メイの初恋メモリー 第5章 道

第5章 道


 その夜、メイは再びリザールの伯母の家に早足で向かっていた。

《あの人……絶対見間違いよね? そんなわけないし……》

 あれから頭の中はそのことで一杯だった。

 もしメイが見た男が伯母の家で見た男と同一人物だったとしたら―――リザールがその関係者ということになってしまう!

《んなわけ……》

 ―――ないとは言えなかった。

 何しろリザールはフォレス王家の血筋なのだ。もしエルミーラ王女に何かあれば、王家を継ぐことだって可能だ。まさにこれ以上ない動機ではないか。

《でも、あの中にはいなかったし……》

 あの後、襲撃犯の大部分がその場で捕らえられていたのだが、その中には似た男はいなかった。これはその男があの場から逃げおおせたことを意味している。

《もし本当にそうだったら……》

 背筋が寒くなってくる。

 そうなのだ。もしそうならば、今回の襲撃はメイにも大きな責任があることになるのだから。

 今回の川遊びは本当にいきなり決まった物だった。知っていたのはイービス王女達と、ロムルースやセリウスといったベラ一部の要人だけだ。襲撃犯がそんな短期間にその情報を入手するのは困難の極みだろう。

 だがメイはあそこで川遊びの日取りをペラペラと喋ってしまったのだ。それを聞かれていたとしたならば……

《もちろん絶対とは言えないけど……》

 他にもいろいろ漏洩するルートはあるだろう。例えば屋形船を出す船茶屋が敵の関係者だったなんてこともあり得るし……

 でも、ともかく一番怪しいのがメイ自身だった。

《本当にそうだったなら……》

 胸がぎゅっと締め付けられる。

 今回の襲撃は結果的には全員ほぼ無傷であったが、かなりきわどかった。あの中の誰かの行動が少し遅れていただけで、王女の命はなかったかもしれない。

《そんなことになったら……》

 胸がきりきり痛んでくる。

 王女様にメイはあれだけ期待されて取りたててもらって、魔導大学にまで行かせてもらったというのに―――それを最悪の形で裏切ることになってしまったのだから……

 メイは立ち止まって息を整えた。

 このままどこかに消えてしまいたい気分になる。

 だが―――メイは首をふった。

 もしそうだったとしたならば、もう王女様のお側にはいられないだろう。

 それどころかお城にいることだってもうできないだろう。

 ならばどうなる?

 そう。メイにはもう何も残らない。

 そして一生その軛を背負って生きていかなければならない。

 ―――でも、だからこそ彼女は行かなければならない。

 行って真実を確かめなければならない。

 自分のしたことは自分の目で確かめなければならない―――彼女はそう思って、ただその一心で館を抜けだしてきた。

 だがそのときふっと我に返る。

「あれ?」

 確かめるって―――いったいどうやって?

 ………………

 …………

 いきなり問いつめたって、真実を答えてくれる保証はない。

 そのうえ本当に無関係だったらものすごく失礼な話だろうし……

《えっと……》

 だがそのときメイの頭に名案がひらめいた。

《いや、だってそれなら絶対逃げてるわよね?》

 考えてみたら当然だった。

 もしリザールが敵の仲間なら、襲撃は失敗なのにノコノコ居残っているわけがない。即座にどこかに逃げ出しているはずだ。彼にそんな動機があることは周知なのだから、念のためにも捜索の手がはいるのは間違いない。

《ってことは?》

 要するに、もし行ってみて家がもぬけの殻ならリザールは敵の仲間だった可能性が高く、まだ家にいたのならば彼らは無実ということになるのでは?

「あはっ!」

 まさに暗闇の中に一条の光が差したような気分だった。

「よしっ!」

 メイは思わず駆けだした。

 伯母さんの家はもうすぐだ。あの角を曲がったら、あとは一直線で―――そしてたどり着いた家の窓には、明々と灯りがついていた!

《よかったあ……》

 メイはその場にへたりこんでしまいそうになった。

 だがこんな所で挫けているわけにはいかない。

 彼女は扉の前まで行くと、呼び鈴を鳴らした。

 だが―――そのカランカランという音を聞いてふっと我に返る。

《あれ? で、あたし、何しに来たのかしら?》

 リザールが無実だということはもう分かった。だとしたら何を話すことがあるのだろう?

 と、そのとき家の扉が開いた。

「どなた? あら? メイさん?」

 出てきたのはリザールの伯母さんだった。

「えと、えと……」

 メイは言葉が出てこない。

「ともかくお入りなさい」

 メイは促されて家の中に入る。

《だからあたし、何してるんだろ?》

 応接間に通されて柔らかいソファに座っても、まだメイは混乱していた。

 もう日はとっぷり暮れていたが、あたりにはまだ昼間の暖かさが残っていて、大きく開けはなたれた窓から流れ込む夜風が快かった。

 そこに不思議そうな顔をしたリザールがやってきた。

「どうしたんだい? こんな時間に急に?」

 もっともな質問である。

「えっと、その……」

「今日は来れないんだったよね?」

「そうだったんですが……」

「また何か急に予定が変わったのかい?」

 リザールが少し呆れた様子で尋ねる。

 いや、まさにその通りである。メイは大きくため息をつくと答えた。

「それがその、ちょっとまた襲撃されちゃって、宴はお流れになっちゃったんですが……」

 ところがその途端にリザールの顔色が変わった。

「なんだって⁉」

「え?」

 驚いて見返すと―――何やら尋常ではない驚きの表情が浮かんでいるのだが……

「襲撃ってほんとか?」

「はい」

「あいつら、勝手なことを……」

 ………………

 …………

 ……

 は?

