5月31日(水)晴れ 出社。 昼食後、睡魔に襲われ仮眠室で1時間半。 14.30、元岸田事務所のの宗方氏来社。6月中旬から始まる岸田理生3回忌連続上演の情宣。ルームルーデンス、ユニットR、千賀ゆう子企画の担当者ら。 1700、銀座。山下書店で雑誌「団塊パンチ」。木屋でホタテ丼1050円。 18 .00、六本木に移動。俳優座劇場裏の喫茶店で「団塊パンチ」ほぼ読了。寺山修司の書いた力石徹への弔辞全文を掲載。昭和精吾さんのインタビュー。 隣の席の扇田氏に挨拶。 1900、俳優座劇場で燐光群「民衆の敵」。 イプセンの作品を現代の日本に置き換えたもの。 町興しのために隣町から温泉パイプラインを引いたものの、その源泉に有毒物質が含まれていることが、女性医師によって発見される。医師の姉は町長。パイプラインにかかった膨大な費用、改修に必要な予算と時間を考えると、妹の勧告に耳を傾けるよりも、知らぬ顔で温泉開設したほうが町のためになる。当初は有害物質反対キャンペーンを展開しようとした新聞記者たちも、企業としても保身から町長派につく。こうして、告発者は次第に町の利益を損う「民衆の敵」として町民から孤立していく。わずかに家族と、捕鯨船の船長だけが味方。 大多数の「不正」と少数の「正義」の対立。坂手洋二の演出は趣をガラリと変えて、コメディータッチ。大浦みずき目当ての客席のヅカファンは納得? が、初めての「コメディー」は燐光群のガラに合わない。サイズの合わない洋服を無理やり着ているような違和感。シリアス一本できた役者の演技がなんともちぐはぐに見える。「笑い」がこんなに難しいものだとは。 終演後、ロビーで坂手氏、 「いやあ、軽くやるのって難しいです」と。 確かに。こんなにズレた坂手演出を見たのは初めて。 居合わせた流山児、I藤裕作、村松恭子らと立話。 23.00帰宅。「民衆の敵」……。いつか故郷で自分も「民衆の敵」になるのか。 5月30日(火)晴れ 15.30、K條さん来社。喫茶店で概略を説明。その後、I氏、A氏に紹介。その足でK社長のところへ。20数年ぶりの再会?しばし談笑。K社長の辛辣な人物評にK條さんも苦笑。 1900帰宅。 5月29日(月)晴れ 部署の都合で振り変え休暇。 午後から家人の買い物に付き合い、夕方まで。 昨日の稽古の疲れが取れず倦怠感。 BSで映画「蛇姫様」を見る。城主の病弱につけ込み烏山三万石を乗取ろうとする国家老。禁制の密貿易で私腹をしている。城主の息女・琴姫(嵯峨三智子)は国入りし、家老を難詰するが、証拠がないため、逆ネジを食わされる。城主は忠臣・一刀斎(黒川弥太郎)を急派、姫の警護と家老の陰謀探索に当たらせる。一方、琴姫に仕える大店の娘・おすが(中村玉緒)は家老の息子・彦次郎に狙われ、兄・千太郎(市川雷蔵)に助けられる。しかし、そのため、千太郎は難を逃れるため、父の馴染みの旅役者の一行に潜り込み、諸国を旅することに。だが、家老の陰謀で、おすがは殺害。それを知った千太郎は、国許へ戻るが、家老の悪巧みで、琴姫がおすがを手にかけたとの噂を聞く。 起伏に富んだ波乱万丈の物語。雷蔵も颯爽とした侍役ではなく、腕は立つが町人役。最後の大立ち回りで溜飲が下がるが、それまでの隠忍自重がもどかしくもある。 しかし、この頃は時代劇にやくざ映画三昧。 なんでかな?と思うが、耳に入るニュースがあまりにもひどすぎるからか。それを伝えるテレビ、新聞は他人事のような物言いだからよけいストレスがたまる。 16日にコイズミ首相はこい言い放った。 「国を愛する態度を養うことは教員の職務上の責務になる」 これをなぜ、マスコミは追及しないのか。 「愛国心教育」とは、侵略戦争で「国のために命を捨てる」ことを子どもたちに強制するものにほかならない。戦後、軍国教育の反省の上に、まがりなりにも日教組が掲げ続けてきた「教え子を戦場に送るな」の誓いをせせら笑うようなもの。 小坂文科相に至っては、「教育は、不当な支配に服することなく」とした現行教基法10条の意味は「国民全体の意思とは言えない一部の勢力」を排除することにある、と言ってのけた。 「一部の勢力」とは日教組と教育労働運動を指し、それを潰せということだ。 現行教基法第10条は、戦前の軍国主義教育への反省から、国家権力による教育への支配を禁じたものであるのは言を待たない。 それは逆転し、平和を希求する組織、人々を「一部の勢力」と規定する。教基法改悪案の成立を待つことなく、現行教基法第10条をこう解釈する。空恐ろしい。これで基本法が改悪されたら、政治家にとってはやりたい放題。やくざにマシンガン所持許可を与えるようなもの。 こんなふざけた世の中なのに、ほとんどのマスコミは沈黙する。元気のいい週刊誌も、「共謀罪」「探偵業の業務の適正化に関する法律(探偵業法)成立」でやがて手足を奪われることになる。 探偵業務とは「他人の依頼を受けて、特定人の所在又は行動についての情報であって当該依頼に係るものを収集することを目的として面接による聞き込み、尾行、張込みその他これらに類する方法により実地の調査を行い、その調査の結果を当該依頼者に報告する業務」。 探偵業務を行おうとする者に対し、営業所ごとに、当該営業所の所在地を管轄する都道府県公安委員会に届出義務が課される。 「悪質な探偵調査業を規制する」目的が、週刊誌のフリーライターなどの規制につながりかねない。 個人情報保護法が同窓会活動の要である同窓会名簿作りの自主規制や父母の連絡網自主規制を生んでいるように、探偵業法が取材活動の自主規制につながりかねない。政治家や財界の悪事を暴こうとすれば、その取材は隠密にならざるを得ない。しかも公安委員会の立ち入りを許したら、取材源の秘匿などあってなきがごとし。 こうした一つひとつの悪法の積み重ねが、外堀を埋め、大阪城本丸を丸裸にしたように、いつしか国民の知る権利を封殺し、全体主義・軍国主義に行き着くことになる。 こんなあくどいことがまかり通る国。一匹狼の人斬り五郎が組織の幹部たちを血祭りにあげていく憤怒や、悪家老が「忠臣」たちに駆逐される、そんな映画でストレスを発散したくなろうというもの。 やくざ映画は閉塞した時代に、庶民の憤怒と怨みを込めた希望の光だったのかもしれない。 5月28日(日)雨のち晴れ 2週間ぶりの躰道稽古。朝のうち、ざんざん降りの雨だったのでどうしようか迷ったが、無理やり自分を奮い立たせて道場へ。学校の病欠と同じで、間があくと、つい行きづらくなるものだ。 運足八法を集中的に。後半は活命の法形を中心に。最後の30分はT八段範士の講義。 13.00、TSUTAYAにビデオを返却。代わりに「出所祝い」「現代やくざ 与太者仁義」「雪の渡り鳥」を借りてくる。やくざ映画3本。「出所祝い」は青森・むつ市でロケをした映画。「与太者仁義」は若き日の佐々木愛、田村正和が出ている。水谷良江も。この頃は、新劇、新派ともに役者は映画に多数出演していたのだった。 羽田埋立地そばのスラム街の三兄弟。長兄はやくざの幹部(池部良)、次兄は宿無しのチンピラ(菅原文太)、そして末っ子(田村正和)は、恋人と人生をやり直すため、やくざから足を洗おうとするが、組織に追われ無残に殺される。恋人役が佐々木愛。当時、私は高校生。佐々木愛は「年上の人」だったから、さして興味はなかったが、今見ると当時の佐々木愛は毬谷友子ソックリ。みずみずしい美貌。「絶唱」もそうだが、薄幸の人をやらせたらこの人の右に出るものはいない。 死屍累々。この映画もペシミズムの極致。今思うと、やくざ映画の時代とは何だったのか……。 久々の稽古で疲労感。仮眠した後、自転車を買いにダイエーへ。子供の部活移動で使うのだとか。1万7800円。今まで何台自転車を買ったことか。そのたびに盗難。「今や自転車は消耗品です」と売り場の担当者。ウーン、そう言われてもなぁ。 1830、携帯の開閉部が壊れたのでauに持っていくと「実費修理です」。買い換えたほうが安いという不条理。仕方なく、機種変更。割引、ポイント使っても6800円負担。今や携帯屋の1人勝ちの時代。 夜、なんとなくダラダラと。疲労感で無気力に。 叔父が送ってくれた生ウニで夕食。殻付きだと調理が大変だろうと、身を塩漬けにして送ってくれたのだ。採れたばかりのウニを食す。これほどの贅沢はない。それなのに、子供は食わず嫌い……。 夕方、久しぶりに中学の同級生S子に電話連絡がつく。去年以来か。息子夫婦が買った戸建で同居しているのだという。よかった。ようやく落ち着いたようで。そのうち、また同級会をやりたいものだ。 5月27日(土)雨 14.00、紀伊國屋ホールで京楽座「中西和久のエノケン」。ジェームス三木の作・演出。 昭和の喜劇王、エノケンこと榎本健一の生涯をレビュー形式で追ったもの。喜劇王の名をほしいままにしながら、最愛の息子の死、脱疽による片足切断、苦悩の果ての自殺未遂……。その人生は悲哀に彩られている。中西和久がそのエノケンに扮し、エノケンの生きた時代の水先案内人を務める。「エノケンのダイナ」「月光価千金」「私の青空」「新どんどん節」などジャズのメロディーにシャレた歌詞をのせたヒット曲の数々。 ブギのリズムに乗せて「武器を捨てましょ 捨てましょ 武器 軍艦大砲造ってみても 海に沈めちゃ 何にもならない それより住宅造ってくれりゃ可愛いあの娘と新所帯 原爆水爆作ってみても地球が全滅 何にもならない それよりハイウェイ造ってくれりゃ 可愛いあの娘とドライブできる」 という「無茶坊弁慶」(作詞・作曲=三木トリロー)の面白さ。 それにしても、驚くのは中西和久の役作り。見た目も声もエノケンとそっくり。顔はメイクで似せることはできるだろうが、声音はまるでエノケンそのもの。舞台が進むにつれ、もはや二人は渾然一体。さすが、役者。 最後に病室でエノケンが死ぬシーンでは、「こんな場面で終わらせるかい。こちとら新劇じゃねーんだい」とシルクハットの中西和久、客席にタンカを切って、はなやかなレビューシーンに。女優は7人出演していたがその中で渋沢やこが魅力的。 1時間30分。歌と踊りと語りで飽きさせず。 「誰とはいわないけど、コメディアンが偉くなると、自分は動かず、周りを動かすようになる。オレはそんなのイヤなんだよ。舞台をちょこちょこ走り回るのが好きなんだ。それで笑ってもらえるのがさ」 当世のコメディアンたちをチクリ。 16.00、下北沢へ。げんこつラーメン830円。 「ぶーふーうー」でT取さんと打ち合わせ。具体的な企画の検討へ。途中、名古屋のA野天街から電話。これで、プロジェクトはスタート。 19.00、スズナリへ。南河内万歳一座の「お馬鹿屋敷」。異常に安い駅前旅館に投宿したサラリーマン。しかし、宿には布団部屋が一つあるだけ。その布団部屋で相席になった人々と旅館の女将たちのシュールな一夜。 布団部屋という設定だけに、大道具は無数の布団。いったい何十組あるのかわからない数の布団。その上で繰り広げられる「自分探し」の物語。プロレス技の応酬など、肉弾戦に大爆笑。