えた。
そして最終試験当日である。
雨でも雹でも槍でも降ればいいんだと悪態をついていた武由の祈り(?)もむなしく、天気はこれ以上ないほどに晴れていた。
既に夏の空である。深い青の天幕には、さんさんと輝く太陽が一つあるのみ。風もなく、極めて遺憾なことに絶好の試験日和となっていた。
試験場となった砂漠に武由達が到着したときには、既に黄昏がアイドリング中で爆音を轟かせており、遠隔操作用の仮想コックピットにはパイロットが搭乗の準備を進めていた。
「うおー! 黄昏〜〜っ!!」
みぃは目を爛々と輝かせ、嬉しさ零れる笑顔で機体の周りを飛び回ったりあちこちのぞき込んだり、果てには機体をポコポコ叩いて音を確かめていた。しかし一方の武由には、なぜ故ここまでのスケールで試験が行われるのか未だ腑に落ちず、なんだか嫌な気持ちでいっぱいだった。
「こら! 作業の邪魔だ!」
ついに整備員に怒られ、みぃはしょんぼりしながら武由の元に帰ってくる。
「うおー、怒られた〜〜」
「お前が悪い!……とは言いつつ、むかつくのは良く分かる」
もはや我が子を躾けた教師に逆恨みして学校に怒鳴り込みに行くバカ親よろしく、武由は空軍の連中に敵意をめらめら燃やしていた。筋違いもいいところである。
「武由君、打ち合わせが始まるわ!」
一緒に来ていた鹿沼が、砂漠の片隅に設置されているテントから武由を呼んだ。
「あ、はい!! ほらみぃ、行くぞ」
「うおー」
やはり黄昏が気になるのか、みぃは後ろをチラチラ見ながらテントに向かっていった。
「それでは、予定通りに模擬戦を始める!」
簡単な打ち合わせは終了し、堅井が開始の声を掛けた。
既に離陸許可は得ていたのだろう、黄昏は先ほどの場所でエンジンを吹かし始める。
ズドドドドドドドっっっ!!!
爆音と言うよりも、もはや音の洪水と地響きが同時に襲い来るようなものだった。殆どの人間があまりに音の大きさに耳をふさぐ中、みぃは目をキラキラさせて黄昏を見ている。
「うおー! もえもえー!!!」
彼女は一生懸命叫んでいるらしいが、もちろんそんな声など本人すら聞こえやしない。重低音から超音波域ギリギリまで、全ての可聴域の音波が過入力で耳朶を打ち、そして身体全体でジェットの爆圧を痛いほどに感じるのだ。
武由はあまりの爆音にパニック寸前だ。いくら普通の戦闘機に比べて大きいとはいえ、旅客用のジャンボジェットなんかに比べれば十分小さい黄昏の機体。しかしそれからは、常識をひっくり返すようなとんでもない音が出ているのだ。もはや、ジェットの音以外何も聞こえやしない。
そして彼が心の中で「あり得ない!」と絶叫した瞬間、黄昏は弾けるように前進を開始した。
一気にジェットの音が大きくなる。アフターバーナーをめいっぱいに効かせたエンジンノズルからは、プラズマの真っ白な炎が一直線に吐き出された。
まさにその様子は、先の大戦で人々を恐怖に陥れたあの炎の再来だった。そして不必要なまでのエネルギー放射のおかげで、巻き上げられた砂煙がジェットの後ろ側に何キロも延びている。
発進から0.5秒もしないうちに、黄昏の前輪が浮き上がる。その次の瞬間、機首がいきなりを真上に向いたのだ。その場に居合わせた人間は、皆あまりの急発進のおかげで操縦を誤り、機体がひっくり返ったのかと思った。しかし機はそのまま宙返りすることもなく、まるで空に向かって落っこちていくように虚空に向かって上昇していった。遙か上空まで一直線のプラズマ排気をきらめかせながら、わずか1秒足らずで視界から消えていったのだ。
「うおー!! すげええええーーっっ!!!!!」
皆が黄昏の馬鹿馬鹿しいほどの出力に度肝を抜かれて唖然としている中、軍ヲタみぃは一人でぴーぴー喜んでいる。
「みぃ……止めて帰ろうぜ?」
冷や汗をじったりとかいた武由がみぃにそう言うも、彼女は
「うおー、ヤツとはいずれ勝負をつけなきゃならない相手だぜー。くっくっく」
などと昏い闘士をめらめら燃やし、武由の心配なぞ気にもせずに一人気を吐いている。
武由は、何やら物騒な視線で既に見えなくなった黄昏を見つめるみぃを、もはや自分では止められないと諦めた。彼はみぃの頭をぽんぽん撫でて、彼女の望み通りに送り出すことにした。
「……みぃ、絶対無理するなよ、黄昏なんかと接触したら必ず負けるからな!?」
「ういーすたいちょーう! 自分は塵になっても敵に背中は見せません〜〜!」
みぃは元気いっぱい腕を振り上げながら、何やら行きすぎてひっくり返った気合いの程を披露する。
「バカタレ!! 見せてイイからヤバけりゃ逃げろ!」
「うおー、たけちん漢のロマンが分かってないね〜〜」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「何が漢のロマンだ自称女子高生が!! 分かったから、キリキリやってこい!」
「へーへー」
武由がびしっと指さした空に視線を向けながら、みぃは背中のバッテリーを背負い直し、反重力システムを起動させる。
ぶわっ!
いつもより、勢いを持って光の羽根が展開された。それに羽根の周囲に瞬く燐光も数が多い。
「えーと、そんじゃ行ってきまーす」
行ってきますの挨拶はいつも通りにとぼけていたが、実は内心黄昏に対してライバル心でも燃やしていたのだろう。みぃはトコトコ歩いて武由から10m程離れると、いつになく真剣な顔をして空を見据え、そして一気にエネルギーを解放した。
ドバンッ!!
まるで彼女を中心としてガス爆発でも起きたかように、爆風と砂煙が上がる。
「うわっ!?」
情けない声を上げながら、あわてて顔を手で覆う武由。一方みぃは一直線に上空に飛び上がり、2秒も経たないうちに地上から見えないところまで上昇していた。
武由が手をどかして空を見上げた時には、向こうの空から音速を超えた時に発生する衝撃波の爆音が、響いてくるのみであった。
「なんだ、アレ……!」
頭から砂をかぶった武由が、改めてびっくりするみぃの機動力。
「……黄昏も、目じゃないのかなぁ……」
髪に降りかかった砂をはたきながら、彼は一人そうつぶやいていた。
『STP-03β、黄昏より発射のミサイル、全弾撃墜』
砂漠の片隅に設営されているテントには、みぃと黄昏の戦果が次々に伝えられてくる。しかし地上にいる人間からは、彼等の戦闘は殆ど見ることが出来ない。みぃは掘っ立て小屋の上空に漂い、飛んでくるミサイルに向かってレーザーを浴びせるだけ。黄昏は、掘っ立て小屋を中心とした円上をぐるぐる回り、ミサイルを撃つだけだ。もちろん、2者による砂漠の上空を舞台にした近接戦、つまりドッグファイト等は全くない。というよりも、みぃの超長距離精密射撃によってミサイルがすべからく撃墜されてしまうため、黄昏は迂闊に掘っ立て小屋に近づけないのだ。
『黄昏、ミサイル発射。数、3』
黄昏から発射されたミサイルが、砂漠の掘っ立て小屋に向かって飛んでいく。しかしそれが1kmも飛ばぬうちに、みぃからの攻撃により全弾撃ち落とされてしまう。
『STP-03β、黄昏より発射のミサイル、全弾撃墜』
「みぃちゃんすごいわね、武由君」
双眼鏡でみぃの攻撃を見ている鹿沼が、隣にいる武由に声を掛けた。
「そうですね……今のところ互角に張ってますよね……」
テントに設置された、みぃの生体情報が表示されているモニタをにらめ付けながら、武由は呟くようにそう返事する。彼は互角と言っているが、しかしみぃの方が圧倒的に優位な戦闘をしているのは明らかだ。まさに彼女の防衛ラインは鉄壁で、拠点防衛兵器としての性能を十二分に発揮していた。
「このまま、黄昏が全弾撃ち終われば試験は終わりね」
「そうですね……何事もなければいいんですが……」
武由は顔を上げ、掘っ立て小屋の上空をくるくる飛び回るみぃの姿を追いかける。その表情は、未だ心配の一色だった。
と、その時、
「黄昏へ。先の指令の通り、STP-03βを攻撃せよ」
『こちら黄昏、了解。プラン275にて攻撃開始。目標、STP-03β』
上司の口から、とんでもない言葉が吐き出されたのだ。
「何だって!?」
『ミサイルの信管を活性化。近接並びに誘導起爆メソッド解放……オールクリア』
みぃの開発に携わっていた人間が目を丸くして唖然とする中、黄昏は淡々と攻撃準備を進めている。あくまで今回は模擬戦であるので、先ほどまでミサイルの信管は無効化されていたのだ。
「ちょっと、今の何よ!?」
鹿沼が上司を睨め付ける横で、武由は既に走り出していた。
「今のは一体何ですか!!」
堅井の座るテーブルの前に立ち、武由は彼に向かって問いただした。
しかし堅井当人は至って冷静に
「何って、実戦を想定した模擬戦だろう。信管が抜けたミサイルで、何が実戦だ!」
とだけ答える。そんな言い方をされては、明確に反論する理由が見つけられない。彼は仕方なく自分の席へ戻ろうとしたのだが、
「武由君! ちょっと見てよ!!」
鹿沼の悲鳴に近いその声に、彼は反射的にみぃを見た。
「なに………!!」
彼女に向かって、まっすぐな光線が伸びている。攻撃元は黄昏だ。例の超高出力レーザー砲を、みぃに浴びせかけているのだ。
みぃの飛行バリアは弱いレーザーなら完全にはじき返す特性を持っているが、黄昏のレーザー砲の出力には耐えられる保証はない。彼女はバリアをオーバードライブさせ、何とか凌いでいる状況だ。おかげでバリアからは、レーザーとの衝突でいくつもの光球がバチバチとまき散らされていた。バリアが貫通し掛けている証拠だった。しかしそれはまるで花火の様で、見方によっては綺麗なものだった。武由は一瞬、その光景を見入ってしまっていたのだが、
『うお〜〜〜、こいつ本気だよ〜〜〜〜!』
無線からのみぃの悲鳴で、彼は一瞬のうちに我に返った。
「レーザー撃つなんて聞いてないぞ!!」
武由が堅井を含め空軍の連中に怒鳴りつけるも、しかし彼の言葉に応える者はなく、淡々と黄昏の攻撃が続けられる。
『黄昏、ミサイル発射。数、5』
みぃからの反撃がないのをいいことに、だいぶ距離を詰めていた黄昏からは、至近距離でのミサイル攻撃が繰り出された。
黄昏の胴体に開いた穴から、5発のミサイルがするすると落ちてくる。そして一瞬の自由落下の後、後部のロケットから炎が上がり、各々ランダムな軌道を描いてみぃに向かって突っ込んでいった。ミサイルの目標は掘っ立て小屋ではなく、あくまでもみぃなのだ。
『うおー! ハード・ア・スタボー!!』
みぃは何を考えているのやら、豪華客船タイタニックが氷山にぶつかる直前のセリフを吐きながら、あわててミサイルにレーザー銃を向ける。
ちなみにミサイルは確かに右側から突っ込んできているので、ある意味芸が細かい。しかしそんなことに気を取られていたからなのか、
バシッ!!
レーザー銃の先端が、黄昏からのレーザー攻撃で吹き飛ばされてしまったのだ。
バリアの中からはレーザーを発射出来ないため、銃の先端をバリアの外に出した瞬間を狙われたのだ。
『うおー、ひでえったりゃありゃしない〜〜』
みぃはレーザー銃から伸びる数本のケーブルコネクタを外し、残骸をその場で投げ捨てた。そしてランダムにふらふら飛びながら、ミサイルの機動を攪乱する。
「今すぐ止めさせろ!! 一体何考えてんだ!? 直接攻撃するなんて聞いてないぞ!!!」
一方、武由は再び堅井に詰め寄っていた。しかし堅井から返ってきた言葉は、武由の想像を超えたものだった。
「黙れ馬鹿者! この程度でどうこうなるようなら、初めからSTP-03βは失敗作だ! そんなモノ、死ねばそれまでだ!!」
「なにをっ!? なんてことを言って……」
堅井の暴言にくってかかる武由だったが、
ドン!!! バン!!!! バカンっ!!!!!
耳を劈くような爆音と共に、閃光が辺りを包んだ。5発のミサイルの近接信管が作動し、みぃの間近で爆発したのだ。
『うひゃ〜〜〜!』
「みぃ!!」
武由はテントを飛び出し、あわててみぃを捜す。するとすぐに、いくつもの爆発痕の残る上空にフラフラと飛ぶ彼女の姿を発見できた。彼はテントに一旦戻り、近くにあった双眼鏡を覗く。とりあえず、レンズの向こうの彼女には怪我は無さそうだった。しかし爆音が効いたのだろう、両耳を押さえて辛そうな顔がちらっと見えた。
「もういいから止めろよ!! こんな事やって、何の意味があるんだ!」
武由は振り返り、堅井と空軍に向かってそう叫ぶ。しかし彼等は何も言わず、涼しい顔をしたままだ。
しかも、
『黄昏、ミサイル発射。数、5』
もう反撃の手段を持ち合わせていないみぃに向かって、平然と攻撃を続けている。
『うおー! もうやだーっ!』
無線機からは、悲鳴に近いみぃの声が聞こえてくる。
その声に、武由の中の火薬に火がついたのだった。
「ふざけんじゃねぇ! この人殺し共ッ!!」
彼は黄昏の仮想コックピットに向かって走り出し、そしてコックピット内からうじゃうじゃと生えているケーブルをつかみ上げると、力任せに引っ張り始めた。
「やめろ、貴様!」
空軍の兵隊があわてて駆け寄り、武由の身体を羽交い締めにした。そして仮想コックピットから引きはがすと、そのまま彼がもといた机に向かって引きずっていき、最後に思いっきり彼を突き飛ばした。
体勢を崩し、頭から机に激突する武由。彼の同僚も皆、あまりのなさりように言葉を失う。
だが彼はそのまま気絶するでもなく起きあがると、今度は上司に詰め寄りその胸ぐらをつかみ上げた。
「今すぐやめさせろ!! やめろって言ってンだこの野郎!!」
額が割れて血を流す武由が睨み付けるも、しかし堅井は彼に軽蔑する様な視線を彼に向けたまま、口元をにやりと歪ませるだけだ。
「くそっ!」
武由は堅井から手を離すと、みぃに繋がる無線機に向かって叫んだ。
「みぃ、今すぐ黄昏を叩きおとせ!!」
『でもー! 黄昏レア物だよ〜?!』
ミサイルから逃げ回るみぃからは、この期に及んでそんな返事が返ってきた。
「構わないから攻撃しろ! いいからたたき落すんだ!!」
彼が怒りにまかせてそう言った直後、空軍の兵士が彼の後ろ襟を掴んで無線機から引きはがす。
「誰が貴様に命令していいと言ったか武由! 貴様はもう帰れ、邪魔だ!!」
いつの間にか彼の後ろに来ていた堅井が、武由に罵声を浴びせる。武由は何も言わずに堅井をにらみつけた。お互いの憎悪の炎が見え隠れする視線が交差し、まさにいつ殴り合いが始まってもおかしくない程の一触即発の状態だ。
ところが、
『ういっすたいちょーう! 自分は元気一杯黄昏をたたき落としま〜す!』
地上の修羅場を知ってか知らずか、無線機からはとぼけた彼女の声が鳴り響いた。
「なにっ!? 勝手なことはするな!!」
堅井があわてて無線機に向かって叫ぶも、みぃからは返事は返ってこない。武由の言う事以外、全く聞く気はないのだ。
「くそっ! 役にたたんヤツだ……! 構わん、黄昏には攻撃を続行させろ!! 双方実力を持って戦え!」
堅井は自分の椅子にどかっと腰を下ろすと、上空で対峙するみぃと黄昏に視線を向けた。
今までずっとミサイルや黄昏のレーザー逃げ回っていたみぃは、進路を一転、いきなり黄昏に向かい突っ込んでいった。おかげで彼女を追いかけ回していたミサイルは黄昏との距離がつまり、保護装置の働きで黄昏に影響を及ぼさない位置で自爆した。
みぃは黄昏のレーザー攻撃をかいくぐり、黄昏の主翼が作る僅かな死角に軌道を合わせ、どんどん接近していった。黄昏のレーザーは機体の上下に付いているため、主翼や尾翼にレーザーが当たってしまうポイントというものが僅かながらに存在する。これが死角だ。みぃはこの僅かなポイントに、小刻みに軌道を変更する黄昏の高機動をもろともせずに付いてきているのだ。そしていつしか、みぃは黄昏の後ろにぴったり張り付いていた。
黄昏はインパルス・ジェットを何発も噴かし、急旋回した。一旦距離を取り、みぃを死角から追い出そうというのだ。
しかし、所詮主翼の揚力で飛ぶ機械。いくら垂直離着陸や空中静止が可能な機体とはいえ、自らの意志で空中に漂うみぃの機動力には敵うわけはなかった。スクラムエンジンの推力が上がる以前にみぃに追いつかれ、結局死角に回り込まれるのだ。
ついに黄昏はローリングを始め、極太のレーザー光線をやたらめったら撃ち始めた。
「当たらないもーん」
けれどもみぃは軽口を叩きながら、レーザー攻撃をひょいひょいかわしていく。もしも攻撃を専門に行う兵装システム士官が居たのなら結果も違ったのだろうが、今の黄昏は操縦と攻撃を独りで行っている。相手が人間ならまだしも、生まれながらに拠点兵器なみぃに歯が立つわけがない。彼女を振り払おうと滅茶苦茶な軌道を飛ぶ黄昏に、徐々にリーチを詰めていくみぃ。レーザー攻撃が激しさを増すも、彼女にはもはや何の抑止力にもなっていなかった。
やがてみぃは黄昏の機体の前部に回り込むと、2つ背負っていたバッテリーの片方を外した。そしてそれを振り上げると、いきなり黄昏の左エンジンの吸入口に突っ込んだのだ。
「とりゃー!」
ギャギャギャギャーーー!!