《あいつら? 勝手なこと⁇》

 メイは目を丸くして彼を見つめた。

 その視線に気づいたリザールの顔に、明らかに『しまった!』という表情が浮かぶ。

 え? なんだ? これって……

「あの、あいつらって?」

「いや、その……」

 リザールはいきなりしどろもどろだ。

「こちらの旦那さんって、今どこに?」

「え? いや……」

 ………………

 …………

「まさかリザールさん、あの人達の仲間だったんですかーっ?」

 んなわけない。

 そんなわけがあるはずない!

 だってこの人には素敵な家族がいて、あの農場が好きで、あの風景を愛していて、ちっぽけでも穏やかな生き方をしたいと……

「だったらどうした……」

「え?」

 今、なんて言ったのだ? この人は?


「だったらどうしたって言うんだ?」


 そう答えてリザールは、いきなりメイをソファーに押し倒した。

 メイはまさに目の前が真っ暗になった。

「王家の血筋なんだから、王位を狙って何が悪い?」

 は?

「だいたい女のくせに王になろうなんて図々しいんだよ!」

 へ?

「それよりそれより俺の味方になれよ。お前だって悪い話じゃない。うまくいけば王妃にだってなれるんだぞ?」

 ………………

 …………

 ……

「……バカですか?」

「なんだと?」

「バカだって言ってるんです‼ それはそこじゃないでしょう‼‼」

「あ?」

 リザールはぽかんと口を開けた。

 メイの中でまさに何かがぶち切れた。

「王様になるっているのは国を導いていくってことなんです! そのために必要なのは、自分の国のことが大好きで、自分の国のことをよく知っていて、そのために命を賭けようって人なんです! そのためにはフォレスだけじゃなくって、周りの国のことだって分かってないといけないんです! フォレスなんてそれこそちっぽけな国で、食べ物だってベラがないと困ってしまうし、商人が通らないと通行税だって入らないんです! なのに戦争が起こったりして、みんな本当に困っているのを何とかしないといけないんです! その上、中原じゃいつまた大きな戦争が起こるか分からないし、もしそれでレイモン王国が勝っちゃったら、今度はフォレスが最前線になってしまうんです! そうなったらベラの魔導軍だって相手にならないかもしれないんですよ? そんなことになったらどうするんですかーっ?」

 メイは一気呵成にまくし立てた。

「男とか女とかじゃないんです! こんなの誰にも分からないんです! 大学の先生にだって分からないんです! それでも王様っていうのは行かなきゃならないんです! あたりは真っ暗で、いつ足を踏み外してもおかしくないところで、それでもみんなを連れて行かなきゃならないんです‼」

 そしてリザールを思いっきり睨みつけた。


「あなたにそんな覚悟があるんですか⁇ フォレスが寒いってことさえ知らなかったくせに‼」


 リザールの顔が真っ赤になる。

「この生意気な……」

 そう言って手を振り上げると、その拳を思いっきりメイの顔面に振りおろし……

《ひっ!》

 メイは思わず目を閉じる。それから……

 ………………

 …………

 ……

 ??

 薄目を開けると、なぜかリザールの拳は顔面すれすれで止まっていた。

《え?》

 彼の脇の下に先の尖った金属がついた棒が差しこまれて、腕が絡め取られていたからなのだが……

「あ?」

 驚いたリザールがふり向いた途端に、ブーツのかかとがその顔面にめり込んだ。

「はがーっ!」

 そしてそのまま薙刀の柄でひっくり返されると、首すれすれの所にトスンと刃が突きたてられた。

「アウラ!」

 聞き慣れた声がする。

「分かってるわ」

 見るとナーザがひらりと窓を飛び越えて入ってくるところだった。

 アウラがメイに微笑みかけた。

「だいじょぶ? ケガはない?」

「アウラ……様?」

 何が起こったのかまだよく分からないのだが……

 ナーザがアウラに尋ねる。

「メイは?」

「無事よ」

「だそうですよ?」

 ??

