徒然草つれづれぐさ



つれづれなるままに、日ぐらしひぐらしすずり向ひむかいて、こころ移りうつり行くゆくよしなしごと を、そこはかとなく書きかきつくれば、怪しうあやしゅうこそ物狂ほしけれものぐるおしけれ

いでや、この生れうまれては、願はしかるねがわしかるべきことこそ多かおおかるめれ。みかどおんくらいはいともかしこし。たけ園生そのう末葉ばつようまで、人間にんげんたねならぬぞやんごとなき。いちひとおんありさまはさらなり、唯人ただびとも、舎人とねりなどたまはるたまわるあいだは、ゆゆしと見ゆみゆ。そのまごまでは、はふれにたれど、なほなおなまめかし。それよりしたかたは、ほどにつけつつ、とき逢ひあいしたり顔したりがおなるも、みづからみずからはいみじと思ふおもうらめど、いと口惜しくちおし法師ほうしばかり羨しからともしからぬものはあらじ、「ひとにははしやうよう思はおもわるるよ。」と、清少納言せいしょうなごん書けかけるも、げにさることぞかし。せいもうにののしりたるにつけて、いみじとは見えみえず。増賀そうがひじりいひいいけむやうように、聞ぐるしくききぐるしくほとけおんおしえ違ふたがうらむとぞ覺ゆるおぼゆる。ひたぶるのすてひとは、なかなかあらまほしきかたもありなむ。ひとはかたち有樣ありさま勝れすぐれたらむこそ、あらまほしかるべけれ。ものうち言ひいいたる、聞きききにくからず、愛敬あいぎょうありて、ことば多からおおからぬこそ、飽かあか對はむかわまほしけれ。めでたしと見るみるひとの、心劣りこころおとりせらるる本性ほんじょう見えみえむこそ、口をしかるくちおしかるべけれ。人品じんぴん容貌ようぼうこそ生れうまれつきたらめ、こころはなどか、賢きかしこきより賢きかしこきにも、うつさば移らうつらざらむ。かたち心かたちこころざまよきひとも、ざえなくなりぬれば、人品じんぴんくだり、かおにくさげなるひとにも立ちたちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意ほんいなきわざなれ。ありたきことは、まことしきふみみち作文さくもん和歌わか管絃かんげんみち、また有職ゆうそく公事くじのかた、ひとかがみならむこそいみじかるべけれ。など拙からつたなからずはしりがき、こえをかしくおかしく拍子ひょうしとり、いたましういたましゅうするものから、下戸げこならぬこそおとこはよけれ。

2

いにしへいにしえひじり御代みよまつりごと をも忘れわすれたみ憂へうれえくにそこなはそこなわるる をも知らしらず、よろずにきよら を盡しつくして、いみじと思ひおもい所狹きところせきさましたるひとこそ、うたて、思ふおもうところなく見ゆれみゆれ。「衣冠いかんより馬車むまくるま至るいたるまで、あるに隨ひしたがいもちひよもちいよ美麗びれい求むるもとむることなかれ。」とぞ九條くじょう殿どの遺誡ゆいかいにもはべる。順徳じゅんとくいんの、禁中きんちゅうことども書かかか給へたまえるにも、「おほやけおおやけたてまつりものはおろそかなる をもってよしとす。」とこそ侍れはべれ

3

よろづよろずにいみじくとも、いろ好まこのまざらむおとこは、いとさうざうしくそうぞうしくたまさかずきそこなき心地ここちぞすべき。露霜つゆじもしほたれしおたれて、ところさだめず惑ひまどい歩きありきおやのいさめ、のそしり をつつむに、こころのいとまなく、あわせふさ離るはなるるさに思ひ亂れおもいみだれ、さるは獨りひとりがちに、まどろむなきこそ、をかしけれおかしけれ。さりとて一向いっこうたはれたわれたるかたにはあらで、おんなにたやすからずおもはおもわれむこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

4

のちのことこころ忘れわすれず、ほとけみちうとからぬ、心にくしこころにくし

5

不幸ふこう憂へうれえ沈めしずめひとの、頭おろしかしらおろしなど、ふつつかに思ひおもいとりたるにはあらで、有るある無きなきかにかどさしこめて、待つまつこともなく明しあかし暮らしくらしたる、さるかたにあらまほし。あきもとのちゅう納言なごんいひいいけむ、「配所はいしょつきつみなくてむ。」こと、さもおぼえぬべし。

6

われのやんごとなからむにも、ましてかずならざらむにも、いふいうもの無くなくてありなむ。さき中書ちゅうしょおう九條くじょう太政だいじょう大臣だいじん花園はなぞの大臣だいじんみなやから絶えたえこと願ひねがい給へたまえり。染殿そめどの大臣おとど子孫しそんおはせおわせぬぞよく侍るはべるすえ後れおくれ給へたまえるは、わろきことなりとぞ、世繼よつぎおきな物語ものがたりにはいへいえる。聖徳しょうとく太子たいしおんはか を、かねて築かつか給ひたまいけるときも、「ここ をきれ、かしこ をきりて。子孫しそんあらせじと思ふおもうなり。」と侍りはべりけるとかや。

7

あだし野あだしのつゆ消ゆるきゆるときなく、鳥部とりべやまけぶり立ちたちさらでのみ住みすみ果つるはつる習ひならいならば、いかにもの哀れあわれもなからむ。定めなきさだめなきこそいみじけれ。いのちあるもの を見るみるに、ひとばかり久しきひさしきはなし。かげろふかげろうゆうべ待ちまちなつせみ春秋はるあき知らしらぬもあるぞかし。つくづくとひととせ暮らすくらすほどだにも、こよなうこよのうのどけしや。飽かあか惜しおしおもはおもわば、千年ちとせ過すすぐすとも、いちゆめ心地ここちこそせめ。住みすみはてぬに、醜きみにくきすがた を待ちまちえて、なにかはせむ。いのち長けれながけれはじおほしおおし長くながくとも四十よそじ足らたらぬほどにて死なしなむこそ、目安かるめやすかるべけれ。そのほど過ぎすぎぬれば、かたち を愧づるはずるこころもなく、ひとにいでまじらはまじらわこと思ひおもいゆうべ子孫しそん愛しあいしさかえ行くゆくすえむまでのいのち をあらまし、ひたすら貪るむさぼるこころのみ深くふかくものあはれあわれ知らしらずなり行くゆくなむあさましき。

8

ひとこころ惑はすまどわすこと色欲しきよくには如かしかず。ひとこころ愚かおろかなるものかな。匂ひにおいなどはかりのものなるに、しばらく衣裳いしょう薫物たきものすと知りしりながら、えならぬ匂ひにおいには、必ずかならず心ときめきこころときめきするものなり。久米くめ仙人せんにんの、もの洗ふあらうおんなはぎ白きしろきて、つう失ひうしないけむは、まことに手足てあしはだえなどのきよらに、肥えこえあぶらづきたらむは、ほかいろならねばさもあらむかし。

9

おんなかみのめでたからむこそ、ひとのめだつべかべかんめれ。ひとほど心ばへこころばえなどは、ものうち言ひいいたるけはひけわいにこそ、物ごしものごしにも知らしらるれ。こと觸れふれてうちあるさまにも、ひとこころ惑はしまどわし、すべておんなのうちとけたる、いもねず、惜しおしとも思ひおもいたらず、堪ふたうべくもあらぬわざにもよく堪へ忍ぶたえしのぶは、ただいろ思ふおもうゆゑゆえなり。まことに愛著あいじゃくみち、その深くふかくみなもと遠しとおし六塵ろくじん樂欲ぎょうよく多しおおしいへいえども、みな厭離えんりしつべし。そのなかに、ただかの惑ひまどいのひとつ止めとどめがたきのみぞ、老いおいたるも若きわかきも、あるも愚かおろかなるも、變るかわるところなしとぞ見ゆるみゆる。さればおんな髪筋かみすじ縒れよれつなには、大象だいぞうもよくつながれ、おんなのはける足駄あしだにて造れつくれふえには、あき鹿しか必ずかならず寄るよるとぞいひいい傳へつたえ侍るはべる自らみずから戒めいましめて、恐るおそるべく愼むつつしむべきはこの惑ひまどいなり。

10

家居いえいのつきづきしくあらまほしきこそ、かり宿りやどりとは思へおもえど、きょうあるものなれ。よきひと長閑のどか住みすみなしたるところは、さし入りいりたるつきいろも、一際ひときわしみじみと見ゆるみゆるぞかし。今めかしくいまめかしくきららかならねど、木立こだちものふりて、わざとならぬにわくさこころあるさまに、簀子すのこ透垣すいがいのたよりをかしくおかしく、うちある調度じょうども、むかし覺えおぼえてやすらかなるこそ、心にくしこころにくし見ゆれみゆれ多くおおく工匠たくみの、こころ盡しつくし磨きみがきたて、もろこし日本にっぽんの、珍しくめずらしくえならぬ調度じょうどども竝べならべおき、前栽せんさい草木くさきまで、こころのままならず作りつくりなせるは、見るみる苦しくくるしく、いとわびし。さてもやはぞん住むすむべき、またときけぶりともなりなむとぞ、うち見るみるよりも思はおもわるる。大かたおおかたは、家居いえいにこそことざまは推しおしはからるれ。のち徳大寺とくだいじ大臣おとどの、寢殿しんでんとびさせじとてなわ張らはられたりける を、西行さいぎょうて、「とびたらむなにかは苦しかるくるしかるべき。この殿とのおんこころさばかりにこそ。」とて、そののち參らまいらざりけると聞ききき侍るはべるに、綾小路あやのこうじのみやおはしますおわします小坂こざか殿どのむねに、いつぞやなわ引かひかれたりしかば、のためし思ひおもい出でいでられ侍りはべりしに、「まことや、からすのむれいけかえる をとりければ、御覽じごらんじ悲しまかなしま給ひたまいてなむ。」とひと語りかたりしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。のち徳大寺とくだいじにも、いかなるゆゑゆえ侍りはべりけむ。

11

神無月かみなづきころ栗栖野くるすのいふいうところ過ぎすぎて、ある山里やまざと尋ねたずね入るいること侍りはべりしに、遙かはるかなるこけ細道ほそみち をふみわけて、心細くこころぼそく住みすみなしたるいおりあり。うづもるるうずもるるかけいしずくならでは、つゆおとなふおとなうものなし。閼伽あかだなに、きく紅葉こうようなど折りおりちらしたる、さすがに住むすむひとのあればなるべし。かくても在らあられけるよと、あはれあわれ見るみるほどに、かなたのにわに、大きおおきなる柑子こうじの、えだもたわわになりたるが、まはりまわり嚴しくきびしく圍ひかこいたりしこそ、少しすこしことさめて、このなからましかばと覺えおぼえしか。

12

同じおなじこころならむひとと、しめやかに物語ものがたりして、をかしきおかしきことのはかなきことも、うらなくいひいい慰まなぐさまむこそ嬉しかるうれしかるべきに、さるひとあるまじければ、つゆ違はたがわざらむと向ひむかいたらむは、ひとりある心地ここちやせむ。たがいいはいわむほどのことをば、げにと聞くきくかひかいあるものから、いささか違ふたがうところもあらむひとこそ、「われやは思ふおもう。」など爭ひあらそいにくみ、「さるからさぞ。」ともうち語らはかたらわば、つれづれ慰まなぐさまめと思へおもえど、げには少しすこしかこつかたも、われとひとしからざらむひとは、大かたおおかたのよしなしごといはいわほどこそあらめ、まめやかのこころともには遙かはるかにへだたるところのありぬべきぞわびしきや。

13

ひとり燈火ともしびのもとにふみ をひろげて、ひとともとするこそ、こよなうこよのう慰むなぐさむわざなれ。ふみ文選もんぜんあはれあわれなるまきまきはく文集もんじゅう老子ろうしのことば、南華なんかへん。このくに博士はかせどもの書けかけるものも、いにしへいにしえのは、あはれあわれなること多かりおおかり

14

和歌わかこそなほなおをかしきおかしきものなれ。あやしのあやし山がつやまがつ所作しょさも、いひいい出づれいずれ面白くおもしろく恐ろしきおそろしきいのししも、ふしいのししとこいへいえばやさしくなりぬ。このころうたは、ひとふしをかしくおかしく言ひいいかなへかなえたりと見ゆるみゆるはあれど、古きふるきうたどものやうように、いかにぞや、言葉ことばほか哀れあわれにけしき覺ゆるおぼゆるはなし。貫之つらゆきが、「いとによるものならなくに。」といへいえるは、古今こきんしゅうなか歌屑うたくずとかやいひいい傳へつたえたれど、いまひと詠みよみぬべきことがらとは見えみえず。そのうたには、すがたことば、このたぐいのみ多しおおし。このうた限りかぎりて、かくいひいい立てたてられたるも知りしりがたし。げん物語ものがたりには、「ものとはなしに。」とぞ書けかける。しん古今こきんには、「のこるまつさへさえみねにさびしき。」といへいえうた をぞいふいうなるは、まこと少しすこしくだけたるすがたにもや見ゆみゆらむ。されどこのうたも、衆議しゅぎはんとき、よろしきよし沙汰さたありて、のちにもことさらに感じかんじおほせおおせ下さくだされけるよし、家長いえなが日記にっきには書けかけり。うたみちのみいにしへいにしえ變らかわらぬなどいふいうこともあれど、いさや、いまもよみあへあえる、同じおなじことば歌枕うたまくらも、むかしのひとのよめるは、更にさらにおなじものにあらず。やすくすなほすなおにして、すがたもきよげに、あはれあわれ深くふかく見ゆみゆ梁塵りょうじん秘抄ひしょう郢曲えいきょくのことばこそ、またあはれあわれなることおほかおおかるめれ。むかしのひとは、いかにいひいい捨てすてたる言種ことぐさも、みないみじく聞ゆるきこゆるにや。

15

いづくいずくにもあれ、暫ししばし旅立ちたびだちたるこそ、さむる心地ここちすれ。そのわたり、ここかしこありき、田舍いなかびたるところ山里やまざとなどは、いと目馴れめなれぬことのみぞ多かるおおかるみやこへたよりもとめてふみやる。「そのことかのこと便宜びんぎにわするな。」などいひいいやるこそをかしけれおかしけれさやうさようところにてこそ、よろず心づかひこころづかいせらるれ。持てもて調度じょうどまで、よきはよく、のうあるひとも、かたちよきひとも、つねよりはをかしおかしとこそ見ゆれみゆれ寺社じしゃなどに忍びしのびてこもりたるもをかしおかし

16

神樂かぐらこそなまめかしく面白けれおもしろけれ大かたおおかたものおとにはふえ篳篥ひちりきつね聞きききたきは琵琶びわ和琴わごん

17

山寺やまでらにかきこもりて、ほとけ仕うまつるつこうまつるこそ、つれづれもなく、こころ濁りにごりもきよまる心地ここちすれ。

18

ひとはおのれ をつづまやかにし、驕りおごり退けしりぞけたから有たたもたず、貪らむさぼらざらむぞいみじかるべき。むかしより賢きかしこきひと富めとめるはまれなり。唐土とうど許由きょゆういひいいつるひとは、更にさらに隨へしたがえ貯へたくわえもなくて、みず をもしてささげて飮みのみける をて、なりひさごといふいうもの を、ひとさせたりければ、あるときえだにかけたりければ、かぜ吹かふかれて鳴りなりける を、かしがましとて捨てすてつ。またにむすびてぞみず飮みのみける。いかばかりこころなかすずしかりけむ。孫晨そんしんふゆつきふすまなくて、わらひとつかありける を、ゆうべにはこれに臥しふしあしたにはをさめおさめけり。もろこしのひとは、これ をいみじと思へおもえばこそ、しるしとどめてにも傳へつたえけめ。これらのひと語りかたり傳ふつたうべからず。

19

折節おりふしのうつり變るかうるこそ、ものごと哀れあわれなれ。もの哀れあわれあきこそまされと、ひとごといふいうめれど、それも然るしかるものにて、いま一きはひときわこころもうきたつものは、はる景色けいそくにこそあんめれ。とりこえなどもことのほかはるめきて、のどやかなる日かげひかげに、垣根かきねくさ萌えもえ出づるいずるころより、ややはるふかく霞みかすみわたりて、はなやうやうようよう氣色けしきだつほどこそあれ、をりおりしも雨風あめかぜうちつづきて、こころあわただしく散りちりすぎぬ。青葉あおばになりゆくまで、よろず唯心ゆいしん をのみぞなやます。花橘はなたちばなにこそおへおえれ、なほなおむめにほひにおいにぞ、いにしへいにしえこと立ちかへりたちかえり戀しうこいしゅう思ひおもい出でいでらるる。山吹やまぶきのきよげに、ふじのおぼつかなきさましたる、すべて思ひおもいすて難きがたきことおほしおおし

灌佛かんぶつのころ、まつりのころ、若葉わかばこずえすずしげに繁りしげりゆくほどこそ、あはれあわれひと戀しこいしさもまされと、ひとおほせおおせられしこそ、實にげにさるものなれ。五月さつき、あやめ葺くふくころ、早苗さなえとるころ、水鷄くいなのたたくなど、心ぼそからこころぼそからぬかは。六月みなづきころあやしきいえに、夕顔ゆうがお白くしろく見えみえて、蚊遣かやりふすぶるもあはれあわれなり。六月祓みなづきばらえまたをかしおかし七夕たなばた祭るまつるこそなまめかしけれ。やうやうようよう夜寒よさむになるほど、かりなきて來るくるころはぎ下葉したば色づくいろづくほど、早稻田わせだ刈りほすかりほすなど、とり集めあつめたることはあきのみぞおほかるおおかる。また野分のわきあしたこそをかしけれおかしけれいひいいつづくれば、みなげん物語ものがたりまくら草紙そうしなどにことふりにたれど、おなじことまた今更いまさらいはいわじとにもあらず。おぼしきこと云はいわぬははらふくるるわざなれば、ふでにまかせつつ、あぢきなきあじきなきすさびにて、かいやり捨つすつべきものなれば、ひと見るみるべきにもあらず。さて冬枯ふゆがれ景色けいそくこそ、あきにはをさをさおさおさ劣るおとるまじけれ。みぎわくさ紅葉もみじのちりとどまりて、しもいと白うしろう置けおけあした遣水やりみずよりけぶりのたつこそをかしけれおかしけれとし暮れくれはてて、ひとごとに急ぎいそぎあへあえころぞ、またなくあはれあわれなる。すさまじきものにして見るみるひともなきつきの、寒けくさむけく澄めすめ二十はつあまりのそらこそ、心ぼそきこころぼそきものなれ。佛名ぶつみょう荷前のさき使つかいたつなどぞ、あはれあわれにやんごとなき。公事くじどもしげく、はるのいそぎにとり重ねとりかさねて、催しもよおし行はおこなわるるさまぞいみじきや。追儺ついなより四方しほうはいにつづくこそおもしろけれ。晦日かいじついたういとう暗きくらきに、まつどもともして、夜半よわすぐるまで、ひとかど叩きたたき走りはしりありきて、何事なにごとにかあらむ、ことごとしくののしりて、あしそらまどふまどうが、曉がたあかつきがたより、さすがにおとなくなりぬるこそ、としのなごりも心細けれこころぼそけれ亡きなきひとのくるとてたましいまつるわざは、このごろみやこには無きなき を、ひんがしかたにはなおすることにてありしこそ、あはれあわれなりしか。かくて明けあけゆくそらのけしき、昨日きのう變りかわりたりとは見えみえねど、ひきかへかえ珍しきめずらしき心地ここちぞする。大路おおちのさま、まつ立てたてわたして、花やかはなやかにうれしげなるこそ、また哀れあわれなれ。

20

なにがしとかやいひいいすてひとの、こののほだしもたらぬに、ただそらのなごりのみぞ惜しきおしき。」といひいいしこそ、まことにさも覺えおぼえぬべけれ。

21

よろずことは、つき見るみるにこそ慰むなぐさむものなれ。あるひとの、「つきばかり面白きおもしろきものは有らあらじ。」といひいいしに、またひとり、「つゆこそあはれあわれなれ。」と爭ひあらそいしこそをかしけれおかしけれおりにふればなにかはあはれあわれならざらむ。月花げっかはさらなり、かぜのみこそひとこころはつくめれ。いわ碎けくだけ清くきよく流るるながるるみずのけしきこそ、とき をもわかずめでたけれ。「げんしょう日夜にちやとう流れながれ去るさる愁人しゅうじんためにとどまること少時しばらくもせず。」といへいえ侍りはべりしこそあはれあわれなりしか。嵆康けいこうも、「山澤やまさわにあそびて魚鳥ぎょちょう見れみれこころ樂しぶたのしぶ。」といへいえり。ひと遠くとおく水草みくさきよきところさまよひ歩きさまよいあるきたるばかり、こころ慰むなぐさむことはあらじ。

22

何事なにごと古きふるきのみぞ慕はしきしたわしき今樣いまよう無下むげ卑しくいやしくこそなり行くゆくめれ。かのみちたくみのつくれる美しきうつくしきうつわものも、古代こだい姿すがたこそをかしおかし見ゆれみゆれふみことばなどぞ、むかし反古ほぐどもはいみじき。ただいふいうことばも、口惜しうくちおしゅうこそなりもて行くゆくなれ。いにしえは、「くるまもたげよ。」「掲げよかかげよ。」とこそいひいいし を、今やういまようひとは、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふいう主殿寮とのもりょうの「人數ひとかずだて。」といふいうべき を、「立明したてあかし白くしろくせよ。」といひいい最勝さいしょうこう聽聞ちょうもんじょなるをば、「こう。」とこそいふいうべき を、「講廬こうろ。」といふいう口をしくちおしとぞ、古きふるきひと仰せおおせられし。

23

衰へおとろえたるすえとはいへいえど、なお九重ここのえ神さびかみさびたる有樣ありさまこそ、世づかよづかずめでたきものなれ。露臺ろだい朝餉あさがれい何殿なにでん何門なにもんなどは、いみじとも聞ゆきこゆべし。怪しあやしところにもありぬべき小蔀こじとみ板敷いたじきたか遣戸やりどなども、めでたくこそ聞ゆれきこゆれ。「じん設けもうけせよ。」といふいうこそいみじけれ。御殿ごてんのをば、「かきともしび疾うとうよ。」などいふいう、まためでたし。上卿しょうけいの、じんにてこと行へおこなえさまさらなり、諸司しょし下人げにんどもの、したり顔したりがおになれたるもをかしおかし。さばかり寒きさむき終夜しゅうや此處彼處ここかしこ睡りねぶりたるこそをかしけれおかしけれ。「内侍ないしところおんすずおとは、めでたくゆうなるものなり。」とぞ、徳大寺とくだいじ太政だいじょう大臣だいじん仰せおおせられける。

24

齋宮さいぐう野の宮ののみやおはしますおわします有樣ありさまこそ、やさしく面白きおもしろきこと限りかぎりとは覺えおぼえしか。經佛きょうほとけなど忌みいみて、中子なかご染紙そめがみなどいふいうなるもをかしおかし。すべてかみやしろこそ、捨てすて難くがたくなまめかしきものなれや。ものふりたるもり景色けいそくもただならぬに、玉垣たまがきしわたして、さかき木綿しめかけたるなど、いみじからぬかは。ことをかしきおかしきは、伊勢いせ賀茂かも春日かすが平野ひらの住吉すみよし三輪みわ貴船きぶね吉田よしだの大原野おおはらの松尾まつのお梅宮うめのみや

25

飛鳥あすかがわ淵瀬ふちせつねならぬにしあれば、ときうつりこと去りさり樂しびたのしび悲しびかなしび行きゆきかひかいて、花やかはなやかなりしあたりも、ひとすまぬ野らのらとなり、變らかわら住家すみかひとあらたまりぬ。桃李とうりものいはいわねば、たれともにかむかし語らかたらむ。ましていにしえのやんごとなかりけむあとのみぞいとはかなき。京極きょうごく殿どの法成ほうじょうなど見るみるこそ、こころざし留まりとどまりこと變じへんじにけるさま哀れあわれなれ。御堂みどう殿どの作り磨かつくりみがか給ひたまいて、莊園しょうえん多くおおく寄せよせられ、われおんやからのみ、御門みかどおん後見うしろみのかためにて、ゆくすえまでとおぼしおきしとき、いかならむにも、かばかりあせ果てはてむとはおぼしてむや。大門だいもん金堂こんどうなど近くちかくまでありしかど、正和しょうわのころ南門なんもん燒けやけぬ。金堂こんどうはそののちたふれたうれ伏しふしたるままにて、取りとりたつるわざもなし。無量むりょうとしいんばかりぞ、そのかたとて殘りのこりたる。丈六じょうろくぶつたい、いと尊くとうとく竝びならびおはしますおわします行成こうぜいだい納言なごんひたい兼行かねゆき書けかけとびら、あざやかに見ゆるみゆるあはれあわれなる。法花ほけどうなどもいまだ侍るはべるめり。これもまたいつまでかあらむ。かばかりの名殘なごりだになき所所ところどころは、おのづからおのずからいしずえばかり殘るのこるもあれど、さだかに知れしれひともなし。さればよろずざらむまで を思ひ掟ておもいおきてむこそ、はかなかるべけれ。

26

かぜ吹きふきあへあえ移ろふうつろうひとこころはなに、馴れなれにし年月としつきおもへおもえば、あはれあわれ聞ききき言の葉ことのはごとに忘れわすれぬものから、われほかになり行くゆくならひならいこそ、亡きなきひと別れわかれよりも勝りまさり悲しきかなしきものなれ。されば白きしろきいと染まそまこと悲しびかなしびみちちまたのわかれむこと歎くなげくひともありけむかし。堀河ほりかわいんひゃくしゅうたなかに、

むかしいもうと垣根かきね荒れあれにけり茅花つばなまじりのすみれのみして

さびしきけしき、さること侍りはべりけむ。

27

おんくにゆづりゆずり節會せちえ行はおこなわれて、つるぎしるし内侍ないしところわたし奉らたてまつらるるほどこそ、かぎりなうかぎりのう心ぼそけれこころぼそけれ新院しんいんのおりさせ給ひたまいてのはる、よませ給ひたまいけるとかや。

殿守とのもりとものみやつこよそにしてはらははらわにわはな散りちりしく

いまのことしげきにまぎれて、いんにはまゐるまいるひともなきぞ寂しさびしげなる。かかるをりおりにぞひとこころあらはれあらわれぬべき。

28

諒闇りょうあんとしばかり哀れあわれなることはあらじ。倚廬いろ御所ごしょのさまなど、板敷いたじき をさげ、あし御簾みす をかけて、ぬの帽額もこうあらあらしく、調度じょうどども疎かおろそかに、みな人みなひと裝束そうぞく太刀たち平緒ひらおまで、異樣いようなるぞゆゆしき。

29

靜かしずか思へおもえば、よろづよろず過ぎすぎにしかたの戀しこいしさのみぞせむかたなき。ひとしづまりしずまりのち永きながきのすさびに、なにとなき具足ぐそくとりしたため、殘し置かのこしおかじと思ふおもう反古ほぐなど破りやぶりすつるなかに、なきひとの、手習ひてならいかきすさびたる出でいでたるこそ、ただそのおり心地ここちすれ。このごろあるひとふみだに、久しくひさしくなりて、いかなるをりおり、いつのとしなりけむと思ふおもうは、あはれあわれなるぞかし。手なれてなれ具足ぐそくなども、こころもなくてかはらかわら久しきひさしき、いとかなし。