エンジン内で高速回転していたターボファンに、みぃが押し込んだバッテリーの破片が絡み付く。そして次の瞬間、モーターがエンジンを突き破って排気口から外に飛び出していった。ファンの勢いが強すぎたために、破片によって回転をロックされた反発力で、モーターを支える治具が砕け散ったのだ。
ズバンッ!!
その衝撃でエンジン自体が爆発し、エンジン部を覆っていた外装が殆ど吹き飛んだ。おかげで胴体の一部も外装パネルが剥離し、中の機構が丸見えになる。
しかし黄昏はバランスを多少崩した程度で、正常に飛行を続けている。普通ならエンジンの爆発と一緒に主翼も吹っ飛び、ついでに燃料に引火して火の玉になるはずだが、さすがは最強の名を冠する戦闘機である。カーボンナノファイバーとチタン合金で出来た機体は、気合いと根性が十分であった。それに一瞬炎が上がったものの、消火装置が上手く働き火は消えてしまった。
「うおー、しぶて〜」
みぃは頬をぷぅと膨らませるが、表情にはゆとりがにじんでいる。
一方黄昏は残ったもう一方のエンジンまでも破壊されるのを防ぐため、インパルス・ジェットエンジンを何回も噴かして急速旋回を行った。そして残ったエンジンを再びアフターバーナーに入れ、みぃからの離脱を試みる。ついでに距離を取って、めいっぱいミサイルをぶちかまして逃げるつもりなのだ。
しかしエンジンが2発ある時も追いつかれ、それに今は片肺だ。そもそも最高速度はみぃの方が速い。複雑な機動を描き何とか彼女を振り払おうとする黄昏ではあったが、低下した機動力も足を引っ張りなかなか彼女をふりほどけない。
みぃはそんな逃げるだけの黄昏にぴったり張り付き、ここでも高機動を誇示している。そして断続的に浴びせかけられるレーザーを余裕で避け、先ほどのエンジンが吹き飛んだ羽根の下に潜り込んでいった。
そこで彼女は先ほど捨てたレーザー銃に繋がっていた、バッテリーからのパワーコネクタを引き寄せる。そしてバッテリーに対し自分への供給をカットし、そのパワーコネクタに全出力を出す命令を送った。バッテリ内部のパワーディストリビュータが動き、みぃの指示通りの状態になる。
それを確認すると、みぃはパワーコネクタを壊し、中の電極を露出させる。そしてそのまま、パワーコネクタを黄昏の機体に突っ込んだのだ。
金属部品にコネクタが触れ、激しくスパークが飛ぶ。みぃが手を突っ込んでいるのは黄昏のミサイル格納庫だ。そしてバチバチとスパークを発しているのは、まだ発射されていないミサイルそのものだった。
みぃは自分の電子頭脳の余分なサービスを全て落とし、目に全神経を集中させた。やがて、バチバチと火花が散るミサイルの弾頭がぼこっとふくれあがる。それは、実にほんの数ミリ秒間のできごとだった。高電圧によってミサイルの信管が誤動作を起こし、ミサイル内部で暴発したのだ。彼女はその瞬間に手を引き、黄昏の機体を全力で蹴り飛ばして自分の身体を黄昏からはじきとばす。そして目の前に襲い来る爆風から我が身を守るため、瞬間的にバリアを最大出力で展開した。
みぃの身体が黄昏から数十センチ離れたところで、彼女の視界は真っ白になった。機内に残されていた30発以上の誘導ミサイルが、一斉に誘爆したのだ。
黄昏はみぃもろとも一瞬のうちに巨大な火球と化し、全方位に向け熱と衝撃波をまき散らした、
地上でみぃと黄昏の様子を見ていた武由達の頭上も、一瞬のうちに真っ白に変わった。
「みぃ!?」
反射的に彼が発した叫び声は、しかし次の瞬間かき消されてしまった。黄昏の爆発による衝撃波はテントごと彼等を地面にたたきつけ、間をおかず襲ってきた爆風は容赦なく彼等を吹き飛ばした。そして砂で出来た津波によって、彼等は砂の中に生き埋めにされてしまった。また、テントやその場にいた人間はともかく、がっしりと設置されていたはずの仮想コックピットですら土台ごと抜けてゴロゴロ遙か彼方に転がったあげく、終いにはバラバラに分解してしまった。
地上には、黄昏の爆発地点を中心としてクレーターが出来上がっていたのだった。
数分後。誰もが生きた心地のしないひとときを満喫した地上には、硝煙と航空燃料の香りがかすかに匂い、あちこちにテントや機械の残骸が転がっていた。
まさにそんな地獄絵図の中を、一人の少女がふわふわと飛んでいる。それはあの爆発の中にいたにも関わらず、スカートの裾一つ綻ばせていないみぃだった。
彼女は地面に降り立つと、砂に埋もれて片足だけ地上に出ていた武由を引っ張り出した。
「うおー、博士生きてる?」
「うぅぅ……一体何なんだよ……」
体中擦り傷だらけ。加えて一暴れしたときに出来た切傷やたんこぶで、武由は見るも無惨な姿だった。彼は一旦立ち上がるも、すぐにその場に力無く座り込み、ぐったりとうなだれていた。一方その横で、みぃはその辺で埋まっている見知った顔の連中を元気よく掘り出していた。
幸い、全員ひどい怪我はなかったものの、被害はそれなりに甚大だった。衝撃波で難聴になった者数知れず。各種観測機器は軒並み壊れ、そしてロストテクノロジーの固まりであり、現存するたった15機の黄昏のうち1機が、文字通りに粉々になってしまったのだ。おかげで黄昏の弁償で研究所の財政は大きく傾き、以後従業員にとって受難の日々が始まったのだった。
最も、黄昏が爆発した地点がもっと彼らに近ければ、そこにいた全員粉々に砕け散り、クレーターの構成物質と成り果てていただろう。なんだかんだ言いながら爆心地よりだいぶ離れていたため、吹き飛ばされた程度で済んだのは不幸中の極めて幸いであった。
みぃに対する最終試験で、黄昏は計1525回の攻撃行動を行った。
しかし彼女は、全ての攻撃を回避した。ミサイルは22発中17発撃墜、5発を戦術的自爆させた。また1503回のレーザー攻撃は、これを全てバリアシステムで無効化、および回避した。彼女の損害はレーザー銃だけだ。
逆にみぃの攻撃回数はたった2回で、初回の攻撃は背中に背負っていたバッテリでエンジンを破壊。次に機体内のミサイル格納庫にパワーコネクタを突っ込み、ミサイルを誤爆させた。いずれも人類史上最強最悪と謳われた黄昏に対し、武器も持たずに致命傷を負わせたのだ。そして結果として、黄昏を撃墜した。
その戦力は、誰の目にも疑いのない程に優れた物だった。試験の結果はもちろん合格。そしてシステムガーディアンへのみぃシリーズの採用は、正式に却下された。
第25話 [お別れのみぃ・1]
「何でみぃの採用が却下なんですかっ!!!」
もう何度目であろうか、武由が彼の上司に詰め寄っているのは。
場所は堅井のオフィスだ。いい加減にしろという思考を如実に語る視線で、堅井は彼を見ている。しかし武由はそんなのもお構いなしに、当然至極の質問をぶつけていた。試験の結果は合格で、しかしみぃシリーズのシステムガーディアンへの採用が却下なのだ。彼が全く納得いかないのは、極めて当たり前だった。
「STP-03βの試験結果は、大変素晴らしい物であった。ただしそれはあくまでも実効戦力のみについて評価したものだ。あの時、STP-03βが身につけていたバッテリーについてはどう考える?」
「……!」
堅井の言葉に、武由は言葉に詰まる。大爆発した黄昏の爆風で砂に埋まった同僚を、彼女は戦闘が終わった後に掘り出していた。しかしみぃはその時、いきなりぶっ倒れてしまったのだ。原因は、彼女の背中の背負っていたバッテリが切れたからだった。
「03シリーズは、その消費電力に問題があるという結果が出ている。いくら瞬発力で優れていようとも、頻繁にバッテリ切れを起こすようでは拠点防衛兵器としては使いもんにならん! 総合的に判断しての当然の結果だ」
「それは………確かに………っ」
言われてみればその通りだった。みぃは長時間の作戦行動時には、必ず背中にバッテリパックを背負っている。そのバッテリパックはみぃの背丈よりも大きく不格好で、しかし現在の最高水準の技術を結集して作られた超大容量なものなのだ。すぐにでも大きさを縮められたり、別のもの見つけられるような代物ではない。
「まだ何かあるのか? 無いのならさっさと戻れ!」
「……すいませんでした、失礼します!」
もはや何も言い返せない武由は、無礼を詫び自分の仕事場に戻っていった。
「みぃちゃん、残念だったわね……」
「ええ……まったく、バッテリさえ何とかなれば……!」
オフィスにいた鹿沼の慰めに、戻った武由は余計に落ち込んだ。
「あと武由君、もっと悪い知らせがあるわ。……みぃちゃんの開発は本日付で打ち切り。来月から4号プロトタイプの設計に入るわ」
鹿沼はため息と共に、数枚の書類をパラパラめくりながらそう言った。
「何ですって……? 打ち切りって……みぃは一体どうするんですか!?」
武由は勢い余って、鹿沼の肩をつかみ壁に叩き付けていた。
バンッ!
「っ! 痛いわ、武由君……」
「あっ!? す、すいません……」
あわてて謝る武由の足下には、先ほど鹿沼が持っていた書類がパラパラと落ちてくる。彼はそれを急いで拾うと、端を揃えて鹿沼に渡す。
「すいません、つい、カッとなって……」
「いいのよ。……それで、今からみぃちゃんの今後を決めるための会議が始まるわ。一緒に行きましょう」
鹿沼は壁にもたれかかったまま、うっすらと苦笑していた。彼女のそんな様子を見やる武由には、今から行われるという会議の内容がロクでもないことを、想像せずには居られなかった。
彼等は連れだって会議室に赴く。そして彼等が部屋に入ったときには、すでに先ほど分かれたばかりの堅井もおり、みぃの開発に携わった歴代の面々が首を揃えていた。
全員が揃ったのを確認すると、堅井が口を開く。
「STP-03βの開発は今日をもって中止とする。今後のSTP-03βの管理について話し合いたいと思う。だが研究所の現状を鑑みるに、予算的には冷凍凍結保存が適しているかと思うが……」
「一体何考えてるんですかぁっ!!!」
ほぼ反射的に、武由は立ち上がり叫んでいた。
「また貴様か!! 何を思い上がってるんだ、何度も……」
堅井が一喝するも、武由はそれを無視した。
「あんたこそみぃを何だと思ってるんだ!! あいつは我々と同じ人間ですよ!? それに検定優性遺伝子で人権を保証されているんだ、そんな人間を冷凍するなんて、何ワケのわかんない事考えてるんですかっ!!!」
けんか腰の武由に、堅井までもが席を立つ。
「だったら武由、貴様一体どうしろと言うのだ! まさかこのまま莫大な予算を垂れ流し、役立たずの兵器を生かし続けろとでも言うのか!」
「当ったり前じゃないですかそんなこと! いくら用が無くなったからって、みぃを殺していいだなんて、誰がそんなふざけたこと出来るって言うんですか!!」
その場に居合わせた人間は、皆首を縦に振っている。みぃの冷凍など、常識以前にヒトとしての矜恃が許さない行為だ。それはもはや殺人と一緒だからだ。
「……STP-03βが、検定遺伝子のおかげで法定人格権と国籍を持っているのは承知している。だからこそ冷凍保存し、殺すようなことはしないと言っているんだ! 人の話は良く聞け、馬鹿者!!」
堅井にしては珍しく、感情むき出しで怒鳴っていた。場の雰囲気が武由に味方しているのを敏感に察知した彼は、若干の焦りを覚えているのだ。
しかし彼の罵声も、もはや聞き慣れた(?)武由にとってはうるさい以外の何物でもない。彼は以前のように足をガタガタいわしながら反抗するようなチキンではなくなっていたのだ。
「誰がそんな詭弁に耳貸すって言うんですか! 生きた人間を冷凍保存なんて狂気の沙汰としか思えない! 人間のやる事じゃないですよ!! そもそもみぃをどうこう出来るのは、みぃ自身だけじゃないですか!! みぃはもう確固たる人間として存在しているんですよ!?」
「じゃあ貴様は何だ武由! 貴様なら、STP-03βをどうするというのだ!! ……フン、一生掛けて面倒見ますとでもいうのかね? きれい事も大概にしたまえ、虫酸が走る!!」
「ええ、虫酸が走っるってんなら勝手に100キロでも200キロでも好きなだけ走らせて下さい! 私はあいつを作り出してしまったんだから、この責任は人生掛けて全うしますよ! 例え誰が何と言おうとも、人の道を外れたことなんかするもんか!!!」
もはやこれ以上にない程に、真っ直ぐな姿勢を見せた武由だった。堅井以外の一同は、彼の態度に気圧されそして共感を覚えている。
「……馬鹿馬鹿しい話だ。武由、私は貴様がそこまで浅慮な人間だとは思わなかった。……鹿沼君、彼の上司として何か言ってやりたまえ」
堅井は、心底バカにした視線を武由に送っている。そんな彼に意見を振られた鹿沼はすっと立ち上がり、
「はい。……私は、みぃちゃんを自分の娘だと思っていますわ」
「なにぃっ!?」
堅井の目が、大きく見開かれる。周りの人間も、あわてて鹿沼の方を向く。彼女は今まで一回たりとも堅井に逆らったことはなく、今の様に上司に刃向かうことはしなかった人間だ。
彼女は続ける。
「……一体どこの母親が、自分の娘を凍り漬けにしようだ等と思いますか! そんなコトするくらいなら、そこにいる頼りない武由君にあげちゃった方がマシです!!」
「鹿沼………! お前まで何をいきなり……!」
「私は決して、人間として間違ったことは申してはおりません!」
彼女はそう言い放ち、それっきり何も言わない。再び椅子に座り、きつい視線を上司に向けるだけだ。
「……よかろう、STP-03βは廃棄処分とする。好きにすればいい」
「それは……つまり冷凍だの何だのは無しと言うことですか!?」
堅井の思ってもいない言葉に、武由は机に乗り出さんばかりだ。
「よかったじゃない、武由君……」
鹿沼も表情をほころばせ、彼を見やっている。
「そうだ。今後研究所は、STP-03βについて一切無関係の立場とする。ただし、それにも条件がある」
武由と鹿沼は、上司の顔を見る。
「STP-03βの武装解除、ならびに全記憶の消去が条件だ」
「記憶……!? 武装どうこうは分かりますが、記憶を消すなんて、そんな事をする意味が分かりませんよ!」
武由の言葉に、
「我々にとって、制御の効かないSTP-03βは敵も同然だ!!」
堅井の怒号に近い声が、会議室に響き渡った。
「……そもそもSTPの電子頭脳には、この研究所のはおろか国家の機密事項も入っているんだ。そんなモノを、無防備な姿で外に出せるわけがないだろう! テロリスト共に奪われたら、間違いなくシステムガイアの根幹が崩れるのだぞ!?」
「それは、そうですが………!!」
「それにだ! STP-03βはプロトコルマスターにすら干渉が可能だ。全世界の暗号通信を瞬時に解読してしまう存在は、それだけで危険きわまりない存在だ。記憶と同時に、そのような危険なOSの機能も全て無効化しなければならない。……それが飲めないなら、冷凍保存とする。以上!!」
彼はそう言い放つと、静止の声も聞かずにさっさと部屋から立ち去った。
「たくー、会議だとか言いながらいっつも一人で決めちゃうんだよな、あのおっさん!」
「会議って言葉の意味、ママに教わってこなかったんだろ?」
「んー、アレは幼稚園からやり直した方が良いね、人類のために」
取り残された同僚達が、幾人かで堅井の悪口を言っている。しかし、武由や鹿沼はそれどころではない。
「……どうしよう武由君……! 今回ばかりはシャレになってないわよ?」
珍しく鹿沼がうろたえていた。よっぽどのことがあっても決して臆さず、冷静沈着に問題解決に当たる彼女がだ。そして無意識のうちに武由が羽織っていた白衣を掴んでいた。
「どうするも何も……! 何でこういつも滅茶苦茶な事ばかり言いやがるんだよ、あのクソオヤジ!!」
ガン!
