

遠景にアルプスの峰バスの旅
権現岳・横岳・ノコギリ岳いびつ
高原ラインに弾みをつけて赤い橋
小海線 清里駅は木の駅舎
から松を抜け標高の小海線
高原列車のリズムで白樺をぬける
単線に添う夕間暮れ 千曲川
ロッジ66 どんぐりに囲まれる
天井は木組み童話のシャンデリァ
枯れすすき秩父事件の碑を囲む
佐久平 海から一番遠い町
廃線や峠の釜飯が旨い
アプト線 男の汗が残される
戦争の足跡があるめがね橋
トンネルを一つ潜って一つの悲
清里高原
めがね橋から碓氷湖へ
小海線 JR最高駅

2007年12月 更新
初冬の旅
八ヶ岳高原からめがね橋へ



石見銀山は戦国時代後期から江戸時代前期にかけての日本最大の銀山。鉱脈は石見国東部、現在の島根県太田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にもひろがっていた。日本を代表する高山遺跡として2007年に、ユネスコの世界遺産への登録が決定された。
(フリー百科事典より)
龍源寺間歩と五百羅漢
天領というプライドが軒先に
街道の木の看板のごまどうふ
代官所跡白壁が白すぎる
街道に怖い歴史が刻まれる
不正処理の匂いも滲む代官所
銀山戦争・石油戦争裁かれる
坑道は縦横に伸びアメーバー
血の匂い汗の匂いを掘り進む
年金はなかった銀山の坑夫
江戸絵巻間歩の地獄を写し出す
銀山の五百羅漢は口ごもる
天を向く苦しいことは口にせず
ある時は笑い苦渋を噛み締める
独り離れて沈思黙考する羅漢
大声で話せば哀しみが消える
成るように成ると羅漢は空をみる
羅漢の耳に雲の彩 水の色
首なし羅漢 胸の思いが溢れ出す
2007年11月 更新
世界遺産・石見銀山への旅



川村記念美術館は第日本インキ化学工業株式会社とその関連会社が収集してきた美術コレクションを中心として佐賀県佐倉市に開館したものである。
今回大規模な改築休館に合わせて、兵庫・島根・愛知の三箇所で巡回展が開催される。
収蔵された作品は1000点を越えるが、それらは大きく四つに分類されるようだ。
第1 フランス印象派に始まるヨーロッパ近代美術
(モネ・ルノワール・ピカソ・シャガールなど)
第2 1910年から30年にかけての抽象芸術の開拓。
(カンディンスキー・エルンスト・ミロなど)
第3 戦後あるいは現代のアメリカ絵画の代表作品。
(ボロック・ニューマン・ルイス・ロスコ作品など)
第4 日本美術。
(長谷川等伯・橋本関雪・横山大観など)
兵庫県立美術館ではそれらの作品を、それぞれ広いスペースにゆったりと解かり易く展示されていて、心行くまで静かに鑑賞することができた。
劇的な光と影の黒リボン
レンブラントの自画像 誠実に老醜
肖像は鼻に光の広ツバ帽子
低い空 馬も農夫も藁にまみれる
押したら凹む肌 水浴のルノワール
裸婦と絨毯マチスの赤は刺激的
肘掛け椅子に女が沈む 夢は灰色
キュビズムで描く逞しい女
シャガールは半分燃えてあとは秋愁
白は現 紫は過去 赤は異次元
音の断面 カンデンスキーは色の踊り子
ブラックホールへカーブする亀裂
大空に浮く マグリットの白い亀
森は石化する地球温暖化
半月を握る 黄色いボリューム感
樹をゆらし空を揺らして水陽炎
チョコレートに男をどぷりと漬けてやる
迷路の深みへ黒いペイント
自由に喋りだす廃品的うらまど
豊かな水量だ 愛が滲み出る
シェイプト・カヴァンス
フリン・フロンU
シャガール ダビデ王の夢
ルノワール 水浴する女



2007年9月 更新
ヨーヨーの旅 水へのいざない
決心はコップの水を飲み干して
水青しヨーヨーの旅続いている
水中花ポーカーフェイス決め込んで
ふるさとは奇麗な水の湧くところ
ふるさとの水おとうとを忘れない
桃色の水いもうとがついて来る
逆ろうて魚影は水を跳ね返す
河童伝説ざわざわ水が騒がしい
雫してやがては迷路から迷路
水陽炎 夢なら夢のまま揺れる
ほとばしる水に昨日を差し入れる
秋あかね水の誘いにのりやすし
秋の水 飛天の胸を揺らすなり
水系は母に繋がる吾亦紅
心の位置を確めてから水を飲む
07年8月 更新

