徒然草
つれづれなるままに、日ぐらし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごと を、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。
いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御ありさまはさらなり、唯人も、舎人などたまはる際は、ゆゆしと見ゆ。その子、孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜し。法師ばかり羨しからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるるよ。」と、清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛にののしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖のいひけむやうに、名聞ぐるしく、佛の御教に違ふらむとぞ覺ゆる。ひたぶるの世すて人は、なかなかあらまほしき方もありなむ。人はかたち有樣の勝れたらむこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、詞多からぬこそ、飽かず對はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えむこそ、口をしかるべけれ。人品容貌こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、うつさば移らざらむ。かたち心ざまよき人も、才なくなりぬれば、人品くだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ。ありたきことは、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、また有職に公事のかた、人の鑑ならむこそいみじかるべけれ。手など拙からずはしりがき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。
2
いにしへの聖の御代の政 をも忘れ、民の憂へ、國のそこなはるる をも知らず、萬にきよら を盡して、いみじと思ひ、所狹きさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。「衣冠より馬車に至るまで、あるに隨ひてもちひよ。美麗 を求むることなかれ。」とぞ九條殿の遺誡にもはべる。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉物はおろそかなる をもてよしとす。」とこそ侍れ。
3
よろづにいみじくとも、色好まざらむ男は、いとさうざうしく、玉の巵の底なき心地ぞすべき。露霜にしほたれて、所さだめず惑ひ歩き、親のいさめ、世のそしり をつつむに、心のいとまなく、合ふさ離るさに思ひ亂れ、さるは獨り寢がちに、まどろむ夜なきこそ、をかしけれ。さりとて一向たはれたる方にはあらで、女にたやすからずおもはれむこそ、あらまほしかるべき業なれ。
4
後の世のこと心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。
5
不幸に憂へに沈める人の、頭おろしなど、ふつつかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。顯基中納言のいひけむ、「配所の月、罪なくて見む。」こと、さもおぼえぬべし。
6
我が身のやんごとなからむにも、まして數ならざらむにも、子といふもの無くてありなむ。前中書王、九條太政大臣、花園左大臣、皆族絶えむ事 を願ひ給へり。染殿大臣も子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なりとぞ、世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御墓 を、かねて築かせ給ひける時も、「ここ をきれ、かしこ を斷て。子孫あらせじと思ふなり。」と侍りけるとかや。
7
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ。命あるもの を見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕 を待ち、夏の蝉の春秋 を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年 を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず惜しとおもはば、千年 を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがた を待ちえて、何かはせむ。命長ければ恥おほし。長くとも四十に足らぬほどにて死なむこそ、目安かるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたち を愧づる心もなく、人にいでまじらはむ事 を思ひ、夕の日に子孫 を愛し、榮行く末 を見むまでの命 をあらまし、ひたすら世 を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなむあさましき。
8
世の人の心 を惑はすこと色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは假のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白き を見て、通 を失ひけむは、まことに手足膚などのきよらに、肥え膏づきたらむは、外の色ならねばさもあらむかし。
9
女は髪のめでたからむこそ、人のめだつべかめれ。人の程、心ばへなどは、物うち言ひたるけはひにこそ、物ごしにも知らるれ。事に觸れてうちあるさまにも、人の心 を惑はし、すべて女のうちとけたる、いもねず、身 を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶは、ただ色 を思ふがゆゑなり。まことに愛著の道、その根深く源遠し。六塵の樂欲多しといへども、皆厭離しつべし。その中に、ただかの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、變る所なしとぞ見ゆる。されば女の髪筋 を縒れる綱には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にて造れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞいひ傳へ侍る。自ら戒めて、恐るべく愼むべきはこの惑ひなり。
10
家居のつきづきしくあらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。よき人の長閑に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきららかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子透垣のたよりをかしく、うちある調度も、むかし覺えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。多くの工匠の、心 を盡して磨きたて、唐の日本の、珍しくえならぬ調度ども竝べおき、前栽の草木まで、心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは存へ住むべき、また時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るよりも思はるる。大かたは、家居にこそ事ざまは推しはからるれ。後徳大寺の大臣の、寢殿に鳶ゐさせじとて繩 を張られたりける を、西行が見て、「鳶の居たらむ何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ。」とて、その後は參らざりけると聞き侍るに、綾小路の宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや繩 を引かれたりしかば、彼のためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏のむれゐて池の蛙 をとりければ、御覽じ悲しませ給ひてなむ。」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。後徳大寺にも、いかなるゆゑか侍りけむ。
11
神無月の頃、栗栖野といふ所 を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道 をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるる筧の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはり を嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覺えしか。
12
同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も世のはかなき事も、うらなくいひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらむと向ひ居たらむは、ひとりある心地やせむ。互にいはむほどのことをば、げにと聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらむ人こそ、「我は然やは思ふ。」など爭ひにくみ、「さるからさぞ。」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
13
ひとり燈火のもとに文 をひろげて、見ぬ世の人 を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる卷卷、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この國の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。
14
和歌こそなほをかしきものなれ。あやしの賤山がつの所作も、いひ出づれば面白く、恐ろしき猪も、臥猪の床といへばやさしくなりぬ。この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に哀れにけしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに。」といへるは、古今集の中の歌屑とかやいひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがたことば、この類のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、「ものとはなしに。」とぞ書ける。新古今には、「のこる松さへ峯にさびしき。」といへる歌 をぞいふなるは、誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じおほせ下されけるよし、家長が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや、今もよみあへる、同じことば歌枕も、むかしの人のよめるは、更におなじものにあらず。やすくすなほにして、すがたも清げに、あはれも深く見ゆ、梁塵秘抄の郢曲のことばこそ、またあはれなる事はおほかめれ。むかしの人は、いかにいひ捨てたる言種も、皆いみじく聞ゆるにや。
15
いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、ここかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。
16
神樂こそなまめかしく面白けれ。大かた物の音には笛篳篥、常に聞きたきは琵琶和琴。
17
山寺にかきこもりて、佛に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りもきよまる心地すれ。
18
人はおのれ をつづまやかにし、驕り を退けて財 を有たず、世 を貪らざらむぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。唐土に許由といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水 をも手してささげて飮みける を見て、なりひさごといふ物 を、人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りける を、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心の中すずしかりけむ。孫晨は冬の月に衾なくて、藁一束ありける を、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これ をいみじと思へばこそ、しるしとどめて世にも傳へけめ。これらの人は語りも傳ふべからず。
19
折節のうつり變るこそ、物毎に哀れなれ。物の哀れは秋こそまされと、人毎にいふめれど、それも然るものにて、今一きは心もうきたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう氣色だつほどこそあれ、をりしも雨風うちつづきて、心あわただしく散りすぎぬ。青葉になりゆくまで、萬に唯心 をのみぞなやます。花橘は名にこそおへれ、なほ梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるる。山吹のきよげに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて思ひすて難きことおほし。
灌佛のころ、祭のころ、若葉の梢すずしげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも人の戀しさもまされと、人のおほせられしこそ、實にさるものなれ。五月、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鷄のたたくなど、心ぼそからぬかは。六月の頃あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。いひつづくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かいやり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとどまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとり重ねて、催し行はるる樣ぞいみじきや。追儺より四方拜につづくこそおもしろけれ。晦日の夜いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらむ、ことごとしくののしりて、足 を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無き を、東の方には猶することにてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。
20
某とかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、ただ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。
21
萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ。」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ。」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらむ。月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るる水のけしきこそ、時 をもわかずめでたけれ。「沅湘日夜東に流れ去る、愁人の爲にとどまること少時もせず。」といへる詩 を見侍りしこそあはれなりしか。嵆康も、「山澤にあそびて魚鳥 を見れば心樂しぶ。」といへり。人遠く水草きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。
22
何事も古き世のみぞ慕はしき。今樣は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひし を、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮の「人數だて。」といふべき を、「立明し白くせよ。」といひ、最勝講の御聽聞所なるをば、「御講の廬。」とこそいふべき を、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
23
衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。露臺、朝餉、何殿、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ。」といふこそいみじけれ。夜の御殿のをば、「掻燈疾うよ。」などいふ、まためでたし。上卿の、陣にて事行へる樣は更なり、諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。さばかり寒き終夜、此處彼處に睡り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり。」とぞ、徳大寺の太政大臣は仰せられける。
24
齋宮の野の宮におはします有樣こそ、やさしく面白き事の限りとは覺えしか。經佛など忌みて、中子、染紙などいふなるもをかし。すべて神の社こそ、捨て難くなまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もただならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿かけたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松尾、梅宮。
25
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり事去り、樂しび悲しび行きかひて、花やかなりし邊も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李物いはねば、誰と共にか昔 を語らむ。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。京極殿、法成寺など見るこそ、志留まり、事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてむや。大門金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法花堂などもいまだ侍るめり。これも亦いつまでかあらむ。かばかりの名殘だになき所所は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。されば萬に見ざらむ世まで を思ひ掟てむこそ、はかなかるべけれ。
26
風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月 をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。されば白き絲の染まむ事 を悲しび、道の衢のわかれむ事 を歎く人もありけむかし。堀河院の百首の歌の中に、
むかし見し妹が垣根は荒れにけり茅花まじりの菫のみして
さびしきけしき、さること侍りけむ。
27
御國ゆづりの節會行はれて、劒、璽、内侍所わたし奉らるるほどこそ、かぎりなう心ぼそけれ。新院のおりゐさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや。
殿守の伴のみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞ寂しげなる。かかるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。
28
諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。倚廬の御所のさまなど、板敷 をさげ、葦の御簾 をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の裝束、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゆしき。
29
靜かに思へば、よろづ過ぎにしかたの戀しさのみぞせむ方なき。人しづまりて後、永き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、殘し置かじと思ふ反古など破りすつる中に、なき人の、手習ひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、ただその折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いとかなし。
30
人の亡き跡ばかり悲しきはなし。中陰の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわただし。日數の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日はいと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。しかじかの事はあなかしこ、跡のため忌むなる事ぞなどいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。年月經てもつゆ忘るるにはあらねど、「去るものは日日に疎し。」といへる事なれば、さはいへど、その際ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸はけうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ。そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末末は、あはれとやは思ふ。さるは跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名 をだに知らず、年年の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべき を、はては嵐にむせびし松も、千年 を待たで薪にくだかれ、ふるき墳はすかれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。