彼は机に拳をたたきつけるも、それで事態が収まるわけもなく、ただ自分の手が痛いだけだった。
「……つまりは、今のみぃちゃんを永遠に固定しておくか、それとももう一度最初からやり直すかよ。……技術的に見ても、どっちともみぃちゃんには良い事無しね………」
鹿沼は椅子に座り直すと、膝の上で握った自分の手を見ながら、辛そうに呟いた。
「鹿沼博士……。俺たち逃げても、追いかけて来ないでくださいよ?」
そんな武由の刹那的な駆け落ち案にも、
「私は放っておくけど、軍隊が出れば一発よ……。いくらみぃちゃんでも、それこそバッテリ切れで動けないところを狙われたら、もうダメなのよ?」
鹿沼は頭を垂れながら、首を横に振るだけだ。
「一体、どうすれば良いんだよ………!!」
拳を握りしめる武由の声は、もう涙声にも等しかった。極度の怒りが、彼の声を震わせているのだ。
「武由君……みぃちゃんには可哀想だけど……冷凍か記憶を消すか、本人に選んで貰うしかないわね……。今晩、貴方とみぃちゃんと、納得いくまで話し合ってみなさいよ」
鹿沼は武由の目を見ながら、努めて冷静に上司としての意見を述べる。
「だいたい、記憶消すなんて……そんな事ホントに出来るんですか?」
しかし諦めが悪い武由は、やはり鹿沼にくってかかる。
「それは簡単よ。OS飛ばせば良いんだもの。しかし、それではみぃちゃんは心も体も死んでしまう……。記憶だけさっぱり消すのは、たぶん無理ね。詳しくは調べてみないと分からないけど、今使ってる記憶領域を破壊するか不可視にするしかないでしょうね。でも、問題は連想記憶野とのインタフェースをどうするかよ。そもそもSTPシリーズの電子頭脳は連想記憶、つまり仮想ニューロン結合の再構成なんて機能を持ってないから、無理矢理いじると記憶の連鎖が壊れてしまう。すると連想記憶再生ドライバがハングアップして、OS自体が止まってしまうわ。あのモジュールはコアカーネルデバイスドライバの一つだから、一旦落ちると取り返しがつかない……。結局別のアプローチで、今ある人格が表に出てこないようにして、新しい人格を無理矢理被せるしかないわね……」
「……そんなんじゃ、みぃじゃないじゃんかよ……!!」
冷静に考察する鹿沼とは対照的に、武由は感情的なままだ。しかし、
「だったら、みぃちゃんのまま凍結するしか無いわよ……。ったく、ホントどうにかしてるわ! こんな事になるなら、初めっからみぃちゃんなんて作らなければよかったわよっ……!!」
バチンと、彼女は自分の膝を拳で殴る。いつもは大変気丈で、涙なんか絶対に流さなかった鹿沼が、涙に声を震わせ、その目からは涙を溢れさせているのだ。
「鹿沼博士……!?」
驚く武由に、彼女はいきなり抱きついたかと思うと、彼の胸に顔を埋める。そしてそのまま嗚咽をこぼし始めたのだった。一瞬、あまりのことに固まる彼ではあったが、やがて鹿沼肩を抱き、そして背中をゆっくろとさすってやる。
同僚達も押し黙る中、会議室には彼女の泣き声だけがずっと響いていた。
そしてその日の夜。
「うおー……みぃちゃん要らないんだー……」
それが、武由から今後について説明を受けた、彼女の第一声だった。
「………すまん」
彼は正座し、のんびり座っているみぃに頭を下げる。
「えーと、別に博士が悪いワケじゃないでしょ? みぃちゃんがダメダメだったんだから、仕方ないよ。………えへへ、でもみぃちゃん、博士のお嫁さんになりたかったなぁ」
ニコニコ笑いながら、みぃ。
「っ………!」
”お前は必要無い”などとむごい事を言われたにもかかわらず、みぃから帰ってきた言葉は、武由の良心をグチャグチャに壊すような、酷く痛々しいものだった。
「………すまん!!」
悔し涙溢れる武由の、それが精一杯の言葉だった。床に頭を擦りつけんがばかりに頭を下げる。
「博士ぇ、顔上げようよー。そんなコトしても何も変わんないんだから。えーと、結局みぃちゃんどうなるんだっけ? OS消して生ゴミ?」
あまりにも、感情が欠落しているのかと心配にあるほどあっけらかんとしたみぃに、彼は顔を歪ませながらも頭を上げる。
「……違うよ、機密保持のためにお前の記憶を消すか、それとも冷凍睡眠でまたお前が必要になるときまで寝てるかだ。……本当に酷な事だってのは十分分かってる。でもみぃ、自分でどっちが良いか、選んでくれ……」
彼の胸は、真っ黒でねばねばの液体を流し込まれるように、辛くて痛くて冷たくなっていく。
「むー、冷凍庫は寒いからいやー」
「……じゃあ、記憶消す方にするのか?」
「記憶消してどーすんの?」
「後は、俺がお前を引き取る」
「うおー!? そこはかとなくプロポーズかも〜☆」
みぃは赤くなった自分の頬補を押さえて、ニコニコ恥ずかしがっている。
「そんなイイもんじゃないよ……俺がお前にしてやれる、唯一の責任の取り方だからだ」
そう宣言する武由の顔は、みぃの笑顔とは対照的に固く強ばっていた。
「えへへ……とにかく、博士とずーっと一緒なんだよね?」
「一緒って言っても……みぃ、お前は記憶を消された後には、もう俺の事なんか全然覚えてないんだぞ? ……お前が消えちゃうんだぞ……?」
「そんな事無いよ、その時のみぃちゃんも今もみぃちゃんも、どっちともみぃちゃんだもん。みぃちゃん、博士と一緒にいたいから記憶消す方がいい」
みぃはきっぱりとそう言った。その顔は、武由が思っていたほど悲壮感が漂うものではなく、いつも通りの柔らかい笑顔だった。
そんなみぃの表情を見ていると、武由のギチギチに押しつぶされていた心が、少しだけ暖かみを取り戻せるようであった。
「……また、OS入れ替えたときみたいに手紙書くか?」
何とか余裕を取り戻せた武由が、みぃに優しい視線を向けながらそう言うも、
「書かない。みぃちゃんはみぃちゃんだってわかってるから、そんなの必要ないよ」
彼の視線に、みぃもニコっと応える。
「そっか……みぃも、ホントに大人になったよな。初めて会ったときは、ホントに途方に暮れるくらいバカだったからなぁ……」
ようやく、武由の顔に笑顔が戻る。しかし、目には再び涙が溢れる。
「うおー、みぃちゃんの昔の事は忘れてくれ〜〜」
みぃは真っ赤になったほっぺたを押さえながら、何やらクネクネ身悶えている。
「大変だったんだぞ……言う事聞かないは、わがまま言いまくるは、酒のんでひっくり返るはでさ……」
「うおー、じょしこーせいのおねーちゃんの過去を暴くなんて、到底許されぬ〜〜!」
みぃは赤い顔のままで部屋の隅っこを見ながら、ブツブツ文句を言っている。
そんな色々な過去の出来事を思い出し、彼はある事にふと気がついたのだ。
”そうだ。また、最初から一緒にやり直せば良いだけなんだ”、と……
記憶を消したみぃとはつまり、あの日……飲み慣れない酒を飲みながら、OSを入れたばかりのみぃに出会った日……あの時のみぃそのものなのだと、今更になって気がついたのだ。
……自分達は今までやってこられたのだから、次も上手くやっていける。
彼の心に、ようやく一つの筋道が出来たのだ。
「……俺たち、また最初からやり直せば良いだけなんだよな!?」
そう問うた武由に、みぃは、
「うん……今度こそ、みぃちゃんはずっとみぃちゃんのままでいられるんだよね?」
彼には即答できかねる、良く分からない質問を返してきた。
「ん? それはどういう……?」
みぃはニコニコ微笑みながら、続けた。
「……えーと、みぃちゃんね、生まれたときから、ずっと他の人の都合ばっかり押しつけられてきてね、とっても辛かったの。いきなりこの世界に投げ込まれて、お前は兵器だからなんて言われて……やりたくもない事ムリヤリやらされて、それで出来なきゃ怒られて……。でもみぃちゃん、イロイロがんばってたよ。なのにいつもダメだって言われて……あんましほめて貰った事無かったし……OS変えるんだって、頭の中勝手にいじられて、悲しくて怖くて恥ずかしくてどうしょもなくて……」
「みぃ?」
武由の背中に、寒気が走った。それは、本能的な恐怖というヤツだった。
みぃはニコニコしながら、続ける。
「……えーとね、これはね、博士が悪いんじゃないよ? みぃちゃんバカだからよくわかんないけど、そんなコト言いたいって気がするからなんだけどね……わかんないけどね……わかんない事もね、わかんないって言ってるのに怒られてね、頭がパンクしちゃって、もうホントに死んじゃうかもって、すっごく怖くてね、でもみぃちゃん、それでも本当にがんばってたの。でも、結局終いには、お前なんか要らないーなんて言われてね……みぃちゃん、こんな事のために今まで生きてたのかなって……何のために一生懸命、頑張ってきたのかなって、やっぱりよくわかんなくて……。みぃちゃん、自分はみんなと同じ人間だってずっと思ってたし、みんなにもイケイケのじょしこーせーって、ちゃんとした人間のじょしこーせーのおねーちゃんだって言われるように頑張ってたのにね……。やっぱり、みんなみぃちゃんの事、ただの機械だとしか思ってなかったんだって、そう考えると、何かね、とっても悲しくて。みぃちゃん、結局自分のことを全然認めてくれない人間のために、あれこれ辛いことをさせられて、がんばったのに、挙げ句の果てにやっぱ要らないーって、簡単に捨てられちゃうんだなーって。えへへ、どう考えても悲しいよね」
いつもと全く変わらない声と顔で、みぃは初めて負の感情をあらわにする。
「みぃ……お前……!」
みぃの言葉は。
まさに自分達人間に対する”怨み”、そのものだったのだ……。
「えへへ……なんだかよくわかんない事いきなり言ってごめんね?」
そう顔を赤らめながら笑う彼女の心の中には、とんでもない物が渦巻いていた事を、武由は今頃、今更になってようやくその身で思い知った。
知るのが全く遅すぎたのだ。いつも自分の感情ばかり押しつけていたみぃは、彼が考えていたよりもずっと人間だった。電子頭脳のパラメータ変更一つでセッティングが変わる様な、安物の仮想人格とは物が違い過ぎたのだ。
まだ、泣きながら喚いてくれた方がどれだけよかっただろうか。最後の最後まで、激しく渦巻く怨みを臆面にも出さずに、ずっとニコニコしていた最強の拠点防衛兵器……
それが、みぃの本当の姿だったのだ。
「みぃ、そんな事考えちゃダメだ……!」
ぶるぶると震える手で、そしてやっとの思いで恐怖を打ち消し、武由はみぃの肩に触れる。それは華奢で、とっても頼りない温かい肩だった。
「えーと、大丈夫だよ? みぃちゃんそんなことで暴れたりしないよ? みぃちゃんはみぃちゃんだもん、……胸が嫌な感じで苦しくなるのもいっぱいあるけど、でも、みぃちゃん、博士にそれ以上に想って貰ってるから、大丈夫」
みぃはそう言いながら、肩に乗せられた彼の手を優しく撫でる。
「みぃ……」
彼にはもはやこれ以上、みぃに対して言える言葉など何一つ持ち合わせてはいなかった。この期に及んで一体何が言えるというのだろうか。彼女の人格すらも、開発という名の大義名分で弄んだ人間側として。
「だから、みぃちゃんが機械みたいに扱われるのは最後なのかなって、そう思ったんだけど……」
「……すまん!!」
そんなあまりにも痛々しい彼女の物言いに、ついに武由は涙を隠しきれなくなった。
「ごめんなみぃ……! 俺がふがいないばかりに!……もっともっと死ぬ気で研究すればよかったんだ、とにかくもっとなんでやればよかったんだよ!! 文句バッか言ってないで、このクソ大バカ野郎が、何やってやがったんだよこの大バカ野郎……! 死ぬなら俺が死ねばよかったんだよ!!」
みぃの両肩を握りしめ、彼は自分自身への怨みをこぼす、
「博士、みぃちゃん死なないよ、だから泣きやんで……」
みぃは泣きすがる武由をぐっと抱き寄せ、彼の顔を自分の胸で優しく抱く。
「うぅっ……ぐうっ………!」
「博士、みぃちゃんは大丈夫だよ……」
武由の慟哭が続く中、彼等はずっとずっと、お互いを強く抱きしめ合っていた。
「ねぇ博士、まだみぃちゃん、ご褒美貰ってないよね?」
先ほどまで嗚咽を漏らしていた武由の頭を撫でながら、みぃ。
「……ああ、そうだな……バタバタしてて忘れてたよ……」
「だから博士、みぃちゃんとえっちなコトしよ? ご褒美頂戴、試験頑張ったよ?」
「あ……ああ、そう、だな……」
彼はようやく、みぃと身体を重ねる決心をしたのだった。
しかし、みぃはもうすぐみぃでなくなってしまう。いくら彼女自身が「みぃちゃんはみぃちゃんだ」と言っても、いくらまた最初からやり直せばいいと理屈では分かっていても、今目の前にいる、これから抱こうとする女は、もうすぐ居なくなってしまうのだ。
こんなやるせないきっかけでもなければ、みぃを愛することが出来なかったのかと思うと、彼は悔しさでいっぱいになる。
元は機械として生まれたみぃは、やっと人間と愛し合うことの出来るヒトになろうとしているのだ。しかしもうすぐ彼女は消されてしまう。そんなあまりにも皮肉な彼女の運命に、せっかくみぃに慰めて貰って止まった彼の涙も再び溢れ出てくる。
「博士ぇ、泣くほどみぃちゃんとえっちなコトするの嫌なのー?」
「そ……そんなことあるわけないだろ!……すまん、もう少し待ってくれ……」
「うん。……博士が泣きやむまで、またみぃちゃんが博士のことぎゅって抱いてあげる」
そう言うと、みぃは再び武由の顔を抱き寄せ、自分の胸に押し当てる。
武由は、顔いっぱいにみぃの胸の柔らかさを感じた。暖かくて、優しくて、彼を拒絶することのない絶対的な肯定。
その彼が物心ついて以来得たことのない安心感に、武由は再び涙を流す。
みぃに甘えられるうれしさ。
みぃを失う悲しさ。
みぃに受け入れられた喜び。
みぃの運命に対する憤り。
そして、みぃに対する感謝のきもち。
様々な思いや感情が入り乱れ、彼はゆっくり涙を流す。
何時までも彼を抱き続けるみぃの胸の顔を埋め、彼はずっと涙を流す。
そして、いつしか彼は眠りに落ちていった。
「ん………ん??」
いつもの寝起き。ただし、なぜか枕はいつもと違い、妙に生暖かい。服も昨日のままで、ついでに言うとそこは寝室でなくリビングだ。
「んん??」
本格的に目を覚ます武由。しっかり目を開け上を見ると、なぜかみぃの寝顔のどアップだ。
「みぃ!?」
「うぉ〜〜エロエロだぜ〜……むにゃむにゃ……」
よだれを一筋垂らしながら、妙な寝言も一緒に垂れ流している。
「あれ? えーと??」
頭をぼりぼり掻きながら起きあがる武由。どうやら、みぃに膝枕されていたようだ。
「何だってこんな……」
そう一人つぶやきながら、彼はなぜこんなシチュエーションになったのか、懸命に頭の記憶を漁り始める。やがて昨夜のことを思い出して、彼の顔はぼっと火を噴くように赤くなった。
「……みぃに泣きついて寝ちまったんだ……情けないいぃ……」
はぁとため息をつき、とりあえず彼はみぃの顔をのぞき込む。彼女は未だ熟睡中のご様子。
「うお〜、ずこずこばこばこ〜〜」
そして、何やらいかがわしげな夢をご観覧されているようだ。彼は未だ床に座ったままでコクコク船を漕いでいるみぃを抱き上げると、彼女の部屋に連れて行き、そしてベッドに寝かして付ける。
