エピローグ 真・メルファラ救出作戦

エピローグ 真・メルファラ救出作戦


 空はどんよりと曇り、南からの生暖かい風が灰色の海面に白波を立てている。

《こりゃちょっと揺れるか?》

 フィンが今いる海岸の砂丘は大河ノクスの河口、アトラ村の郊外にあった。

 南の大海を見たのはアロザールにいたとき以来だ。

 あのときは工作のためタルタルに潜入して、そこから何故かクーレイオン古城を開放する羽目になってしまったわけだが……

《あのときに比べたら波静かだって言っていいかな?》

 あの船旅では本気で生命の危機を感じたものだが、それに比べればこれならまだ大丈夫な気がするが―――しかし船乗りが言うにはこれからどんどん天気は下り坂だろうという。

《それってどう転ぶかなあ……》

 彼らが今ここにいるのはもちろん、これからアロザールに潜入してメルファラ大皇后を救出するためだ。

 そんな作戦の場合、悪天はトラブルの元にもなるが敵から目につきにくくなるという利点もある。

《ともかく、ここまで順調なんだし……》

 これも天の配剤だと思っておくべきだろう。

《でも……それにしてもなあ……》

 まさにとんでもない話だったが―――あれから何度これが壮大なペテンだったらと心配になったことだろう?

 だが人を騙そうというのならもう少し常識的なストーリーにするはずなのだ。

 しかしこれは王女も言ったとおりあまりにもバカバカしいお話で、アラン王は完全に頭がおかしかったか―――もしくは心の底から本気だったかの、いずれかしかあり得なかった。

《でも……世界の制覇とか……》

 言われてみれば今の彼らにはその“神話の力”があるのだ。

 あの場にいた一同はあれからそのことに関しては誰も公には言及しないが―――それでもそのことがずっと頭から離れていないことはよく分かる。

 フィンだって空いた時間にはついつい考えてしまう。

《……ってか、やっぱ簡単じゃなよな……》

 その決戦の後の世界に関しては、間違いなく舵取りが大変難しいだろう。

 統一した後も元の国家に由来する勢力は幾つもある。その間をどう取り持つかは容易ではないし、場合によったら歴史から退場していただく必要だってあるかもしれない……

《いやいや、ともかくファラがいない時点でそんなこと考えても……》

 油断するとすぐにそんな方に考えが行ってしまうが、ともかく今は目の前のことに集中しなければ―――そんなことを思っていると……

「うー、やな天気ね」

 振り返るとアウラだ。

「ああ。これから悪くなるみたいだな」

「えー?」

 彼女が心底嫌そうな声を上げるが……

《あはは、そう言えば船酔いで大変だったって言ってたっけ?》

 彼女たちのメルファラ救出作戦では、アトラからサルモまでの船旅が大荒れだったらしいが……

「今度は……二日だっけ?」

「ああ。帰りも含めれば四日だが?」

「うう……」

「んじゃ残るか?」

「なに言ってるのよ!」

 彼女もファラとは既に大変親しい間柄だ。残るなんて選択肢はないわけで……

《それにしても……》

 フィンは首を振った。この状況はまさに結果オーライの産物だった。

 リラはあの会合の使者としてはまさにうってつけだったが、もしティアたちがあんな行動に出ていなければ彼女が救出されることもなかった。

《あのライラックさんがアラン王の姫君だったなんて……》

 そんな人があんな危険な任務を行っていたとは、いったい何があったのかは分からないが―――それよりも重大だったのは、彼女たちが行くまでアラン王はファラが拉致されたことを知らなかったということだ。

 その前にアルクスが大皇后似の女性を連れ歩いているという情報は入っていたらしいが……

《そんなの普通は本人だなんて思わないし……》

 もしそんな状況のままだったらどうなっていたのだ?