「分かったから早く引っ張ってよ」

 え? この声は……

 ナーザがよいしょと窓の中に引っ張り込んだのは、エルミーラ王女だった。

「何でみんなそんなに身が軽いのよ?」

「王女様がもう少し運動なされた方がいいのでは?」

「えーっ?」

 ………………

 メイは唖然としていた。

「あの、どうしてみなさんがここに?」

 するとナーザがにっこり笑って答えた。

「それはメイちゃんの後を追けていたから」

「え……?」

「だって今回の川遊びのこと、知ってた人ってほとんどいないでしょ? だったらどこから情報が漏れたのかしら? サルトス側はほぼあり得ないし、ベラの方だってそうだし。だとすると、あなたが一番怪しいじゃない?」

 ………………

「しかもあんな目に遭ったんだから休んでればいいのに、早々に捕虜を見に行ったり、そのあとこっそり抜け出したり……」

 ………………

「あなたを止めるかどうか迷ったんだけど、もし誰かと連絡を取ろうとしているのなら現場を押さえた方がいいし。そこでアウラと一緒に後を追けたのよ」

 もしかして―――何もかもお見通しだったというのか?

「でもそれならどうして王女様まで?」

 それを聞いたナーザが苦笑する。

「危ないって言っても聞かなくて。押し問答している暇なんてなかったから……」

 あはははは。

「だってこの二人のそばが世界で一番安全でしょ? それにあたしがメイをこいつに会わせちゃったんだし……」

 そう言ってエルミーラ王女が床に転がっているリザールを見下ろした。

 リザールはガクガク震えるだけで何も言えないようだ。

 そんな彼を王女は冷たく見据えた。

「で、リザール君? 私も答えを聞きたいんですが?」

「あ?」

「今、この子がいろいろ言ったでしょ? その答えよ。一言でいえば、あなたは王様になってフォレスをどうしていきたいのかしら?」

「………………」

 リザールは何も答えない。

 それを見た王女の顔に、今度は不敵な笑みが浮かぶ。

「もし納得のいくお答えが聞ければ、王位継承権を差しあげますわ。ついでにその子も連れてって構いませんけど? いかがですか?」

 えええ?

「ちょっと……」

 ナーザの顔色まで青くなるが、王女は彼女に手を差し伸べてそれ以上の言葉を押しとどめた。

《王女様は今なんて……?》

 メイは真っ白な頭で王女と、それからリザールの顔を見比べた。

 エルミーラ王女はまさに真剣な表情だ。

 だがリザールは―――口をぱくぱくさせるだけで、何も答えることができなかった。

 その様子を見た王女がふっと鼻で笑う。

「ま、そうだと思いましたが。ではその子は返して頂きますよ?」

 王女がメイに手招きした。

 彼女は弾かれるように立ちあがると、王女に抱きついていた。目からとめどなく涙がこぼれてくる。喋ろうとしても嗚咽ばかりで言葉が出ない。

 そんなメイの頭を王女が優しくなでた。

 そこにアウラがリザールを指して尋ねた。

「で、これどうする?」

「連れて帰るわよ。逃げようとしたら手足ぶった切ってダルマにしていいから」

「えー? そんなにしたらむしろ連れてきにくいんだけど」

 なんてダークな冗談―――じゃない! この人マジで言ってる?

「お、俺をどうする気だ?」

 リザールが蒼くなるが、王女は冷たく言い放った。

「どうもしませんよ? 私の秘書にちょっと手を出そうとしたからって、首を刎ねたりはしませんから。ただちょっと色々背後の組織とかについて供述して頂くだけですわ」

「だから俺は知らん! あいつらが勝手にやってきて……」

「お黙りなさい!」

 その凛とした響きに、リザールは凍りついた。

「フォレスが欲しければ単に神輿に乗っているのではなく、自力で取りにいらっしゃい。そもそもあなたは王家の血筋というものにどれだけの価値があるか、分かっていないようですね?」

 そして冷たい笑みを浮かべる。

「ま、だからこそあなたを生かしておいたわけですが」

 リザールはもう魂が抜けたような表情だった。



 その夜、長の館の客間でメイはエルミーラ王女と対面していた。

 夜も更けてきて、夜風が少し冷たく感じられるようになっている。

 だが王女は先ほどからずっと何も言わない。

《うう……怒ってるんだろうなあ……》

 謝ることは何度も謝ったのだが、でもその程度で済む話ではないし……

 メイはいたたまれない気分になっていた。

 そこにノックの音がして、グルナが二人分のお茶を持って入ってきた。

「ごめんなさいね。黙って行っちゃって」

 彼女の姿を見て王女が謝る。

「構いません。ご無事と分かれば……」

 グルナの顔にも安堵の表情が浮かんでいた。なにしろあんな騒ぎがあっただけでも大事なのに、その夜、王女やメイが行方不明になってしまったのだ。彼女が大パニックになっていたのも仕方がない。