「みぃ……ありがとうな。……俺、お前のことホントに好きだよ……」
彼はそう言いながら、身だしなみを整えるためみぃの部屋から出て行った。
「博士ぇ、みぃちゃんも大好きー」
寝たふりをしていたみぃが、小声で彼に応じた。
最終話 [お別れのみぃ・2]
とりあえず寝癖を押さえて歯を磨き、ヒゲも剃って顔を洗い、武由は鹿沼にみぃと決めた今後についてを伝えに行った。
鹿沼はいつもの事務室ではなく、彼女専用の研究室にいるようだった。
「朝っぱらからすごいなぁ……」
等と、彼は未だ寝ぼけた頭で自分の上司を褒め称えていたのだが、
「………なに?」
ノックの音で出てきた鹿沼の姿を見て、彼は何も言えなかった。
「……………。」
「だからどうしたの?」
「あ、あの、いえ、すいません、ちょっと色々準備が出来ていなかったもので!」
ドアから出てきた鹿沼の顔には、いかにも「一晩中起きて仕事をしてましたよー」といわんがばかりのクマができ、まとめている髪もほつれて壮絶な雰囲気をかもし出している。こういうのを一言で言い表すと、「イタい」というのだ。ついでに言うと、ものすごく機嫌が悪そう。そんな鹿沼の風体にいきなり出くわした武由は、ビビって何も言えなかっただけなのである。
「……昨日のこと、どうしたの?」
「あ、はい。……結局、記憶を消す方にしました」
「そう……まぁ、確かにそっちの方がまだ幾分マシね。……でも、覚悟は出来ているの?」
ギロリと、鋭い眼光で彼を射抜く鹿沼。武由はその迫力に気圧される。
「い、いや、みぃは大丈夫だって言ってます。冷凍は寒いから嫌だと……」
「違うわ。貴方よ、武由君。……みぃちゃんがいなくなる覚悟は出来ているのかと、私はそう聞いてるのよ」
しかし今度は武由も押されてばかりではなかった。彼女の目を見据え、胸を張って答える。
「はい。覚悟はしてるつもりです。それに、またやり直せばいいって、そう気がつきましたから」
「やり直す? 一体何を?」
鹿沼の視線が、よりきつくなる。
「つまり、もう一度空っぽのみぃの頃から、お互いの関係をやり直すってコトです」
自信を持って答えた武由だったが、そんな彼の言葉に鹿沼は鼻を鳴らして否定する。
「ふん……そううまくいくかしら。みぃちゃんの電子頭脳を調べてみたけど、やっぱり記憶だけ綺麗に抜くのは無理ね。元々そういう風に出来てないもの……。結局、今の記憶を全て破壊して、電子頭脳の余ったメモリ領域に無理矢理新しいOSを入れ込むしかないみたい。……それもうまくいくかどうかは、まだ分からないわ。今動いてるコアカーネルデバイスドライバは止められないし、上で動いてるサービスは皆止めなきゃいけないし、そもそも仮想ニューロンもエミュレーションで再構築させなきゃならないし……」
指を折りながらブツブツ考え込む鹿沼に、いきなり出鼻をくじかれた武由は顔面蒼白である。
「やはり……その、大変なんですか?」
「大変? 大変なんてレベルで済むかしらね。……そこら辺で立ち上がってるパソコンにいきなり新しいOSをインストールして、今動いてるOSのカーネルを止めずに新しいOSのシェルだけすげ替えるって、常識として出来ると思う? もちろん、再起動とか無しによ?」
不機嫌さが一層増した鹿沼の質問に、武由の額には汗が浮く。
「それは……あまり考えたくないことですね……」
「そういうのを、知ってるとは思うけど『無理』って言うのよ。だから本来はOSのカーネルが行う低レベル処理を、全てエミュレーションするしかないみたいね。一応上の連中が言うことは実現できるけど、今のみぃちゃんと同じだけの性能が出るかなんて、やって見なきゃ何とも言えないわ。たぶん同じなんてモンじゃないわ、性能はがた落ちね。きっと笑いもしない泣きもしない、ただ目を開けてるだけの人形みたいになるわよ。……もちろん、そうならないように最善は尽くすけどね。……だから、またこれからひと仕事よ。その間、他のこと頼むわね、武由君」
鹿沼はそう言い放ち、さっさとドアを閉めてまた研究室の奥へと消えていった。
「……………。」
朝っぱらから憂鬱になるようなことを散々言われ、武由の気分は再び重くなる。しかしそれでもやらなければならない仕事はいつも通り湧いてくるので、彼はとりあえず事務所に向かって歩いていった。
昼過ぎ、仕事をしている武由の元に、数通の電子メールが届いていた。送信元は全て鹿沼である。いくつかの転送と、彼女のからのオリジナルの発信だ。
転送されてきた来た物の中身は、みぃの開発終了を告げる告知文と今後の予定(後3日で廃棄処分と書かれている)、4号プロトタイプの概略の設計書が数通だ。武由は前の二つだけ読み、残りはそのままゴミ箱に捨てる。鹿沼オリジナルのメールには、みぃのOS載せ替えの期日が書かれていた。
「明後日か……」
この日時はかなりギリギリで、OSの書き換えシステム構築と、みぃの書き換え作業を後2日で行い、最後の1日をフルに使い調子を整えるというものだった。
「後3日なんて……何でこういつもギリギリなんだよ……!」
イライラに任せ、誰もいない部屋で一人愚痴る武由。結局みぃと一緒にいられるのは、明日までということだ。彼は鹿沼に当て、メールを送った。
”明日は有休をもらいます。”
返事は返ってこなかったが、逆にダメとも言われなかった。
翌日、武由とみぃは朝から外出していた。草っ原の中に一本だけ通った道を、二人でのんびり歩いている。
「ねぇ博士ぇ、一体どこ行くの?」
行き先も告げずに彼女を引っ張り出した武由に、みぃは彼の服をぴこぴこ引っ張りながら尋ねた。
「ん、海を見にな。まだ一度も行ったこと無かっただろ?」
「うおー、海……でもなんかちょっと意外ー……」
「何が意外なんだ?」
「えーと、博士に似合わない〜」
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「……それは、つまり行きたくないとの意思の表れか?」
「う、うおー、もちろん行くー!」
「まぁ、海って言ってもまだ寒いし、眺めるだけだけどな……」
そう答える彼の視線の向こうには、日の光が反射しキラキラ輝く水面が見えていた。
「しかし、何だってまた急に美容室なんて行く気になったんだ?」
海に行くと聞かされたみぃが急に美容室に行きたいと言い出し、海の近くの商店街にあった美容室に入ったのが2時間前のこと。彼女が髪を整えている間、武由は近くの本屋や電気屋で暇を潰し、結局目的地であった海岸に着いたのは、予定より少し遅れて昼過ぎになっていた。
「えーと、だってだって、博士とデートだもん。ちゃんと綺麗にしなきゃ勿体ないよ」
みぃは初めて来た浜辺がたいそう気に入ったらしく、あちこちチョコチョコ走り回っている。
「だからってなぁ……まぁ、いいけど」
彼はそんな彼女の姿を視線で追いながら、のんびりと海辺に腰を下ろしていた。
今まで、おしゃれというおしゃれをしたことがない……というより縁遠い存在だったみぃが髪をマトモに整え、ついでに軽く化粧もして貰っていた。その様は、普段彼女を見慣れている武由には非常に新鮮な物だったのだ。
みぃが、いつもより数段可愛く見えていた。
「やっぱ、女は化け物だよなー」
ある意味素直じゃない武由はそんな暴言をこぼしながら、みぃも変われば変わるもんだと心底感心していた。
そして、先ほどから浜辺の砂浜てはしゃいでいた彼女は、自分を見つめる彼の視線に気がついたらしく、急に頬を赤らめてはにかんだ、
それにつられて、武由の顔も赤くなる。
「博士ぇ、みぃちゃんなんか変? さっきからみぃちゃんの事ずーっと見てるー」
そんなみぃの問いかに、
「いや……みぃが可愛いなって、そう思って見てたんだよ」
普通の男ならまず言いはしないだろうそんな恥ずかしいセリフを、武由は臆面もなく正々堂々言い放った。
「う、うおー!?」
言われたみぃの方が、余計に恥ずかしがっている。
しかし武由にとっては、今のみぃとの残り少ない時間を全力で最大限に使うつもりだったので、何の隠し立てもなく全てを本音でいこうと心に決めていたのだ。
「えーとえーと……そうだ、海、まだ冷たいかなぁ?」
照れ隠しのつもりか、みぃは急にそんなことを言い出すと、靴を脱いで素足になった。
「まぁ、ためしにちょっと入ってみればいいよ」
「うおー……」
みぃは砂浜をチョコチョコ歩いていき、波打ち際に素足を浸する。
「うおー、つめてー……でも面白い〜」
素足で波をかき分ける感覚が新鮮なのか、足の裏から砂が持って行かれる感覚が面白いのか、打ち寄せる波を追いかけるように、砂浜を行ったり来たりするみぃ。
「みぃ、服濡らすなよー」
「うん、大丈夫〜〜……うおっ?」
べちゃ
ところが何かに足でもを引っかけたのか、みぃはよろけてしりもちをついた。
「オイオイ、言ってるそばからマジかよ……」
「えへへ……」
照れ隠しに笑っているが、スカートはずぶぬれで、パンツが透けて丸見えだった。
「うおー、せくし〜」
本人は至って平然としたものだが、さすがに武由はほって置くわけにもいかず、自分が羽織っていたジャケットをみぃの腰に巻いてやった。
「まぁこれで乾くまで隠しとけ。……ついでにそこいらの喫茶店にでも行くか……」
「うん」
彼等は海に面したテラスが自慢の喫茶店に入り、そこでお互い適当な物を注文した。ちなみに武由はアイスコーヒー、みぃはあり得ない大きさのウルトラジャンボチョコパフェだった。
「うおー、でけー!」
「……つーかなんだこの非常識な大きさは……」
彼等のテーブルにどすっと置かれたチョコパフェを見て、二人の反応はそれぞれ全く正反対だ。みぃは飛び上がらんがばかりに嬉しそうに、武由はまるでカビが生えてで真っ黒になった餅でも見ているような目つきだ。
ちなみに件のウルトラジャンボチョコパフェというのがどのくらい大きいかと言えば、カップがよくその辺に転がっているブリキのバケツ並みなのだ。もちろん、上にはチョコパフェの名を冠するにふさわしきトッピングが、全体のバランスを考えこれ見よがしに、それこそ山のように積まれている。
みぃは既にスプーンを装備し、目前に展開する強敵の攻略に目をキラキラ輝かせている。しかし武由は敵の威容に圧倒され、自分のコーヒーすら飲めないでいた。
「えーと、博士、これ食べていい?」
「お、おう……まぁ無理しない程度にな……」
「うおー! いっただーきまーす!!」
もくもく、もくもく……
みぃは早速、作戦行動を開始した。敵にスプーンをねじ込みバニラをすくい、それをそのまま口に放り込んでもぐもぐごっくん。順調に進撃を続けている。
「……はかへおはええあ?」
口いっぱいにバニラを押し込んだみぃが、何かモガモガ言っている。どうやら「博士も食べれば?」と言いたいらしい。
「……んじゃま、ちょっと頂くよ」
たぶん、ちょっとどころじゃないくらいガツガツ食ってもめいっぱい余るんだろうなぁと、内心憂鬱なため息をつきながら、武由も揃ってパフェを食べ始める。
その非常識極まりない見た目からして、賞味期限の切れかかった材料の一斉放出とかいう願いたくもないシアワセな状況に陥ったかと思っていたのだが、なかなか美味で良い材料を惜しげもなく使っているようだった。
「みぃ、旨いな、これ……」
「あっへひひひゃんがへあんあんあおん!」
もはやヒトの発する言葉には聞こえないが、彼女の食いッぷりからしてなかなかに満足しているようだ。それどころか、みぃの食べるペースは全く衰えていない。見れば既に敵部隊の1/3が消滅していた。
武由もついついつられ、パフェをバクバク食べてゆく。
………そして気づいた頃には、バケツの中身はなくなっていた。
「うお〜〜、もう悔いのないほどたらふく食ったぜ〜〜!」
「うぷっ……旨かったけど……俺当分アイス要らん……」
最後の方は、半ばヤケでパフェを消費していた二人であったが、お互いなかなか満足そうな顔をしている。
もちろんその後の会計では、喫茶店の伝票としてはあり得ない金額が記されていたのも、忘れることが出来ない大切なポイントであろう。
「あ……もうこんな時間か……」
時計を確認しながら、武由。
「……みぃ、ちょっとおいで」
未だパフェの余韻でトロケ気味なみぃの腕を引っ張りながら、武由は店自慢のテラスに出た。
「うおー、きれー!!」
みぃの表情が一変、目をまん丸にして、驚きでいっぱいの顔に変わる。
時は黄昏時。
金色の夕日が世界を染め上げている。空に浮かぶ雲、砂浜、そして彼等の眼下に広がる海の水面に、夕日の光がキラキラ反射する……
目の前の景色全てが、黄金色と紺色のハイコントラストで埋め尽くされていた。
「博士ー、きれいだねー!!」
「ああ……。昔、偶然ここを通りかかったときにこの夕日を見てな……。大切なことがあったら、またここに来ようって思っていたんだよ」
答える武由は、夕日をまっすぐに見ている。
「大切なこと?」
首をかしげながら、みぃ。武由の横顔は、とても悲しそうに見えた。
「ああ。大切な選択をしなきゃいけなくなって悩んだときとか、でかすぎる壁ぶつかってくじけそうになったときとか……。そんな時には、またこの夕日を見て頑張ろうって」
「ふーん……こんな綺麗な夕日見てると、勇気出るよねー。頑張ろうって気になるー」
「だろ……? だからここに来たくなって、それにみぃにも見せたくてさ……気に入ったか?」
「うん! 博士ぇ、また連れてきてー」
「ああ、また今度も来ような」
武由はみぃの方を向き、その頭をぽんぽん撫でてやる。
「えへへ……」
テラスには、彼等二人の影が長く伸びている。夕日はだんだん沈んでいき、先ほどまでのキラキラ光る黄金から、いつしか世界は赤く燃えていた。
「すっごい夕焼けー……!」
その眩しいまでの鮮烈な赤に、みぃは感心した声を漏らす。
水平線すれすれに浮かぶ夕日で、空は赤から紺へのグラデーションを為していた。
ぽつぽつ浮かぶ雲は日の光を反射し、明るさを失った空に赤い火を灯しているようだ。そしてその火も、日没と共に明るさが失われてゆく。
「さて、そろそろホテルに行くか」
辺りはだいぶ暗くなっていた。テラスにも、もはや影は見えなくなっている。
「ホテル? うおー、ラブな所とか??」
みぃは何やらマセたことを考えているらしく、身体をクネクネ悶えている。
「違うわバカタレ! もっとちゃんとしたホテルだよ!」
「えーとえーと、でも今帰れば全然早いよ?」
彼女はセシウム原子時計並に正確な腹時計で時刻を確認する。日は暮れかかっているが、まだ夕食時な時間だった。
「いや、今日は特別な日だから……誰にも邪魔されたくないところを選んだんだよ」
「うお? それってどーいう意味?」
「……初めてお前を抱くんだから……今日は、お前とだけ居たい。……それだけさ」
武由はそう言って、みぃに優しく微笑んだ。
「ふえ!? みぃちゃんとだけって……えーと、えーと!!」