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祇園祭 宵々山
07年7月15日


ペルシャ その悠久な歴史を伝える文化遺産の展示会である。今回の展示はイスラム教が伝わる以前、つまり七世紀以前のペルシャ文化に主眼をおいたものであった。
中心となるのはアケメネス朝ペルシャの美術・工芸品の数々。有翼ライオンの黄金のリュトンをはじめ剣や杯などの金製品や、帝国の栄華をしのばせるヘルセポリスの浮き彫り・ササン朝のガラスや銀製皿など、目を瞠るものばかり。
悠久の歴史に触れる又とないチャンスだった。開催は9月17日まで。
短剣に出迎えられるペルシャ展
彩文土器 三角・四角・馬・羊
山羊は並んで幾何学模様メソポタミヤ
獣とは共存共栄 化粧土器
リュトンには山羊型把手 じゃれ合うて
牡鹿の土器はそっくり返る権威主義
笑い出す熊型土器の大きな腹
瘤牛のコブの造形 赤い土器
石と土 民族の血が流れ出す
境界石に楔形文字 呪われる
ヘルセポリスにライオンの爪 巨大な柱
騎馬民族に馬の悲しみ 馬型土器
ヘラクレスは太い唇 ギリシャ神話
ヘルセポリスは石の匂い獣の匂い
戦争はいつまで続くペルシャ文明
替植女
八乙女
田鋤き牛