31
雪の面白う降りたりし朝、人の許いふべき事ありて、文 をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかが見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひがひがしからむ人の仰せらるる事、聞き入るべきかは、かへすべす口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。
32
九月二十日の頃、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひしめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いと物あはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸 を今少しおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らむ。かやうの事は、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人程なく亡せにけりと聞き侍りし。
33
今の内裏つくりいだされて、有職の人人に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院御覽じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく縁もなくてぞありし。」と仰せられける、いみじかりけり。これは葉の入りて、木にて縁 をしたりければ、誤りにて直されにけり。
34
甲香は、ほら貝の樣なるが、小さくて、口の程の細長にして出でたる貝の蓋なり。武藏の國金澤といふ浦にありし を、所の者は「へなたり。」と申し侍るとぞいひし。
35
手の惡き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。
36
久しく訪れぬ頃、いかばかり恨むらむと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、「仕丁やある、一人。」なんどいひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。「さる心ざましたる人ぞよき。」と、人の申し侍りし、さもあるべきことなり。
37
朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時に、我に心 をおき、ひきつくろへる樣に見ゆるこそ、今更かくやはなどいふ人もありぬべけれど、猶げにげにしくよき人かなとぞ覺ゆる。疎き人のうちとけたる事などいひたる、またよしと思ひつきぬべし。
38
名利に使はれて靜かなる暇なく、一生 を苦しむるこそ愚かなれ。財多ければ身 を守るにまどし。害 を買ひ煩ひ を招く媒なり。身の後には金 をして北斗 を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目 を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらむ人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。埋もれぬ名 をながき世に殘さむこそあらまほしかるべけれ。位高くやんごとなき をしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕り を極むるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に高き官位 を望むも、次におろかなり。智惠と心とこそ、世に勝れたる譽も殘さまほしき を、つらつら思へば、譽 を愛するは人の聞き を喜ぶなり。譽むる人、毀る人、共に世に留まらず、傳へ聞かむ人またまた速かに去るべし。誰 をか恥ぢ、誰にか知られむこと を願はむ。譽はまた毀のもとなり。身の後の名殘りて更に益なし。これ を願ふも次に愚かなり。ただし強ひて智 をもとめ、賢 をねがふ人の爲にいはば、智惠出でては僞あり、才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは、まことの智にあらず。いかなる をか智といふべき。可不可は一條なり。いかなる をか善といふ。まことの人は、智もなく徳もなく、功もなく名もなし。誰か知り誰か傳へむ。これ徳 をかくし愚 を守るにあらず、もとより賢愚得失のさかひに居らざればなり。まよひの心 をもちて名利の要 を求むるに、かくの如し。萬事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。
39
ある人法然上人に、「念佛の時睡りに犯されて行 を怠り侍る事、如何して此の障り をやめ侍らむ。」と申しければ、「目の覺めたらむ程念佛し給へ。」と答へられたりける、いと尊かりけり。又、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり。」といはれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも念佛すれば往生す。」ともいはれけり。是も亦尊し。
40
因幡の國に、何の入道とかやいふものの女、かたちよしと聞きて、人數多いひわたりけれども、この女ただ栗 をのみ食ひて、更に米のたぐひ を食はざりければ、「かかる異樣のもの、人に見ゆべきにあらず。」とて親ゆるさざりけり。
41
五月五日賀茂の競馬 を見侍りしに、車の前に雜人たち隔てて見えざりしかば、各おりて埒の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。かかる折に、向ひなる楝の木に、法師の登りて、木の股についゐて物見るあり。取りつきながら、いたう眠りて、堕ちぬべき時に目 を覺す事度度なり。これ を見る人嘲りあさみて、「世のしれものかな。かく危き枝の上にて安き心ありて眠るらむよ。」といふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死の到來唯今にもやあらむ。これ を忘れて物見て日 を暮す、愚かなる事は猶まさりたるもの を。」といひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候。」といひて、皆後 を見返りて、「ここへいらせ給へ。」とて、所 をさりて呼び入れはべりにき。かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて物に感ずる事なきにあらず。
42
唐橋の中將といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。氣のあがる病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、煩はしくなりて、目眉額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、物も見えず、二の舞の面の樣に見えけるが、ただ恐ろしく鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額の程鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠り居て、年久しくありて、猶煩はしくなりて死ににけり。かかる病もある事にこそありけれ。
43
春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く木立ものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたき を、さし入りて見れば、南面の格子 を皆下して、さびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書 をくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。
44
怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つややかなる狩衣に濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、ささやかなる童一人 を具して、遙かなる田の中の細道 を、稻葉の露にそぼちつつ分け行くほど、笛 をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつつ行けば、笛 を吹きやみて、山の際に總門のあるうちに入りぬ。榻にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しかじかの宮のおはします頃にて、御佛事などさぶらふにや。」といふ。御堂の方に法師ども參りたり。夜寒の風にさそはれくる空薫物の匂ひも、身にしむ心地す。寢殿より御堂の廊にかよふ女房の、追風用意など、人目なき山里ともいはず心づかひしたり。心のままにしげれる秋の野らは、おきあまる露にうづもれて、蟲の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは、雲のゆききも早き心地して、月の晴れ曇ること定めがたし。
45
公世の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき人なりけり。坊の傍に大きなる榎ありければ、人、「榎の僧正」とぞいひける。この名然るべからずとて、かの木 を切られにけり。その根のありければ、「切杭の僧正」といひけり。愈腹立ちて、切杭 を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞいひける。
46
柳原の邊に、強盜法印と號する僧ありけり。度度強盜にあひたる故に、この名 をつけにけるとぞ。
47
ある人清水へまゐりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔嚔」といひもて行きたれば、「尼御前何事 をかくは宣ふぞ。」と問ひけれども、答へもせず、猶いひ止まざりける を、度度とはれて、うち腹だちて、「やや、嚔ひたる時、かく呪はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、ただ今もや嚔ひ給はむと思へば、かく申すぞかし。」といひけり。あり難き志なりけむかし。
48
光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひける を、御前へ召されて、供御 をいだされて食はせられけり。もの食ひ散らしたる衝重 を、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。女房、「あな汚な。誰に取れとてか。」など申しあはれければ、「有職のふるまひ、やんごとなき事なり。」とかへすべす感ぜさせ給ひけるとぞ。
49
老來りて始めて道 を行ぜむと待つ事勿れ。古き墳多くはこれ少年の人なり。はからざるに病 をうけて、忽ちにこの世 を去らむとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方のあやまれる事は知らるれ。あやまりといふは他の事にあらず、速かにすべき事 をゆるくし、ゆるくすべきこと を急ぎて過ぎにしことのくやしきなり。その時悔ゆとも甲斐あらむや。人はただ無常の身に迫りぬる事 を心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。さらばなどか此の世の濁りもうすく、佛道 を勤むる心もまめやかならざらむ。昔ありける聖は、人のきたりて自他の要事 をいふとき、答へていはく、「今火急の事ありて、既に朝夕にせまれり。」とて、耳 をふたぎて念佛して、終に往生 を遂げたりと、禪林の十因にはべり。心戒といひける聖は、餘りにこの世のかりそめなること を思ひて、靜かについゐける事だになく、常はうづくまりてのみぞありける。
50
應長のころ、伊勢の國より、女の鬼になりたる を率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに京白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に參りたりし、今日は院へまゐるべし。ただ今はそこそこに。」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言といふ人もなし。上下ただ鬼の事のみいひやまず。その頃東山より、安居院の邊へまかり侍りしに、四條より上ざまの人、みな北 をさして走る。「一條室町に鬼あり。」とののしりあへり、今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざんめりとて、人 をやりて見するに、大方あへるものなし。暮るるまでかく立ちさわぎて、はては鬭諍おこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りし をぞ、「かの鬼の虚言は、この兆 を示すなりけり。」といふ人も侍りし。
51
龜山殿の御池に、大井川の水 をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車 を作らせられけり。多くの錢 を賜ひて、數日に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人 を召してこしらへさせられければ、やすらかに結ひて參らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水 を汲み入るる事めでたかりけり。萬にその道 を知れるものは、やんごとなきものなり。
52
仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水 を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、ただ一人かちより詣でけり。極樂寺、高良など を拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞいひける。すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。
53
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘とて、各遊ぶことありけるに、醉ひて興に入るあまり、傍なる足鼎 をとりて頭にかづきたれば、つまるやうにする を、鼻 をおしひらめて、顔 をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかがはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり缺けて血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、うち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、叶はで、すべき樣なくて、三足なる角の上に帷子 をうちかけて、手 をひき杖 をつかせて、京なる醫師の許率て行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。醫師の許にさし入りて、むかひ居たりけむ有樣、さこそ異樣なりけめ。物 をいふも、くぐもり聲に響きて聞えず。かかる事は書にも見えず、傳へたる教へもなしといへば、また仁和寺へかへりて、親しきもの、老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむとも覺えず。かかる程に、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ、ただ力 をたてて引き給へ。」とて、藁の蒂 をまはりにさし入れて、金 を隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげながら、拔けにけり。からき命まうけて、久しく病み居たりけり。
54
御室にいみじき兒のありける を、いかで誘ひ出して遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなど語らひて、風流の破籠やうのもの、ねんごろに營み出でて、箱風情のものに認め入れて、雙の岡の便りよき所にうづみおきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へまゐりて、兒 をそそのかし出でにけり。うれしく思ひて、ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔の筵に竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉 を燒かむ人もがな。しるしあらむ僧たち、いのり試みられよ。」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、數珠おしすり、印ことごとしく結びいでなどして、いらなくふるまひて、木の葉 をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山 をあされども無かりけり。埋みける を人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師ども言の葉なくて、聞きにくくいさかひ腹だちて歸りにけり。あまりに興あらむとすることは、必ずあいなきものなり。
55
家のつくりやうは夏 をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は堪へがたきことなり。深き水は涼しげなし、淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるもの を見るに、遣戸は蔀の間よりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈くらし。造作は用なき所 をつくりたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよし。」とぞ、人のさだめあひ侍りし。
56
久しく隔たりて逢ひたる人の、わが方にありつる事、數數に殘りなく語り續くるこそあいなけれ。へだてなく馴れぬる人も、ほどへて見るは恥しからぬかは。次ざまの人は、あからさまに立ち出でても、興ありつることとて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物がたりするは、人あまたあれど、一人に向きていふ を、自ら人も聽くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく數多の中にうち出でて、見る事のやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる、いとらうがはし。をかしき事 をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事 をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。人の見ざまのよしあし、才ある人はその事など定めあへるに、おのが身にひきかけていひ出でたる、いとわびし。
57
人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。すこしその道知らむ人は、いみじと思ひては語らじ。すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく聞きにくし。
58
「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世 を願はむに難かるべきかは。」といふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世 をはかなみ、必ず生死 を出でむと思はむに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家 を顧る營みの勇ましからむ。心は縁にひかれて移るものなれば、靜かならでは、道は行じがたし。その器昔の人に及ばず、山林に入りても、飢 をたすけ、嵐 を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世 を貪るに似たる事も、便りに觸れば、などか無からむ、さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし。」なんどいはむは無下の事なり。さすがに一たび道に入りて、世 をいとなむ人、たとひ望みありとも、勢ひある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羮、いくばくか人の費 をなさむ。もとむる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、惡にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。人と生れたらむしるしには、いかにもして世 を遁れむ事こそあらまほしけれ。偏に貪ること をつとめて、菩提に赴かざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。
59