既に夕日は水平線にさしかかり、丸い形が下から削り取られてゆく。日の光はますます弱くなり、辺りは殆ど暗闇だった。だからみぃの顔色など見えはしないが、その焦りようから顔から火を噴くくらい真っ赤になっているのが武由にはよく分かる。
「えーと、えーと、まだ心の準備が出来てないっていうか、ラブラブで燃え燃えで……」
いまだブツブツ言い続けるみぃを、武由は無言で抱き寄せる。
そして薄暗い夕日が水平線に沈んでいく中、彼等のシルエットが重なり合い、唇が触れあう。
「んぅっ……」
かすかなみぃの吐息。
以前武由が言っていた恋人のキスよりももっと深く、ねっとりと熱い大人の口づけだ。ぬめる唇と舌の水っぽい音が、辺りに小さく響いている。
初めは強ばっていたみぃの身体も次第に力が抜け、そっと武由に寄りかかってくる。彼は彼女の身体を支えながら、そしてゆっくりと顔を離す。
しばし、向き合ったままの二人。
みぃは未だとろんとした目で、じっと武由を見ている。その目に、一筋の涙が光る。
「博士ぇ……いまのって何のキス?」
「……最愛の人へのキス、かな……」
さすがに照れの隠せない武由は、ばつが悪そうにそっぽを向く。
「えへへ……博士恥ずかしいこと言うんだねー……えへへ……」
ぽろぽろと涙を流しながら、みぃは柔らかに笑っている。武由はそんな彼女の涙を、指で払ってやる。
「えへへ……みぃちゃんへンなの。嬉しいのに涙が止まらないよ……」
自分でごしごし目を擦りながら、みぃ。涙は、まだ止まらない。
「……みぃ、ごめんな、辛い思いばっかりさせて……」
武由はもう一度、みぃをぎゅっと抱きしめる。みぃも武由の背中に手を回す。そして彼の胸に顔を埋め、嗚咽をこぼし始めた。
「みぃ、ごめんな……ホントにごめんな……」
日は既に沈みきり、あたりは闇に包まれている。テラスから漏れる光のみが、抱き合う彼等の輪郭を浮かび上がらせていた。
「うおー、なかなかに綺麗な部屋〜」
「ん、ちょっと奮発したからな」
あの後。
武由はみぃが落ち着くまで、ずっと彼女を抱きしめていた。やがてみぃに笑顔が戻り、動ける準備が整うと、武由は予約していたこのホテルに移動した。そして今晩泊まる部屋に入ったのが今さっきである。
「まぁ、旅行で来たわけでもないから荷物もないし……のんびり風呂にでも入るか……」 ジャケットをハンガーに掛けながら、武由がそう言うも、
「うお? いきなりお風呂プレイ?」
みぃは顔をぽっと赤くした。
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「あのなー……一応説明しておくけど、このホテルは温泉がウリでな。大浴場には、47もの様々な温泉があるワケだ。全部回るのが宿泊人のたしなみだぞ?」
そう自慢げに解説する武由に、しかしみぃは余りノリ気ではないらしい。
「むー……みぃちゃんそんなのよりも博士と入りたいー」
みぃはそう言いながら、武由の服をぴこぴこ引っ張る。
「……俺と入って何をするつもりだ?」
やはり彼女はお風呂プレイがしたいのかと、なんだか微妙に呆れる武由に、
「うお?? えーと、えーと……何しよう……?」
この期に及んで首をかしげるみぃである。
「……………。露天風呂。混浴。どうだ?」
今度は確実にあきれ果てた武由は、こめかみに手を当てながら提案した。
「うおー、露天風呂……」
みぃの瞳が、何やらキラキラ輝いている。
「まぁ他の人もいるかもしれんけど、構わないだろ?」
「うん、露天風呂いこう!」
そして彼等は浴衣を片手に、連れだって露天風呂に向かった。
「うお〜〜、いい眺め〜〜!」
ホテルの天井に作られた露天風呂から眺める景色は、みぃの雄叫びを誘発するのに申し分のない物であった。
満天に広がる星々、眼下に広がる街の夜景、さざ波にキラキラ反射する月明かり。普段彼等が籠もっている研究所では、決して味わうことの出来ない大自然の絶景であった。
「みぃ……タオル巻かないならせめて肩までお湯に浸かれよ……」
みぃは素っ裸のまま、露天の浴槽から身を乗り出して夜景をのぞき込んでいる。小さいながらも可愛らしく揺れる彼女の胸に、周りにいるおっさん共がとても嬉しそうだ。
「うお? 博士も見てみなよー、きれーだよ!」
みぃは武由の心配など全く気にせず、夜景に指さしてはしゃいでいる。目の前でみぃのぷりんとしたお尻がプルプルふるえ、おっさん達の盛り上がり様はハンパではない。
「いや分かってるんだけどさ、女子高生のおねーちゃんは、もう少し恥ずかしがった方が良いんじゃないのか? おっぱい丸出しで……」
ため息混じりの武由の忠告に、
「うお!? うお〜〜〜………」
ようやく人並みに羞恥心を覚えたのか、顔を赤くしたみぃはズルズルとお湯に沈んでゆく。周りのおっさん共の気分もまた、一緒にぶくぶく沈んでいった。
「お前はまだまだそーゆー所はお子様だよなー……ったく」
「うおー、みぃちゃんお子様じゃないもん!」
みぃはお湯の中をチョコチョコ歩いてきて、武由の隣に座る。
「だったら少しは恥ずかしがれっての。まったく、みんなお前のこと見てたぞ?」
「うおー、たけちんジェラシー? みぃちゃんモテモテで悔しいんだー」
みぃは自分のほっぺたに手を当てて、何やらぶりぶりぶりっこだ。
ぼこっ
「うおー、いてー!」
「何いきなり理解不明なこといってやがるんだお前は!」
結局みぃのぶりっこ攻撃は不発に終わり、ついでにゲンコツまで喰らってしまった。しかし叩いた武由の顔が赤くなっていたところを見ると、割とクリティカルだったのかも知れない。
「そーだ博士ぇ、みぃちゃん露天に来たらやりたかったことあるんだー……いい?」
なんとなく下心がありそうな目で、みぃは武由の肩をつんつん突っつく。
「ん? まぁ大概な事なら良いけど……なんだ?」
そう問う武由はシカトして、みぃはインターホンに向かって叫んだ。
「おねーさん、熱燗二つ〜」
「ぶーっ!!」
豪快に噴き出す武由の横で、あいよーっと威勢の良い返事がインターホンから返ってくる。
「………あのなー、お前一体何考えてんだ!? 誰が酒飲んでいいって言ったよ?」
「うおー、ここまで来たら飲むしかねー!! 俺のゴーストがそう囁くんだ〜〜」
みぃは細い腕に力こぶを作り、何やら独り盛り上がる。
ぼこっ!
「うおー、いてー!」
「だから何ワケ分からんこと言ってやがるんだ!! それと俺とか言うな、この自称女子高生が!」
「うおー、いちいち細かいこと考えてると頭がハゲるよー? だからそういうときは飲むのが一番!」
「やかましい! 気にしてること言うな! それに飲んでも毛は増えん!」
微妙な点にぶりぶり怒る武由だったが、彼の説教はみぃにとっては慣れっこだ。
「うおー、お酒は百薬の長なんだゾたけちん〜〜。血行促進、精神安定、疲労回復、これほど素晴らしい物はないのだ〜〜☆」
怒る武由など完全に無視し、みぃはいつも通りに酒のウンチクを披露し始める。
「だいたい、酔っぱらいは皆そう言うよな……」
しかし、相手の反応はいまいちつれない。
そんな彼等の元に、お盆に載ったとっくりが流れ着いた。みぃは手慣れた感じでお銚子に酒を汲み、くいっとやっている。
「だいたいさー、博士はあんまりお酒を飲まないから、すーぐ人のこと酔っぱらいだのアル中だのって言うんだよー。お酒だってちゃんと飲めばイケイケなんだぞー?」
そう言いつつくいっと、みぃ。
「お前、自分で本当に行儀よく飲んでると思ってるのか? 廊下で一升瓶抱えて寝腐れてたこと、一回や二回とは言わせないぞ?」
「うおー、だから過去のことは詮索するなよ〜〜! 人間チイサイぞたけちん〜〜」
くぃっ。
「つーかおまえ、何さっきから違和感なく飲み始めてるんだよ!? だから飲むなって言ってンだろこのばかったれ!」
みぃのあまりに堂に入った飲みっぷりに、武由は今まで彼女が酒を飲んでいるのに気がつかなかったらしい。あわてて怒る彼だったが、みぃは横目でうざったそうな視線を送るだけだ。
「バカバカ言うなよ〜〜、これでもみぃちゃんがんばってるんだからー。ふぅぅ。」
大げさな身振りで、盛大にため息をつくみぃ。
「それは分かってるけどよ……」
一方、前に「頑張ってるのに機械扱いしかしてくれなかった」と告白されて返す言葉もなかった武由は、そんなみぃのセリフに何も言い返せない。何となく落ち込む彼の前で、しかしみぃのテンションはどんどん上がっていく。
「うおー、わかってるならわかってってやつ〜〜? もしくは分かっちゃいるけど止められない〜?」
終いには、ろれつの回らない口で意味不明なことを言い出す始末だ。
「みぃ、なんか言ってることよくわかんないんだけど?」
熱い風呂に浸かっているにもかかわらず冷や汗をかく武由の隣で、
「うお? 博士みぃちゃんの事酔っぱらってるって思ってない? まだまだ全然余裕だぞ〜。てゆーか、みぃちゃん酔っぱらってないもーん」
くぃっ
どう見ても立派な酔っぱらい女子高生が喚いているだけだ。
「……得てして、酔っぱらいは皆そう言うもんだ……。みぃ、女子高生のおねーちゃんは、露天風呂じゃ酒は飲まないと思うけど?」
何やら切ないものを見るような目つきの武由が質問を投げるも、
「むー、それは実に問題だねー! つまりみぃちゃんがイケイケのじょしこーせいのおねーちゃんで、えーと、えーと、酒は旨いというこの事実を持ってしてこの二律背反に対してどう立ち向かうかが、明日の人類の未来を築く上でとっても大切なコトなんだゾたけちん〜〜」
もはやマトモに言葉が通じる相手とは思えない状況だった。
くいっ
「………つーかお前もうマジで酔っぱらってねぇか? こんな所で酒飲むと一発で回るってわかってんだろ!?」
「うおー、だいじょうぶだよ〜〜。みぃちゃんこれくらいじゃ酔わないも〜〜〜ん! 博士も飲めよ〜〜」
「……ダメだ……痛すぎる……」
くいっ。
もうすっかり出来上がってしまったみぃを半ば放置して、彼は先ほどシラフの彼女が感動していた夜景に目を移す。「きれー」とか言って身体を隠すのも忘れていたお子様みぃが、今となっては果てしなく遠い過去の存在のように思えてならない武由であった。なんだかうっすら涙まで出てくる。
そんなご傷心な彼の隣では、未だおっさん顔負けの酔っぱらい(自称女子高生)がグダを巻いている。
「ふぅ……」
彼のため息が、まだ冷たい夜風に吸い込まれてゆく。
空を仰ぎ見れば、満天の星空がどこまでも広がっている。
子供の頃に覚えた星座をその中に見つけ、彼は毎週の様にプラネタリウムに通った頃の、宇宙が好きだった自分を思い出した。そしてあの頃の自分は特に何も考えず、毎日をのんびりとただやりたいことを飽きるまでやっていたなと、武由は自分の子供の頃を省みる。
それに比べて、みぃは一体どうだろうか。
生まれた瞬間からずっと人間の都合ばかりを押しつけられて来たのだたと、本人の口から聞いて酷くショックを覚えた記憶はまだまだ新しい。
既にタイムリミットが分かってしまった彼女には、残された時間でやりたいことを何でもさせてやりたかったし、それに出来ることなら、いつまでもずっとニコニコと楽しく笑っていて貰いたかった。
けれどもみぃという奇跡の人格は、明日この世から完全に消え失せてしまうのだ。それは極めて残酷で、しかもとても理不尽なことだ。
かけがえのない物を失う失望感よりも、彼の心の中では怒りの方が数段上回る。
「うおー、イケイケだぜ〜〜っとくらぁ!」
みぃはいつしか周りにいたおっさんに囲まれ、酒盛りの真っ只中であった。
彼女の周りで鼻の下を伸ばすおっさん共も、まさか彼女が地球規模の管理機構であるシステムガイアの拠点防衛兵器で、ましてや電子頭脳とOSが組み込まれている人造人間であるなどとは、何があっても決して思わないだろう。
それほど、みぃという存在は確かな人間だったのだ。どこから見ても、酒好きのイケイケ女子高生だ。
「みぃ……俺にも酒くれ」
「うおー、博士ノリノリだねー!」
みぃは喜んでお酌をしてくれる。
彼はそれを一気に飲み干した。舌を焼く液体が喉を流れていき、そして胃の中でじんわりと熱に変わる。
……酒でも飲まねば、やってられなかったのだ。普段は酒など飲みもしないのに。
辛いことや耐えかねることがあるときだけ、まるでそれに逃げ込むように飲むのだと、彼はみぃが再びついでくれた酒をのどに流し込みながら、そんなことを考えていた。
武由は、改めて自分の弱さを実感した。
その後露天風呂から上がった二人は、自室に戻って涼んでいた。
みぃは既に敷いてあった布団の上に座り込み、いつも通りニコニコ笑っている。一方武由は、部屋の隅に置いてある椅子に座り、みぃのご機嫌な横顔をぼーっと眺めていた。
「みぃ、お前なんかだいぶ飲んでたけど大丈夫か?」
彼はみぃとは違い、1、2杯しか酒を口にしていないので、もちろん全然酔ってなどいない。一方心配されているみぃは、
「うお? うん、全然大丈夫ー……ていうか、実はね……緊張しちゃって、全然酔ってないんだー……えへへ……」
みぃは困ったような顔で、なんだか照れくさそうにしている。
「緊張? 何で?」
「えーと……だって、その、これから、ねぇ……うお〜〜〜〜」
みぃはそう言ったきり、酒を飲んでも殆ど赤くならなかった顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「あー……そうだっけ、忘れてた」
しかし武由は手をぽんと鳴らしながら、そんなイケてない返事だ。
「うおー、ひでー!」
「ウソだよ、ウソ。……で、どうする?」
「う……えーと、どーするって、えーと??」
さっきまでの真っ赤な顔がどこへやら、いきなり血の気が引いて顔面蒼白になるみぃ。
「いや、だから、いつするのかって事なんだけど……なぁ?」
そんな彼女の様子に、武由もなんだか気後れがちだ。
「う、うお〜〜〜……えーとえーと、いつって言っても、その、いつでもいいけど、えーと!!」
みぃは胸の前で手をぎゅっと握りしめ、あからさまにうろたえている。目も半分涙目だ。
「いや、その、嫌だったら別になぁ?」
「そんなことないー! えーと、だからみぃちゃんいつでもいいんだけど、やっぱりドキドキしちゃって、えーと、えーと、どうしたら良いんだっけ、えーと、まずはなにするんだっけ!?」
もはや完全にパニックに陥ったみぃが、両手をバタバタさせながらしどろもどろになっている。ここまであわてるみぃも、なかなか珍しいものではある。
「大丈夫だよみぃ、そんなにパニくらなくて。……まぁ、俺も実はそんなに経験無いッつーか……いや、なんだ、実は一回しかしたこと無いからあれなんだけど……こっちでリードしてやるから、楽にしろって言い方もどうかとは思うけど、気楽にしてりゃいいよ」
苦笑いしながら、武由。しかしみぃの表情はなんだか真剣だ。
「う、うお〜〜、でもでも、それじゃあ博士だけが大変だから、みぃちゃんも博士に気持ちよくなって貰いたいし…えーと、だから……!」
そんな、焦りの極地にいながらも相手への心遣いをちゃんとわきまえているみぃが、武由にはいたく健気に思えてならなかった。そして、これ以上彼女をじらすのは可哀想で仕方なかった。