河野、荒谷などベテラン不在ではあるが、鴨鈴女がそれを補って余りある奮闘。 20.30終演。ロビーで内藤裕敬と立話。「煙草をやめたら太ってしまって。引き締めないと……」と苦笑い。次回の東京公演は1月。 外は雨。ヴィレッジヴァンガードで秋山亜由子「虫けら様」(青林工藝社 1300円)と楳図かずおの「へび女」(小学館 1143円)。HOTWAXの「女番長ゲリラ やさぐれ歌謡最前線」(2520円)。 秋山亜由子の本を読むのは初めて。巻末で近藤ようこと対談していることからわかるように、絵柄や中世絵巻などへのこだわり方は両者よく似ている。こんなにも虫への偏愛を描いた作品は初めて。手塚治虫が生きていたら喜んだだろう。 「へび女」。子供の頃に読んで恐怖の「トラウマ」になった忌まわしい作品。改めて読んでみると、ユーモアさえ感じる場面があるのだが、それでもへび女がアップで迫る独特の構図には思わず子供の頃の恐怖がよみがえってきてゾクッ。 場面場面もよくおぼえているものだ。 従姉の家で雑誌に掲載されているのを読んだのが初めてだったか。少女フレンド? 今読むと、恐怖の源がよくわかる。自分が他人に侵食される、アイデンティティーを乗っ取られるという心理的な恐怖だったのだろう。もちろん絵柄の怖さもあるが、肉親や友人、そして自分までが、ヘビに変わっていくという恐怖は自己喪失の恐怖にほかならない。 夜中、寝しなにこんな本を読んでも平気になったというのは恐怖感覚の磨耗? HOTWAXのCD、「女番長(スケバン) ゲリラ」。カバー写真は杉本美樹。70年代東映スケバン映画から、主題歌、テーマ曲などレアな音源を集めたもの。山内恵美子の主演した「番格ロック」を除いて、東映スケバン映画には思い入れはないが、タイトルに惹かれて。 70年代スケバン映画で一番印象的なのは、代々木忠が監督したドキュメントタッチの映画。その題名も「スケバン」「続スケバン」。阿佐ヶ谷が舞台だった。五十嵐のり子という女優が主演。まさにドキュメント。ホンモノっぽい作り。ネットで検索しても、該当する映画はヒットしないし、五十嵐のり子なる女優も不明。スケバンという言葉も今は死語か。 5月26日(金)晴れ 19.00、上野でT取氏と待ち合わせ。落ち着ける店を探すも、金曜の上野はどこも満員。居酒屋の入口から引き返してくる団体さん多数。ようやく探し当てた場末の小さな料理屋に腰を落ち着ける。ほどなく、会社のI藤氏から電話あり、店で合流。 7月からスタートする新企画の打ち合わせ。20年来の宿願の端緒につく。話も弾み、気がつくと23.00。最上の夜。 今日は父の月命日。後押ししてくれたのか。 5月25日(木)曇り時々雨 16.20、K記念病院で鍼。美形のK泉先生、鍼だけでなく精神的にも安らぐ。 19.00、新宿。シアター・トップスで扉座「ユタカの月」。 今人気の蓬莱竜太の書下ろしを茅野オサムが演出。岡森諦、有馬自由、中原美千代のベテラン、犬飼淳治、高橋麻理、岩本達郎の中堅・若手、そして、モダンスイマーズの津村知与支が出演。 舞台は岡森演じる庭師の家。親方である父の仕事を手伝う一人娘と職人たち。中には時代の趨勢か、きつい仕事を嫌い、楽な転職先に切り替えようとする若者もいる。無口な父親と、世をすねたような娘。母親はもの心つく前に父と別れ、今どこにいるのかは父親だけが知っているようだ。 幼なじみに頼まれて雇ったものの、使い物にならないひきこもり男をめぐるドタバタ。 そこに、父親の旧友という男が現われたことから、母親と父の過去が次第に明らかに……。 登場人物の人生の背景や細かやな心のひだを鮮やかな手つきで描く、いかにも蓬莱竜太らしい作品。中島淳彦作品同様、誰が演出しても失敗作がないというのは、戯曲自体が頑健で揺らぎがないということだろう。 それにしても、蓬莱竜太、すでに「練熟」を通り越して「老成」の域に近づきつつあるというのは、果たして……。 扉座の業師たちに囲まれながら、一人独特の存在感を見せ付けるモダンスイマーズの津村知与支。飄々とした演技は、確かに大人になった「のび太くん」だ。これからの「化け方」が楽しみ。 20.30終演。制作のO田さんに挨拶して家路に。 5月24日(水)晴れ 夕方雷雨 0730起床。ゴミ出し。そのまま起きて、「無頼 黒匕首(ドス)」を見る。東映任侠路線の様式美とも、その後の実録路線のリアリズムとも違う、日活独特の虚無的なアンチ・ヒーローもの。ヌーベル・バーグの影響が大きいのだろう。一匹狼の人斬り五郎の行く先は血と抗争の修羅場。最後は、どぶ泥の中でもがき死んでゆくヤクザたち。五郎もまた愛する者を失い、傷つき、さまよう。 ニヒリズムの極致。こんな映画が大衆に支持され、量産された時代って……。 夕方、録画しておいた実写版のちびまる子ちゃんをようやく見る。なるほど、まる子ちゃん役の子役がいい。たまちゃんとの友情を描いた3話目で思わず涙腺が……。 坂本龍一が六ヶ所村の核燃施設に警鐘を鳴らす「ストップ六ヶ所」というブログを見る。 http://stop-rokkasho.org/ 以下は坂本龍一のメッセージ。 坂本龍一です. 本日、みなさんの貴重なお時間を頂戴して訴えたいのは、青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場による、甚大な放射能汚染についてです. なんと、この再処理工場からは通常の原発から出る放射能の一年分が、一日で出るというのです.美しい縄文の地と恵みをもたらす三陸の海が汚され、その被害は何百世代先にまで及びます. こんな異常なことがまかりとおっていることが、にわかには信じられません. しかし、もっと問題なのはほとんどの人がこの事実を知らないということです. これは大手メディアに責任がありますが、PSE法についてはあれほどリアクションがあったのに、もっと重大で命に関わるこの問題については、社会全体が奇妙なほど静かなのです.そこでぼくはインターネットと音楽をもって世界にこのことを知らしめようと思いました. ぼくと、若い友人である日本人ラッパー、shing02は今、音楽を制作中です. ぼくたちはその音楽をwebに載せ、人々がそれを自由にダウンロードし、リミックスし、サンプリング、リサイクル、リモデルなどをして、再処理工場のことが世界に広まるように、クリエイティブコモンズのライセンスを取得するつもりです. 幸い、友人のクリスチャン・フェネスが賛同し、音をダビングしてくれましたし、また英国の有名なデザイナーであるジョナサン・バーンブルックはwebサイト(www.stop-rokkasho.org)のデザインを引き受けてくれました.そこでは、人々が音楽を聴き、ダウンロードをし、またビデオを見たり、六ヶ所再処理工場についてもっと情報を得ることができます. みなさんにもぼくたちと共に、音楽、写真、動画、美術作品、詩など、どんなジャンルでもけっこうですので、寄付していただくことを呼びかけたいのです. そうすることによって、世界がこの問題を知ることになり、ひいては危険な再処理工場が止まることを願って.ちなみに、ぼくたちにはどんな財政的な基盤もありません.これは人々に気づいてもらうことを目的とした、100%ボランタリーな活動です. みなさんの貴重なお時間をさいて、これを読んでいただき、またこの問題を考慮していただいたことに感謝して. ブログでは坂本龍一の音楽「六ヶ所」をダウンロードして聴く事もできる。 世界的なミュージシャンであるにも関わらず、彼の発信する「原子力への警鐘」はメディアにまったく無視されている。日本のメディアがいかに原発=電力会社に牛耳られているかの証拠だ。 5月23日(火)雨 比較的ラクなローテーションのため、午後、新しい企画の打ち合わせ&ダミー作り。 作家・向井豊昭氏からいただいた早稲田文学(WB)、今号は向井氏が巻頭短編。 旧松前藩邸跡で行われる劇団櫻天幕の「風雪北蝦夷地 新撰組&キムラカAINU」に招待された老夫婦が幻視するアイヌと土方歳三とフセインと寺山修司。その独特の文体とシュールなユーモア。 <「こりやーっ、そこに立つ者、拙者の声が耳に入らぬのかーっ!」 切っ先を宙に突きつけ、近藤勇が叫ぶ。切っ先の先をたどるわたしの目に、サンダルばきの一人の男の姿が映った。テントの中に囲われた木の一本に寄りかかり、男は腕を組んで立っている。 どこかで見た顔である。 男の口が開いた。 「一本の木にも流れている血がある/そこでは/血は立ったまま眠っている」 「寺山さんよ。そうかあ、分かったわ。寺山さんって、木だったんだ」と、妻がつぶやく。 「貴、貴様は、寺山修司殿!」と叫んだのは、近藤勇だ。 「ジャイアンツの藤本英雄投手が、青森市営球場でパーフェクトゲームをやったのは、私が少年ジャイアンツの会青森支部で『委員』をやっていた頃であった。相手は白石の率いる西日本軍で、藤本のスライダーに手も足も出なかったのだ」 独特の発音で言うと、寺山はズボンの左のポケットから百円玉を出した。右のポケットから出したのは一万円札である。 百円玉を札に乗せ、札をひねる。硬貨の重みをくるませた札を、寺山は舞台めがけて投げつけた。 スライダーがフセインの眉間を打ち、舞台の上でおひねりは踊った> 寺山修司をこんな形で登場させるとは、向井豊昭氏、やはり只者ではない。73歳、そのファンキーな語り口はそのへんの文学者気取りの若造が束になっても敵わない。 17.00、新宿。南口の信濃屋でさんま定食800円。 さくらやで店員にスカパー加入に関する説明を聞く。しかし、今回の佐々木昭一郎特集を見るためにだけ加入するのもなんだかなぁ……。WOWOWでさえ、見る暇がないのだから。 19.00、初台。新国立劇場。K山事務所のK山氏にバッタリ。2日後にニューヨーク公演の下見に行く予定とか。「助成金だけじゃ公演が難しくて……芝居やっていくのは大変です」と顔色はさえない。地味だが良心的な演劇作りを目指す演劇プロデューサーの苦悩。一方で、商業演劇以上に大量動員する若手劇団もあるし。演劇界も格差か。 小劇場ピットで「やわらかい服を着て」。永井愛の作・演出。 海外への人道支援を目指して結成されたNGO(民間団体)「ピース・ウィンカー」。メンバーは少人数だが、みな積極的。潰れた町工場の一角を借りて事務所にしている。 物語は2003年、イラク戦争前夜から、2006年3月20日までの、3年間の若者たちの活動の軌跡を追いながら、悩み・笑い・葛藤する個々人の青春の断面にスポットを当てる。 リーダー夏原一平(吉田栄作)と佐野千秋(月影瞳)は、大手商社に勤め、婚約者同士。池森新子(小島聖)は、直情径行型の大槻純也(粟野史浩)と付き合いながらも、一平にひそかに思いを寄せている。千秋はそんな新子の気持ちに気付いている。 人道支援という一つの社会目的のために集った仲間だが、その活動は周囲には理解されないことも多い。