《アラン王の暗殺はそのまま行われたとすると……》

 そう。シルヴェスト側は暗殺者がどこの手先か見当もつかなかったことになる。

 同盟のアロザールのはずがないし、国内の反対勢力という証拠もないし―――なのでこちらが殺したと言いがかりをつけるしかなくて……

《それでもフェデレ公なら王の遺志は知っていたはずだから、何らかのコンタクトはとってきたか?》

 だがその会合があのようにすんなりいったかは分からない。

《まったく、何なんだよ……》

 ともかくそのおかげで大皇后の奪還計画はまさにトントン拍子に進行した。

 あの後シルヴェストからはそれに関する詳細な情報が送られてきた。

 それはこちらで独自に調査した内容とも符合しており、確かに本気でメルファラ奪還に協力してくれているのは間違いないようだった。

 おかげでピンポイントに狙いを定めた救出計画を立てることができた。

 アルクスと共にいるその女性は複数の目撃証言からほぼメルファラ大皇后に間違いなかった。

 その女性は通常はコラリオン離宮にいるが、何かイベントがあるような場合はアルクスと共に現れるという。

 そして五月の休日にシーガル城でコンサートが行われることになっていて―――とすればそこに彼女が現れるのだ。

《コラリオン離宮じゃ面倒だったけど……》

 あそこは国王の後宮なので出入りは厳しいし、中の構造も非常に複雑だ。だがシーガル城のコンサートホールならフィンもよく知っていた―――と、そのときだ。

「あ? あれそうかしら?」

 アウラが水平線を指差した。そこにかすかな船影が現れている。

「あ、そうみたいだな」

 これも予定通りだ。

《それにしても……アルクスの奴、本国人にも見放されてるんだな……》

 作戦が上手くいっている背景にはシルヴェストだけでなく、アロザール国内にも協力者がいるからだ。

 今いるアトラまでならサルトスから裏道を通れば来ることができる。

 だがここからシーガルに行くには船が必要だ。

 だが大海を小舟で渡るわけにもいかないので、大きな船と熟練した船乗りが必要になる。

《アロザールの内情も相当にヤバイみたいだし……》

 本来ならばアロザールはあそこで終わっていたところだったのが、アラン王の裏切りで首の皮一枚で生きながらえていた。

 ところが今そのアラン王はもういない。

《でもあのトラドール王子じゃなあ……》

 アルクスに反旗を翻すとしたら第二王子の彼だろうが、優柔不断な彼が迅速に事を運べるとは思えないし―――だが、国内では相当あちこちから不満が噴出しているのも確からしい。

《そんな状況でアルクスも呑気だよなあ……》

 元々何を考えているかはよく分からない奴ではあったが―――ともかくそんなわけでシーガルまで往復する船便には事欠かないのだ。

 ここからシーガルまでは急げば二日の船旅だ。

 シーガルは大河アルバの河口のデルタ地帯に築かれた街で、周辺を広い湿地に囲まれている。

 そのせいで陸上から攻めるのは大変難しいのだが、船が停泊できるような入り江は近くにいくらでもある。

 そこから小舟でシーガル城に向かうが、その水路も迷路のようで潮の干満で通れなくなる場所も多い。ここも現地の案内人なしに通過するのはほぼ不可能だ。

 そうやって接近できてもシーガル城はデルタの中にそびえ立つ城で、簡単には潜入できない。

《ま、空を飛べでもしない限りは、だけど……》

 一般に城塞や砦は空からの侵入は想定されていなかった。

 もちろん昔から魔法使いなら空を飛べることは明白だったが、彼らにそんな事をさせた歴代王は存在しなかった。

 その理由はまず魔法使いが非常に高価だということだ。

 魔法使いは結局、素質のある子供を各地で見いだして都やベラの専門的な機関で訓練しないと一人前にはなれない。それには長い時間と莫大な費用がかかる。

 第二に敵に魔法使いがいる中での飛行魔法は大変に危険なことだ。

 いつかのアラーニャの飛行でも分かる通り、そもそも飛行魔法は難しい。うっかり気を抜けばいつでも墜落できるし、熟練者でも敵に魔法をかけられたら飛行を続けるのは困難だ。また飛行魔法は敵に感知されやすい。まさに自ら罠の中に飛び込んでいくような物なのだ。

 そして魔法使い一人の運べる分量もたかが知れていた。

 小鳥組作戦ではニフレディルやファシアーナが四人を連れて飛び回っていたが、超一級の彼女たちでもあのくらいが限界なのだ。だからあんな攪乱作戦ならともかく、それで敵の城塞に突入するなど単身で敵軍の中に飛び込んでいくようなものなのだ。