30

ひと亡きなきあとばかり悲しきかなしきはなし。中陰ちゅういんほど山里やまざとなどに移ろひうつろいて、便りたよりあしく狹きせばきところにあまたあひあいて、のちのわざども營みいとなみあへあえる、こころあわただし。日數ひかず早くはやく過ぐるすぐるほどぞ、ものにもぬ。はてのはいと情なうなさけのうたがいいふいうこともなく、我かしこわれかしこげにものひきしたため、ちりぢりに行きゆきあかれぬ。もとの住家すみかかへりかえりてぞ、さらに悲しきかなしきことは多かるおおかるべき。しかじかのことはあなかしこ、あとのため忌むいむなることぞなどいへいえるこそ、かばかりのなかなにかはと、ひとこころなほなおうたて覺ゆれおぼゆれ年月としつきてもつゆ忘るるわするるにはあらねど、「去るさるものは日日ひにち疎しうとし。」といへいえことなれば、さはいへいえど、そのきわばかりは覺えおぼえぬにや、よしなしこといひいいてうちも笑ひわらいぬ。かばねはけうときやまなかをさめおさめて、さるべきばかり詣でもうでつつ見れみれば、程なくほどなく卒都婆そとば苔むしこけむしふり埋みうずみて、ゆうべあらしつきのみぞ、言問ふこととうよすがなりける。思ひおもい出でいで忍ぶしのぶひとあらむほどこそあらめ。そもまたほどなくうせて、聞ききき傳ふるつたうるばかりの末末すえずえは、あはれあわれとやは思ふおもう。さるはあととふとうわざも絶えたえぬれば、いづれいずれひと をだに知らしらず、年年ねんねんはるくさのみぞ、こころあらむひと哀れあわれ見るみるべき を、はてはあらしにむせびしまつも、千年ちとせ待たまたたきぎにくだかれ、ふるきつかはすかれてとなりぬ。そのかたちだになくなりぬるぞ悲しきかなしき

31

ゆき面白うおもしろう降りふりたりしあしたひとばかりいふいうべきことありて、ふみ をやるとて、ゆきのことはなにともいはいわざりし返り事かえりごとに、「このゆきいかが見るみると、ひとふでのたまはせのたまわせほどの、ひがひがしからむひと仰せおおせらるること聞ききき入るいるべきかは、かへかえすべす口惜しきくちおしきおんこころなり。」といひいいたりしこそ、をかしかりおかしかりしか。いま亡きなきひとなれば、かばかりのこと忘れわすれがたし。

32

九月ながつき二十はつころ、あるひと誘はさそわ奉りたてまつりて、明くるあくるまでつき歩くありくこと侍りはべりしに、思しおぼし出づるいずるところありて、案内あんないせさせて入りいり給ひたまいぬ。荒れあれたるにわつゆしげきに、わざとならぬ匂ひにおいしめやかにうち薫りかおりて、忍びしのびたるけはひけわい、いと物あはれものあわれなり。よきほどにて出でいで給ひたまいぬれど、なおことざまのゆう覺えおぼえて、もののかくれよりしばしたるに、妻戸つまどいま少しすこしおしあけて、つき見るみるけしきなり。やがてかけ籠らこもらましかば、口惜しからくちおしからまし。あとまで見るみるひとありとは如何でいかで知らしらむ。かやうかようことは、ただ朝夕あさゆう心づかひこころづかいによるべし。そのひと程なくほどなく亡せうせにけりと聞ききき侍りはべりし。

33

いま内裏うちつくりいだされて、有職ゆうそく人人ひとびと見せみせられけるに、いづくいずくなんなしとて、すでに遷幸せんこう近くちかくなりけるに、玄輝門院げんきもんいん御覽ごらんじて、「閑院かんいん殿どの櫛形くしがたあなは、まろくえんもなくてぞありし。」と仰せおおせられける、いみじかりけり。これは入りいりて、にてえん をしたりければ、誤りあやまりにて直さなおされにけり。

34

甲香かいこうは、ほらかいさまなるが、小さくちいさくて、くちほど細長ほそながにして出でいでたるかいふたなり。武藏むさしくに金澤かなざわいふいううらにありし を、ところものは「へなたり。」と申しもうし侍るはべるとぞいひいいし。

35

惡きあしきひとの、憚らはばからふみかきちらすはよし。見苦しみぐるしとてひと書かかかするはうるさし。

36

久しくひさしく訪れおとずれころ、いかばかり恨むうらむらむと、われ怠りおこたり思ひおもい知らしられて、言葉ことばなき心地ここちするに、おんなのかたより、「仕丁じちょうやある、一人ひとり。」なんどいひいいおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。「さるこころざましたるひとぞよき。」と、ひと申しもうし侍りはべりし、さもあるべきことなり。

37

朝夕あさゆうへだてなく馴れなれたるひとの、ともあるときに、われこころ をおき、ひきつくろへつくろえさま見ゆるみゆるこそ、今更いまさらかくやはなどいふいうひともありぬべけれど、なおげにげにしくよきひとかなとぞ覺ゆるおぼゆる疎きうときひとのうちとけたることなどいひいいたる、またよしと思ひおもいつきぬべし。

38

名利みょうり使はつかわれて靜かしずかなるひまなく、一生いっしょう苦しむるくるしむるこそ愚かおろかなれ。たから多けれおおけれ守るまもるにまどし。がい買ひかい煩ひわずらい招くまねくなかだちなり。のちにはこがね をして北斗ほくと支ふささうとも、ひとためにぞ煩はわずらわるべき。愚かおろかなるひと喜ばよろこばしむる樂しびたのしびまたあぢきなしあじきなし大きおおきなるくるま肥えこえたるむま金玉きんぎょく飾りかざりも、こころあらむひとはうたて愚かおろかなりとぞ見るみるべき。こがねやまにすて、たまふちになぐべし。惑ふまどうは、すぐれて愚かおろかなるひとなり。埋もれうずもれ をながき殘さのこさむこそあらまほしかるべけれ。くらい高くたかくやんごとなき をしも、勝れすぐれたるひととやはいふいうべき。愚かおろか拙きつたなきひとも、いえ生れうまれときあへあえば、高きたかきくらいにのぼり、驕りおごり極むるきわむるもあり。いみじかりし賢人けんじん聖人しょうにんみづからみずから卑しきいやしきくらいをりおりとき遇はあわずして止みやみぬる、また多しおおし偏にひとえに高きたかき官位かんい望むのぞむも、つぎにおろかなり。智惠ちえこころとこそ、勝れすぐれたるほまれ殘さのこさまほしき を、つらつら思へおもえば、ほまれ愛するあいするひと聞ききき喜ぶよろこぶなり。譽むるほむるひと毀るそしるひととも留まらとどまらず、傳へつたえ聞かきかひとまたまた速かすみやか去るさるべし。たれ をか恥ぢはじたれにか知らしられむこと を願はねがわむ。ほまれはまたこほちのもとなり。のち殘りのこり更にさらに益なしやくなし。これ を願ふねがうつぎ愚かおろかなり。ただし強ひしいさとり をもとめ、けんねがふねがうひとためいはいわば、智惠ちえ出でいでてはいつわりあり、才能さいのう煩惱ぼんのう増長ぞうじょうせるなり。傳へつたえ聞ききき學びまなび知るしるは、まことのさとりにあらず。いかなる をかいふいうべき。不可ふかいっじょうなり。いかなる をかぜんいふいう。まことのひとは、もなくとくもなく、こうもなくもなし。たれ知りしりたれ傳へつたえむ。これとく をかくし守るまもるにあらず、もとより賢愚けんぐ得失とくしつさかひさかい居らおらざればなり。まよひまよいこころ をもちて名利みょうりよう求むるもとむるに、かくの如しごとし萬事ばんじはみななり。いふいう足らたらず、願ふねがう足らたらず。

39

あるひと法然ほうねん上人しょうにんに、「念佛ねんぶつとき睡りねぶり犯さおかされてゆく怠りおこたり侍るはべること如何いかして障りさわり をやめ侍らはべらむ。」と申しもうしければ、「覺めさめたらむほど念佛ねんぶつ給へたまえ。」と答へこたえられたりける、いと尊かりとうとかりけり。また、「往生おうじょうは、一定いちじょう思へおもえ一定いちじょう不定ふじょう思へおもえ不定ふじょうなり。」といはいわれけり。これも尊しとうとし。また、「疑ひうたがいながらも念佛ねんぶつすれば往生おうじょうす。」ともいはいわれけり。これまた尊しとうとし

40

因幡いなばのくにに、なに入道にゅうどうとかやいふいうもののおんな、かたちよしと聞きききて、ひと數多あまたいひいいわたりけれども、このおんなただくり をのみ食ひくいて、更にさらにこめたぐひたぐい食はくわざりければ、「かかることさまのもの、ひと見ゆみゆべきにあらず。」とておやゆるさざりけり。

41

五月さつきいつ賀茂かも競馬けいば侍りはべりしに、くるままえ雜人ぞうにんたち隔てへだて見えみえざりしかば、おのおのおりてらちきわによりたれど、ことひと多くおおく立ちたちこみて、分けわけ入りいりぬべきようもなし。かかるおりに、向ひむかいなるおうちに、法師ほうし登りのぼりて、またについもの見るみるあり。取りとりつきながら、いたういとう眠りねぶりて、堕ちおちぬべきとき覺すおぼすこと度度たびたびなり。これ を見るみるひと嘲りあざけりあさみて、「のしれものかな。かく危きあやうきえだうえにて安きやすきこころありて眠るねぶるらむよ。」といふいうに、わがこころにふと思ひおもいままに、「われ生死しょうじ到來とうらい唯今ただいまにもやあらむ。これ を忘れわすれもの暮すくらす愚かおろかなることなおまさりたるもの を。」といひいいたれば、まえなるひとども、「まことこそ候ひさぶらいけれ。尤ももっとも愚かおろかさぶらう。」といひいいて、みなのち返りかえりて、「ここへいらせ給へたまえ。」とて、ところ をさりて呼びよび入れいれはべりにき。かほどのことわりたれかは思ひおもいよらざらむなれども、折からおりから思ひおもいかけぬ心地ここちして、むねにあたりけるにや。ひと木石ぼくせきにあらねば、ときにとりてもの感ずるかんずることなきにあらず。

42

唐橋からはし中將ちゅうじょういふいうひとに、行雅ぎょうが僧都そうずとて、教相きょうそうひとするそうありけり。のあがるやまいありて、としやうやうようようたくるほどに、はななかふたがりて、いき出でいでがたかりければ、さまざまにつくろひつくろいけれど、煩はしくわずらわしくなりて、まゆひたいなども腫れはれまどひまどいて、うち覆ひおおいければ、もの見えみえず、まいおもてさま見えみえけるが、ただ恐ろしくおそろしくおにかおになりて、いただきかたにつき、ひたいほどはなになりなどして、のちは、ぼううちひとにも見えみえ籠りこもりて、年久しくとしひさしくありて、なお煩はしくわずらわしくなりて死にしににけり。かかるやまいもあることにこそありけれ。

43

はるゆうべつかた、のどやかにあでなるそらに、賤しからいやしからいえの、奧深くおくふかく木立こだちものふりて、にわ散りちりしをれしおれたるはな過しすぐしがたき を、さし入りいり見れみれば、南面みなみおもて格子こうしみな下しおろして、さびしげなるに、ひんがしにむきて妻戸つまどのよきほどに開きひらきたる、御簾みすのやぶれより見れみれば、かたちきよげなるおとこの、とし二十はたちばかりにて、うちとけたれど、心にくくこころにくくのどやかなるさまして、つくえうえしょ をくりひろげてたり。いかなるひとなりけむ、たづねたずね聞かきかまほし。

44

怪しあやしたけ編戸あみどうちより、いと若きわかきおとこの、月影つきかげ色合いろあい定かさだかならねど、つややかなる狩衣かりぎぬ濃きこき指貫さしぬき、いとゆゑづきゆえづきたるさまにて、ささやかなるわらわ一人ひとり具しぐして、遙かはるかなるなか細道ほそみち を、稻葉いなばつゆにそぼちつつ分けわけ行くゆくほど、ふえ をえならず吹きふきすさびたる、あはれあわれ聞ききき知るしるべきひともあらじと思ふおもうに、行かゆかむかた知らしらまほしくて、送りおくりつつ行けゆけば、ふえ吹きふきやみて、やまきわ總門そうもんのあるうちに入りいりぬ。しじにたてたるくるま見ゆるみゆるも、みやこよりはとまる心地ここちして、下人げにん問へとえば、「しかじかのみやおはしますおわしますころにて、佛事ぶつじなどさぶらふさぶらうにや。」といふいう御堂みどうかた法師ほうしども參りまいりたり。夜寒よさむかぜさそはさそわれくる空薫そらだきもの匂ひにおいも、にしむ心地ここちす。寢殿しんでんより御堂みどうろうかよふかよう女房にょうぼうの、追風おいかぜ用意よういなど、人目ひとめなき山里やまざとともいはいわ心づかひこころづかいしたり。こころのままにしげれるあき野らのらは、おきあまるつゆうづもれうずもれて、むしおとかごとがましく、遣水やりみずおとのどやかなり。みやこそらよりは、くものゆききも早きはやき心地ここちして、つき晴れはれ曇るくもること定めさだめがたし。

45

公世きんよあにに、りょうさとる僧正そうじょう聞えきこえしは極めきわめはら惡しきあしきひとなりけり。ぼうかたわら大きおおきなるえのきありければ、ひと、「えのき僧正そうじょう」とぞいひいいける。この然るしかるべからずとて、かの切らきられにけり。そののありければ、「切杭きりくい僧正そうじょう」といひいいけり。いよいよ腹立ちはらだちて、切杭きりくい掘りほりすてたりければ、そのあと大きおおきなるほりにてありければ、「堀池ほりけ僧正そうじょう」とぞいひいいける。

46

柳原やなぎはらあたりに、強盜ごうとう法印ほういん號するごうするそうありけり。度度どど強盜ごうとうあひあいたるゆえに、この をつけにけるとぞ。

47

あるひと清水きよみずまゐりまいりけるに、老いおいたるあま行きゆきつれたりけるが、道すがらみちすがら、「くさめくさめ」といひいいもて行きゆきたれば、「あま御前ごぜん何事なにごと をかくは宣ふのたまうぞ。」と問ひといけれども、答へこたえもせず、なおいひいい止まやまざりける を、度度たびたびとはとわれて、うち腹だちはらだちて、「やや、嚔ひはなひたるとき、かく呪はのろわねば死ぬるしぬるなりと申せもうせば、養ひ君やしないぎみの、比叡ひえやまちごにておはしますおわしますが、ただ今ただいまもや嚔ひはなひ給はたまわむと思へおもえば、かく申すもうすぞかし。」といひいいけり。あり難きがたきこころざしなりけむかし。

48

光親みつちかきょういん最勝さいしょうこう奉行ぶぎょうしてさぶらひさぶらいける を、御前ごぜん召さめされて、供御くご をいだされて食はくわせられけり。もの食ひくい散らしちらしたる衝重ついがさね を、御簾みすなかへさし入れいれてまかり出でいでにけり。女房にょうぼう、「あな汚なきたなたれ取れとれとてか。」など申しもうしあはあわれければ、「有職ゆうそくふるまひふるまい、やんごとなきことなり。」とかへすかえすべす感ぜかんぜさせ給ひたまいけるとぞ。

49

おい來りきたり始めはじめみち行ぜぎょうぜむと待つまつこと勿れなかれ古きふるきつか多くおおくはこれ少年しょうねんひとなり。はからざるにやまい をうけて、忽ちたちまちにこの去らさらむとするときにこそ、はじめて過ぎすぎぬるかたのあやまれること知らしらるれ。あやまりといふいうほかことにあらず、速かすみやかにすべきこと をゆるくし、ゆるくすべきこと を急ぎいそぎ過ぎすぎにしことのくやしきなり。そのとき悔ゆくゆとも甲斐かいあらむや。ひとはただ無常むじょう迫りせまりぬることこころにひしとかけて、つかのあいだ忘るわするまじきなり。さらばなどか濁りにごりもうすく、佛道ぶつどう勤むるつとむるこころもまめやかならざらむ。むかしありけるひじりは、ひとのきたりて自他じた要事ようじいふいうとき、答へこたえいはくいわく、「いま火急かきゅうことありて、既にすでに朝夕あさゆうにせまれり。」とて、みみ をふたぎて念佛ねんぶつして、終についに往生おうじょう遂げとげたりと、禪林ぜんりん十因じゅういんにはべり。心戒しんかいいひいいけるひじりは、餘りあまりにこののかりそめなること を思ひおもいて、靜かしずかについけることだになく、つねうづくまりうずくまりてのみぞありける。

50

おうたけのころ、伊勢いせくにより、おんなおにになりたる を上りのぼりたりといふいうことありて、そのころ二十はつばかり、ごとにきょう白川しらかわひとおににとて出でいで惑ふまどう。「昨日きのう西園寺さいおんじ參りまいりたりし、今日きょういんまゐるまいるべし。ただ今ただいまはそこそこに。」など云ひいいあへあえり。まさしくたりといふいうひともなく、虚言そらごといふいうひともなし。上下じょうげただおにことのみいひいいやまず。そのころ東山ひがしやまより、安居院あぐいのへんへまかり侍りはべりしに、じょうよりうえざまのひと、みなきた をさして走るはしる。「一條いちじょう室町むろまちおにあり。」とののしりあへあえり、今出いまでがわあたりよりやれば、いんおん棧敷さじきのあたり、更にさらに通りとおりべうもあらず立ちたちこみたり。はやくあとなきことにはあらざんめりとて、ひと をやりて見するみするに、大方おおかたあへあえるものなし。暮るるくるるまでかく立ちたちさわぎて、はては鬭諍とうじょうおこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、ふつひとわづらふわずらうこと侍りはべりし をぞ、「かのおに虚言そらごとは、このちょう示すしめすなりけり。」といふいうひと侍りはべりし。

51

龜山かめやま殿どのおんいけに、大井おおいがわみず をまかせられむとて、大井おおい土民どみん仰せおおせて、水車みずぐるま作らつくらせられけり。多くおおくぜに賜ひたまいて、にち營みいとなみ出しいだしてかけたりけるに、大方おおかた廻らめぐらざりければ、とかく直しけれうるわしけれども、終についに廻らめぐらで、徒らいたずら立てたてりけり。さて宇治うじ里人さとびと召しめしこしらへこしらえさせられければ、やすらかに結ひゆい參らせまいらせたりけるが、思ふおもうやうようにめぐりて、みず汲みくみ入るるいるることめでたかりけり。よろずにそのみち知れしれるものは、やんごとなきものなり。

52

仁和にんなに、ある法師ほうしとしよるまで石清水いわしみず拜まおがまざりければ、心憂くこころうく覺えおぼえて、あるとき思ひおもいたちて、ただいちにんかちより詣でもうでけり。極樂ごくらく高良こうらなど を拜みおがみて、かばかりと心得こころえ歸りかえりにけり。さてかたわらひと逢ひあいて、「年ごろとしごろ思ひおもいつること果たしはたし侍りはべりぬ。聞きききしにも過ぎすぎ尊くとうとくこそおはしおわしけれ。そも參りまいりたるひとごとにやまへのぼりしは、何事なにごとかありけむ、ゆかしかりしかど、かみまゐるまいるこそ本意ほんいなれと思ひおもいて、やままではず。」とぞいひいいける。すこしのことにも先達せんだつはあらまほしきことなり。

53

これも仁和にんな法師ほうしわらわ法師ほうしにならむとする名殘なごりとて、おのおの遊ぶあそぶことありけるに、醉ひえいきょう入るいるあまり、かたわらなる足鼎あしがなえ をとりてかしらかづきかずきたれば、つまるやうようにする を、はな をおしひらめて、かお をさし入れいれ舞ひまい出でいでたるに、滿座まんざきょう入るいること限りなしかぎりなし。しばし奏でかなでのち拔かぬかむとするに、大かたおおかた拔かぬかれず。酒宴しゅえんことさめて、いかがはせむと惑ひまどいけり。とかくすれば、くびまはりまわり缺けかけ垂りたり、ただ腫れはれ腫れはれみちて、いきもつまりければ、うち割らわらむとすれど、たやすく割れわれず、響きひびき堪へたえがたかりければ、叶はかなわで、すべきさまなくて、三足みつあしなるつのうえ帷子かたびら をうちかけて、 をひきつえ をつかせて、きょうなる醫師いしばかり行きゆきけるに、道すがらみちすがらひと怪しみあやしみ見るみること限りなしかぎりなし醫師いしもとにさし入りいりて、むかひむかいたりけむ有樣ありさま、さこそ異樣いようなりけめ。ものいふいうも、くぐもりこえ響きひびき聞えきこえず。かかることしょにも見えみえず、傳へつたえたる教へおしえもなしといへいえば、また仁和にんなかへりかえりて、親しきしたしきもの、老いおいたるははなど、枕上まくらがみにより泣きなき悲しめかなしめども、聞くきくらむとも覺えおぼえず。かかるほどに、あるものいふいうやうよう、「たとひたとい耳鼻みみはなこそ切れきれ失すうすとも、いのちばかりはなどか生きいきざらむ、ただちから をたてて引きひき給へたまえ。」とて、わらしべまはりまわりにさし入れいれて、かね隔てへだてて、くびもちぎるばかり引きひきたるに、耳鼻みみはなかけうげながら、拔けぬけにけり。からきいのちまうけもうけて、久しくひさしく病みやみたりけり。

54

御室おむろにいみじきちごのありける を、いかで誘ひさそい出しいだし遊ばあそばむとたくむ法師ほうしどもありて、のうあるあそび法師ほうしどもなど語らひかたらいて、風流みさお破籠わりごやうようのもの、ねんごろに營みいとなみ出でいでて、はこ風情ふぜいのものに認めしたため入れいれて、ならびおか便りたよりよきところうづみうずみおきて、紅葉もみじちらしかけなど、思ひおもいよらぬさまにして、御所ごしょまゐりまいりて、ちご をそそのかし出でいでにけり。うれしく思ひおもいて、ここかしこ遊びあそびめぐりて、ありつるこけむしろ竝みなみて、「いたういとうこそ困じこうじにたれ。あはれあわれ紅葉もみじ燒かやかひともがな。しるしあらむそうたち、いのり試みこころみられよ。」などいひいいしろひしろいて、埋みうずみつるのもとに向きむきて、數珠ずずおしすり、いんことごとしく結びむすびいでなどして、いらなくふるまひふるまいて、 をかきのけたれど、つやつやもの見えみえず。ところ違ひたがいたるにやとて、掘らほらところもなくやま をあされども無かりなかりけり。埋みうずみける をひとおきて、御所ごしょ參りまいりたるあいだ盜めぬすめるなりけり。法師ほうしども言の葉ことのはなくて、聞きききにくくいさかひいさかい腹だちはらだち歸りかえりにけり。あまりにきょうあらむとすることは、必ずかならずあいなきものなり。

55

いえのつくりやうようなつ をむねとすべし。ふゆはいかなるところにも住ますまる。暑きあつきころわろき住居すまい堪へたえがたきことなり。深きふかきみず涼しすずしげなし、淺くあさく流れながれたる、遙かはるか涼しすずし細かこまかなるもの を見るみるに、遣戸やりどしとみよりもあかし。天井てんじょう高きたかきは、ふゆ寒くさむくともしびくらし。造作ぞうさく用なきようなきところ をつくりたる、見るみるもおもしろく、よろづよろずようにも立ちたちてよし。」とぞ、ひとのさだめあひあい侍りはべりし。

56

久しくひさしく隔たりへだたり逢ひあいたるひとの、わがかたにありつること數數かずかず殘りのこりなく語りかたり續くるつづくるこそあいなけれ。へだてなく馴れなれぬるひとも、ほどへて見るみる恥しからやさしからぬかは。つぎざまのひとは、あからさまに立ちたち出でいでても、きょうありつることとて、いきもつぎあへあえ語りかたり興ずるきょうずるぞかし。よきひと物がたりものがたりするは、ひとあまたあれど、一人ひとり向きむきいふいう を、自らみずからひと聽くきくにこそあれ。よからぬひとは、たれともなく數多あまたなかにうち出でいでて、見るみることやうよう語りかたりなせば、みな同じくおなじく笑ひわらいののしる、いとらうがはしろうがわしをかしきおかしきこといひいいてもいたく興ぜきょうぜぬと、きょうなきこといひいいてもよく笑ふわらうにぞ、しなのほどはかられぬべき。ひとざまのよしあし、ざえあるひとはそのことなど定めさだめあへあえるに、おのがにひきかけていひいい出でいでたる、いとわびし。

57

ひとのかたり出でいでたるうた物語ものがたりの、うたのわろきこそ本意ほんいなけれ。すこしそのみち知らしらひとは、いみじと思ひおもいては語らかたらじ。すべていとも知らしらみち物がたりものがたりしたる、かたはらいたくかたわらいたく聞きききにくし。

58

道心どうしんあらば住むすむところにしもよらじ、いえにありひと交はるまじわるとも、後世ごせ願はねがわむに難かるかたかるべきかは。」といふいうは、更にさらに後世ごせ知らしらひとなり。げにはこの をはかなみ、必ずかならず生死しょうじ出でいでむと思はおもわむに、なにきょうありてか、朝夕あさゆうぎみ仕へつかえいえ顧るかえりみる營みいとなみ勇ましからいさましからむ。こころえんにひかれて移るうつるものなれば、靜かしずかならでは、みち行じぎょうじがたし。そのうつわものむかしひと及ばおよばず、山林さんりん入りいりても、うえ をたすけ、あらし防ぐふせぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづからおのずから貪るむさぼるたることも、便りたより觸れさわれば、などか無からなからむ、さればとて、「背けそむけかひかいなし。さばかりならば、なじかは捨てすてし。」なんどいはいわむは無下むげことなり。さすがにひとたびみち入りいりて、 をいとなむひとたとひたとい望みのぞみありとも、勢ひいきおいあるひと貪欲とんよく多きおおき似るにるべからず。かみふすまあさきぬいちはちまうけもうけあかざあつもの、いくばくかひとついえ をなさむ。もとむるところはやすく、そのこころ早くはやく足りたりぬべし。かたち恥づるはずるところもあれば、さはいへいえど、あくにはうとく、ぜんには近づくちかづくことのみぞ多きおおきひと生れうまれたらむしるしには、いかにもして遁れのがれことこそあらまほしけれ。へん貪るむさぼること をつとめて、菩提ぼだい赴かおもむかざらむは、よろづよろず畜類ちくるいかはるかわるところあるまじくや。

59

大事だいじ思ひおもいたたむひとは、さり難きがたきこころにかからむこと本意ほんい遂げとげずして、さながら捨つすつべきなり。しばしこのこと果てはてて、おなじくばこと沙汰さたしおきて、しかじかのことひと嘲りあざけりやあらむ、ゆくすえなんなく認めしたため設けもうけて、年ごろとしごろもあればこそあれ、そのこと待たまたほどあらじ、物さわがしからものさわがしからやうようになど思はおもわむには、え去らさらことのみいとど重なりかさなりて、こと盡くるつくる限りかぎりもなく、思ひおもいたつもあるべからず。おほやうおおようひと見るみるに、少しすこしこころあるあいだは、みなこのあらましにてぞ一期いちご過ぐすぐめる。近きちかきなどに逃ぐるにぐるひとは、「しばし。」とやいふいう助けたすけむとすれば、はじ をも顧みかえりみず、たから をも捨てすて遁れのがれ去るさるぞかし。いのちひと待つまつものかは。無常むじょう來るきたることは、みず攻むるせむるよりも速かすみやかに、遁れのがれがたきもの を、そのとき老いおいたるおや、いときなききみおんひとなさけ捨てすてがたしとて捨てすてざらむや。

60

しんじょういんに、盛親じょうしん僧都そうずとてやんごとなき智者ちしゃありけり。芋頭いもがしらいふいうもの を好みこのみ多くおおく食ひくいけり。談義だんぎにても、大きおおきなるはちうづたかくうずたかく盛りもりて、膝もとひざもとにおきつつ、食ひくいながらしょ をも讀みよみけり。煩ふわずらうことあるには、なぬ二七にしちなど療治りょうじとて籠りこもりて、思ふおもうやうようによき芋頭いもがしら をえらびて、ことに多くおおく食ひくいて、よろずやまい をいやしけり。ひと食はくわすることなし、ただ一人ひとりのみぞ食ひくいける。極めきわめ貧しかりまずしかりけるに、師匠ししょう死にざましにざまぜに二百にひゃくかんぼうひとつ を讓りゆずりたりける を、ぼうひゃっかん賣りうりて、かれこれさんまんぴき芋頭いもがしらぜに定めさだめて、きょうなるひと預けあずけおきて、じゅうかん取りとりよせて、芋頭いもがしら乏しからともしからずめしけるほどに、また他用ことよう用ふるもちうることなくて、そのぜにみなになりにけり。「三百さんびゃっかんのもの を貧しきまずしきまうけもうけて、かく計らひはからいける、まことにあり難きがたき道心どうしんじゃなり。」とぞひと申しもうしける。この僧都そうず、ある法師ほうして、しろうるりといふいう をつけたりけり。「とは何ものなにものぞ。」とひと問ひといければ、「さるもの をわれ知らしらず。もしあらましかば、このそうかおてむ。」とぞいひいいける。この僧都そうず、みめよく、ちからつよく、大食たいしょくにて、能書のうじょ學匠がくしょうべんせつひとにすぐれて、そう法燈ほうとうなれば、寺中じちゅうにも重くおもく思はおもわれたりけれども、輕くかろく思ひおもいたる曲者くせものにて、よろづよろず自由じゆうにして、大かたおおかたひと隨ふしたがういふいうことなし。出仕しゅっしして饗膳きょうぜんなどにつくときも、皆人みなひとまえすゑすえわたす を待たまたず、われまえすゑすえぬれば、やがて獨りひとりうち食ひくいて、歸りかえりたければ、ひとりついたちて行きゆきけり。さえ非時ひじひとにひとしく定めさだめ食はくわず、われ食ひくいたきとき夜中よなかにもあかつきにも食ひくいて、ねぶたければひるもかけ籠りこもりて、いかなる大事だいじあれども、ひといふいうこと聽ききき入れいれず。覺めさめぬれば、いくもいねず。こころ をすまして嘯きうそむき歩きありきなど、つねならぬさまなれども、ひといとはいとわれず、よろづよろず許さゆるされけり。とくのいたれりけるにや。