 一行がリザールを追い立てながら戻ったときには、その話がセリウス経由でロムルースに伝わり、大捜索隊が出動しようとしていたところだったのだ。

「それではごゆっくり」

「ありがとう」

 グルナが出ていった後、またしばらくの沈黙が場を支配する。

 メイがそれにもう耐えられそうもなくなってきたとき、ふっと王女が顔を上げると尋ねた。

「それで……どうして一人で行ってしまったの?」

 メイは大きく頭を下げる。

「申しわけありませんでした……でも、私のせいであんなことになってしまって、だから何とかしなければって思って……」

「一人で何とかなると思っていたの? あそこで私たちが来なかったら?」

 メイは答えに窮する。ただでは済まなかったのは、百パーセント間違いない。

「私は本気で怒っているの。どうして相談してくれなかったのかなって」

「えっと、その……」

 顔を上げると―――まっすぐ見つめる王女と目が合った。

 メイは思わず身をすくめた。

 だが、そこには何か少し悲しそうな表情が浮かんでいる。

 それから王女は少し遠い目で話しはじめた。

「人なんてね、一人じゃ何もできない物なのよ? 昔、私にね……それを教えてくれた子がいたの」

「え?」

「知ってるかしら。私も昔、一人で何でもできるって思ったときがあったの」

「…………」

「でもその日、朝食にジャムがなくってね、取りに行ったら厨房にもなくて、だったら自分で作ってやろうって思ったんだけど……作り方なら本を読んで知ってたから……でも、結局その子に何もかも頼らなければ、何もできなかったのよ」

 え? あ?

 まごつくメイに王女はにっこりと微笑んだ。

「だから約束してくれる? こんなときにはみんなに相談するって」

 ………………

 …………

「はい……」

 メイはうなずいた。

「でも、こんどのことは私の責任で……せっかく王女様に目をかけて頂いたのに、その期待を裏切ることになってしまって……だから私……」

 また目から涙がこぼれそうになってくるが―――そこで王女は首を振った。

「なに言ってるの? それだったら私を助けてくれたことでチャラよ?」

「え?」

「あそこでまさに身を呈して守ってくれたでしょ? あなたが刺客を止めようとしてくれたから、アスリーナさんが間に合ったんじゃないの。じゃなきゃ本当に死んでたかもしれないのよ?」

「でも……」

 確かにそれはそうかもしれないが……

 そこで王女は不思議な笑みを浮かべた。

「それに……だったら私だってあなたの期待を裏切ってるかもしれないんだから」

「え?」

 メイが驚いて王女を見ると、王女はまた遠い目で語り出す。

「覚えてる? 最初にイスマイル様のところに行ったとき。あなたが尋ねたわよね? リザールに王位を継承する意思があったらどうするかって」

 確か行きの馬車の中でそんなことを尋ねた気はするが……

「私は思ってたのよ。もしリザールが本気だったらフォレスを任せてもいいかなって」

「ええっ?」

「そして私がベラに妃として入るの。これって悪くない落し所じゃない?」

 確かに言われてみれば―――フォレスを彼に任せられれば、王女がベラに来てロムルースのサポートにも回れるわけで……

「でもあいつはあの調子だったから……あれじゃ到底国を任せるなんてできないしね」

「えっとでも、さっき……やる気だったら生かしておかないって……」

 王女はにたっと笑った。

「ああ言っとけば二度とつまらないことは考えないでしょ?」

 あはははは。

 そこでまた王女は軽くため息をつく。

「そんなわけだからやっぱり私がフォレスを導いていかなければならないんだけど……」

 それからメイを見て力なく微笑む。

「あんな覚悟、そう簡単にできるものじゃないから」

 ………………

 …………

 え?

「でも期待されちゃったのなら、それに応えなきゃならないから」

 ………………

 …………

 えっと、これってどういうことだ? メイはあそこで思わず色々口走ったが―――確かに王女様はもうそんな覚悟でいると信じていたからあんなセリフが出て来たわけで……

《でも実は覚悟できていなかった?》

 ………………

 …………

 いや、それを誰が責められる? こんなこと誰だって怖いに決まってるのだから、王女がやっぱりそうだったからといって、全然悪くないし―――それよりも問題は……

 メイはあわてて手を振った。

「あの、こんな私なんかの言ったことなんて、気になさらなくっていいですからーっ!」

 だが王女は首を振った。

「違うのよ。それはこんな私なんかをね?」

 そう言って自分の胸に手を当てる。

「こんな私なんかを信じてくれた人の期待なの。だから私はそれに応えたいのよ」

 え?

 王女はまたにっこりとメイに微笑んだ。

「でも……それは私一人だけでは無理だから。だから色々な人の助けが必要になるの。ナーザも、アウラも、ル・ウーダ様も、ネブロスも、ロパスも、コルンバンも……それにあなたも」

「王女……様?」

 その中に彼女がいていいと言うのか?

「真っ暗な中でもちっちゃな光があれば、足下くらいは見えるかもしれないし」

 暗闇を照らす小さな光?