大事 を思ひたたむ人は、さり難き心にかからむ事の本意 を遂げずして、さながら捨つべきなり。しばしこの事果てて、おなじくば彼の事沙汰しおきて、しかじかの事人の嘲りやあらむ、行末難なく認め設けて、年ごろもあればこそあれ、その事待たむ程あらじ、物さわがしからぬやうになど思はむには、え去らぬ事のみいとど重なりて、事の盡くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう人 を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。近き火などに逃ぐる人は、「しばし。」とやいふ。身 を助けむとすれば、恥 をも顧みず、財 をも捨てて遁れ去るぞかし。命は人 を待つものかは。無常の來ることは、水火の攻むるよりも速かに、遁れがたきもの を、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらむや。
60
眞乘院に、盛親僧都とてやんごとなき智者ありけり。芋頭といふもの を好みて多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつつ、食ひながら書 をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日二七日など療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭 をえらびて、ことに多く食ひて、萬の病 をいやしけり。人に食はすることなし、ただ一人のみぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠死にざまに錢二百貫と坊ひとつ を讓りたりける を、坊 を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋 を芋頭の錢と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づづ取りよせて、芋頭 を乏しからずめしけるほどに、また他用に用ふる事なくて、その錢皆になりにけり。「三百貫のもの を貧しき身にまうけて、かく計らひける、誠にあり難き道心者なり。」とぞ人申しける。この僧都、ある法師 を見て、しろうるりといふ名 をつけたりけり。「とは何ものぞ。」と人の問ひければ、「さるもの を我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てむ。」とぞいひける。この僧都、みめよく、力つよく、大食にて、能書、學匠、辯説人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世 を輕く思ひたる曲者にて、よろづ自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前すゑわたす を待たず、我が前にすゑぬれば、やがて獨りうち食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。斎・非時も人にひとしく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて、ねぶたければ晝もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば、幾夜もいねず。心 をすまして嘯き歩きなど、世の常ならぬさまなれども、人にいとはれず、よろづ許されけり。徳のいたれりけるにや。
61
御産の時、甑落す事は、定まれることにはあらず。御胞衣滯る時の呪なり。滯らせ給はねばこの事なし。下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑 をめすなり。ふるき寳藏の繪に、賤しき人の子産みたる所に、甑おとしたる を書きたり。
62
延政門院幼くおはしましける時、院へ參る人に、御ことづてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字牛の角文字直な文字ゆがみもじとぞ君はおぼゆる
こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。
63
後七日の阿闍梨、武者 を集むる事、いつとかや盜人に逢ひにけるより、宿直人とてかくことごとしくなりにけり。一とせの相は、この修中に有樣にこそ見ゆなれば、兵 を用ひむこと穩かならぬ事なり。
64
「車の五緒は必ず人によらず、ほどにつけて極むる官位に至りぬれば乘るものなり。」とぞ、ある人おほせられし。
65
「このごろの冠は、昔よりは遙かに高くなりたるなり。」とぞ、ある人おほせられし。古代の冠桶 を持ちたる人は、端 をつぎて今は用ふるなり。
66
岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙 をそへて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず。」と申しければ、膳部にたづねられ、人人に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば汝が思はむやうにつけて參らせよ。」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つ をつけてまゐらせけり。武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるにつく。五葉などにも著く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、かへし刀五分に切る、枝のなかばに鳥 をつく。著くる枝踏まする枝あり。しじら藤の割らぬにて二所つくべし。藤のさきは、火うち羽のたけに比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし。初雪のあした、枝 を肩にかけて、中門より振舞ひてまゐる。大砌の石 を傳ひて、雪に跡 をつけず、雨覆ひの毛 を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄によせかく。祿 をいださるれば、肩にかけて拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪にはまゐらず。雨覆ひの毛 を散らすことは、鷹は弱腰 を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし。」と申しき。花に鳥つけずとは、いかなる故にかありけむ。長月ばかりに、梅のつくり枝に雉 をつけて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ。」といへること、伊勢物語に見えたり。作り花は苦しからぬにや。
67
賀茂の岩本、橋本は、業平、實方なり。人の常にいひ紛へ侍れば、一とせ參りたりしに、老いたる宮司の過ぎし を、呼びとどめて尋ね侍りしに、「實方は御手洗に影のうつりける所と侍れば、橋本やなほ水の近ければと覺えはべる。吉水の和尚、
月 をめで花 をながめし古のやさしき人はここにあり原
と詠みたまひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なかなか御存じなどもこそさぶらはめ。」と、いと忝しくいひたりしこそ、いみじく覺えしか。
今出川の院の近衞とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌 を詠みて、かの二つの社の御前に、水にて書きて手向けられけり。誠にやんごとなき譽ありて、人の口にある歌おほし。作文詩序などいみじく書く人なり。
68
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根 を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづづ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館のうちに人もなかりける隙 をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内につはもの二人出できて、命 を惜しまず戰ひて、皆追ひかへしてけり。いと不思議におぼえて、「日頃ここにものし給ふとも、見ぬ人人のかく戰ひしたまふは、いかなる人ぞ。」と問ひければ、「年來たのみて、あさなさなめしつる土大根らに候。」といひて失せにけり。深く信 を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。
69
書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻 を焚きて豆 を煑ける音の、つぶつぶと鳴る を聞きたまひければ、「疎からぬ己等しも、うらめしく我をば煑て、辛き目 を見するものかな。」といひけり。焚かるる豆がらのはらはらと鳴る音は、「わが心よりする事かは。燒かるるはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ。」とぞ聞えける。
70
玄應の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣、牧馬 を彈じ給ひけるに、座につきてまづ柱 をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。御ふところに續飯 をもち給ひたるにて付けられにければ、神供の參るほどに、よく干て事故なかりけり。いかなる意趣かありけむ、物見ける衣被の、よりて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
71
名 を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地する を、見る時は、又かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。昔物語 を聞きても、この頃の人の家のそこ程にてぞありけむと覺え、人も今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかく覺ゆるにや。またいかなる折ぞ、ただ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かかる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
72
賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石草木のおほき、家のうちに子孫のおほき、人にあひて詞のおほき、願文に作善おほく書き載せたる。おほくて見苦しからぬは、文車の文、塵塚のちり。
73
世にかたり傳ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて、人はもの をいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道道のものの上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も變るものなり。かつ顯はるるも顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も實しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程 をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく、所所うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つまづま合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが爲面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとど定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事 を語らず。かくはいへど、佛神の奇特、權者の傳記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言 を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は眞しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
74
蟻の如くに集りて、東西にいそぎ南北に走る。貴きあり、賎しきあり、老いたるあり、若きあり、行く所あり、歸る家あり、夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生 を貪り利 を求めてやむ時なし。身 を養ひて何事 をか待つ、期するところただ老と死とにあり。その來る事速かにして、念念の間に留まらず。これ を待つ間、何の樂しみかあらむ。惑へるものはこれ を恐れず。名利に溺れて、先途の近きこと を顧みねばなり。愚かなる人はまたこれ をかなしぶ。常住ならむこと を思ひて、變化の理 を知らねばなり。
75
つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るる方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に醉へり、醉の中に夢 をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道 を知らずとも、縁 を離れて身 を閑にし、事に與らずして心 を安くせむこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活、人事、技能、學問等の諸縁 をやめよ。」とこそ、摩訶止觀にもはべれ。
76
世のおぼえ花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く往きとぶらふ中に、聖法師の交りて、いひ入れ佇みたるこそ、さらずともと見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。
77
世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに言ひあへること、いろふべきにはあらぬ人の、能く案内知りて、人にもかたり聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね。殊にかたほとりなる聖法師などぞ、世の人の上はわが如く尋ね聞き、如何でかばかりは知りけむと覺ゆるまでぞ言ひ散らすめる。
78
今樣の事どもの珍しき を、いひ廣めもてなすこそ、又うけられね。世に事ふりたるまで知らぬ人は心にくし。今更の人などのある時、ここもとに言ひつけたる言種、物の名など心得たるどち、片端言ひかはし、目見合はせ笑ひなどして、心しらぬ人に心得ず思はすること、世なれずよからぬ人の必ずあることなり。
79
何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやはいふ。片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば世に恥しき方もあれど、自らもいみじと思へる氣色、かたくななり。よく辨へたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。
80
人ごとに、我が身にうとき事 をのみぞ好める。法師は兵の道 をたて、夷は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色し、連歌し、管絃 を嗜みあへり。されどおろかなる己が道より、なほ人に思ひあなづられぬべし。法師のみにもあらず、上達部、殿上人、上ざままで、おしなべて武 を好む人多かり。百たび戰ひて百たび勝つとも、いまだ武勇の名 を定めがたし。その故は運に乘じて敵 をくだく時、勇者にあらずといふ人なし。兵盡き矢きはまりて、遂に敵に降らず、死 を安くして後、はじめて名 を顯はすべき道なり。生けらむほどは武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獸に近きふるまひ、その家にあらずば、好みて益なきことなり。
81
屏風障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人の拙く覺ゆるなり。大かた持てる調度にても、心おとりせらるる事はありぬべし。さのみよき物 を持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまに爲なし、珍しからむとて、用なき事どもしそへ、煩はしく好みなせる をいふなり。古めかしきやうにて、いたくことごとしからず、費もなくて、物がらのよきがよきなり。
82
「羅の表紙は、疾く損ずるが侘しき。」と人のいひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ。」と申し侍りしこそ、心勝りて覺えしか。一部とある草紙などの、同じ樣にもあらぬ を、醜しといへど、弘融僧都が、「物 を必ず一具に整へむとするは拙き者のする事なり。不具なるこそよけれ。」といひしも、いみじく覺えしなり。總て何も皆事整ほりたるはあしき事なり。爲殘したる を、さてうちおきたるは、面白く、生き延ぶる事なり。「内裏造らるるにも、必ず造りはてぬ所 を殘す事なり。」と、ある人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の闕けたる事のみこそ侍れ。
83
竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はむに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上にてやみなむ。」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事 を甘心し給ひて、相國の望みおはせざりけり。亢龍の悔いありとかやいふ事侍るなり。滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。萬の事さきの詰りたるは、破れに近き道なり。
84
法顯三藏の天竺に渡りて、故郷の扇 を見ては悲しび、病に臥しては漢の食 を願ひ給ひける事 を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き氣色 を、人の國にて見え給ひけれ。」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな。」といひたりしこそ、法師の樣にもあらず、心にくく覺えしか。
85
人の心すなほならねば、僞りなきにしもあらず、されど自ら正直の人などかなからむ。己すなほならねど、人の賢 を見て羨むは世の常なり。いたりて愚かなる人は、たまたま賢なる人 を見てこれ を憎む。「大きなる利 を得むが爲に少しきの利 を受けず、僞り飾りて名 を立てむとす。」と謗る。おのれが心に違へるによりて、この嘲り をなすにて知りぬ。この人は下愚の性うつるべからず、僞りて小利 をも辭すべからず。假にも愚 をまなぶべからず。狂人のまねとて大路 を走らば、則ち狂人なり。惡人のまねとて人 を殺さば、惡人なり。驥 を學ぶは驥のたぐひ、舜 を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢 をまなばむ を賢といふべし。
86
惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ。」といはれけり。いみじき秀句なりけり。
87
下部に酒のまする事は心すべき事なり。宇治に住みける男、京に具覺坊とてなまめきたる遁世の僧 を、小舅なりければ、常に申し睦びけり。ある時迎へに馬 を遣したりければ、「遥かなる程なり、口つきの男に、まづ一度せさせよ。」と酒 を出したれば、さしうけさしうけよよと飮みぬ。太刀うち佩きてかひがひしげなれば、頼もしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡の程にて、奈良法師の、兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ち對ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。とまり候へ。」といひて、太刀 をひき拔きければ、人も皆太刀ぬき矢矧げなどしける を、具覺坊手 をすりて、「現心なく醉ひたるものに候ふ。枉げて許し給はらむ。」といひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず。高名つかまつらむとする を、拔ける太刀空しくなし給ひつること。」と怒りて、ひたぎりに斬り落しつ。さて、「山賊あり。」とののしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山賊よ。」といひて走りかかりつつ斬り廻りける を、あまたして手負はせ、うち伏せてしばりけり。馬は血つきて宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、男ども數多走らかしたれば、具覺坊は梔原にによび伏したる を、求め出でて、舁きもて來つ。からき命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはになりにけり。
88
あるもの小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりける を、ある人、「御相傳浮けることには侍らじなれども、四條大納言撰ばれたるもの を、道風書かむこと、時代や違ひはべらむ、覺束なくこそ。」といひければ、「さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ。」とていよいよ秘藏しけり。
89
「奧山に、猫またと云ふものありて、人 を食ふなる。」と人のいひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の經あがりて、猫またになりて、人とる事はあなるもの を。」といふものありける を、なに阿彌陀佛とかや連歌しける法師の、行願寺の邊にありけるが聞きて、「一人ありかむ身は心すべきことにこそ。」と思ひける頃しも、ある所にて、夜ふくるまで連歌して、ただ一人かへりけるに、小川の端にて、音に聞きし猫またあやまたず足もとへふと寄り來て、やがて掻きつくままに、頚のほど を食はむとす。肝心もうせて、防がむとするに力もなく、足も立たず、小川へころび入りて、「助けよや、猫また、よやよや。」と叫べば、家家より松どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。こはいかにとて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物とりて、扇小箱など懷に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。飼ひける犬の、暗けれど主 を知りて、飛びつきたりけるとぞ。