アルバイトで食いつなぐ者、自分の信念との齟齬から会社を辞職する者、結婚して専業主婦になり、NGO活動にのめりこむ者もいる。 イラク・日本人人質事件をめぐる相互の視点の違いも浮き彫りになる。原則派と現実派の対立、崇高な目的意識とはまた別の次元での個々人の軋轢もある。 やがて、危うい四角関係が顕在化し、一つの危機を迎えることになる。 イラク戦争に対する、きっちりとした主張を織り込みながら、集団の中での個人の葛藤を見事に描いたもので、まさに間然するところのない舞台。脚本・演出・俳優の三位一体が最上に機能し、濃密な空間を形作る。 リーダーを演じる吉田「熱血」栄作は、まさに役にピッタリ。二人の男の間で揺れる「微妙さ」を表現する小島聖は演技賞もの。 「大衆」を象徴する町工場のオヤジ城島(でんでん)がまたいい味出してる。 悩み、傷つきながらも希望を捨てない若者たち。 「やわらかい服」という言葉に象徴されるように、今の若者は行動も思考も柔軟。持続する志とでもいえばいいのか。あきらめずに少しずつ前進していく、その姿勢は、NGOが開かれた組織だからでもある。フリーター、正社員、主婦……それぞれが自主的に自分の力の及ぶ範囲内で活動する。 閉塞した集団ならば、こうはいかない。わずかな感情のもつれだけで、崩壊へとつながりかねない。その意味で、この舞台の彼方に幻視されるべきは72年の連合赤軍事件なのかもしれない。 人は、ときとしてチョコレート20枚で希望を取り戻すこともあるのだ。 ほろ苦くも、希望を込めたラストに、思わず涙。 やや技巧的で「笑い」を意識した「歌わせたい男たち」よりも、「笑い」を極力抑えた今回の作品の方が好き。 それにしても、次々と傑作を生み出す永井愛のエネルギーには驚嘆してしまう。 先日の俳優座公演「風薫る日に」(ふたくちつよし作)を今年のベストワンと口走ってしまったが、この永井作品も負けず劣らず素晴らしい出来。ふたくち氏と永井氏は桐朋演劇科の同期(5期)とか。桐朋はたいへんな才能を輩出したものだ。 21.45終演。ロビーで平田満氏らと語らっている永井さんに挨拶して家路に。 5月22日(月)晴れ 花粉症?のため、朝からクシャミ鼻水。病院からもらった薬を飲むも、改善されず。仕方なしに、薬局で鼻炎用のクスリを買ってきて服用したところ、猛烈な睡魔に襲われる。13.00、仮眠室へ。睡眠というよりも昏睡状態。気がつくと15.30。2時間以上も半死半生でベッドに。ふらつく頭をおさえながら起きるも、クスリの副作用がこんなに強いとは。いくら鼻炎がひどくても、用法を守らないと。 18.30、帰宅。 「無頼 人斬り五郎」を見る。 仮釈放でシャバに出た五郎は、刑務所で病死した兄弟分の林田(藤竜也)の姉しのぶ(小林千登勢)の居所を探すため、海辺の町にやってくる。バスの中で偶然知り合った由紀(松原智恵子)が勤めている観光ホテルでボイラーマンとして働きながら、しのぶを探す五郎。しかし、しのぶは赤線に身を沈めているという噂。 一方、五郎に会長を殺された暴力団「名振会」は出所した五郎をつけ狙っている。五郎と旧知の幹部・白山(佐藤慶)は8年前に、役所の職員であった由紀の父親を殺した自責の念から、由紀にひそかに送金している。 しのぶと、地元ヤクザ海藤(小池朝雄)、若いチンピラヤクザ石丸(岡崎二朗)と苗子(秋とも子)の二組の恋愛と、無残な結末。 カタギになろうともがきながら、いつしかヤクザの争いに巻き込まれてしまう五郎。 「タバコ買ってくらぁ」 後年のヤクザ映画の名作「竜二」の肉屋の別れは、この、フェリーでの由紀と五郎の別れのシーンにインスパイアされたものだろう。 「大幹部 無頼」では、五郎の”センパイ”浅見(二谷英明)が、逃走の途中で家族に別れを告げるために、ケーキとオモチャを買って家に立ち寄ろうとするが、敵の組織に見つかり、小公園で襲撃され絶命するシーンがある。窓のカーテンに映る妻と子供のむつまじい姿を遠く見ながら絶命する浅見。散らばるオモチャと潰れたケーキ。これなど、さしずめ、「仁義なき戦い」で松方弘樹が、子供のためにおもちゃを買おうと店に入ったところを惨殺されるシーンと重なる。 東映実録路線に日活ニューアクションが与えた影響はかなり大きいのではないだろうか。 それにしても、無頼シリーズのこの暗い情念。あまりにも虚無的な人斬り五郎の生き方は、69年という時代を如実に反映している。元ヤクザで原作者の藤田五郎氏もまた後年自殺を遂げている。 「これがヤクザだよ。汚ねぇ。人間のクズだ。ヤクザなんてみんな死んでしまえばいいんだ」 大幹部、白山が、わざと五郎に殺されるようにしむけるシーンで言うセリフ。 この無頼シリーズの渡哲也の、とっぽくてニヒルな人物造形の見事さよ。分別臭い今の渡哲也の演技の数万倍カッコいい。 昔見て面白かったのに今見たら、目も当てられないという映画もたまにはあるが、この時代の日活ニューアクションの輝きは永遠だ。十代の頃は気がつかなかった登場人物の心の機微も今ならよくわかる。 しかし……松原智恵子や芦川いずみのような女優がいないというのが今の時代の不幸でもある、か。 2330就寝。 5月21日(日)晴れ 0900起床。寝すぎて腰が痛い。 ネットでニュース検索。 「大間原発訴訟原告の熊谷さん死去」の見出しに衝撃。 大間原発建設を計画している電源開発(東京)を相手に工事差し止め訴訟を起こしている大間町の地権者、熊谷あさ子さん(68)が十九日午後十時二十九分、むつ市内の病院で死去した。 熊谷さんは大間町出身。原発予定地内に持っている個人所有地と共有地の売却を拒否。地権者の同意なく原発を計画し共有地を造成したのは違法だとして二〇〇五年二月、青森地裁に提訴した。 一方、電源開発は〇三年六月、熊谷さんら地元住民に対し、建設予定地内の共有地を移転登記して土地を明け渡すよう求める訴訟を起こし、一審、二審とも勝訴。熊谷さんは判決を不服として今年四月、最高裁に上告した。(以上WEB東奥) 熊谷あさ子さんとは一度も面識はないが、その勇気と志にずっと敬愛の念を抱いていた。小さな村落。最初は漁業を守れの声も大きく、原発への反発は大きかったが、あごあし付きの招待旅行など電源開発の切り崩しにあい、次第に原発容認派が多数を占めるようになった。お上の進める国策に対し、異議を唱える人は「民衆の敵」として四面楚歌。その中で唯一人、用地買収に応じず、闘った熊谷さん。「同じ志を持つ者」として心から尊敬していた。いつか直接お会いしたいと思っていたのに、それが、突然の訃報。理不尽すぎる。風邪をこじらせ、熱が下がらないまま入院し、間もなくの急死だったという。各地に支援の輪が広がりつつある今、無念だっただろう。心から冥福を祈りたい。訴訟は娘の小笠原厚子さんが引き継ぐという。微力ながら支援したい。 大間原発は完成したとしても、いつの日にか地上から消え去る。 午後、家人、子供と買い物。部活でテニスシューズが必要とのこと。 今の子供は恵まれている。私が子供の頃、周囲の子供が履いていたのは短靴(たんぐつ)と呼ばれるゴム靴だった。海に入ったり、川で水遊びしても、中に石ころを詰めてガラガラポンですぐに乾いたものだ。しかし、私はその短靴を履いたことがない。一人っ子ということで、母は私に革靴(といっても模造革)を買って履かせた。しかし、それを履いて川に入ることはできない。逆に、みんなの短靴がうらやましかったものだ。 中学の部活の剣道部といっても、防具ひとつあるわけではない。そんなものを買える時代ではなかった。つまるところ、ただ竹刀を素振りするだけ。今は母校の剣道部はそれぞれ立派な防具を個人が用意し、全国大会で優勝したこともあるという。まさに隔世の感。 テニスシューズ、通学スニーカーなどで約1万円の出費。 移転して「KASUMI」なる大型ショップに入った「TSUTAYA」へ。 「無頼 人斬り五郎」「大幹部 無頼」「無頼 黒匕首(どす)」「不良番長 口から出まかせ」を借りてくる。まさか「無頼シリーズ」を置いてあるとは。10代の頃、池袋の文芸坐オールナイトでよく見たものだ。渡哲也はこの頃が一番輝いていた。 ビデオを見たかったが、家人とようやく「7人のマッハ」鑑賞会。買ってから何カ月たったか。 5月20日(土)雨後晴れ 仕事も快調に飛ばし、「人生万才」のダミーまで作成。 1400、下北沢。「劇」小劇場でピンクアメーバ「イヴの眠る海」。永元絵里子の作・演出。大雨の日に川で溺れ死んだ少女の輪廻転生。元宝塚の大輝ゆうが主演。元岸田事務所+楽天団の池田火斗志も久しぶり。 15.30終演。スズナリ下の古書店へ。小さいながらも特色のある古書店なので店内散策が楽しみ。 かぜ耕二の「各駅停車の青春に」(75年 婦人生活社)、ニッポン放送「たむたむたいむ」に寄せられたリクエストハガキ・手紙で構成。「男女交際と勉強は両立できるのか」、定時制高校生からの投書で始まった「友よ、誇りをもって生きよう」など、1975年当時の若者の真摯な青春がうかがえる。 市川森一「私が愛したウルトラセブン」はNHKで放映されたドラマの小説化。 そして片隅にあった寺山修司の「人生万才!」。90年にJICC出版局(現・宝島社)から出版された本で、高取さんが編集したもの。いただいた本をK社長に手渡したため、自分では保存していなかったのだ。同時進行で必要性があるとき、偶然にもそれが目の前にある。これも古書店の神様の導き? 先日の寺山学会で、担当者がマザーグースの訳について発表していたが、寺山自身が自分の「意訳」について語っている。たぶん、これは著書に収められていないはず。貴重な証言。いやはや、偶然は必然の産物というが……。 ヴィレッジヴァンガードに移動し、HOTWAXの6号を。小林旭特集。あまり興味はないが、コラムが読みたくて。 ヴィレッジヴァンガードから外に出ようとしたら、ドカドカ、ガンガン、ガシャとすごい音。看板が転げ落ち、砕け散っている。瞬間的な暴風、続く豪雨。それまでピーカン照りだったのが、一天にわかにかき曇り状態。 17.00、新宿へ。 雨はやまず、仕方なく傘を買って新宿グランドへ。隣の劇場は長蛇の列。「ダ・ヴィンチ・コード」の初日とあって、どこの公開館も大盛況。しかし、「グッドナイト&グッドラック」は閑散。ジョージ・クルーニーが監督・脚本・主演と三役をこなした映画で、見ごたえのある作品なのに、もったいない。 1953年、米ソの冷戦を背景に、全米に吹き荒れたマッカーシズム。いわゆる「赤狩り」。マッカーシー上院議員率いる非米委員会が、政府、軍部、そしてハリウッドまで、根拠のあるなしを問わず、「共産主義者」とみなした人々数千人を次々に告発、追放した「事件」だ。 ハリウッドでも多くの映画人が聴取され、尋問された。 「あなたは、共産党員か、もしくは、以前そうであったか」 「共産党員はあなたのまわりにいるのか、もしいるのならば、その者の名をあげなさい」 さらにこう問いかける。「過去において、アカの集会に出たことがあったか、もしあるのならば、その時の集会に来ていた友人の名をあげよ」 明らかな密告、告発の勧めだ。 