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区間 : | 矢島〜院内 |
根拠 : | 鉄道敷設法別表第15項 |
記事 : | もともとは横荘鉄道(後の羽後交通横荘線)が、本荘と横手を鉄道で結ぶことを目的に両側から建設しましたが、資金難により途中で中止されます。その後、開業済みだった羽後本荘〜前郷間は昭和12年に国鉄に買収され「矢島線」となり、院内までの路線として鉄道敷設法で規定され、矢島まで延長されます。しかし、その先は工事が再開されることはありませんでした。 |
区間 : | 十文字〜桧山台 |
根拠 : | 鉄道敷設法別表第16項 |
記事 : | 現在のJR奥羽本線十文字駅を起点とし、成瀬川沿いに東成瀬村桧山台へ至る路線として鉄道敷設法で規定されていましたが、着工はされませんでした。 |
秋田電車 | |
区間 : | 秋田市土手長町上丁〜末町 |
規格 : | 電気軌道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 0.5km |
特許取得 : | 昭和3年4月27日 |
特許失効 : | 昭和8年8月17日 |
記事 : | 秋田市千秋矢留町付近を起点として計画された市内軌道で、その後秋田市電として復活しています。 |
区間 : | 秋田市新大工町〜南秋田郡寺内村 |
規格 : | 電気軌道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 2.0km |
特許取得 : | 昭和3年4月27日 |
特許失効 : | 昭和8年8月17日 |
記事 : | 秋田市保戸野鉄砲町と旧寺内村(現秋田市)とを結ぶ市内軌道として計画された区間で、既に開業していた日吉〜新大工町の延長線という位置づけでした。 |
区間 : | 秋田市新大工町〜大町二丁目 |
規格 : | 電気軌道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 0.8km |
特許取得 : | 昭和3年4月27日 |
特許失効 : | 昭和14年10月7日 |
記事 : | 秋田市保戸野鉄砲町と大町とを結ぶ市内軌道として計画された区間です。 |
区間 : | 南秋田郡土崎港町地内 |
規格 : | 電気軌道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 1.3km |
特許取得 : | 昭和3年4月27日 |
特許失効 : | 昭和8年8月17日 |
記事 : | 既に開業していた秋田駅前〜土崎間の路線を、さらに延伸させようと計画されましたが、実現しませんでした。 |
羽後交通 | |
区間 : | 老方〜前郷 |
路線名 : | 横荘線 |
規格 : | 電気鉄道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 23.1km |
免許取得 : | 大正4年1月13日 |
免許失効 : | 昭和28年8月5日 |
記事 : | 羽後交通の前身である横荘鉄道は横手と本荘を結ぶことを目的に設立された会社ですが、横手〜老方間と羽後本荘〜前郷間が開通したところで資金不足に陥り、結局全通することなく昭和28年に免許失効となっています。なお、計画ルートはほとんど固まっており、途中には「蔵」「大琴」「舘」の3駅が設置される予定でした。 →[詳細] |
日進社 | |
区間 : | 雄勝郡院内町上院内〜下院内 |
規格 : | 馬力軌道 |
軌間 : | 737mm |
距離 : | 3.3km |
免許取得 : | 大正3年3月23日 |
免許失効 : | 大正11年10月16日 |
記事 : | 旧院内町(現湯沢市)の町内を東西に横切る形で計画された路線で、鍛田武治氏が経営する会社が運営する予定でした。 |
吉乃軽便鉄道 | |
区間 : | 平鹿郡十文字村〜増田町 |
規格 : | 蒸気鉄道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 4.9km |
免許取得 : | 大正7年7月26日 |
免許失効 : | 大正10年9月8日 |
記事 : | 現在のJR奥羽本線十文字駅から旧増田町へ至る路線として計画されましたが、期限までに施工認可が申請されなかったとして免許失効となっています。 |
羽後電力 | |
区間 : | 平鹿郡十文字村〜増田町 |
規格 : | 電気軌道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 3.4km |
特許取得 : | 大正11年9月28日 |
特許失効 : | 大正13年5月3日 |
記事 : | 現在のJR奥羽本線十文字駅から旧増田町へ至る路線として計画されましたが、期限までに施工認可が申請されなかったとして特許失効となっています。 |
増田水力電気 | |
区間 : | 平鹿郡十文字町〜雄勝郡東成瀬村 |
規格 : | 電気鉄道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 16.7km |
免許取得 : | 大正13年6月4日 |
免許失効 : | 昭和4年3月27日 |
記事 : | 現在のJR奥羽本線十文字駅から旧増田町を通って東成瀬村へ至る路線として計画されましたが、期限までに着工されなかったとして免許が失効しています。なお、この区間は国鉄により改めて計画されています。 |
角六電気軌道 | |
区間 : | 仙北郡藤木村〜飯詰村〜六郷町 |
規格 : | 電気軌道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 5.6km |
特許取得 : | 昭和3年2月15日 |
特許取消 : | 昭和11年3月26日 |