90
大納言法印のめしつかひし乙鶴丸、やすら殿といふ者 を知りて、常にゆき通ひしに、ある時いでて歸り來る を、法印、「いづこへ行きつるぞ。」と問ひしかば、「やすら殿の許まかりて候。」といふ。「そのやすら殿は、男か法師か。」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかが候らむ。頭をば見候はず。」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。
91
赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人これ を忌まず。この頃何者のいひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事末通らずといひて、その日いひたりしこと、爲たりし事叶はず、得たりし物は失ひ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日 を選びてなしたるわざの、末通らぬ を數へて見むも、亦等しかるべし。その故は、無常變易の境、ありと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず、望みは絶えず。人の心不定なり、ものみな幻化なり。何事かしばらくも住する。この理 を知らざるなり。吉日に惡 をなすに必ず凶なり、惡日に善 を行ふにかならず吉なりといへり。吉凶は人によりて日によらず。
92
ある人弓射る事 を習ふに、もろ矢 をたばさみて的に向ふ。師の曰く、「初心の人二つの矢 を持つことなかれ。後の矢 を頼みて、初めの矢になほざりの心あり、毎度ただ得失なく、この一箭に定むべしと思へ。」といふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つ をおろそかにせむと思はむや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師これ を知る。このいましめ萬事にわたるべし。道 を學する人、夕には朝あらむこと を思ひ、朝には夕あらむこと を思ひて、重ねて懇に修せむこと を期せり。況んや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あること を知らむや。何ぞただ今の一念において、直ちにすることの甚だ難き。
93
「牛 を賣る者あり、買ふ人、明日その價 をやりて牛 を取らむといふ。夜の間に牛死ぬ。買はむとする人に利あり、賣らむとする人に損あり。」と語る人あり。これ を聞きて傍なるものの曰く、「牛の主まことに損ありといへども、又大なる利あり。その故は、生あるもの死の近き事 を知らざること、牛既に然なり。人またおなじ。はからざるに牛は死し、計らざるに主は存せり。一日の命萬金よりもおもし。牛の價鵝毛よりも輕し。萬金 を得て一錢 を失はむ人、損ありといふべからず。」といふに、皆人嘲りて、「その理は牛の主に限るべからず。」といふ。また曰く、「されば、人死 を憎まば、生 を愛すべし。存命の喜び日日に樂しまざらむや。愚かなる人この樂しみ を忘れて、いたづがはしく外の樂しみ をもとめ、この財 を忘れて、危く他の財 を貪るには、志滿つる事なし。いける間生 を樂しまずして、死に臨みて死 を恐れば、この理あるべからず。人みな生 を樂しまざるは、死 を恐れざる故なり。死 を恐れざるにはあらず、死の近き事 を忘るるなり。もしまた生死の相にあづからずといはば、實の理 を得たりといふべし。」といふに、人いよいよ嘲る。
94
常磐井相國出仕したまひけるに、敕書 を持ちたる北面あひ奉りて、馬よりおりたりける を、相國後に、「北面なにがしは、敕書 を持ちながら下馬し侍りしものなり、かほどのもの、いかでか君に仕うまつり候ふべき。」と申されければ、北面 を放たれにけり。敕書 を馬の上ながら捧げて見せ奉るべし、おるべからずとぞ。
95
「箱のくりかたに緒 を著くる事、いづ方につけ侍るべきぞ。」と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸につけ表紙につくること、兩説なれば、何れも難なし。文の箱は多くは右につく。手箱には軸につくるも常のことなり。」と仰せられき。
96
めなもみといふ草あり。蝮にさされたる人、かの草 を揉みてつけぬれば、すなはち癒ゆとなむ。見知りておくべし。
97
其の物につきて、その物 を費し損ふもの、數 を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。國に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。
98
たふとき聖のいひおきけること を書きつけて、一言芳談とかや名づけたる草紙 を見侍りしに、心に會ひて覺えし事ども。
一爲やせまし、爲ずやあらましと思ふことは、おほやう爲ぬはよきなり。
一後世 を思はむものは、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持經、本尊にいたるまで、よき物 を持つ、よしなきことなり。
一遁世者は、なきに事かけぬやう をはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
一佛道 を願ふといふは、別のこと無し、暇ある身になりて、世のこと心にかけぬ を、第一の道とす。
この外も、ありし事ども、覺えず。
99
堀河の相國は、美男のたのしき人にて、その事となく過差 を好み給ひけり。御子基俊卿 を大理になして、廳務 を行はれけるに、廳屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より傳はりて、そのはじめ を知らず、數百年 を經たり。累代の公物、古弊 をもちて規模とす。たやすく改められ難きよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。
100
久我の相國は、殿上にて水 を召しけるに、主殿司土器 をたてまつりければ、「まがり を參らせよ。」とて、まがりしてぞめしける。
101
ある人、任大臣の節會の内辨 を勤められけるに、内記のもちたる宣命 を取らずして堂上せられにけり。きはまりなき失禮なれども、たちかへり取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記康綱、衣被の女房 をかたらひて、かの宣命 をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。
102
尹大納言光忠入道、追儺の上卿 を務められけるに、洞院右大臣殿に次第 を申し請けられければ、「又五郎をのこ を師とするより外の才覺候はじ。」とぞ宣ひける。かの又五郎は老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。近衞殿著陣したまひける時、膝突 をわすれて、外記 をめされければ、火たきて候ひけるが、「まづ膝突 をめさるべくや候らむ。」と、忍びやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。
103
大覺寺殿にて、近習の人ども、謎謎 をつくりて解かれけるところへ、醫師忠守參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな。」となぞなぞにせられたりける を、唐瓶子と解きて笑ひあはれければ、腹立ちてまかでにけり。
104
荒れたる宿の人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれづれと籠り居たる を、ある人とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしく咎むれば、げす女のいでて、「いづくよりぞ。」といふに、やがて案内せさせて入りたまひぬ。心ぼそげなるありさま、いかで過すらむと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、しばし立ち給へる を、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなたへ。」といふ人あれば、たてあけ所せげなる遣戸よりぞ入りたまひぬる。内のさまはいたくすさまじからず、心にくく、灯はかなたにほのかなれど、ものの綺羅など見えて、俄にしもあらぬにほひ、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞふる、御車は門の下に、御供の人は其處其處に。」といへば、「今宵ぞやすきいは寢べかめる。」とうちささめくも、忍びたれど、ほどなければほの聞ゆ。さてこの程の事ども、こまやかに聞え給ふに、夜ぶかき鷄も鳴きぬ。來しかた行くすゑかけて、まめやかなる御物語に、この度は鷄も花やかなる聲にうちしきれば、明け離るるにやと聞きたまへど、夜深く急ぐべきところのさまにもあらねば、すこしたゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難きことなどいひて、立ち出でたまふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりのあけぼの、艷にをかしかりし をおぼし出でて、桂の木の大きなるがかくるるまで、今も見おくり給ふとぞ。
105
北の家かげに消え殘りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、隈なくはあらぬに、人ばなれなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女と長押に尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらむ、盡きすまじけれ。かぶし、かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそをかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞えたるもゆかし。
106
高野の證空上人京へ上りけるに、細道にて馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男あしく引きて、聖の馬 を堀へ落してけり。聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘 を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり。」といはれければ、口引きの男、「いかに仰せらるるやらむ、えこそ聞き知らね。」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修非學の男。」とあららかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける氣色にて、馬引きかへして遁げられにけり。たふとかりける諍論なるべし。
107
女の物いひかけたる返り事、とりあへずよき程にする男は、有りがたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の參らるる毎に、「時鳥や聞き給へる。」と問ひて試みられけるに、某の大納言とかやは、「數ならぬ身はえ聞き候はず。」と答へられけり。堀河内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらむ。」とおほせられける を、「これは難なし。數ならぬ身むつかし。」など定めあはれけり。總て男をば、女に笑はれぬ樣におほしたつべしとぞ、淨土寺の前關白殿は、幼くて安喜門院のよく教へまゐらせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞと人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「怪しの下女の見奉るも、いと恥しく心づかひせらるる。」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠もいかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。かく人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相ふかく、貪欲甚だしく、物の理 を知らず、ただ迷ひの方に心も早くうつり、詞も巧みに、苦しからぬ事 をも問ふ時はいはず、用意あるかと見れば、又あさましき事まで問はずがたりにいひ出す。深くたばかり飾れる事は、男の智慧にも優りたるかと思へば、その事あとより顯はるる を知らず。質朴ならずして拙きものは女なり。その心に隨ひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば何かは女の恥かしからむ。もし賢女あらば、それも物うとく、すさまじかりなむ。ただ迷ひ をあるじとしてかれに隨ふ時、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。
108
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しと雖も、これ を累ぬれば貧しき人 を富める人となす。されば商人の一錢 を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これ を運びてやまざれば、命 を終ふる期忽ちに到る。されば道人は、遠く日月 を惜しむべからず、只今の一念空しく過ぐること を惜しむべし。もし人來りて、わが命明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらむに、今日の暮るる間、何事 をか頼み、何事 をか營まむ。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならむ。一日の中に、飮食、便利、睡眠、言語、行歩、止む事 を得ずして、多くの時 を失ふ。その餘りの暇、いくばくならぬうちに、無益の事 をなし、無益の事 をいひ、無益の事 を思惟して、時 を移すのみならず、日 を消し月 をわたりて、一生 をおくる、最も愚かなり。謝靈運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲の思ひ を觀ぜしかば、惠遠白蓮の交はり をゆるさざりき。しばらくもこれなき時は死人におなじ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修せむ人は修せよとなり。
109
高名の木のぼりといひし男、人 を掟てて、高き木にのぼせて梢 をきらせしに、いと危く見えしほどはいふこともなくて、おるる時に、軒だけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ。」と言葉 をかけ侍りし を、「かばかりになりては、飛び降るるともおりなむ。如何にかくいふぞ。」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき枝危きほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちは安き所になりて、必ず仕ることに候。」といふ。あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所 を蹴出して後、やすくおもへば、必ずおつと侍るやらむ。
110
雙六の上手といひし人に、その術 を問ひ侍りしかば、「勝たむとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手 をつかはずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし。」といふ。道 を知れるをしへ、身 を修め國 を保たむ道もまたしかなり。
111
「圍棊雙六このみてあかし暮す人は、四重五逆にもまされる惡事とぞ思ふ。」とある聖の申ししこと、耳にとどまりて、いみじくおぼえ侍る。
112
明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事 をも營み、切に歎くこともある人は、他の事 を聞き入れず、人のうれへよろこび をも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。されば年もやうやうたけ、病にもまつはれ、況んや世 をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の默し難きに從ひて、これ を必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ道遠し、吾が生既に蹉跎たり、諸縁 を放下すべき時なり。信 をも守らじ、禮儀 をも思はじ。この心 を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、情なしとも思へ、譏るとも苦しまじ、譽むとも聞きいれじ。
113
四十にも餘りぬる人の、色めきたる方、自ら忍びてあらむは如何はせむ、言にうち出でて、男女のこと、人の上 をもいひ戲るるこそ、似げなく見ぐるしけれ。大かた聞きにくく見ぐるしき事、老人の若き人にまじはりて興あらむと物いひ居たる、數ならぬ身にて、世のおぼえある人 を隔てなきさまにいひたる、貧しきところに酒宴このみ、客人に饗應せむときらめきたる。
114
今出川のおほい殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、齋王丸御牛 を追ひたりければ、足掻の水前板までささとかかりける を、爲則御車の後に候ひけるが、「希有の童かな。斯る所にて御牛をば追ふものか。」といひたりければ、おほい殿、御氣色あしくなりて、「おのれ車やらむこと、齋王丸に勝りてえ知らじ。希有の男なり。」とて御車に頭 をうちあてられにけり。この高名の齋王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は膝幸、一人は㹀槌、一人は胞腹、一人は乙牛とつけられけり。
115
宿河原といふ所にて、ぼろぼろおほく集りて、九品の念佛 を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中に、いろをし坊と申すぼろやおはします。」と尋ねければ、その中より、「いろをしここに候。かく宣ふは誰ぞ。」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申す人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、うらみ申さばやとおもひて、尋ね申すなり。」といふ。いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事はべりき。ここにて對面したてまつらば、道場 をけがし侍るべし。前の河原へまゐりあはむ。あなかしこ。わきざしたち、いづ方 をも見つぎ給ふな。數多のわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし。」といひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかりに貫きあひて、共に死にけり。ぼろぼろといふものは、昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字、梵字、漢字などいひける者、そのはじめなりけるとかや。世 を捨てたるに似て、我執ふかく、佛道 を願ふに似て、鬭諍 を事とす。放逸無慚のありさまなれども、死 を輕くして少しもなづまざる方のいさぎよく覺えて、人の語りしままに書きつけ侍るなり。
116
寺院の號、さらぬ萬の物にも名 をつくること、昔の人は少しも求めず、唯ありの侭に安くつけけるなり。この頃は、深く案じ、才覺 を顯はさむとしたる樣に聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目馴れぬ文字 をつかむとする、益なき事なり。何事もめづらしき事 をもとめ、異説 を好むは、淺才の人の必ずあることなりとぞ。
117
友とするに惡きもの七つあり。一には高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく身つよき人、四には酒 をこのむ人、五には武く勇める人、六にはそらごとする人、七には慾ふかき人。善き友三つあり。一にはものくるる友、二には醫師、三には智惠ある友。
118
鯉のあつもの食ひたる日は、鬢そそけずとなむ。膠にもつくるものなれば、粘りたる物にこそ。鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なれ。鳥には雉さうなきものなり。雉松茸などは、御湯殿の上にかかりたるも苦しからず。その外は心憂きことなり。中宮の御方の御湯殿の上のくろみ棚に、鴈の見えつる を、北山入道殿の御覽じて、歸らせたまひて、やがて御文にて、「かやうのもの、さながらその姿にて、御棚にゐて候ひしこと、見ならはず。さま惡しきことなり。はかばかしき人のさぶらはぬ故にこそ。」など申されたりけり。
119
鎌倉の海にかつ をといふ魚は、かの境には雙なきものにて、この頃もてなすものなり。それも鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚おのれ等若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり。」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
120
唐の物は、藥の外はなくとも事かくまじ。書どもは、この國に多くひろまりぬれば、書きも寫してむ。もろこし船の、たやすからぬ道に、無用のものどものみ取り積みて、所狹く渡しもて來る、いと愚かなり。遠きもの を寶とせずとも、また得がたき寶 をたふとまずとも、書にも侍るとかや。
121