「みぃ、こっちに来いよ」
武由は自分の布団に座り、そしてみぃを呼ぶ。
「!! う、うん……」
しかし、こっちに来いと言われても、ちょっと後ずさりしてしまうみぃ。
右手で浴衣の裾を握り、身体全体を強ばらしている。そして彼を見る目はおびえていた。
「……みぃ、ちょっと手を貸して」
武由は自らみぃの元に跪き、そして彼女の手を優しく握る。
「う、うん……」
そして彼に導かれ、おずおずと右手を差し出すみぃ。武由はその手を、自分の左胸に押し当てる。
「みぃ、俺の心臓がバクバク言ってるのわかるか?」
「うおー……ずっごいドキドキしてるー……」
武由の左胸に手を当てたみぃは、彼の心臓の鼓動をその手で感じているようだ。
「みぃ、俺もお前と一緒で緊張してるよ」
武由はみぃの頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「うん……」
「みぃ、俺のことが怖いか?」
武由はみぃの頭を撫でたまま、優しくそう問うた。
「!? えーと、全然怖くないよ?」
彼の問い掛けに、首を横に振りながら、みぃ。
「だったら、これからすることも怖くないよ。……大丈夫か?」
「うん……博士怖くないから、大丈夫〜〜」
そう答えたみぃの顔には、ようやく笑顔が戻った。
武由はそれを確認すると、みぃの両肩に手を載せ、彼をじっと見つめたままのみぃの唇に、自分の唇を押しつけた。そしてそのまま肩を押し込み、みぃを布団に横たえさせると、なお一層その唇を強く吸った。
「ふうんっ」
うわずったみぃの声。そしてお互いの繋がった口から漏れる切ない吐息が、一時部屋の中に響く。
武由は一旦口を離すと、みぃの浴衣を広げ、彼女の小振りな胸をはだけさせた。
彼は両手をみぃの胸に置き、ゆっくりと乳房を揉む。柔らかさよりも、弾力感が強く感じる感触だ。
ぞわりと鳥肌が立つ中、少しずつ立ってきた乳首に、左右両方とも口で愛撫をくわえる。
彼からの愛撫を、みぃは無言で受け止めている。
「……みぃ、感じるか?」
「うー、よくわかんないよ……でもすっごい切ない気分……」
みぃはまだ性感帯が未発達で、快感よりも、精神的なものの方が大きいようだ。だから身をよじらせて喘ぐことはおろか、殆ど声も出さない。ただ潤んだ瞳で、武由の行為をじっと見ている。
「……みぃ、そんなにじっと見られると、なんだか恥ずかしいんだけど……」
武由も、みぃに声一つあげさせられない自分のふがいなさに、若干の焦りは覚えているのだ。けれどもここで焦ってもどうしょうもない事くらいは分かっていたので、じっくりと時間を掛けて愛撫をすることに徹した。
「博士ってすっごく優しいんだねー……。男の人って、えーと、えーと、もっとガーっていうか、バコバコやっちゃうっていうか、そういうんだと思ってたけど……」
自分の乳首をちろちろと舌でねぶる武由の頭を撫でながら、みぃは呟くように言った。
「バコバコって……まぁ、もうそんな年でもないしなぁ……若い頃なら、我慢しきれなくてお前を泣かすようなことになってたかもな」
自分の過去を思い出し、彼はなんだかすまなそうな顔だ。
「うおー、おっさんなんだー」
「あのなー、大人だって言ってくれよ……いくら何でもおっさんはないだろ……んー、それか、もうちょっとガツガツした方が良いか?」
「うー、優しいのがいい……あ! そーだ、思い出したー」
愛撫を受けていたみぃはそう言うなり、いきなり上体を起こした。そして何事と彼女を見る武由の前にちょこんと座る。
「どうした? みぃ」
彼女に合わせ、武由も彼女の前で姿勢を正して座る。
「えーとえーと、今思い出したんだけどね、男の人が喜ぶコトしてあげるー。博士、パンツ脱いでー」
そんないきなりの大胆な発言に、
「な!? なにをする気だ?」
今度は武由の方が後ずさる。
「えーと、あの、お口で舐めるヤツ。ビデオでみんなしてたし、みぃちゃんもしてあげるー」
つまりは、みぃは自分の口で武由を悦ばせようと言うのだ。
「い、いいよ、そんなコトしなくたって……」
武由にとっては思ってもみない提案ではあったが、しかし彼にはたぶん初めてなのであろう彼女にそんなことをさせるのは気が引けるので、ここは気を利かせて断ったワケなのだが、
「えー、でもあれやらなきゃ立たないんでしょ?」
みぃはとっても失礼なことを言ってくる。
「俺はそこまで枯れちゃいねー!」
確かに、最近張りに欠ける気はする。しかしその時にはちゃんと上向きにきゅっと伸びてくれる心の友が健在な彼にとって、さっきの反論は至極当然で当たり前の返事だった。それにこの事は、この星に生きる全ての人類男子にとって沽券に関わる大問題なのだ。
「……大丈夫だって、みぃは寝てればいいから」
とりあえず武由はみぃの肩を押して再び寝かせようとしたが、彼女はいやいやと首を振って譲ろうとしない。
「そんなのやだー! 博士も気持ちよくならないと意味がないよ〜」
「つーか汚いからいいよ、そんなコトしなくても……」
「博士のだったら汚くないもん。それにさっきお風呂入ったじゃん」
みぃが一度言い出したらなかなか聞かないのを良く分かっている武由は、さっさとみぃの言いなりになることにした。それに、せっかくの二人のひとときなのだ。ここでケンカなぞしようものなら目も当てられない。
「そりゃそーだけどさ………んじゃまぁ、お願いするけど、やめたければさっさとやめていいからな?」
武由は渋々パンツを降ろし、そのままみぃの横で仰向けに寝転んだ。
「えーと……」
みぃの手が、おそるおそる彼の男性自身に触れる。そのとたん、それはむくむく起きあがり、みぃの目の前でとても元気になった。
「う、うおー……」
目をぱちくりとしたみぃの喉が、ゴクリと鳴る。
「いきなりおっきくなったー……博士エロエロだねー……」
「ば、バカ、エロいんじゃなくて、お前がそういうコトするって言うから…!」
さすがの武由も、今は自分の溢れる若さが少しだけ憎らしかった。
「えーとえーと、おっきくなっても舐めてもいいんだよね?」
「ま、まぁ、お前が嫌じゃなければ……」
彼の言葉に、みぃは意を決したようだ。彼女は自分の鼻先で脈づくそれに両手を添えると、まるで棒アイスでも舐めるようにペロペロと舌を這わせ始める。
「うぅっ」
そんな初めて受ける感触に、武由は溜まらず声を漏らす。
今まで他の研究員に、セクハラ代わりに見せられたビデオで一通りの知識は持っていたのか、たどたどしいながらも懸命に、武由を舐め続けるみぃ。
やがてその行為に慣れてきたのか、彼女は口を開けると彼の先端部分をぱくっとくわえる。そして口の中で舌をそれに優しく添えながら、口全体を使い上下にゆっくりと動かし始めた。
快感で頭がぼんやりする武由は、いつしかみぃの頭に両手を添え、彼女の動きをサポートしていた。
いつしかビデオで見た、手練れの行為に比べれば、それはたどたどしくつたない動きで余り上手とは言えないだろう。それに時々歯が当たって、ちくりと痛いときもある。けれども彼には、そこまでしてくれるみぃのことを、もうどうしようもないくらいに愛おしく感じていたのだ。
初めは緊張が勝りその行為に没頭できなかった武由だったが、やがてみぃのくわえるそれの根本に、じんわりと熱い塊がせり上がってくる感覚を覚えていた。
「あ、みぃ、もういいよ、もう出る……」
「ん〜」
最後にストローを吸う様に唇をすぼめながら口を離すと、彼女の唇からはすぅっと糸が伸びる。それを、こしこし手でぬぐうみぃ。
「………えーと、もういいの?」
「ああ、おかげでこの通りさ」
みぃに愛され大きくなったそれを、腰を突き出し誇らしげに見せる武由。ドクドク脈打つそれは、醜悪ながらも同時に雄々しさを表している。
「えーと……………。」
しかしみぃはそれを見ても口を瞑るだけで、なんだか辺りをきょろきょろし、不安そうな顔をしている。何かしら変な冗談でも言ってくると待ちかまえていた彼だったが、終いにはうつむきまた身を固くしている。
「どうした?」
「………えーと、えーと……次は、次は…何するんだっけ?……えーと、口でやったから、次は、えーと、えーと………………!」
なにやらブツブツ独り言を言い出したみぃだったが、その目からは涙がこぼれ始める。
「うぅっ…………うえぇぇぇ〜〜〜!」
そしてなんと、彼女はいきなり泣き出してしまった。
「何だ、どうしたんだ?」
あわててしゃがみ、みぃの顔をのぞき込む武由。肩を揺すると、みぃはぽろぽろ泣きながら、
「うぇぇぇぇ………次何したらいいかわかんなくって……! 博士気持ちよくしなきゃいけないのに、どうしていいかわかんなくなって、急に怖くなって……!」
武由の浴衣を掴み、彼の胸にに頭を擦りつける。
「みぃ……」
彼女はまた気ばっかり焦り、ついには進退窮まり身動きできなくなってしまったのだ。武由はそんな彼女を優しく抱きしめると、また頭を撫でながら諭す。
「大丈夫だよ、後は俺がちゃんとしてやるよ。今度はみぃが気持ちよくなる番だ。……にしても、いつもは自分からえっちえっちって言ってたくせに……」
「だってー! 急に怖くなって……みぃちゃんせっかく博士とえっちなコトできるのに、失敗したくないし、博士に気持ちよくなって貰わなきゃヤダし、だから、みぃちゃんいろいろ考えたんだけど……!」
「こういう事は、考えてやるんじゃなくて、お互いの気持ちをぶつけるもんなんだよ……だから、失敗とか、そういうのは気にしなくていいよ」
「でも……」
「だから俺に任せろ。もう十分気持ちよかったよ」
「うー」
「ほら、ちょっと寝てみ? 今度は俺が口でしてやるよ」
「えーと、だからどうすればいいの?」
「力抜いて、寝っ転がってみ?」
彼はみぃの肩をぐっと押して、まだなにやら言いたげな彼女を布団に押し倒す。そして浴衣の帯をほどくと、彼女のパンツに手を掛ける。
「……みぃ、濡れてるのか?」
見れば、彼女のパンツは股間の部分がぐっしょりと濡れ、その内側が透けて見えるほどだった。
「うお? みぃちゃん濡れてるの?……うおー、そーゆー機能もあったんだー……」
首をぐっと曲げて、自分の股間をのぞき込むみぃ。
「機能って言うか……お前身体は普通の人間だろ……骨格はまぁあれだけど、内蔵とかは基本的に変わんないしな……」
「うおー、でもみぃちゃん赤ちゃん産めないじゃん……何のために濡れるんだろ?」
「っ!? 知ってたのか……?」
彼女の言葉に、恐る恐る聞き返す武由。しかしみぃは、ワリとあっけらかんとしている。
「うん、前から知ってた。普通の人には生理とかあるけど、みぃちゃんそういうの無いし。それに、兵器には必要ないし」
「………。」
男である武由には、彼女の言葉はあまりにも重すぎて何も答えられない。言葉に詰まりうつむく彼見て、
「……でも、みぃちゃんイケイケのおねーちゃんでしょ?」
みぃは、にこっと笑いながらそう言った。
「……ああ、みぃは最高にイケイケだ」
そう応えた武由の顔にも、ようやく笑顔が戻った。
「ねぇ博士ぇ、続きしよ……?」
「ああ、そうだな」
武由はみぃのパンツを脱がし、両足をくいっと広げる。
「……ここもさ、完璧に人間だよ……。綺麗だよ、みぃ」
彼の指が、充血したみぃのそこに優しく触れる。
「っ!……よくわかんないよ……」
ぴくっと身体が震えたみぃだったが、それは緊張によるもので、やはり快感ではないらしい。しばらくスリットに合わせ上下にさするも、みぃの反応は殆ど無い。
「今度は、俺が気持ちよくさせてやるからな」
彼はみぃの両足を腋に抱え、自分の方へ引き寄せる。そして彼女の両足の間に顔を埋め、しっとりと濡れたその中心へ舌を這わせる。彼女の形に合わせ、唾液をたっぷりまぶしながら、何度も何度もキスをする。
「…………」
みぃは目をきゅっとつぶり、彼の行為を受け止めている。しかし生まれて初めて受ける愛撫は、やはり彼女に快感を覚えさせはしなかった。
「はぁ……はぁ………」
そのかわり、武由が自分を愛してくれているという彼女の意識が、みぃの心臓の鼓動を早め、そして息を乱している。
「はぁ! はぁ!」
切なげなみぃの吐息が。水っぽい音と共に部屋の響いている。いつしかみぃのそこは、自ら出す愛液と、武由の唾液でびしょびしょになっていた。
「みぃ、もうそろそろいいかな……」
武由は、みぃのそこに指を差し入れ、その柔らかさを確かめている。堅さもほぐれ、何とか彼を受け入れられそうだ。
「うん、みぃちゃんだいじょうぶ……」
涙目のみぃは、彼を受け入れる決心をしたようだ。武由はみぃの両足を広げると、その中心へ自分のそれをなすりつける。
「みぃ、痛かったら言うんだぞ? 無理しなくていいからな?」
みぃは何も言わず、こくんと頷いた。
武由は前に重心を掛け、自分の一番敏感な部分で、みぃの中心へ割って入っていった。
「…………っ」
みぃはきゅっと目をつぶったままで、彼を迎え入れる。
武由の身体の一部は、余り抵抗を受けずに、みぃの中へ埋没していく。
「つっ……くっ………」
初めて分け入ったみぃの中は熱いくらいで、とても優しく彼を包んでいる。彼がわざわざ動かなくとも、じんわりと快感が染みこんでくる。それでも彼等の繋がった部分を見れば、まだ頭の部分が入ったに過ぎなかった。これ以上進むには、みぃの純潔の証を突き崩さなければならない。
「みぃ、動くからな……」
武由はみぃの腰に手を添え、少しずつ揺すりながら前に進んでいく。やがて彼を拒む抵抗力が最大となり、みぃの息も少しずつ乱れる。
彼は余りじらすのも余計痛いだろうと考え、ひと思いに腰を突き出した。バツッと何かが弾ける様な感じがして、いきなりぬるっと、真に熱いみぃの胎内へ埋没していった。
「うおー、入ったの?」
うっすらと目を開けたみぃが、彼に問う。
「ああ、最後まで入ったよ……」
「えへへ……嬉しい……」
そんなみぃの笑顔に、武由の中の炎が一層燃え上がる。彼女に差し入れた武由の一番敏感な部分が、ドクンドクンと快感を要求してくる、
彼はみぃの両足を脇に抱え、初めはゆっくりと、そして少しずつ大きな動きへと、自分の身体を何度も何度も行き来させた。
みぃは声を上げることもなく、彼を全身で受け止めている。
「うっ………くぅっ……」
みぃの身体を往復するたびに、まるで熱いマグマがわき上がる様に、快感が下腹部からせり上がってくる。
武由はいつしか、その快感をむさぼることに没頭していたのだが、
「ねー、博士ぇ」
律動の中、優しく乳房を揉まれていたみぃが彼を呼ぶ。
「何だ?」
「すっげぇ痛いー」
「ぐぅっ!!」
そんなみぃの一声で、彼の腰はぴたっと停止した。
「す、すまんみぃ! 初めてだったのにな、乱暴だったな!」
あわてて自分達の結合部に目を移せば、零れ出る愛液と共に血液もかなりの量が流れ出ていた。シーツには真っ赤なシミが出来ている。
彼はみぃが全く痛いと言わなかったため、余り苦痛を感じていないのだと早合点していたのだ。おかげで彼女を労ることなく、自分のペースで突きまくっていた。