 そして最後にこんな理由があるため、そんな作戦の経験がある魔法使いはほとんどいなかった。どんなに能力があってもかように危険な任務をぶっつけ本番ではやりたくないだろう。

 だが……

《今回は違うんだよな……》

 今度の作戦にはここまで来ている都の魔導軍の大半が参加していた。救出する人の価値を考えれば、まさに出し惜しみなどできないからだ。

 そして今回運ばなければならないのはただ一人だけだ。

 また彼らは最悪シフラ突入するときのことを想定して、全員が小鳥組作戦の訓練も受けていた。

《だから最初の突入さえうまくいけば……》

 長距離を飛んでいたら敵に感知されてしまう危険があるので、城の直下までは忍んで行ってそこから一気に飛び込むことになるが……

《ファラを助け出せればあとは全速力で逃げるだけだから……》

 そうなれば容易には追ってくることはできないだろう。

 そもそもアロザール軍の魔導師は前線に出ていてこちらにはほとんど残っていないことが分かっている。

《まあアルクス本人がそうなんだが……》

 だがこちらには都の超一級クラスの魔導師がごまんといるのだ。

 一番危険なのは城に突入した後、彼女を救出して戻ってくるまでだが……

《でも距離は短いんだよな……》

 アルクスがコンサートに来る場合は王侯専用のロッジ―――ホール背面にある専用のボックス席から見ることになるが、そこは王族専用のエリアで、そのまま湿原の光景を一望にできる景色の良いテラスにもつながっているのだ。

 すなわちそのテラスに飛び上がれれば、そこからロッジまでは目と鼻の先なのだ。

 そして王族専用なので出入り口は厳重でも内部の警備は少ない。

 突入するのは都の魔導軍に加えてサルトスとレイモンの精鋭兵たちだ。

《これで上手く行かないはずないよな……》

 その他不測の事態に備えてのバックアップに関しても可能な限り詰めることができている。

 今までやってきた様々な作戦が最終的には“現場の臨機応変な判断”に依存していたことを考えるとまさに天地の差だ。

 ―――というようにまさに計画は順調に進展していたのだが……


「船が見えたと聞いたが?」


 慌てて振り向くと―――そこに来ていたのは数名の従者を引き連れたカロンデュール大皇だった。

 フィンは慌てて跪いた。

「あ、あちらに見えているのがそのようかと」

 大皇はフィンの指したほうを見つめる。

「ん? どれだ? ああ……あれか?」

 そう言いながら彼は目を細めてその光景に見入る。

《あはは……初めて海を見たならそりゃそうだよな……》

 平たく広がっている場所ならレイモン平原でも見ることはできたが、この海というものにはそれとはまた違った迫力がある―――などというのはともかく……

《いや……マジ大丈夫かな……》

 いま彼らは決死の覚悟でアロザールに潜入しようとしているのだが、そのような場に彼がいるというのは普段ならば完全なる場違いだった。

 実際に彼がここに来るまでにはひと悶着どころではない騒ぎがあったのだ。

《まあ……大皇様の気持ちも分からないではないんだが……》

 フィンは彼とはずっと昔からの知り合いだった。

《主に関わってたのはあのバカの方なんだが……》

 そもそもの始まりはティアがこっそりと下町の酒場に行ったら、お忍びで来ていた彼と出会ってしまって、酔っ払ってステージで踊らせたためとか……

《う……思い出しただけで頭が痛くなる……》

 ところがあのアホは何でか知らないが気に入られてしまって、求婚までされてしまったのを断った挙げ句に“メルフロウ皇太子”と結婚してしまったわけだが―――その後の大変なドタバタの結果、彼と“メルファラ皇女”が結ばれることで様々なスキャンダルが表沙汰にならずに済んだわけだが……

《ともかくあれ以来なんだよなあ……》

 そのため一時期はフィンを側近に取り立てようかという話もあったのだが、そうなると必然的にそのお后とも一緒にいることになるわけで……

《だってなあ……》

 それで都を出てきたら、その後の展開はもはや訳が分からないのだが―――などというのはともかく、そんなわけでフィンはしばらく彼と身近に接していたことがあったのだ。

 そしてその彼が大変に優しく、誠実な人物であることもよく知っていた。

《だからこそ、ファラにふさわしいって思ったんだけどなあ……》

 だが二人の結婚生活はあまりうまく行っていなかったらしい。

 そのときにはもう都にはいなかったから人づてに聞いた話だが、公式の場では仲睦まじくしていても私生活ではだんだん疎遠になっていって、子供の死産をきっかけに完全な別居状態になっていたという。