養ひ飼ふものには馬、牛。繋ぎ苦しむるこそ痛ましけれど、なくて叶はぬ物なれば、如何はせむ。犬は守り防ぐつとめ、人にも優りたれば、必ずあるべし。されど家毎にあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなむ。その外の鳥獸、すべて用なきものなり。走る獸は檻にこめ、鎖 をさされ、飛ぶ鳥は翼 を切り、籠に入れられて、雲 を戀ひ野山 を思ふ愁へやむ時なし。その思ひ我が身にあたりて忍び難くば、心あらむ人これ を樂しまむや。生 を苦しめて目 を喜ばしむるは、桀紂が心なり。王子猷が鳥 を愛せし、林に樂しぶ を見て逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。凡そ珍しき鳥、怪しき獸、國に養はずとこそ文にも侍るなれ。
122
人の才能は、文明らかにして、聖の教へ を知れる を第一とす。次には手かく事、旨とする事はなくとも、これ を習ふべし。學問に便りあらむ爲なり。次に醫術 を習ふべし。身 を養ひ人 を助け、忠孝のつとめも、醫にあらずばあるべからず。次に弓射、馬に乘る事、六藝に出せり。必ずこれ を窺ふべし。文武醫の道、まことに缺けてはあるべからず。これ を學ばむをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は人の天なり。よく味ひ をととのへ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、よろづの要多し。この外の事ども、多能は君子のはづるところなり。詩歌にたくみに、絲竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これ を重くすとはいへども、今の世には、これ をもちて世 を治むること、漸く愚かなるに似たり。金はすぐれたれども、鐵の益多きに如かざるがごとし。
123
無益の事 をなして時 を移す を、愚かなる人とも、僻事する人ともいふべし。國の爲君の爲に、止む事 を得ずしてなすべき事多し。その餘りの暇、いくばくならず思ふべし。人の身に止む事 を得ずして營む所、第一に食ひ物、第二に著る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に冒されずして、しづかに過す を樂しみとす。但し人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁へ忍び難し。醫療 を忘るべからず。藥 を加へて、四つの事、求め得ざる を貧しとす。この四つ缺けざる を富めりとす。この四つの外 を求め營む を驕とす。四つの事儉約ならば、誰の人か足らずとせむ。
124
是法法師は、淨土宗に恥ぢずと雖も、學匠 をたてず、ただ明暮念佛して、やすらかに世 を過すありさま、いとあらまほし。
125
人に後れて、四十九日の佛事に、ある聖 を請じ侍りしに、説法いみじくして皆人涙 を流しけり。導師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日は尊くおぼえ侍りつる。」と感じあへりし返り事に、ある者の曰く、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなむ上は。」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。さる導師のほめやうやはあるべき。また人に酒勸むるとて、「おのれまづたべて人に強ひ奉らむとするは、劒にて人 を斬らむとするに似たる事なり。二方は刃つきたるものなれば、もたぐる時、まづ我が頚 を斬るゆゑに、人をばえ斬らぬなり。おのれまづ醉ひて臥しなば、人はよも召さじ。」と申しき。劒にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。
126
「博奕の負け極まりて、殘りなくうち入れむとせむに、逢ひては打つべからず。立ち歸りつづけて勝つべき時の至れると知るべし。その時 を知る を、よき博奕といふなり。」と、あるもの申しき。
127
改めて益なきことは、改めぬ をよしとするなり。
128
雅房大納言は、才賢く善き人にて、大將にもなさばやと思しける頃、院の近習なる人、「只今淺ましき事 を見侍りつ。」と申されければ、「何事ぞ。」と問はせ給ひけるに、「雅房卿鷹に飼はむとて、生きたる犬の足 を切り侍りつる を、中垣の穴より見侍りつ。」と申されけるに、うとましく、にくくおぼしめして、日ごろの御氣色もたがひ、昇進もしたまはざりけり。さばかりの人、鷹 を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足はあとなき事なり。虚言は不便なれども、かかる事 を聞かせ給ひて、にくませ給ひける君の御心は、いと尊きことなり。大かた生けるもの を殺し、痛め、鬭はしめて遊び樂しまむ人は、畜生殘害の類なり。萬の鳥獸、小さき蟲までも、心 をとめてありさま を見るに、子 をおもひ親 をなつかしくし、夫婦 を伴ひ、妬み、怒り、慾おほく、身 を愛し、命 を惜しめる事、偏に愚癡なるゆゑに、人よりも勝りて甚だし。かれに苦しみ を與へ、命 を奪はむ事、いかでか痛ましからざらむ。すべて一切の有情 を見て慈悲の心なからむは、人倫にあらず。
129
顔囘は、志人に勞 を施さじとなり。すべて人 を苦しめ、物 を虐ぐる事、賎しき民の志 をも奪ふべからず。又幼き子 を賺し嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これ を惱して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび樂しぶも、皆虚妄なれども、誰か實有の相に著せざる。身 を破るよりも、心 を痛ましむるは、人 を害ふ事なほ甚だし。病 を受くる事も、多くは心より受く。外より來る病は少なし。藥 を飮みて汗 を求むるには、驗なき事あれども、一旦恥ぢ恐るることあれば、かならず汗 を流すは、心のしわざなりといふこと を知るべし。凌雲の額 を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。
130
物に爭はず、己 を枉げて人に從ひ、我が身 を後にして、人 を先にするには如かず。萬のあそびにも、勝負 を好む人は、勝ちて興あらむ爲なり。己が藝の勝りたる事 をよろこぶ。されば負けて興なく覺ゆべきこと、また知られたり。我負けて人 を歡ばしめむと思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて、わが心 を慰めむこと、徳に背けり。むつましき中に戲るるも、人 をはかり欺きて、おのれが智の勝りたること を興とす。これまた禮にあらず。さればはじめ興宴より起りて、長き恨み を結ぶ類おほし。これ皆あらそひ を好む失なり。人に勝らむこと を思はば、ただ學問して、その智 を人に勝らむと思ふべし。道 を學ぶとならば、善に誇らず、ともがらに爭ふべからずといふ事 を知るべきゆゑなり。大きなる職 をも辭し、利 をも捨つるは、ただ學問の力なり。
131
貧しきものは財 をもて禮とし、老いたるものは力 をもて禮とす。おのが分 を知りて、及ばざる時は速かにやむ を智といふべし。許さざらむは人のあやまりなり。分 を知らずして強ひて勵むは、おのれがあやまりなり。貧しくして分 を知らざれば盜み、力衰へて分 を知らざれば病 をうく。
132
鳥羽の作り道は、鳥羽殿建てられて後の號にはあらず、昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の聲はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作り道まできこえけるよし、李部王の記に侍るとかや。
133
夜の御殿は東御枕なり。大かた東 を枕として陽氣 を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕、常のことなり。白河院は北首に御寢なりけり。「北は忌むことなり。又伊勢は南なり。太神宮の御方 を御跡にせさせ給ふ事いかが。」と人申しけり。ただし太神宮の遥拜は辰巳に向はせたまふ、南にはあらず。
134
高倉院の法華堂の三昧僧何某の律師とかやいふ者、ある時鏡 を取りて顔 をつくづくと見て、我が貌の醜くあさましき事 を、餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡 を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそ、あり難く覺えしか。かしこげなる人も人の上 をのみ計りて、己をば知らざるなり。我 を知らずして外 を知るといふ理あるべからず。されば、己 を知る を、物知れる人といふべし。貌醜けれども知らず、心の愚かなる をも知らず、藝の拙き をも知らず、身の數ならぬ をも知らず、年の老いぬる をも知らず、病の冒す をも知らず、死の近き事 をも知らず、行ふ道の至らざる をも知らず、身の上の非 をも知らねば、まして外の譏り を知らず。ただし貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌 を改め齡 を若くせよとにはあらず。拙き を知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑に身 をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれ を思ふ事これにあらざる。すべて人に愛樂せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の藝 をもちて堪能の座に連なり、雪の頭 を戴きて壯りなる人にならび、況んや及ばざること を望み、叶はぬこと を憂へ、來らざる事 を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の與ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身 を恥しむるなり。貪ることのやまざるは、命 を終ふる大事今ここに來れりと、たしかに知らざればなり。
135
資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中將に逢ひて、「わぬしの問はれむ程の事、何事なりとも答へ申さざらむや。」といはれければ、具氏、「いかが侍らむ。」と申されける を、「さらば、あらがひ給へ。」といはれて、「はかばかしき事は、片端もまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、覺束なき事 をこそ問ひ奉らめ。」と申されけり。「まして、ここもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さむ。」といはれければ、近習の人人、女房なども、「興あるあらがひなり。おなじくは御前にて爭はるべし。負けたらむ人は供御 をまうけらるべし。」と定めて、御前にて召し合せられたりけるに、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。馬のきつりやうきつにのをか、なかくぼれいりぐれんどうと申すことは、いかなる心にかはべらむ。承らむ。」と申されけるに、大納言入道はたとつまりて、「これは、そぞろごとなれば、云ふにも足らず。」といはれける を、「もとより、深き道は知り侍らず。そぞろ言 を尋ね奉らむと、定め申しつ。」と申されければ、大納言入道負けになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。
136
醫師あつしげ、故法皇の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろいろ を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ。」と申しける時しも、六條故内府まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らむ。」とて、「まづ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らむ。」と問はれたりけるに、「土偏に候。」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ、ゆかしきところなし。」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。
137
花は盛りに、月は隈なき をのみ見るものかは。雨にむかひて月 を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるにはやく散り過ぎにければ。」とも、「さはることありて罷らで。」なども書けるは、「花 を見て。」といへるに劣れる事かは。花の散り月の傾く を慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし。」などはいふめる。萬の事も始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さ をおもひ、あだなる契り をかこち、長き夜 をひとり明し、遠き雲居 を思ひやり、淺茅が宿に昔 を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。望月の隈なき を、千里の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ふかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。すべて月花をばさのみ目にて見るものかは。春は家 を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なり。」とて、奧なる屋にて、酒飮みもの食ひ、圍棊雙六など遊びて、棧敷には人 をおきたれば、「わたり候。」といふときに、おのおの肝つぶるやうに爭ひ走りあがりて、落ちぬべきまで、簾張りいでて、押しあひつつ、一事も見洩らさじとまもりて、とありかかりと物事にいひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで。」といひて降りぬ。唯物 をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゆしげなるは、眠りていとも見ず。若く末末なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかからず、わりなく見むとする人もなし。何となく葵かけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしき を、其か彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るる程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ、かの棧敷の前 をここら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器に水 を入れて、細き孔 をあけたらむに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば柩 を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世 をのどかに思ひなむや。まま子立といふもの を、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつ を取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまたかぞふれば、かれこれ間拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍にいづるは、死に近きこと を知りて、家 をも忘れ身 をも忘る。世 をそむける草の庵には、しづかに水石 をもてあそびて、これ を他所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。
138
祭過ぎぬれば、後の葵不用なりとて、ある人の、御簾なる を皆取らせられ侍りしが、色もなくおぼえ侍りし を、よき人のし給ふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の内侍が、
かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり
と詠めるも、母屋の御簾に葵のかかりたる枯葉 を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける。」ともはべり。枕草紙にも、「來しかた戀しきもの。かれたる葵。」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉だれに後の葵はとまりけり。」とぞ書ける。己と枯るるだにこそある を、名殘なくいかが取り捨つべき。御帳にかかれる藥玉も、九月九日菊にとりかへらるるといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮かくれ給ひて後、ふるき御帳の内に、菖蒲藥玉などの枯れたるが侍りける を見て、「をりならぬ根 をなほぞかけつる。」と、辨の乳母のいへる返り事に、「あやめの草はありながら。」とも、江の侍從が詠みしぞかし。
139
家にありたき木は、松、櫻。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重櫻は奈良の都にのみありける を、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなむ。遲櫻またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅、一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の、匂ひめでたきも、みなをかし。「おそき梅は、櫻に咲きあひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾くをかし。」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅 をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本はべるめり。柳またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて萬の花紅葉にも優りてめでたきものなり。橘、桂、何れも木は物古り、大きなる、よし。草は山吹、藤、杜若、撫子。池には蓮。秋の草は荻、薄、桔梗、萩、女郎花、藤袴、紫菀、吾木香、刈萱、龍膽、菊、黄菊も、蔦、葛、朝顔、いづれもいと高からず、ささやかなる垣に、しげからぬよし。この外世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。大かた何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物なくてありなむ。
140
身死して財殘ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの蓄へおきたるも拙く、よきものは、心 をとめけむとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。我こそ得めなどいふものどもありて、あとに爭ひたる、樣惡し。後には誰にと志すものあらば、生けらむ中にぞ讓るべき。朝夕なくて協はざらむ物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。
141
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそいひつることは頼まるれ。都の人は言受けのみよくて、實なし。」といひし を、聖、「それはさこそ思すらめども、おのれは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどの事、けやけく辭びがたく、よろづえ言ひはなたず、心弱くことうけしつ。僞せむとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、初めより否といひて止みぬ。賑ひ豐かなれば、人には頼まるるぞかし。」とことわられ侍りしこそ、この聖、聲うちゆがみあらあらしくて、聖教のこまやかなる理、いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心憎くなりて、多かる中に、寺 をも住持せらるるは、かく和ぎたるところありて、その益もあるにこそと覺え侍りし。
142
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふ者なり。ある荒夷の恐ろしげなるが、傍にあひて、「御子はおはすや。」と問ひしに、「一人も持ち侍らず。」と答へしかば、「さては物のあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらむと、いと恐ろし。子故にこそ、萬の哀れは思ひ知らるれ。」といひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かかるものの心に慈悲ありなむや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ親の志は思ひ知るなれ。世 をすてたる人のよろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづに諂ひ、望み深き を見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことにかなしからむ親のため妻子のためには、恥 をも忘れ、盜み をもしつべき事なり。されば盜人 を縛め、僻事 をのみ罪せむよりは、世の人の飢ゑず寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人恆の産なき時は恆の心なし。人窮りて盜みす。世治らずして凍餒の苦しみあらば、科のもの絶ゆべからず。人 を苦しめ、法 を犯さしめて、それ を罪なはむこと、不便のわざなり。さていかがして人 を惠むべきとならば、上の奢り費すところ を止め、民 を撫で、農 を勸めば、下に利あらむこと疑ひあるべからず。衣食世の常なる上に、ひがごとせむ人 をぞ、まことの盜人とはいふべき。
143