61

さんときこしき落すおとすことは、定まれさだまれることにはあらず。おん胞衣えな滯るとどこおるときしゅなり。滯らとどこおら給はたまわねばこのことなし。したざまよりことおこりて、させる本説ほんせちなし。大原おおはらさとこしき をめすなり。ふるき寳藏ほうぞうに、賤しきいやしきひと産みうみたるところに、こしきおとしたる を書きかきたり。

62

延政門院えんせいもんいん幼くおさなくおはしましおわしましけるときいん參るまいるひとに、おんことづてとて申さもうさ給ひたまいけるおんうた

ふたつ文字もじうしつの文字もじうるわしく文字もじゆがみもじとぞきみはおぼゆる

こひしくこいしく思ひおもいまゐらせまいらせ給ふたまうとなり。

63

のちなぬ阿闍梨あざり武者むしゃ集むるあつむること、いつとかや盜人ぬすびと逢ひあいにけるより、宿直とのいひととてかくことごとしくなりにけり。ひととせのそうは、この修中しゅじゅう有樣ありさまにこそ見ゆみゆなれば、つわもの用ひもちいむこと穩かおだやかならぬことなり。

64

くるま五緒いつつお必ずかならずひとによらず、ほどにつけて極むるきわむる官位かんい至りいたりぬれば乘るのるものなり。」とぞ、あるひとおほせおおせられし。

65

「このごろのかぶりは、むかしよりは遙かはるか高くたかくなりたるなり。」とぞ、あるひとおほせおおせられし。古代こだい冠桶かぶりおけ持ちもちたるひとは、はし をつぎていま用ふるもちうるなり。

66

岡本おかもと關白かんぱく殿どの盛りさかりなる紅梅こうばいえだに、とりいっそうそへそえて、このえだにつけて參らすまいらすべきよしおん鷹飼たかがい下毛野しもつけ武勝たけかつ仰せおおせられたりけるに、「はなとりつくるすべ知りしり候はさぶらわず、ひとえだふたつつくることも存じぞんじ候はさぶらわず。」と申しもうしければ、膳部ぜんぶたづねたずねられ、人人ひとびと問はとわ給ひたまいて、また武勝たけかつに、「さらばなんじ思はおもわやうようにつけて參らせよまいらせよ。」と仰せおおせられたりければ、はなもなきむめえだに、ひとつ をつけてまゐらせまいらせけり。武勝たけかつ申しもうし侍りはべりしは、「しばえだむめえだ、つぼみたると散りちりたるにつく。五葉ごようなどにも著くつくえだながしちさくあるひはあるいはろくさくかへしかえしかたな切るきるえだのなかばにとり をつく。著くるつくるえだ踏まふまするえだあり。しじら藤しじらふじ割らわらぬにてふたところつくべし。ふじのさきは、うちはねのたけに比べくらべ切りきりて、うしつのやうよう撓むたわむべし。初雪はつゆきのあした、えだかたにかけて、中門ちゅうもんより振舞ひふるまいまゐるまいる大砌おおみぎりいし傳ひつたいて、ゆきあと をつけず、あめ覆ひおおい少しすこしかなぐり散らしちらして、ふたむね御所ごしょ高欄こうらんによせかく。祿ろく をいださるれば、かたにかけて拜しはいし退くしりぞく初雪はつゆきいへいえども、くつのはなの隱れかくれぬほどのゆきにはまゐらまいらず。あめ覆ひおおい散らすちらすことは、たか弱腰よわごし取るとることなれば、おんたか取りとりたるよしなるべし。」と申しもうしき。はなとりつけずとは、いかなるゆえにかありけむ。長月ながつきばかりに、むめのつくりえだきじ をつけて、「きみがためにと折るおるはなときしもわかぬ。」といへいえること、伊勢いせ物語ものがたり見えみえたり。作り花つくりばな苦しからくるしからぬにや。

67

賀茂かも岩本いわもと橋本はしもとは、業平なりひら實方さねかたなり。ひとつねいひいい紛へまがえ侍れはべれば、ひととせ參りまいりたりしに、老いおいたる宮司みやづかさ過ぎすぎし を、呼びよびとどめて尋ねたずね侍りはべりしに、「實方さねかた御手洗みたらしかげのうつりけるところ侍れはべれば、橋本はしもとなほなおみず近けれちかければと覺えおぼえはべる。吉水よしみずの和尚かしょう

つき をめではな をながめしいにしえのやさしきひとはここにありばら

詠みよみたまひたまいけるは、岩本いわもとやしろとこそ承りうけたまわりおき侍れはべれど、おのれらよりは、なかなかおおん存じぞんじなどもこそさぶらはさぶらわめ。」と、いと忝しくうやうやしくいひいいたりしこそ、いみじく覺えおぼえしか。

今出いまでがわいん近衞このえとて、しゅうどもにあまた入りいりたるひとは、若かりわかかりけるときつねひゃくしゅうた詠みよみて、かのふたつのやしろまえに、みずにて書きかき手向けたむけられけり。まことにやんごとなきほまれありて、ひとくちにあるうたおほしおおし作文さくもん詩序しじょなどいみじく書くかくひとなり。

68

筑紫つくしに、なにがしの押領おうりょう使などいふいうやうようなるもののありけるが、つち大根おおねよろずにいみじきくすりとて、あさごとにふたつづづ燒きやき食ひくいけること年久しくとしひさしくなりぬ。あるときたちのうちにひともなかりけるひま をはかりて、かたき襲ひ來りおそいきたり圍みかこみ攻めせめけるに、たちうちつはものつわもの二人ふたり出でいできて、いのち惜しまおしま戰ひたたかいて、みな追ひおいかへしかえしてけり。いと不思議ふしぎにおぼえて、「日頃ひごろここにものし給ふたまうとも、人人ひとびとのかく戰ひたたかいたまふたまうは、いかなるひとぞ。」と問ひといければ、「年來ねんらいたのみて、あさなさなめしつるつち大根おおねらにさぶらう。」といひいい失せうせにけり。深くふかくしん致しいたしぬれば、かかるとくもありけるにこそ。

69

書寫しょしゃ上人しょうにんは、法華ほけ讀誦どくずこう積りつもりて、六根ろくこんきよしかなへかなえひとなりけり。たび假屋かりや立ちたち入らいられけるに、まめから焚きたきまめけるおとの、つぶつぶと鳴るなる聞きききたまひたまいければ、「疎からうとからおのれしも、うらめしくわれをばて、辛きからき見するみするものかな。」といひいいけり。焚かたかるるまめがらのはらはらと鳴るなるおとは、「わがこころよりすることかは。燒かやかるるはいかばかり堪へたえがたけれども、力なきちからなきことなり。かくな恨みうらみ給ひたまいそ。」とぞ聞えきこえける。

70

玄應げんのう清暑せいしょどう御遊ぎょゆうに、玄上げんじょう失せうせにしころ、菊亭きくていの大臣おとど牧馬ぼくば彈じだんじ給ひたまいけるに、につきてまづまずはしら をさぐられたりければ、ひとつ落ちおちにけり。おんふところに續飯そくい をもち給ひたまいたるにて付けつけられにければ、神供じんぐ參るまいるほどに、よく事故ことゆえなかりけり。いかなる意趣いしゅかありけむ、ものける衣被きぬかずきの、よりて放ちはなちて、もとのやうよう置きおきたりけるとぞ。

71

聞くきくより、やがて面影おもかげはおしはからるる心地ここちする を、見るみるときは、またかねて思ひおもいつるままのかおしたるひとこそなけれ。むかし物語ものがたり聞きききても、このころひといえのそこほどにてぞありけむと覺えおぼえひといま見るみるひとなか思ひおもいよそへよそえらるるは、たれもかく覺ゆるおぼゆるにや。またいかなるおりぞ、ただ今ただいまひといふいうことも、見ゆるみゆるものも、わがこころのうちも、かかることのいつぞやありしがと覺えおぼえて、いつとは思ひおもいいでねども、まさしくありし心地ここちのするは、わればかりかく思ふおもうにや。

72

賎しいやしげなるもの。たるあたりに調度じょうど多きおおきすずりふで多きおおきもて佛堂ぶつどうほとけ多きおおき前栽せんさいいし草木くさきおほきおおきいえのうちに子孫しそんおほきおおきひとあひあいことばおほきおおき願文がんもん作善さぜんおほくおおく書きかき載せのせたる。おほくおおく見苦しからみぐるしからぬは、文車ふぐるまふみ塵塚ちりづかのちり。

73

にかたり傳ふるつたうることまことあいなきにや、多くおおくみな虚言そらごとなり。あるにも過ぎすぎて、ひとはもの をいひいいなすに、まして年月としつきすぎ、さかい隔たりへだたりぬれば、いひいいたきまま語りかたりなして、ふでにも書きかき留めとどめぬれば、やがて定りさだまりぬ。道道どうどうのものの上手じょうずのいみじきことなど、かたくななるひとの、そのみち知らしらぬは、そぞろにかみ如くごとくいへいえども、みち知れしれひと更にさらにしん起さおこさず。おとにきくと見るみるときとは、何事なにごと變るかわるものなり。かつ顯はるるあらわるる顧みかえりみず、くち任せまかせいひいいちらすは、やがて浮きうきたることと聞ゆきこゆまたわれまことしからずは思ひおもいながら、ひといひいいままに、はなほど をごめきて言ふいうは、そのひと虚言そらごとにはあらず。げにげにしく、所所ところどころうちおぼめき、能くよく知らしらぬよしして、さりながら、つまづま合せあわせ語るかたる虚言そらごとは、恐ろしきおそろしきことなり。わがため面目めんぼくあるやうよう言はいわれぬる虚言そらごとは、ひといたくあらがはあらがわず、皆人みなひと興ずるきょうずる虚言そらごとは、一人ひとりさもなかりしものいはいわむも詮なくせんなくて、聞きききたるほどに、證人しょうにんさへさえなされて、いとど定りさだまりぬべし。とにもかくにも虚言そらごと多きおおきなり。ゆいつねにある、珍しからめずらしからことまま心えこころえたらむ、よろづよろず違ふたがうべからず。したざまのひとのものがたりは、みみ驚くおどろくことのみあり。よきひとはあやしきこと語らかたらず。かくはいへいえど、佛神ぶつじん奇特きどく權者けんじゃ傳記でんき、さのみ信ぜしんぜざるべきにもあらず。これは世俗せぞく虚言そらごとねんごろ信じしんじたるも、をこがましくおこがましく、「よもあらじ。」などいふいう詮なけれせんなければ、大方おおかたまっしくあひしらひあいしらいて、偏にひとえに信ぜしんぜず、また疑ひうたがいあざけるべからず。

74

あり如くごとく集りあつまりて、東西とうざいにいそぎ南北なんぼく走るはしる貴きとうときあり、賎しきいやしきあり、老いおいたるあり、若きわかきあり、行くゆくところあり、歸るかえるいえあり、ゆうべにいねてちょう起くおく營むいとなむところ何事なにごとぞや。しょう貪りむさぼり求めもとめてやむときなし。養ひやしない何事なにごと をか待つまつ期するごするところただおいしぬとにあり。その來るきたること速かすみやかにして、念念ねんねんあいだ留まらとどまらず。これ を待つまつあいだなに樂しみたのしみかあらむ。惑へまどえるものはこれ を恐れおそれず。名利みょうり溺れおぼれて、先途せんど近きちかきこと を顧みかえりみねばなり。愚かおろかなるひとはまたこれ をかなしぶ。常住じょうじゅうならむこと を思ひおもいて、變化へんげことわり知らしらねばなり。

75

つれづれわぶるひとは、いかなるこころならむ。紛るるまぎるるかたなく、ただ一人ひとりあるのみこそよけれ。從へしたがえば、こころほかちりうばはうばわれて惑ひまどい易くやすくひと交はれまじわれば、言葉ことばよそのききに隨ひしたがいて、さながらこころにあらず。ひと戲れたわむれもの爭ひあらそいひとたびはうらみ、ひとたびはよろこぶ。そのこと定れさだまれることなし。分別ふんべつ妄りみだり起りおこりて、得失とくしつやむときなし。まどひまどいうえ醉へええり、えいなかゆめ をなす。走りはしりいそがはしくいそがわしく、ほれて忘れわすれたること、ひとみなかくのごとし。いまだまことみち知らしらずとも、えん離れはなれしずかにし、こと與らあずからずしてこころ安くやすくせむこそ、暫くしばらく樂しぶたのしぶともいひいいつべけれ。「生活しょうかつ人事にんじ技能ぎのう學問がくもんとう諸縁しょえん をやめよ。」とこそ、摩訶まか止觀しかんにもはべれ。

76

のおぼえ花やかはなやかなるあたりに、嘆きなげき喜びよろこびもありて、ひと多くおおく往きゆきとぶらふとぶらうなかに、ひじり法師ほうし交りまじわりて、いひいい入れいれ佇みたたずみたるこそ、さらずともと見ゆれみゆれ。さるべきゆゑゆえありとも、法師ほうしひとにうとくてありなむ。

77

なかに、そのころひとのもてあつかひぐさあつかいぐさ言ひいいあへあえること、いろふいろうべきにはあらぬひとの、能くよく案内あんない知りしりて、ひとにもかたり聞かきかせ、問ひとい聞きききたるこそうけられね。ことにかたほとりなるひじり法師ほうしなどぞ、ひとうえはわが如くごとく尋ねたずね聞ききき如何でいかでかばかりは知りしりけむと覺ゆるおぼゆるまでぞ言ひいい散らすちらすめる。

78

今樣いまようことどもの珍しきめずらしき を、いひいい廣めひろめもてなすこそ、またうけられね。ことふりたるまで知らしらひと心にくしこころにくし今更いまさらひとなどのあるとき、ここもとに言ひいいつけたる言種ことぐさものなど心得こころえたるどち、片端かたはし言ひいいかはしかわし合はせあわせ笑ひわらいなどして、こころしらぬひと心得こころえ思はおもわすること、世なれよなれずよからぬひと必ずかならずあることなり。

79

何事なにごと入りいりたたぬさましたるぞよき。よきひと知りしりたることとて、さのみ知りがほしりがおにやはいふいう片田舎かたいなかよりさしいでたるひとこそ、よろずみち心得こころえたるよしのさしいらへさしいらえはすれ。されば恥しきやさしきかたもあれど、自らみずからもいみじと思へおもえ氣色けしき、かたくななり。よく辨へわきまえたるみちには、必ずかならずくちおもく、問はとわぬかぎりは、言はいわぬこそいみじけれ。

80

ひとごとに、われにうときこと をのみぞ好めこのめる。法師ほうしつわものみち をたて、えびすゆみひくすべ知らしらず、佛法ぶっぽう知りしりたる氣色けしきし、連歌れんがし、管絃かんげん嗜みたしなみあへあえり。されどおろかなるおのれみちより、なほなおひと思ひおもいあなづらあなずられぬべし。法師ほうしのみにもあらず、上達部かんだちめ殿上てんじょうひとうえざままで、おしなべて好むこのむひと多かりおおかりももたび戰ひたたかいももたび勝つかつとも、いまだ武勇ぶよう定めさだめがたし。そのゆえうん乘じじょうじかたき をくだくとき勇者ようしゃにあらずといふいうひとなし。つわもの盡きつききはまりきわまりて、遂についにかたき降らふらず、安くやすくしてのち、はじめて顯はすあらわすべきみちなり。生けいけらむほどは誇るほこるべからず。人倫じんりん遠くとおく禽獸きんじゅう近きちかきふるまひふるまい、そのいえにあらずば、好みこのみ益なきやくなきことなり。

81

屏風びょうぶ障子しょうじなどの文字もじも、かたくななるふでさまして書きかきたるが、見にくきみにくきよりも、宿しゅく主人あるじ拙くつたなく覺ゆるおぼゆるなり。大かたおおかた持てもて調度じょうどにても、心おとりこころおとりせらるることはありぬべし。さのみよきもの持つもつべしとにもあらず、損ぜそんぜざらむためとて、しななく見にくきみにくきさまになりなし、珍しからめずらしからむとて、用なきようなきことどもしそへそえ煩はしくわずらわしく好みこのみなせる をいふいうなり。古めかしきふるめかしきやうようにて、いたくことごとしからず、ついえもなくて、物がらものがらのよきがよきなり。

82

うすもの表紙ひょうしは、疾くとく損ずるそんずる侘しきわびしき。」とひといひいいしに、頓阿とんあが、「うすもの上下じょうげはづれはずれ螺鈿らでんじくは、かい落ちおちのちこそいみじけれ。」と申しもうし侍りはべりしこそ、こころ勝りまさり覺えおぼえしか。いっとある草紙そうしなどの、同じおなじさまにもあらぬ を、醜しみにくしいへいえど、弘融こうゆう僧都そうずが、「もの必ずかならずいっ整へととのえむとするは拙きつたなきもののすることなり。不具ふぐなるこそよけれ。」といひいいしも、いみじく覺えおぼえしなり。總てすべてなにみなこと整ほりととのおりたるはあしきことなり。爲殘ししのこしたる を、さてうちおきたるは、面白くおもしろく生き延ぶるいきのぶることなり。「内裏だいり造らつくらるるにも、必ずかならず造りつくりはてぬところ殘すのこすことなり。」と、あるひと申しもうし侍りはべりしなり。先賢せんけん作れつくれ内外うちとふみにも、章段しょうだん闕けかけたることのみこそ侍れはべれ

83

竹林ちくりんいん入道にゅうどう大臣だいじん殿どの太政だいじょう大臣だいじんにあがり給はたまわむに、なに滯りとどこおりおはせおわせむなれども、「珍しめずらしげなし。一の上いちのかみにてやみなむ。」とて、出家しゅっけ給ひたまいにけり。洞院とういんの大臣だいじん殿どの、このこと甘心かんじん給ひたまいて、相國しょうこく望みのぞみおはせおわせざりけり。亢龍こうりょう悔いくいありとかやいふいうこと侍るはべるなり。滿ちみちては缺けかけもの盛りさかりにしては衰ふおとろうよろずことさきの詰りつまりたるは、破れやれ近きちかきみちなり。

84

ほうあきら三藏さんぞう天竺てんじく渡りわたりて、故郷ふるさとおうぎては悲しびかなしびやまい臥しふしてはかんじき願ひねがい給ひたまいけること聞きききて、「さばかりのひとの、無下むげにこそ、心弱きこころよわき氣色けしき を、ひとくににて見えみえ給ひたまいけれ。」とひといひいいしに、弘融こうゆう僧都そうず、「ゆうなさけありける三藏さんぞうかな。」といひいいたりしこそ、法師ほうしさまにもあらず、心にくくこころにくく覺えおぼえしか。

85

ひとこころすなほすなおならねば、僞りいつわりなきにしもあらず、されど自らみずから正直しょうじきひとなどかなからむ。おのれすなほすなおならねど、ひとけん羨むうらやむつねなり。いたりて愚かおろかなるひとは、たまたまけんなるひとてこれ を憎むにくむ。「大きおおきなるむがため少しきすこしき受けうけず、僞りいつわり飾りかざり立てたてむとす。」と謗るそしる。おのれがこころ違へたがえるによりて、この嘲りあざけり をなすにて知りしりぬ。このひと下愚かぐしょううつるべからず、僞りいつわり小利しょうり をも辭すじすべからず。かりにも をまなぶべからず。狂人きょうじんのまねとて大路おおち走らはしらば、則ちすなわち狂人きょうじんなり。惡人あくにんのまねとてひと殺さころさば、惡人あくにんなり。學ぶまなぶたぐひたぐいしゅん學ぶまなぶしゅんいたずらなり。僞りいつわりてもけん をまなばむ をけんいふいうべし。

86

これつぎちゅう納言なごんは、風月ふうげつざえ富めとめひとなり。一生いっしょう精進そうじんにて、讀經どきょううちして、てら法師ほうしえん僧正そうじょう同宿どうじゅくして侍りはべりけるに、文保ぶんぽう三井みいやかれしとき坊主ぼうずあひあいて、「ぼうをばてら法師ほうしとこそ申しもうしつれど、てらはなければいまよりは法師ほうしとこそ申さもうさめ。」といはいわれけり。いみじき秀句しゅうくなりけり。

87

下部しもべさけのますることこころすべきことなり。宇治うじ住みすみけるおとこきょうともないさめぼうとてなまめきたる遁世とんせいそう を、小舅こじゅうとなりければ、つね申しもうし睦びむつびけり。あるとき迎へむかえむま遣しつかわしたりければ、「遥かはるかなるほどなり、口つきくちつきおとこに、まづまずひとたびせさせよ。」とさけ出しいだしたれば、さしうけさしうけよよと飮みのみぬ。太刀たちうち佩きはきかひがひしかいがいしげなれば、頼もしくたのもしく覺えおぼえて、召しめし具しぐし行くゆくほどに、木幡こはたほどにて、奈良なら法師ほうしの、兵士つわものあまた具しぐし逢ひあいたるに、このおとこ立ちたち對ひむかいて、「暮れくれにたる山中さんちゅうに、怪しきあやしきぞ。とまり候へさぶらえ。」といひいいて、太刀たち をひき拔きぬきければ、ひとみな太刀たちぬき矢矧やはぎげなどしける を、さとるぼう をすりて、「現心うつしごころなく醉ひえいたるものに候ふさぶらう枉げまげ許しゆるし給はらたまわらむ。」といひいいければ、おのおの嘲りあざけり過ぎすぎぬ。このおとこともないさめぼうあひあいて、「ぼう口惜しきくちおしきこと給ひたまいつるものかな。おのれ醉ひえいたること侍らはべらず。高名こうみょうつかまつらむとする を、ぬきける太刀たち空しくむなしくなし給ひたまいつること。」と怒りいかりて、ひたぎりに斬りきり落しおとしつ。さて、「山賊さんぞくあり。」とののしりければ、里人さとびとおこりて出でいであへあえば、「われこそ山賊やまだちよ。」といひいい走りはしりかかりつつ斬りきり廻りめぐりける を、あまたして手負はておわせ、うち伏せふせてしばりけり。むまつきて宇治うじ大路おおちいえ走りはしり入りいりたり。あさましくて、おとこども數多あまた走らかしはしらかしたれば、さとるぼう梔原くりなしはらにによび伏しふしたる を、求めもとめ出でいでて、舁きかきもてつ。からきいのち生きいきたれど、こしきり損ぜそんぜられて、かたはかたわになりにけり。

88

あるもの小野おのの道風とうふう書けかけ和漢わかん朗詠ろうえいしゅうとて持ちもちたりける を、あるひと、「相傳そうでん浮けうけることには侍らはべらじなれども、四條しじょうのだい納言なごん撰ばえらばれたるもの を、道風とうふう書かかかむこと、時代じだい違ひたがいはべらむ、覺束なくおぼつかなくこそ。」といひいいければ、「さ候へさぶらえばこそ、有りあり難きがたきものには侍りはべりけれ。」とていよいよかくし藏しぞうしけり。

89

奧山おくやまに、猫またねこまた云ふいうものありて、ひと食ふくうなる。」とひといひいいけるに、「やまならねども、これらにも、ねこきょうあがりて、猫またねこまたになりて、ひととることあんなるもの を。」といふいうものありける を、なに阿彌陀あみだぶつとかや連歌れんがしける法師ほうしの、行願ぎょうがんあたりにありけるが聞きききて、「一人ひとりありかむこころすべきことにこそ。」と思ひおもいけるころしも、あるところにて、ふくるまで連歌れんがして、ただ一人ひとりかへりかえりけるに、小川こがわはしにて、おと聞ききき猫またねこまたあやまたず足もとあしもとへふと寄りよりて、やがて掻きかきつくままに、くびのほど を食はくわむとす。肝心かんじんもうせて、防がふせがむとするにちからもなく、あし立たたたず、小川こがわへころび入りいりて、「助けよたすけよや、猫またねこまた、よやよや。」と叫べさけべば、家家いえいえよりまつどもともして、走りはしり寄りより見れみれば、このわたりに知れしれそうなり。こはいかにとて、がわなかより抱きいだき起しおこしたれば、連歌れんが賭物かけものとりて、おうぎ小箱こばこなどふところ持ちもちたりけるも、みず入りいりぬ。希有けうにして助かりたすかりたるさまにて、這ふ這ふほうほういえ入りいりにけり。飼ひかいけるいぬの、暗けれくらけれあるじ知りしりて、飛びとびつきたりけるとぞ。

90

だい納言なごん法印ほういんめしつかひめしつかい乙鶴おとづるまる、やすら殿どのいふいうもの知りしりて、つねにゆき通ひかよいしに、あるときいでて歸り來るかえりきたる を、法印ほういん、「いづこいずこ行きゆきつるぞ。」と問ひといしかば、「やすら殿どのもとまかりてさぶらう。」といふいう。「そのやすら殿どのは、おとこ法師ほうしか。」とまた問はとわれて、そでかき合せあわせて、「いかがさぶらうらむ。かしらをば候はさぶらわず。」と答へこたえ申しもうしき。などかかしらばかりの見えみえざりけむ。

91

赤舌しゃくぜちいふいうこと陰陽おんようみちには沙汰さたなきことなり。むかしひとこれ を忌まいまず。このころ何者なにものいひいい出でいで忌みいみ始めはじめけるにか、このある事末ことすえ通らとおらずといひいいて、そのいひいいたりしこと、たりしこと叶はかなわず、たりしもの失ひうしない企てくわたてたりしこと成らならずといふいう愚かおろかなり。吉日きちにち選びえらびてなしたるわざの、すえ通らとおらぬ を數へかぞえむも、また等しかるひとしかるべし。そのゆえは、無常むじょう變易へんえきさかい、ありと見るみるものも存せそんせず、始めはじめあることも終りおわりなし。こころざし遂げとげず、望みのぞみ絶えたえず。ひとこころ不定ふじょうなり、ものみな幻化げんげなり。何事なにごとかしばらくも住するじゅうする。このことわり知らしらざるなり。吉日きちにちあく をなすに必ずかならずきょうなり、惡日あくにちぜん行ふおこなうにかならずきちなりといへいえり。吉凶きっきょうひとによりてによらず。

92

あるひとゆみ射るいること習ふならうに、もろ矢もろや をたばさみてまと向ふむかう曰くいわく、「初心しょしんひとふたつの持つもつことなかれ。のち頼みたのみて、初めはじめなほざりなおざりこころあり、毎度まいどただ得失とくしつなく、この一箭いっせん定むさだむべしと思へおもえ。」といふいうわづかわずかふたつのまえにてひとつ をおろそかにせむと思はおもわむや。懈怠けだいこころみづからみずから知らしらずといへいえども、これ を知るしる。このいましめ萬事ばんじにわたるべし。みちまなばするひとゆうべにはあしたあらむこと を思ひおもいあしたにはゆうべあらむこと を思ひおもいて、重ねかさねねんごろ修せしゅせむこと を期せごせり。況んやいわんやいち刹那せつなのうちにおいて、懈怠けだいこころあること を知らしらむや。なにただ今ただいまいちねんにおいて、直ちにただちにすることの甚だはなはだ難きかたき