《じゃなきゃさすがにあんなの、呑まないよな?》

 大皇后をアルクスの后に寄こせなどという無礼千万な要求が通ってしまったのには、間違いなくそんな背景があった。

《もちろん最大の理由はアロザールの呪いなんだろうけど……》

 あの強大だったレイモンを一夜にして滅ぼしてしまったアロザールは、その時点ではまさに手のつけられない存在だった。人々が恐れてそのような決断を下してしまったとしても、決して非難することはできないだろうが……

 だが彼はそのことを心底悔やんでいたのだ。

 誇りある白銀の都の大皇たるものが、そんな脅しに屈して自らの后を敵国の王子に差し出してしまったなど……

 それに加えてなおかつ拙かったのが、その見捨てられた大皇后がアロザールに対して立ち上がり、滅びたはずのレイモン王国を再興してしまったことだ。

《あんな展開、そりゃ誰も想像だにしてなかっただろうけど……》

 彼女はアラン王曰く、神話の主人公になってしまったのだ。

 だが人とは理由を求めるものだ。

 どうして彼女にそんなことができたか? と問われて、単なる成り行きでなどとは答えられないので結局、アロザールを滅するためにカロンデュール大皇があえて彼女を送り込んだのだというストーリーにせざるを得なかったのだ。

 大勢の人はそれで納得した―――同時に大皇の面目も保たれた。

 それまでは根強く大皇が大皇后を見捨てたのでは? という風説が囁かれていたのだ。

 ―――しかし大皇自身にとっては、そんなことは絶対に納得できる話ではなかった。

 自分がその偉業に何の関わりもないことを彼こそが一番よく知っていたのだから……

《そのことでずっと苦しんでて……》

 そんな彼の苦悩に気づいたのがあのアルマーザだ。

 誰もが恐れ多くて立ち入ることのできない場所に、彼女だからこそズケズケと入り込むことができて―――そのおかげで彼は救われた。

 彼女が触媒となって、彼とメルファラの間のわだかまりもまた消え始めていた。

 二人は再び始められると気づいて―――ファラとカロンデュールは過去を捨てて、新たな未来に向かって踏み出そうとした、まさにそのときだったのだ。今回の拉致事件は……

《しかもおまけにアルマーザの奴まで消えちまって……》

 そのダメージや如何ばかりであっただろうか?

 心の支えだったものを一瞬にして全て失ってしまったのだ。

 そして彼は―――静かにブチ切れた。

 最初に彼が今回の作戦に同行すると言い出したときには、誰もがどういう気まぐれだと思ったことだろう。

 だがその決意が驚くほど固いということが分かってきて―――そこで人々は思い知った。本気になった白銀の都の大皇を止められる者などこの世に存在しないのだと。

 これが都だったらまだ評議会もあるし、母君のエイニーア様も健在だから何とかなったかもしれないが、ここは遥か離れたサルトスの地なのだ。

 もし止められるとすればそれこそ大皇后なのだが……

《その彼女を救いに行こうっていうんだからな……》

 そして彼を止めようと試みた取り巻きたちにとってある意味不運だったのが、今回の作戦がかように“イージーモード”だったということだ。

 確かに現在の状況ならば大皇后の奪還はほぼ確実と言えた。

《とは言っても例外的な事態はいつだって起こり得るんだけど……》

 それこそ最近そんなイージーな作戦に参加してひどい目にあっていた娘がいたような気がするが……

 というわけで救出作戦のメンバーとして特別な扱いはしないという条件でカロンデュール大皇本人が参加することになってしまったのだ―――もちろん彼の護衛のために当初の予定よりは多くの魔導師や兵士たちが投入されてはいるのだが……

《まあ……勝手に突出するようなことはないと思うけど……》

 都の貴族に人気のある娯楽に大勢で行う巻狩がある。

 それはファラが好きだったこともあって以前はよく行われていたそうだが、当然そこでは集団行動ができなければ始まらない。誰かが勝手な行動をしたら獲物を逃したり、場合によったら逆に襲われることだってある。フィンがアウラに教えたあのハンドサインも元はと言えばそんな狩りで使用される伝達手段なのだ。