人の終焉の有樣のいみじかりし事など、人の語る を聞くに、ただ、「靜かにして亂れず。」といはば心にくかるべき を、愚かなる人は、怪しく異なる相 を語りつけ、いひし言も擧止も、おのれが好む方に譽めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覺ゆれ。この大事は、權化の人も定むべからず、博學の士もはかるべからず、おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。
144
栂尾の上人道 を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし。」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執開發の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは。」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候。」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁 をもしつるかな。」とて、感涙 を拭はれけるとぞ。
145
御隨身秦重躬、北面の下野入道信願 を、「落馬の相ある人なり。よくよく愼み給へ。」といひける を、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より落ちて死ににけり。長じぬる一言、神の如しと人おもへり。さて、「いかなる相ぞ。」と人の問ひければ、「極めて桃尻にて、沛艾の馬 を好みしかば、この相 をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる。」とぞいひける。
146
明雲座主、相者に逢ひ給ひて、「己若し兵仗の難やある。」と尋ねたまひければ、相人、「實にその相おはします。」と申す。「いかなる相ぞ。」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、假にもかく思しよりて尋ね給ふ。これ既にそのあやぶみの兆なり。」と申しけり。はたして矢にあたりてうせ給ひにけり。
147
灸治あまた所になりぬれば神事に穢れありといふこと、近く人のいひ出せるなり、格式等にも見えずとぞ。
148
四十以後の人、身に灸 を加へて三里 を燒かざれば上氣のことあり、必ず灸すべし。
149
鹿茸 を鼻にあてて嗅ぐべからず、ちひさき蟲ありて、鼻より入りて腦 をはむといへり。
150
能 をつかむとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ、内内よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ。」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、譏り笑はるるにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず妄りにせずして、年 を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名 をうることなり。天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道の掟正しく、これ を重くして放埒せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。
151
ある人の曰く、年五十になるまで上手に至らざらむ藝をば捨つべきなり。勵み習ふべき行末もなし。老人のことをば人もえ笑はず、衆に交はりたるも、あひなく見苦し。大方萬のしわざは止めて、暇あるこそ目安くあらまほしけれ。世俗の事にたづさはりて、生涯 を暮すは下愚の人なり。ゆかしく覺えむことは學び聞くとも、その趣 を知りなば、覺束なからずして止むべし。もとより望む事なくしてやまむは、第一のことなり。
152
西大寺靜然上人、腰かがまり眉白く、誠に徳たけたる有樣にて、内裏へ參られたりける を、西園寺内大臣殿、「あな尊との氣色や。」とて信仰の氣色ありければ、資朝卿これ を見て、「年のよりたるに候。」と申されけり。後日に、尨犬の淺ましく老いさらぼひて毛はげたる をひかせて、「この氣色尊く見えて候。」とて内府へ參らせられたりけるとぞ。
153
爲兼大納言入道めしとられて、武士ども打ち圍みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一條わたりにてこれ を見て、「あな羨し。世にあらむおもひで、かくこそ有らまほしけれ。」とぞいはれける。
154
この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者ども集り居たるが、手も足もねぢゆがみうち反りて、いづくも不具に異樣なる を見て、「とりどりに類なきくせ者なり、最も愛するに足れり。」と思ひて、まもり給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくくいぶせく覺えければ、「ただすなほに珍しからぬものには如かず。」と思ひて、歸りて後、「この間植木 を好みて、異樣に曲折ある を求めて目 を喜ばしめつるは、かのかたは者 を愛するなりけり。」と、興なく覺えければ、鉢に栽ゑられける木ども、みなほり棄てられにけり。さもありぬべきことなり。
155
世に從はむ人は、まづ機嫌 を知るべし。序惡しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず、さやうの折節 を心得べきなり。但し病 をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌 をはからず、ついであしとて止む事なし。生住異滅の移り變るまことの大事は、たけき河の漲り流るるが如し。しばしも滯らず、直ちに行ひゆくものなり。されば眞俗につけて、かならず果し遂げむとおもはむことは、機嫌 をいふべからず。とかくの用意なく、足 を踏みとどむまじきなり。春暮れて後夏になり、夏果てて秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣 を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣下に設けたる故に、待ち取る序、甚だ早し。生老病死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期は序 を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事 を知りて、待つ事しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。
156
大臣の大饗は、さるべき所 をま をし受けて行ふ、常のことなり。宇治左大臣殿は、東三條殿にて行はる。内裏にてありける を申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させる事のよせなけれども、女院の御所など借り申す故實なりとぞ。
157
筆 をとれば物書かれ、樂器 をとれば音 をたてむと思ふ。杯 をとれば酒 を思ひ、賽 をとれば攤うたむ事 を思ふ。心は必ず事に觸れて來る。假にも不善のたはぶれ をなすべからず。あからさまに聖教の一句 を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非 を改むる事もあり。假に今この文 をひろげざらましかば、この事 を知らむや。これすなはち觸るる所の益なり。心更に起らずとも、佛前にありて數珠 を取り經 を取らば、怠るうちにも善業おのづから修せられ、散亂の心ながらも繩床に坐せば、おぼえずして禪定なるべし。事理もとより二つならず、外相若し背かざれば、内證かならず熟す。強ひて不信といふべからず。仰ぎてこれ を尊むべし。
158
「杯の底 を捨つることはいかが心得たる。」とある人の尋ねさせ給ひしに、「凝當と申し侍れば、底に凝りたる を捨つるにや候らむ。」と申し侍りしかば、「さにはあらず、魚道なり。流れ を殘して口のつきたる所 をすすぐなり。」とぞ仰せられし。
159
「みなむすびといふは、絲 をむすびかさねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ。」と或やんごとなき人、仰せられき。「にな」といふは誤りなり。
160
「門に額かくる を、「うつ」といふはよからぬにや。勘解由小路二品禪門は、「額かくる」とのたまひき。見物の「棧敷うつ」もよからぬにや。「平張うつ」などは常の事なり。棧敷構ふるなどいふべし。「護摩たく」といふもわろし。「修する」「護摩する」などいふなり。「行法」も、「法」の字 を清みていふ、わろし、濁りていふ。」と清閑寺僧正仰せられき。常にいふ事にかかることのみ多し。
161
花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正の後七日ともいへど、立春より七十五日、おほやう違はず。
162
遍昭寺の承仕法師、池の鳥 を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌 をまきて、戸ひとつ をあけたれば、數も知らず入りこもりける後、おのれも入りて、立て篭めて捕へつつ殺しけるよそほひ、おどろどろしく聞えける を、草刈る童聞きて人に告げければ、村の男ども、おこりて入りて見るに、大鴈どもふためきあへる中に、法師まじりて、うち伏せねぢ殺しければ、この法師 を捕へて、所より使廳へ出したりけり。殺すところの鳥 を頚にかけさせて、禁獄せられけり。基俊大納言別當の時になむ侍りける。
163
太衝の太の字、點打つ打たずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたる を書きたり。」と申しき。
164
世の人相逢ふ時、しばらくも默止することなし、必ず言葉あり。そのこと を聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。これ をかたる時、互の心に、無益のことなりといふこと を知らず。
165
東の人の、都の人に交はり、都の人の、東に行きて身 をたて、また本寺本山 をはなれぬる顯密の僧、すべてわが俗にあらずして、人にまじはれる、見ぐるし。
166
人間の營みあへる業 を見るに、春の日に雪佛 を造りて、その爲に金銀珠玉の飾り を營み、堂塔 を建てむとするに似たり。その構へ を待ちてよく安置してむや。人の命ありと見る程も、下より消ゆる事、雪の如くなるうちに、いとなみ待つこと甚だ多し。
167
一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじもの を。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覺ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覺えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智 を取り出でて人に爭ふは、角あるものの角 をかたぶけ、牙あるものの牙 を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と爭はざる を徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の譽にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれ を忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひ をも招くは、ただこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非 を知るゆゑに、志常に滿たずして、つひに物に誇ることなし。
168
年老いたる人の、一事すぐれたる才能ありて、「この人の後には、誰にか問はむ。」などいはるるは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、「一生この事にて暮れにけり。」と拙く見ゆ。「今はわすれにけり。」といひてありなむ。大方は知りたりとも、すずろにいひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず。」などいひたるは、なほ實に道のあるじとも覺えぬべし。まして知らぬこと、したり顔に、おとなしくもどきぬべくもあらぬ人のいひ聞かする を、「さもあらず。」と思ひながら聞き居たる、いとわびし。
169
「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代迄はいはざりける を、近き程よりいふ詞なり。」と、人の申し侍りしに、建禮門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住したること をいふに、「世の式も變りたる事はなきにも。」と書きたり。
170
さしたる事なくて人の許行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば疾く歸るべし。久しく居たる、いとむつかし。人と對ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も靜かならず、萬の事さはりて時 を移す、互のため益なし。厭はしげにいはむもわろし、心づきなき事あらむをりは、なかなかその由 をもいひてむ。おなじ心に向はまほしく思はむ人の、つれづれにて、「今しばし、今日は心しづかに。」などいはむは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。その事となきに、人の來りて、のどかに物語して歸りぬる、いとよし。また文も、「久しく聞えさせねば。」などばかり言ひおこせたる、いと嬉し。
171
貝 をおほふ人の、わが前なるをばおきて、よそ を見渡して、人の袖の陰、膝の下まで目 をくばる間に、前なるをば人に掩はれぬ。よく掩ふ人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、近きばかり を掩ふやうなれど、多く掩ふなり。棊盤のすみに石 を立てて彈くに、むかひなる石 をまもりて彈くはあたらず。わが手もと をよく見て、ここなるひじり目 をすぐに彈けば、立てたる石必ずあたる。萬のこと外に向きて求むべからず、ただここもと を正しくすべし。清獻公がことばに、「好事 を行じて前程 を問ふことなかれ。」といへり。世 を保たむ道もかくや侍らむ。内 を愼まず、輕くほしきままにしてみだりなれば、遠國必ずそむく時、始めて謀 をもとむ。「風に當り濕に臥して、病 を神靈に訴ふるは愚かなる人なり。」と醫書にいへるが如し。目の前なる人の愁へ をやめ、惠み を施し、道 を正しくせば、その化遠く流れむこと を知らざるなり。禹の行きて三苗 を征せしも、師 をかへして徳 を布くには如かざりき。
172
若き時は血氣内にあまり、心物に動きて、情欲おほし。身 をあやぶめて碎け易きこと、珠 を走らしむるに似たり。美麗 を好みて寶 を費し、これ を捨てて苔の袂にやつれ、勇める心盛りにして物と爭ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日日に定まらず、色に耽り情にめで、行ひ を潔くして百年の身 を誤り、命 を失へたるためし願はしくして、身の全く久しからむことをば思はず。すけるかたに心ひきて、ながき世語りともなる。身 をあやまつことは、若き時のしわざなり。老いぬる人は精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動くところなし。心おのづから靜かなれば、無益のわざ をなさず、身 を助けて愁へなく、人の煩ひなからむこと を思ふ。老いて智の若き時にまされること、若くして貌の老いたるにまされるが如し。
173
小野小町がこと、極めてさだかならず。衰へたるさまは、玉造といふ文に見えたり。この文清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。大師は承和のはじめにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後のことにや、なほおぼつかなし。
174
小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に惡くなるといふ。大に就き小 を捨つる理まことにしかなり。人事多かる中に、道 を樂しむより氣味深きはなし。これ實の大事なり。一たび道 を聞きて、これに志さむ人、孰れの業かすたれざらむ、何事 をか營まむ。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らむや。
175
世には心得ぬ事の多きなり。友あるごとには、まづ酒 をすすめ、強ひ飮ませたる を興とする事、いかなる故とも心得ず。飮む人の顔、いと堪へ難げに眉 をひそめ、人目 をはかりて捨てむとし、遁げむとする を捕へて、引き留めて、すずろに飮ませつれば、うるはしき人も忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れふす。祝ふべき日などはあさましかりぬべし。あくる日まであたまいたく、物食はずによび臥し、生 を隔てたるやうにして、昨日のこと覺えず、公私の大事 を缺きて煩ひとなる。人 をしてかかる目 を見すること、慈悲もなく、禮儀にもそむけり。かく辛き目にあひたらむ人、ねたく口惜しと思はざらむや。他の國にかかる習ひあなりと、これらになき人事にて傳へ聞きたらむは、あやしく不思議に覺えぬべし。人の上にて見たるだに、心うし。思ひ入りたるさまに心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞おほく、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛高くかかげて、用意なきけしき、日頃の人とも覺えず。女は額髪はれらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちささげてうち笑ひ、杯持てる手に取りつき、よからぬ人は、肴とりて口にさしあて、みづからも食ひたる、さまあし。聲の限り出して、おのおの謠ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黑く穢き身 を肩ぬぎて、目もあてられずすぢりたる を、興じ見る人さへうとましく憎し。あるはまた我が身いみじき事ども、傍痛くいひ聞かせ、あるは醉ひ泣きし、下ざまの人はのりあひ諍ひて、淺ましく、恐ろしく、はぢがましく、心憂き事のみありて、はては許さぬ物どもおし取りて、縁より落ち、馬車より落ちてあやまちしつ。物にも乘らぬ際は、大路 をよろぼひ行きて、築地、門の下などに向きて、えもいはぬ事ども爲ちらし、年老い袈裟かけたる法師の、小童の肩 をおさへて、聞えぬ事どもいひつつよろめきたる、いとかはゆし。かかる事 をしても、この世も後の世も、益あるべき業ならば如何はせむ。この世にては過ち多く、財 を失ひ、病 をまうく。百藥の長とはいへど、萬の病は酒よりこそ起れ。憂へ を忘るといへど、醉ひたる人ぞ、過ぎにし憂さ をも思ひ出でて泣くめる。後の世は、人の智惠 を失ひ、善根 を燒く事火の如くして、惡 を増し、萬の戒 を破りて、地獄に墮つべし。「酒 をとりて人に飮ませたる人、五百生が間手なき者に生る。」とこそ、佛は説き給ふなれ。かく疎ましと思ふものなれど、おのづから捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して、杯いだしたる、萬の興 を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入り來て、取り行ひたるも心慰む。なれなれしからぬあたりの御簾のうちより、御菓子、御酒など、よきやうなるけはひしてさし出されたる、いとよし。冬せばき所にて、火にて物いりなどして、隔てなきどちさし向ひて多く飮みたる、いとをかし。旅の假屋、野山などにて、「御肴何。」などいひて、芝の上にて飮みたるもをかし。いたういたむ人の、強ひられて少し飮みたるもいとよし。よき人のとりわきて、「今一つ、上すくなし。」などのたまはせたるも嬉し。近づかまほしき人の上戸にて、ひしひしと馴れぬる、また嬉し。さはいへど、上戸はをかしく罪許さるるものなり。醉ひくたびれて朝寐したる所 を、主人の引きあけたるに、まどひて、ほれたる顔ながら、細き髻さしいだし、物も著あへず抱きもち、引きしろひて逃ぐるかいどり姿のうしろ手、毛おひたる細脛のほど、をかしくつきづきし。
176
黑戸は、小松の御門位に即かせ給ひて、昔唯人に坐しし時、まさな事せさせ給ひし を忘れ給はで常に營ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば黑戸といふとぞ。
177
鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後未だ庭の乾かざりければ、いかがせむと沙汰ありけるに、佐佐木隱岐入道、鋸の屑 を車に積みておほく奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「とりためけむ用意ありがたし。」と人感じあへりけり。この事 をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける。」とのたまひたりしかば、恥しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく異樣のことなり。庭の儀 を奉行する人、乾き砂子 をまうくるは、故實なりとぞ。
178
ある所の侍ども、内侍所の御神樂 を見て人に語るとて、「寶劒をばその人ぞ持ち給へる。」などいふ を聞きて、内裏なる女房の中に、「別殿の行幸には、晝御座の御劒にてこそあれ。」と忍びやかにいひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。
179
入宋の沙門道眼上人、一切經 を持來して、六波羅のあたり、燒野といふ所に安置して、殊に首楞嚴經 を講じて、那蘭陀寺と號す。その聖の申されしは、「那蘭陀寺は大門北むきなりと、江帥の説とていひ傳へたれど、西域傳、法顯傳などにも見えず、更に所見なし。江帥はいかなる才覺にてか申されけむ、おぼつかなし。唐土の西明寺は北向き勿論なり。」と申しき。
180
さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖 を、真言院より神泉苑へ出して燒きあぐるなり。法成就の池にこそと囃すは、神泉苑の池 をいふなり。
181
「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪といふ事、米搗き篩ひたるに似たれば粉雪といふ。たまれ粉雪といふべき を、誤りて『たんばの』とは言ふなり。垣や木の股にとうたふべし。」と或ものしり申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院をさなくおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讚岐典侍が日記に書きたり。
182
四條大納言隆親卿、乾鮭といふもの を供御に參らせられたりける を、「かく怪しきもの參るやうあらじ。」と人の申しける を聞きて、大納言、「鮭といふ魚まゐらぬことにてあらむにこそあれ。鮭の素干なでふことかあらむ。鮎の素干はまゐらぬかは。」と申されけり。
183
人突く牛をば角 を切り、人くふ馬をば耳 を切りてそのしるしとす。しるし をつけずして人 をやぶらせぬるは、主の科なり。人くふ犬をば養ひ飼ふべからず。これみな科あり、律の禁なり。
184
相模守時頼の母は、松下禪尼とぞ申しける。守 を入れ申さるることありけるに、煤けたるあかり障子の破ればかり を、禪尼手づから小刀して切りまはしつつ張られければ、兄の城介義景、その日の經營して候ひけるが、「たまはりて、なにがし男に張らせ候はむ。さやうの事に心得たるものに候。」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ。」とてなほ一間づづ張られける を、義景、「皆 を張りかへ候はむは、遙かにたやすく候べし。斑に候も見苦しくや。」と、重ねて申されければ、「尼も後はさわさわと張りかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかり を修理して用ゐることぞと、若き人に見ならはせて、心づけむ爲なり。」と申されける、いと有り難かりけり。世 を治むる道、儉約 を本とす。女性なれども聖人の心に通へり。天下 をたもつほどの人 を子にて持たれける、誠にただ人にはあらざりけるとぞ。
185
城陸奧守泰盛は雙なき馬乘なりけり。馬 を引き出でさせけるに、足 をそろへて閾 をゆらりと超ゆる を見ては、「これは勇める馬なり。」とて鞍 を置きかへさせけり。また足 を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして過ちあるべし。」とて乘らざりけり。道 を知らざらむ人、かばかり恐れなむや。
186
吉田と申す馬乘の申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力爭ふべからずと知るべし。乘るべき馬をばまづよく見て、強き所弱き所 を知るべし。次に轡鞍の具に危きことやあると見て、心にかかる事あらば、その馬 を馳すべからず。この用意 を忘れざる を馬乘とは申すなり、これ秘藏のことなり。」と申しき。
187
萬の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必ずまさることは、たゆみなく愼みて輕輕しくせぬと、偏に自由なるとの等しからぬなり。藝能所作のみにあらず、大方の振舞、心づかひも、愚かにして謹めるは得の本なり、巧みにしてほしきままなるは失の本なり。
188
ある者、子 を法師になして、「學問して因果の理 をも知り、説經などして世渡るたづきともせよ。」といひければ、教のままに説經師にならむ爲に、まづ馬に乘りならひけり。「輿、車もたぬ身の、導師に請ぜられむ時、馬など迎へにおこせたらむに、桃尻にて落ちなむは心憂かるべし。」と思ひけり。次に、「佛事の後、酒など勸むることあらむに、法師のむげに能なきは、檀那すさまじく思ふべし。」とて、早歌といふ事 をならひけり。二つのわざやうやう境に入りければ、愈よくしたく覺えて嗜みける程に、説經習ふべき暇なくて年よりにけり。この法師のみにもあらず、世間の人なべてこの事あり。若きほどは諸事につけて、身 をたて、大きなる道 をも成し、能 をもつき、學問 をもせむと、行末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世 をのどかに思ひてうち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日 をおくれば、事毎になすことなくして身は老いぬ。つひにものの上手にもならず、思ひしやうに身 をも持たず、悔ゆれどもとり返さるる齡ならねば、走りて坂 をくだる輪の如くに衰へゆく。されば一生のうち、むねとあらまほしからむことの中に、いづれか勝ると、よく思ひくらべて、第一の事 を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事 を勵むべし。一日の中一時のうちにも、數多のことの來らむ中に、すこしも益のまさらむこと を營みて、その外をばうち捨てて、大事 をいそぐべきなり。いづかた をも捨てじと心にとりもちては、一事も成るべからず。たとへば棊 をうつ人、一手もいたづらにせず、人にさきだちて、小 をすて大につくが如し。それにとりて、三つの石 をすてて、十の石につくことは易し。十 をすてて十一につくことは、かたし。一つなりとも勝らむかたへこそつくべき を、十までなりぬれば惜しく覺えて、多くまさらぬ石には換へにくし。これ をも捨てず、かれ をも取らむと思ふこころに、かれ をも得ず、これ をも失ふべき道なり。京に住む人、急ぎて東山に用ありて既に行きつきたりとも、西山に行きてその益まさるべき を思ひえたらば、門よりかへりて西山へゆくべきなり。「ここまで來著きぬれば、この事をばまづいひてむ、日 をささぬことなれば、西山の事はかへりてまたこそ思ひたためと思ふ故に、一時の懈怠すなはち一生の懈怠となる。これ をおそるべし。一事 を必ず成さむと思はば、他の事の破るる をも痛むべからず。人のあざけり をも恥づべからず。萬事にかへずしては一の大事成るべからず。人のあまたありける中にて、あるもの、「ますほの薄まそほの薄などいふことあり。渡邊のひじり、この事 を傳へ知りたり。」と語りける を、登蓮法師その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある、貸したまへ。かの薄のことならひに、渡邊の聖のがり尋ねまからむ。」といひける を、「あまりに物さわがし。雨やみてこそ。」と人のいひければ、「無下の事 をも仰せらるるものかな。人の命は雨の晴間 を待つものかは、我も死に、聖もうせなば、尋ね聞きてむや。」とて、はしり出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し傳へたるこそ、ゆゆしくありがたう覺ゆれ。「敏きときは則ち功あり。」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄 をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁 をぞ思ふべかりける。
189
今日はその事 をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、安かるべき事はいと心苦し。日日に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。一年のこともかくの如し。一生の間もまたしかなり。かねてのあらまし、皆違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬ事もあれば、いよいよものは定めがたし。不定と心得ぬるのみ、誠にて違はず。
190
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも獨り住みにて。」など聞くこそ心憎けれ。「たれがしが婿になりぬ。」とも、又、「いかなる女 をとりすゑて相住む。」など聞きつれば、無下に心劣りせらるるわざなり。「異なることなき女 を、よしと思ひ定めてこそ、添ひ居たらめ。」と、賤しくもおし測られ、よき女ならば、「この男こそらうたくして、あが佛と守りゐたらめ。たとへば、さばかりにこそ。」と覺えぬべし。まして家の内 を行ひをさめたる女、いと口惜し。子など出できて、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年よりたる有樣、亡きあとまで淺まし。いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく憎かりなむ。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時時通ひ住まむこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまに來て、泊り居などせむは、めづらしかりぬべし。
191
夜に入りて物のはえ無しといふ人、いと口惜し。萬の物のきら、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ。晝は事そぎ、およすげたる姿にてもありなむ。夜はきららかに花やかなる裝束いとよし。人のけしきも、夜の火影ぞよきはよく、物いひたる聲も、暗くて聞きたる、用意ある、心憎し。匂ひも物の音も、ただ夜ぞひときはめでたき。さして異なる事なき夜、うち更けて參れる人の、清げなる樣したる、いとよし。若きどち心とどめて見る人は、時 をも分かぬものなれば、殊にうちとけぬべき折節ぞ、褻晴れなく引きつくろはまほしき。よき男の、日くれてゆするし、女も夜更くる程に、すべりつつ、鏡とりて顔などつくろひ出づるこそをかしけれ。
192
神佛にも、人の詣でぬ日、夜まゐりたる、よし。
193
くらき人の、人 をはかりて、その智 を知れりと思はむ、更に當るべからず。拙き人の、棊うつことばかりに敏くたくみなるは、賢き人のこの藝におろかなる を見て、おのれが智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、わが道 を人の知らざる を見て、おのれ勝れたりと思はむこと、大きなるあやまりなるべし。文字の法師、暗證の禪師、互にはかりて、おのれに如かずと思へる、共にあたらず。己が境界にあらざるものをば、爭ふべからず、是非すべからず。
194
達人の人 を見る眼は、少しも誤る處あるべからず。たとへば、ある人の、世に虚言 を構へ出して、人 をはかることあらむに、素直に眞と思ひて、いふ儘にはからるる人あり。あまりに深く信 をおこして、なほ煩はしく虚言 を心得添ふる人あり。また何としも思はで、心 をつけぬ人あり。又いささかおぼつかなく覺えて、たのむにもあらずたのまずもあらで、案じ居たる人あり。又まことしくは覺えねども、人のいふことなれば、さもあらむとて止みぬる人もあり。又さまざまに推し心得たるよしして、かしこげに打ちうなづき、ほほゑみて居たれど、つやつや知らぬ人あり。また推し出して、あはれさるめりと思ひながら、なほ誤りもこそあれと怪しむ人あり。又異なるやうも無かりけりと、手 を打ちて笑ふ人あり。また心得たれども、知れりともいはず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じ樣にて過ぐる人あり。またこの虚言の本意 を、初めより心得て、すこしも欺かず、構へいだしたる人とおなじ心になりて、力 をあはする人あり。愚者の中のたはぶれだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても顔にても、かくれなく知られぬべし。ましてあきらかならむ人の、惑へるわれら を見むこと、掌の上のもの を見むがごとし。ただしかやうのおしはかりにて、佛法まで をなずらへ言ふべきにはあらず。
195
ある人、久我畷 を通りけるに、小袖に大口きたる人、木造の地藏 を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二人三人出で來て、「ここにおはしましけり。」とて、この人 を具して往にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。尋常におはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。
196
東大寺の神輿、東寺の若宮より歸座のとき、源氏の公卿參られけるに、この殿大將にて、先 を追はれける を、土御門相國、「社頭にて警蹕いかがはべるべからむ。」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候。」とばかり答へ給ひけり。さて後に仰せられけるは、「この相國、北山抄 を見て、西宮の説 をこそ知られざりけれ。眷属の惡鬼惡神 を恐るるゆゑに、神社にて殊に先 を追ふべき理あり。」とぞ仰せられける。
197
諸寺の僧のみにもあらず、定額の女嬬といふこと、延喜式に見えたり。すべて數さだまりたる公人の通號にこそ。
198
揚名介に限らず、揚名目といふものあり。政事要畧にあり。
199
横川の行宣法印が申しはべりしは、「唐土は呂の國なり、律の音なし。和國は單律の國にて呂の音なし。」と申しき。
200
呉竹は葉ほそく、河竹は葉ひろし。御溝にちかきは河竹、仁壽殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
201
退凡下乘の卒塔婆、外なるは下乘、内なるは退凡なり。
202
十月 をかみなづきといひて、神事に憚るべき由は、記したるものなし。本文も見えず。ただし、當月諸社の祭なきゆゑに、この名あるか。この月萬の神たち、太神宮へ集り給ふなどいふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸、その例も多し。但し多くは不吉の例なり。
203
敕勘の所に靫かくる作法、今は絶えて知れる人なし。主上の御惱、大かた世の中のさわがしき時は、五條の天神に靫 をかけらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫かけられたりける神なり。看督長の負ひたる靫 を、その家にかけられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封 をつくることになりにけり。
204
犯人 を笞にて打つ時は、拷器によせて結ひつくるなり。拷器のやうも、よする作法も今はわきまへ知れる人なしとぞ。
205
比叡山に、大師勸請の起請文といふ事は、慈惠僧正書きはじめ給ひけるなり。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて起請文につきて行はるる政はなき を、近代このこと流布したるなり。また法令には、水火に穢れ をたてず、入物にはけがれあるべし。
206
徳大寺右大臣殿檢非違使の別當のとき、中門にて使廳の評定行はれけるほどに、官人章兼が牛はなれて、廳のうちへ入りて、大理の座の濱床の上にのぼりて、にれうち噛みて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛 を陰陽師のもとへ遣すべきよし、おのおの申しける を、父の相國聞きたまひて、「牛に分別なし、足あらばいづくへかのぼらざらむ。尫弱の官人、たまたま出仕の微牛 をとらるべきやうなし。」とて、牛をば主にかへして、臥したりける疊をばかへられにけり。あへて凶事なかりけるとなむ。怪しみ を見て怪しまざる時は、怪しみかへりてやぶるといへり。
207
龜山殿建てられむとて、地 を引かれけるに、大きなる蛇數もしらず凝り集りたる塚ありけり。この所の神なりといひて、事の由申しければ、「いかがあるべき。」と敕問ありけるに、「ふるくよりこの地 を占めたるものならば、さうなく掘り捨てられがたし。」とみな人申されけるに、この大臣一人、「王土に居らむ蟲、皇居 を建てられむに、何の祟り をかなすべき。鬼神は邪なし。咎むべからず。唯皆掘りすつべし。」と申されたりければ、塚 をくづして、蛇をば大井川に流してけり。更にたたりなかりけり。
208
經文などの紐 を結ふに、上下より襷にちがへて、二すぢの中より、わなの頭 を横ざまにひき出すことは、常のことなり。さやうにしたるをば、華嚴院の弘舜僧正解きて直させけり。「これはこの頃やうのことなり。いと見にくし。うるはしくは、ただくるくると捲きて上より下へ、わなの先 を挿むべし。」と申されけり。ふるき人にて、かやうのこと知れる人になむ侍りける。
209
人の田 を論ずるもの、訟へにまけて嫉さに、その田 を刈りて取れとて、人 をつかはしけるに、まづ道すがらの田 をさへ刈りもて行く を、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは。」といひければ、刈るものども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せむとてまかるものなれば、いづく をか刈らざらむ。」とぞいひける。ことわりいとをかしかりけり。
210
喚子鳥は春のものなりと許りいひて、いかなる鳥ともさだかに記せる物なし。ある眞言書の中に、喚子鳥なくとき招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞たつ永き春日の。」など續けたり。鵺鳥も喚子鳥の事樣に通ひて聞ゆ。
211
萬の事は頼むべからず。愚かなる人は、深くもの を頼むゆゑに、うらみ怒ることあり。勢ひありとて頼むべからず、こはき者まづ滅ぶ。財多しとて頼むべからず、時の間に失ひやすし。才ありとて頼むべからず、孔子も時に遇はず。徳ありとてたのむべからず、顔囘も不幸なりき。君の寵 をも頼むべからず、誅 をうくる事速かなり。奴したがへりとて頼むべからず、そむき走ることあり。人の志 をも頼むべからず、かならず變ず。約 をも頼むべからず、信あることすくなし。身 をも人 をも頼まざれば、是なる時はよろこび、非なる時はうらみず、左右廣ければさはらず、前後遠ければふさがらず、せばき時はひしげくだく。心 を用ゐること少しきにしてきびしき時は、物に逆ひ爭ひてやぶる。寛くして柔かなるときは、一毛も損ぜず。人は天地の靈なり。天地はかぎるところなし。人の性何ぞ異ならむ。寛大にして窮らざるときは、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。
212
秋の月は限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらむ人は、無下に心うかるべきことなり。
213
御前の火爐に火おくときは、火箸して挾む事なし。土器より直ちにうつすべし。されば轉び落ちぬやうに心得て、炭 を積むべきなり。八幡の御幸に、供奉の人淨衣 を著て、手にて炭 をさされければ、ある有職の人、「白き物 を著たる日は、火箸 を用ゐる、苦しからず。」と申されけり。
214
想夫戀といふ樂は、女、男 を戀ふる故の名にはあらず。もとは相府蓮、文字のかよへるなり。晉の王儉、大臣として、家に蓮 を植ゑて愛せしときの樂なり。これより大臣 を蓮府といふ。廻忽も廻鶻なり。廻鶻國とて夷の強き國あり、その夷、漢に伏して後にきたりて、おのれが國の樂 を奏せしなり。
215
平宣時朝臣、老いの後昔語に、「最明寺入道、ある宵の間によばるる事ありしに、『やがて。』と申しながら、直垂のなくて、とかくせし程に、また使きたりて、『直垂などのさふらはぬにや。夜なれば異樣なりとも疾く。』とありしかば、なえたる直垂、うちうちの儘にて罷りたりしに、銚子にかはらけ取りそへてもて出でて、『この酒 をひとりたうべむがさうざうしければ申しつるなり。肴こそなけれ、人はしづまりぬらむ。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ。』とありしかば、紙燭さしてくまぐま を求めしほどに、臺所の棚に、小土器に味噌の少しつきたる を見出でて、『これぞ求め得て候。』と申ししかば、『事足りなむ。』とて、心よく數獻に及びて興に入られはべりき。その世にはかくこそ侍りしか。」と申されき。
216
最明寺入道、鶴岡の社參の序に、足利左馬入道の許へ、まづ使 を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりけるやう、一獻に打鮑、二獻にえび、三獻にかい餅にて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、あるじ方の人にて坐せられけり。さて、「年ごとに賜はる足利の染物心もとなく候。」と申されければ、「用意し候。」とて、いろいろの染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせて、後につかはされけり。その時見たる人のちかくまで侍りしが、かたり侍りしなり。
217
ある大福長者の曰く、「人は萬 をさしおきて、一向に徳 をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみ を人とす。徳 をつかむとおもはば、すべからくまづその心づかひ を修行すべし。その心といふは他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、假にも無常 を觀ずる事なかれ。これ第一の用心なり。次に萬事の用 をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に從ひて志 を遂げむと思はば、百萬の錢ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は盡くる期あり。かぎりある財 をもちてかぎりなき願ひに從ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われ を亡すべき惡念きたれりと、かたく愼みおそれて、小用 をもなすべからず。次に、錢 を奴の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦 を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、從へ用ゐることなかれ。次に恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。次に正直にして、約 をかたくすべし。この義 を守りて利 をもとめむ人は、富の來ること、火の乾けるに就き、水の下れるに從ふが如くなるべし。錢つもりて盡きざるときは、宴飮聲色 を事とせず、居所 をかざらず、所願 を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し。」と申しき。そもそも人は所願 を成ぜむがために財 をもとむ。錢 を財とする事は、願ひ をかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何 をか樂しびとせむ。このおきてはただ人間の望み を絶ちて、貧 を憂ふべからずと聞えたり。欲 をなして樂しびとせむよりは、しかじ財なからむには。癰疽 を病む者、水に洗ひて樂しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。ここに至りては、貧富分くところなし。究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。