「うー、博士優しいけど……でもえっちって全然気持ちよくないじゃん。……なんでビデオのおねーちゃんってあんなにヒィヒィ言ってるの?」
みぃはなんだか頬をプーと膨らませ、極めて不満顔である。男として、全くもって立つ瀬のない武由であった。
「重ね重ねすまん……。えーとな、ヒィヒィって言うか、気持ちいいって言うのは経験だよ。みぃは今日初めてだから痛いだけかも知れないけど、慣れればビデオと一緒で気持ちよくなるよ」
「うおー、ほんとかなぁ……」
じーっと、何やら非難がましい目を向けるみぃ。立つ瀬どころか、男としての尊厳すら風前の灯火である。
「いや! きっと俺がヘタクソなんだよな、だからみぃが気持ちよくならないのかも知れないよな!? いや、俺も経験ないっつーか、ホント役に立たないって言うか、立ってるだけって言うか、その……!」
終いには、入れたままでパニックを起こす武由。さすがのみぃも、彼のそんな反応に意地悪が過ぎたかと反省する。
「えーと、ちがうよ、みぃちゃんがイケてないだけだよ! だってだって、みぃちゃんすっごくせつないんだよ? 死んじゃうくらい嬉しくって、今、みぃちゃんすっごいしあわせで……!」
彼女は腕をぶんぶん振って、懸命にフォローしている。
「みぃ、ありがとうな。お前にそんなこと言われて、俺も幸せだよ……」
彼はそんなセリフと共にみぃにキスし、その口をふさぐ。
「ふぅんっ……ぁん……博士ぇ、動いて……もっともっと気持ちよくなって……」
彼ははみぃに応え、ゆっくりと律動を再開する。そして二人で無茶苦茶に抱きしめ合いながら、激しいキス繰り返す。
いつしかみぃの息は乱れ、うっすらと声も漏れ出ている。武由は果てそうにある自分自身をぐっとこらえ、みぃの身体を行き来する。
「あんっ………ぁ………ぅあ………」
みぃのたどたどしいながらも切な気な声が聞こえる中、武由はもう限界を迎えていた。
「みぃ……もう出る………!」
ひときわ強い突き込みの後、彼はみぃの中に精を放った。
「ぐうっ! うっ! うっ! うーっ……!」
歯を食いばしばり、最後に一滴までみぃの奥に叩き付ける。
「……博士ぇ、気持ちいい?」
自分の胎内で脈動する彼に、かすれた声で問うみぃ。自分に抱きつく彼の背中を、優しく撫でている。
「ああ、気持ちいいよ……」
やがて脈動が収まり、彼の身体は弛緩する。みぃの温かさを全身に感じながら、息を整える武由。ところがそこで、彼はあることに気が付いた。ついつい勢いに任せ、みぃにそのまま中出してしまったのだ。いくら彼女が子供を産めないからといって、勝手に中出ししていい等というのは男の勝手な意見である。
「うわ……やべ、中に出しちゃった……いや、ホントにすまん!」
がばっと上体を起こし、未だトロンと溶けているみぃにぺこぺこ謝る武由。
彼は基本的にできちゃった結婚等というモノは軽蔑の対象にしているのだが、ともすれば自分がその当事者の一人になる様なことをしでかし、アレも愛の形の一つなんだと認識を改めざるを得なかった。
「うおー、責任とって〜 えへへ……」
頭を下げる武由に、しかしみぃはニタニタ笑っている。
そんな彼女の気の利いた言葉に、けれども武由の胸には、冷たい悲しみがストンと落ちてきた。
先ほど自分から子供が産めないと言っていたにも関わらず、みぃはこんな時まで冗談を言って、武由に対する心遣いを忘れていなかった。彼にとっては、こんなみぃの新たな反応が、とてもやるせないものに感じてならなかったのだ。
みぃと武由が積み重ねてきた様々な経験の中で、彼は彼女の新しい面を何度も発見してきていた。それはみぃの成長の証でもあり、また彼女という人格の発現でもあった。そして、彼女は未だ成長の真っ最中で、これからもずっとずっと人に近づく事が出来るはずだったのだ。
武由には、それが辛く悲しく悔しくて、何があっても絶対納得できなかった。本当は、みぃの記憶を消すなどという事態になってからは、ひとときの間もおかずに怒り狂っていたのだ。今更ガタガタ文句を連発して愚痴を喚き散らしても、事態が好転するわけでも無いので大人しくしてはいるが、ちょっとでも気を緩めれば悔し涙がにじみ出てくる。けれども彼は、もう涙を見せるわけにはいかなかったのだ。本当に辛いのは当事者であるみぃであって、自分はただ、彼女を弄んだ側の人間に過ぎないのだと、彼は自分に言い聞かせていた。みぃにはもう甘えられないし、彼女には涙なんか絶対見せるわけにはいかなかったのだ。
武由は努めて平静を装い、みぃに再びキスをした。そして備え付けのティッシュで彼女の身体を拭いてやる。
「あ、えーと、みぃちゃんも拭くー」
みぃもティッシュを引き出すと、彼の男性自身を優しく拭き始めた。
「ありがとうな、みぃ……ん、まだ時間があるな。……もう一度風呂入るか?」
「うおー、じゃあ今度は47個の温泉に行ってみる〜」
一仕事終わったみぃには、いつもの笑顔が戻っていた。
ひとっ風呂浴びて身も心もすっきりした二人は、布団の中で手を繋ぎながら、とりとめない夜話に興じていた。二人ともお互いの顔をつきあわせたりせずに、照明を弱めた天井をのんびりと眺めながらおしゃべりを続けている。握りあった手からお互いの暖かさを感じるので、顔など見なくても十分なのだ。
ちなみに夜話の最初のお題は、武由の昔話だった。以前、みぃに迫られた彼が彼女を拒絶した理由を聞かれ、彼は昔傷つけてしまった元恋人の話を聞かせていたのだ。しかしそれが何時しか、彼らの話題はみぃが武由を好きになった理由などという、それこそ本当にとりとめないものに変わっていた。
彼女に好かれた理由が分からないとか言って、鈍感男武由の面目躍如である。
「……だからさ、何でお前俺のこと好きなんだ? なんか、結構前からそんな様なコト言ってた気がするけど……」
「うん、みぃちゃんむかしっから博士のこと大好きだったよ」
みぃは別段照れたりせずに、柔らかい笑顔で淡々と答えている。しかし、
「だから何でだよ? 俺は全然理由が分からないんだけどな……。それに前に言ってたじゃないか、一生懸命やってたのに全然褒めてくれなかったって。何でそんなヤツのこと好きになったりするんだ?」
聞きたい答えを中々得られない武由は、無意識のうちにみぃの方に向き直っていた。
「うおー、別にいいじゃん。博士はいい男だもん、それで十分でしょー?」
身を乗り出すくらいの勢いである武由とは対照的に、みぃはあまりやる気がない。恥ずかしがっているというよりも、普通にめんどくさがっている趣だ。天井を見たまま、ふがーっとあくびなぞをこいている。
「いや、全然十分じゃない。さっきこそ話したじゃないか、俺は昔、自分の彼女を傷つけた最低の男なんだよ……」
しつこく食い下がる武由に、やっと彼の方を向いたみぃは、しかしぷーと頬をふくらませている。
「うー……博士は好きだって言ってくる女に、いちいち好きな理由を聞かなきゃ気が済まないの?」
「い、いや、そういうワケじゃないけどさ……俺は自分自身、人に好かれる人間だとは思えないんだよな……」
武由はごろんと転がり、視線を天井に戻す。そしてふぅと盛大にため息をつく彼に、
「うおー、そんなこと無いってー」
みぃは半ばうんざりといった趣だ。
「けど、俺は昔の彼女をレイプした様なもんなんだぜ? 同じ女性として、最低とか思わないんか?」
視線を上に向けたまま問う彼に、みぃは小さくため息をついた。
「博士は最低じゃないよー。……えーと、気分を悪くしないで欲しいけどね、みぃちゃんが思うにはね、博士の昔の彼女は、ただ単純に博士を支えきれなかっただけなんだよ。良いとか悪いとか言うんじゃないよ? えーと、相性が悪かったって言うのかなぁ? それが原因で、結果として別れちゃっただけ。普通の失恋と大して変わんないよ」
みぃはそこで一旦言葉を切り、続ける。
「……それに、好きな人とえっちな事したいっていうのは、とっても自然なことだよ? 悪い事なんかじゃ決して無い」
ほんの少しだけ、彼の手を握るみぃの手に力が入った。
「けど、それも時と場合によるだろ?」
しかしみぃの言葉にいまいち納得出来ない武由は、眉間にしわを寄せて彼女に向き直る。端から見れば、もはやそれは人生相談の趣だった。相手は自分よりも遙かに年下であるのに。
「んー、全てに当てはまるとは言わないけどねー。でもでも、みぃちゃんだったら博士に迫られたら、ちゃんと受けとめたよ。……今まで、博士を拒んだことなんて無かったでしょ?」
「む、そりゃそうだけど……」
以前みぃに嫌われようとして、彼女に乱暴な扱いをしたことを思い出す武由。しかしそれは迫ったというよりも、むしろ強姦としか思えず、彼は思わずみぃから視線を外した。申し訳ないのと恥ずかしいので、ついでに顔も真っ赤だ。
そんな彼を見やるみぃはニコニコと微笑んでいたが、けれども天井に視線を戻した彼女の顔から笑みが消えた。みぃは武由と繋いでいない方の手を自分の胸に置き、着ている浴衣の襟をきゅっと握る。
「本気で相手が好きだったら、ホントにいっぱい嬉しいはずだよ。嫌なことなんか、あるわけ無いじゃない……。痛くても辛くても恥ずかしくても、好きな人に愛して貰うのに、一体なんの時も場合もあるって言うの……。そんなの、考えるまでもないよ」
そう語る彼女の清々しいまでの恋愛観に、武由は一瞬言葉を失った。そして今になって思うに、昔の彼女は彼の全てを受け入れるだけの力がなかっただけなのだと、そしてあの失恋は、自分が一方的に悪ではなかったのだと、彼は少しずつだが心が楽になっていくのを感じていた。
「ん、まぁ、な……。でも、人間みんながそんなに強いわけじゃ無いし……逆に、それを察することが出来なくて、相手を傷つけた俺の非も十分あるわけだよな?」
心は楽になろうとも、だからといって彼は自分自身を許した訳ではなかった。そんな彼の言葉に、みぃはひとしきり考え込む。
「んー……えーと、前に読んだとある本にはね、人の心はガラスと一緒って書いてあったよ。傷がついて濁った心は、愛の力で熱すると、ガラスのヒビが溶けてくっつく様に、透明度を取り戻せるんだって。……きっと、そーゆー風に思えることもあるだろうけど、でもでも、そんなのはウソだよ」
みぃは天井を見つめたまま、話を続ける。
「……心は、一旦傷がついたら、もう二度と元には戻らない。ただ、傷が付いても全体のシステムとしての働きに支障がない様に、感覚を鈍くして痛さを感じない様にするだけなの。それでもガリガリ傷を付け続ければ、心はどんどん感覚を失っちゃう。そしていつしか傷口がえぐれて、中から真っ黒の膿が噴き出して、終いには心が真っ黒な闇になるんだよ」
みぃが始めたたとえ話に、しかし武由はその意味するところが理解できないでいた。
「えっと……つまり、それはどういう事だ?」
そう尋ねる彼に顔を向けたみぃは、いつになく真剣な顔をしていた。
「博士はね、必要以上に自分のことを傷つけ過ぎてると思うよ? 博士の思い出は、博士にとってとっても大切なものだと思うけど……だからといって、それに縛られる必要は全くないはず。何時までも過去の自分を攻め続けても過去が変わる訳じゃないし、それに心が闇になったら、もう二度と元には戻らないんだよ? ……あとね、博士のことをね、今でも大好きなイケイケのおねーちゃんが居るんだから、博士はナイスガイだよ。最低なんかじゃない」
みぃはきっぱりと、そう告げた。
「いや……何というか、ありがとうと言うべきなのか……?」
よもや、昔のことをみぃに慰められるなどとは露にも思っていなかった武由は、嬉しいやら恥ずかしいやら、顔をおかしな風に歪め、なんだかくすぐったい気持ちでいっぱいだった。
「……じゃあ、ついでに特別大サービスで、みぃちゃんが博士のこと好きな理由を教えてあげるね。……えーと、まだみぃちゃんが全然自分で身体を動かせなかった頃、博士は何かブツブツ文句言ってたけど、一生懸命みぃちゃんの面倒見てくれてたよね」
「えっと……ちょっと待て、お前そんな頃の事覚えてるんか?」
みぃの唐突な昔話に、武由は思わず身を乗り出していた。
「うおー、ちゃんと覚えてるよー。一番最初の記憶は、みぃちゃんが起動してから1週間後くらいかなぁ?」
「そんな頃からか!?」
衝撃の事実(?)を告げられ、武由の声はついつい大きくなる。みぃが生まれてから1週間後と言えば、彼女がようやく声を出し始めたくらいの頃だ。
「うん。えーと、その時の博士はね、みぃちゃんの事鼻が低いとか胸がないとかお子様体型だとか、ひでーことをぶーぶー言ってたけど、とっても優しく服とか着せてくれた。それに、ご飯も毎回ちゃんと食べさせてくれた。優しくして貰って、ホントに嬉しかった……。だからみぃちゃん、博士と一緒にいるのがとっても好きだった。兵器の訓練が始まってからも、みぃちゃんが何とかやってこれたのも、博士が居たからなの。博士は厳しかったけど、でもそれ以上にみぃちゃんの事考えててくれたの。だからみぃちゃん、博士のために頑張ってきたんだよ。……結果はイケてなかったけど、これがみぃちゃんのホントの気持ち」
そんな彼女の告白を聞く武由の手は、いつしかぶるぶる震えていた。みぃの気持ちが熱となり、彼の胸の奥に暖かいものに満たしてくれる嬉しさ。それと同時に、そんな彼女が明日には居なくなってしまうという絶望的な悲しみ。
彼の心の古傷は癒され、熱で透明度を増していくが、一方ではびちびちと凍り付き、新たに細かいヒビがたくさん入ってゆく。
彼はにじみ出てくる真っ黒な膿と涙を必死に押しとどめ、努めて平静装う。そんな彼の心を知ってか知らずか、みぃは彼の手をぐっと握った。
「博士ぇ、みぃちゃんが好きな理由が分かった?」
「ああ、ちゃんと分かったよ。……それとな、みぃ。さっきお前が言ってたガラスの心の話な、あれは本当のことかも知れないな……」
にっこりと笑みを浮かべながら、武由はみぃの方を向く。
「うお? そーなの??」
みぃは目をぱちくりしながら、武由の顔を見る。
「ああ……。こんなに胸のつかえが取れたのは、ホントに何年ぶりだろうな。……なんだか、ずっと濁ってた心が晴れ渡った感じがするよ。……みぃのおかげで、俺は過去の自分を許すことが出来そうだ」
武由はそう言って、握ったもう片方の手でみぃの頭をなでる。
「えへへ……。博士はずっと、今まで懺悔してきたんだよね?? だったらもう、自分自身を許してあげないと。……で、これからはイケイケのおねーちゃんと、ラヴラヴな生活をするのだー」
握った手をピコピコ動かし、みぃはなにやら嬉しそうだ。
「ああ、そうだな……まぁ、胸が小さいのがちょっと物足りないけどな」
武由はそんな冗談を言って、沈みそうな自分自身の気分を無理矢理変える。
「うお? 何かみぃちゃん、さりげにひでーコト言われてる?」
「気にするな、形が可愛いから及第点だ」
「う、うおー……。じゃあじゃあ、今度はみぃちゃんの番だねー。博士はみぃちゃんのどこにメロメロなの?」
ほっぺを赤らめたみぃが、なにやらニヤニヤしながら武由の方を見ている。