「だからこれからもよろしくね?」

 ………………

 …………

「はい」

 メイはうなずいた。

 何だか心の中が一気に晴れ渡ったような気分だった。

 そこで思わずまた彼女は尋ねていたのだが……

「あのー、それで今度のこと、もし相談してたら?」

 王女はちょっと上目遣いになって考えこむと、にこ~っと不穏な笑みを浮かべた。

「そうねえ、相談してもらってたら、例えば逆スパイとしてリザールのところに潜入してもらって、黒幕を調べてもらってたかしら」

「えええっ?」

「大丈夫よ。十分にサポートはしてあげるから」

「…………」

 果たしてこれは正しい選択だったのだろうか? メイの確信は一瞬で揺らいでいたが―――ただ一つ言えることは、真っ暗な中でもこの王女様と一緒なら、何か楽しく歩けそうだということだった。



 それから数日が経過した。

 その日メイはエルミーラ王女とグルナに従って、ロムルースの執務室に向かって磨き抜かれた板張りの通廊を歩いていた。

 長の館は本当にだだっ広い。その上入り組んでいるので簡単に迷子になってしまいそうだ。

「さて、あそこよ。それじゃメイ、初仕事よ?」

 執務室の大きな一枚板の扉が見えてくると、王女がそう言ってにっこり笑う。

「はい」

 メイはうなずいた。

 彼女がここに来るのは初めての体験だった。この館には以前にも一度滞在したことはあるが、そのときはフィンのおまけだったし、こんな奥までは来ていない。

 だが不思議なほど緊張はなかった。

「でも、大丈夫でしょうか? ロムルース様、相当にカッカ来てたみたいですが……」

 グルナが心配そうに言う。

「まあ、これには私だって少々キレましたから。ルースなら当然でしょうねえ」

 そう言って王女が笑う。

「でもともかく話してみないことには始まりませんからね」

 先日の襲撃事件の犯人達はその後の迅速な捜査によってほぼ全員が捕らえられていたが、彼らに対する審判が明日行われることになっているのだ。

 もちろんロムルースは激怒していた。

 何しろエルミーラ王女が結婚するかもという憶測だけで、大切な用件を放り出してフォレスまで突っ走るような人物である。なのに今回はリアルに王女に危害が加わったのだ。その場で全員を斬殺しなかっただけでも成長したと言えるだろう。

 ところが一行が執務室に入ると、そこには先客がいた。

「あらまあ~、これはエルミーラ様、いいところにいらっしゃいました~」

 来ていたのはイービス王女とアスリーナを筆頭とする、サルトス王国の一団であった。

「イービス様? どうしてこちらに?」

 王女はにこやかに答える。

「はい~。実はあの囚人どもを引き取りに参ったのですが~、長様が許可を下さらないんです~。エルミーラ様からもお口添え願えますか~?」

「はい?」

 囚人の引き取り?

「だからこれは我が国の問題なので、そういうことは致しかねると申しておるのですが」

 ロムルースが何やら困った表情だ。

「あの、どういうことでしょうか?」

 エルミーラ王女が尋ねると、イービス王女がきりっとした表情で答えた。

「だって当然ですよね~? 私の開いた宴なのですから~。端から見たらまるでエルミーラ様をサルトスが殺めようとしたようにしか見えないじゃありませんか~」

「あ、いえ、でもそれは……」

「そんな汚名を着せられてはもう、生きておめおめと国に帰れませんので~。ともかくあやつらを引き渡してもらって、我が国の流儀で処刑させて頂きたいとお願いしていたところなのです~」

 言われてみたらイービス王女の怒りももっともだった。他国の要人を招いて開いた宴で、その要人が殺されかかったわけだ。まさに主催者の不面目以外の何物でもない。

 そこにロムルースも、いいところに来てくれたという表情でエルミーラ王女に促す。

「ちょっとミーラも言ってくれ。イービス殿のおっしゃることももっともだが、あくまでこれは我が国の問題なので、我が国のやり方で処理すると。機甲馬に代わる新しい方法も試してみたいのだ」

 要するに処刑は確定で、誰がやるかで揉めていたと……

 エルミーラ王女とメイは顔を見合わせる。それから王女はくすっと笑うと二人に向かって言った。

「それが実は、今日はその囚人達の助命嘆願に参りましたのよ?」

「は?」

「え~?」

 ロムルースとイービス王女がぽかんとした顔でエルミーラ王女を見た。

「それは実はこの子の意見なんですが……」

 王女がメイを示す。

「彼女が今回の事件の一番の被害者なんですけど……なにしろ、一国の王女様からお名指しの招待を受けるなんて一生に一度有るか無いかの晴れ舞台なのに、それを無惨にも潰されたあげくに、川に落ちて死にかかったんですからね?」

 王女は再び二人に微笑みかける。

「そんな子の意見なので、ちょっと拝聴しては頂けませんか?」

 イービス王女もロムルースも一瞬戸惑った様子だったが、否応なくうなずいた。

「じゃ、メイ?」

「はい」

 そこでメイが一歩出て話しはじめた。

「どうも。メイと申します。国長様には以前一度お目にかかったと思いますが、今日も私などの言葉にお耳を傾けて頂き、まことに感謝至極ででございます。また、イービス王女様におきましては……」