 そんなことは彼もまた理解しているはずだから、それで作戦が頓挫するようなことはないはずだが―――それにしても……

 フィンは海を見つめる彼の横顔を見る。

《いや、本当に気持ちは分かるんだが……》

 それはフィン自身も同じだった。

 開放作戦のときとは違って今回の作戦に彼自身が参加する必要性は薄かった。超一級の都の魔導師や、サルトス、レイモンの屈強な戦士たちが勢ぞろいしているのだ。彼もエルミーラ王女などからは、危険を冒してまで行く必要はないのでは? と、諫められていたところなのだ。

《でもなあ……》

 そこにいるのはファラなのだ。

 彼がこれまでやってきた全てのことは、とどのつまりは全てが彼女のためだった。

 彼にとってはもはやそうしないという選択肢はなかった。

《それに、シーガル城はよく知ってるし……》

 彼は一時期そこに務めていたこともある。現地のことが分かっているメンバーがいて悪いことはない。そう言って押し切ってやってきているわけだが―――と、そのときアウラが言った。

「ん? 何か下ろしてる?」

「あ、ここは遠浅だから大きな船は近づけないんだ。だからあそこまで小舟で行くんだよ」

 アウラの目が丸くなる。

「この海を?」

 前にも見たとおり海は少々荒れていて、海面にはかなり白波が立っている。

「しょうがないだろ?」

「うう……」

 アウラは渋い顔だが……

「そんなに揺れるのか?」

 カロンデュール大皇が尋ねる。

《あはは……銀の湖しか行ったことないはずだからな……》

 フィンも初めてのときは過小評価していたが……

「結構揺れますよ。放り出されないように注意しておかないと」

「ふっ。そうか」

 カロンデュールがニヤッと笑う。

《さすがにこんなんで引き返して頂けたりは……しないよな……》

 ともかくできうる準備はすべてやってきたのだ。

「それでは行きましょうか」

 一行は浜辺に向かった。



 来迎殿には緊張した空気が漂っていた。

 今日はシーガル城のコンサートの日―――すなわちメルファラ大皇后救出作戦の本番が実行される日なのだ。

 それが予定通り行われたなら、もうしばらくすればその第一報が届く。

《何かすごく便利よねー……》

 メイはしみじみ思った。

 普通ならばシーガルからここガルデニアまで、急いでも五日はかかる。すなわち今日起きた出来事が分かるのはまだずっと先の話なのだ。

 だが今回はそんなタイムラグはなく、結果が即座にこちらに伝わるのだ。

 それはもちろんこの作戦に都の一級魔導師が大量に投入されているからだ。すなわち心話のできる魔導師が現地とアコールにいて、アコールにはニフレディル、こちらにはファシアーナが来ているためだ。

《魔法使いのこんな贅沢な使い方なんて普通できないものね……》

 魔導師を雇うのには大金がかかる。だから単なる日常の連絡用に魔導師を使うなど勿体なくてとてもできない。

 しかしもちろん今回のような非常事態では話は別だ。

 ―――そのため作戦の経過はすべて把握できていた。

 それによれば些細なトラブルはあっても全体として極めて順調に進んでおり、今日の作戦は万全の状態で実行できるという報告を受けている。

 ただ懸念事項としては、天候がかなり悪化していることだという。

《あっちはそうなんだ……》

 こちらはちょっと雲はあるがとてもいい天気なのだが……

《ま、その程度のことは織り込み済みなんだし……》

 当然ながらそんな場合の対策だって十分に立ててある。なので今の彼女たちはただ彼らを信じて待つだけなのだ。

「ふう……」

 メイは思わずため息をついた。

《ともかくこれが終われば……》

 メルファラ大皇后が姿を消してからというもの、この三ヶ月ばかりみんな心労で夜もおちおち寝られない日々を過ごしてきた―――だがようやくそれも終わるのだ。

《パミーナさんも休ませてあげられるわよね?》

 今回のことでいちばん割を食っているのが彼女だと思うが―――何しろ最も古くから大皇后に付き従ってきた侍女なのだ。その心配たるや如何ばかりであろうか?

