マジンガー雑感 





桜多吾作版グレート・マジンガーの「大反撃開始」にまつわる疑問を考える

「S50.1冒険王増刊」をようやくゲットしましたぜい!
で、早速読み込みましたところ・・・・・
あで? 現在単行本に収録されているものとはセリフが大幅に違うなぁ? 単行本収録版だと、アニメ版と同じくジュンが混血児のため自分の肌の色が他の人と違うことを悩んでいるのですけど、この「S50.1冒険王増刊」での初掲載時では、「戦闘訓練に明け暮らして男みたいな体格になったため、女性として周囲から見てもらえないところから悩みが始まり、果ては孤児の境遇を拗ねる」といった内容。
時系列に並べるとよく解かるのだけれど、「大反撃開始」のエピソードが発表されたのがS50.1.8発売の冒険王別冊だった。対して、テレビの第19話「雪よ若い血潮を染め抜け!!」の放映はキー局でS50.1.12である。
アニメのシナリオは一般的には概ね放映日の2〜3ヶ月前には出来ているものなので、この桜多氏の漫画がシナリオを元にして執筆されているのはほぼ間違いないと思われる。(以前、桜多氏をよく知りうる立場にある人にお聞きしたところ、当時の桜多さんは東映からシナリオを毎回渡されていたとのこと。今でも桜多氏はマジンガーシリーズのシナリオをお持ちであるという。)
また、実際のシナリオでもこのエピソードは「肌の色に悩む」というものであった。
とするとなにゆえの改変???

ここで、可能性の第一としては、「桜多氏が、肌の色に悩むというシチュエーションは黒人の人権問題に抵触するかもしれないと危惧して改変した」のではないかという推測が出る。そのため、「肌の色に悩む」という要素は排除して代わりに「孤児の境遇に悩む」という形で漫画を描いて発表したところ、テレビ放映では当初のまま「肌の色に悩む」というもので発表し、かつそれが特に問題とされなかったので安心して単行本収録時には本来の形であった「肌の色に悩む」エピソードとしてセリフを変えて収録し直した、というところであろうか?
しかし、この推測に少しく疑問とするところも出てくるのです。初掲載時バージョンだと、「たかがチンピラにからかわれたくらいで」と剣造にたしなめられて「自分のことをたんなる戦闘員としか見ていない」とすねたりするわけですが、そこには結構感情の飛躍が大きすぎると感じるのですよね。「たかがチンピラにからかわれたくらいで喧嘩なんかするな!」くらい、実の親でも普通言うと思う。育ての親にそれを言われたとしても「自分が本当の子じゃないからそんなことを言うんだ。自分のことをたんなる戦闘員としか見ていない」とまで考えるかね?
また、石鹸で自分の体を洗うのだって、それで「女の子らしい身体になれる」と考えるのは違和感があるし、雪を見て「雪が羨ましい。仲間がたくさんいて」と毎年雪が降るたびに思い悩むというのも行き過ぎの感がありますし・・・ 「仲間がたくさんいて羨ましい」のであればなにも冬の雪に限らず、春は花々が、夏なら蝉、秋だと紅葉とか、年中いつでも「仲間で群れる」光景は出てくるものなんだし。
上記三つのエピソードって、全て「肌の色に悩む」という要素があってこそ生きてくる描写ばかりなんですよね。
「たかが色が黒いとからかわれたくらいで」と怒られたからこそ、ずっとそのようないわれなき差別に悩んでいたジュンが、剣造は自分のことを考えてくれていないと反発するのだし、色が白くなって差別から逃れたいからこそムダと知りつつ懸命に石鹸で身体を洗ったり、雪を見て「羨ましい」なのではないでしょうかね。

とすると、桜多氏が当初から改変を念頭に置いていたのなら、このような中途半端な描写をするものなのかなぁ?
むしろ、桜多氏としてはシナリオのまま「肌の色に悩む」ジュンのエピソードを描いた可能性のほうが高そうに思えてきます。それを冒険王の編集者のほうが「黒人の人権問題に抵触するかもしれない」と危惧して桜多氏にも断りなく「孤児の境遇に悩む」という形に改変したのではないのかな?と。
で、そう思って改変したところ、すぐ後のテレビ放映では「肌の色に悩む」というエピソードで放映され、それが特に問題とされなかったので杞憂だったことが判り、桜多氏からの抗議もあったため、単行本収録時には元の形に戻して掲載し直したといったところでは。


いえね、あくまでも私の勝手な想像ですけどね(笑)