記事 : | 現在のJR奥羽本線飯詰駅の西側にある角間川付近から同駅を経由し、東側の旧六郷町付近へ至る軌道として計画されましたが、期限までに工事が竣工しなかったとして特許が取り消されています。 |
区間 : | 鹿角郡錦木村〜大湯村 |
規格 : | 蒸気鉄道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 7.2km |
免許取得 : | 大正9年8月13日 |
免許失効 : | 大正11年8月1日 |
記事 : | JR花輪線の毛馬内駅(現在の十和田南駅)から大湯温泉郷(鹿角市十和田大湯)付近へ至る支線として計画されましたが、免許取得からわずか2年で失効となっています。 |
区間 : | 鹿角郡錦木村〜大湯町 |
規格 : | 蒸気・内燃鉄道 |
軌間 : | 1,067mm |
距離 : | 7.3km |
免許取得 : | 昭和5年12月8日 |
免許失効 : | 昭和9年6月15日 |
記事 : | 大正11年に免許が失効した区間について、区間と運行方式を変更して再度免許を取得していますが、結局夢が実現することはありませんでした。 |
大館馬車軌道 | |
区間 : | 北秋田郡大館町松木境〜長倉町 |
規格 : | 馬力軌道 |
軌間 : | 737mm |
距離 : | 4.1km |
特許取得 : | 大正7年4月1日 |
特許失効 : | 大正8年10月2日 |
記事 : | 大館駅付近から市役所付近に至る路線として計画されましたが、わずか1年半で特許が失効となっています。ちなみに大館町は昭和26年4月1日に市制を施行しています。 |
大館軌道 | |
区間 : | 北秋田郡大館町松木境〜長倉町 |
規格 : | 馬力軌道 |
軌間 : | 737mm |
距離 : | 4.0km |
特許取得 : | 大正9年4月9日 |
特許失効 : | 大正10年10月14日 |
記事 : | 大正8年に特許が失効した区間について、ほぼ同じ条件で再度特許を取得していますが、またしても1年半で夢が潰えています。なお、大館馬車軌道と大館軌道の関係は不明です。 |
船川鉄道 | |
免許申請 : | 明治30年(→却下) |
記事 : | 船川港に敷設予定だった路線ですが、免許を取得することはできませんでした。なお、男鹿線は昭和12年に全線開通しています。 |
秋田市街軌道 | |
免許申請 : | 昭和3年(→却下) |
記事 : | 秋田市内に既に開業済みだった秋田電気軌道との関係は不明ですが、昭和5年に秋田電気軌道は秋田電車に路線を譲渡していることから、同社との競争に敗れたものと推測されます。 |
男能鉄道 | |
免許申請 : | 昭和12年(→却下) |
記事 : | 男鹿を起点として八郎潟の西側を通り能代へ至る路線として計画されたようですが、詳細は不明です。男鹿線が開通した昭和12年に申請ということは、男鹿線の開通まで構想を温めていた可能性があります。 |
大生鉄道 | |
大曲から生保内へ至る鉄道として計画され、大正5年に敷設認可願が出されましたが、その後の経緯は不明です。なお、同じ年に河原田水力電気が同区間に軽便鉄道免許を取得しています。 |
秋田臨海鉄道北線延伸 | |
愛媛県四国中央市に本社を置く大手製紙メーカー「大王製紙」は、平成元年、秋田市飯島地区に紙パルプ工場を建設すると発表しました。 製品などの輸送手段として、秋田臨海鉄道北線の利用が検討され、秋田製錬所で止まっている同線を延伸させる計画が持ち上がりました。 そのルートは、秋田製錬所の東側を大きく迂回して県道秋田天王線を高架で交差し工場へ至る、というものでした。 しかし、住民の反対運動などにより進出時期が何度も延期され、結局、平成12年に大王製紙は進出を正式に断念、延伸計画も幻となりました。 |
一米線(五城目軌道) | |
官営鉄道のルートからはずれた五城目町は、不便解消のため、五城目町長の米田貞治を中心とした町の有力者が、一日市(現八郎潟)から米内沢へ至る鉄道として「一米線」計画を立ち上げました。 しかし、計画は遅々として進まず、大正11年に五城目町の中心まで鉄道が開通したのがやっとでした。 その後はモータリゼーションの波に押されて乗客が減少し、昭和44年7月11日に全線廃止となり、延伸構想の夢は潰えました。 |
秋田空港モノレール | |
現在の秋田空港は、昭和56年に秋田市新屋町から移転したものですが、そのアクセスの悪さの解消が課題となっていました。その中で生まれた軌道系のアクセス手段としてモノレールの建設構想が持ち上がりました。 そのルートは、秋田県庁前−秋田駅−秋田経済大学(現ノースアジア大学)−御所野ニュータウン−秋田空港で、途中で交差するJR四ツ小屋駅付近に接続駅も設置する予定でした。 しかしその前提は、秋田市の人口が40万人超、御所野地区だけで1万5千人というもので、最初から無理のある構想でした。ちなみに秋田市の人口は、平成17年の33万人をピークに減少しており、御所野地区も最大で5千人止まりでした。 その後、採算の調査やルートの比較検討などが行われたようですが、結局構想が具現化することはなく、単なる夢物語で終わっています。 |
秋田市広小路モノレール | |
秋田市電の廃止間近となった昭和39年頃に、市内百貨店業界で持ち上がった構想で、秋田駅2階のステーションデパート−木内−協働社−新秋田ビル−本金のそれぞれの屋上をモノレールで結ぼうというものだったようです。
この構想も技術的な問題などにより頓挫したようですが、この構想に関する情報がほとんどなく、現段階ではその存在を実証できていません。
なお、情報源は以下のサイトです。 →http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-670.html |
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