 それなのに何かあったら彼女のふりをして人前に出ていかなければならないのだ。それがバレてしまったら彼女だってタダでは済まないわけで……

《ともかくこれが終われば……》

 そうしたら……

 だが、その後にこれまでと同じ日常が戻ってくるかというと、そうではない。

 むしろ全く新しい生活の始まりになるのだ。

《始まりって……》

 いまだにメイにはピンとこないのだが……

 あの日の会議で何やら世界の行く末が大きく変わってしまったらしい。

 それまでのよく知っていた世界秩序が崩壊して、新たな彼女たちを中心とした世界が構築されることになるのだそうだが……

《あたしたち……が⁉》

 その世界ではエルミーラ王女が重要な役割を担うことになり、そうすると必然的にメイもその片腕として今後のすべてに関わっていかなければならないそうで……

《世界……を⁉》

 何だかもう、メイの理解力の範疇を超えているのだが……

 思わず彼女は部屋の中を見渡した。

 あちらこちらにいつものようにいつものメンバーがごろごろしているが、みんなやはり緊張の色を隠せてはいない。

 エルミーラ王女は普段なら何か本を読んでいたり寝てたりするのだが、今は本を膝に載せたまま宙を見据えてじっと考え込んでいる。

 その奥の方でガリーナとサフィーナが何やら話している。

《あ、また警備のことかな?》

 新しい体制になると王女の警備もこれまで通りにはいかなくなる。

 これまでなら田舎の小国の王女様という立場なのでこんな小規模な警備隊で良かったが、今後はそうもいかなくなる。

 すると新たなメンバーの補充が必要だが、王女の警護ができるほどの薙刀使いなどそうそういないし、育成するにも時間がかかる―――そんなわけで特にガリーナはあれからずっと頭を悩ませているのだ。

 また別のところにはハフラとリサーン、マジャーラが固まって座っているが、普段なら色々とおしゃべりをしているのに今日は三人とも静かだ。

《あは。みんなの役割もできちゃったし……》

 そもそも本来ならば彼女たちの役割はずいぶん前に終わっていた。だからあそこで他のメンバーと一緒にヴェーヌスベルグに戻っても良かったのだが、彼女たちはそれぞれ個人的理由でこちらに残っていただけなのだ。

 ハフラはアイザック王の図書館で勉強するためで、マジャーラは都で演劇を見倒すため、リサーンは―――何か成り行きで……

《あ、でもあれから随分碁は強くなったみたいだけど……》

 ともかくみんなたまたまここにいただけで……

 なのでエルミーラ王女から、もし良ければずっと居残って今後の統治に協力してもらえないだろうか? と、問われたときには三人とも目が点になっていた。

 何しろ今後の“世界運営”においては、メルファラ大皇后がその中心に来る。

 するとその周りにいた女戦士たち(ベラトリキス)の価値もまた計り知れないのだ。

《ま、すぐに答えは出さなくていいって言われてたけど……》

 彼女たちの目の前にも巨大な分かれ道が立ち塞がっているのだ。

 その奥にお飾りのように呆けて座っているのがティアだが……

《あはは。何だかちょっとカワイそう……》

 彼女は戻ってきてからずっとこんなだ。

 確かにあの後さんざん絞られたのだが、それ以上にキール/イルドとアラーニャ、それにアルマーザが行方不明なことが堪えているようだ。

《マジどうしてるのかな……みんな……》

 彼らのことだから無事だとは思うのだが……

《シフラではぐれたっていうんだから、まだそのあたりにいるのよね?》

 彼女たちが敵地のシフラまで潜入できたのは、聞けばとんでもなくたくさんの幸運が重なった結果としか言いようがなかった。行きにそんな幸運を使い果たしてしまったなら、帰って来られなくともまあ仕方がないわけで……

 と、そんな空気があたりに漂っているのだが……

「ふわーい」

 大きなあくびをしたのはファシアーナだ。

《あはは。シアナ様はいつもと変わりませんね……》

 この大魔導師の神経の図太さはもはや並ではない。

 強大な魔法を使うときには、ともすれば失敗して自分に跳ね返ってくることもある。だがそれを恐れて萎縮してしまったら魔法は使えない。そうやって才能があっても大きな魔法は使えないという者が多い中で、彼女にそんな心配は一切無用だった。