映画の中でも、テレビ記者の一人が「離婚した女房が過去に共産党の集会に参加したことがある」という理由で、取材チームを降りるシーンがある。マッカーシー側に付け入らせないためだ。 「離婚した奥さんの過去」までが赤狩りの対象になる。背筋が冷たくなる話ではないか。 「赤狩り」のわずか10年前、1940年代にはアメリカはソ連と同盟関係にあり、共に反ファシズム・反ナチスで共闘していた。過去に「ロシア貧民救済チャリティー集会」などに参加することは不名誉なことではなかったはずだ。それがすべて「共産主義への同調者」とみなされる。 しかし、ハリウッドのアカデミーでさえ次のような決定を下す。 「正当に構成された連邦の立法に関する委員会ないしは連邦の立法府を前にして、自身が共産党の党員であった(依然として公に党と関係を絶っていない)と認めた者、あるいは、自身が過去または現在に共産党員であったかどうかを答えるのを拒否するか、そのような委員会ないしは団体への出頭を求める召喚状に応えるのを拒否した者は、そういった拒否に固執するかぎりにおいて、あらゆるアカデミー賞を受ける資格を失うものとする」 つまり主義主張以前に、証言を拒否した者はハリウッドで仕事ができなくなるという恫喝だ。 マッカーシーに媚び、保身に走ったハリウッド。 しかし、後に「ハリウッド・テン」と呼ばれる10人の映画人は、この恫喝を無視し、証言を拒否した。 「ジョニーは戦場へ行った」のドルトン・トランボ監督、「十字砲火」の製作、エイドリアン・スコット。後に「マッシュ」の脚本を書いたリング・ラードナー・Jrなどだ。 キム・ハンター、リー・グラント、カール・フォアマンなどの俳優もハリウッドを追放されている。当然ながら、生涯、「共産主義者」を貫いたチャーリー・チャップリンは証言を拒否。スイスに追放された。 無実の罪を着せられ、自殺した者、失意のうちに生涯を終えた者数知れず。 99年のアカデミー賞授賞式で特別賞を与えられた「エデンの東」のエリア・カザン監督に対して、スタンディングオベーションする聴衆の中、スピルバーグ監督を始め、半数の会員が着席したままだったことは記憶に新しい。ニック・ノルティ、エド・ハリスは拍手さえしなかった。 リチャード・ドレイファスに至っては、反エリア・カザンの論陣を張り、「カザンは賞賛を受けるべき人物ではない。彼は無害だったようにも見えるし、ひょっとすると正しかったように見えるかもしれない。が、本当は彼は間違っていたし無害でもなかったからである」 と述べ、カザンの受賞に反対した。 なぜなら、エリア・カザンは下院非米委員会(HUAC)の証言で8人の映画人仲間をマッカーシーに売り、密告を奨励したのだ。元米国共産党員であったカザンは30年来の共産党時代の友人を国家に売り渡した。それによってハリウッドにおける地位を磐石にし、アカデミー賞作を次々と生み出していく。 「ハリウッド・テン」以降、非米委員会の調査は続くが、女優リリアン・ヘルマンはこう答える。 「破壊行為や不誠実はいかなるものであれ、わたしは好みません。もしそういうものを見つけたら、当局に届け出るのがわたしの義務だ、と考えております。しかし、自分を救うために何年も昔の知己である無実の人たちを傷つけるなどということは、非人間的で品位に欠け不名誉なことに思われます。私は今年のファッションにあわせて私の良心を切り縮めることは出来ませんし、する気もありません」 気高くウィットに富んだ証言ではないか。 一方、後に合衆国大統領となるドナルド・レーガンは、映画俳優組合の議長として知り得た情報をFBIに売り渡す。「一度転んだ人間は最後まで転ぶ」 エリア・カザンがマッカーシーに名指しで売り渡したのは、リリアン・ヘルマン、ダシール・ハメット、クリフォード・オデッツ、パメラ・ミラー、モリス・カルノフスキー、フェオブ・ブランド、トニー・クレーバーら。 この中で、ハードボイルド小説の元祖で「マルタの鷹」の作者として有名なダシール・ハメット(リリアン・ヘルマンの30年来の同志・恋人であった)は証言を拒否して入獄。一切の筆を折ってしまう。 こうしたマッカーシズムを激しく憎んだレイ・ブラッドベリは「華氏451」を書く。その中で、政府の方針に疑問を抱き始めた「焚書官モンターグ」に対して、上司にこう言わせる。 「わかるだろうな、モンターグ? これはけっして、政府が命令を下したわけじゃないんだぜ。布告もしなければ、命令もしない。検閲制度があったわけでもない。はじめからそんな工作はなにひとつしなかった! 工業技術の発達、大衆の啓蒙、それに、少数派への強要と、以上の三者を有効につかって、このトリックをやってのけたのだ」 稀代のデマゴーグ、赤狩り、それを推進したマッカーシの本質がそこにある。 映画は、このマッカーシーの赤狩りに対して、CBCの人気キャスター、エド・マローとプロデューサー、フレッド・フレンドリーが報道人としての生命をかけて戦いを挑む様子を描いたもの。他のマスコミが政府の免許取り消し圧力を恐れて、見て見ぬふりをする中、CBCの果敢な姿勢は良識ある政治家や国民の支持を得る。しかし、企業としてのCBCもまたスポンサー降板という苦境に立たされることに……。 マローを演じたデヴィッド・ストラザーンの苦悩を秘めたクールな演技が光る。 「権力への批判を忘れたテレビはただの鉄の箱に過ぎない」という最後の言葉は50年後の今こそ耳を傾けるべきセリフだろう。9・11を境に「批判」を恐れ、愛国心を鼓舞する米国ジャーナリズム。 「共産主義の脅威」を「テロリズムの恐怖」に置き換えれば、「グッドナイト&グッドラック」はそのまま今のアメリカと重なる。 「テロ」防止を口実に、イスラム社会を差別・分断するアメリカ。イスラム教徒というだけで無実の人間を投獄するアメリカ。中東問題に関心を寄せるだけでテロリストのレッテルを貼るアメリカ。その構造は「赤狩り」の時代から変わっていない。 外に出ると、雨も晴れ、夕暮れが迫る新宿。 ふと、ケイタイを見ると家から何度も着信。いやな予感。案の定、「子供が自転車で事故にあった」と伝言。 詳しい様子は分からず。電話を受けた娘も伝聞だけ。 何度も家人に電話するが、病院の中らしく電話通じず。1900から予定の扉座公演。トップスの前に着いたので、政策のO田さんに事情を話しキャンセル。 急いで家に戻ると、ちょうど病院から帰ってきたばかり。 なんでも、背中にしょったテニスラケットのカバーのひもが自転車の前輪に絡まり、前につんのめったのだとか。胸を強打したというが、レントゲンでは異常なし。本人もケロッとしている。 事故ったというから、どんなことになったか心配だったが、ただの転倒。運が悪ければ、自動車に接触するなど、重大事故になったかもしれない。不幸中の幸い。 明日は躰道昇級審査だが、やはり痛みはおさまらず、キャンセル。日曜の朝の早起きがないので、気が楽。いつもなら午前2時まで起きているのに、今日は11.30就寝。気が楽なのに、逆に早寝とは、人の心理は不思議。 5月19日(金)雨 1700、銀座・山下書店で松本清張・初文庫化作品シリーズ「断崖」(双葉文庫600円)、魚住昭「野中広務 差別と権力」(講談社文庫695円)。 17.30、新宿。紀伊國屋地下の和幸でカツ定食1260 円。ABCマートでK・SWISSのスニーカー1万2000円。ポイントカード1500円引きで税込み9725円。 18.30、コマ劇場前の噴水広場(今はシネシティ広場と呼ぶらしい)に消防車が停車中。訓練か?緊急性ない模様。 同広場に「新宿ムーランルージュ初日」の幟(のぼり)と、音楽。そろいのハッピ姿の案内人。何かと思ったらコマ劇場下のシアターアプルで上演中の東京ギンガ堂公演「夢 歌舞伎町物語」の導入部がここで始まるらしい。野外ステージというわけ。続々と観客と野次馬が集まる中、心残りだがコマ劇場に移動。 企画ユニット地球ゴージャスプロデュース公演「HUMANITY THE MUSICAL 〜モモタロウと愉快な仲間たち〜」。入口付近で、る・ひまわりのTさんと立話。 地球ゴージャス初見。岸谷五朗と寺脇康文という地味なユニットに今まで食指が動かなかったのだが、今年で11年目か。しかもアプルなら分かるが、コマ劇場公演! テレビの売れっ子というだけで、まさかコマ劇場とは……。しかし、チケットは売り切れ状態。 コマ劇場キャパ2000余。それを1カ月公演。単純計算で6万人動員。……びっくり。見渡すと広大なコマの客席はびっしり隙間なし。 唐沢寿明、戸田恵子、高橋由美子など実力のある俳優がゲストとはいえ、集客にどれだけの影響があるかは未知数。それなのにこの動員数。確かに大和ハウスの後援が大きいが、テレビで前宣伝番組を作ったり、やはりテレビの力って大きい。 こんな公演を見ると、実力がありながら、動員に悩んでいる劇団がかわいそうになる。カネをかけた宣伝がすべてか。 物語は一人のサラリーマンの、夢と現実を往還する現代版「胡蝶の夢」。ワンマン社長の下でリストラにおびえるサラリーマンは夢の中では鬼征伐に行く種太郎(桃太郎)。犬(寺脇)、キジ(蘭香レア)、サル(植木豪)、ウスバカゲロウ(すぐに退場)をお供に、鬼ガ島に行くが、退治される鬼にも言い分が……。 正義の戦争を呼号しイラクに攻め込んだアメリカを桃太郎になぞらえた、ピースフルメッセージ。 46人のダンサーが舞台いっぱいに繰り広げる群舞は大迫力。唐沢のコミカルな演技、ラストに響く戸田恵子の歌もよし。回り舞台の多用もその舞台装置に必然性があり効果的。高いチケット代に見合うエンターテインメントではある。 このところメキメキと売れ出した蘭香レア(元・三咲レア)の出番、スポットの当て方が突出して多いが、寺脇、岸谷、どちらかの肩入れか。確かに蘭香レアは色っぽい。 21.50終演。外はざんざん降りの雨。サブナードを経由して駅へ。 23.20帰宅。 5月18日(木)晴れ 16.20、K記念病院で鍼。治療が終わった後、美形の鍼灸師K泉さんにストレッチの個人指導。学生時代は弓道部で2段というK泉さん、今はジャズダンスでストレス解消とか。 1900帰宅。 5月17日(水)晴れ ベッドから起き上がるときに、まだ背中に痛みが。今日調子がよかったら稽古に行こうと思っていたのに。これでは日曜の審査は絶望的。 テレビのワイドショーでは、連日、拉致被害者横田めぐみさんの父滋さんの訪韓と、韓国人拉致被害者金英男さんの母崔桂月さんらの面会を報じている。 しかし、韓国国内ではこの訪韓に関心を持つ人は少ないという。 「韓国のニュースでは、一昨日はわずか10秒、昨日は1分半だった」とワイドショーのリポーター。 当然だろう。韓国と北朝鮮は拉致問題に関しては「お互い様」という意識がある。それよりも南北分断による離散家族問題の方が切実。 現在韓国内には40万人以上の離散家族1世が存在するという 「南北分断」によって、家族・親族が生き別れになったまま、一生会えないという悲劇。