ゲスト作品から

ムンク展を観て
伊藤若冲展を観て
若冲漫画ざわざわ樹下の動物会議
世紀末をはみ出す大根のしっぽ
大地踏ん張って父である鶏である
野菜涅槃図 冬瓜が哭く牛蒡が泣く
生きとし生きて青虫が透きとおる
洋子作品から
絵を見て川柳
人形劇団 クラルテ第100回・公演
佐野洋子原作 「あっちの豚こっちの豚」
日 時 平成18年9月27日 於 帝人ホール
観劇参加者 墨 作二郎・小田 明美・井上 恵津子・本多 洋子
このドラマのあらすじ
林の奥のそのまた奥の、だれにも見つからない所に豚がひとりで住んでいた。そこへ兎と狐の夫婦が来てこの豚小屋が臭いと言い、もっと文化的な暮らしをする様に勧め、小屋を壊してしまう。その日から豚は背広を着てバスに乗り、会社に出かけるようになる。豚は突然文化的社会に呑み込まれ、稼ぐことに追われる毎日を過ごす。豚は幸せとは何か、如何に生きるべきかを悩み続ける事になる。つまり、豚版ハムレットと言うところ。幸せの価値観も、自分自身のことより、人と同じか、人より裕福かで決まってしまう現代の社会を厳しく批判しているドラマ。観劇のあと喫茶店に立ち寄り、4人それぞれのドラマ吟を披講する。
小田 明美
生きるとは疑わないこと 笑うこと
デカルトが林の奥へ その奥へ
宇宙の隅に点にも満たぬ我あり
たて笛ピロロン哀しみは林の奥から
ぼくがぼくであることそれが幸せ
本多 洋子
朝日を一人で自由に食べた素朴な豚
顔の無い豚が急いで朝の出勤
青いボタン赤いボタンへ怠惰なサックス
ボクでない僕が鏡の中にいる
デカルトになって満月に帰る
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ドラマを観て川柳
2007年1月初旬 更新
ドラマ吟 2006年11月更新
文楽 「 伊賀越道中双六 」
国立文楽劇場 11月公演
近松半二・近松加作の合作で十段つづきの時代物。天明3年(1783年)大坂竹本座で初演されたもの。寛永11年伊賀上野城下の鍵屋の辻で岡山藩士渡辺数馬が、義兄の剣豪・荒木又衛門の助太刀を受け、弟の仇河合又五郎を討った。いわゆる「伊賀上野の仇討ち」の実況をもとに、浄瑠璃、歌舞伎の先行作品の影響下に創作されたものと言う。今回は「藤川新関の段」「竹薮の段」「岡崎の段」を観劇した。
以下は八木侑子さんと本多洋子のドラマ吟の連作です。
ゲスト 八木 侑子作品
肌寒し玉男のいない文楽は
不動の武者にこもる玉男の品位
すごい演技玉女に玉男乗り移る
無音の夜 糸繰り唄と雪の音
仇うちの刀に籠る妻の哀
たばこ刻む妻子をきざむ胸きざむ
神影の極意が結ぶ師弟愛
雪しんしん稚児の泣き声妻の哀
私情より義をとる武人雪も泣く
本当の心濡らしている涙
涙から真実悟る情深さ
洋子作品
生国の伊賀越え追い討ち始まりぬ
仇討ちにもルール 邂逅と離別
遠眼鏡 人の情けをはぐらかす
ひと癖もみ癖も肝の探り合い
名分と私情に揺れている涙
雪の闇シンシン太棹哭くように
赤子泣く 凍る心を刻みに来る
どんな罪して侍の子に生まれしか
子倅を血祭りにして大義名分
胸中を刻む 煙草の葉をきざむ
娘を思う老母の糸車がまわる
すぱっと頭 まぐろの尾の切り口
人形だからすっ飛ぶ首を見てられる
めんめんと浄瑠璃 四次元の太鼓
ドラマを見て川柳 2006年11月 更新
壬生狂言
壬生狂言は今から約七百年前、鎌倉時代に円覚上人によって始められたもの。上人は群衆を前に、パントマイム(無言劇)という解かり易い方法をを使って、仏の教えを説こうとした。この壬生寺の大念仏会が壬生狂言の始まりと言われている。つまり教える宗教劇としての性格が強い。近世に入ると能や物語から新しく取材もされて現在ではその曲目や戯作も三十ほどある。能狂言と異なる点は、鉦・太鼓・笛の囃子にあわせて、すべての演者が仮面をつけて一切せりふを使わないところであろう。
現在、壬生狂言は「節分会の公演」「春の大念仏会の公演」「秋の特別公演」と年三回行なわれている。
節分会の公演 から 洋子作品
壬生狂言 鬼もおかめも土の匂い
鰯は手書き憎めぬ鬼のパントマイム
雪は乱調 狂言の鬼そそのかす
ガンデンデンと鬼は仰向け 豆に撃たれる
厄除け炮烙まる文字で書く家内安全
紅梅三分 耳のうしろに鬼のざわめき
鼻をくすぐる人間くさい鬼と一日
秋の特別公演 から ゲスト 平井 玲子
いま、わたしの胸の中にもやもやとした何かがくすぶり続けている。
久しぶりに観た壬生狂言の笛・かね・太鼓だけの独特の音響が耳の奥に蠢いている。すくっと伸ばした男の指先から美しい色気が漂い、ひょうきんな仕草で笑いを誘う脇役の可笑しさなどに気持の大半を占められている。そんなもどかしさを抱いて、もう一度川柳で向き合って見た。
紅葉紅葉と手折れば鬼がやってくる
縦書きにすると曲がってしまう杖
輪廻転生 桃太郎になった蟹
現実と虚構の狭間 因果応報
それは哀しき業なのか 哭く鏡
筋書きを離れ舞い上がる蜘蛛の糸
「棒振り」はさしずめバトントワリング
ゲストの作品
鴨居 玲 展 姫路市 前田 芙巳代
出を待つピエロ 無意味なポケット
そして描けなくなった貌取り外す
青い教会 祷りだったか囮だったか
十字架傾斜 風というには重すぎる
群がる妄執 狂い候らえ踊り候え
香月 泰男展を観て
香月泰男(1911-1974)は山口県出身の油絵画家。
1942年太平洋戦争で召集され満州へ。戦後ソ連シベリアに抑留されてセーヤ収容所で強制労働に従事。これが彼のシベリア原体験となってその後の作品全体の背景となる。
戦争の事が話題にのぼると私はこの画家のことが胸を離れない。
終戦忌 ずしりと重きシベリヤ画集
防毒マスクは硝子に映る 青い慟哭
楔形に人骨並ぶ 吹雪の森
「朕」の字にうまるネガティブな 骸骨
無蓋貨車に積まれる無表情な目ん玉
埋葬地に蔓草 此処にいのちがあった
デスマスクはキリスト 皆美しく死んだ
「もの派展」を見て
「もの派」とは戦後日本美術の指標ともなる重要な動向で今も多くの問題を提起する美術運動のひとつ。日常的な「もの」そのものを非日常的な状態で提示することによって、「もの」にまつわる既成概念をはぎとり、そこに新しい世界の開示を見出そうとするものである。
