「民間事故調」による福島原発事故「調査・検証報告書」については、報告書の全容が伏せられたまま、扇情的にメディアがその内容をつまみ食い報道したために、全文を知るよしもない国民はただメディアが伝える内容に反応するしかありませんでした。ところが、いざその報告書の実物が書店に並んでしまうと、ネット上で話題にするケースはあまり見かけません。すでにブロガーも反応し終えたということでしょうか。3月28日の記者会見では印刷出版の予定なし、と断りながら、あまりの反響で急遽3月11日に出版となった、という超短納期は印刷出版業界ではまずありえない。
いかに記者会見によるメディア誘導が巧妙だったか、みごとというほかない。
3月20日に最初の批判的コラムで書いたように、この報告書を特徴づけているのは、菅総理の言動批判でも、東電の撤退報道の真偽でもなく、じつは第3部の「歴史的・構造的要因の分析」であり、とりわけ、事故の「遠因」つまり責任は安全神話にあり、と断じた「第8章」である。前回その一部だけ引用した章の結語は、こうなっている
わかりやすい日本語に翻訳すると――反対派が安全神話の元凶、かわりに「批判的専門家」が必要、原子力ムラは自分の責任で安全規制を見直して原発を続けろ。原理原則に基づくイデオロギー的反対派の存在が「安全神話」を強化する土壌を 提供したことを考えると、建設的な原子力安全規制を提起する「批判的専門家 グループ」の存在は不可欠である。原子力政策が今後どう展開しているにせよ、 国、規制官庁、独立行政法人、電気事業者が自らの安全規制への責任を再認識し、 安全規制ガバナンスの見直しを進めるしか、原子力の安全を確保する方法はない。 (第8章「安全規制のガバナンス」 第6節「まとめ」 321ページ)民間の独立した調査団という看板を掲げるために、執筆者、つまり「ワーキンググループ」のメンバーには無名の若い研究者を起用したらしいが、そのメンバーリストが巻末(403ページ)にある。なぜか名前の記載を辞退したメンバーもいる、との断り書きがあるが、いちおう21人の名前と担当した章が明記されている。
それによると、第8章を担当したのは3名。ひとりは大学教授、そしてあとの二人はフリージャーナリストで、それぞれ元朝日新聞記者、元週刊文春記者、とある。そして、この教授が第3部全体の「パートリーダー」であり、第8章の執筆者である、と自身のブログで今回の「民間事故調」での仕事ぶりを開陳している。
ところが折も折、原発の「再稼働」が焦眉の問題になったので、それに言及せざるを得なくなった。それが、皮肉なことに「第8章」そのものの「検証」の場となっている。まず、3月8日、報告書発表直後でメディアで盛んに取り上げられた時点でのコラム。
一読、再稼働を批判しているように受け取る読者もいるはずだ。はたしてそうか?私が担当した第3部でのメッセージは、事故の背景には「安全神話」に基づく安全 規制ガバナンスの未熟さがあり、(中略)「原子力ムラ」という利益共同体に対する 建設的批判ができないような状況・文化の問題があった、ということである。(中略) このような状況を改善することなく、そのまま再稼働に向かおうとしている神経は 理解できない。 『私にとっての民間事故調』 BLOGOS 2012年03月08日 09:14本人は「建設的批判」が必要だという自説の裏付けのつもりなのだ。けれど、まったく論理が逆さまであることに気づいていない。どんなに批判があろうとおかまいなしに原子力ムラは原発推進を強行してきた、という事実が先にあるのであって、そういう事実認定の上にたてば、「事故の遠因は建設的批判の欠如」などという結論は本末顛倒でしかない。つまり、いま現に報じられている再稼働強行の動きは、自説の例証ではなくて、反証なのだ。
事実に依拠しない執筆姿勢は、国会事故調に先んじて報告書を出した背景にも顔を覗かせている。
ここではなにを言っているんだろう? 国会事故調に先駆けて報告書を出したからには、国会事故調はもはや必要ない、という意味なのか? もちろんそうではない。国会事故調はとうぜんながら、事実そのものの調査を行っている。ということは、まだ事実が解明されていないのだ。民間事故調の意義は、だから、事実の調査検証なんかではなくて、「中間因・遠因に至るまでカバーし分析したこと」だ、と言っているのである。すなわち、事実精査などなくたって思いどおりに書けた第3部、とりわけ第8章の論評・提言に意味がある、ということ。政府事故調も最終報告は夏までかかるとしているし、国会事故調についてもいつ 報告書が出るかはわからない状態である。東電に至っては自らの責任を十分に認識 しない中間報告しか出していないし、保安院にしても、自らの対応を、その組織文化 に至るまで振り返って反省しようとしていない。 このような中で、民間事故調が報告書を出し、問題の根源を直接的な原因だけで なく、中間因・遠因に至るまでカバーし分析したことの意義は、手前味噌だが、 大きいと思う。 (同上)そして23日のブログでは、「建設的批判」のないまま原子力安全委員会が大飯原発3,4号機のストレステストの結果を了承した5分会議について触れ、「自主・民主・公開」の「理念が形骸化した」ことを、「怒った傍聴者が野次を飛ばしたり、机を乗り越えて意見を言おうとしている姿」に結びつけて、こう述べている。
ようするに、彼の言う「建設的」批判とは、原発を続ける、ということを前提にした意見を指しているようだが、どうやらその裏には「賛成か反対か」という議論を排除する意図があるものか。3.11を境に世界は変わったのだ、ということが分からないようだ。フクシマの後、ドイツはすぐに脱原発に舵を切った。イタリアは原発の賛否を問う国民投票をおこなった。国民投票とは「賛成か反対か」そのものである。すると、イタリアやドイツは「賛成か反対かという二元論に陥った」愚かな国ということになる。民間有識者のグローバル度(井の中度?)に唖然とする。結局、反原発運動が一定の支持を集めることには成功しても、原子力政策の大きな 流れに掉させる状況にはならなかった。また、過激な言説を導入することで、 「賛成か反対か」という二元論に陥ってしまい、建設的な批判をすることが難しい 状況になった。 『原子力安全委員会における「公開」について』 BLOGOS 2012年03月23日 23:14以上紹介したのはブログで発表された長い論文のほんの一部だが、いくら個人のブログとはいえ、文章としてのおかしさが目立つ。報告書の作文がいくらかましなのは、文筆を生業とするジャーナリストを二人もつけてもらったせいかも知れない。せっかく報告書の核となった「第8章」だが、それを担った執筆者のネット発言から見えるのは、報告書の発表がメディアで仰々しく取り上げられて嬉しくなったのか、つい舞い上がっておしゃべりになった、無名の学者の緩んだ論理だ。