しかも、離散1世に残された時間は少ない。 日本人拉致被害者の家族の心痛は当然だが、韓国民衆にしてみれば「それならば日本による数百万人ともいわれる朝鮮人強制連行=拉致はどうなのか」との忸怩たる思いもあるだろうし、分断の遠因である日本の植民地支配を思い出すのも当然。 靖国参拝問題で分かるように、日本人は本当にあの戦争を反省しているのか。朝鮮人被爆者問題、従軍慰安婦問題も解決していない。加害の歴史はすっぽりと忘れ、「被害者」を言い募っても、それが韓国民衆の心に届くのか。 したり顔で「韓国の無関心」を指弾する日本のワイドショーのリポーターを見ていると、そんな思いにとらわれる。 ……てなことを書いてたら、朝鮮総連、民団が60年間の対立に終止符。歴史的和解のニュース。「民族性豊かな社会の実現と祖国統一の決意を新たにする歴史的な日だ」とトップがコメント。 金大中政権に始まった韓国の太陽政策が効を奏したといえる。北風ではなく太陽を、圧力ではなく温情を。「反北・対米追従主義者」にとっては、由々しき事態だろう。米国の同盟国でありながら独自の対北朝鮮政策を展開し、その流れの中で、在日の韓国・朝鮮人団体が和解する。 同じ「アメリカ同盟国」であっても、柔軟な政策が取れる韓国の方がニッポンより大人。 午後、家人と外出。 銀行に寄って固定資産税支払い10万円。先日のペンキ塗りのお礼の品を宅配便で1万円。 タワーレコードでエゴ・ラッピンの新譜「On The Rocks」、大瀧詠一のカヴァー集「ナイヤガラ・スプリング」を購入。 1630、歯科医へ。3カ月に1回、定期的に検診・予防治療をしていたが、4月から保険が効かなくなり、自費扱いになるという。 「2年前に保険適用の予防治療を推進しておきながら、国が急に方針転換するんですから困っちゃいますよね」と担当医。今まで約2000円で済んでいたものが、これからは7000円になるという。 「負担が大きいので無理にお薦め出来ませんけど、せめて半年に1回でも定期的に歯石や歯のケアをしたほうがいいと思います」と歯科衛生士さん。 それにしてもたった2年で歯科衛生の保険適用を撤回し、全額自己負担にするとは、これもコイズミ改革なのか。介護保険法改正で国民の負担増が問題になっているが、ここにもしわ寄せがきている。 一方で、米軍再編に伴う費用負担で日本は3兆円も気前よく差し出す日本政府。赤ん坊から老人まで一人頭2万円超。これを属国といわずして何を属国というのか。 歯科治療費今日は2100円。 18.30、鍼灸院で鍼。1200円。 夜、家族で「トリビア」を。先日放送された「娘が不良を結婚相手として連れて来たら」の第二弾。しかし、新たな二組の家族はこの前の出演家族には及ばず。楽しみに見たが当て外れ。 5月16日(火)曇り一時雨 1530〜1730、代議員会。厳しい。 18.30、六本木。俳優座劇場で俳優座「風薫る日に」(ふたくちつよし作、亀井光子・演出) 五月の連休のある日、都心から一時間ほどの住宅地にある平山家では祖父・正綱(浜田寅彦)の米寿の祝いが、ごく内輪で行われようとしていた。 正綱の長女・幸子(岩崎加根子)は朝からその準備で大忙しである。実は、幸子は正綱に内緒で、絶縁状態にある兄・正昭(小笠原良知)とその妻・千晶(執行佐智子)を呼んでいたのだ。幸子はこれを機会に、なんとか父と兄の関係を修復したいと考えていた。 幸子の夫・信之(河原崎次郎)と娘・有紀(伊勢佳世)の協力を得て、正綱の米寿の宴が始まるが、そんな中、一人の老人の訪問により事態は思わぬ方向へと向かい……。(劇団HPあらすじ) ふたくちつよしの作品はこれまで何度も見る機会があったのに、どういうわけかいつも時間が合わず、見逃してばかり。今回が初めての観劇。 心のどこかで、どうせありがちな家族の物語だろうとタカをくくっていたら、あにはからんや、戯曲の緻密さ、力強さ、完成度の高さに仰天する。これほどの筆力のある作家だったとは、まったくもって自分の不勉強ぶりを恥じるばかり。 家族にも心の一部を閉ざし続ける父。長男と父との長い確執の原因は何なのか。 まるで上等のミステリーを読むように、それぞれの家族の心象情景から次第に真実が浮かび上がってくる。 人間関係の機微の描写が見事。長男の嫁と、姑の確執を知る大叔母(清水良英)、父の友人でお調子者の床屋・望月(中寛三)、一見、茫洋然としながらも家族を思う長女の夫、母思いの娘……。なによりも浜田虎彦の演技が素晴らしい。この老名優なくしては成立しない。時代に翻弄された末に、心の奥底に自分の人生を沈殿させてしまった老人が、最後の瞬間に命のうずみ火を燃え上がらせる。 一人の老人の来訪、そして思いもよらぬ、過去との対峙……。ニ幕終盤は滂沱の涙。これほど、緻密に組み立てられた舞台は知らない。それは戯曲のみならず、俳優一人ひとりの演技、一挙手一投足まで行き届いた演出に負う所が大きい。人間の機微にウソがない。 これは間違いなく、今年のベストワン作品だ。 20.40終演。 それにしても、1幕が終わったら休憩時間に客席でケイタイに向って大声で、株が上がっただの下がっただの、買いだの売りだのわめいていた海坊主男は許せない。ダフ屋上がりとのウワサだが、彼は本当に芝居が好きで劇場に来ているのか。まったくもって不愉快千万。 22.00帰宅。 友人Dさんが故郷にUターンするとのこと。それぞれの人生航路。めぐり合ったことに感謝こそすれ、さよならだけが人生だとは……。 5月15日(月)晴れ 0500起床。痛みのため、体が斜めにかしいでしまう。 いったん会社に行ってから、聖路加国際病院で人間ドック。08.40〜12.00。 胃カメラの時、バリウムを飲んで体を回転させなくてはならないので、それがつらい。昨夜と比べてだいぶ痛みが引いたとはいえ、まだ痛みはある。 正午、会社に戻り仕事。サッカーW杯代表選手発表でバタバタ。 1600退社。近所の鍼灸院で鍼。 しかし……、やはり疲れたときには休まないと、後が大変。無理なスケジュールは禁物。 元自民党代議士・箕輪登氏が14日死去。 旧田中派に属し、郵政相、防衛政務次官を努め、在職中はタカ派として知られた箕輪氏だが、高遠菜穂子さんらが拘束されたイラク人質事件では、日本政府の対応を非難。アルジャジーラに、自らが人質となることによって、日本人3人の解放を求めるメッセージを送ったことは記憶に新しい。 アルジャジーラ ネットワーク スタッフ様 私たち2人は、日本北海道の小樽市に居住する日本人です。以下は、私たちからサラヤ アル ムジャヒディンというグループに宛てたメッセージです。 貴社記事「日本人、韓国人拘束さる」「人質問題で日本混迷」の筆者が、次の記事・テレビ番組において私たちのメッセージを活用され、グループの目・耳に届くようにしていただければ幸いです。 ●箕輪 登(男性、80才、元郵政大臣、元防衛庁政務次官)のメッセージ● 私は、元日本政府閣僚の1人でした。 私は現在、日本の自衛隊をイラクに派遣するという小泉首相の誤った政治選択に関して裁判所に提訴中です。 私は十分に長く生きてきました。 私は、あなた方が拘束した3人の日本人の代わりに人質になる覚悟があります。 ●坪井主税(男性、62才、札幌学院大学教授、専攻 平和学)のメッセージ● 私は、これまでずっと、アメリカがあなた方の国を攻撃し占領していることに反対してきました。 私は、これまでずっと、わが日本政府がブッシュ大統領を支持してきたことに反対してきました。 私は、これまでずっと、日本政府があなた方の国に自衛隊を派遣することに反対してきました。 私は、あなた方の国から自衛隊を撤退させたいと思っている唯一の日本人ではありません。多くの日本人がそう思っています。私は、あなた方が拘束した3人の日本人もそう思っていると確信しています。 3人を無傷で解放してください。 2004年には、「イラクへの自衛隊派遣は自衛隊法に違反する」と小泉純一郎首相に派遣中止を求める訴訟を起こしている。 「テロだか何だか知らない攻撃がおっかないから持っていくことにしている武器は戦車も壊せるほどの威力を持った重火器ですから、これは明らかに正当防衛の範囲を超える「武力行使」そのものなんです。 「正当防衛」が自衛隊員に認められるのは警察官のピストルと同程度の小銃までです。警官と違うのは自分の命だけでなく武器弾薬を守るためにも使えるという自衛隊法第95条の決まりだけです。危ないから何でも使えるという解釈は完全な間違いですよ」(オホーツク新聞より一部転載) 箕輪さんの人となりについては、裁判で次第に明らかにされてきました。冒頭で紹介した2006年2月27日の第10回口頭弁論では、次のようなことが語られています。代理人の弁護士の「医者を志されたきっかけは?」という問いに箕輪さんが答えます。 「私の父親は全盲です。その父親が、大きくなったらおれのような弱者の役に立つ医者になれと。小学校に入ってから私のすぐ下の弟が死にました。重ねて父親から言われました。小樽市の手宮というところで生まれ育ったんですが、いわば当時の貧民窟(くつ)で、そこで父親はあんま業をやっていたんです。市内で名の通ったお医者さんを呼ぶんですけれども、めったに貧民窟には来ません。ほとんど呼んだ先生に来てもらったことがないんです。そして自分のところの先生の死亡診断書で亡くなりました。いいか、貧乏人の味方になるような医者になれと。それが頭にありましたので3年で医者になれる医学校ができたので受けたのであります」 その『貧民窟』には朝鮮人も住んでいました。箕輪さんはいじめられていた朝鮮人の娘をかばったことがありました。そのことを弁護士から聞かれます。 「僕が幼少のころ、向かいに小さい袋小路があって、その一番先端に朝鮮人がいたことは事実です。こら朝鮮、にんにく臭えとか、いじめられるんですよ。そのたびに、子どものころはけんかが強かったんで、止めに入ったんです。何も思い出さないんですが、僕が病院をやっているときに社会保険庁の監査がありました。ちっとも監査らしきことをしないんで変だなと思っていたら『箕輪さんの子どものときを思い出してください。向かい小路の雑品屋の娘を私の女房にしておりますが、何回か箕輪さんに助けられた話をいたしました。それで先生にお礼に今日来たんで、監査はこれで終わります』と、そう言って帰られたことがあるのは今でも思い出します」 (ウェブマガジン「カムイミンタナ」より) 箕輪氏には自らの出自に関するこんなバックボーンがあったのだ。コイズミ、アベ、アソウなどというヌクヌクと育った政治家三代目とは根っこが違う。それにしても、相変わらず支持率高いコイズミ、アベ。イシハラ都知事や苦労知らずのお坊ちゃまクンたちに支配されたがっている国民って……。 国会議員といえば、野党であれ、高邁な理想を掲げながらも晩節を汚す手合いが多いが、この箕輪氏のように、自民党タカ派として議員生活を送りながら、晩年は自らの信念に基づき、時の政府に「異議申し立て」をする熱血漢もいる。