アートで川柳 2006年11月 更新
平成十九年、今年も果敢にテーマに兆戦したいと思っています。皆さんも御一緒に如何ですか?
まず事始に、大阪は港のサントリーミュージアムで開催されている「ポンペイ展」をみて来ました。
日照り雨 植女御稔女参進す
雅楽鳴り白鷺一羽飛来せり
着飾って御田明るき田鋤牛
八乙女は一段高き田の舞台
田植唄さも朗々とおだやかに
御田植神事 枕草子の昔より
燕来て植女の赤をすり抜ける
さみどりへ植女は白き足を抜く
笠に手を当てて早乙女汗になる
赤たすき黄タスキ無形文化財
田の風を受け武者踊り棒おどり
曇天に奴さんだよ毛槍だよ
源平に分かれ少年棒を振る
植女やがて遊女とはなる杜若
面白うてやがて悲しき神事だな
平成のビルに覗かれ御田植神事
07年7月 更新
重要無形民族文化財指定
大阪 住吉大社 御田植神事
田植とともに田の神を祭るのはおよそ稲作とともに始まったといわれている。全国各地で田植祭りは行なわれるが、中でも特に盛大で華やかなのだ大阪は住吉大社の御田植神事である。
毎年6月14日、御田(おんだ)と呼ばれる境内の約二段歩の神田に田植をする。その間、田の中央に設えられた舞台で豊作を予祝する行事が行なわれる。
神宮皇后が大社を御鎮祭の際、長門国から植女を召して御供田を植えさせられたことに始まると言われている。植女は後に乳守の遊女になったと言う。
明治維新以来、新町の芸妓が御田植に奉仕することになったらしい。昭和54年、重要無形民族文化財に指定された。
07年6月 更新
虚と実
エッセイの欄でも述べたように、この五月私は「バックストロークiN仙台」と銘うった川柳大会に出席した。シンポジウムは「虚と実」についてであった。
句会の方はべつに兼題が出ていたので「虚と実」には関係なくてよかったのかもしれないが、折角のことだから、私は私なりの虚と実を踏まえたかたちの句をつくってみた。
いはば、私にとっては「虚と実」がテーマだった。選者の目に止まった句も、右から左へ通り過ぎた句もあった。
ここにその一部を上げておく。
タチアオイは直系 女郎花は傍系
銀河系サクマドロップス散乱
アジアからはみ出る黄色いコラーゲン
再生紙で包む桃色のアジア
青葉風 柔軟体操するスルメ
沢庵の尻尾とするめ談合せり
太郎冠者 花子を馬鹿にしないでよ
パスワード忘れてしまう花子さん
廊下を右折する九条とポリバケツ
ルノアールの背中と桃は屈折する
黄水仙だか胃下垂だか ダリ
青葉城は慢性胃カタル
文楽を見て川柳 07年5月 更新
本年4月の文楽座公演は、一部「玉藻前曦袂」「心中宵庚申」二部「粂仙人吉野花王」「加賀見山旧錦絵」であった。
縁あって私は昼・夜両方を見る事ができた。昼は笠嶋恵美子さんとご一緒に。夜は八木侑子さんとご一緒であった。
笠嶋恵美子さん・八木侑子さんからも投句を頂いたので掲載させていただく。
玉藻前曦袂・たまものまえ あさひのたもと
高槻市 笠嶋 恵美子
これは、天竺、唐土そして日本の三国において金毛九尾の妖狐が貴婦人に化け国の籠絡をもくろむという壮大なスケールの物語。今回は日本の初花姫(玉藻前)の入内に至る場面。姉妹の哀愁、親子の別れなど重量感に満ちた時代物浄瑠璃。
桜ひとひら清水の段はじまりぬ
薄雲皇子と呼ばれて哀しかり
日蝕に生まれ帝位の道閉ざす
口惜しさは謀反となりて噴き出せり
清水参籠 皇子の運命裏返す
獅子王の剣を奪ったまではよし
桂姫へ入内の催促 音沙汰なし
愛しさが憎さにかわるときに 鬼
運命の糸断つごとし首討てと
切々と娘の生い立ちを語る母
清水で拾われしより十七年
雌龍の鍬形はっと息呑む金藤次
吾子を斬る育ての恩に報いんと
十七の青春を無残に打ち砕く
自らも死して後追う外はなし
太棹の胸にじんわり もらい泣き
文楽ことば遊び 洋子作品
太棹の余韻に揺れている桜
掛詞枕詞と散るさくら
思い寝の想いの丈を月の貌
縮緬ちりり涙の色に染めかえる
道行は朧おぼろと行き暮れて
泣いている桜ほろほろ袖の海
膝に渕なして溺れる深情け
風に揉まれてこの世あの世の名残花
義理人情の極みすとんと花の首
霧深し恨みつらみの漣・小波
有明の朱を争う衣の手
見るようでまた見ぬようで恋は戯れ
包むにあまる思いを込めて小風呂敷
なまなかに吐息の溜まる長局
忍び泣き今を限りに硯の海
血の涙袖に包んでかき暮れる
胸迫る言葉瀬となり渕となり
遅かったわいのと骸抱き上げる
打ち眺め無念の涙胸に満つ
決心の刻 太棹はクライマックス
三橋節子美術館にて 〇7年4月 更新
大津市の西側、長等山の山腹に日本画家三橋節子の美術館がある。
三橋節子は昭和43年結婚を機に長等山の麓に居をかまえ、地域の自然や民話を題材にして沢山の作品を発表した。
しかし昭和48年、右肩鎖骨腫瘍によって、利き腕を切断。
以後左手で「花折峠」「三井の晩鐘」など数々の名作を生み、昭和50年35歳の若さでこの世を去った。
さくらの開花宣言の待たれる早春の一日、足元に湖の広がる小高い長等山に上って、夭折の三橋節子の美術館を訪れ、哀しいまでの名作を心ゆくまで鑑賞した。
芹なづな 小さき命抱きしめて
花折峠 素足に触れる風いろいろ
湖底伝説 早春の鐘ひびくなり
綾取りの娘に緋の衣 鬼子母神
みずうみに風は渦巻くおみなえし
からす瓜 孤高の刻を叫びおり
晩鐘は悲のいろ母に子に無明
2007年3月 更新
創造する多面体 ダリ展
(サントリーミュージアム 天保山)
腐った鳥も浜辺の月もダリそのもの
木洩れ日のなかで優しくなったダリ
パレットに埋もれてゆく両性花
秋のパズルに嵌めこむ小さな肉体
水仙は卵の殻を突き破る
階段を昇りきったらガラスの破片
デフォルメされて朽ちる肉体
イメージがぼやけて悪魔的なダリ
木っ端微塵になると昇天できる
科学か神かダブルイメージ
坐ると舐めまわされる真赤なソファー
タキシードに乾杯 催淫作用
介護されているのはくねくねのランプ
蒼いランプに抽斗がいっぱい
キャビネットには虚のたましい
髭は売られて自由に変装
柔らかい時計とやわらかいイヴと
卵に近未来 朽ちる肉体
ワイングラスも楔も肉体を噛む
葬送を奏でる白いヴァイオリン
2007年10月 更新

