冥契の夢主です
何故か付き合っていますが気にしないでください
小ネタなので、小説としての体裁を保っていません
 ズオ・ラウはいつもより遅めの夕食を済ませ、自室に戻る。
 部屋で少しの休憩をはさみ、お風呂に行くための持ち物を整えていると、ドアからノックの音が聞こえた。
 こんな時間に誰が何の用なのか。怪訝に思いながら、ズオ・ラウは玄関へ。
「はい。どちら様でしょうか?」
ナマエ様です」
 どっと力が抜けた。
「……自分に様をつけるのはどうかと思いますよ」
「いいから開けて」
 ドアを開ければ案の定ナマエがいた。
 スウェットの上下だ。少し大きめの長袖とショートパンツで、外出着よりも部屋着じみている。
 視線をつま先から肩のあたりまで移動させ、最後に顔を見る。
 目が合うと、ナマエはにっと笑う。
 ろくでもないひらめきを実行しようとしている顔だった。
「どうかしましたか?」
「夜這いに来た」
 むせそうになった。
「今夜は寝かせない」
 表情をキリッとさせて追撃するナマエに、ズオ・ラウは不満をあらわにする。
 臆面がなく、そしてあまりにも軽い調子なので、冗談なのか本気なのかいまいち判別がつかず、身動きが取れない。
 数秒経てようやく、ズオ・ラウは口を開いた。
「……、何に触発されたんですか?」
「雑誌」
「……雑誌?」
 ズオ・ラウが首を傾げると、ナマエは首を縦に振る。
「うん。人生で一度は言ってみたい台詞ランキングって特集にあった」
 腑に落ちた。その後に、途方もない呆れが押し寄せてくる。
「……はぁ。何位だったんですか?」
「11位」
「……微妙な順位ですね……」
「うん……」
「……」
「今夜は寝かせない」
 ナマエはさらに表情をキリッとさせて言う。
「二度も言わなくていいです。……そもそも、人の往来で何て事を言ってるんですか」
 言いながら身を乗り出し、廊下の左右を確認する。誰もいないことにほっと胸を撫で下ろし、あらためてナマエに向き合う。
「どきどきしない?」
「残念ながら……」
「うーん……別の言い方がいい?」
「そういう問題ではありません……」
「じゃあ、愛す」
 アイスクリームみたいな、無邪気な言い方だった。
 相変わらず軽い調子がズオ・ラウには引っかかる。
「……じゃあとはなんですか」
「じゃあはじゃあだよ」
「……」
 黙っていると、徐々にナマエが気まずそうになる。
 じわじわと目をそらして、半歩下がろうとする。
 ズオ・ラウは慌てて扉を開けはなった。
「どうぞ」
「……」
 ナマエは数秒ズオ・ラウの顔を見つめ、おそるおそる扉をくぐった。
「おじゃまします」
「はい」
 ナマエが部屋の奥に向かうのを見送りながら、ズオ・ラウは扉を閉める。
 部屋にナマエが来るのはもう両手では数え切れなくなった。
 珍しいことじゃなくなった。でもまだ少し落ち着かない。
 それはナマエも同じようで、ベッドのふちにちんまりと腰掛けている。
 落ち着かなさそうにふらふらと視線をさまよわせ、テーブルの上に置いたままの入浴道具一式に目を留める。
「ラウくん、今からお風呂?」
「はい」
「遅いの珍しい」
「所用が立て込んでいて……すぐ済ませてきます」
「ううん、ゆっくりでいいよ、押しかけたのこっちだし。……あ、そこの本借りてもいい?」
「はい。栞は取らないでくださいね」
「わかってるよ」
 ズオ・ラウが読みかけの本を取り、ベッドの上にころんと横になった。
 表紙と背表紙をながめて、ページを捲る。目次をじっと眺めている。
 そんなナマエを尻目に、ズオ・ラウは着替え一式とタオルを持つ。
 すると、ナマエが目ざとく視線をよこした。
「いってらっしゃい」
「……はい。いってきます」