93

うし賣るうるものあり、買ふかうひと明日あすそのあたい をやりてうし取らとらむといふいうあいだうし死ぬしぬ買はかわむとするひとあり、賣らうらむとするひとそんあり。」と語るかたるひとあり。これ を聞きききかたわらなるものの曰くいわく、「うしあるじまことにそんありといへいえども、またおおきなるあり。そのゆえは、しょうあるもの近きちかきこと知らしらざること、うし既にすでになり。ひとまたおなじ。はからざるにうし死ししし計らはからざるにあるじ存せそんせり。いっにちめい萬金まんきんよりもおもし。うしあたい鵝毛がもうよりも輕しかろし萬金まんきんいちせん失はうしなわひとそんありといふいうべからず。」といふいうに、皆人みなひと嘲りあざけりて、「そのことわりうしあるじ限るかぎるべからず。」といふいう。また曰くいわく、「されば、人死ひとじに憎まにくまば、しょう愛すあいすべし。存命ぞんめい喜びよろこび日日ひび樂しまたのしまざらむや。愚かおろかなるひとこの樂しみたのしみ忘れわすれて、いたづがはしくいたずがわしくほか樂しみたのしみ をもとめ、このたから忘れわすれて、危くあやうくほかたから貪るむさぼるには、こころざし滿つるみつることなし。いけるあいだしょう樂しまたのしまずして、臨みのぞみ恐れおそれば、このことわりあるべからず。ひとみなしょう樂しまたのしまざるは、恐れおそれざるゆえなり。恐れおそれざるにはあらず、近きちかきこと忘るるわするるなり。もしまた生死しょうじそうあづからあずからずといはいわば、まことことわりたりといふいうべし。」といふいうに、ひといよいよ嘲るあざける

94

常磐井ときわい相國しょうこく出仕しゅっしたまひたまいけるに、敕書ちょくしょ持ちもちたる北面きたおもてあひあい奉りたてまつりて、むまよりおりたりける を、相國しょうこくのちに、「北面ほくめんなにがしは、敕書ちょくしょ持ちもちながら下馬げば侍りはべりしものなり、かほどのもの、いかでかきみ仕うまつりつこうまつり候ふさぶらうべき。」と申さもうされければ、北面ほくめん放たはなたれにけり。敕書ちょくしょむまうえながら捧げささげ見せみせ奉るたてまつるべし、おるべからずとぞ。

95

はこのくりかたに著くるつくることいづ方いずかたにつけ侍るはべるべきぞ。」と、ある有職ゆうそくひと尋ねたずね申しもうし侍りはべりしかば、「じくにつけ表紙ひょうしにつくること、兩説りょうせつなれば、何れいずれなんなし。ふみはこ多くおおくみぎにつく。手箱てばこにはじくにつくるもつねのことなり。」と仰せおおせられき。

96

めなもみといふいうくさあり。ふくにさされたるひと、かのくさ揉みもみてつけぬれば、すなはちすなわち癒ゆいゆとなむ。知りしりておくべし。

97

ものにつきて、そのもの費しついやし損ふそこなうもの、かず知らしらずあり。しらみあり。いえねずみあり。くにぞくあり。小人しょうじんたからあり。君子くんし仁義じんぎあり。そうほうあり。

98

たふときとうときひじりいひいいおきけること を書きかきつけて、一言いちごん芳談ほうだんとかや名づけなづけたる草紙そうし侍りはべりしに、こころ會ひあい覺えおぼえことども。

ひとためやせまし、なさずやあらましと思ふおもうことは、おほやうおおようぬはよきなり。

いち後世ごせ思はおもわむものは、糂汰じんだかめひとつも持つもつまじきことなり。持經じきょう本尊ほんぞんにいたるまで、よきもの持つもつ、よしなきことなり。

いち遁世とんぜいじゃは、なきにことかけぬやうようはからひはからい過ぐるすぐる最上さいじょうやうようにてあるなり。

いち上臈じょうろう下臈げろうになり、智者ちしゃ愚者ぐしゃになり、徳人とくにんひんになり、のうあるひと無能むのうになるべきなり。

いち佛道ぶつどう願ふねがういふいうは、べちのこと無しなしいとまあるになりて、のことこころにかけぬ を、だいいちみちとす。

このほかも、ありしことども、覺えおぼえず。

99

堀河ほりかわ相國しょうこくは、美男びなんのたのしきひとにて、そのこととなく過差かさ好みこのみ給ひたまいけり。御子みこ基俊もととしきょう大理だいりになして、ちょう行はおこなわれけるに、ちょう唐櫃からびつ見苦しみぐるしとて、めでたく作りつくり改めあらためらるべきよし仰せおおせられけるに、この唐櫃からびつは、上古しょうこより傳はりつたわりて、そのはじめ を知らしらず、數百すうひゃくねんたり。累代るいたい公物くもつ古弊こへい をもちて規模きぼとす。たやすく改めあらためられ難きがたきよし、故實こじつ諸官しょかん申しもうしければ、そのことやみにけり。

100

久我こがの相國しょうこくは、殿上てんじょうにてみず召しめしけるに、主殿司とのもづかさ土器かわらけ をたてまつりければ、「まがり を參らせよまいらせよ。」とて、まがりしてぞめしける。

101

あるひとにん大臣だいじん節會せちえ内辨ないべん勤めつとめられけるに、内記ないきのもちたる宣命せんみょう取らとらずして堂上とうしょうせられにけり。きはまりなききわまりなき失禮しつれいなれども、たちかへりかえり取るとるべきにもあらず、思ひおもい煩はわずらわれけるに、ろく外記げき康綱やすつな衣被きぬかずき女房にょうぼうかたらひかたらいて、かの宣命せんみょう をもたせて、しのびやかに奉らたてまつらせけり。いみじかりけり。

102

いんだい納言なごん光忠みつただ入道にゅうどう追儺ついな上卿しょうけい務めつとめられけるに、洞院とういんの大臣殿おおいとの次第しだい申しもうし請けうけられければ、「又五郎またごろうをのこおのことするよりほか才覺さいかく候はさぶらわじ。」とぞ宣ひのたまいける。かの又五郎またごろう老いおいたる衞士えじの、よく公事くじ馴れなれたるものにてぞありける。近衞このえ殿でん著陣ちゃくじんたまひたまいけるときひざつく をわすれて、外記げき をめされければ、たきて候ひさぶらいけるが、「まづまずひざつく をめさるべくやさぶらうらむ。」と、忍びやかしのびやかにつぶやきける、いとをかしかりおかしかりけり。

103

大覺だいかく殿どのにて、近習きんじゅひとども、謎謎なぞなぞ をつくりて解かとかれけるところへ、醫師いし忠守ただもり參りまいりたりけるに、侍從じじゅうだい納言なごん公明きんあきらきょう、「われちょうのものとも見えみえ忠守ただもりかな。」となぞなぞにせられたりける を、とう瓶子へいじ解きとき笑ひわらいあはあわれければ、腹立ちはらだちてまかでにけり。

104

荒れあれたる宿やど人目ひとめなきに、おんな憚るはばかることあるころにて、つれづれと籠りこもりたる を、あるひととぶらひとぶらい給はたまわむとて、ゆう月夜つきよのおぼつかなきほどに、忍びしのび尋ねたずねおはしおわしたるに、いぬのことごとしく咎むれとがむれば、げすおんなのいでて、「いづくいずくよりぞ。」といふいうに、やがて案内あんないせさせて入りいりたまひたまいぬ。心ぼそこころぼそげなるありさま、いかで過すすぐすらむと、いと心ぐるしこころぐるし。あやしき板敷いたじきに、しばし立ちたち給へたまえる を、もてしづめしずめたるけはひけわい若やかわかやかなるして、「こなたへ。」といふいうひとあれば、たてあけ所せところせげなる遣戸やりどよりぞ入りいりたまひたまいぬる。うちのさまはいたくすさまじからず、心にくくこころにくくともしびはかなたにほのかなれど、ものの綺羅きらなど見えみえて、にわかにしもあらぬにほひにおい、いとなつかしうなつかしゅう住みすみなしたり。「かどよくさしてよ。あめもぞふる、おんくるまかどしたに、おんともひと其處そこ其處そこに。」といへいえば、「今宵こよいぞやすきいはべかべかんめる。」とうちささめくも、忍びしのびたれど、ほどなければほの聞ゆきこゆ。さてこのほどことども、こまやかに聞えきこえ給ふたまうに、夜ぶかきよぶかきにわとり鳴きなきぬ。しかた行くゆくすゑすえかけて、まめやかなるおん物語ものがたりに、このたびにわとり花やかはなやかなるこえにうちしきれば、明けあけ離るるはなるるにやと聞きききたまへたまえど、夜深くよふかく急ぐいそぐべきところのさまにもあらねば、すこしたゆみ給へたまえるに、ひま白くしろくなれば、忘れわすれ難きがたきことなどいひいいて、立ちたち出でいでたまふたまうに、こずえにわめづらしくめずらしく青みあおみわたりたる卯月うづきばかりのあけぼの、あでをかしかりおかしかりし をおぼし出でいでて、かつら大きおおきなるがかくるるまで、いまおくり給ふたまうとぞ。

105

きた家かげやかげ消え殘りきえのこりたるゆきの、いたういとう凍りこおりたるに、さし寄せよせたるくるまながえも、しもいたくきらめきて、有明ありあけつきさやかなれども、隈なくくまなくはあらぬに、ひとばなれなる御堂みどうろうに、なみなみにはあらずと見ゆるみゆるおとこおんな長押なげししりかけて、物語ものがたりするさまこそ、何事なにごとにかあらむ、盡きつきすまじけれ。かぶし、かたちなどいとよしと見えみえて、えもいはいわ匂ひにおいの、さとかをりかおりたるこそをかしけれおかしけれけはひけわいなど、はつれつれ聞えきこえたるもゆかし。

106

高野こうやしょうくう上人しょうにんきょう上りのぼりけるに、細道ほそみちにてむま乘りのりたるおんな行きゆきあひあいたりけるが、くち引きひきけるおとこあしく引きひきて、ひじりむまほり落しおとしてけり。ひじり、いとはらあしく咎めとがめて、「こは希有けう狼藉ろうぜきかな。弟子でしはよな、比丘びくよりは比丘尼びくに劣りおとり比丘尼びくにより優婆塞うばそく劣りおとり優婆塞うばそくより優婆夷うばい劣れおとれり。かくの如くごとく優婆夷うばいなどのにて、比丘びくほり入れいれさする、未曾有みぞうう惡行あくぎょうなり。」といはいわれければ、口引きくちひきおとこ、「いかに仰せおおせらるるやらむ、えこそ聞ききき知らしらね。」といふいうに、上人しょうにんなほなおいきまきて、「なにいふいうぞ。非修ひしゅがくおとこ。」とあららかに言ひいいて、きはまりなききわまりなき放言ほうごんしつと思ひおもいける氣色けしきにて、むま引きひきかへしかえし遁げにげられにけり。たふとかりとうとかりける諍論じょうろんなるべし。

107

おんなものいひいいかけたる返り事かえりごと、とりあへあえずよきほどにするおとこは、有りありがたきものぞとて、龜山かめやまいんおんとき、しれたる女房にょうぼうども、若きわかきおとこたち參らまいらるるごとに、「時鳥ほととぎす聞ききき給へたまえる。」と問ひとい試みこころみられけるに、なにがしだい納言なごんとかやは、「かずならぬはえ聞ききき候はさぶらわず。」と答へこたえられけり。堀河ほりかわない大臣だいじん殿どのは、「岩倉いわくらにて聞ききき候ひさぶらいしやらむ。」とおほせおおせられける を、「これはなんなし。かずならぬむつかし。」など定めさだめあはあわれけり。總てすべておとこをば、おんな笑はわらわれぬさまおほしおおしたつべしとぞ、淨土じょうどさき關白かんぱく殿どのは、幼くおさなく安喜門院あんきもんいんのよく教へおしえまゐらせまいらせさせ給ひたまいけるゆえに、おんことばなどのよきぞとひと仰せおおせられけるとかや。山階やましな大臣だいじん殿どのは、「怪しあやし下女しもおんな奉るたてまつるも、いと恥しくやさしく心づかひこころづかいせらるる。」とこそ仰せおおせられけれ。おんなのなきなりせば、衣紋えもんかぶりもいかにもあれ、ひきつくろふつくろうひと侍らはべらじ。かくひと恥ぢはじらるるおんな、いかばかりいみじきものぞと思ふおもうに、おんなしょうみなひがめり。人我にんがあいふかく、貪欲とんよく甚だしくはなはだしくものことわり知らしらず、ただ迷ひまよいかたこころ早くはやくうつり、ことば巧みたくみに、苦しからくるしからこと をも問ふとうときいはいわず、用意よういあるかと見れみれば、またあさましきことまで問はとわずがたりにいひいい出すいだす深くふかくたばかり飾れかざれことは、おとこ智慧ちえにも優りまさりたるかと思へおもえば、そのことあとより顯はるるあらわるる知らしらず。質朴しつぼくならずして拙きつたなきものはおんななり。そのこころ隨ひしたがいてよく思はおもわれむことは、心うかるこころうかるべし。さればなにかはおんな恥かしからはずかしからむ。もし賢女けんじょあらば、それもものうとく、すさまじかりなむ。ただ迷ひまよい をあるじとしてかれに隨ふしたがうとき、やさしくもおもしろくも覺ゆおぼゆべきことなり。

108

寸陰すんいん惜しむおしむひとなし。これよく知れしれるか、愚かおろかなるか。愚かおろかにして怠るおこたるひとためいはいわば、いちせん輕しかろし雖もいえども、これ を累ぬれかさぬれ貧しきまずしきひと富めとめひととなす。されば商人あきびといっせん惜しむおしむこころせちなり。刹那せつな覺えおぼえずといへいえども、これ を運びはこびてやまざれば、いのち終ふるおうる忽ちたちまち到るいたる。されば道人どうにんは、遠くとおく日月じつげつ惜しむおしむべからず、只今ただいまいちねん空しくむなしく過ぐるすぐること を惜しむおしむべし。もしひと來りきたりて、わがいのち明日あす必ずかならず失はうしなわるべしと告げつげ知らしらせたらむに、今日きょう暮るるくるるあいだ何事なにごと をか頼みたのみ何事なにごと をか營まいとなまむ。われ生けいけ今日きょうなにぞその時節じせつことならむ。いっにちなかに、飮食いんしょく便利べんり睡眠すいめん言語ごんご行歩ぎょうぶ止むやむことずして、多くおおくとき失ふうしなう。その餘りあまりいとま、いくばくならぬうちに、無益むやくこと をなし、無益むやくこといひいい無益むやくこと思惟しゆいして、とき移すうつすのみならず、きえつき をわたりて、一生いっしょう をおくる、最ももっとも愚かおろかなり。しゃれいうん法華ほけ筆受ひつじゅなりしかども、こころつね風雲ふううん思ひおもい觀ぜかんぜしかば、めぐみとお白蓮びゃくれん交はりまじわり をゆるさざりき。しばらくもこれなきとき死人しにんにおなじ。光陰こういんなにのためにか惜しむおしむとならば、うち思慮しりょなく、ほか世事せじなくして、止まやまひと止みやみ修せしゅせひと修せよしゅせよとなり。

109

高名こうみょう木のぼりきのぼりいひいいおとこひと掟ておきてて、高きたかきにのぼせてこずえ をきらせしに、いと危くあやうく見えみえしほどはいふいうこともなくて、おるるときに、のきだけばかりになりて、「あやまちすな。こころしておりよ。」と言葉ことば をかけ侍りはべりし を、「かばかりになりては、飛びとび降るるおるるともおりなむ。如何いかにかくいふいうぞ。」と申しもうし侍りはべりしかば、「そのことさぶらう目くるめきめくるめきえだ危きあやうきほどは、おのれがおそれ侍れはべれ申さもうさず。あやまちは安きやすきところになりて、必ずかならず仕るつかまつることにさぶらう。」といふいう。あやしき下臈げろうなれども、聖人しょうにんのいましめにかなへかなえり。まりもかたきところ出しいだしのち、やすくおもへおもえば、必ずかならずおつと侍るはべるやらむ。

110

雙六すごろく上手じょうずいひいいひとに、そのじゅつ問ひとい侍りはべりしかば、「勝たかたむとうつべからず、負けまけじとうつべきなり。いづれいずれ疾くとく負けまけぬべきと案じあんじて、そのつかはつかわずして、ひとなりとも遲くおそく負くまくべきにつくべし。」といふいうみち知れしれをしへおしえ修めおさめこく保たたもたみちもまたしかなり。

111

かこい雙六すごろくこのみてあかし暮すくらすひとは、四重しじゅう五逆ごぎゃくにもまされる惡事あくじとぞ思ふおもう。」とあるひじり申しもうししこと、みみにとどまりて、いみじくおぼえ侍るはべる

112

明日あす遠國おんごく赴くおもむくべしと聞かきかひとに、心しづかこころしずかになすべからむわざをば、ひといひいいかけてむや。にわか大事だいじ をも營みいとなみせち歎くなげくこともあるひとは、ほかこと聞ききき入れいれず、ひとうれへうれえよろこび をも問はとわず。問はとわずとてなどやと恨むるうらむるひともなし。さればとしやうやうようようたけ、やまいにもまつはれまつわれ況んやいわんや をも遁れのがれたらむひとまたこれに同じかるおなじかるべし。人間にんげん儀式ぎしきいづれいずれこと去りさり難からがたからぬ。世俗せぞく默しもだし難きがたき從ひしたがいて、これ を必ずかならずとせば、願ひねがい多くおおく苦しくくるしくこころいとまもなく、一生いっしょう雜事ざつじ小節しょうせつさへさえられて、空しくむなしく暮れくれなむ。暮れくれみち遠しとおしわれしょう既にすでに蹉跎さだたり、諸縁しょえん放下ほうげすべきときなり。しん をも守らまもらじ、禮儀れいぎ をも思はおもわじ。このこころ持たもたざらむひとは、もの狂ひくるいともいへいえうつつなし、情なしなさけなしとも思へおもえ譏るそしるとも苦しまくるしまじ、譽むほむとも聞きききいれじ。

113

四十よそじにも餘りあまりぬるひとの、いろめきたるかた自らみずから忍びしのびてあらむは如何いかはせむ、ことにうち出でいでて、男女なんにょのこと、ひとうえ をもいひいいたわぶれるるこそ、げなく見ぐるしけれみぐるしけれ大かたおおかた聞きききにくく見ぐるしきみぐるしきこと老人ろうじん若きわかきひとまじはりまじわりきょうあらむとものいひいいたる、かずならぬにて、のおぼえあるひとへだててなきさまにいひいいたる、貧しきまずしきところに酒宴しゅえんこのみ、客人まろうと饗應あるじせむときらめきたる。

114

今出いまでがわおほい殿おおいどの嵯峨さがおはしおわしけるに、有栖ありすがわのわたりに、みず流れながれたるところにて、ときおうまるのおんうし追ひおいたりければ、あしかきみず前板まえいたまでささとかかりける を、ためすなわちおんくるまのち候ひさぶらいけるが、「希有けうわらわかな。斯るかかるところにておんうしをば追ふおうものか。」といひいいたりければ、おほい殿おおいどの氣色けしきあしくなりて、「おのれくるまやらむこと、ときおうまる勝りまさりてえ知らしらじ。希有けうおとこなり。」とておんくるまかしら をうちあてられにけり。この高名こうみょうときおうまるは、太秦うずまさ殿どのおとこりょうおん牛飼うしかいぞかし。この太秦うずまさ殿どの侍りはべりける女房にょうぼうども、一人ひとりひざさいわい一人ひとり㹀槌ことづち一人ひとりほうはら一人ひとりおとうしとつけられけり。

115

宿河原しゅくがわらいふいうところにて、ぼろぼろおほくおおく集りあつまりて、ほん念佛ねんぶつ申しもうしけるに、ほかより入りいりくるぼろぼろの、「もしこのなかに、いろをしいろおしぼう申すもうすぼろやおはしますおわします。」と尋ねたずねければ、そのなかより、「いろをしいろおしここにさぶらう。かく宣ふのたまうたれぞ。」と答ふれこたうれば、「しら梵字しらぼんじ申すもうすものなり。おのれがなにがしと申すもうすひと東國とうごくにて、いろをしいろおし申すもうすぼろに殺さころされけりと承りうけたまわりしかば、そのひと逢ひあい奉りたてまつりて、うらみ申さもうさばやとおもひおもいて、尋ねたずね申すもうすなり。」といふいういろをしいろおし、「ゆゆしくも尋ねたずねおはしおわしたり。さることはべりき。ここにて對面たいめんしたてまつらば、道場どうじょう をけがし侍るはべるべし。さき河原かわらまゐりまいりあはあわむ。あなかしこ。わきざしたち、いづ方いずかた をもつぎ給ふたまうな。數多あまたわづらひわずらいにならば、佛事ぶつじのさまたげに侍るはべるべし。」といひいい定めさだめて、二人ふたり河原かわら出でいであひあいて、こころゆくばかりに貫きつらぬきあひあいて、とも死にしにけり。ぼろぼろといふいうものは、むかしはなかりけるにや。近きちかきに、梵論字ぼろんじ梵字ぼんじ漢字かんじなどいひいいけるもの、そのはじめなりけるとかや。捨てすてたるにて、我執がしゅうふかく、佛道ぶつどう願ふねがうて、鬭諍とうじょうこととす。放逸ほういつ無慚むざんのありさまなれども、輕くかろくして少しすこしなづまなずまざるかたのいさぎよく覺えおぼえて、ひと語りかたりしままに書きかきつけ侍るはべるなり。

116

寺院じいんごう、さらぬよろずものにも をつくること、むかしひと少しすこし求めもとめず、ただありのまま安くやすくつけけるなり。このころは、深くふかく案じあんじ才覺さいかく顯はさあらわさむとしたるさま聞ゆるきこゆる、いとむつかし。ひとも、目馴れめなれ文字もじ をつかむとする、益なきやくなきことなり。何事なにごとめづらしきめずらしきこと をもとめ、異説いせつ好むこのむは、淺才せんさいひと必ずかならずあることなりとぞ。

117

ともとするに惡きにくきものななつあり。いちには高くたかくやんごとなきひとには若きわかきひとさんにはやまいなくつよきひとにはさけ をこのむひとには武くたけく勇めいさめひとろくにはそらごとするひとしちにはよくふかきひと善きよきともつあり。いちにはものくるるともには醫師いしさんには智惠ちえあるとも

118

こいのあつもの食ひくいたるは、びんそそけずとなむ。にかわにもつくるものなれば、粘りねばりたるものにこそ。こいばかりこそ、まえにても切らきらるるものなれば、やんごとなきいおなれ。とりにはきじさうなきそうなきものなり。きじ松茸まつたけなどは、おん湯殿ゆどのうえにかかりたるも苦しからくるしからず。そのほか心憂きこころうきことなり。中宮ちゅうぐう御方みかたおん湯殿ゆどのうえのくろみだなに、かり見えみえつる を、北山きたやま入道にゅうどう殿どの御覽ごらんじて、歸らかえらたまひたまいて、やがておんふみにて、「かやうかようのもの、さながらその姿すがたにて、おんだな候ひさぶらいしこと、ならはならわず。さま惡しきあしきことなり。はかばかしきひとさぶらはさぶらわゆえにこそ。」など申さもうされたりけり。

119

鎌倉かまくらうみにかつ をといふいういおは、かのさかいにはならびなきものにて、このころもてなすものなり。それも鎌倉かまくら年寄としより申しもうし侍りはべりしは、「このいおおのれ若かりわかかりまでは、はかばかしきひとまえ出づるいずること侍らはべらざりき。かしら下部しもべ食はくわず、切りきり捨てすて侍りはべりしものなり。」と申しもうしき。かやうかようものも、すえになれば、うえざままでも入りいりたつわざにこそ侍れはべれ

120

とうものは、くすりほかはなくとも事かくことかくまじ。しょどもは、このくに多くおおくひろまりぬれば、書きかき寫しうつしてむ。もろこし船もろこしぶねの、たやすからぬみちに、無用むようのものどものみ取りとり積みつみて、所狹くところせく渡しわたしもて來るくる、いと愚かおろかなり。遠きとおきもの をたからとせずとも、またがたきたからたふたうとまずとも、しょにも侍るはべるとかや。

121

養ひやしない飼ふかうものにはむまうし繋ぎつなぎ苦しむるくるしむるこそ痛ましけれいたましけれど、なくて叶はかなわものなれば、如何いかはせむ。いぬ守りまぼり防ぐふせぐつとめ、ひとにも優りまさりたれば、必ずかならずあるべし。されどいえごとにあるものなれば、ことさらに求めもとめ飼はかわずともありなむ。そのほか鳥獸ちょうじゅう、すべて用なきようなきものなり。走るはしるけだものおりにこめ、くさり をさされ、飛ぶとぶとりつばさ切りきりろう入れいれられて、くも戀ひこい野山のやま思ふおもう愁へうれえやむときなし。その思ひおもいわれにあたりて忍びしのび難くがたくば、こころあらむひとこれ を樂しまたのしまむや。しょう苦しめくるしめ喜ばよろこばしむるは、桀紂けっちゅうこころなり。おう子猷しゆうとり愛せあいせし、はやし樂しぶたのしぶ逍遥しょうようともとしき。捕へとらえ苦しめくるしめたるにあらず。凡そおよそ珍しきめずらしきとり怪しきあやしきけだものくに養はやしなわずとこそふみにも侍るはべるなれ。

122

ひと才能さいのうは、ふみ明らかあきらかにして、ひじり教へおしえ知れしれる をだいいちとす。つぎにはかくことむねとすることはなくとも、これ を習ふならうべし。學問がくもん便りたよりあらむためなり。つぎ醫術いじゅつ習ふならうべし。養ひやしないひと助けたすけ忠孝ちゅうこうのつとめも、にあらずばあるべからず。つぎゆみむま乘るのること六藝りくげい出せいだせり。必ずかならずこれ を窺ふうかがうべし。文武ぶんぶみち、まことに缺けかけてはあるべからず。これ を學ばまなばむをば、いたづらいたずらなるひといふいうべからず。つぎに、じきひとてんなり。よく味ひあじわいととのへととのえ知れしれひと大きおおきなるとくとすべし。つぎ細工さいくよろづよろずよう多しおおし。このほかことども、多能たのう君子くんしはづるはずるところなり。詩歌しいかにたくみに、絲竹しちくたえなるは、幽玄ゆうげんみち君臣くんしんこれ を重くおもくすとはいへいえども、いまには、これ をもちて治むるおさむること、漸くようやく愚かおろかなるにたり。こがねはすぐれたれども、くろがねやく多きおおき如かしかざるがごとし。

123

無益むやくこと をなしてとき移すうつす を、愚かおろかなるひととも、僻事ひがことするひとともいふいうべし。くにためきみために、止むやむことずしてなすべきこと多しおおし。その餘りあまりいとま、いくばくならず思ふおもうべし。ひと止むやむことずして營むいとなむところだいいち食ひ物くいものだい著るきるものだいさん居るいるところなり。人間にんげん大事だいじ、このつには過ぎすぎず。飢ゑうえず、寒からさむからず、風雨ふうう冒さおかされずして、しづかしずか過すすぐす樂しみたのしみとす。但しただしひとみなやまいあり。やまい冒さおかされぬれば、その愁へうれえ忍びしのび難しがたし醫療いりょう忘るわするべからず。くすり加へくわえて、つのこと求めもとめざる を貧しまずしとす。この缺けかけざる を富めとめりとす。このつのほか求めもとめ營むいとなむきょうとす。つのこと儉約けんやくならば、たれひと足らたらずとせむ。

124

是法ぜほう法師ほうしは、淨土じょうどしゅう恥ぢはじずと雖もいえども學匠がくしょう をたてず、ただ明暮あけくれ念佛ねんぶつして、やすらかに過すすぐすありさま、いとあらまほし。

125

ひと後れおくれて、四十しじゅうにち佛事ぶつじに、あるひじり請じそうじ侍りはべりしに、説法せっぽういみじくして皆人みなひとなみだ流しながしけり。導師どうしかへりかえりのち聽聞ちょうもんひとども、「いつよりもこと今日きょう尊くとうとくおぼえ侍りはべりつる。」と感じかんじあへあえりし返り事かえりごとに、あるもの曰くいわく、「なにとも候へさぶらえ、あれほどとういぬ候ひさぶらいなむうえは。」といひいいたりしに、あはれあわれもさめてをかしかりおかしかりけり。さる導師どうしのほめやうようやはあるべき。また人またひとさけ勸むるすすむるとて、「おのれまづまずたべてひと強ひしい奉らたてまつらむとするは、つるぎにてひと斬らきらむとするにたることなり。ぽうつきたるものなれば、もたぐるときまづまずわれくび斬るきるゆゑゆえに、ひとをばえ斬らきらぬなり。おのれまづまず醉ひえい臥しふしなば、ひとはよも召さめさじ。」と申しもうしき。つるぎにて斬りきり試みこころみたりけるにや。いとをかしかりおかしかりき。