「はいはい、もうそういうのはいーから~。ね?」

 イービス王女がニコニコしながら先を促した。

「あ、どうもありがとうございます。では本題に入らせて頂きます」

 二人は黙ってうなずいた。

「えーっと、まず今回の襲撃の件なのですが、あの犯人たちは計画的に武装して他国の王女の一行を襲って殺そうとしたわけで、普通ならば処刑されてもおかしくないのは間違いのないところだと思います」

 あたり一同の者が当然とうなずいた。

「でもまず今回、結果的に私たちの間でほとんど被害は出ていません。びしょ濡れになってお召し物がダメになったりはしましたが……でも事件は未遂だったということになるわけです」

「だからと言って許せるわけじゃないだろう?」

 ロムルースがいきなり突っこもうとしたが、エルミーラ王女がやんわり押しとどめた。

「まあ、お話しは最後まで聞いてあげて下さいな」

「…………」

「ありがとうございます。それで、あの犯人達がどうしてこんなことをしたかなのですが、みんなエルミーラ王女様が魔法で国長様を誑かして骨抜きにしていると信じていたからなんです」

「だからそんなの大嘘ではないか!」

 それを聞いてメイはうなずいた。

「はいそうです。でもあの犯人達はそれが本当だと信じていたからこんなことをやったわけです」

「だからそれがどうした?」

 メイはロムルースをまっすぐ見る。

「ではここで仮に、本当にエルミーラ様がそんな魔法で国長様を操っていたならどうでしょう?」

「は?」

「実際に魔法使いの中にはそのような者がいることはご承知だと思いますが、もしそのような場合であれば逆に、彼らは国長様を救うために行動していたということになりますよね?」

 それを聞いてロムルースはぽかんとしていたが……

「あ~、確かにそうですわねえ~」

 イービス王女の方はうなずいた。

《やっぱりこの人、結構鋭いわよね……》

 メイは言葉に力を込めた。

「要するに彼らは騙されていたわけです。彼らは嘘を信じこまされて、それが正しいと思ってあんなことをしでかしてしまったわけなんですが、そんな場合一番悪いのは、騙した方ですよね?」

「…………」

「しかも彼らを騙したのが誰かというと、フォレスの反王女派だったんです。元々そういう風聞があった上に、フォレス反王女派の手先の男が色々と証拠を捏造して見せたせいで、みんなそう信じてしまったことが、取り調べで分かっていますよね?」

「……ああ」

 これはこの数日の事情聴取で明白になっていたところだ。

「だったらこれってむしろ、フォレスの方に責任がある話じゃないですか。サルトスの皆様は、こんな騒ぎに巻きこまれてしまったわけで、謝罪しなければならないのはこちらの方じゃないですか?」

 そう言ってメイがイービス王女を見ると、彼女は黙ってうなずいた。

「それに実際、取り調べてみたらあの人達、もう真っ青でしたよね? 王女様がそんな魔法なんて使えないことは、グリムール様とかに頼めば簡単に証明できるじゃないですか。手先の男とグリムール様のどっちを信じるって聞いたら……」

 メイは一同を見た。

「ここから言えることは、あの人達は王女本人が憎かったとかそういったわけではなく、ただベラという国をより良くしようとしていただけだったんです。ただし、そのやり方は完全に間違ってはいましたが……」

 彼らのそもそもの動機はベラの一般民の生活がかなり苦しいところにあった。そこにあの戦争が拍車をかけ、人々の不満がその元凶とされたエルミーラ王女に向けられてしまったのだ。

《ってことは結局この人が悪いんじゃないの……》

 そう思って目の前の頼りない国長をちらっと見るが……

《でも一人じゃできないことは一杯あるし……》

 この問題にはベラの歴史が絡んでいて、彼を一方的に責めることもできないのだ。ベラは魔導で立つ国である。そのためいろいろな所で魔導師が優先され、魔法の使えない一般民は蔑ろにされる傾向があった。

 もしロムルースがもっと名君だったとしても、簡単には解決できない問題だったのだ。

「……なのでもちろんそのことに対する責めは負わなければならないと思いますが、だとすれば死刑よりは軽い刑罰、この場合だと鞭打ちくらいにするべきなんじゃないかと思うんです」

 メイはそう言って再び一同を見わたした。

「またこれからフォレスでも反王女派の調査をするんですが、そのときに証人がいなくなったら困りますし、それよりも何よりも……」

 メイは大きく息を吸う。

「国のためを思って行動した人たちを処刑してしまったら、そのことでまた新しい憎しみが生まれてしまうと思うんです。それよりも、そんな人たちならば生きて償ってもらった方がずっとベラのためになるんじゃないでしょうか?」