 なんともいえない気恥ずかしさを覚えながら、ズオ・ラウは部屋を出た。

 ゆっくりでいいと言われたが、手早く風呂をすませた。
 足早に部屋へと戻る。
「ただいま戻りました」
 声を掛けるが、返答はない。
 真面目に本を読んでいるのだろうと思った。
 でも――やけに静かだ。
 落ち着いた気配に、停滞した空気の流れ。
 ズオ・ラウは扉を締め、違和感を覚えつつも部屋の奥へ向かう。
「……」
 ズオ・ラウはベッドのそばまで近寄り、無言でナマエを見下ろした。
 ナマエは、布団にくるまっていた。
 すやすやと穏やかな寝息を立てている。
 読みかけの本は、顔の横に放り出されていた。
 無防備な姿を、ズオ・ラウは微動だにせずしばらく眺める。
「……はぁ……」
 大きな溜息を皮切りに、ズオ・ラウはようやく動いた。
 落胆から肩を落としつつ、本を手に取り元の位置に戻す。
 タオルを洗面所に干しに戻るついで、歯磨きを済ませた。
 着替えやら諸々の準備を終えても、ナマエはすやすやと寝入ってしまっている。
 ベッドの縁に腰を下ろしたが、相変わらずだ。
 ここまで深い眠りに落ちてしまった相手を起こすのは、ズオ・ラウにとってためらいが生じた。
 現に、ズオ・ラウが手を伸ばして髪に触れても、ナマエは起きない。
 撫でる。目を覚まさない。あまりにも無警戒。
 信頼を寄せられているという安堵と、ズオ・ラウを置いてけぼりにして先に眠ってしまったという一抹の寂しさが混ざり合って複雑な感情に変化する。
 ズオ・ラウは小さく息を吐いて立ち上がり、部屋の明かりを消した。
 ベッドに潜り込む。が、心なしかいつもより狭く感じる。
 怪訝に思って布団の中を覗き見れば、ナマエは自分の尻尾を足の間に挟むような姿勢になっていた。
 幅を取る体制。だが、文句を言っても仕方ない。
 ズオ・ラウはなんとかナマエを壁際に押し込んで、ゆったりと身体を横たえられるスペースを確保した。
 だが、尻尾が収まりきらずにはみだしてしまう。仕方なくベッドの外に垂れ下げた。
 枕に頭をあずけ、目を閉じる。
 そうして落ち着いてしまえば、不思議と眠気が襲ってきた。
「ん……」
 眠りに落ちるすんでの所で、小さな声が聞こえ、ズオ・ラウは瞼を持ち上げた。
 ナマエが目を覚ましたのかと思ったが、そうでもない。
 寝ぼけた様子で手をさまよわせ、手探りの果てにズオ・ラウの腕に触れた。
 抱え込んでいた尻尾を離すかわりに、ズオ・ラウの手を引き寄せる。
 ズオ・ラウが大人しくされるがままにしていると、両足もからまってきた。
 ぬくい。それに、自分のとは違う石鹸の香りがする。
「んー……」
 ずるずるとナマエの尻尾が布団の中を動き回る音がする。
 そして、尻尾の先でぺたぺたとシーツを叩きはじめる。何かを探しているようだった。
「ラウくん……」
 一瞬、寝言かと思った。
「はい」
 それでも返事をすると、ナマエは小さく身動ぎして、
「しっぽ……」
「……」
 ズオ・ラウは何度か瞬きを繰り返し、布団を持ち上げて自分の尻尾を引き込んだ。
 途端に、ナマエの尻尾が探るように這いずって、ズオ・ラウの尻尾に取り付いた。
 布に引っかかればほつれが生じ、素肌が触れれば軽いミミズ腫れを引き起こす、ズオ・ラウでも少し扱いづらさを覚える尻尾。そんな棘々すらお構いなしに、ナマエの尻尾が巻き付いてくる。
 からませあった足の上に、からみあった尻尾が横たわる。
「ちめたい……」
 ナマエが小さく呟く。半覚醒だからか、呂律がうまくまわっていない。
「布団の外に出していたので」
「あっためる……」
 ぎゅっと締め付けが強くなるが、痛くはない。