棺を覆うて評価が定まるというのならば、箕輪氏こそ、長く語り継がれるべき政治家だろう。 それが、夕刊の訃報ではわずか十数行のベタ記事扱い。まったく、この国のマスコミときたら……。 5月14日(日)晴れ 0900、躰道稽古。審査まであと1週間。ここ数日の睡眠不足と疲労の蓄積で、体を動かすのがおっくう。稽古をしていても体が重く感じる。 案の定、途中で突然左肩甲骨あたりに痛みが。「やってしまった……」と愕然。躰道が空手と違うのは、捻りの動きがあること。これが体に大きな負担となる。疲労の蓄積している体に、無理な負荷がかかるとてきめん、筋を痛めることになる。 その場で固まってしまったので、I内先生が慌てて駆け寄る。しばらく様子を見たが、筋を痛めたのは確実。仕方なく途中退場。 12.00、家に戻り、湿布をしてベッドに横になるも、体を動かすたびに激痛。そのまま18.00まで。 起きて夕食。21.30、再び就寝。 しかし、寝返りを打つことができず、背中の痛みの中、朝まで。なんという一日。 5月13日(土)雨 仕事を片付け有楽町へ。13.20、シネカノンで「青いうた」初日の2回目上映。初日だけにさぞや大勢の観客が詰め掛けているのだろうと思いきや、客席は十数人ほど。メディアで前宣伝をほとんど見かけないし……。 美しい自然に抱かれた故郷で精一杯に生きる弟良太と、金だけを信じ故郷を捨てて東京に向かう兄達也。そして地元で美容師を目指す達也の彼女恵梨香と東京に進学する俊介。中学卒業後それぞれの道に進んだ4人は、挫折を経験しながらも大人への階段を上り始める。(公式HPより) 題材的には面白い映画になったはずなのだが、微妙に焦点がズレているので、映画の力が拡散してしまった感がある。 中学を卒業してそれぞれ就職する一組のカップル……というのも今の時代ではリアリティーに乏しいし、達也と恵梨香が互いに魅かれ合うに至るプロセスがほとんどなく、即ラブホ行きの展開はあまりにもドライ過ぎ。 ただし、トライアングルの一角を担う落合扶樹の含羞のある清新な演技には好感。 2つの場面が交差しながら進む「パッチギ!」のラストシーン風の大詰めも、「木綿のハンカチーフ」で涙腺がドッと緩むはずなのに泣きのツボには至らずで、ウーン、これは監督の力量の違いとしか……。 18.00、阿佐ヶ谷。江戸竹でハマチ定食1000円。 古本店ギルドで新屋英子「演じつづけて 身世打鈴」700円。横山光輝「忍法十番勝負」500円。村野守美「草笛の季節」(文春)600円。 「身世打鈴」は劇作家&演出家、鶉野昭彦氏夫人であり、一人芝居「身世打鈴」を演じ続けている新屋英子の半生記。 「忍法ーー」は小学3年の頃に、「冒険王」で読んだものだが、第一番勝負、堀江卓の回は今でもハッキリ覚えている。ペストを運ぶネズミを斬った瞬間、その血が目に入り、自らの死を予感する忍者の愕然とした表情。買ってもらった「冒険王」を二階で読みふけっていて、下から晩御飯ができたと呼ぶ母の声が聞こえなかった。マンガの場面を見るとそんなことまで思い出す。 マンガ本など、毎月買ってもらえるわけではなかったから、二番勝負以降は飛び飛びで記憶している。七番勝負(作・白土三平)の回は犬を自在に操る忍者と鳥を操る忍者の対決という趣向で、これもよく覚えている。八番勝負(作・小沢さとる)、十番勝負(作・横山光輝)も。 人間の記憶は40年近くたっても案外鮮明なものだ。 「草笛の季節」は週刊漫画アクションに連載していた「草笛の頃」の続編だろう。オサムとタエの2人が奏でる早春の物語は懐かしく叙情的。特徴的なふきだしの中の擬音も新鮮だった。 19.00、ザムザの喫茶店へ。T取氏に、居合わせた林英樹氏を紹介される。20年以上前に「アジア劇場」を主宰していた林氏。その頃、よく見に行ったもので、林氏も私のことを記憶していたようだ。当時は「風の匂い」シリーズで叙情的な作品世界を展開していたが、今は「連合赤軍事件」を扱うなど、ハードな演劇現場にいるらしい。昔の主演女優の消息を聞くと、「結婚して今はタイに住んでいます」とのこと。 光文社のD井さん、イラストレーター・吉田光彦さんと客席へ。 開演前にシーザーが駆け込み。 19.20、ザムザ阿佐谷で月蝕歌劇団「龍馬は戦場へ行った」。 満州国の甘粕大尉から「国難」の際の切り札として選ばれた坂本龍馬。時空を超えて満州国にやってきた龍馬は、自分が見ることのなかった明治維新と、その結果による中国・韓国侵略の歴史を知ることになる。 明治以降、歴代の首相は薩摩・長州が独占してきた事実。龍馬をめぐる闇の勢力の暗闘。龍馬は果たしてその歴史にどう対処するのか……。 関が原の戦いの遺恨の結末が明治維新、そして明治維新の遺恨が次の革命へ……という高取史観の集大成。しかし、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、信長によって滅ぼされた鉄砲集団「才賀衆」が、反旗を翻し、朝鮮軍とともに戦ったという史実を引きながら、徳川に滅ぼされた集団と対立させ、「恨」の連鎖に言及する。ラストシーンをあいまいなままにしたのはこの「憎しみの連鎖」を意識したものだろう。 ラストシーンに流れる韓国歌謡がいい。後で聞いたら、すでに亡くなった歌手の歌で、ネットで注文したのだとか。 21.30、終演後、「あるぽらん」で飲み会。T取、D井、シーザー、林、そしてK談社のI井氏、N原氏、一ノ瀬、スギウラユカ。 23.10、終電に間に合わなくなるので家路に。 01.50帰宅。 毎日新聞「記者の目」で「小泉改革とは何だったのか」と題して伊藤智永・政治部記者がこう書いている。 「決断、単純化、そして号令−−それに応えた「私」たち」 5年前、小泉純一郎首相が自民党総裁に選ばれることが確実になった前夜、山崎拓前副総裁から聞いた小泉評は忘れがたい(もう時効と考え、山崎氏にはオフレコ解禁をお許しいただこう)。 「いいか、君たちびっくりするぞ。30年も国会議員やっているのに、彼は政策のことをほとんど知らん。驚くべき無知ですよ」 すぐにそれは証明された。記者会見や国会審議で、小泉首相は集団的自衛権とは何か理解していないことが露見したのだ。憲法を変えるの変えないのと迷走し、陰で家庭教師役の山崎氏は四苦八苦していた。 戦後日本の平和がよって立ってきた安全保障の基礎にまったく無関心だった小泉首相が、その3年後、自衛隊を初めて海外の戦地に派遣した。「不戦の誓い」を口にして毎年、靖国神社を参拝した。派遣の判断基準は「常識」、参拝の理由は「心の問題」と言い張って。私は5年たった今も、首相は集団的自衛権を説明できないのではと疑っている。これらが外交・安保における小泉改革だった。 内政の小泉改革も、郵政民営化を除きほとんどは最初の総裁選公約になかった。例えば1年目に好評を博した特殊法人の予算1兆円削減は、総裁選のライバルだった橋本龍太郎元首相の公約にあったのを、就任後ちゃっかり横取りした。指示に驚く自民党や財務省の幹部らに「(政策通の)ハシリュウが公約したんだからできるはずだ」と言ったそうだ。道路公団など7法人を重点に指名したのは「大きいから」だった。良くも悪くもひらめき型なのだ。 政策の大事な説明が、がっかりするほど薄っぺらい。でも、だから分かりやすい(本当は何も分からないのだが)。小泉首相が一貫して「政治を身近にしてくれた。政治に関心を持つようになった」という理由で支持されてきたのは、よく言われるメディア戦略より、政策を恐ろしく単純化した効果が大きかった。 その結果、何が起きたか。だれもが「道路公団民営化」を知っていて、大方は賛成する。でも、「改革」の本質である税金バラマキの「新直轄方式」についてはほとんど知らない。 後略。 「私は「権力と世論」が過度に寄りかかり合う関係は、政策のきめを粗くするような気がする。権力への支持と権力の監視は、視線の向きは似ていても異質のベクトルだ。「改革され、改革した私」は、小泉改革5年間の体験を通して、政治へのかかわり方を習熟させることができただろうか」 と、このコラムは結ぶのだが、コイズミの賞味期限が切れる今になって、「王様の正体は知っていた」と書くのもなぁ。もちろん、書けない記者やメディアがある中で、正直な記者ではあるのだろうけど、それではこの5年間、コイズミにやりたい放題やらせたマスコミの責任はどうなるのか。 権力を監視するのではなく、それに迎合し、国民をミスリードした責任は……。 5月12日(金)晴れ 明け方、また父の夢を見ていた。何度も言葉を交わす。おそらく寝しなに読んだトマス・H・クックの「蜘蛛の巣の中へ」の影響だろう。 余命いくばくもない父親の死を看取るために二十数年ぶりに故郷のさびれた炭鉱町に帰ってきた男。かつて自殺した弟が関わった事件の真相を調べるうちに、一生を不機嫌なまま過ごした父親の秘密を知ることとなる。蜘蛛の巣のような田舎の因習と血縁・地縁……。クックのミステリーを読むと、いつも不思議な既視感をおぼえる。まるで日本人のようなメンタリティー。 1900、北千住シアター1010で青年座「殺陣師段平」(鈴木完一郎演出)。初演の時は確か父の病状の関係で見逃したのだった。 新国劇の頭取(楽屋世話役)の市川段平は、元は歌舞伎の殺陣師だった。字も読めず女好きで酒びたりの段平は立ち廻りのことしか頭にない。新国劇の次の出し物に「国定忠治」が決まった。段平は世話になった澤田のために役に立ちたいと願うのだが、澤田は歌舞伎の型にはまった段平の殺陣を受け入れようとしない。段平には、澤田が確立を目指すリアリズム演技の理論が理解できずに悩み苦しむ。ある出来事をきっかけに段平は「国定忠治」の殺陣を任された。その「国定忠治」は大阪で大ヒットして念願の東京へ進出することになるのだが……。(青年座HP) いかにも鈴木完一郎らしい様式美に満ちた舞台。昨年、脳梗塞で入院し、再起が危ぶまれた津嘉山正種の復帰作であり、劇中の段平の生き方とも重なる。殺陣師の物語だけに、殺陣のシーンが丹念に描かれ、迫力満点。大詰め、中風で寝たきりの段平が、同じように中風で最期を迎える国定忠治の新しい殺陣を生み出すシーンまで、きっちりとした芝居構成。青年座の中でも存在感が突出した性格俳優である津嘉山正種。その復活に拍手。 観客は中高年層が大半。 21.30終演。「家に着くと11時過ぎるなぁ」と嘆息気味のサラリーマン。やはり北千住は遠いのか。 M氏、M谷内氏らに挨拶して家路に。地の利で22.00には帰宅。 5月11日(木)晴れ 1630、上野癒処でマッサージ。体の節々が痛むと思ったら、日曜の躰道稽古で体をひねった名残だった。かなりきつい稽古をしたのがたたったか。 19.00、神楽坂。シアターIWATOで黒テント「森の直前の夜」。ベルナール=マリ・コルテスのテキストに斎藤晴彦が挑戦。おびただしい言葉の奔流。