「メロメロとか言うな自称女子高生め……。とりあえずロリでブルマで萌え萌えでハァハァなところ?」
武由は真剣な顔で、いきなりそんなことをのたまった。
「うおぉ!? みぃちゃん引いていい?」
「冗談だ、真に受けるな」
「ぶー!」
顔はふくれているワリに、武由の手と繋ぐみぃの手は優しく握られている。
「まぁアレだ、ワリと純なところとか、常時ニタニタしてるところかな?」
「うおー、何だか複雑ー。微妙に単純でバカッぽいって言われてる感じがするんだけどなぁ……」
「良く分かってるじゃないか、その通りだ」
「ぶー!!」
今度は少し、手に力が入った。
「いてて……。まぁ、みぃは全部が可愛いからな……バカでもロリでもなんでもいいさ、俺は可愛いみぃが大好きなんだよ。お前と居ると、本当に心が温まる。お前を全身全霊掛けて大切にしたい。……大好きだよ、みぃ」
そんな、この上ないほどの直球な告白に、
「う、うお〜〜〜!!! 恥ずかしいなぁ、そんなに何度も告られちゃうと、みぃちゃんどうしたらいいかわかんないよ〜〜」
武由と繋いでいるもう片方の手をバタバタさせながら、真っ赤な顔のみぃが身悶えている。
「何だ、簡単な事じゃないか。ラヴラヴな生活するんだろ?」
「うお〜〜、たいちょーう! ラブは思ったよりも破壊力がありますです〜〜!」
みぃはびしっと敬礼をしながら、明後日の方向にいる隊長に進言中だ。
「つーか、一体誰に向かって何を話してるんだ?」
「うおー、それは永遠の謎だねー。きっと隊長はみんなの心の中にいるんだよー」
「いない。お前だけだ」
「ぶー!」
そんな二人のどうでもいい感じのおしゃべりは、その後数時間も続いていった。結局彼らが寝付いたのは、東の空が明るくなってからのことだった。
ホテルからの帰り道。
さわやかな朝日の降り注ぐ道を、みぃと武由がのんびり歩いていた。
みぃはいつも通りにニタニタ笑って元気だが、一方の武由は生あくびが絶えない。
「ふあわあわぁぁ………さすがに4時間しか寝てねーのは辛いなぁ……」
本当はもう少し寝ていたかったのだが、ホテルの従業員にチェックアウトの時間だと言われて叩き出されたのだった。
「……そう言えば、お前との約束、一つ叶えて貰ってなかったな」
くあーと、のびをしながら武由。やはり眠そうである。
「うお? 何だっけ?」
「ほら、いつか俺を空に連れて行ってくれってヤツ」
首をかしげるみぃに、武由は空を指さしそう答えた。
「うおー、確か泥沼に突っ込んだときだっけー?」
みぃは腕を組んで思案顔だ。
「そーそー……。でも、もういっか……」
武由はそうつぶやくと、そのまま晴れた空を仰ぎ見る。その横顔はやはり寂しそうだった。
みぃはそんな彼の横顔を見上げると、
「今すぐ行けるよ、博士……」
そう言うが否や、彼女は武由の後ろに回り込み、いきなり彼を後ろから抱きしめたのだ。
「な、なんだ?」
武由があわてて後ろを向くと、みぃは既に羽を展開していた。
「お、おい!?」
その場の状況がつかめずに周りを見回す武由は、自分が大きな容器に閉じこめられたような感覚を受ける。彼女の飛行用バリアの内側に取り込まれたのだ。
「じゃあ、行くよ………!」
「なに!? ちょっと……!!!」
みぃの武由を抱く力が増したかと思うと、ガツンと衝撃を受け、次の瞬間まるで頭から真っ逆さまに落っこちていくような感覚に襲われる。
「うわあああっ!?」
ワケも分からず悲鳴を上げながら、反射的に閉じていた目を何とか開けると、彼はみぃと共に上空に向かって飛翔中だった。
景色がめまぐるしく変わる中、加速を増す彼らを凄まじいGが襲う。
「お前、いつもこんな衝撃を……!!」
血液が頭から下がり、武由の視界は真っ黒になる。いわゆるブラックアウトという現象だ。遠くなる意識の向こうで、ゴウゴウと風だけが唸っている。
そんな彼の状況を察したのか、みぃは少し加速をゆるめた。
「うおー、ちょっとキツかったかなぁ?」
「ああ……初心者には手加減してくれ……」
やがて視界の回復した武由が上を仰ぎ見ると、飛行用バリアの先端部では圧縮熱により空気がプラズマ化していた。その様子は殆ど隕石といった趣だ。もっとも、落っこちているのではなく上昇しているのだが……
「見て見てー、綺麗な景色だよー」
やがてみぃは急加速を止め、惰性に任せて上昇を続けながら武由に声を掛けた。
「……!」
彼らの眼下に広がる光景に、武由は言葉を失う。
みぃの胸に抱かれながら見る地上は、以前彼女が言っていたとおりに汚いものは何も見えやしない。陸と海、そして晴天の空と雲のコントラストが輝くように際だつその光景は、美しく静謐な世界だった。人類の残してきた破壊の痕跡など、この高度では殆ど分からない。
視点を上に移すと、地球の丸みを直接見ることが出来る。球体の大地の上に広がる大気の層は、太陽の光を受けて真っ青に輝いているようだ。しかしそれの厚さは、地球の大きさに比べて大変薄い。その儚げでしかし荘厳とも言える光景に、地球は唯一無二の存在であり、自分たちにとってかけがえのないものなのだと、彼は魂の奥底からわき出る感情に支配されていた。
「……宇宙飛行士が神を感じるって言うけど……それが分かる気がするな……」
彼はそうつぶやきながら、上空を仰ぎ見る。真っ黒な空に、強烈な光を放つ太陽が浮かんでいるだけだ。もはや雲などあるわけもなく、そこは空というよりも宇宙空間そのものなのだ。
彼らは今、高度5万メートルの世界にいた。普通の人間が生身で来れるような所であるわけはない。全てはみぃの力によって実現されているのだ。
そして、もし自分を抱き留めるみぃの手が放されたら、自分は一瞬のうちに落下し、そして次の瞬間大気との摩擦で蒸発し死んでしまうだろう。今、自分の命はみぃのよって生かされているのだと、ついつい武由はそんなことを考えてしまう。
それが顔にでも出ていたのだろうか、
「ねぇ博士ぇ……」
「なんだ?」
「いま、博士の命はみぃちゃんが握ってるようなもんなんだよねー。ここで手を離したら、博士は隕石になって燃え燃えー」
みぃはなんだか楽しそうに、武由が考えていたことをズバリ言ってくれた。しかもなんだかナイスな脅し付きでだ。
「怖いコト言うなよ、みぃ……」
彼は反射的に、自分を支えるみぃの手にしがみつく。
「大丈夫。みぃちゃん何があっても絶対に放さないよ……」
みぃは彼を抱きしめる力を強める。それは痛いくらいだったが、彼にとってはとてつもなく心強いものだった。
「何だ、どうせなら研究所まで飛んでいけばいいのに……」
あの後、一緒にマッハ36で飛んでみたり限界高度を更新してみたりと一通りの空中遊泳を楽しんだ彼らは、先ほど飛び上がった地点に戻ってきていた。
若干フラフラする頭に気合いを入れながら、地面のありがたみを改めて実感するという貴重な体験を味わった武由がみぃに言うも、
「やだよー。せっかく二人でデートしてるんだもん。少しでも長く一緒に歩きたいよ」
みぃはフリフリ首を振りながら、真剣な顔をしてそう答えた。
「む、すまん……。気が利かなかったな」
武由は謝り、みぃの手を握る。
「……一緒に歩こうな、みぃ」
「うん!」
みぃはとびきりの笑顔で、彼を見上げた。
帰り道の途中で適当な食堂に入り、昼ご飯を済ませた後。
仲良く手を繋ぎ研究所に戻った彼等を、鹿沼が玄関前で待ち伏せしていた。壁に寄っかかりながら彼らを見やる彼女は、昨日より一層激しい面構えをしていた。目の隈はひときわ酷なり、髪はぼさぼさ。見るまでもなく不機嫌だ。その鋭い眼光は、殺気すら帯びている。
「………覚悟はいい?」
「う、うおー! みぃちゃん死ぬのは痛いからイヤ〜〜!」
面と向かってキビシいセリフで凄まれ、みぃは顔を真っ青にしてすくみ上がる。
ぼこっ
「うおー、いてー!」
なにやら微妙な勘違いをしている彼女に、武由は鹿沼の手前一応ゲンコツを喰らわす。
「何いきなりワケわかんないこと言ってんだ……。その、お前の記憶のことだろ?」
武由は唇をかみながら、みぃの頭をさすってやる。
「うおー、一瞬ブチ殺されるかと思った〜〜」
長年の恩も忘れた酷い言葉と共に、みぃは胸をなで下ろしているが、
「ふん……似たようなものよ。今から貴方という人格を完全に殺すんだからね。これじゃホント人殺しね、私……」
手に持ったボールペンで、頭をガリガリ掻く鹿沼。彼女の不機嫌さは、一層まして行く。
「……すぐに始めるわ。準備は出来てる。変に待たされるより、今すぐやった方が気が楽でしょ?」
「ちょ、博士、そんな言い方は……!」
うつむくみぃの前に、武由が立ちはだかる。この期に及んで彼女に逆らうつもりはなかったが、だからといって今の言い方は許せなかった。
しかしそんな彼の態度に、鹿沼は余計に眉をつり上げる。
「もう別れは済ませてきたんでしょ? だから私は聞いたのよ、覚悟は出来てるかって。……まぁ、出来てても出来て無くてもやらなきゃいけないんだけどね。別に準備なんか要らないから、みぃちゃんは今すぐ処置室に入りなさい。武由君は、みぃちゃんの荷物片付けて」
「鹿沼博士、だからそんな急かすようなことは……」
やはり納得していようと他人に何を言われようと、武由の本心がどうしても彼を逆らわせる。だが、そんな彼の態度に、鹿沼は余計に語尾を強める。
「分かってないわね、みぃちゃんは明日にはここを追い出されるのよ!? 時間がないのよ!」
「それは……っ! ……すいません、思慮が足りませんでした……」
手を握りしめ、悔しさに耐えながら頭を垂れる武由。そして彼は、みぃの持っていた小さなバッグを受け取る。
「……みぃ……」
鹿沼は無言のまま武由の前を通り過ぎ、そのまま処置室に向かって歩いていく。本当に今すぐみぃの記憶を消してしまうつもりなのだ。
みぃも、何も言わずに鹿沼の後をついて行く。ちらっと彼の方を振り向いた彼女の顔は、いつもと変わらず柔らかい笑顔が張り付いたままだ。
武由は、やはり納得できなかった。理屈では鹿沼の言い分は正しい。いつまでも別れを惜しんで何もしないのは、問題の先送りで何の解決にもならないことも重々理解しているし、この結末は彼とみぃがふたりで決めた事なのだ。
だからといって、みぃの気持ちも考えずに一方的に事を進めようとする傲慢な態度に、彼は怒り押さえることは出来なかった。
みぃと鹿沼から数歩遅れて、武由も処置室に歩いていく。廊下には、武由の足音がやけに大きく響いていた。まるで地面を踏みしめる行為に、怒りをぶつけてでもいるかのように。
やがて、彼等は処置室の前で立ち止まる。
「……武由君はここまでね。さあ、みぃちゃん入りなさい」
「うん……」
鹿沼に促され、みぃは開けられたドアに入ってゆく。
「じゃあ、博士ぇ、いってくるねー」
振り返ってにっこりと微笑むみぃの手が、ぶるぶると震えていた。
「み……みぃ!!」
武由は反射的に、彼女こちらに引き戻そうと手を伸ばす。しかしそのとたん、
バタン!!
彼の目の前でドアは閉じられてしまった。そして内側からロックを掛けられ、みぃと武由は、永遠の別れを済ませたのだった。
「みぃ……みぃ………!!」
彼はその場でしゃがみ込み、悲痛な声を上げ号泣する。
朝からずっと平然としていたみぃの手が、ぶるぶると震えていたのだ。
ニコニコ笑っていたみぃの手が、恐怖で震えていたのだ……。
そのあまりにも残酷な光景が、彼の心を滅茶苦茶にえぐり取るように、何度も何度も頭を駆けめぐる。
拳を床にたたきつけ、彼はひたすらに愛する女の名を叫んだ。
みぃと叫ぶごとに、彼女との思い出が走馬燈のように思い出される。
みぃと過ごした様々な瞬間、その時の気持ち、みぃの声、感触、仕草、そして彼女の笑い声が、彼の頭に怒濤のように押し寄せる。
目の前で、彼のたった数メートル先の金属のベッドの上で、彼の愛する女が殺されてゆくのだ。
彼にはもう、なすすべはなかった。こうやって泣き散らすだけで、助けることも出来なかったのだ。
拳は真っ赤に腫れ上がり、床をたたきつけるたびにズキズキと痛むが、それでも彼は床を殴りつけるのをやめなかった。
そうでもしていないと、悲しさと悔しさで気が狂いそうだったのだ。
何故こうなると分かった瞬間にみぃをつれて逃げ出さなかったのか、自分はこうならないよう本当にベストを尽くしたのか、例え世界を全て敵に回しても、みぃを守る選択は出来なかったのか……
そういった狂おしいばかりの後悔の念が渦のように絡まり、何度も何度も彼を襲う。彼の良心を打ち壊してゆく。
彼はひたすらにみぃの名前を叫びながら、まるで自分を罰するように、床を殴り続けていた。
3時間後。
処置室のドアが再び開かれた。
泣き疲れ、手は真っ赤に腫れ上がり、力なく床に座り込んだ武由が、ドアから出てきた鹿沼を見やる。
「武由君、終わったわ。結果はどうなるか分からない。でも以前のみぃちゃんとはきっと違うでしょうね。今の彼女には、そこまでの性能がないから……。でも貴方は、一生掛けて彼女を守りなさい……それが約束だったものね」
「……分かってます。みぃは、大丈夫なんですか?」
彼は立ち上がり、みぃを殺した女に向かい合う。彼は覚悟を決めたのだ。今からもう一度、みぃとやり直すことを。だから昔のみぃを求めることなく、彼女をこの世から消し去った鹿沼の所行を認めることにしたのだ。
「……そうね、みぃちゃんに初めてOSを入れた日と同じね。今はまだ、OSのコアカーネルデバイスの起動中かしら。もちろん今回はエミュレーションだけど…とりあえず、現時点では成功よ」
「そうですか、ありがとうございました……みぃを見てきていいですか?」
「ええ、構わないわ……武由君、後は頼んでいいかしら? さすがにキツイわ、少し休ませて貰うけど、いい?」
疲れ切ってふらつき気味の鹿沼は、しかしその表情から怒りの感情は感じられない。みぃの書き換え作業を成功させた満足感からだろうか、彼を見る視線にはいつもの柔らかさが戻っていた。
「あ、どうぞ、お疲れ様です!」
彼はねぎらいの言葉と共に鹿沼を見送り、彼女が見えなくなると処置室の中にゆっくりと入っていった。
今度は愚痴など言わず、酔っぱらいもせず、まっすぐみぃの方に歩いてゆく。
部屋の中心には、服こそ着ているものの、以前彼等が初めて出会ったその時と殆ど同じ状況で、銀色のベッドの上にみぃが寝かされていた。
雑多の測定器から伸びるケーブルが絡み合うように彼女の身体に繋がれ、測定器本体からは定期的なビープが発せられている。
「………みぃ……」
彼は彼女の顔をのぞき込む。規則正しい息をするだけで、身動き一つしない。
「みぃ……ごめんな。………そして、また生まれてきて、おめでとう……」
彼はみぃの頬に手を添え、優しく口づけをした。
「また、ふたりでやり直そうな、みぃ……」
眠り続ける彼女に、彼は優しく語りかけていた。
わずかにあけられた窓からは、暖かい風が吹き込んでくる。そんな天気の良い暖かい日に、みぃは二度目の誕生日を迎えた。
これからの彼らの人生が、柔らかな光に満ちあふれ穏やかなものであることを予感させるような、優しく心地よい日差しが彼女の顔を照らしていた。
終わり