 むしろナマエのほうが痛いんじゃないかと不安になったが、平気なようだった。
 そして、あっためるという言葉通り、ナマエの尻尾はあたたかかい。こうして温もりを与え続けてもらえば、冷え切ったズオ・ラウの尻尾も10分くらいで人肌の温度に戻るだろう事は容易に想像できた。
 でも、与えてもらってばかりは、少々不服だ。
 手探りでナマエの手を見つけ、指先を握り込む。するとナマエは手を握り返しながらズオ・ラウの方へとすり寄ってきた。
 ズオ・ラウが空いた片手を背中に回せばさらに近寄ってきて、ナマエもまたズオ・ラウの背中に片手を回した。
 それでようやく、おさまりがよくなったような気がした。
 あるべきところにカチッとはまったような、不思議な感覚。
 ナマエが安心を寄せれば寄せるほど、ズオ・ラウもそうなってしまう。
 よくない事かもしれない。
 でも、最近は、少しくらい抜け道があったっていいと開き直るようになった。
「……おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
 やがて、健やかな深い呼吸音が聞こえる。
 寝るのが早いと笑いそうになりつつ、ズオ・ラウは瞼を落とした。

 ズオ・ラウはふと目を覚ました。
 いつも起きる時間だ。そんな感覚がある。
 のろのろと身体を起こそうとして、身体ががっちりと固定されているのに気付いた。
 ナマエだ。足がくっついているし、尻尾だって絡ませたままだ。
 無理やり上体を起こせば、ナマエが眉間に皺を寄せ、小さなうめき声を上げた。
「いま何時……?」
「4時半です」
「はやいよ……」
 尻尾がほどけて、足も離れる。ようやく自由になれたが、同時にほんの少しの寂しさも覚えた。
 ズオ・ラウはベッドから出ると、洗面所に向かった。うがいをすると目が冴えた。
 顔を洗って部屋に戻る。部屋着から運動着に着替えていると、いつの間にかナマエの目がぱっちり開いていることに気づいた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 ちょっとした嫌味のつもりだったが、
「うん。ぐっすり……」
 ナマエの返事は素直で、どこか照れくさそうだ。
「部屋に戻ったら寝てたので驚きましたよ」
「う、ごめん……」
「疲れていたんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「まあいいです。ナマエさんは持ち上げて落とすのが本当にお上手ですから」
「……すねてる?」
「……いいえ」
 否定する声は、ふてくされた調子だった。
 ズオ・ラウが着替えを済ませ服を畳んでいても、ナマエはじっと見つめてくる。
「……何か?」
「ラウくん、ちょっとこっちきて」
 ナマエが上体を起こして手招きするので、ズオ・ラウは近寄る。
「かがんで」
「……」
 大人しく従うと、ナマエがおもむろに手を伸ばした。
 ズオ・ラウの後頭部を何度か撫でつけ、それから押さえ、数秒たってから離す。
 途端に目を細めて、穏やかに笑う。
「ふふ、寝癖ついてる」
「えっ……、どこに?」
 あたふたしながら後頭部をおさえるズオ・ラウに、ナマエはくすくすと笑いだす。
「なおしてあげる」
 ナマエがベッドから降りてズオ・ラウの手を引っぱった。そのまま二人で洗面所へ向かう。
 ナマエが寝癖をいじっているあいだ、ズオ・ラウはじっと待つ。
「ラウくん」
「直りました?」
「そうじゃなくて……ごめん」
「何がですか?」
「昨夜、先に寝ちゃったから」
 こころなしか、ちょっと落ち込んだような声色だった。
「謝る必要はないですよ」
「ほんとに?」
「厄介だなとは思っていますが」