しかし、夕食後に飲んだ花粉症カプセルの効き目もあってか、時折り意識が遠のいて、舞台に集中することできず。 客席に、白石冬美、林あまり、赤瀬川原平ら。赤瀬川氏は昨日の「幽閉者」で、謹厳な家父長を演じていた。 20.30終演。22.00帰宅。 机の上に固定資産税の納入通知書。 評価額が下落しているとはいっても、年間約10万円の固定資産税は痛い。まさに「忘れた頃にやってくる固定資産税」。 昨日は青森の実家の固定資産税を支払い。こちらはその十分の一程度の税額。 田んぼ10アール、畑32アール、土地130坪、建物23坪。40年前、父が「分家」したとき祖父から受け継いだ財産の一部。父は固辞したというが、息子を思う祖父はなんとしてでも、最小限の財産を父に渡したかったらしい。 父母のいない今、その田畑はもはや無用の長物といえるが、父の形見。子供の頃の思い出のある土地でもある。この先どうなるか分からないが、少なくとも自分が生きている間だけは、守らなければ……。 「土地だけは売らないで残してほしい」 それが父が亡くなる前によく口にしていた「遺言」だった。 5月10日(水)曇り 明け方、父の夢を見ていた。笑顔の父。昨日、田舎の叔父から電話あり、職人に頼んでおいた実家の屋根のペンキ塗りが終了したとのこと。そのことが夢に現われたのか。ペンキ塗りたての屋根。父も喜んでいるのかもしれない。作業代は10万円。 29日からHPの日記更新ができなくなっている。原因不明。考えられるのは29日にバージョンアップしたノートンのアンチウイルスソフト。それまでのバージョンが期限切れになるため、2006年版をオンラインでダウンロードしたのだが、システムに変更があったとしたら、それしかない。 最初は、ホームページビルダー、プロバイダーを疑ったが、もうこれはウイルスソフトしかない。 というわけで、10.00にノートンのカスタマーセンターに電話。で、ものの5分とかからず解決。やはり、ウイルス検知ソフトが、ホームページの転送を阻害していたのだ。 ここ数日の悪戦苦闘はなんだったのか。 外敵から身を守るためのソフトが、逆に身内を攻撃する。まるで旧日本軍だ。ソ連侵攻で慌てて自分たちだけ逃げ出し、民間人を見捨て、その結果、多くの残留孤児を生み出した関東軍。沖縄で国民を殺戮した日本軍。どこが最強精鋭の軍隊なのか。軍隊は国民を守らない。守るのは時の政府と要人、そして自分たちだけ。自衛隊とて同じ。これ以上、権力を持たせたら、軍人は暴走する。ウィニーウイルスで自衛隊の文民統制逸脱計画が外部流出したが、今の政治状況では、自衛隊のシビリアンコントロールのタガが外れる日もそう遠くない。 昨9日「日本原燃・ウラン濃縮工場(六ケ所六ヶ所村)をめぐり、市民団体「核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団」(77人、代表・浅石紘爾弁護士)が、国に事業許可の無効確認と取り消しを求めた行政訴訟の控訴審判決で、仙台高裁の大橋弘裁判長は九日、「安全審査に見逃せない誤りはない」として原告側敗訴となった一審判決を支持、控訴を棄却した」(東奥WEB) 原子力の平和利用が原発だというが、そこから生み出される核廃棄物にどうして国民が目をつぶることができるのか、いまだに私には理解できない。 高レベルの核廃棄物の半減期は数千年から数万年(あくまで半減期。毒性が消えるわけではない)。 その長期に渡る管理を人間が行えるはずがないではないか。3万年前、ホモサピエンスが誕生した時に、彼らが生み落とした廃棄物を、現代まで管理することが可能と考えるのと同じ。それも、平穏な状態で管理しなければならない。 戦争などもってのほか。 人類が核廃棄物を数万年も管理していけるのが現実的だと思う人こそ非現実的だ。3万年後に小惑星が衝突する前に、人類は自らが生み出した核廃棄物で死滅する。これだけは間違いない。 5月9日(火)晴れ 仕事を終えてお茶の水アテネフランセ文化センターへ直行。 16.30、ギリギリ滑り込みセーフ。足立正生監督の30数年ぶりの映画作品「幽閉者(テロリスト)」の完成試写。若い女性が席を空けてくれたので、PANTA氏の隣に座って見ることに。並びの席に足立監督。 主演は田口トモロヲ。NHKナレーションでメジャーになったといっても、田口のアングラ魂健在。過酷な難役を熱演している。 タイトル通り全編を通して描かれるのは、獄舎につながれた一人の男とその心象風景。男とは岡本公三。リッダ闘争、いわゆるテルアビブ空港乱射事件で、奥平剛士、安田安之とともに世界革命の礎となるため死をかけた武装闘争を決行。自爆し、「オリオンの三ツ星」となるはずだったが、手榴弾が不発。その後の人生の大半を異郷の獄舎で過ごすことになった「革命戦士」だ。 映画は、トイレでパスポートを破り、銃撃作戦を開始するリッダ闘争の場面から始まり、獄舎のシーンへと移行していく。 その中で行われる、目をそむけたくなるような過酷な拷問の数々は監督自身が獄につながれて体験を持つだけに異様な迫力がある。 食事と排泄を制限し、人間としてのプライドを粉々に踏みにじり、人格を破壊する拷問。中でも、昼夜を問わず、水滴を頭に垂らす水責めは、よく書物で見聞するが、実際に映画で見ると、あまりの凄惨さに、身震いするほど。どんな拷問よりも精神に与える衝撃は大きいというが、これでは彼の精神に「変調」が来るのは当然だ。 これらの拷問から見れば、映画「Vフォー」の中で行われた拷問など子供だましのようなもの。 しかし、田口トモロヲの演技はもはや演技を超越している。その表情の変貌はまるで、ドキュメンタリーを見ているよう。 男の妄想、幻想の中に現われる二人の男。ブランキ(?)とネチャーエフ(?)。それぞれPANTAと大久保鷹。PANTAのセリフ回しと演技。映画でもすでにここまで「俳優」になっていたのかと感心。ラストに流れる「ボイス」といい、この映画に欠かせない。 大友良英のノイズ音楽が全編に流れ、幽閉者の心象風景を表す。 人民を圧殺する狂気に立ち向かうにはそれを上回る狂気に……。 1時間53分。足立監督は「わかりやすい映画にした」と挨拶。たしかに難解ではない。エンターテインメント性もある。肉体は幽閉されても精神は幽閉されるべきではない。精神が幽閉されないためにはどうすればいいのか……。閉塞感の彼方に見える希望の光。 18.30、PANTAに挨拶して、新お茶の水駅へ急行。地下鉄で赤坂へ。ホームの売店で買ったバームクーヘンで空腹を満たす。電車が来るまでの1分間で。 18.58、シアカーVアカサカに滑り込み。コローレプロデュース「ハルちゃん」。ラサール石井の初期作品を田村孝裕が演出。 金銭のもつれから、同郷の風俗譲を彼女のアパートで刺したという若者。しかし、その証言には不自然なものが……。 アル中弁護士が事件の真実を明らかにしていく法廷推理人情劇。ラサールの原点ともいうべき作品。うまい。動機も不自然ではない。演じる役者も皆粒ぞろい。 弁護士にデビット伊東、元妻の検察官・松永玲子、裁判長・八十田勇一、裁判員・国分佐智子、コンビニ店員・星野園美、その夫・本間剛被疑者の母親・水野あや……。絶妙な配置。ゲストは清水よし子(ベテラン風俗譲役)。 21.00終演。制作の神野さんに挨拶して家路に。 5月8日(月)晴れ 連休明けの会社。いつもなら休みボケで、体調・気力最悪なのだが、GW中断があったし、「新企画」への取り組みを控えて、意気軒昂。A氏に名古屋学会の報告。 16.20、上野東急で「Vフォー・ヴェンデッタ」。開演1分過ぎに到着。ギリギリセーフ。 「第三次世界大戦」後のイギリスを舞台に、孤高のテロリスト“V”が国家に立ち向かう近未来サスペンス。アメリカでは対テロ戦争が拡大。世界はテロの恐怖から、強力なリーダーシップを求め、イギリスでも「議長」が全権を握り独裁国家となっていた。市民は絶えず盗聴され、夜間外出は制限。反国家的行動は秘密警察によって取締りを受けている。もちろん、マイノリティーや同性愛者はすべて強制収容所行き。 テレビ局で働くイヴィーはある日、外出禁止時間に外を歩いていたところを運悪く秘密警察に見つかってしまう。そこに現われたのが仮面の男「V」だ。 原作コミックは82年から85年にかけて連載されたものだが、映画は明らかに9・11以降のアメリカと、その同盟国イギリスを意識している。 仮面の顔は日本人にはちょっと違和感があるが、外国人が日本の般若や能面を見たときにやはり、同じような違和感を受けるのだろう。 1960年代の楳図かずおのマンガ「笑い仮面」もまた異形のヒーローであった。自説を曲げないため、軍部によって、一生取れない「笑い仮面」を付けられた科学者・式島博士の苦悩と闘い。「V」の元ネタはもしかしたら、「笑い仮面」かもしれない。しかし、「笑い仮面」は怖かった。「蛇少女」、「お母さんが怖い」……あの頃の楳図マンガはトラウマになっているのかも。 期待しただけに、そのマンガチックな映像にやや拍子抜け。しかし、「共謀罪」が国会審議されるような、ほとんど「全体主義」に移行し始めているニッポン。この映画が「警鐘」となるか? 19.00帰宅。 5月7日(日)晴れ 09.00〜11.00、躰道稽古。なんとか21日の審査までに「活命の法形」を間に合わせなければ……と汗みずくになって奮戦。今日は総会があるため、11.00で終了。11.00〜13.00、会議室で総会。夏季合宿の件、会費の件。 14.00帰宅。 昨日、名古屋の会場で買った清水義和氏の著書「寺山修司の劇的卓越」(人間社刊)。新幹線の中で一気に読み進んだが、大澤氏から聞いたとおり、これまでにない寺山修司本。天井桟敷の演劇を緻密に分析し、シェイクスピア、イプセン、ジロドゥ、ジュネ、ストリンドベリ、アルトーなど、古今の劇作家の演劇論を援用しながら寺山戯曲を読み解いていく。「劇評」の類はあったが、ここまで緻密に分析したのは初めてではないか。 中でも、わが意を得たりと合点したのが、「身毒丸」の分析。オリジナル版と「岸田理生による改作(+蜷川幸雄)版」を比較し、いかにして寺山修司の「身毒丸」が、蜷川幸雄演出によって、母子の近親相姦的メロドラマに矮小化されたかが検証されている。 「蜷川版」は、もともと「不連続」である寺山のオリジナル戯曲を間引きし、「書生、先生、怪人柳田國男博士、附録の消しゴム、間引き女」の段が省略され、仮面売りを進行役とする一つの物語として交通整理され、難解な寺山戯曲を平板なものとしたのだ、という。 「こうして、”身毒丸”は”書生と身毒丸””教師と継母”を同一人物にし、寺山の神話的多母多息子の思考を省いてしまった」 その結果、寺山演劇に特徴的な「中断」の思考、「ダブル」の思想が消え、平板な母子相姦のメロドラマになってしまった。 清水氏がオリジナルを見たのかどうかは知らないが、戯曲を比較分析しただけで、かくも的確な判断ができるとは、さすがに学者だ。 