126

博奕ばくえき負けまけ極まりきわまりて、殘りのこりなくうち入れいれむとせむに、逢ひあいては打つうつべからず。立ちたち歸りかえりつづけて勝つかつべきとき至れいたれると知るしるべし。そのとき知るしる を、よき博奕ばくえきいふいうなり。」と、あるもの申しもうしき。

127

改めあらため益なきやくなきことは、改めあらためぬ をよしとするなり。

128

雅房まさふさだい納言なごんは、ざえ賢くかしこく善きよきひとにて、大將だいしょうにもなさばやと思しおぼしけるころいん近習きんじゅなるひと、「只今ただいま淺ましきあさましきこと侍りはべりつ。」と申さもうされければ、「何事なにごとぞ。」と問はとわ給ひたまいけるに、「雅房まさふさきょうたか飼はかわむとて、生きいきたるいぬあし切りきり侍りはべりつる を、中垣なかがきあなより侍りはべりつ。」と申さもうされけるに、うとましく、にくくおぼしめして、日ごろひごろ氣色けしきたがひたがい昇進しょうしんもしたまはたまわざりけり。さばかりのひとたか持たもたれたりけるは思はずおもわずなれど、いぬあしはあとなきことなり。虚言そらごと不便ふびんなれども、かかること聞かきか給ひたまいて、にくませ給ひたまいけるきみおんこころは、いと尊きとうときことなり。大かたおおかた生けいけるもの を殺しころし痛めいためたたかはしめて遊びあそび樂しまたのしまひとは、畜生ちくしょう殘害ざんがいたぐいなり。よろず鳥獸ちょうじゅう小さきちいさきむしまでも、こころ をとめてありさま を見るみるに、おもひおもいおや をなつかしくし、夫婦ふうふ伴ひともない妬みねたみ怒りいかりよくおほくおおく愛しあいしいのち惜しめおしめこと偏にひとえに愚癡ぐちなるゆゑゆえに、ひとよりも勝りまさり甚だしはなはだし。かれに苦しみくるしみ與へあたえいのち奪はうばわこと、いかでか痛ましからいたましからざらむ。すべて一切いっさい有情うじょう慈悲じひこころなからむは、人倫じんりんにあらず。

129

かおかいは、こころざしひとろう施さほどこさじとなり。すべてひと苦しめくるしめもの虐ぐるしえたぐること賎しきいやしきたみこころざし をも奪ふうばうべからず。また幼きおさなき賺しすかし嚇しおどし言ひいい辱しめはずかしめ興ずるきょうずることあり。大人しきおとなしきひとは、まことならねばことにもあらず思へおもえど、幼きおさなきこころには、にしみて恐ろしくおそろしく恥しくやさしく、あさましき思ひおもいまことせちなるべし。これ を惱しなやまし興ずるきょうずること慈悲じひこころにあらず。大人しきおとなしきひとの、喜びよろこび怒りいかり哀れびあわれび樂しぶたのしぶも、みな虚妄こもうなれども、たれまことありそう著せじゃくせざる。破るやぶるよりも、こころ痛まいたましむるは、ひと害ふそこなうことなほなお甚だしはなはだしやまい受くるうくることも、多くおおくこころより受くうくほかより來るきたるやまい少なしすくなしくすり飮みのみあせ求むるもとむるには、しるしなきことあれども、一旦いったん恥ぢはじ恐るるおそるることあれば、かならずあせ流すながすは、こころのしわざなりといふいうこと を知るしるべし。凌雲りょううんひたい書きかきて、白頭はくとうひととなりしためしなきにあらず。

130

もの爭はあらそわず、おのれ枉げまげひと從ひしたがいわれのちにして、ひとさきにするには如かしかず。よろずのあそびにも、勝負しょうぶ好むこのむひとは、勝ちかちきょうあらむためなり。おのれげい勝りまさりたること をよろこぶ。されば負けまけきょうなく覺ゆおぼゆべきこと、また知らしられたり。われ負けまけひと歡ばよろこばしめむと思はおもわば、さらに遊びあそびきょうなかるべし。ひと本意ほんいなく思はおもわせて、わがこころ慰めなぐさめむこと、とく背けそむけり。むつましきなかたわぶれるるも、ひと をはかり欺きあざむきて、おのれが勝りまさりたること をきょうとす。これまたれいにあらず。さればはじめ興宴きょうえんより起りおこりて、長きながき恨みうらみ結ぶむすぶたぐいおほしおおし。これみなあらそひあらそい好むこのむしつなり。ひと勝らまさらむこと を思はおもわば、ただ學問がくもんして、そのひと勝らまさらむと思ふおもうべし。みち學ぶまなぶとならば、ぜん誇らほこらず、ともがらに爭ふあらそうべからずといふいうこと知るしるべきゆゑゆえなり。大きおおきなるそく をも辭しじし をも捨つるすつるは、ただ學問がくもんちからなり。

131

貧しきまずしきものはたからもっれいとし、老いおいたるものはちからもっれいとす。おのがぶん知りしりて、及ばおよばざるとき速かすみやかにやむ をさとりいふいうべし。許さゆるさざらむはひとのあやまりなり。ぶん知らしらずして強ひしい勵むはげむは、おのれがあやまりなり。貧しくまずしくしてぶん知らしらざれば盜みぬすみちから衰へおとろえぶん知らしらざればやまい をうく。

132

鳥羽とば作り道つくりみちは、鳥羽とば殿どの建てたてられてのちごうにはあらず、むかしよりのなり。元良もとよし親王しんのう元日がんにち奏賀そうがこえはなはだ殊勝しゅしょうにして、大極だいこく殿どのより鳥羽とば作り道つくりみちまできこえけるよし、李部りほうおう侍るはべるとかや。

133

よる御殿ごてんひんがしおんまくらなり。大かたおおかたひんがしまくらとして陽氣ようき受くうくべきゆえに、孔子こうし東首とうしゅ給へたまえり。寢殿しんでんしつらひしつらい或はあるいは南枕みなみまくらつねのことなり。白河しらかわいん北首ほくしゅ御寢ぎょしんなりけり。「きた忌むいむことなり。また伊勢いせみなみなり。だい神宮じんぐう御方みかたおんあとにせさせ給ふたまうこといかが。」とひと申しもうしけり。ただしだい神宮じんぐう遥拜ようはい辰巳たつみ向はむかわたまふたまうみなみにはあらず。

134

高倉たかくらいん法華ほけどう三昧さんまいそうなになにがし律師りっしとかやいふいうもの、あるときかがみ取りとりかお をつくづくとて、われかお醜くみにくくあさましきこと を、餘りあまり心憂くこころうく覺えおぼえて、かがみさへさえうとましき心地ここちしければ、そののち長くながくかがみ恐れおそれて、にだに取らとらず、更にさらにひと交はるまじわることなし。御堂みどう勤めつとめ許りばかりあひあいて、籠りこもりたりと聞ききき傳へつたえしこそ、あり難くがたく覺えおぼえしか。かしこげなるひとひとうえ をのみ計りはかりて、おのれをば知らしらざるなり。われ知らしらずして知るしるいふいうことわりあるべからず。されば、おのれ知るしる を、もの知れしれひといふいうべし。かお醜けれみにくけれども知らしらず、こころ愚かおろかなる をも知らしらず、げい拙きつたなき をも知らしらず、かずならぬ をも知らしらず、とし老いおいぬる をも知らしらず、やまい冒すおかす をも知らしらず、近きちかきこと をも知らしらず、行ふおこなうみち至らいたらざる をも知らしらず、うえ をも知らしらねば、ましてほか譏りそしり知らしらず。ただしかおかがみ見ゆみゆとし數へかぞえ知るしるわれこと知らしらぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らしらぬにたりとぞいはいわまし。かお改めあらためよわい若くわかくせよとにはあらず。拙きつたなき知らしらば、なにぞやがて退かしりぞかざる。老いおいぬと知らしらば、なにしずか をやすくせざる。行ひおこない愚かおろかなりと知らしらば、なにぞこれ を思ふおもうことこれにあらざる。すべてひと愛樂あいらくせられずしてしゅう交はるまじわるはじなり。かおみにくく心おくれこころおくれにして出でいで仕へつかえ無智むちにして大才たいさい交はりまじわり不堪ふかんげい をもちて堪能かんのう連なりつらなりゆきかしら戴きいただきそうりなるひとにならび、況んやいわんや及ばおよばざること を望みのぞみ叶はかなわぬこと を憂へうれえ來らきたらざること待ちまちひと恐れおそれひと媚ぶるこぶるは、ひと與ふるあたうるはじにあらず、貪るむさぼるこころ引かひかれて、自らみずからはじしむるなり。貪るむさぼることのやまざるは、いのち終ふるおうる大事だいじいまここに來れきたれりと、たしかに知らしらざればなり。

135

資季すけすえだい納言なごん入道にゅうどうとかや聞えきこえけるひと具氏ともうじ宰相さいしょう中將ちゅうじょう逢ひあいて、「わぬしの問はとわれむほどこと何事なにごとなりとも答へこたえ申さもうさざらむや。」といはいわれければ、具氏ともうじ、「いかが侍らはべらむ。」と申さもうされける を、「さらば、あらがひあらがい給へたまえ。」といはいわれて、「はかばかしきことは、片端かたはしもまねび知りしり侍らはべらねば、尋ねたずね申すもうすまでもなし。なにとなきそぞろごとのなかに、覺束なきおぼつかなきこと をこそ問ひとい奉らたてまつらめ。」と申さもうされけり。「まして、ここもとの淺きあさきことは、何事なにごとなりともあきらめ申さもうさむ。」といはいわれければ、近習きんじゅ人人ひとびと女房にょうぼうなども、「きょうあるあらがひあらがいなり。おなじくはまえにて爭はあらそわるべし。負けまけたらむひと供御くごまうけもうけらるべし。」と定めさだめて、まえにて召しめし合せあわせられたりけるに、具氏ともうじ、「幼くおさなくより聞きききならひならい侍れはべれど、そのこころ知らしらぬこと侍りはべりむまきつきっりやうきつにのをかおか、なかくぼれいりぐれんどうと申すもうすことは、いかなるこころにかはべらむ。承らうけたまわらむ。」と申さもうされけるに、だい納言なごん入道にゅうどうはたとつまりて、「これは、そぞろごとなれば、云ふいうにも足らたらず。」といはいわれける を、「もとより、深きふかきみち知りしり侍らはべらず。そぞろこと尋ねたずね奉らたてまつらむと、定めさだめ申しもうしつ。」と申さもうされければ、だい納言なごん入道にゅうどう負けまけになりて、所課しょかいかめしくせられたりけるとぞ。

136

醫師いしあつしげ、法皇ほうおうまえ候ひさぶらいて、供御くご參りまいりけるに、「いま參りまいり侍るはべる供御くごのいろいろ を、文字もじ功能くのう尋ねたずね下さくだされて、そらに申しもうしはべらば、本草ほんぞう御覽じごらんじあはあわせられ侍れはべれかし。ひとつも申しもうし誤りあやまり侍らはべらじ。」と申しもうしけるときしも、六條ろくじょう内府だいふまゐりまいり給ひたまいて、「有房ありふさついでにもの習ひならい侍らはべらむ。」とて、「まづまずしほしおいふいう文字もじは、いづれいずれ偏にひとえに侍らはべらむ。」と問はとわれたりけるに、「土偏どへんさぶらう。」と申しもうしたりければ、「ざえのほど既にすでに現はれあらわれにたり。いまはさばかりにて候へさぶらえ、ゆかしきところなし。」と申さもうされけるに、とよみになりて、罷りまかり出でいでにけり。

137

はな盛りさかりに、つき隈なきくまなき をのみ見るみるものかは。あめむかひむかいつき戀ひこい、たれこめてはるのゆくへ知らしらぬも、なほなおあはれあわれ情ふかしなさけふかし咲きさきぬべきほどのこずえ散りちりしをれしおれたるにわなどこそ見どころみどころおほけれおおけれうた詞書ことばがきにも、「花見はなみ罷りまかりけるにはやく散りちり過ぎすぎにければ。」とも、「さはるさわることありて罷らまからで。」なども書けかけるは、「はなて。」といへいえるに劣れおとれことかは。はな散りちりつき傾くかたぶく慕ふしたう習ひならいはさることなれど、ことかたくななるひとぞ、「このえだかのえだ散りちりにけり。いま見所みどころなし。」などはいふいうめる。よろずこと始め終りはじめおわりこそをかしけれおかしけれ男女なんにょなさけも、偏にひとえに逢ひあい見るみるをばいふいうものかは。逢はあわでやみにし憂さうさおもひおもい、あだなる契りちぎり をかこち、長きながき をひとり明しあかし遠きとおき雲居くもい思ひおもいやり、淺茅あさじ宿しゅくむかし忍ぶしのぶこそ、いろ好むこのむとはいはいわめ。望月もちづき隈なきくまなき を、せんほかまで眺めながめたるよりも、あかつき近くちかくなりて待ちまちいでたるが、いと心ふかうこころふこう青みあおみたるさまにて、深きふかきやますぎこずえ見えみえたるかげ、うちしぐれたるむら雲むらくもがくれのほど、またなくあはれあわれなり。椎柴しいしば白樫しらかしなどの濡れぬれたるやうようなるうえにきらめきたるこそ、にしみて、こころあらむとももがなと、みやここひしうこいしゅう覺ゆれおぼゆれ。すべて月花げっかをばさのみにて見るみるものかは。はるいえ立ちたち去らさらでも、つきねやのうちながらも思へおもえるこそ、いと頼もしうたのもしゅうをかしけれおかしけれ。よきひとは、偏にひとえにすけるさまにも見えみえず、興ずるきょうずるさまなほざりなおざりなり。片田舎かたいなかひとこそ、いろ濃くこくよろづよろずはもて興ずれきょうずれはなのもとには、ねぢねじより立ちたちより、あからめもせずまもりて、さけ飮みのみ連歌れんがして、はては大きおおきなるえだ心なくこころなく折りおり取りとりぬ。いずみには手足てあしさしひたして、ゆきにはおりたちてあとつけなど、よろずもの、よそながら見るみることなし。さやうさようひとまつりしさま、いとめづらかめずらかなりき。「見ごとみごといとおそし。そのほどは棧敷さじき不用ふようなり。」とて、おくなるにて、さけ飮みのみもの食ひくいかこい雙六すごろくなど遊びあそびて、棧敷さじきにはひと をおきたれば、「わたりさぶらう。」といふいうときに、おのおのきもつぶるやうよう爭ひあらそい走りはしりあがりて、落ちおちぬべきまで、すだれ張りはりいでて、押しおしあひあいつつ、ひとこと洩らさもらさじとまもりて、とありかかりとものこといひいいて、渡りわたり過ぎすぎぬれば、「また渡らわたらむまで。」といひいい降りふりぬ。唯物ゆいぶつ をのみむとするなるべし。みやこひとのゆゆしげなるは、眠りねぶりていともず。若くわかく末末すえずえなるは、宮仕へみやづかえ立ちたちひとのちさぶらふさぶらうは、さまあしくも及びおよびかからず、わりなくむとするひともなし。なにとなくあおいかけ渡しわたしてなまめかしきに、明けあけはなれぬほど、忍びしのび寄するよするくるまどものゆかしき を、かなどおもひよすれおもいよすれば、牛飼うしかい下部しもべなどの知れしれるもあり。をかしくおかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きゆきかふかう見るみるもつれづれならず。暮るるくるるほどには、立てたて竝べならべつるくるまども、所なくところなく竝みなみつるひとも、いづかたいずかたへか行きゆきつらむ、程なくほどなくまれになりて、くるまどものらうがはしろうがわしさも濟みすみぬれば、すだれたたみ取りとり拂ひはらいまえ寂しさびしげになり行くゆくこそ、のためしも思ひおもい知らしられて哀れあわれなれ。大路おおちたるこそ、まつりたるにてはあれ、かの棧敷さじきまえ をここら行きゆきかふかうひとの、知れしれるが數多あまたあるにて知りしりぬ、人數ひとかずもさのみは多からおおからぬにこそ。このひとみな失せうせなむのちわれ死ぬしぬべきに定まりさだまりたりとも、程なくほどなく待ちまちつけぬべし。大きおおきなるうつわものみず入れいれて、細きほそきあな をあけたらむに、滴るしただること少しすこし云ふいうとも、怠るおこたるなく漏りもりゆかば、やがて盡きつきぬべし。みやこなか多きおおきひと死なしなざるはあるべからず。ひと一人二人ひとりふたりのみならむや。鳥部野とりべの舟岡ふなおか、さらぬ野山のやまにも、送るおくるかずおほかるおおかるはあれど、送らおくらはなし。さればひつぎ鬻ぐひさぐもの、作りつくりてうち置くおくほどなし。若きわかきにもよらず、強きつよきにもよらず、思ひおもいかけぬは死期しごなり。今日きょうまで遁れのがれにけるは、ありがたき不思議ふしぎなり。しばししも をのどかに思ひおもいなむや。まま子ままこたていふいうもの を、雙六すごろくいしにてつくりて、立てたて竝べならべたるほどは、取らとられむこといづれいずれいしとも知らしらねども、數へかぞえ當てあててひとつ を取りとりぬれば、そのほか遁れのがれぬと見れみれど、またまたかぞふれかぞうれば、かれこれ拔きぬき行くゆくほどに、いづれいずれも、遁れのがれざるにたり。つわものいくさいづるいずるは、近きちかきこと を知りしりて、いえ をも忘れわすれ をも忘るわする をそむけるくさいおりには、しづかしずか水石すいせき をもてあそびて、これ を他所たしょ聞くきく思へおもえるは、いとはかなし。しづかしずかなるやまおく無常むじょうかたききほひきおい來らきたらざらむや。その臨めのぞめること、いくさじん進めすすめるにおなじ。

138

まつり過ぎすぎぬれば、のちあおい不用ふようなりとて、あるひとの、御簾みすなる をみな取らとらせられ侍りはべりしが、いろもなくおぼえ侍りはべりし を、よきひとのし給ふたまうことなれば、さるべきにやと思ひおもいしかど、周防すおうの内侍ないしが、

かくれどもかひなきかいなきものはもろともにみすのあおい枯葉かれはなりけり

詠めよめるも、母屋もや御簾みすあおいのかかりたる枯葉かれは詠めよめるよし、いえしゅう書けかけり。古きふるきうた詞書ことばがきに、「枯れかれたるあおいにさしてつかはしつかわしける。」ともはべり。まくら草紙そうしにも、「しかた戀しきこいしきもの。かれたるあおい。」と書けかけるこそ、いみじくなつかしうなつかしゅう思ひおもいよりたれ。かも長明ちょうめい四季しき物語ものがたりにも、「玉だれたまだれのちあおいはとまりけり。」とぞ書けかける。おのれ枯るるかるるだにこそある を、名殘なごりなくいかが取りとり捨つすつべき。御帳みちょうにかかれる藥玉くすだまも、九月ながつきここのきくにとりかへらかえらるるといへいえば、菖蒲そうぶきくおりまでもあるべきにこそ。枇杷びわ皇太后こうたいごうみやかくれ給ひたまいのち、ふるき御帳みちょううちに、菖蒲そうぶ藥玉くすだまなどの枯れかれたるが侍りはべりける をて、「をりおりならぬなほなおぞかけつる。」と、べん乳母めのといへいえ返り事かえりごとに、「あやめのくさはありながら。」とも、侍從じじゅう詠みよみしぞかし。

139

いえにありたきは、まつさくらまつ五葉ごようもよし。はなひとなるよし。八重櫻やえざくら奈良ならみやこにのみありける を、このころ多くおおくなり侍るはべるなる。吉野よしのはな左近さこんさくらみな一重ひとえにてこそあれ。八重櫻やえざくら異樣いようのものなり。いとこちたくねぢけねじけたり。植ゑうえずともありなむ。遲櫻おそざくらまたすさまじ。むしのつきたるもむつかし。むめ白きしろき、うす紅梅こうばいひとなるが疾くとく咲きさきたるも、重なりかさなりたる紅梅こうばいの、匂ひにおいめでたきも、みなをかしおかし。「おそきむめは、さくら咲きさきあひあいて、おぼえ劣りおとり、けおされて、えだ萎みしぼみつきたる、心憂しこころうしひとなるがまづまず咲きさき散りちりたるは、心疾くこころとくをかしおかし。」とて、京極きょうごく入道にゅうどうちゅう納言なごんは、なほなおひとむめ をなむ軒近くのきちかく植ゑうえられたりける。京極きょうごく南むきみなみむきに、いまふたもとはべるめり。やなぎまたをかしおかし卯月うづきばかりの若楓わかかえで、すべてよろず花紅葉はなもみじにも優りまさりてめでたきものなり。たちばなのかつら何れいずれもの古りふり大きおおきなる、よし。くさ山吹やまぶきとう杜若かきつばた撫子なでしこいけにははちすあきくさおぎはく桔梗きちこうはぎ女郎花おみなえし藤袴ふじばかま紫菀しおに吾木香われもこう刈萱かるかや龍膽りんどうきく黄菊きぎくも、つたくず朝顔あさがおいづれいずれもいと高からたかからず、ささやかなるかきに、しげからぬよし。このほかにまれなるおの、とうめきたる聞きききにくく、はななれぬなど、いとなつかしからず。大かたおおかたなに珍しくめずらしくありがたきものは、よからぬひとのもて興ずるきょうずるものなり。さやうさようものなくてありなむ。

140

死しししたから殘るのこることは、智者ちしゃのせざるところなり。よからぬもの蓄へたくわえおきたるも拙くつたなく、よきものは、こころ をとめけむとはかなし。こちたく多かるおおかる、まして口惜しくちおしわれこそめなどいふいうものどもありて、あとに爭ひあらそいたる、さま惡しにくしのちにはたれにと志すこころざすものあらば、生けいけらむなかにぞ讓るゆずるべき。朝夕あさゆうなくて協はかなわざらむものこそあらめ、そのほかなに持たもたでぞあらまほしき。

141

悲田ひでんいん尭蓮ぎょうれん上人しょうにんは、俗姓ぞくしょう三浦みうらののなにがしとかや、ならびなき武者むしゃなり。故郷こきょうひと來りきたり物がたりものがたりすとて、「吾妻人あずまびとこそいひいいつることは頼またのまるれ。みやこひといい受けうけのみよくて、まことなし。」といひいいし を、ひじり、「それはさこそ思すおぼすらめども、おのれはみやこ久しくひさしく住みすみて、馴れなれ侍るはべるに、ひとこころ劣れおとれりとは思ひおもい侍らはべらず。なべて心やはらかこころやわらかなさけあるゆゑゆえに、ひといふいうほどのこと、けやけくことばびがたく、よろづよろず言ひいいはなたず、心弱くこころよわくことうけしつ。いつわりせむとは思はおもわねど、乏しくともしくかなはかなわひとのみあれば、おのづからおのずから本意ほんい通らとおらぬこと多かるおおかるべし。吾妻人あずまびとわれがかたなれど、げにはこころいろなく、なさけおくれ、偏にひとえにすくよかなるものなれば、初めはじめよりいないひいい止みやみぬ。賑ひにぎわい豐かゆたかなれば、ひとには頼またのまるるぞかし。」とことわられ侍りはべりしこそ、このひじりこえうちゆがみあらあらしくて、聖教しょうぎょうのこまやかなることわり、いと辨へわきまえずもやと思ひおもいしに、この一言いちごんのち心憎くこころにくくなりて、多かるおおかるなかに、てら をも住持じゅうじせらるるは、かく和ぎやわらぎたるところありて、そのやくもあるにこそと覺えおぼえ侍りはべりし。

142

心なしこころなし見ゆるみゆるものも、よきひとこといふいうものなり。ある荒夷あらえびす恐ろしおそろしげなるが、かたわらあひあいて、「御子みこおはすおわすや。」と問ひといしに、「いちにん持ちもち侍らはべらず。」と答へこたえしかば、「さてはものあはれあわれ知りしり給はたまわじ。情なきなさけなきおんこころにぞものし給ふたまうらむと、いと恐ろしおそろしことさらにこそ、よろず哀れあわれ思ひおもい知らしらるれ。」といひいいたりし、さもありぬべきことなり。恩愛おんあいみちならでは、かかるもののこころ慈悲じひありなむや。孝養きょうよう心なきこころなきものも、持ちもちてこそおやこころざし思ひおもい知るしるなれ。 をすてたるひとよろづよろずにするすみなるが、なべてほだし多かるおおかるひとの、よろづよろず諂ひへつらい望みのぞみ深きふかきて、無下むげ思ひおもいくたすは、僻事ひがことなり。そのひとこころになりて思へおもえば、まことにかなしからむおやのため妻子さいしのためには、はじ をも忘れわすれ盜みぬすみ をもしつべきことなり。されば盜人ぬすびと縛めいましめ僻事ひがこと をのみつみせむよりは、ひと飢ゑうえ寒からさむからやうように、をば行はおこなわまほしきなり。ひとつねさんなきときつねこころなし。ひと窮りきわまり盜みぬすみす。治らおさまらずして凍餒とうたい苦しみくるしみあらば、とがのもの絶ゆたゆべからず。ひと苦しめくるしめほう犯さおかさしめて、それ を罪なはつみなわむこと、不便ふびんのわざなり。さていかがしてひと惠むめぐむべきとならば、うえ奢りおごり費すついやすところ を止めとどめたみ撫でなでのう勸めすすめば、したあらむこと疑ひうたがいあるべからず。衣食いしょくつねなるうえに、ひがごとせむひと をぞ、まことの盜人ぬすびととはいふいうべき。

143

ひと終焉しゅうえん有樣ありさまのいみじかりしことなど、ひと語るかたる聞くきくに、ただ、「靜かしずかにして亂れみだれず。」といはいわ心にくかるこころにくかるべき を、愚かおろかなるひとは、怪しくあやしくことなるそう語りかたりつけ、いひいいこと擧止きょしも、おのれが好むこのむかた譽めほめなすこそ、そのひと日ごろひごろ本意ほんいにもあらずやと覺ゆれおぼゆれ。この大事だいじは、權化ごんげひと定むさだむべからず、博學はくがくもはかるべからず、おのれ違ふたがうところなくば、ひと聞くきくにはよるべからず。

144

栂尾とがのお上人しょうにんみち過ぎすぎたまひたまいけるに、かわにてむま洗ふあらうおとこ、「あしあし。」といひいいければ、上人しょうにんたちとまりて、「あなたふととうとや。宿執しゅくじゅう開發かいはつひとかな。阿字あじ阿字あじ唱ふるとなうるぞや。いかなるひとおんむまぞ。あまりにたふとくとうとく覺ゆるおぼゆるは。」と尋ねたずね給ひたまいければ、「府生ふそう殿どのおんむまさぶらう。」と答へこたえけり。「こはめでたきことかな。阿字あじほん不生ふしょうにこそあんなれ。うれしき結縁けちえん をもしつるかな。」とて、感涙かんるい拭はぬぐわれけるとぞ。

145

隨身ずいじんしん重躬しげみ北面ほくめん下野しもつけ入道にゅうどう信願しんがん を、「落馬らくばそうあるひとなり。よくよく愼みつつしみ給へたまえ。」といひいいける を、いとまことしからず思ひおもいけるに、信願しんがんむまより落ちおち死にしににけり。長じちょうじぬるひとことかみ如しごとしひとおもへおもえり。さて、「いかなるそうぞ。」とひと問ひといければ、「極めきわめ桃尻ももじりにて、沛艾はいがいむま好みこのみしかば、このそうおほせおおせ侍りはべりき。いつかは申しもうし誤りあやまりたる。」とぞいひいいける。