「……やっぱすねてるじゃん」
「いいえ」
 ナマエが櫛と整髪剤を置く。
 終わったのかとズオ・ラウが声をかけようとした瞬間、ナマエが後ろから抱きついてきた。
 背中にぴっとりとくっつかれ、ズオ・ラウは硬直する。
「きょ、今日の夜は、だめ?」
「……」
 息を呑む。鏡に映る顔はすました様子だが、内心は挙動不審になっていた。
 背中越しに、ほのかな柔らかさをはさんで、ナマエの鼓動が伝わってくる。
 脈拍は早い。ナマエなりに緊張しているのだと気付けば、ズオ・ラウの胸中でつい芽生えたみだりがましさが引っ込んだ。
 そのかわり、ナマエにこんな事を言わせてしまったという奇妙な情けなさが顔を出す。
 腹部で交差された手を握る。と、ナマエの両手がほどけて、ぎゅっとズオ・ラウの手を握り込む。
「だ……、だめなわけ、ありません……」
「うん……」
 ナマエが嬉しそうに頷いて、その拍子におでこを擦り寄せてくる。
「この前決めたこと、きちんと覚えてますか?」
「覚えてるよ」
「……夕飯は?」
「腹八分目、デザートなし。……ラウくんは?」
「頼み事をされたら安請け合いせずに、断る」
 方や食べすぎて眠くなってしまったり、方や予想外の所用で約束の時間に遅れてしまったことがたびたびある。
 それを回避するための、ささやかな取り決めだった。
「ちゃんと守ってね」
ナマエさんこそ」
「うん」
 ぎゅっと抱きしめた後、ちゅ、と背中に軽い感触。
 途端にぞくりとしたものが這い上がってきて、声が出そうになるのを堪えた。
 しかし、興奮から来る尻尾の動きは我慢できなかった。無意識に左右に振ってしまい、尻尾でナマエの足を軽く叩く形になる。
「こら」
「す、すみません」
 慌てて振り返るのと同じくして、ナマエが体を離す。
 向き合って顔を見合わせると、ナマエは嬉しそうに微笑んだ。
 照れくさい。
「……それで、寝癖は?」
「直したよ」
「ありがとうございます……」
「寝癖はねてるの可愛かったから、ちょっと勿体なかった」
「それだと私が困ります」
「うん。ラウくんは格好良いのが一番似合ってるよ」
「……」
 無邪気で軽い調子だったが、唐突に褒められると、ズオ・ラウはどうしても戸惑ってしまう。
 ズオ・ラウがストレートに褒められ慣れてないのもあるが、何よりもむずがゆい感覚に見舞われる。
 そんな心境を知ってか知らずか、ナマエはにこにこしながらズオ・ラウの背中を軽く叩いて退室を促した。
 部屋に戻るなり、ナマエはまっすぐにベッドに向かう。てっきり二度寝するかと思ったが、ズオ・ラウの予想とは裏腹にナマエは軽いストレッチを始めた。
「ええと、ナマエさんはどうしますか?」
「一旦部屋に戻って、ジョギングする」
「わかりました。なら一緒に出ましょう」
 ナマエは前屈を最後にベッドから降りると、うんと背伸びをした。
 二人で部屋を出る。廊下は朝の空気が充満して、静かだった。
 ズオ・ラウが部屋の扉に鍵を掛けると、どちらともなく足を踏み出す。
 分岐点に差し掛かると、二人で立ち止まった。
「それじゃラウくん、終わったらいつものとこで待ってるから」
「はい。それでは」
「うん。またあとでね」
 ばいばい、と手を振ってナマエは立ち去る。
 その後姿を数秒見送って、ズオ・ラウも足を踏み出した。
 ナマエが言う『いつものとこ』とは、食堂に近い購買の隣の休憩スペースだ。
 いつからか、あそこが朝食前の待ち合わせ場所になってしまっていた。こんなふうに、二人だけのささやかな取り決めが増えていくが、ズオ・ラウにとって悪い気はしなかった。
 きっとこの先も、二人にしかわからない決め事が増えていくのだろう。

2025/04/30