ドラマ吟
人形劇団クラルテ第102回公演
シェークスピア原作 「 マ ク ベ ス」
あらすじ
シェークスピア三大悲劇のひとつ「マクベス」については周知のことと思うが、かいつまんであらすじを述べておく。
スコットランド将軍マクベスは、三人の魔女から「やがては王になるお方」と予言される。
王への欲望と、謀反の罪を恐れるマクベスは妻にそそのかされながら、ダンカン王を刺殺し王位につく。
いま一つの予言は「戦友バンクォーの子孫が王になる」というもの。マクベスはバンクォーも殺害する。もう一つの予言は「女から生まれたものは誰一人マクベスを倒せない・・・バーナムの森が攻め寄せるまでは」と言うもの。
マクベスはこれらの予言に振り回され、度重なる殺戮の恐怖と虚無感で最後には命を奪われてしまう。
運命を予言された人間は、運命に流されるか、逆らうかのどちらかである。その心の葛藤がドラマに凝縮されているとも言える。
人形が演じるので、より生々しい心象風景として観客に迫ってくる。
★今回は、墨 作二郎氏と瀬尾照一氏と本多洋子の三人で観劇したので
ドラマ吟としてその競作をここに掲載することとする。
魔女の唇 本多 洋子
開演ベル人形の霊位置につく
キレイはキタナイ・キタナイはキレイ虚か実か
異次元を引っ掻き回す魔女の口
煙と消えて魔女の予言が残される
マクベスの殺意膨らむ 鼓動の耳
世間を欺く 世間と同じ貌をして
えぐるのは魔女であったり妻であったり
ざわざわとドンドン 心を逆撫でる
殺るべきか殺らざるべきかシェークスピア
裏切りはふいに心の悲をみせる
不協和音わんわん魔女が責め立てる
予言と予言捩じれて泥沼の迷路
刃青々 血の匂い発散
鼓動高まりさらには疑心と葛藤と
胎児も蛇も地獄草子の釜の中
女から生まれて命を奪うのか
自分への呪いが深い影法師
マクベスの自嘲 眠りが浅くなる
剣の森 黄泉に近づく一歩一歩
マクベスの全十六場おどろおどろ

音楽を聴いて・絵を見て・ドラマを観て・・言葉
から言葉へ何でもいいのですが、ひとつのテーマ
をみつけて連作します。連作は一句として独立性
が低いので評価しない向きもあるのですが、私は
表現の奥行きと巾を広げる意味で、ひとつの可能
性があると考えます。ここにその幾つかを紹介し
て行きましょう。