《ってか、もしかしてアコールに残ってた方が良かったんじゃ?》

 これからあちらではシルヴェストとの決戦が行われることになっているのだ。

 それは実はあちらと組んだ大芝居なのだが、それでもやってきたアロザール軍を殲滅するためにはそれなりの規模の戦闘が起こる。

 そのためイービス女王とアスリーナもアコールに行っている。仮にも決戦なのだからサルトスも全面的にバックアップしないと様にならないからだ。

 そんな“戦闘”なのだが、それで世界の命運が決まる決戦であることも確かだ。そして一般兵士たちには当然そんなことは知らされていない。何がどう転ぶかなんてまだ全然分からないのだ。

 なので特にパワーに定評のあるファシアーナがいればまさに千人力だと思うのだが―――しかしそんなのは面倒だからと、あちらの仕事をニフレディルに押し付けてこちらに逃げてきているらしい。

《まあ、前と違って人手が足りないなんてことはないと思うんだけど……》

 例の大皇様の件で救出作戦の方に多くの魔導師が投入されることになったが、それでも余りある数の魔導師が来たる決戦に投入される。だからこちらもまず結果に間違いはないと思われるのだが……

「あ、メイ様……」

 やってきたのはコーラだ。

 彼女も顔が少々青い。彼女の場合は新しい恋人―――クアン・マリ・マイウスが救出作戦に参加しているからだが……

《そりゃあ心配よね……》

 だが話によれば彼は魔導軍の中でもエース級らしいから、万が一ということもないとは思うのだが……

「ん? なあに?」

「準備はできましたが、いかが致しましょうか?」

「あ、まだよ? 知らせが来てから、それからね?」

「はい。わかりました」

 彼女がぺこっと頭を下げて去っていく。

《うふふ。ま、さすがにね……》

 正直言ってここ数ヶ月のストレスは半端なかった。メイだけでなくここにいる全員が精神的には疲労困憊していると言って良い。

 というわけでメイはこっそりと厨房より“ローリス・デ・ルーナ”―――シルヴェストの誇る超高級ワインをくすねてきていたのだ。

《ま、ちょっとならいいでしょ?》

 確かに作戦というのはファラ様が帰りつくところまでが作戦なのだが、それでも彼女が無事救出されたという知らせが来たのなら、ささやかな祝杯くらい上げてもいいだろうと……

 そう。良い知らせがもたらされたらだが―――そう思うと胃がきゅっとしてくる。

《大丈夫よね?》

 計画はまさに完璧だったし経過報告も順調だ。間違いなんてないと思うのだが、それでも絶対ということはないわけで―――もしそうなったら……

 ………………

 …………

 ……

《大皇后になれ……って⁉》

 やはりどうしてもそのことが頭をよぎってしまう。

 あれはいつもの王女の冗談ではなかった。そしてもしそんな状況になってしまったら、確かにそうせざるを得ないのかもしれないが……

《えっと……えっと……》

 話を聞いたサフィーナも目を白黒させていたが……

《そうなったら彼女が妾姫ってことで?》

 アルマーザが帰ってきたら三人でお后ってことなのだろうか?

 ちなみにクリンは話を聞いてもぽかんとしていたが―――想像が付かないのだろう。

 もしそうなったら彼女が大皇后の筆頭侍女という立場になってしまうのだが……

《クリンちゃんがお方様に⁉》

 あー、何かいろいろイメージが湧かないのだが……

 いや、本当にまったく実感というものがない。

 何だかちっとも分からない。

 もし本当にそんなことになってしまったら?

 ………………

 …………

 ……

《いや……やっぱどう考えても釣り合わないんじゃ?》

 あたしなんかほら……

 大体一人でダメなら二人でとか言ってるけど、二人合わせたってファラ様の胸には遥かに届かないしっ!―――ってか、まるでこれじゃ子供がじゃれついてるみたいなんじゃ? そんなんじゃ大皇様の趣味が疑われたりするんじゃ?―――ってか、ぐぬあーっ!

 いや、だからほら、女は胸とかスタイルだけじゃないから……

 じゃあどこが?

 たとえばサフィーナならきゅっと締まっててとても良いとか?―――じゃなくって!


《止めー! 止めー! こんな妄想、止めーっ!》


 そう。計画は万全なのだ。あり得ない前提の話をくよくよ考えても仕方がないのだっ!