 メイは話を終えた―――だが、一同は驚いたような顔で彼女を見ているだけだ。

《え? あたしなんかまずいこと言った?》

 何度も何度も考えて、王女やナーザとも相談して出した結論だ。おかしなことはないと思うのだが……

 とそのときだった。

「まあ~」

 いきなりイービス王女が近寄ってくると、両手でメイのほっぺたをつまんでいきなりぷにぷにし始めたのだ。

「はひ? にゃんですかーっ!」

「メイさんって本当にご立派な方なんですねえ」

「はひーっ」

 それから王女はロムルースににっこりと微笑みかけた。

「私たち、ちょっと熱くなりすぎてたみたいですね~。一番被害者の方が一番冷静に判断されるなんて~」

「あ、ああ……」

「では長様~? その鞭打ちをうちのやり方でやらせて頂けますか~? かなーり痛いとは思いますが~」

 あのー、ほっぺたも痛いんですがー。

「え? ああ、分かった」

 ロムルースはうなずいた。

「ありがとうございます~」

 イービス王女は再びにっこりとロムルースに会釈をすると、メイのほっぺたも解放してくれた。

《ひーん。なんなの?》

 それから今度はエルミーラ王女を見て微笑んだ。

「エルミーラ様って素敵な秘書官がいて羨ましいですわ~。しかもお料理まで上手で~」

「うふ。そうなんですよ」

 エルミーラ王女はちょっと得意げに微笑んだのだが……

「あなたも素敵な女王様になれそうですね~。陰ながら応援させて頂きますわ~」

 エルミーラ王女は虚をつかれて、一瞬戸惑った。

 それから慌てたように礼を返す。

「え? あ……はい。ありがとうございます」

 イービス王女はそれに優雅な礼を返すと、一同に向かって言った。

「さて、それでしたら私たちはそろそろおいとまさせて頂きますわ~」

 そう言って辞そうとする王女を、エルミーラ王女が引き留めた。

「イービス様方はやはりお国に戻られるのですか? よければもう少し滞在して頂かれても。フォレスはこれからが綺麗になるのですが?」

 川遊びが急に入ったのも、彼女たちが早々に帰国しなければならないからであったが……

「いえ~。お心遣いには感謝いたしますが~、何分サルトスは遠隔の地ですので~」

 王女はそう言って首をふる。

「そうですか。では出立の時にはお見送りに参りますわ」

「ありがとうございます~」

 こうしてイービス王女一行は下がっていった。

『ダメじゃないですか。他所の国の方にあんなことしてー』

『つい思わず~。メイさんってかわいいじゃない~』

 帰り際にそんな会話も聞こえてくるが……

《何だか本当にイービス様に出会えて、すごくラッキーだったかも……》

 多分相手がロムルースだけではこうは上手くいかなかっただろう。何だかよく分からないうちに回りを巻きこんでいくあの性格は、真の王女ならではの物なのだろう。

 メイはほっぺたをさすりながらそう思った。

 それから執務室にはフォレス一行だけが残された。王女の表情が少し険しくなる。

「それでルース。その女というのはどうなりました?」

 王女の問いにロムルースが答える。

「ああ、引っ捕らえたと報告があった。今こちらに護送しているところだ」

「そうでしたか。ありがとう。フォレスの反王女派につながる大切な証人だから」

「分かってる」

 問題はこちらの方であった。

 今回の騒ぎはベラの不平分子がフォレスの反王女派に扇動されて起こったことだった。先ほどメイも言ったとおりに、フォレスの国内問題にベラとサルトスを巻きこんでしまったようなものだ。

 だからその連中に関しては優しい扱いなど無用だった。

《おのれーっ! 本気で腹が立つーっ!》

 こっちに関してはメイは全く冷静ではいられなかった。

 リザールの処分に関しては、フォレスに護送してアイザック王直々の審判を行うことになっている。

 彼は今回の事件に関しては直接には無関係だった。この襲撃は実はリザール達のあずかり知らぬ所で行われた。だからこそメイが行ったときにあれほど慌てたのだ。

 ガリカの町で行われた最初の襲撃に失敗した後、フォレスの反王女派はもっとじっくりと機会を待とうとしていた。そのためにメイを利用するつもりだったのだ。

 ところがベラの反王女派は焦っていた。フォレスの反王女派がそれをコントロールできなくなって暴走したというのが、今回の襲撃の顛末だったのだが―――これでもし王女が亡き者になったり、命惜しさに継承権を返上したような暁には、リザールが王として擁立されることになる。

 従って王女側としても禍根を断つという意味で処刑したって構わなかった。

 だが正直彼は小物だった。

 エルミーラ王女もナーザも、年明けにイスマイルの農場を訪ねたのはその点を見極めるのが目的だったのだが、彼は見たとおりほとんどパニック状態だった。だからこそ謀反の意思なしとしてメイの世話を頼んだりもしたのだ。

 そのとき既に彼は反王女派に取りこまれていたのだが、彼自身がその意味をよく理解していなかった。

『あそこであんな風に口論を始めるなんて思ってもいませんでしたわ』

 あの後ナーザが呆れたように言っていたのだが―――確かにもし本気ならあそこでは何が何でも、メイを人質にとってでも逃げようとするべきであった。王家の嫡流だ。命さえあれば再起は常に可能なのだから。

