健康不安が増えた
今度こそ死ぬと思った

(顛末)
月日状況
2024.12.29 衛生局時代の後輩からお誘いあり。田無で飲んだ。やめときゃいいのに、田無まで3時間近く歩いた。練馬区は広くて、どこまで行っても練馬区。
ようやく到着して、杯を重ね、帰宅はさすがに電車に乗ったが、事故があり、鷺宮で止まった。鷺宮からなら、普通は歩ける。しかし、もう足がいうことを利かない。 さらに1時間あまり歩いて、練馬駅近くにさしかかったところで、転んだ。膝をすりむいた(ポリポリ)。
2025.1.16~ 咳が止まらなくなる
2025.1.18 明け方ひどい悪寒で目覚める、熱38度超。震えが止まらない。インフルと思われた。
2025.1.19 熱はいったん下がったが、咳が止まらない(ここからが本番)。
2025.1.20再び発熱。38度を越える。
2025.1.22 発熱続く。身体の節々が痛くて、身体をひねってベットから立ち上がることができない。 しかたがないので、左足、右足の順でベットから下ろすと、やはり立てなくて尻もちをついてしまう。 (⇒ベットにふくらはぎをピッタリ付けると、立ち上がれない。当たり前のことがわからず、頭混乱。)
洗濯物がたまっているので、壁伝いに歩き、洗濯機を回す。半分干したところで、倒れた。
何とか起きようとして、腕を伸ばすが、右へ左へゴロゴロ転がるばかり。そのうち、先日転んだときのカサブタがはがれて、気が付くと、左足の膝から下が赤く染まっている
起きようとしても、手に力が入らない。半分向きを変えては、反対側に倒れることの繰り返し。
(⇒腹ばいになった状況で、腕力だけで立ち上がれるのは、オリンピック選手でもないとムリ。頭さらに混乱。)
ここに至って、死を意識する。
目の前にカゴ一杯の洗濯物。「あぁ、これがオレの人生の最後の風景か・・・」と、思う。
「やっぱいかん!せめて、洗濯くらい済ませなきゃ」と、気を取り直し、ほふく前進でソファーまでたどり着く。ソファーに座ると、どうにか立てそうだ。
そこで、残りの洗濯物を干し、2時間ほど休憩。
5日ほど絶食状態だったので、元気が出ない。
インフルなのか、コロナなのか、本当の所はわからない。AIに聞いてみた。「そういう症状は、出ない。合併症が心配される。すぐに医者に行け。」とのお達し。
家の中でさえ歩けないのに、医者に行くなんてムリだ。
(⇒それに、医者を信頼していない)。
このまま死んじゃうと困るので、終活を依頼している、OAGウエルビーRへメールをする。
OAGからは電話がかかってきて、「救急車呼びましょうか?」という。「こんな風邪が流行っている時期に、救急車呼んでも、たらい回しされるだけだからいいです。」と断る。
同様の内容をLineで流したら、友人が心配して、おかゆのセットを送って来た。でも、何も食欲がない。
2025.1.23 熱は下がったが、朝起きたら、右手の薬指と小指がない! 左手で触ったら付いていた。変な格好で寝ていたのが原因と思われる。
「本当なら、今日がオレの命日になるところだったなぁ・・・。」と、感じた。
~2025.2.1 咳は続いたが、熱が下がり、どうにか日常が戻ってきた。
人と接触すると良くないので、近所の散歩を再開した。
今回は「死ぬ」と思った。人が死ぬとは、結構、簡単なんだなと自覚した。
「天国の門の前まで行ったけど、追い返されてしまった」と人には行っている。 なんか、死ぬことが全然怖くなくなった。

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12月にも同じような事が。ただし、今回は死にそうでなかった。
(顛末)
月日状況
2025.12.1 大掃除に着手。ベランダのスノコをひっくり返して掃除(筋肉痛必至)。大型のプラモデルを解体。
2025.12.3発熱38度。いったんは普通に戻る。
2025.12.5~ 38度以上の熱が上がったり下がったり。特に、8日の夜は、妙に暑くて眠れず。12月にも係わらず冷房を入れる。AIは「体温調節ができていないので、医者へ行け」と言う。
2025.12.10~2025.12.21 ずっと、微熱が続く。この間の12.11、大崎「日本海」でプチ忘年会。
2025.12.22~ 右の鼻から濃い鼻汁。顔の深部、右目の目頭のあたりに鈍痛。ネットでいろいろ調べたところ「副鼻腔炎(わかりやすく言うと蓄膿症)」と判断。 ネットには、治療法として外科的療法、薬物療法等が載っているが、やりたくない。「鼻うがいが、効果的かも」との一文を頼りに、ドラッグストアで購入。 あっという間に楽になった。まだ、痛みは残っているが、発熱は止まる。これにて状況はいったん終了とする
今回は、「治りそうで治らない状況」がズルズルと続いた。「鼻うがいなんて、かっこ悪くてできるか」と思っていたが、反省した。