146

明雲めいうん座主ざす相者そうじゃ逢ひあい給ひたまいて、「おのれ若しもし兵仗ひょうじょうなんやある。」と尋ねたずねたまひたまいければ、相人そうにん、「實にげにそのあいおはしますおわします。」と申すもうす。「いかなるそうぞ。」と尋ねたずね給ひたまいければ、「傷害しょうがい恐れおそれおはしますおわしますまじき御身おんみにて、かりにもかく思しよりおぼしより尋ねたずね給ふたまう。これ既にすでにそのあやぶみのしるしなり。」と申しもうしけり。はたしてにあたりてうせ給ひたまいにけり。

147

灸治きゅうじあまた所あまたところになりぬれば神事しんじ穢れけがれありといふいうこと、近くちかくひといひいい出せいだせるなり、格式きゃくしきにも見えみえずとぞ。

148

四十しじゅう以後いごひときゅう加へくわえさん燒かやかざれば上氣じょうきのことあり、必ずかならず灸すきゅうすべし。

149

鹿茸ろくじょうはなにあてて嗅ぐかぐべからず、ちひさきちいさきむしありて、はなより入りいりのう をはむといへいえり。

150

のう をつかむとするひと、「よくせざらむほどは、なまじひなまじいひと知らしられじ、内内ないないよく習ひならいてさし出でいでたらむこそ、いと心にくからこころにくからめ。」とつねいふいうめれど、かくいふいうひといちげいならひならい得るうることなし。いまだ堅固けんごかたほなるより、上手じょうずなかにまじりて、譏りそしり笑はわらわるるにも恥ぢはじず、つれなくて過ぎすぎてたしなむひと天性てんぜいそのほねなけれども、みちなづまなずま妄りみだりにせずして、とし送れおくれば、堪能かんのう嗜またしなまざるよりは、終についに上手じょうずくらいにいたり、とくたけひと許さゆるされて、ならびなき をうることなり。天下てんがもの上手じょうずいへいえども、はじめは不堪ふかんのきこえもあり、無下むげ瑕瑾かきんもありき。されどもそのひとみちおきて正しくまさしく、これ を重くおもくして放埒ほうらつせざれば、博士はかせにて、萬人ばんにんとなること、諸道しょどうかはるかわるべからず。

151

あるひと曰くいわくとし五十いそじになるまで上手じょうず至らいたらざらむげいをば捨つすつべきなり。勵みはげみ習ふならうべきゆくすえもなし。老人ろうじんのことをばひともえ笑はわらわず、しゅう交はりまじわりたるも、あひなくあいなく見苦しみぐるし大方おおかたよろずのしわざは止めとどめて、いとまあるこそ目安くめやすくあらまほしけれ。世俗せぞくことたづさはりたずさわりて、生涯しょうがい暮すくらす下愚かぐひとなり。ゆかしく覺えおぼえむことは學びまなび聞くきくとも、そのおもむき知りしりなば、覺束なからおぼつかなからずして止むとどむべし。もとより望むのぞむことなくしてやまむは、だいいちのことなり。

152

西にし大寺だいじしず上人しょうにんこしかがまりまゆ白くしろくまこととくたけたる有樣ありさまにて、内裏だいり參らまいられたりける を、西園寺さいおんじない大臣だいじん殿どの、「あな尊ととうと氣色けしきや。」とて信仰しんごう氣色けしきありければ、資朝すけともきょうこれ をて、「としのよりたるにさぶらう。」と申さもうされけり。後日ごにちに、尨犬むくいぬ淺ましくあさましく老いおいさらぼひさらぼいはげたる をひかせて、「この氣色けしき尊くとうとく見えみえさぶらう。」とて内府だいふ參らせまいらせられたりけるとぞ。

153

けんだい納言なごん入道にゅうどうめしとられて、武士もののふども打ちうち圍みかこみて、六波羅ろくはら行きゆきければ、資朝すけともきょう一條いちじょうわたりにてこれ をて、「あな羨しうらやましにあらむおもひでおもいで、かくこそ有らあらまほしけれ。」とぞいはいわれける。

154

このひと東寺とうじかど雨宿りあまやどりせられたりけるに、かたは者かたわものども集りあつまりたるが、あしねぢねじゆがみうち反りそりて、いづくいずく不具ふぐ異樣いようなる をて、「とりどりに類なきたぐいなきくせ者くせものなり、最ももっとも愛するあいする足れたれり。」と思ひおもいて、まもり給ひたまいけるほどに、やがてそのきょうつきて、見にくくみにくくいぶせく覺えおぼえければ、「ただすなほすなお珍しからめずらしからぬものには如かしかず。」と思ひおもいて、歸りかえりのち、「このあいだ植木うえき好みこのみて、異樣いよう曲折きょくせつある を求めもとめ喜ばよろこばしめつるは、かのかたは者かたわもの愛するあいするなりけり。」と、きょうなく覺えおぼえければ、はち栽ゑうえられけるども、みなほり棄てすてられにけり。さもありぬべきことなり。

155

從はしたがわひとは、まづまず機嫌きげん知るしるべし。じょ惡しきあしきことは、ひとみみにも逆ひさかいこころにも違ひたがいて、そのこと成らならず、さやうさよう折節おりふし心得こころうべきなり。但しただしやまい をうけ、うみ、死ぬるしぬることのみ、機嫌きげん をはからず、ついであしとて止むやむことなし。なますむことめつ移り變るうつりかわるまことの大事だいじは、たけきかわ漲りみなぎり流るるながるる如しごとし。しばしも滯らとどこおらず、直ちにただちに行ひおこないゆくものなり。されば眞俗しんぞくにつけて、かならず果しはたし遂げとげむとおもはおもわむことは、機嫌きげんいふいうべからず。とかくの用意よういなく、あし踏みふみとどむまじきなり。はる暮れくれのちなつになり、なつ果てはてあき來るきたるにはあらず。はるはやがてなつ催しもよおしなつより既にすでにあき通ひかよいあき則ちすなわち寒くさむくなり、十月かみなづき小春こはる天氣てんきくさ青くあおくなり、むめ莟みつぼみぬ。落つるおつるも、まづまず落ちおちてめぐむにはあらず、したより萌しきざしつはるつわる堪へたえずして落つるおつるなり。迎ふるむかうるした設けもうけたるゆえに、待ちまち取るとるじょ甚だはなはだ早しはやし生老しょうろう病死やみじに移りうつり來るくることまたこれに過ぎすぎたり。四季しきなほなお定まれさだまれじょあり。死期しごじょ待たまたず。まえよりしも來らきたらず、かねてのち迫れせまれり。ひとみなあること知りしりて、待つまつことしかもきゅうならざるに、覺えおぼえずして來るきたるおき干潟ひかた遥かはるかなれども、いそよりうしお滿つるみつる如しごとし

156

大臣おとど大饗だいきょうは、さるべきところ をま をし受けうけ行ふおこなうつねのことなり。宇治うじ大臣だいじん殿どのは、ひんがし三條さんじょう殿どのにて行はおこなわる。内裏だいりにてありける を申さもうされけるによりて、他所たしょ行幸ぎょうごうありけり。させることのよせなけれども、女院にょういん御所ごしょなど借りかり申すもうす故實こじつなりとぞ。

157

ふで をとればもの書かかかれ、樂器がっき をとればこえ をたてむと思ふおもうさかずき をとればさけ思ひおもいさい をとればうたむこと思ふおもうこころ必ずかならずこと觸れふれ來るきたるかりにも不善ふぜんたはぶれたわぶれ をなすべからず。あからさまに聖教しょうぎょういち見れみれば、なにとなく前後ぜんごふみ見ゆみゆ卒爾そつじにして多年たねん改むるあらたむることもあり。かりいまこのふみ をひろげざらましかば、このこと知らしらむや。これすなはちすなわち觸るるふるるところやくなり。こころ更にさらに起らおこらずとも、佛前ぶつぜんにありて數珠ずず取りとりきょう取らとらば、怠るおこたるうちにも善業ぜんごうおのづからおのずから修せしゅせられ、散亂さんらんこころながらもなわとこ坐せいませば、おぼえずして禪定ぜんじょうなるべし。事理じりもとよりふたつならず、外相げそう若しもし背かそむかざれば、内證ないしょうかならず熟すじゅくす強ひしい不信ふしんいふいうべからず。仰ぎあおぎてこれ を尊むとうとむべし。

158

さかずきそこ捨つるすつることはいかが心得こころえたる。」とあるひと尋ねたずねさせ給ひたまいしに、「こりあたり申しもうし侍れはべれば、そこ凝りこりたる を捨つるすつるにやさぶらうらむ。」と申しもうし侍りはべりしかば、「さにはあらず、魚道ぎょとうなり。流れながれ殘しのこしくちのつきたるところ をすすぐなり。」とぞ仰せおおせられし。

159

「みなむすびといふいうは、いと をむすびかさねたるが、みないふいうかいたればいふいう。」とあるやんごとなきひと仰せおおせられき。「にな」といふいう誤りあやまりなり。

160

かどがくかくる を、「うつ」といふいうはよからぬにや。勘解由小路かでのこうじのほん禪門ぜんもんは、「がくかくる」とのたまひのたまいき。見物けんぶつの「棧敷さじきうつ」もよからぬにや。「平張ひらはりうつ」などはつねことなり。棧敷さじき構ふるかまうるなどいふいうべし。「護摩ごまたく」といふいうもわろし。「修するしゅする」「護摩ごまする」などいふいうなり。「行法ぎょうぼう」も、「ほう」の清みすみいふいう、わろし、濁りにごりいふいう。」と清閑せいがん僧正そうじょう仰せおおせられき。つねいふいうことにかかることのみ多しおおし

161

はな盛りさかりは、冬至とうじよりひゃく五十ごじっにちとも、時正じしょうのちなぬともいへいえど、立春りっしゅんより七十しちじゅうにちおほやうおおよう違はたがわず。

162

遍昭へんじょうてら承仕じょうじ法師ほうしいけとり日ごろひごろ飼ひかいつけて、どううちまで をまきて、ひとつ をあけたれば、かず知らしら入りいりこもりけるのち、おのれも入りいりて、立てたて篭めこめ捕へとらえつつ殺しころしけるよそほひよそおい、おどろどろしく聞えきこえける を、くさ刈るかるわらわ聞きききひと告げつげければ、むらおとこども、おこりて入りいり見るみるに、だいがんどもふためきあへあえなかに、法師ほうしまじりて、うち伏せふせねぢねじ殺しころしければ、この法師ほうし捕へとらえて、ところより使つかいちょう出しいだしたりけり。殺すころすところのとりくびにかけさせて、禁獄きんごくせられけり。基俊もととしだい納言なごん別當べっとうときになむ侍りはべりける。

163

太衝たいしょうともし打つうっ打たうたずといふいうこと、陰陽おんようのともがら相論そうろんのことありけり。もりちか入道にゅうどう申しもうし侍りはべりしは、「吉平よしひら自筆じひつ占文せんもんうら書かかかれたる御記ぎょき近衞このえ關白かんぱく殿どのにあり。てんうちたる を書きかきたり。」と申しもうしき。

164

ひとあい逢ふあうとき、しばらくも默止もくしすることなし、必ずかならず言葉ことばあり。そのこと を聞くきくに、おほくおおく無益むやくだんなり。世間せけん浮説ふせつひと是非ぜひ自他じたのためにしつ多くおおくとく少しすくなし。これ をかたるときたがいこころに、無益むやくのことなりといふいうこと を知らしらず。

165

ひんがしひとの、みやこひと交はりまじわりみやこひとの、ひんがし行きゆき をたて、また本寺ほんじ本山ほんざん をはなれぬる顯密けんみつそう、すべてわがぞくにあらずして、ひとまじはれまじわれる、見ぐるしみぐるし

166

人間にんげん營みいとなみあへあえわざ見るみるに、はるゆきほとけ造りつくりて、そのため金銀きんぎん珠玉しゅぎょく飾りかざり營みいとなみ堂塔どうとう建てたてむとするにたり。その構へかまえ待ちまちてよく安置あんじしてむや。ひといのちありと見るみるほども、したより消ゆるきゆることゆき如くごとくなるうちに、いとなみ待つまつこと甚だはなはだ多しおおし

167

ひとみち携はるたずさわるひと、あらぬみちむしろ臨みのぞみて、「あはれあわれわれみちならましかば、かくよそに侍らはべらじもの を。」といひいいこころにも思へおもえことつねのことなれど、にわろく覺ゆるおぼゆるなり。知らしらみち羨ましくうらやましく覺えおぼえば、「あな羨ましうらやまし、などか習はならわざりけむ。」と言ひいいてありなむ。われ取りとり出でいでひと爭ふあらそうは、つのあるもののつの をかたぶけ、きばあるもののきば噛みかみ出すいだすたぐいなり。ひととしてはぜんにほこらず、もの爭はあらそわざる をとくとす。ほか勝るまさることのあるは大きおおきなるしつなり。しなたかさにても、才藝さいげいのすぐれたるにても、先祖せんぞほまれにても、ひとにまされりと思へおもえひとは、たとひたといことば出でいでてこそいはいわねども、内心ないしん若干そこばくとがあり。謹みつつしみてこれ を忘るわするべし。をこおこにも見えみえひとにもいひいいけたれ、禍ひわざわい をも招くまねくは、ただこの慢心まんしんなり。いっどうにもまことに長じちょうじぬるひとは、みづからみずから明らかあきらかにその知るしるゆゑゆえに、こころざしつね滿たみたずして、つひについにもの誇るほこることなし。

168

年老いとしおいたるひとの、ひとことすぐれたる才能さいのうありて、「このひとのちには、たれにか問はとわむ。」などいはいわるるは、おい方人かたうどにて、生けいけるも徒らいたずらならず。さはあれど、それもすたれたるところのなきは、「一生いっしょうこのことにて暮れくれにけり。」と拙くつたなく見ゆみゆ。「いまはわすれにけり。」といひいいてありなむ。大方おおかた知りしりたりとも、すずろにいひいい散らすちらすは、さばかりのざえにはあらぬにやと聞えきこえおのづからおのずから誤りあやまりもありぬべし。「さだかにも辨へわきまえ知らしらず。」などいひいいたるは、なほなお實にげにみちのあるじとも覺えおぼえぬべし。まして知らしらぬこと、したり顔したりがおに、おとなしくもどきぬべくもあらぬひといひいい聞かきかする を、「さもあらず。」と思ひおもいながら聞きききたる、いとわびし。

169

何事なにごとしきいふいうことは、後嵯峨ごさが御代みよまでいはいわざりける を、近きちかきほどよりいふいうことばなり。」と、ひと申しもうし侍りはべりしに、建禮けんれい門院もんいん右京うきょうの大夫たいふ後鳥羽ごとばいんおんくらいのち、また内裏だいり住しじゅうしたること をいふいうに、「しき變りかわりたることはなきにも。」と書きかきたり。

170

さしたることなくてひともと行くゆくは、よからぬことなり。ようありて行きゆきたりとも、そのこと果てはてなば疾くとく歸るかえるべし。久しくひさしくたる、いとむつかし。ひと對ひむかいたれば、ことば多くおおくもくたびれ、こころ靜かしずかならず、よろずことさはりさわりとき移すうつすたがいのため益なしやくなし厭はしいとわしげにいはいわむもわろし、心づきこころづきなきことあらむをりおりは、なかなかそのよし をもいひいいてむ。おなじこころ向はむかわまほしく思はおもわひとの、つれづれにて、「いましばし、今日きょう心しづかこころしずかに。」などいはいわむは、この限りかぎりにはあらざるべし。阮籍げんせき青きあおきまなこたれもあるべきことなり。そのこととなきに、ひと來りきたりて、のどかに物語ものがたりして歸りかえりぬる、いとよし。またふみも、「久しくひさしく聞えきこえさせねば。」などばかり言ひいいおこせたる、いと嬉しうれし

171

かいおほふおおうひとの、わがまえなるをばおきて、よそ を渡しわたして、ひとそでかげひざしたまで をくばるあいだに、まえなるをばひと掩はおおわれぬ。よく掩ふおおうひとは、よそまでわりなく取るとるとは見えみえずして、近きちかきばかり を掩ふおおうやうようなれど、多くおおく掩ふおおうなり。ばんのすみにいし立てたて彈くひくに、むかひむかいなるいし をまもりて彈くひくはあたらず。わが手もとてもと をよくて、ここなるひじり をすぐに彈けひけば、立てたてたるいし必ずかならずあたる。よろずのこと向きむき求むもとむべからず、ただここもと を正しくまさしくすべし。せいけんじこうがことばに、「好事こうじ行じぎょうじ前程まえほど問ふとうことなかれ。」といへいえり。保たたもたみちもかくや侍らはべらむ。うち愼まつつしまず、輕くかろくほしきままにしてみだりなれば、遠國おんごく必ずかならずそむくとき始めはじめはかりこと をもとむ。「かぜ當りあたりうるおう臥しふして、やまい神靈しんれい訴ふるうったうる愚かおろかなるひとなり。」と醫書いしょいへいえるが如しごとしまえなるひと愁へうれえ をやめ、惠みめぐみ施しほどこしみち正しくまさしくせば、そのばけ遠くとおく流れながれむこと を知らしらざるなり。行きゆき三苗さんびょう征せせいせしも、かへしかえしとく布くしくには如かしかざりき。

172

若きわかきとき血氣けっきうちにあまり、こころもの動きうごきて、情欲じょうよくおほしおおし をあやぶめて碎けくだけ易きやすきこと、たま走らはしらしむるにたり。美麗びれい好みこのみたから費しついやし、これ を捨てすてこけたもとにやつれ、勇めいさめこころ盛りさかりにしてもの爭ひあらそいこころ恥ぢはじ羨みうらやみ好むこのむところ日日ひび定まらさだまらず、いろ耽りふけりなさけにめで、行ひおこない潔くいさぎよくしてももとせ誤りあやまりいのち失へうしなえたるためし願はしくねがわしくして、全くまたく久しからひさしからむことをば思はおもわず。すけるかたにこころひきて、ながき世語りよがたりともなる。 をあやまつことは、若きわかきときのしわざなり。老いおいぬるひと精神せいしん衰へおとろえ淡くあわくおろそかにして、感じかんじ動くうごくところなし。こころおのづからおのずから靜かしずかなれば、無益むやくのわざ をなさず、助けたすけ愁へうれえなく、ひと煩ひわずらいなからむこと を思ふおもう老いおいさとり若きわかきときにまされること、若くわかくしてかお老いおいたるにまされるが如しごとし

173

小野おのの小町こまちがこと、極めきわめてさだかならず。衰へおとろえたるさまは、玉造たまつくりいふいうふみ見えみえたり。このふみ清行きよゆき書けかけりといふいうせつあれど、高野こうや大師だいしさく目録もくろく入れいれり。大師だいし承和じょうわのはじめにかくれ給へたまえり。小町こまち盛りさかりなること、そののちのことにや、なほなおおぼつかなし。

174

小鷹こたかによきいぬ大鷹おおたか使ひつかいぬれば、小鷹こたか惡くわろくなるといふいうおおき就きつきしょう捨つるすつることわりまことにしかなり。人事にんじ多かるおおかるなかに、みち樂しむたのしむより氣味きみ深きふかきはなし。これじつ大事だいじなり。ひとたびみち聞きききて、これに志さこころざさひと孰れいずれわざかすたれざらむ、何事なにごと をか營まいとなまむ。愚かおろかなるひといふいうとも、賢きかしこきいぬこころ劣らおとらむや。

175

には心得こころえこと多きおおきなり。ともあるごとには、まづまずさけ をすすめ、強ひしい飮まのませたる をきょうとすること、いかなるゆえとも心得こころえず。飮むのむひとかお、いと堪へたえがたげにまゆ をひそめ、人目ひとめ をはかりて捨てすてむとし、遁げにげむとする を捕へとらえて、引きひき留めとどめて、すずろに飮まのませつれば、うるはしきうるわしきひと忽ちたちまち狂人きょうじんとなりてをこがましくおこがましく息災そくさいなるひとまえ大事だいじ病者ぼうざとなりて、前後ぜんご知らしら倒れたうれふす。祝ふいわうべきなどはあさましかりぬべし。あくるまであたまいたく、もの食はくわずによび臥しふししょう隔てへだてたるやうようにして、昨日きのうのこと覺えおぼえず、公私おおやけわたくし大事だいじ缺きかき煩ひわずらいとなる。ひと をしてかかる見するみすること、慈悲じひもなく、禮儀れいぎにもそむけり。かく辛きからきあひあいたらむひと、ねたく口惜しくちおし思はおもわざらむや。ほかくににかかる習ひならいあんなりと、これらになき人事ひとごとにて傳へつたえ聞きききたらむは、あやしく不思議ふしぎ覺えおぼえぬべし。ひとうえにてたるだに、心うしこころうし思ひおもい入りいりたるさまに心にくしこころにくしひとも、思ふおもうところなく笑ひわらいののしり、ことばおほくおおく烏帽子えぼしゆがみ、ひもはづしはずしはぎ高くたかくかかげて、用意よういなきけしき、日頃ひごろひととも覺えおぼえず。おんな額髪ひたいがみはれらかに掻きかきやり、まばゆからず、かおうちささげてうち笑ひわらいさかずき持てもて取りとりつき、よからぬひとは、さかなとりてくちにさしあて、みづからみずから食ひくいたる、さまあし。こえ限りかぎり出しいだして、おのおの謠ひうたい舞ひまい年老いとしおいたる法師ほうし召しめし出さいだされて、黑くくろく穢ききたなきかたぬぎて、もあてられずすぢりすじりたる を、興じきょうじ見るみるひとさへさえうとましく憎しにくし。あるはまたわれいみじきことども、傍痛くかたわらいたくいひいい聞かきかせ、あるは醉ひえい泣きなきし、したざまのひとはのりあひあい諍ひあらそいて、淺ましくあさましく恐ろしくおそろしくはぢがましくはじがましく心憂きこころうきことのみありて、はては許さゆるさものどもおし取りとりて、えんより落ちおち馬車むまくるまより落ちおちてあやまちしつ。ものにも乘らのらきわは、大路おおちよろぼひよろぼい行きゆきて、築地ついじかどしたなどに向きむきて、えもいはいわことどもなしちらし、年老いとしおい袈裟けさかけたる法師ほうしの、小童こわらわかたおさへおさえて、聞えきこえことどもいひいいつつよろめきたる、いとかはゆしかわゆし。かかること をしても、こののちも、やくあるべきわざならば如何いかはせむ。このにては過ちあやまち多くおおくたから失ひうしないやまいまうくもうく百藥ひゃくやくたけとはいへいえど、よろずやまいさけよりこそ起れおこれ憂へうれえ忘るわするいへいえど、醉ひえいたるひとぞ、過ぎすぎにし憂さうさ をも思ひおもい出でいで泣くなくめる。のちは、ひと智惠ちえ失ひうしない善根ぜんごん燒くやくこと如くごとくして、あく増しましよろずかい破りやぶりて、地獄じごく墮つおつべし。「さけ をとりてひと飮まのませたるひと五百ごひゃくしょうあいだなきもの生るうまる。」とこそ、ほとけ説きとき給ふたまうなれ。かく疎ましうとまし思ふおもうものなれど、おのづからおのずから捨てすて難きがたきおりもあるべし。つきよるゆきあしたはなのもとにても、心のどかこころのどか物語ものがたりして、さかずきいだしたる、よろずきょう添ふるそうるわざなり。つれづれなる思ひおもいほかとも入りいりて、取りとり行ひおこないたるもこころ慰むなぐさむ。なれなれしからぬあたりの御簾みすのうちより、菓子かし御酒みきなど、よきやうようなるけはひけわいしてさし出さいだされたる、いとよし。ふゆせばきところにて、にてものいりなどして、隔てへだてなきどちさし向ひむかい多くおおく飮みのみたる、いとをかしおかしたび假屋かりや野山のやまなどにて、「おんさかななに。」などいひいいて、しばうえにて飮みのみたるもをかしおかしいたういとういたむひとの、強ひしいられて少しすこし飮みのみたるもいとよし。よきひとのとりわきて、「いまひとつ、うえすくなし。」などのたまはせのたまわせたるも嬉しうれし近づかちかづかまほしきひと上戸じょうごにて、ひしひしと馴れなれぬる、また嬉しうれし。さはいへいえど、上戸じょうごをかしくおかしくつみ許さゆるさるるものなり。醉ひよいくたびれて朝寐あさねしたるところ を、主人あるじ引きひきあけたるに、まどひまどいて、ほれたるかおながら、細きほそきもとどりさしいだし、ものあへあえ抱きいだきもち、引きひきしろひしろい逃ぐるにぐるかいどり姿すがたうしろ手うしろでおひおいたる細脛ほそはぎのほど、をかしくおかしくつきづきし。

176

くろは、小松こまつ御門みかどくらい即かつか給ひたまいて、むかし唯人ただびと坐しいましとき、まさなことせさせ給ひたまいし を忘れわすれ給はたまわつね營まいとなま給ひたまいけるあいだなり。おんたきぎ煤けすすけたればくろきいふいうとぞ。

177

鎌倉かまくら中書ちゅうしょおうにておんまりありけるに、あめふりてのち未だいまだにわ乾かかわかざりければ、いかがせむと沙汰さたありけるに、佐佐木ささき隱岐おき入道にゅうどうのこぎりくずくるま積みつみおほくおおく奉りたてまつりたりければ、ひとにわ敷かしかれて、泥土でいどわづらひわずらい無かりなかりけり。「とりためけむ用意よういありがたし。」とひと感じかんじあへあえりけり。このこと をあるもの語りかたり出でいでたりしに、吉田よしだのちゅう納言なごんの、「乾きかわき砂子すなご用意よういやはなかりける。」とのたまひのたまいたりしかば、恥しかりやさしかりき。いみじと思ひおもいけるのこぎりくず賤しくいやしく異樣いようのことなり。にわ奉行ぶぎょうするひと乾きかわき砂子すなごまうくるもうくるは、故實こじつなりとぞ。

178

あるところさぶらいども、内侍ないしところおん神樂かぐらひと語るかたるとて、「たからつるぎをばそのひと持ちもち給へたまえる。」などいふいう聞きききて、内裏だいりなる女房にょうぼうなかに、「別殿べちでん行幸ぎょうごうには、ひる御座おましおんつるぎにてこそあれ。」と忍びやかしのびやかいひいいたりし、心憎かりこころにくかりき。そのひと、ふるき典侍すけなりけるとかや。

179

入宋にっそう沙門しゃもん道眼どうげん上人しょうにん一切いっさいきょうもち來しきたして、六波羅ろくはらのあたり、燒野やけのいふいうところ安置あんじして、ことくび楞嚴りょうごんきょう講じこうじて、那蘭陀ならんだ號すごうす。そのひじり申さもうされしは、「那蘭陀ならんだてら大門だいもん北むききたむきなりと、ごうそちせつとていひいい傳へつたえたれど、西域さいいきでんほうあらわれつたいなどにも見えみえず、更にさらに所見しょけんなし。ごうそちはいかなる才覺さいかくにてか申さもうされけむ、おぼつかなし。唐土とうど西明さいみょう北向ききたむき勿論もちろんなり。」と申しもうしき。

180

さぎちやうさぎちょうは、正月しょうがつ打ちうちたる毬杖ぎっちょう を、真言しんごんいんより神泉しんぜんえん出しいだし燒きやきあぐるなり。ほう成就じょうじゅいけにこそと囃すはやすは、神泉しんぜんえんいけいふいうなり。

181

降れふれ降れふれ粉雪こゆき、たんばの粉雪こゆきいふいうこと米搗きこめつき篩ひふるいたるにたれば粉雪こゆきいふいう。たまれ粉雪こゆきいふいうべき を、誤りあやまりて『たんばの』とは言ふいうなり。かきまたにとうたふうたうべし。」とあるものしり申しもうしき。むかしよりいひいいけることにや。鳥羽とばいんをさなくおさなくおはしましおわしまして、ゆき降るふるにかく仰せおおせられけるよし、讚岐さぬきの典侍すけ日記にっき書きかきたり。

182

四條しじょうのだい納言なごん隆親たかちかきょう乾鮭からざけいふいうもの を供御くご參らせまいらせられたりける を、「かく怪しきあやしきもの參るまいるやうようあらじ。」とひと申しもうしける を聞きききて、だい納言なごん、「さけいふいういおまゐらまいらぬことにてあらむにこそあれ。さけ素干すぼしなでふなじょうことかあらむ。あゆ素干すぼしまゐらまいらぬかは。」と申さもうされけり。