《おまけにその女にも置いて行かれて……》

 彼を籠絡したルレッタという女は、数年前にイスマイル家に家政婦として入ってきたという。彼女は一見人当たりの良い、よく働く家政婦だったが、その女が反王女派の連絡員だった。彼女は若いリザールを色仕掛けで誑かして、すぐに言いなりにしてしまったが、そのことは両親もまったくあずかり知らぬことだった。

 しかしそこに彼自身の意思はなく、単に甘い言葉に流されていただけだった。

《もしそんなことがなければ……》

 リザールがメイに話した言葉……

『でも僕にはこの景色の方が大切なんだ。ちっぽけな話かも知れないけどね』

 ―――それこそがまごう事なき彼の本音だった。

 だからこそメイの心を打つこともできたのだ。

 だからこそ……

《バカヤローッ!》

 本気で腹が立ってくる。

《何か会うたびにずっと謝ってたような気がするけど……》

 あのときまで、最後の最後までメイは真剣だった。いざとなれば本気で秘書官はやはり自分には無理だとお願いしようと思っていたのだ。

 川の襲撃は肝心なところでほとんど気絶していたので、むしろ全然実感がないと言った方が良かったのだが―――こちらは全く違う。

「ねえ王女様。もう乙女心を踏みにじったら死刑って法律作りません? 女王様になったら」

「ええ? そんなの作ったら世界の半分を敵に回しちゃうし……それにリザールには遡って適用できないわよ?」

「ですよねー。あははっ!」

 法律というのは何かいろいろ面倒くさい物なのだ。

「それにエクセドル家を追いこむには生きててもらわないとまずいし。むしろ暗殺されるのを防がないと」

 彼の供述からフォレスの反王女派の背後にはエクセドル家という名家が関わっていることが示唆されたのだ。ベラの人々を扇動した男がそこの関係者らしいのだが、前回の襲撃が失敗した際に一旦フォレスに戻ってしまっていて、ベラにはルレッタしか残っていなかった。

「お祖父様を見捨てたのがあそこだったのに……皮肉な物ね」

 彼の祖父エイブラムが権力闘争に負けた大きな要因が、後ろ盾だったエクセドル家の裏切りだった。でなければエルミーラ王女の方が田舎の農場の娘だったかもしれないのだ。

「ま、ともかくしばらくは牢の中で反省してもらうから。フォレスの冬は寒いしね? ふふっ」

「ははっ。いーですねー」

 まあ、そこは身をもって体験してもらうことにしよう。

 二人がそんな話をしていたときだ。執務室の扉が開くと、伝令がやってきた。

「女が護送されてきました」

「分かった。行こう」

 一行が庭に面する取り調べの間に来ると、地面の上に縛られた女が跪かされていた。

 メイがあの館で会った三十過ぎの女性だ。

「おまえか? ルレッタという女は?」

 ロムルースの声に女が顔を上げるが―――その瞬間、エルミーラ王女が息をのんだ。

「ん? どうした?」

 だが王女はじっと黙ってその女を見つめるだけだ。

 女はふて腐れたように目を背ける。

《ええ? 王女様の知り合い?》

 いったいどういう関係で?

 そこに王女が口を開く。

「ルレッタ? 違うでしょう? マレーズ。それとも本名はもっと別なのかしら?」

 驚くほど冷たい声だ。

 だが女は横を向いたまま何も言わない。

 そのときそれまで黙っていたグルナが驚愕の表情で王女に尋ねた。

「マレーズって、あの?」

「ええ。そうよ」

 グルナが目を見張った。

「どういうことなのだ?」

 ロムルースが不思議そうに王女に尋ねる。すると、王女が憎々しげな目で答えた。

「この女がディーネを陥れたのよ!」

 え?

《ディーネ?》

 その名前はメイもよく聞き知っていた。

 ロンディーネ。かつて王女が寵愛していた侍女で、偽の横領疑惑をでっち上げられて城を追われ、さらにその後郭に売られてしまった女性だ。

《それをやったのがこの女の人?》

 まるでそんなことをする人のようには見えないのだが……

 王女はマレーズを氷のような眼差しで見つめた。

「あなたが……まあいいわ。今度はお父様も真実審判をためらうようなことはなさらないでしょうから」

 そしてきつい声でロムルースに言った。

「こいつの顔も見たくないわ‼ とっとと連れてって‼」

「あ、ああ」

 その剣幕にロムルースまでが一歩引く。

 次いで王女はいきなり背を向けると、すたすたと帰り始めた。メイとグルナは慌てて後を追った。

 部屋を出て背後で扉がぱたんと閉まると、王女は立ち止まって天を仰いだ。

「あいつだったなんて……」

 王女はしばらくじっと廊下の天井を見上げていたが、次いでどこか遠くを見ながらつぶやいた。

「でもあいつがいなけりゃ、私もここにはいなかったし……」

 心底悔しそうだった。

 それからふうっと大きく深呼吸すると、また背筋を伸ばして歩きはじめる。

 メイはその後に従った。