「商業演劇」として、「分かりやすく」、「演出しやすく」改変したのは、プロデューサー、作家、演出家の「共同謀議」だろう。そこに寺山修司不在の不幸がある。 私の最も好きな作品である寺山修司の「身毒丸」が、蜷川幸雄によって上演されたときに感じた違和感、空疎感は、個人的な嗜好の違いだけではなかったのだ。まったく別の「物語」を見ていたからだったのだ。 まさかそこまで構成や人物の改変がなされていたとは気付かなかった。 あの「蜷川版身毒丸」を「寺山修司の傑作」と言う人は泉下の寺山に恥じるべきだろう。 的確な批判を加えた清水義和氏に敬意と拍手。 5月6日(土)晴れ 連休の谷間の土曜日。閑散とした社内。 11.30、東京駅から名古屋へ。「こだま」に飛び乗り新横浜で「のぞみ」に乗り換え。13.15、名古屋着。金山駅13.25。市民会館へ急行し、第一会議室へ。 「国際寺山修司学会設立総会」。 第一部のトークショーは終盤に。司会は森崎偏陸氏。出席は九條今日子氏、萩原朔美氏、本島勲氏(αの会)。本島氏はCBC(中部日本放送)でラジオドラマの演出をしていた方。当時のラジオドラマの制作現場の思い出を語るも、当方には興味深い話だが、寺山修司に行き着かないまま時間だけが刻々と。 第二部は偏陸の「設立宣言」に続き、今回の主催者・清水義和氏の基調報告。 「シェークスピアも後世の批評家、実践者のたゆまぬ研究・努力がなければ、偉大な業績が後世に伝わらなかっただろう。寺山修司もシェークスピアに劣らぬ日本の劇作家・創造者として、後世に伝えてゆくべき作家である。寺山修司の業績を残すこと、それが研究者の務めである」と「寺山学会」設立趣意宣言。その声涙倶(とも)に下(くだ)る力強い宣言に、この方も本当に寺山修司が好きなんだなあ、と氏に好感を持つ。 休憩時間に、九條さんから清水氏を紹介される。 第三部は来賓挨拶。トップバッターは天野天街氏。生前、寺山と交流はなく、寺山本の装丁をしたこと、清水氏の本の序文を書いたこと、渋谷の寺山はつさんの家に泊まったことがあること……などが唯一の接点。天野・少年王者館ワールドは寺山的であり、本人に聞くと「よくそう言われるんですが……」とやや困惑しつつも、映画「田園に死す」を見たときのエピソードを披露。 「大ショックを受けた作品です。でも、雛壇が流れてくるところでいつも寝てしまった。長い長いシーンだと思っていたけど、今見ると短いんですね」 シャイな天野氏らしく、早口で寺山学会への賛同を。 「かつて一個の有機生命体であった寺山のこの世の残り香、そこから発芽したもの、または未来から来る残り香のようなものをキャッチして、(学会は)ぼやーんとしたものであり続けてほしい」 「ぼやーんとした」という言葉のニュアンスに天野氏らしい心根を感じる。 予定されていた北村想は欠席。 続く馬場駿吉氏(名古屋演劇ペンクラブ理事長)は寺山修司の俳句と短歌について。草田男、三鬼らの句の「援用」という寺山の句についての解説。いまさらではあるが……。ただし、寺山の「剽窃問題」については、当然ながら「剽窃のそしりを受けるいわれはない」と擁護。 最後に、「新発見」としいて、昭和39年の週刊サンケイに載った寺山の句「口開けて芝居見る母ーー(後で確認)」は全歌集の中の「口あけて 喜劇見る母 秋の蝶」を止揚したものであり、「口開けて虹見る煙突工の友よ」の類歌である、と。 北山長貴・東海女子大教授は「寺山修司とマザーグース」について。 谷川俊太郎訳との比較を通して、寺山修司の独自性を検証。 例えば、 「ジャック・スプラット あぶらがきらい そのおくさんはあかみがきらい だからごらんよ なかよくなめて ふたりのおさらは ぴかぴかきれい」(谷川訳) 「ジャック・スプラット あぶらがきらい 彼の奥さん 赤味がきらい 二人なかよく お皿をなめる だからきれいな お月さま!」(寺山訳) 最期の一節で「お皿」を「お月さま」に飛躍させる寺山訳の斬新はまさに詩人の魂。 「マフェットのおじょうさん じめんにすわって おやつをたべてた そこへおおきなくもがきて となりにすわりこんだので マフェットのおじょうさん びっくりぎょうてん いちもくさん」(谷川訳) 「かわいいマフェット 地べたにすわり おやつを食べてた ズィードル ビー そこへ出てきたみにくいくもが おやつをおくれよ ズィードル ビー それからどうした どうなった? だれも知らない ズィードル ビー」(寺山訳) この「意訳」というよりも「飛訳」こそ寺山の真骨頂。童謡のような谷川訳に比べて、お嬢さんの運命を不気味に予感させる「物語」の展開性。言葉の魔術師・寺山ならではの意訳だろう。 鈴木章能・大阪産業大助教授は「寺山修司とフォークナー、あるいはフォークナーの周辺」について。 マルケスはじめ現代ラテン・アメリカ文学に大きな影響を与えたフォークナーと寺山修司に接点はあったか。「結論からいえば、二人には直接的影響関係はなかった」と。 馬場景子・日本福祉大講師は「東北の食文化」について。今も愛知県の一部地域に残る「正月のとろろ飯」は東北が発祥の地であり、文化の伝播は発祥地から遠く離れた地域に残るという事例の典型であるとのこと。円谷幸吉の遺書にあった「三日とろろ」についても言及。しかし、東北の食文化と寺山修司がどのように結びつくのかは不明。 神谷厚徳・名城大講師は「寺山修司のドラマと音声学」。音声学の立場から、寺山の方言と戯曲にアプローチ。 約1時間、時間が押し、韓国ソウル大名誉教授・ヒュン・ボク・リー博士の講演。 演題は「日本語と英語から学ぶ言葉 音声と演劇」。英国女王から叙勲されたというクイーンズ・イングリッシュと日本語交じりの講演は、通訳なしなので、聞き取りにくいが、氏の寺山への敬愛ぶりは伝わってくる。 講演途中で「寺山修司に捧げる」として、自作の詩を英語で朗誦する。 「修司さん、あなたを愛しています。前衛芸術の大家。あなたの死後も、あなたは我らの心の中で永遠に輝いています」 15.30予定の第四部は16.30から。蘭妖子さんが「惜春鳥」ほか2曲、昭和精吾さんが「アメリカよ」の朗誦。19.00からライブハウス「涅槃」でライブがあるためか、やや押さえ気味の昭和さん。「アメリカよ」は無形文化財もの。 17.00終了。天野天街氏に「新・人間万才」の協力を依頼。 会場に来ていた桔梗さんらに挨拶。 17.15、朝、名古屋に着いて、昼食をとっていないという、笹目、偏陸、九條さんの4人で山本屋のうどんを食べに。途中、3人はホテルにチェックイン。 17.45、ホテルから徒歩5分のところにある山本屋総本店へ。味噌煮込みうどんを食べつつ歓談。 18.30、地下鉄で3人と別れ、新幹線で帰京。21.30帰宅。 慌しくも充実の一日。 5月5日(金)晴れ 12.30、会社に寄って仕事の整理。 13.30、新宿。全労斉ホール/スペースゼロで文学座「アラビアンナイト」(高瀬久男演出)。 休憩15分はさんで3時間。 最愛の妻に裏切られ、そのため、すべての女性を憎むことになり、一夜褥を共にすれば翌朝は妻を斬首してしまう王(早坂直家)。忠臣の娘・シャラザード(目黒美奈)は一計をもって王の妻になる。彼女の妹・ディナザード(山田里奈)に物語を聞かせることが習慣になっているため、明け方になると物語を始める。その荒唐無稽の物語の面白さに、王は一夜一夜と、シャラザードの処刑をのばし、そして千一夜が……。 生演奏とセットなしの素舞台。そこで役者たちが何役も演じながら紡ぎ出すステージの面白いこと。まさに演劇的。 物語は第一幕「アリバナと40人の盗賊」「ある乞食の物語」「船乗りシンドバッドの冒険」「アブ・ハサンが屁をした話」 第二幕「ものを食べない奥さんの話」「妹をねたんだ二人の姉」「終わりのない物語」 子供も見る芝居に3時間はやはり長すぎる。1幕最後のエピソードを刈り取ってコンパクトにしてもその面白さは伝わると思うのだが、海外翻訳ものだからその変更はできないのか。 1800帰宅。 5月4日(木)晴れ 08.30起床。戸締り火の用心ゴミ清掃を終えて、保養所を後に。 近所のハーブガーデンでバスケットボールごっこや子犬とのふれあい。おいしいハーブティーを飲んでから家路に。 高速の流れもスムーズに、1時間半で帰着。レンタカーがあるうちにと、家の不用品を貸し倉庫へ移動。 ボーッとしているうちに就寝時間。 5月3日(水)晴れ 昨日とは打って変わって青空が広がるGW日和。 08.30起床。朝食はコンビニのおにぎり。 10.00、銚子方面へドライブ。今回は犬吠崎の少し先まで足を伸ばす。そこで見つけたハーブガーデンが素晴らしい。 あとで聞いたら、なんでもテレビチャンピオンのガーデニングの優勝者だか入賞者だかが作ったハーブガーデンとか。なるほど、小さなスペースにうまくレイアウトしている。 1500、帰路に就くも、対向車線から押し寄せるバイクの騒音。数百台。いかにも暴走族風のバイクと4輪の群れ。どこかで集会でもあるのか。 16.00、白子の保養センターで砂風呂&温水プール。 19.00、いつもの寿司屋で夕食。水槽から上げた大きなヤリイカを調理してくれる。1ぱい3000円也。だが、田舎で食べるイカの刺身は甘みがあって醤油なしでもうまいが、このヤリイカの味はちょっと……。 ここ10数年、毎年来ている「幸寿司」。奥さんの背中におぶさっていた赤ん坊が大きくなって、店の手伝いをしているのを見ると、時間の流れを感じてしまう。 21.00、保養所へ帰還。 5月2日(火)雨 15.30、早めに仕事を終えて、上野・癒処でマッサージ。今日の担当者も実にツボを心得た施術。 「店舗によってはアルバイト学生を使っているところもありますから。ダメな場合は店に掛け合ったほうがいいですよ」と担当者。 17.10、帰宅。小雨の中、17.30、レンタカーで九十九里の保養所に出発。 ところが、三郷の分岐点で首都高に乗り間違え。一般道に下りてウロウロ。ここで時間をロスしてしまい、千葉に着いたのが21.00。 くたびれ果てて、24.00就寝。 5月1日(月)晴れ 連休モードのため、まるで土曜のような雰囲気。 18.30、俳優座劇場で「フロッグとトード」。日本でも人気の絵本を元にしたミュージカル。川平慈英、石丸謙二郎の2人を軸に、おかやまはじめ・高谷あゆみ、宮菜穂子らが脇を固める。演出は鈴木裕美。 パンフの文章はふりがな付き。子供向けミュージカルではあるが、大人も十分に楽しめる。というより、子供も楽しめる大人向けミュージカルといった方がいい。 ガマガエルとアオガエルの2人の四季を通した交流は、普通に見れば男の子同士の楽しい友情物語なのだが、どことなくホモセクシャルな匂いも……。 凧揚げのシーンで気がついたのだが、アメリカでは夏に凧揚げをする習慣があるのか? 凧揚げといえば、冬の風物詩である日本とは季節感が大きく異なる。そういえば、アメリカ凧は風がなくても揚がるような構造をしているし……。 休憩時間にM紙T橋さんとおしゃべり。寺山修司のことなど。 20.30終演。 |