183

ひと突くつくうしをばつの切りきりひとくふくうむまをばみみ切りきりてそのしるしとす。しるし をつけずしてひと をやぶらせぬるは、あるじとがなり。ひとくふくういぬをば養ひやしない飼ふかうべからず。これみなとがあり、りちいましめなり。

184

相模さがみのかみ時頼ときよりははは、松下まつしたの禪尼ぜんにとぞ申しもうしける。かみ入れいれ申さもうさるることありけるに、煤けすすけたるあかり障子しょうじ破れやればかり を、禪尼ぜんに手づからてずから小刀こがたなして切りきりまはしまわしつつ張らはられければ、あにじょうのすけ義景よしかげ、その經營けいえいして候ひさぶらいけるが、「たまはりたまわりて、なにがしおとこ張らはら候はさぶらわむ。さやうさようこと心得こころえたるものにさぶらう。」と申さもうされければ、「そのおとこあま細工さいくによも勝りまさり侍らはべらじ。」とてなほなおひとづづ張らはられける を、義景よしかげ、「みな張りはりかへかえ候はさぶらわむは、遙かはるかにたやすくさぶらうべし。まだらさぶらう見苦しくみぐるしくや。」と、重ねかさね申さもうされければ、「あまのちはさわさわと張りはりかへかえむと思へおもえども、今日きょうばかりはわざとかくてあるべきなり。もの破れやぶれたるところばかり を修理しゅりして用ゐるもちいることぞと、若きわかきひとならはならわせて、心づけこころづけためなり。」と申さもうされける、いと有りあり難かりがたかりけり。治むるおさむるみち儉約けんやくもととす。女性にょしょうなれども聖人しょうにんこころ通へかよえり。天下てんが をたもつほどのひとにて持たもたれける、まことただ人ただびとにはあらざりけるとぞ。

185

じょう陸奧むつかみ泰盛やすもりならびなきむまのりなりけり。むま引きひき出でいでさせけるに、あしそろへそろえしきみ をゆらりと超ゆるこゆるては、「これは勇めいさめむまなり。」とてくら置きおきかへかえさせけり。またあし伸べのべしきみあてぬれば、「これは鈍くにぶくして過ちあやまちあるべし。」とて乘らのらざりけり。みち知らしらざらむひと、かばかり恐れおそれなむや。

186

吉田よしだ申すもうすむまじょう申しもうし侍りはべりしは、「むまごとこはきこわきものなり。ひとちから爭ふあらそうべからずと知るしるべし。乘るのるべきむまをばまづまずよくて、強きつよきところ弱きよわきところ知るしるべし。つぎくつわくら具につぶさに危きあやうきことやあるとて、こころにかかることあらば、そのむま馳すはすべからず。この用意ようい忘れわすれざる をむまじょうとは申すもうすなり、これくらのことなり。」と申しもうしき。

187

よろずみちひとたとひたとい不堪ふかんなりといへいえども、堪能かんのう非家ひかひとにならぶとき必ずかならずまさることは、たゆみなく愼みつつしみ輕輕しくかるがるしくせぬと、偏にひとえに自由じゆうなるとの等しからひとしからぬなり。藝能げいのう所作しょさのみにあらず、大方おおかた振舞ふるまい心づかひこころづかいも、愚かおろかにして謹めつつしめるはとくもとなり、巧みたくみにしてほしきままなるはしつもとなり。

188

あるもの法師ほうしになして、「學問がくもんして因果いんがことわり をも知りしり説經せっきょうなどして渡るわたるたづきたずきともせよ。」といひいいければ、おしえのままに説經せっきょうにならむために、まづまずむま乘りのりならひならいけり。「輿こしくるまもたぬの、導師どうし請ぜそうぜられむときむまなど迎へむかえにおこせたらむに、桃尻ももじりにて落ちおちなむは心憂かるこころうかるべし。」と思ひおもいけり。つぎに、「佛事ぶつじのちさけなど勸むるすすむることあらむに、法師ほうしのむげにのうなきは、檀那だんなすさまじく思ふおもうべし。」とて、早歌そうかいふいうことならひならいけり。ふたつのわざやうやうようようさかい入りいりければ、いよいよよくしたく覺えおぼえ嗜みたしなみけるほどに、説經せっきょう習ふならうべきひまなくて年よりとしよりにけり。この法師ほうしのみにもあらず、世間せけんひとなべてこのことあり。若きわかきほどは諸事しょじにつけて、 をたて、大きおおきなるみち をも成しなしのう をもつき、學問がくもん をもせむと、ゆくすえ久しくひさしくあらますことども、こころにはかけながら、 をのどかに思ひおもいてうち怠りおこたりつつ、まづまずさしあたりたるまえことにのみまぎれて月日つきひ をおくれば、ことごとになすことなくして老いおいぬ。つひについにものの上手じょうずにもならず、思ひおもいやうよう をも持たもたず、悔ゆれくゆれどもとり返さかえさるるよわいならねば、走りはしりさか をくだる如くごとく衰へおとろえゆく。されば一生いっしょうのうち、むねとあらまほしからむことのなかに、いづれいずれ勝るまさると、よく思ひおもいくらべて、だいいちこと案じあんじ定めさだめて、そのほか思ひおもいすてて、ひとこと勵むはげむべし。いっにちなかひとときのうちにも、數多あまたのことの來らきたらなかに、すこしもやくのまさらむこと を營みいとなみて、そのほかをばうち捨てすてて、大事だいじ をいそぐべきなり。いづかたいずかた をも捨てすてじとこころにとりもちては、ひとこと成るなるべからず。たとへたとえ をうつひとひといたづらいたずらにせず、ひとにさきだちて、しょう をすておおきにつくが如しごとし。それにとりて、つのいし をすてて、とおいしにつくことは易しやすしとお をすててじゅういちにつくことは、かたし。ひとつなりとも勝らまさらむかたへこそつくべき を、とおまでなりぬれば惜しくおしく覺えおぼえて、多くおおくまさらぬいしには換へかえにくし。これ をも捨てすてず、かれ をも取らとらむと思ふおもうこころに、かれ をもず、これ をも失ふうしなうべきみちなり。きょう住むすむひと急ぎいそぎ東山ひがしやまようありて既にすでに行きゆきつきたりとも、西山にしやま行きゆきてそのやくまさるべき を思ひおもいえたらば、かどよりかへりかえり西山にしやまへゆくべきなり。「ここまで著きつきぬれば、このことをばまづまずいひいいてむ、 をささぬことなれば、西山にしやまことかへりかえりてまたこそ思ひおもいたためと思ふおもうゆえに、ひととき懈怠けだいすなはちすなわち一生いっしょう懈怠けだいとなる。これ をおそるべし。ひとこと必ずかならず成さなさむと思はおもわば、ほかこと破るるやぶるる をも痛むいたむべからず。ひとのあざけり をも恥づはずべからず。萬事ばんじかへかえずしてはいち大事だいじ成るなるべからず。ひとのあまたありけるなかにて、あるもの、「ますほますおうすまそほまそおすすきなどいふいうことあり。渡邊わたなべのひじり、このこと傳へつたえ知りしりたり。」と語りかたりける を、登蓮とうれん法師ほうしその侍りはべりけるが、聞きききて、あめ降りふりけるに、「蓑笠みのかさやある、貸しかしたまへたまえ。かのはくことならひことならいに、渡邊わたなべひじりのがり尋ねたずねまからむ。」といひいいける を、「あまりに物さわがしものさわがしあめやみてこそ。」とひといひいいければ、「無下むげこと をも仰せおおせらるるものかな。ひといのちあめ晴間はれま待つまつものかは、われ死にしにひじりもうせなば、尋ねたずね聞きききてむや。」とて、はしり出でいで行きゆきつつ、習ひならい侍りはべりにけりと申しもうし傳へつたえたるこそ、ゆゆしくありがたうがとう覺ゆれおぼゆれ。「敏きときときは則ちすなわちこうあり。」とぞ、論語ろんごいふいうふみにも侍るはべるなる。このはく をいぶかしく思ひおもいけるやうように、いち大事だいじ因縁いんねん をぞ思ふおもうべかりける。

189

今日きょうはそのこと をなさむと思へおもえど、あらぬ急ぎいそぎまづまず出でいで紛れまぎれ暮しくらし待つまつひと障りさわりありて、頼めたのめひとはきたり、頼みたのみたるかたのことはたがひたがいて、思ひおもいよらぬみちばかりはかなひかないぬ。煩はしかりわずらわしかりつることはことなくて、安かるやすかるべきことはいと心苦しこころぐるし日日ひにち過ぎすぎゆくさま、かねて思ひおもいつるにず。ひととせのこともかくの如しごとし一生いっしょうあいだもまたしかなり。かねてのあらまし、みな違ひたがいゆくかと思ふおもうに、おのづからおのずから違はたがわこともあれば、いよいよものは定めさだめがたし。不定ふじょう心得こころえぬるのみ、まことにて違はたがわず。

190

いふいうものこそ、おとこ持つもつまじきものなれ。「いつも獨りひとり住みずみにて。」など聞くきくこそ心憎けれこころにくけれ。「たれがしが婿むこになりぬ。」とも、また、「いかなるおんな をとりすゑすえあい住むすむ。」など聞きききつれば、無下むげ心劣りこころおとりせらるるわざなり。「ことなることなきおんな を、よしと思ひおもい定めさだめてこそ、添ひそいたらめ。」と、賤しくいやしくもおし測らはかられ、よきおんなならば、「このおとここそらうたくろうたくして、あがほとけ守りまぼりたらめ。たとへたとえば、さばかりにこそ。」と覺えおぼえぬべし。ましていえうち行ひおこないをさめおさめたるおんな、いと口惜しくちおしなど出でいできて、かしづきかしずき愛しあいしたる、心憂しこころうしおとこなくなりてのちあまになりて年よりとしよりたる有樣ありさま亡きなきあとまで淺ましあさまし。いかなるおんななりとも、明暮あけくれそひそいむには、いと心づきこころづきなく憎かりにくかりなむ。おんなのためも、半空なかぞらにこそならめ。よそながら時時ときどき通ひかよい住ますまむこそ、年月としつきへても絶えたえなからひなからいともならめ。あからさまにて、泊りとまりなどせむは、めづらしかりめずらしかりぬべし。

191

よる入りいりもののはえ無しなしいふいうひと、いと口惜しくちおしよろずもののきら、飾りかざり色ふしいろふしも、よるのみこそめでたけれ。ひる事そぎことそぎ、およすげたる姿すがたにてもありなむ。はきららかに花やかはなやかなる裝束そうぞくいとよし。ひとのけしきも、火影ほかげぞよきはよく、ものいひいいたるこえも、暗くくらく聞きききたる、用意よういある、心憎しこころにくし匂ひにおいものおとも、ただひときはひときわめでたき。さしてことなることなき、うち更けふけ參れまいれひとの、きよげなるさましたる、いとよし。若きわかきどちこころとどめて見るみるひとは、とき をも分かわかぬものなれば、ことにうちとけぬべき折節おりふしぞ、晴れはれなく引きひきつくろはつくろわまほしき。よきおとこの、くれてゆするし、おんな更くるふくるほどに、すべりつつ、かがみとりてかおなどつくろひつくろい出づるいずるこそをかしけれおかしけれ

192

神佛しんぶつにも、ひと詣でもうでよるまゐりまいりたる、よし。

193

くらきひとの、ひと をはかりて、その知れしれりと思はおもわむ、更にさらに當るあたるべからず。拙きつたなきひとの、うつことばかりに敏くとくたくみなるは、賢きかしこきひとのこのげいにおろかなる をて、おのれが及ばおよばずと定めさだめて、よろずみちのたくみ、わがみちひと知らしらざる をて、おのれ勝れすぐれたりと思はおもわむこと、大きおおきなるあやまりなるべし。文字もじ法師ほうし暗證あんしょう禪師ぜんじたがいにはかりて、おのれに如かしかずと思へおもえる、ともにあたらず。おのれ境界きょうがいにあらざるものをば、爭ふあらそうべからず、是非ぜひすべからず。

194

達人たつじんひと見るみるまなこは、少しすこし誤るあやまるところあるべからず。たとへたとえば、あるひとの、虚言そらごと構へかまえ出しいだして、ひと をはかることあらむに、素直すなお眞とまこと思ひおもいて、いふいうままにはからるるひとあり。あまりに深くふかくしん をおこして、なほなお煩はしくわずらわしく虚言そらごと心得こころえ添ふるそうるひとあり。またなにとしも思はおもわで、こころ をつけぬひとあり。またいささかおぼつかなく覺えおぼえて、たのむにもあらずたのまずもあらで、案じあんじたるひとあり。またまことしくは覺えおぼえねども、ひといふいうことなれば、さもあらむとて止みやみぬるひともあり。またさまざまに推しすいし心得こころえたるよしして、かしこげに打ちうちうなづきうなずきほほゑみほほえみたれど、つやつや知らしらひとあり。また推しすいし出しいだして、あはれあわれさるめりと思ひおもいながら、なほなお誤りあやまりもこそあれと怪しむあやしむひとあり。またことなるやうよう無かりなかりけりと、打ちうち笑ふわらうひとあり。また心得こころえたれども、知れしれりともいはいわず、おぼつかなからぬは、とかくのことなく、知らしらひと同じおなじさまにて過ぐるすぐるひとあり。またこの虚言そらごと本意ほんい を、初めはじめより心得こころえて、すこしも欺かあざむかず、構へかまえいだしたるひととおなじこころになりて、ちからあはするあわするひとあり。愚者ぐしゃなかたはぶれたわぶれだに、知りしりたるひとまえにては、このさまざまのたるところことばにてもかおにても、かくれなく知らしられぬべし。ましてあきらかならむひとの、惑へまどえるわれら をむこと、たなごころうえのもの をむがごとし。ただしかやうかようのおしはかりにて、佛法ぶっぽうまで をなずらへなずらえ言ふいうべきにはあらず。

195

あるひと久我こがのなわて通りとおりけるに、小袖こそで大口おおぐちきたるひと木造きづくり地藏じぞうなかみずにおしひたして、ねんごろに洗ひあらいけり。心得こころえがたく見るみるほどに、狩衣かりぎぬおとこ二人ふたりたり出でいでて、「ここにおはしましおわしましけり。」とて、このひと具しぐし往にいにけり。久我こがのない大臣殿おおいとのにてぞおはしおわしける。尋常じんじょうおはしましおわしましけるときは、神妙しんびょうにやんごとなきひとにておはしおわしけり。

196

とう大寺だいじ神輿しんよ東寺とうじ若宮わかみやよりのとき、げん公卿くぎょう參らまいられけるに、この殿との大將だいしょうにて、さき追はおわれける を、土御門つちみかど相國しょうこく、「社頭しゃとうにて警蹕けいひついかがはべるべからむ。」と申さもうされければ、「隨身ずいじんふるまひふるまいは、兵仗ひょうじょういえ知るしることさぶらう。」とばかり答へこたえ給ひたまいけり。さてのち仰せおおせられけるは、「この相國しょうこく北山きたやましょうて、西宮にしのみやせつ をこそ知らしられざりけれ。眷属けんぞく惡鬼あっき惡神あくじん恐るるおそるるゆゑゆえに、神社じんじゃにてことさき追ふおうべきことわりあり。」とぞ仰せおおせられける。

197

諸寺しょじそうのみにもあらず、定額じょうがく女嬬にょじゅいふいうこと、延喜えんぎしき見えみえたり。すべてかずさだまりたる公人くにんつうごうにこそ。

198

揚名ようめいすけ限らかぎらず、揚名ようめいいふいうものあり。政事せいじようりゃくにあり。

199

横川よかわ行宣ぎょうせん法印ほういん申しもうしはべりしは、「唐土もろこしくになり、りちおんなし。和國わこくたんりちくににておんなし。」と申しもうしき。

200

呉竹くれたけほそく、河竹かわたけひろし。御溝みかわにちかきは河竹かわたけ仁壽じじゅう殿どのかた寄りより植ゑうえられたるは呉竹くれたけなり。

201

退凡たいぼん下乘げじょう卒塔婆そとばほかなるは下乘げじょううちなるは退凡たいぼんなり。

202

十月かみなづき をかみなづきといひいいて、神事しんじ憚るはばかるべきよしは、記ししるしたるものなし。本文ほんもん見えみえず。ただし、當月とうげつ諸社しょしゃまつりなきゆゑゆえに、このあるか。このつきよろずかみたち、だい神宮じんぐう集りあつまり給ふたまうなどいふいうせつあれども、その本説ほんせちなし。さることならば、伊勢いせにはこと祭月さいげつとすべきに、そのためしもなし。十月かみなづき諸社しょしゃ行幸ぎょうごう、そのためし多しおおし但しただし多くおおく不吉ふきつためしなり。

203

敕勘ちょっかんところゆぎかくる作法さほういま絶えたえ知れしれひとなし。主上しゅしょうおんなやみ大かたおおかたなかのさわがしきときは、五條ごじょう天神てんじんゆぎ をかけらる。鞍馬くらまゆぎ明神みょうじんいふいうも、ゆぎかけられたりけるかみなり。看督かどたけ負ひおいたるゆぎ を、そのいえにかけられぬれば、ひと出でいで入らいらず。このこと絶えたえのちいまには、ふう をつくることになりにけり。

204

犯人ぼんにんしもとにて打つうつときは、拷器ごうきによせて結ひゆいつくるなり。拷器ごうきやうようも、よする作法さほういまわきまへわきまえ知れしれひとなしとぞ。

205

比叡ひえやまに、大師だいしすすむしょう起請きしょうもんいふいうことは、慈惠じけい僧正そうじょう書きかきはじめ給ひたまいけるなり。起請きしょうもんいふいうこと法曹ほうそうにはその沙汰さたなし。いにしえ聖代せいたい、すべて起請きしょうもんにつきて行はおこなわるるまつりごとはなき を、近代きんだいこのこと流布るふしたるなり。また法令ほうれいには、水火すいか穢れけがれ をたてず、入物いれものにはけがれあるべし。

206

徳大寺とくだいじ大臣だいじん殿でん檢非違使けびいし別當べっとうのとき、中門ちゅうもんにて使つかいちょう評定ひょうじょう行はおこなわれけるほどに、官人かんにん章兼あきかぬうしはなれて、ちょうのうちへ入りいりて、大理だいりはまとこうえにのぼりて、にれうち噛みかみ臥しふしたりけり。重きおもき怪異けいなりとて、うし陰陽おんようのもとへ遣すつかわすべきよし、おのおの申しもうしける を、ちち相國しょうこく聞きききたまひたまいて、「うし分別ふんべつなし、あしあらばいづくいずくへかのぼらざらむ。尫弱おうじゃく官人かんにん、たまたま出仕しゅっし微牛びぎゅう をとらるべきやうようなし。」とて、うしをばあるじかへしかえして、臥しふしたりけるたたみをばかへかえられにけり。あへあえ凶事きょうじなかりけるとなむ。怪しみあやしみ怪しまあやしまざるときは、怪しみあやしみかへりかえりてやぶるといへいえり。

207

龜山かめやま殿どの建てたてられむとて、引かひかれけるに、大きおおきなるくちなわかずもしらず凝りこり集りあつまりたるつかありけり。このところかみなりといひいいて、ことよし申しもうしければ、「いかがあるべき。」と敕問ちょくもんありけるに、「ふるくよりこの占めしめたるものならば、さうそうなく掘りほり捨てすてられがたし。」とみな人みなひと申さもうされけるに、この大臣おとど一人ひとり、「王土おうど居らおらむし皇居こうきょ建てたてられむに、なに祟りたたり をかなすべき。鬼神きじんよこしまなし。咎むとがむべからず。ゆいみな掘りほりすつべし。」と申さもうされたりければ、つかくづしくずして、くちなわをば大井おおいがわ流しながしてけり。更にさらにたたりなかりけり。

208

經文きょうもんなどのひも結ふゆうに、上下かみしもよりたすきちがへちがえて、ふたすぢのなかより、わなのかしらよこざまにひき出すいだすことは、つねのことなり。さやうさようにしたるをば、華嚴けごんいん弘舜こうしゅん僧正そうじょう解きときなおらさせけり。「これはこのころやうようのことなり。いと見にくしみにくしうるはしくうるわしくは、ただくるくると捲きまきうえよりしたへ、わなのさき挿むさしはさむべし。」と申さもうされけり。ふるきひとにて、かやうかようのこと知れしれひとになむ侍りはべりける。

209

ひと論ずるろんずるもの、訟へうったえにまけてねたさに、その刈りかり取れとれとて、ひとつかはしつかわしけるに、まづまず道すがらみちすがらさへさえ刈りかりもて行くゆく を、「これは論じろんじ給ふたまうところにあらず。いかにかくは。」といひいいければ、刈るかるものども、「そのところとても刈るかるべきことわりなけれども、僻事ひがことせむとてまかるものなれば、いづくいずく をか刈らからざらむ。」とぞいひいいける。ことわりいとをかしかりおかしかりけり。

210

喚子よぶことりはるのものなりと許りゆりいひいいて、いかなるとりともさだかに記せしるせものなし。ある眞言しんごんしょなかに、喚子よぶことりなくとき招魂しょうこんほうをば行ふおこなう次第しだいあり。これはぬえなり。萬葉まんようしゅう長歌ながうたに、「かすみたつ永きながき春日かすがの。」など續けつづけたり。鵺鳥ぬえどり喚子よぶことりことさま通ひかよい聞ゆきこゆ

211

よろずこと頼むたのむべからず。愚かおろかなるひとは、深くふかくもの を頼むたのむゆゑゆえに、うらみ怒るいかることあり。勢ひいきおいありとて頼むたのむべからず、こはきこわきものまづまず滅ぶほろぶたから多しおおしとて頼むたのむべからず、ときあいだ失ひうしないやすし。ざえありとて頼むたのむべからず、孔子こうしとき遇はあわず。とくありとてたのむべからず、かおかい不幸ふこうなりき。きみちょう をも頼むたのむべからず、ちゅう をうくること速かすみやかなり。やつしたがへしたがえりとて頼むたのむべからず、そむき走るはしることあり。ひとこころざし をも頼むたのむべからず、かならず變ずへんずやく をも頼むたのむべからず、しんあることすくなし。 をもひと をも頼またのまざれば、これなるときはよろこび、なるときはうらみず、左右そう廣けれひろけれさはらさわらず、前後ぜんご遠けれとおければふさがらず、せばきときはひしげくだく。こころ用ゐるもちいること少しきすこしきにしてきびしきときは、もの逆ひさかい爭ひあらそいてやぶる。寛くゆるくして柔かやわらかなるときは、一毛いちもう損ぜそんぜず。ひと天地あめつちれいなり。天地あめつちはかぎるところなし。ひとしょうなにことならむ。寛大かんだいにして窮らきわまらざるときは、喜怒きどこれにさはらさわらずして、もののためにわづらはわずらわず。

212

あきつき限りなくかぎりなくめでたきものなり。いつとてもつきはかくこそあれとて、思ひおもい分かわかざらむひとは、無下むげ心うかるこころうかるべきことなり。

213

御前ごぜん火爐かろおくときは、火箸ひばしして挾むはさむことなし。土器かわらけより直ちにただちにうつすべし。されば轉び落ちまろびおちやうよう心得こころえて、すみ積むつむべきなり。八幡やわた御幸ごこうに、供奉ぐぶひときよききぬて、にてすみ をさされければ、ある有職ゆうそくひと、「白きしろきものたるは、火箸ひばし用ゐるもちいる苦しからくるしからず。」と申さもうされけり。

214

想夫そうぶれんいふいうがくは、おんなおとこ戀ふるこうるゆえにはあらず。もとは相府そうふれん文字もじかよへかよえるなり。しんおうけん大臣おとどとして、いえはちす植ゑうえ愛せあいせしときのらくなり。これより大臣おとど蓮府れんぷいふいう廻忽かいこつ廻鶻かいこつなり。廻鶻かいこつこくとてえびす強きつよきくにあり、そのえびすかん伏しふしのちにきたりて、おのれがくにがく奏せそうせしなり。

215

へい宣時のぶとき朝臣あそん老いおいのち昔語むかしがたりに、「最明さいみょう入道にゅうどう、あるよいあいだによばるることありしに、『やがて。』と申しもうしながら、直垂ひたたれのなくて、とかくせしほどに、また使しめきたりて、『直垂ひたたれなどのさふらはそうらわぬにや。なれば異樣いようなりとも疾くとく。』とありしかば、なえたる直垂ひたたれ、うちうちのままにて罷りまかりたりしに、銚子ちょうしかはらけかわらけ取りとりそへそえもっ出でいでて、『このさけ をひとりたうべとうべむがさうざうしけれそうぞうしけれ申しもうしつるなり。さかなこそなけれ、ひとしづまりしずまりぬらむ。さりぬべきものやあると、いづくいずくまでも求めもとめ給へたまえ。』とありしかば、紙燭しそくさしてくまぐま を求めもとめしほどに、臺所だいどころだなに、土器かわらけ味噌みそ少しすこしつきたる を出でいでて、『これぞ求めもとめさぶらう。』と申しもうししかば、『事足りことたりなむ。』とて、心よくこころよくかずささげ及びおよびきょう入らいられはべりき。そのにはかくこそ侍りはべりしか。」と申さもうされき。

216

最明さいみょう入道にゅうどう鶴岡つるがおかやしろさんじょに、足利あしかがの左馬さま入道にゅうどうもとへ、まづまず使つかい遣しつかわして、立ちたちいられたりけるに、あるじまうけあるじもうけられたりけるやうようひとささげ打鮑うちあわびふたささげにえび、三獻さんこんにかいもちいにて止みやみぬ。そのには、亭主ていしゅ夫婦ふうふりゅうべん僧正そうじょうあるじ方あるじがたひとにて坐せいませられけり。さて、「としごとに賜はるたまわる足利あしかが染物そめもの心もとなくこころもとなくさぶらう。」と申さもうされければ、「用意よういさぶらう。」とて、いろいろの染物そめもの三十さんじゅうまえにて、女房にょうぼうどもに小袖こそで調ぜちょうぜさせて、のちつかはさつかわされけり。そのときたるひとのちかくまで侍りはべりしが、かたり侍りはべりしなり。

217

ある大福だいふく長者ちょうじゃ曰くいわく、「ひとよろず をさしおきて、一向いっこうとく をつくべきなり。貧しくまずしくては生けいけかひかいなし。富めとめるのみ をひととす。とく をつかむとおもはおもわば、すべからくまづまずその心づかひこころづかい修行すぎょうすべし。そのこころいふいうほかことにあらず。人間にんげん常住じょうじゅう思ひおもい住しじゅうして、かりにも無常むじょう觀ずるかんずることなかれ。これだいいち用心ようじんなり。つぎ萬事ばんじようかなふかなうべからず。ひとにある、自他じたにつけて所願しょがん無量むりょうなり。よく從ひしたがいこころざし遂げとげむと思はおもわば、ひゃくまんぜにありといふいうとも、しばらくも住すじゅうすべからず。所願しょがん止むやむときなし。たから盡くるつくるあり。かぎりあるたから をもちてかぎりなき願ひねがい從ふしたがうこと、べからず。所願しょがんこころ兆すきざすことあらば、われ を亡すほろぼすべき惡念あくねんきたれりと、かたく愼みつつしみおそれて、小用しょうよう をもなすべからず。つぎに、ぜにやつ如くごとくしてつかひつかい用ゐるもちいるものと知らしらば、長くながく貧苦ひんく免るまぬかるべからず。きみ如くごとくかみのごとくおそれ尊みとうとみて、從へしたがえ用ゐるもちいることなかれ。つぎはじにのぞむといふいうとも、怒りいかり怨むるうらむることなかれ。つぎ正直しょうじきにして、やく をかたくすべし。この守りまぼり をもとめむひとは、とみ來るきたること、かわきけるに就きつきみず下れくだれるに從ふしたがう如くごとくなるべし。ぜにつもりて盡きつきざるときは、えんいん聲色せいしょくこととせず、居所きょしょ をかざらず、所願しょがん成ぜじょうぜざれども、こころとこしなへとこしなえ安くやすく樂したのし。」と申しもうしき。そもそもひと所願しょがん成ぜじょうぜむがためにたから をもとむ。ぜにたからとすることは、願ひねがいかなふるかなうるゆえなり。所願しょがんあれどもかなへかなえず、ぜにあれども用ゐもちいざらむは、全くまったく貧者ひんじゃとおなじ。なに をか樂しびたのしびとせむ。このおきてはただ人間にんげん望みのぞみ絶ちたちて、ひん憂ふうれうべからずと聞えきこえたり。よく をなして樂しびたのしびとせむよりは、しかじたからなからむには。よう病むやむものみず洗ひあらい樂しびたのしびとせむよりは、病まやまざらむには如かしかじ。ここに至りいたりては、貧富ひんぷ分くわくところなし。究竟くっきょう理即りそくにひとし。大欲たいよく無欲むよくたり。

