| 海外の人材育成の仕事が終わり、私は、本庁から出先に異動した。気がつけば、本庁には21年以上いたことになる。
 ようやく楽ができる・・・と思ったが、とんでもない間違いだった。
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 配属先は、大崎の労政事務所だった。新築で、きれいな事務所だった。大崎労政の労働相談は、年間6000~7000件くらいに上った(その後、もっと増えたらしい)。
 ここで、私は、1年平均で約900件の相談を受けた。1職員としては、まずまずの受付数だろう。
 大半は電話で簡単に終わるものだったが、本人と相談室で1時間、2時間と話し合う場合もあった。
 世の中には、こんなにもいろんな話があるのか、と思った。
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 私が労働相談を担当していていた平成13年、14年は、まさにリストラの盛りだった。労働者ばかりではなく、会社側からも相談を受けたが、「隣の企業もリストラしているので、我が社も遅れを取るわけにはいかない・・・」といった感じで、何のためのリストラかも分からないまま、従業員の削減を進めている会社もあった。
 人事担当者の立場も辛い。
 クビを切る側も大きなストレスに耐えなければならない。そうは言っても、会社の内情を話すのは止められている。
 相談の予約を受け、相談室でとりとめもない話をし、それだけで帰って行く人事担当もいた。
 「ただただひたすら話を聴くことが労働相談の第一歩だ」という言葉を残していった先輩職員の教えが、自分が担当してみて、本当によくわかった。
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 あまりにも性急なリストラが進んでいた。こんなことを続けていると、日本の産業界はとんでもない状況になるのでは・・・と、私は心配だった。
 それに、前年に職業安定法が改正され、「自己都合退職」と「会社都合の退職」との間に、失業給付の給付日数の差が出た。実際のところ、「一身上の都合により」と退職届を書いている人でも、会社側から圧力をかけられてしぶしぶ辞めた人が多い。そして、ハローワークに行くと、「あなたは自己都合だから・・・」と言われて、二重に傷つく。
 そんな中、リストラのストレスからか、心の病を訴える人が増えてきた。
 リストラ→いじめ→メンタル、に至るコースはいくつかある。
 (1)リストラの初期、ターゲットになるのは、高い給料をもらいながらそれに見合うアウトプットを出せない人だ。俗に言う「窓際族」だった。こういう人たちが、肩たたき(退職勧奨)をされたり、能力主義の徹底によって、閑職に追いやられ、心に痛手を受けた。
 しかし、まだ恵まれていた時代かもしれない。今、企業には「窓際族」を温存する余裕すらない。
 (2)リストラが進むと、会社の従業員が減少する。しかし、仕事量は減らない。繁閑が激しくなると急に仕事が増えることもある。この仕事の増加は、社内の生真面目な社員に押しつけられる。それに耐えきれず、「うつ」になる人間が生じる。
 (3)職場における社会病理が週刊誌などを賑わせるようになると、それまで言い出しにくかった心の病気について対外的に訴えるのが容易になる。そういう相談が、統計に上がるようになる。ひょっとしたら、それが「メンタルヘルスの労働相談」の数を増加させた最大の原因かもしれない。
 ただし、こういうことを書くと、「労働相談に来る相談者が皆、心の病のように言っている。けしからん」といった投書があったりする。実際、そう言われた。
 そんなつもりはない。非常識な経営者による賃金未払などの方が、メンタルヘルスがらみより、数の上ではずっと多い。
 ただ、そういった傾向をいち早く捉えられるのが相談担当なので、社会に対して警鐘を鳴らしたいと思うのである。
 きちんとした有識者や、組織的対応によって、こうしたメカニズムを正しく分析してもらいたいと思う(残念ながら私たちには守秘義務があり、個別相談の内容を開示できない
のである)。
 ********** クレームを受けると、担当者は踏み込んだアドバイスを躊躇するようになる。権限のない都庁の労働相談が、紋切り型の回答だけするようになれば、もう、その組織は必要ない、ということになる。だから、できるだけ精一杯の回答をしたい。
 相談者は、担当職員に自分の代弁者になってもらいたいと思う。しかし、それは弁護士法違反だ。
 しかし、窮状を訴える相談者は、できるだけ力づけてあげたい。とはいえ、うっかり先走った回答をすると、さらにそのトラブルがこじれる。
 実のところ、それが一番の悩みの種であった。
 ************ 新採の頃、端で見ていたときは、「労働相談は面白そうな仕事だな」と思っていた。しかし、いざ、自分が担当になってみると、ずいぶん違う。
 たくさん話しておきたいが、守秘義務もあって、お聞かせすることはできない。
 これから相談担当になる人のために、一つだけ、私の失敗談を残しておくことにする。
 4月に労働相談担当になったが、労働法のイロハも分からず、右往左往するばかりだった。しかし、そうは言っても、5月頃には、一人で相談を受けるようになっていた(というより、受けざるを得なかった)。
 5月の連休の最初の出勤日。相談が来所した。話の中身は、よくある即日解雇の問題だった。「社長から、今月で仕事をやめてくれ、と言われた。それで、翌日から会社に行かなかった。社長は怒って、給料を払わないと言っている」という中身だ。
 「即日解雇なら予告手当を支払う義務が会社にはある。もちろん、未払賃金は当然、請求できます」というのが、私の回答だった。
 まずは、あなたが社長に請求してみてください、と伝えた。これが基本的な対応だと教えられていた。
 後日、相談者が来訪し、「社長がどうしても給料を払わない」と言っている、役所の方から払うように言ってほしい、と要請された。そこで、私は社長に連絡を取り、解雇予告手当の支払と、未払賃金の精算を促した。
 そこで真実がわかった。
 「今月でやめてもいい」と言ったことは社長も認めたが、その「今月」とは5月のことだった。
 役所に勤めていると、土日・祝日は休みだという先入観がある。相談を受けたのは、5月2日。前日は日曜。「今月で辞めろ」の今月は、当然のように「4月」だと思っていた。しかし、「5月は忙しいので、それが終わったら、辞めろ」というのが、社長の言い分だった。
 解雇と即断したが、実は解雇予告だった(しかも、この社長は労働法に詳しかった)。
 相談者自身、復職の希望はない。とすれば、未払賃金の請求だけになる。一方、社長は「連休が忙しいのを知りながら、この時期に突然欠勤した、損害賠償だ」といきまく。
 私は再び相談者を呼び、事実確認をした。あらためて聞くと、相談者も「今月で辞めろ」と言われたのは5月1日だと言う。
 「そういうことなら、解雇予告手当の請求は難しいです・・・」と説明するが、今度は相談者が「話が違う」と怒り出した。
 いろいろあって、未払賃金と、いくらかの慰労金を支払うということで、双方の合意に至ったが、私は、自分の経験不足を痛感させられた。
 以来、若い相談者には、「少しばかり知識を得たときが、一番アブナイよ」と、注意を促すようにしている。
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 私には、家族がいない。しかし、相談者には家族がいる。この違いは、乗り越えられない。
 相談者から子供の話をされても、どうしても現実味が実感できない。そんな人間が、他人の人生相談を受ける資格があるのか、と悩んだ。
 家族もないまま、行き当たりばったりの生活を送ってきた私には、「明日感」がない。「みょうにち感」とは私の造語だが、「今日のように明日があり、明日のようにあさってがあり、そういった日々が続く」という確信のことだ。
 突然の解雇通告、相談者は途方に暮れて来所するが、どうしても私には「そんなに驚くこと自体が不思議」と感じられてしまう。表面上は隠しても、相談者は相手の心の動きに敏感で、当然、私の思いも看過されてしまう。「冷たい」という印象を与える。
 やはり、この仕事は向かない、と思った。
 