218
狐は人に食ひつく者なり。堀河殿にて、舍人が寢たる足 を、狐にくはる。仁和寺にて、夜、本寺の前 を通る下法師に、狐三つ飛びかかりて食ひつきければ、刀 を拔きてこれ を拒ぐ間、狐二疋 を突く。一つはつき殺しぬ。二は遁げぬ。法師はあまた所くはれながら、ことゆゑなかりけり。
219
四條黄門命ぜられて曰く、「龍秋は道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りて曰く、『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の五の穴は、聊か訝かしき所の侍るかと、ひそかにこれ を存ず。そのゆゑは、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。その間に勝絶調 をへだてたり。上の穴雙調、次に鳧鐘調 をおきて、夕の穴黄鐘調なり。その次に鸞鏡調 をおきて、中の穴盤渉調、中と六との間に神仙調あり。かやうに間間にみな一律 をぬすめるに、五の穴のみ上の間に調子 をもたずして、しかも間 をくばる事ひとしきゆゑに、その聲不快なり。さればこの穴 を吹くときは、かならずのく。のけあへぬときは物にあはず。吹き得る人難し。』と申しき。料簡のいたり、まことに興あり。先達後生 を恐るといふ事、この事なり。」と侍りき。他日に景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほせてもちたれば、ただ吹くばかりなり。笛はふきながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴ごとに口傳の上に、性骨 を加へて心 を入るる事、五の穴のみにかぎらず。偏にのくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も快からず。上手はいづれ をも吹きあはす。呂律のものにかなはざるは、人の咎なり、器の失にあらず。」と申しき。
220
「何事も、邊土は卑しく頑なれども、天王寺の舞樂のみ、都に恥ぢず。」といへば、天王寺の伶人の申し侍りしは、「當寺の樂は、よく圖 をしらべ合せて、物の音のめでたく整ほり侍ること、外よりも勝れたり。ゆゑは太子の御時の圖、今にはべる博士とす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。そのこゑ黄鐘調の最中なり。寒暑に從ひて上り下りあるべきゆゑに、二月涅槃會より聖靈會までの中間 を指南とす。秘藏のことなり。この一調子 をもちて、いづれの聲 をもととのへ侍るなり。」と申しき。およそ鐘のこゑは黄鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院の聲なり。西園寺の鐘、黄鐘調に鑄らるべしとて、あまたたび鑄替へられけれども、かなはざりける を、遠國よりたづね出されけり。法金剛院の鐘の聲、また黄鐘調なり。
221
建治弘安のころは、祭の日の放免のつけものに、異樣なる紺の布四五端にて、馬 をつくりて、尾髪には燈心 をして、蜘蛛の網かきたる水干に附けて、歌の心などいひて渡りしこと、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか。」と、老いたる道志どもの、今日もかたりはべるなり。この頃は、つけもの年 をおくりて、過差ことの外になりて、萬の重きもの を多くつけて、左右の袖 を人にもたせて、みづからは鋒 をだに持たず、息づき苦しむ有樣いと見ぐるし。
222
竹谷の乘願房、東二條院へ參られたりけるに、「亡者の追善には何事か勝利多き。」と尋ねさせ給ひければ、「光明眞言、寶篋印陀羅尼。」と申されたりける を、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念佛に勝ること候まじとは、など申し給はぬぞ。」と申しければ、「わが宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、まさしく稱名 を追福に修して巨益あるべしと説ける經文 を見及ばねば、何に見えたるぞと、重ねて問はせ給はば、いかが申さむとおもひて、本經のたしかなるにつきて、この眞言、陀羅尼をば申しつるなり。」とぞ申されける。
223
田鶴の大殿は、童名たづ君なり。「鶴 を飼ひ給ひける故に。」と申すは僻事なり。
224
陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、尋ねまうできたりしが、まづさし入りて、「この庭の徒らに廣き事、淺ましく、あるべからぬことなり。道 を知るものは、植うる事 をつとむ。細道ひとつ殘して、みな畠に作りたまへ。」と諫め侍りき。誠にすこしの地 をも徒らに置かむことは益なきことなり。食ふ物、藥種などうゑおくべし。
225
多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手のうちに興ある事ども を選びて、磯の禪師といひける女に教へて、舞はせけり。白き水干に鞘卷 をささせ、烏帽子 をひき入れたりければ、男舞とぞいひける。禪師がむすめ靜といひける、この藝 をつげり。これ白拍子の根源なり。佛神の本縁 をうたふ。その後源光行、おほくの事 をつくれり。後鳥羽院の御作もあり。龜菊に教へさせ給ひけるとぞ。
226
後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが、樂府の御論議の番に召されて、七徳の舞 を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名 をつきにける を、心憂き事にして、學問 をすてて遁世したりける を、慈鎭和尚、一藝ある者をば、下部までも召しおきて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道 を扶持し給ひけり。この行長入道平家物語 を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。さて山門のこと を殊にゆゆしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事は能く知らざりけるにや、多くの事ども を記しもらせり。武士の事弓馬のわざは、生佛東國のものにて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生佛がうまれつきの聲 を、今の琵琶法師は學びたるなり。
227
六時禮讃は、法然上人の弟子安樂といひける僧、經文 を集めて作りて勤めにしけり。その後太秦の善觀房といふ僧、ふしはかせ を定めて聲明になせり。一念の念佛の最初なり。後嵯峨院の御代より始まれり。法事讚も同じく善觀房はじめたるなり。
228
千本の釋迦念佛は、文永のころ、如輪上人これ を始められけり。
229
よき細工は、少し鈍き刀 をつかふといふ。妙觀が刀はいたく立たず。
230
五條の内裏には妖物ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黑戸にて棊 をうちけるに、御簾 をかかげて見る者あり。「誰そ。」と見向きたれば、狐、人のやうについゐてさしのぞきたる を、「あれ狐よ。」ととよまれて、まどひ逃げにけり。未練の狐化け損じけるにこそ。
231
「『園別當入道は、雙なき庖丁者なり。ある人の許にて、いみじき鯉 を出したりければ、みな人、別當入道の庖丁 を見ばやと思へども、たやすくうち出でむも如何とためらひける を、別當入道さる人にて、「この程百日の鯉 を切り侍る を、今日缺き侍るべきにあらず、まげて申しうけむ。」とて切られける、いみじくつきづきしく興ありて、人ども思へりける。』と、ある人北山太政入道殿に語り申されたりければ、『かやうの事、おのれは世にうるさく覺ゆるなり。切りぬべき人なくば、たべ、切らむといひたらむは、猶よかりなむ。なんでふ百日の鯉 を切らむぞ。』と宣ひたりし、をかしくおぼえし。」と人のかたり給ひける、いとをかし。大かたふるまひて興あるよりも、興なくて安らかなるがまさりたることなり。賓客の饗應なども、ついでをかしき樣にとりなしたるも、誠によけれども、唯その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物 を取らせたるも、ついでなくて、「これ を奉らむ。」といひたる、まことの志なり。惜しむよしして乞はれむと思ひ、勝負の負けわざにことつけなどしたる、むつかし。
232
すべて人は無智無能なるべきものなり。ある人の子の、見ざまなど惡しからぬが、父の前にて人と物いふとて、史書の文 をひきたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にては、然らずともと覺えしなり。
またある人の許にて、琵琶法師の物語 をきかむとて、琵琶 を召しよせたるに、柱のひとつ落ちたりしかば、「作りてつけよ。」といふに、ある男の中に、あしからずと見ゆるが、「ふるき柄杓の柄ありや。」などいふ を見れば、爪 をおふしたり。琵琶など彈くにこそ。めくら法師の琵琶、その沙汰にもおよばぬことなり。道に心えたるよしにやと、かたはらいたかりき。「ひさくの柄は、ひもの木とかやいひて、よからぬものに。」とぞ、或人仰せられし。わかき人は、少しの事もよく見え、わろく見ゆるなり。
233
萬の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人 を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるるものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人 をないがしろにするにあり。
234
人の物 を問ひたるに、知らずしもあらじ。有りのままにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したる、よからぬ事なり。知りたる事も、猶さだかにと思ひてや問ふらむ。又まことに知らぬ人もなどか無からむ。うららかに言ひ聞かせたらむは、おとなしく聞えなまし。人はいまだ聞き及ばぬこと を、わが知りたる儘に、「さてもその人の事の淺ましき。」などばかり言ひやりたれば、いかなる事のあるにかと推し返し問ひにやるこそ、こころづきなけれ。世にふりぬる事 をも、おのづから聞きもらす事もあれば、覺束なからぬやうに告げやりたらむ、惡しかるべきことかは。かやうの事は、ものなれぬ人のあることなり。
235
主ある家には、すずろなる人、心の儘に入り來る事なし。主なき所には道行人みだりに立ち入り、狐梟やうの者も、人氣にせかれねば、所得顔に入り住み、木精などいふけしからぬ形もあらはるるものなり。また鏡には、色形なき故に、よろづの影きたりてうつる。鏡に色形あらましかば、うつらざらまし。虚空よくもの を容る。われらが心に、念念のほしきままにきたり浮ぶも、心といふものの無きにやあらむ。心にぬしあらましかば、胸のうちに若干のことは入りきたらざらまし。
236
丹波に出雲といふ所あり。大社 を遷して、めでたく造れり。志太の某とかやしる所なれば、秋の頃、聖海上人、その外も人數多誘ひて、「いざたまへ、出雲拜みに。かいもちひ召させむ。」とて、具しもていきたるに、おのおの拜みて、ゆゆしく信起したり。御前なる獅子狛犬、そむきて後ざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやういと珍し。深き故あらむ。」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は御覽じとがめずや。無下なり。」といへば、おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり、都のつとにかたらむ。」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官 をよびて、「この御社の獅子の立てられやう、定めてならひあることにはべらむ。ちと承らばや。」といはれければ、「そのことに候。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候ことなり。」とて、さし寄りてすゑ直して往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
237
やない筥にすうるものは、縦ざま横ざま、物によるべきにや。「卷物などは縦ざまにおきて、木のあはひより、紙捻り を通して結ひつく。硯も縦ざまにおきたる、筆ころばずよし。」と三條右大臣殿おほせられき。勘解由小路の家の能書の人人は、假にも縦ざまにおかるることなし、必ず横ざまにすゑられ侍りき。
238
御隨身近友が自讚とて、七箇條かきとどめたる事あり。みな馬藝させることなき事どもなり。その例 をおもひて、自讚のこと七つあり。
一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の邊にて、男の馬 を走らしむる を見て、「今一度馬 を馳するものならば、馬倒れて落つべし、しばし見給へ。」とて立ちどまりたるに、また馬 を馳す。とどむる所にて、馬 を引きたふして、乘れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざること を、人みな感ず。
一、當代いまだ坊におはしまししころ、萬里小路殿御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御曹司へ、用ありて參りたりしに、論語の四五六の卷 をくりひろげ給ひて、「ただ今御所にて、紫の朱うばふ事 を惡むといふ文 を、御覽ぜられたき事ありて、御本 を御覽ずれども、御覽じ出されぬなり。なほよくひき見よと仰せ事にて、求むるなり。」と仰せらるるに、「九の卷のそこそこの程に侍る。」と申したりしかば、「あなうれし。」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、兒どもも常のことなれど、昔の人は、いささかの事 をもいみじく自讚したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなむや。」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、
秋の野の草のたもとか花すすきほに出でて招く袖と見ゆらむ
と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌 を覺悟す、道の冥加なり、高運なり。」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九條相國伊通公の款状にも、ことなる事なき題目 をも書きのせて、自讚せられたり。
一、常在光院の撞鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鑄型にうつさせむとせしに、奉行の入道かの草 をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕 をおくれば聲百里に聞ゆ。」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか。」と申したりし を、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり。」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし。」と返り事はべりき。「數行。」もいかなるべきにか、もし「數歩」の意か、おぼつかなし。
一、人あまた伴ひて、三塔巡禮の事侍りしに、横川の常行堂の中、龍華院と書けるふるき額あり。「佐理・行成の間うたがひありて、いまだ決せずと申し傳へたり。」と堂僧ことごとしく申し侍りし を、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず。」といひたりしに、裏は塵つもり、蟲の巣にていぶせげなる を、よく掃き拭ひて、おのおの見侍りしに、行成位署名字年號さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。
一、那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事 を忘れて、「誰かおぼえ給ふ。」といひし を、所化みな覺えざりしに、局のうちより、「これこれにや。」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水 を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師ども をかへして求めさするに、「おなじさまなる大衆多くて、えもとめあはず。」といひて、いと久しくて出でたりし を、「あなわびし。それもとめておはせよ。」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。
一、二月十五日、月あかき夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、すがた匂ひ人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひてすり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そぞろごと言はれし序に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなむありし。情なしと恨み奉る人なむある。」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。この事後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより、人の御覽じ知りて、さぶらふ女房 をつくり立てて、出し給ひて、「便よくばことばなどかけむものぞ。そのありさま參りて申せ、興あらむ。」とてはかり給ひけるとぞ。
239
八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月 をもてあそぶに良夜とす。
240
しのぶの浦の蜑のみるめも所狹く、くらぶの山も守る人しげからむに、わりなく通はむ心の色こそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたき事も多からめ。親はらからゆるして、ひたぶるに迎へすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。世にありわぶる女の、似げなき老法師、怪しの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「さそふ水あらば。」などいふ を、なか人いづかたも心にくきさまにいひなして、知られずしらぬ人 を迎へもて來らむあいなさよ。何事 をかうち出づる言の葉にせむ。年月のつらさ をも、分けこしは山のなどもあひかたらはむこそ、つきせぬ言の葉にてもあらめ。すべてよその人のとりまかなひたらむ、うたて心づきなき事多かるべし。よき女ならむにつけても、品くだり、みにくく、年も長けなむ男は、「かく怪しき身のために、あたら身 をいたづらになさむやは。」と、人も心劣りせられ、わが身はむかひ居たらむも、影はづかしくおぼえなむ、いとこそあいなからめ。梅の花かうばしき夜の朧月にたたずみ、御垣が原の露分け出でむありあけの空も、わが身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、ただ色好まざらむにはしかじ。
241
望月の圓なる事は、暫くも住せず、やがて虧けぬ。心とどめぬ人は、一夜の中に、さまで變る樣も見えぬにやあらむ。病のおもるも、住する隙なくして、死期すでに近し。されども、いまだ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念にならひて、生の中に多くの事 を成じて後、しづかに道 を修せむと思ふ程に、病 をうけて死門に臨む時、所願一事も成ぜず、いふかひなくて、年月の懈怠 を悔いて、この度もしたち直りて、命 を全くせば、夜 を日につぎて、この事かの事怠らず成じてむと、願ひ をおこすらめど、やがて、重りぬれば、われにもあらずとり亂して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事まづ人人急ぎ心におくべし。所願 を成じてのち、いとまありて道にむかはむとせば、所願盡くべからず。如幻の生の中に、何事 をかなさむ。すべて所願皆妄想なり。所願心にきたらば、妄心迷亂すと知りて、一事 をもなすべからず。直ちに萬事 を放下して道に向ふとき、さはりなく、所作なくて、心身ながくしづかなり。
242
とこしなへに、違順につかはるる事は、偏に苦樂の爲なり。樂といふは好み愛する事なり。これ を求むる事止む時無し。樂欲するところ、一には名なり。名に二種あり。行跡と才藝とのほまれなり。二には色欲、三には味ひなり。萬の願ひ、この三には如かず。これ顛倒の相より起りて、若干の煩ひあり。求めざらむには如かじ。
243
八つになりし年、父に問ひていはく、「佛はいかなるものにか候らむ。」といふ。父がいはく、「佛には人のなりたるなり。」と。また問ふ、「人は何として佛にはなり候やらむ。」と、父また、「佛のをしへによりてなるなり。」とこたふ。また問ふ、「教へ候ひける佛をば、何がをしへ候ひける。」と。また答ふ、「それもまた、さきの佛のをしへによりてなり給ふなり。」と。又問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の佛は、いかなる佛にか候ひける。」といふとき、父、「空よりや降りけむ、土よりやわきけむ。」といひて笑ふ。「問ひつめられてえ答へずなり侍りつ。」と諸人にかたりて興じき。
徒然草終