《ともかくファラ様が救出されたら問題解決よっ!》

 そうすればまさに一息つけるのは間違いないが―――だがその他の小さな問題はまだまだたくさん残されている。

 その中でも何といっても気がかりなのが……

《リモンさん……大丈夫かな……》

 あれから彼女のことをあえて口に出すものはいなかったが、この場に彼女の姿がないというのはまさにポッカリと穴が空いているかのようだった。

《本当にリモンさんなのかなあ……》

 アウラが言うにはアラン王を暗殺したのは彼女だという。

 だがどうして?

 だとすれば彼女は今アロザールのために働いているということになってしまうのだが?

《マグニ総帥が言ってたけど……》

 人が悪意のある魔法に抵抗するのは難しいと―――メイがそんなことを考えていたときだ。


「あ、終わったか?」


 ファシアーナの声がした。

 周囲がしんと静まり返る。

《さあ、それで……?》

 メイは期待してその先の言葉を待つ。

 だが……

 だが……

 ファシアーナはそれ以上何も言わない。

 代わりにその表情が険しくなっていって……

「あんだと?」

 そう叫ぶと腰が抜けたようにソファにへたりこんだ。

《え?》

 一同が顔を見合わせる。

《これってまさか?》

 いや、ファシアーナのことだ。質の悪い冗談を言ってる可能性だって……

 だが……

「ああ……ああ……………そうか、分かった……」

 彼女の声はこれまでになく真剣だった。

 そして、ニフレディルとの心話が終わると呆然とした表情で一同を見あげた。

《え? それじゃ本当に?》

 んな……

 んなことって……

 何だか気が遠くなってくるが―――ファシアーナは何も話さない。

 ついにエルミーラ王女が尋ねた。

「何と連絡があったのです?」

 ファシアーナが大きく息を吸って、それから吐きだした。

「それがな……」

 彼女のこんな顔は初めてだ。

「はい」

「それが……突入までは全て順調だったそうなんだが……」

「もしや、待ち伏せに?」

 エルミーラ王女が尋ねるが……

「いや、それは大したことなかったそうなんだが……」

「それは? ですか?」

 ―――ということは待ち伏せは実際にあったということか?

「そしたら……カロンデュール大皇がメルファラ大皇后に殺害されて」

 ………………

 …………

 ……

 は?

 言ってることが良く分からないのだが⁉

「それから大皇后様も自害なされたと……」

 ………………………………

 ………………

 …………

 ……

 はああああああああ?

 一同はぽかんとした顔でファシアーナの言葉を反芻した。


《え? なに? 大皇様が、大皇后様に殺されて?? 大皇后様が……自害された!!??》


 絶句する一同に向かってファシアーナが続ける。

「あと……城じゃ予想外の混乱が起こってて……何かザルテュス王が殺されたり、アルクス王子の行方も分からなくなってるとか?」

 しばしの沈黙の後―――エルミーラ王女が尋ねた。

「それで……みんなは無事なのですか?」

「ああ。だいたいは無事みたいだが……でもフィンとアウラは行方不明みたいで」

「はいぃ⁉」

 王女があんぐりと口を開ける。

《フィンさんとアウラ様が⁉》

 あの二人が? そんなことがあるのか?

 ますますもって、何なのだ? これは?

 少なくとも一つ言えることは……


《これって……大失敗だったってことよね⁉》


 ということは?

 それってまさか……

「んで、あっちじゃもう決戦してもしょうがないかって話になってるみたいで」

 王女が呆然とうなずいた。

「それは……まあ……」

 それから何度も首を振ると……


「何なんですか? これは?」


 そう叫んで王女はソファにへたり込んだ。

 ガリーナとサフィーナが慌てて側に駆け寄るが―――そんな姿を見てメイは思わず尋ねていた。

「えっとその……それじゃあたしは?」

 ファシアーナが呆然と答える。

「え? 大皇様がいないんじゃ……無理じゃね?」

「で、ですよねー!」

 あははははは!

 いや、そりゃそうだ!

 そうなるのは最悪の中でも最悪なケースだったはずなのだが―――それよりも更に最悪な事態がこの世には存在したのだ。


シルバーレイク物語 第18巻 消えた大皇后 おわり