 ************ 後日、「どうして管理職になろうとしないのか?」と言われたことがある。
 家族がいない者は、管理職として都政を大きく動かす立場に立ってはいけない。生活者としての実感を欠いたまま、行政の方向付けをすることは許されない、というのが私の考えだ。本当なら、行政職員をやっていること自体、認めがたいのだが・・・生活があるので、そのへんは目をつぶった。
 同じ意味で、都庁職員は、東京都内に住むべきだと思う。その地の空気を吸い、生活を感じなければ、本当の都政運営はできないのではないか。
 住宅手当が極めて少額なのに対し、通勤手当が補償されるため、多くの職員は、周辺県にマイホームを持って長距離通勤している。
 そういう人たちが「都民の安全を守る大地震対策」を真摯に進められるのだろうか。心配に思う。
 ************ どうやら、当時企業が押し進めてきた無理なリストラの副作用が、ここにきて具体化してきたようだ。多くの会社が、人件費の削減のために、アジア各国に工場を移転していった。しかし、現地では、労働者賃金が上昇し、人件費節約の目論見が崩れつつある。
 一方の日本国内では、職場を転々としているうちに未熟練のままそこそこの年齢になった人が多数発生している。おまけに仕事も学校もやりたくないという若者も増え、かなり深刻な状況になっている。
 あるソフト会社の社長は言っていた。「単純なプログラム作成の仕事が、どんどん中国に行っている。たしかに、日本にいるベテランは高度な仕事ができる。しかし、単純なプログラムを組む若手が、将来のベテランに育つのだ。このままでは、ベテランもいなくなってしまう・・・」
 せめて、せめてあと30年、日本は現状を維持してほしい・・・。
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 前年、私は都歴25年になっていた。5日間の長期勤続休暇がもらえた。 しかし、旅慣れていない私には、どうしていいかわからない。休みだけとって、家でゴロゴロしていようかと思ったのだが、先輩が「どこかに行ってこい」と助言してくれた。
 旅の準備も何もできなかったので、ひとまずは大阪に行こうと思った。ユニバーサルスタジオがあったからだ。
 
 大阪で次の宿泊先を決めた。神戸に途中下車して、広島に泊まることにした。
 原爆ドームを見るのもはじめてだった。
 
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後に尾道に至った。尾道は、大林宣彦監督の尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)の舞台になったところで、一度は行ってみたかった。
 「やはり映画好きなんだな、自分は」と、再確認した。
 そういう意味では、充実した年だった。
 
   ********** と、いうような内容を書いてから、すでに10年が過ぎた。若い労働者の生活の不安定さは、解消されるどころか、さらにエスカレートしている。幸いにも私は、この歳まで公務員として暮らすことができた。それでも、老後の備えは心許ない。長生きしたらどうしようと思う。今の若者たちは、どうやって人生のつじつまを合わせていくのか、心配だ。
 ********** というような内容を追記してから、数年が過ぎた。たくさんの人に迷惑をかけた、せめてもの罪滅ぼしの意味もあって、私は、早期退職した。
 政権が代わり、景気刺激策がとられた。雇用環境が緩和された。けっこうなことである。
 しかし、その一方でブラック企業と呼ばれるような会社が出てきた。
 即日解雇の問題ばかりではなく、「辞めたくても辞めさせてくれない」「辞めると言ったら、後任者を見つけてこいといわれた」という相談も増えているようである。
 雇用が流動的になり、会社が一生のものではなくなった。「わが社」意識が薄れ、責任感という言葉も忘れられつつある。
 せめて、あと20年、日本はなんとか保ってほしい・・・。
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