218

きつねひと食ひくいつくものなり。堀河ほりかわ殿どのにて、舍人とねりいねたるあし を、きつねくはくわる。仁和にんなにて、よる本寺ほんじまえ通るとおるした法師ほうしに、きつね飛びとびかかりて食ひくいつきければ、かたな拔きぬきてこれ を拒ぐふせぐあいだきつねぴき突くつくひとつはつき殺しころしぬ。遁げにげぬ。法師ほうしあまた所あまたところくはくわれながら、ことゆゑことゆえなかりけり。

219

四條しじょうの黄門こうもん命ぜめいぜられて曰くいわく、「りゅうあきみちにとりてはやんごとなきものなり。先日せんにち來りきたり曰くいわく、『短慮たんりょ至りいたり極めきわめ荒涼こうりょうことなれども、横笛ようじょうあなは、聊かいささか訝かしきいぶかしきところ侍るはべるかと、ひそかにこれ を存ずぞんず。そのゆゑゆえは、かんあな平調ひょうじょうあな下無しもむ調じょうなり。そのあいだ勝絶しょうぜつ調じょう をへだてたり。かみあなならび調したためつぎ鳧鐘ふしょう調じょう をおきて、ゆうべあな黄鐘おうしき調じょうなり。そのつぎ鸞鏡らんけい調じょう をおきて、なかあな盤渉ばんしき調じょうなかろくとのあいだ神仙しんせん調じょうあり。かやうかよう間間あいあいにみないちりち をぬすめるに、あなのみうえあいだ調子ちょうし をもたずして、しかも をくばることひとしきゆゑゆえに、そのこえ不快ふかいなり。さればこのあな吹くふくときは、かならずのく。のけあへあえぬときはものあはあわず。吹きふき得るうるひと難しかたし。』と申しもうしき。料簡りょうけんのいたり、まことにきょうあり。先達せんだち後生ごしょう恐るおそるいふいうこと、このことなり。」と侍りはべりき。他日たじつ景茂かげもち申しもうし侍りはべりしは、「そう調べしらべおほせおおせてもちたれば、ただ吹くふくばかりなり。ふえはふきながら、いきのうちにて、かつ調べしらべもてゆくものなれば、あなごとに口傳くでんうえに、性骨しょうこつ加へくわえこころ入るるいるることあなのみにかぎらず。へんにのくとばかりも定むさだむべからず。あしく吹けふけば、いづれいずれあな快からこころよからず。上手じょうずいづれいずれ をも吹きふきあはすあわす呂律りょりつのものにかなはかなわざるは、ひととがなり、うつわものしつにあらず。」と申しもうしき。

220

何事なにごとも、へん卑しくいやしくかたくななれども、天王てんのう舞樂ぶがくのみ、みやこ恥ぢはじず。」といへいえば、天王てんのう伶人れいじん申しもうし侍りはべりしは、「とうがくは、よく をしらべ合せあわせて、ものおとのめでたく整ほりととのおり侍るはべること、ほかよりも勝れすぐれたり。ゆゑゆえ太子たいしおんときいまにはべる博士はかせとす。いはいわゆるろくどうまえかねなり。そのこゑこえ黄鐘おうしき調じょう最中もなかなり。寒暑かんしょ從ひしたがい上り下りのぼりおりあるべきゆゑゆえに、がつ涅槃ねはんより聖靈しょうりょうまでの中間ちゅうげん指南しなんとす。くらのことなり。このいち調子ちょうし をもちて、いづれいずれこえ をもととのへととのえ侍るはべるなり。」と申しもうしき。およそかねこゑこえ黄鐘おうしき調じょうなるべし。これ無常むじょう調子ちょうし祇園ぎおん精舍しょうじゃ無常むじょういんこえなり。西園寺さいおんじかね黄鐘おうしき調じょうらるべしとて、あまたたび替へかえられけれども、かなはかなわざりける を、遠國おんごくよりたづねたずね出さいだされけり。ほう金剛こんごういんかねこえ、また黄鐘おうしき調じょうなり。

221

建治けんじ弘安こうあんのころは、まつり放免ほうめんのつけものに、異樣いようなるこんぬの四五しごたんにて、むま をつくりて、尾髪おかみには燈心とうしみ をして、蜘蛛くもあみかきたる水干すいかん附けつけて、うたこころなどいひいい渡りわたりしこと、つね及びおよび侍りはべりしなども、きょうありてしたる心地ここちにてこそ侍りはべりしか。」と、老いおいたる道志どうしどもの、今日きょうもかたりはべるなり。このころは、つけものとし をおくりて、過差かさことのほかになりて、よろず重きおもきもの を多くおおくつけて、左右そうそでひとにもたせて、みづからみずからほこ をだに持たもたず、息づきいきづき苦しむくるしむ有樣ありさまいと見ぐるしみぐるし

222

竹谷たけだにののりねがうぼうひんがし二條にじょういん參らまいられたりけるに、「亡者もうじゃ追善ついぜんには何事なにごと勝利しょうり多きおおき。」と尋ねたずねさせ給ひたまいければ、「光明こうみょう眞言しんごんたからはこいん陀羅尼だらに。」と申さもうされたりける を、弟子でしども、「いかにかくは申しもうし給ひたまいけるぞ。念佛ねんぶつ勝るまさることさぶらうまじとは、など申しもうし給はたまわぬぞ。」と申しもうしければ、「わがしゅうなれば、さこそ申さもうさまほしかりつれども、まさしく稱名しょうみょう追福ついふく修ししゅし巨益こやくあるべしと説けとけ經文きょうもん及ばおよばねば、何にいかに見えみえたるぞと、重ねかさね問はとわ給はたまわば、いかが申さもうさむとおもひおもいて、ほんきょうのたしかなるにつきて、この眞言しんごん陀羅尼だらにをば申しもうしつるなり。」とぞ申さもうされける。

223

田鶴たず大殿おおとのは、童名わらわなたづたずぎみなり。「つる飼ひかい給ひたまいけるゆえに。」と申すもうす僻事ひがことなり。

224

陰陽おんよう有宗ありむね入道にゅうどう鎌倉かまくらより上りのぼりて、尋ねたずねまうでもうできたりしが、まづまずさし入りいりて、「このにわ徒らいたずら廣きひろきこと淺ましくあさましく、あるべからぬことなり。みち知るしるものは、植うるううること をつとむ。細道ほそみちひとつ殘しのこして、みなはたけ作りつくりたまへたまえ。」と諫めいさめ侍りはべりき。まことにすこしの をも徒らいたずら置かおかむことは益なきやくなきことなり。食ふくうもの藥種やくしゅなどうゑうえおくべし。

225

おおの久資ひさすけ申しもうしけるは、通憲みちのり入道にゅうどうまいのうちにきょうあることども を選びえらびて、いそ禪師ぜんじいひいいけるおんな教へおしえて、舞はまわせけり。白きしろき水干すいかん鞘卷さやまき をささせ、烏帽子えぼし をひき入れいれたりければ、男舞おとこまいとぞいひいいける。禪師ぜんじがむすめしずかいひいいける、このげい をつげり。これしら拍子ひょうし根源こんげんなり。佛神ぶつじん本縁ほんえんうたふうたう。そののちげん光行みつゆきおほくおおくこと をつくれり。後鳥羽ごとばいんさくもあり。かめきく教へおしえさせ給ひたまいけるとぞ。

226

後鳥羽ごとばいんおんとき信濃しなのの前司ぜんじ行長ゆきなが稽古けいこほまれありけるが、がく論議ろんぎばん召さめされて、しちとくまいふた忘れわすれたりければ、とく冠者かんじゃ異名いみょう をつきにける を、心憂きこころうきことにして、學問がくもん をすてて遁世とんせいしたりける を、うつくしびちん和尚かしょういちげいあるものをば、下部しもべまでも召しめしおきて、不便ふびんにせさせ給ひたまいければ、この信濃しなのの入道にゅうどう扶持ふち給ひたまいけり。この行長ゆきなが入道にゅうどうへい物語ものがたり作りつくりて、生佛いきぼとけいひいいける盲目もうもく教へおしえ語らかたらせけり。さて山門さんもんのこと をことにゆゆしく書けかけり。九郎くろう判官ほうがんこと委しくくわしく知りしり書きかき載せのせたり。かばの冠者かんじゃこと能くよく知らしらざりけるにや、多くおおくことども を記ししるしもらせり。武士ぶしこと弓馬きゅうばのわざは、生佛いきぼとけ東國とうごくのものにて、武士もののふ問ひとい聞ききき書かかかせけり。かの生佛いきぼとけがうまれつきのこえ を、いま琵琶びわ法師ほうし學びまなびたるなり。

227

ろくれいさんは、法然ほうねん上人しょうにん弟子でし安樂あんらくいひいいけるそう經文きょうもん集めあつめ作りつくり勤めつとめにしけり。そののち太秦うずまさぜんかんぼういふいうそう、ふしはかせ を定めさだめ聲明しょうみょうになせり。いちねん念佛ねんぶつ最初さいしょなり。後嵯峨ごさがいん御代みよより始まれはじまれり。法事ほうじさん同じくおなじくぜんかんぼうはじめたるなり。

228

せんぽん釋迦しゃか念佛ねんぶつは、文永ぶんえいのころ、如輪にょりん上人しょうにんこれ を始めはじめられけり。

229

よき細工さいくは、少しすこし鈍きにぶきかたなつかふつかういふいうたえかんかたなはいたく立たたたず。

230

五條ごじょう内裏うちには妖物ばけものありけり。とうだい納言なごん殿どの語らかたら侍りはべりしは、殿上てんじょうひとども、くろにて をうちけるに、御簾みす をかかげて見るみるものあり。「たれそ。」と向きむきたれば、きつねひとやうようについてさしのぞきたる を、「あれきつねよ。」ととよまれて、まどひまどい逃げにげにけり。未練みれんきつね化けばけ損じそんじけるにこそ。

231

「『その別當べっとう入道にゅうどうは、ならびなき庖丁ほうちょうじゃなり。あるひともとにて、いみじきこい出しいだしたりければ、みな人みなひと別當べっとう入道にゅうどう庖丁ほうちょうばやと思へおもえども、たやすくうち出でいでむも如何いかためらひためらいける を、別當べっとう入道にゅうどうさるひとにて、「このほどももこい切りきり侍るはべる を、今日きょう缺きかき侍るはべるべきにあらず、まげて申しもうしうけむ。」とて切らきられける、いみじくつきづきしくきょうありて、ひとども思へおもえりける。』と、あるひと北山きたやま太政だいじょう入道にゅうどう殿どの語りかたり申さもうされたりければ、『かやうかようこと、おのれはにうるさく覺ゆるおぼゆるなり。切りきりぬべきひとなくば、たべ、切らきらむといひいいたらむは、なおよかりなむ。なんでふなんじょうももこい切らきらむぞ。』と宣ひのたまいたりし、をかしくおかしくおぼえし。」とひとのかたり給ひたまいける、いとをかしおかし大かたおおかたふるまひふるまいきょうあるよりも、きょうなくて安らかやすらかなるがまさりたることなり。賓客ひんかく饗應あるじなども、ついでをかしきおかしきさまにとりなしたるも、まことによけれども、ただそのこととなくてとり出でいでたる、いとよし。ひともの取らとらせたるも、ついでなくて、「これ を奉らたてまつらむ。」といひいいたる、まことのこころざしなり。惜しむおしむよしして乞はこわれむと思ひおもい勝負しょうぶ負けわざまけわざにことつけなどしたる、むつかし。

232

すべてひと無智むち無能むのうなるべきものなり。あるひとの、ざまなど惡しからあしからぬが、ちちまえにてひとものいふいうとて、史書ししょふみ をひきたりし、賢しくさかしく聞えきこえしかども、尊者そんざまえにては、然らさらずともと覺えおぼえしなり。

またあるひともとにて、琵琶びわ法師ほうし物語ものがたり をきかむとて、琵琶びわ召しめしよせたるに、はしらのひとつ落ちおちたりしかば、「作りつくりてつけよ。」といふいうに、あるおとこなかに、あしからずと見ゆるみゆるが、「ふるき柄杓ひさくつかありや。」などいふいう見れみれば、つめおふおおしたり。琵琶びわなど彈くひくにこそ。めくら法師ほうし琵琶びわ、その沙汰さたにもおよばぬことなり。みち心えこころえたるよしにやと、かたはらいたかりかたわらいたかりき。「ひさくのつかは、ひものとかやいひいいて、よからぬものに。」とぞ、あるひと仰せおおせられし。わかきひとは、少しすこしこともよく見えみえ、わろく見ゆるみゆるなり。

233

よろずとがあらじと思はおもわば、何事なにごとにもまことありて、ひと分かわか恭しくうやうやしく言葉ことばすくなからむには如かしかじ。男女なんにょ老少ろうしょうみなさるひとこそよけれども、こと若くわかくかたちよきひとの、ことうるはしきうるわしきは、忘れわすれがたく思ひおもいつかるるものなり。よろづよろずのとがは、馴れなれたるさまに上手じょうずめき、ところたるけしきして、ひと をないがしろにするにあり。

234

ひともの問ひといたるに、知らしらずしもあらじ。有りのままありのままいはいわむはをこがましおこがましとにや、こころまどはすまどわすやうよう返り事かえりごとしたる、よからぬことなり。知りしりたることも、なおさだかにと思ひおもいてや問ふとうらむ。またまことに知らしらひともなどか無からなからむ。うららかに言ひいい聞かきかせたらむは、おとなしく聞えきこえなまし。ひとはいまだ聞ききき及ばおよばぬこと を、わが知りしりたるままに、「さてもそのひとこと淺ましきあさましき。」などばかり言ひいいやりたれば、いかなることのあるにかと推しおし返しかえし問ひといにやるこそ、こころづきなけれ。にふりぬること をも、おのづからおのずから聞きききもらすこともあれば、覺束なからおぼつかなからやうよう告げつげやりたらむ、惡しかるあしかるべきことかは。かやうかようことは、ものなれぬひとのあることなり。

235

あるじあるいえには、すずろなるひとこころまま入りいり來るくることなし。あるじなきところには道行どうぎょうひとみだりに立ちたち入りいりきつねふくろうやうようものも、人氣ひとけにせかれねば、所得しょとくかお入りいり住みすみ木精もくせいなどいふいうけしからぬかたちあらはるるあらわるるものなり。またかがみには、色形いろかたちなきゆえに、よろづよろずかげきたりてうつる。かがみ色形いろかたちあらましかば、うつらざらまし。虚空こくうよくもの を容るいる。われらがこころに、念念ねんねんのほしきままにきたり浮ぶうかぶも、こころいふいうものの無きなきにやあらむ。こころにぬしあらましかば、むねのうちに若干そこばくのことは入りいりきたらざらまし。

236

丹波たんばの出雲いずものいふいうところあり。大社おおやしろ遷しうつして、めでたく造れつくれり。志太しだなにがしとかやしるところなれば、あきころ聖海しょうかい上人しょうにん、そのほかひと數多あまた誘ひさそいて、「いざたまへたまえ出雲いずもの拜みおがみに。かいもちひかいもちい召さめさせむ。」とて、具しぐしもていきたるに、おのおの拜みおがみて、ゆゆしくしん起しおこしたり。御前ごぜんなる獅子しし狛犬こまいぬ、そむきてのちざまに立ちたちたりければ、上人しょうにんいみじく感じかんじて、「あなめでたや。この獅子しし立ちだちやうよういと珍しめずらし深きふかきゆえあらむ。」と涙ぐみなみだぐみて、「いかに殿ばらとのばら殊勝しゅしょうこと御覽じごらんじとがめずや。無下むげなり。」といへいえば、おのおのあやしみて、「まことにほかことなりけり、みやこのつとにかたらむ。」などいふいうに、上人しょうにんなほなおゆかしがりて、おとなしくもの知りしりぬべきかおしたる神官じんがん をよびて、「このおんやしろ獅子しし立てたてられやうよう定めてさだめてならひならいあることにはべらむ。ちと承らうけたまわらばや。」といはいわれければ、「そのことにさぶらう。さがなきわらわどもの仕りつかまつりける、奇怪きっかいさぶらうことなり。」とて、さし寄りよりすゑすえ直しなおし往にいにければ、上人しょうにん感涙かんるいいたづらいたずらになりにけり。

237

やないはこにすうるものは、たてざまよこざま、ものによるべきにや。「卷物まきものなどはたてざまにおきて、あはひあわいより、紙捻りかみひねり通しとおし結ひゆいつく。すずりたてざまにおきたる、ふでころばずよし。」と三條さんじょう大臣だいじん殿どのおほせおおせられき。勘解由小路かでのこうじのいえ能書のうじょ人人ひとびとは、かりにもたてざまにおかるることなし、必ずかならずよこざまにすゑすえられ侍りはべりき。

238

隨身ずいじん近友ちかとも自讚じさんとて、しち箇條かじょうかきとどめたることあり。みなむまげいさせることなきことどもなり。そのれいおもひおもいて、自讚じさんのことななつあり。

ひとつひとあまた連れつれはなありきしに、最勝光さいしょうこういんあたりにて、おとこむま走らはしらしむる をて、「いまいちむま馳するはするものならば、むま倒れたうれ落つおつべし、しばし給へたまえ。」とて立ちたちどまりたるに、またむま馳すはす。とどむるところにて、むま引きひきたふとうして、乘れのれひと泥土でいどなかにころび入るいる。そのことばのあやまらざること を、ひとみな感ずかんず

ひとつ當代とうだいいまだぼうおはしましおわしまししころ、萬里ばんり小路こうじ殿どの御所ごしょなりしに、堀河ほりかわだい納言なごん殿でん伺候しこう給ひたまい御曹司おんぞうしへ、ようありて參りまいりたりしに、論語ろんご四五しごろくまき をくりひろげ給ひたまいて、「ただ今ただいま御所ごしょにて、むらさきあけうばふうばうこと惡むにくむいふいうふみ を、御覽ぜごらんぜられたきことありて、ほん御覽ずれごらんずれども、御覽じごらんじ出さいだされぬなり。なほなおよくひき見よみよ仰せ事おおせごとにて、求むるもとむるなり。」と仰せおおせらるるに、「まきのそこそこのほど侍るはべる。」と申しもうしたりしかば、「あなうれし。」とて、もてまゐらせまいらせ給ひたまいき。かほどのことは、ちごどももつねのことなれど、むかしひとは、いささかのこと をもいみじく自讚じさんしたるなり。後鳥羽ごとばいんおんうたに、「そでたもといっしゅなかにあしかりなむや。」と、定家ていかきょう尋ねたずね仰せおおせられたるに、

あきくさのたもとか花すすきはなすすきほに出でいで招くまねくそで見ゆみゆらむ

侍れはべれば、何事なにごとさふらふそうろうべきと申さもうされたることも、「ときにあたりて本歌ほんか覺悟かくごす、みち冥加みょうがなり、高運こううんなり。」など、ことごとしく記ししるしおかれ侍るはべるなり。九條くじょう相國しょうこく伊通これみちこう款状かじょうにも、ことなることなき題目だいもく をも書きかきのせて、自讚じさんせられたり。

ひとつ常在光じょうざいこういんつくかねめいは、在兼ありかぬきょうくさなり。行房ゆきふさ朝臣あそん清書きよがきして、鑄型いがたにうつさせむとせしに、奉行ぶぎょう入道にゅうどうかのくさ をとり出でいで見せみせ侍りはべりしに、「はなほかゆうべ をおくればこえひゃく聞ゆきこゆ。」といふいうあり。「陽唐ようとういん見ゆるみゆるに、ひゃくあやまりか。」と申しもうしたりし を、「よくぞ見せみせ奉りたてまつりける。おのれが高名こうみょうなり。」とて、筆者ひっしゃもといひいいやりたるに、「あやまり侍りはべりけり。ぎょうなほさなおさるべし。」と返りかえりことはべりき。「ぎょう。」もいかなるべきにか、もし「」のこころか、おぼつかなし。

ひとつひとあまた伴ひともないて、さんとう巡禮じゅんれいこと侍りはべりしに、横川よかわ常行じょうぎょうどうなか龍華りゅうげいん書けかけるふるきひたいあり。「佐理さり行成こうぜいあいだうたがひうたがいありて、いまだ決せけっせずと申しもうし傳へつたえたり。」と堂僧どうそうことごとしく申しもうし侍りはべりし を、「行成こうぜいならば裏書うらがきあるべし。佐理さりならば裏書うらがきあるべからず。」といひいいたりしに、うらちりつもり、むしにていぶせげなる を、よく掃きはき拭ひのごいて、おのおの侍りはべりしに、行成こうぜい位署いしょ名字みょうじ年號ねんごうさだかに見えみえ侍りはべりしかば、ひとみなきょう入るいる

ひとつ那蘭陀ならんだてらにて、道眼どうげんひじり談義だんぎせしに、はちさいいふいうこと忘れわすれて、「たれかおぼえ給ふたまう。」といひいいし を、所化しょけみな覺えおぼえざりしに、つぼねのうちより、「これこれにや。」といひいい出しいだしたれば、いみじく感じかんじ侍りはべりき。

ひとつ賢助けんじょ僧正そうじょう伴ひともないて、加持かじ香水こうずいはべりしに、いまだ果てはてぬほどに、僧正そうじょうかへりかえり侍りはべりしに、じんほかまで僧都そうず見えみえず。法師ほうしども をかへしかえし求めもとめさするに、「おなじさまなる大衆だいしゅ多くおおくて、えもとめあはあわず。」といひいいて、いと久しくひさしく出でいでたりし を、「あなわびし。それもとめておはせよおわせよ。」といはいわれしに、かへりかえり入りいりて、やがて具しぐしていでぬ。

ひとつ二月きさらぎじゅうにちつきあかき、うち更けふけせんぽんてらまうでもうでて、のちより入りいりて、一人ひとりかお深くふかくかくして聽聞ちょうもん侍りはべりしに、ゆうなるおんなの、すがた匂ひにおいひとよりことなるが、わけ入りいりひざかかれば、にほひにおいなどもうつるばかりなれば、とくあしと思ひおもいてすり退きのきたるに、なほなお寄りよりて、おなじさまなれば立ちたちぬ。そののち、ある御所ごしょざまのふるき女房にょうぼうの、そぞろごと言はいわれしじょに、「無下むげ色なきいろなきひとおはしおわしけりと、おとし奉るたてまつることなむありし。情なしなさけなし恨みうらみ奉るたてまつるひとなむある。」と宣ひのたまい出しいだしたるに、「更にさらにこそ心得こころえはべらね。」と申しもうし止みやみぬ。このことのち聞ききき侍りはべりしは、かの聽聞ちょうもんよるおんつぼねのうちより、ひと御覽ごらん知りしりて、さぶらふさぶらう女房にょうぼう をつくり立てたてて、出しいだし給ひたまいて、「便たよりよくばことばなどかけむものぞ。そのありさま參りまいり申せもうせきょうあらむ。」とてはかり給ひたまいけるとぞ。

239

八月はづきじゅうにち九月ながつきじゅうさんにち婁宿ろうしゅくなり。この宿しゅく清明せいめいなるゆえに、つき をもてあそぶに良夜りょうやとす。

240

しのぶのうらあまのみるめも所狹くところせく、くらぶのやま守るまもるひとしげからむに、わりなく通はかよわこころいろこそ、淺からあさからあはれあわれ思ふおもうふしぶしの、忘れわすれがたきこと多からおおからめ。親はらからおやはらからゆるして、ひたぶるに迎へむかえすゑすえたらむ、いとまばゆかりぬべし。にありわぶるおんなの、げなきおい法師ほうし怪しあやし東人あずまうどなりとも、賑ははしきにぎわわしきにつきて、「さそふさそうみずあらば。」などいふいう を、なかひといづかたいずかた心にくきこころにくきさまにいひいいなして、知らしられずしらぬひと迎へむかえもて來らきたらむあいなさよ。何事なにごと をかうち出づるいずる言の葉ことのはにせむ。年月としつきのつらさ をも、分けわけこしはやまのなどもあひあいかたらはかたらわむこそ、つきせぬ言の葉ことのはにてもあらめ。すべてよそのひとのとりまかなひまかないたらむ、うたて心づきこころづきなきこと多かるおおかるべし。よきおんなならむにつけても、しなくだり、みにくく、とし長けたけなむおとこは、「かく怪しきあやしきのために、あたらいたづらいたずらになさむやは。」と、ひと心劣りこころおとりせられ、わがむかひむかいたらむも、かげはづかしくはずかしくおぼえなむ、いとこそあいなからめ。むめはなかうばしきこうばしき朧月おぼろづきにたたずみ、おんかきはらつゆ分けわけ出でいでむありあけのそらも、わがざまにしのびばるべくもなからむひとは、ただいろ好まこのまざらむにはしかじ。

241

望月もちづきえんなることは、暫くしばらく住せじゅうせず、やがて虧けかけぬ。こころとどめぬひとは、いちなかに、さまで變るかわるさま見えみえぬにやあらむ。やまいのおもるも、住するじゅうするひまなくして、死期しごすでに近しちかし。されども、いまだやまいきゅうならず、赴かおもむかざるほどは、常住じょうじゅう平生へいぜいねんならひならいて、しょうなか多くおおくこと成じじょうじのちしづかしずかみち修せしゅせむと思ふおもうほどに、やまい をうけて死門しもん臨むのぞむとき所願しょがんひとこと成ぜじょうぜず、いふいうかひかいなくて、年月としつき懈怠けだい悔いくいて、このたびもしたち直りなおりて、いのち全くまたくせば、につぎて、このことかのこと怠らおこたら成じじょうじてむと、願ひねがい をおこすらめど、やがて、重りおもりぬれば、われにもあらずとり亂しみだし果てはてぬ。このたぐいのみこそあらめ。このことまづまず人人ひとびと急ぎいそぎこころにおくべし。所願しょがん成じじょうじてのち、いとまありてみちむかはむかわむとせば、所願しょがん盡くつくべからず。如幻にょげんしょうなかに、何事なにごと をかなさむ。すべて所願しょがんみな妄想もうぞうなり。所願しょがんこころにきたらば、妄心もうしん迷亂めいらんすと知りしりて、ひとこと をもなすべからず。直ちにただちに萬事ばんじ放下ほうげしてみち向ふむかうとき、さはりさわりなく、所作しょさなくて、心身しんじんながくしづかしずかなり。

242

とこしなへとこしなえに、違順いじゅんつかはつかわるることは、偏にひとえに苦樂くらくためなり。がくいふいう好みこのみ愛するあいすることなり。これ を求むるもとむること止むやむとき無しなし樂欲ぎょうよくするところ、いちにはなり。じゅあり。行跡こうせき才藝さいげいとのほまれなり。には色欲しきよくさんには味ひあじわいなり。よろず願ひねがい、このさんには如かしかず。これ顛倒てんどうそうより起りおこりて、若干そこばく煩ひわずらいあり。求めもとめざらむには如かしかじ。

243

つになりしとしちち問ひといいはくいわく、「ほとけはいかなるものにかさぶらうらむ。」といふいうちちいはくいわく、「ほとけにはひとのなりたるなり。」と。また問ふとう、「ひとなにとしてほとけにはなりそうろうやらむ。」と、ちちまた、「ほとけをしへおしえによりてなるなり。」とこたふこたう。また問ふとう、「教へおしえ候ひさぶらいけるほとけをば、何がいかがをしへおしえ候ひさぶらいける。」と。また答ふこたう、「それもまた、さきのほとけをしへおしえによりてなり給ふたまうなり。」と。また問ふとう、「その教へおしえはじめ候ひさぶらいけるだいいちほとけは、いかなるほとけにか候ひさぶらいける。」といふいうとき、ちち、「そらよりや降りふりけむ、つちよりやわきけむ。」といひいい笑ふわらう。「問ひといつめられてえ答へこたえずなり侍りはべりつ。」と諸人しょにんにかたりて興じきょうじき。

徒然草つれづれぐさおわり