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3月18日、アメリカ大リーグの開幕戦が東京で行われた。これが、「大リーグづけ」の1年の始まりとなった。
今年の大谷の成績は以下のとおり(レギュラーシーズン)。二刀流は復活したが、リハビリしながらのシーズンとなった。
打者部門 打率2割8分2厘
打点102打点
安打安打172
二塁打25
三塁打9
ホームラン55
長打率6割2分2厘
盗塁20
出塁率3割9分2厘
投手部門 1勝1敗
防御率2.87
奪三振62
圧巻は、ワールドシリーズだ。10月24日から11月1日にかけて計7試合が開催された。
ロサンゼルス・ドジャース(ナショナルリーグ)がトロント・ブルージェイズ(アメリカンリーグ)を4勝3敗で下し、2年連続9回目の優勝を果たした。
勝ったり負けたりのシーソーゲーム。 第3戦はシリーズ最長記録の延長18イニング・シリーズ2位の試合時間6時間39分の長丁場。
山本由伸投手が、大活躍でシリーズMVPとなった(第2戦の先発で完投勝利を記録するなど、計17.2イニングを投げ、3勝0敗・防御率1.02を記録した)。
ポストシーズンから全部観た。というより、目が離せない。 敵地で、最後の最後に同点に追いつき、山本が締めた。「あぁ、生きていてよかったな」と、この時は本当に思った。

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4月29日、福祉施設に入居中の友人を訪問する。ヨメさんも大変だと思う。
経済的負担も考えると、私はとても入れない。

5月2日、飲み屋から帰ると、クレジットカードなどを入れたパスケースがない。すっかりパニック。 慌てて家を飛び出したが、道端に落ちていたりしなかった。飲み屋に行って確認するも、落とし物はない。
部屋をもう一度探してみるかと、すごすごと帰ったが、鍵を持って家を出なかった。サイフもスマホも持っていない。家に入れない。
マンションの風除室で立ち往生。完全に不審人物だ。住民は、怪しんで、裏口から入る。トホホの極み。
それでも、何人目かの住民にお願いして、『友連れ』で入れてもらった。鍵はかけていないので、部屋へは入れた。
パスケースは、いつもと違う場所に置いてあった。
こういうヘマは、二度とやってはいけない。心に強く誓った。

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7月18日、マイナンバーカードの更新を依頼。だが、マイナンバーカードを入手できたのは、8月25日。いくらなんでも、時間がかかりすぎではないか。
7月26日、マンションの管理組合の総会。今期の役員メンバーは、全員女性。なので役員になることに抵抗が強い。 総理大臣ですら女性になる時代なのに、「女だからヤダ」は通用しないと思う。
しかし、マンションの管理会社が事前に画策したらしく、しきりに私に役員をやらせようとする。 「津田さんにお願いできればと・・・」と担当者。「そうだ、そうだ」と新役員は相づちを打つ。
許しがたい。だってそうじゃないか、不測の事態(役員病気)をカバーするために、1年半やったうえに、何の理由もなく「またやれ」という。
やれば理事長は確定。ムッとしたので、「だったら、リースバックをする」と反撃した。リースバックすれば、所有者でなくなるので、役員はできなくなる。 (なお、リースバックにはいろいろトラブルもあるようで、評判は芳しくないので、乗り気ではないが・・・)。
終活やってるOAGにも問合せをし、遺言書は書き直さなくてもいいことを確認した。
そもそも、管理会社に格段の信頼を置いておいたので、このマンションに住んでいるのだ。対応がチャラすぎる。
結果的に、役員就任は逃れた。
それにしても、「暑い夏」だった。散歩なんかしたら、熱中症で倒れるのは必至。8月30日には、38.5度を記録。死ヌ~
9月1日、六本木ヒルズの「松本零士展」に行く。先年、お別れの会に行ったが、途中退席した。そのお詫び、かな?
9月11日、東京に記録的短時間豪雨がある。でも、この一雨で、危なかった水不足がV字回復した。
病気と天候不安で、今年の散歩距離はとても短くなった。1,807km。
12月をもって、本ホームページの「補助金」の項目の更新を終了した。 ホームページは、足かけ26年目にして、10万カウントを越えた。もう十分だ。

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