報告書の「わずか400ページという薄さが意外」だったと書いたのは、事故の真相究明なんだから、300人全員でないにせよ、主立った当事者の証言はもちろん、そうでなくても新事実として重要な関係者の発言などは、インタビュー内容がそのまま資料として文字に書き起こされて付属しているものと思っていたからでした。2月28日の記者会見ビデオでも、質疑応答にこんなやりとりがありました。
ところが実際に報告書を手にしたら、かんじんのインタビュー取材は、本文の中でコマ切れに引用されているだけで、その人がどんな問いにたいして答えたものなのかさえ、分からなくなっているところが気になりました。<産経記者> とくに、かぎかっこ(注:引用符「・・・」のこと)が、 関係者の話しことばが、いろいろ出てまいります。 この話しことばにかんしては、発言なさった被調査対象者の方々は 納得しておられる表現なんでしょうか? というのは、それぞれの発言者の方々が当事者としてこれをご覧になったとき 「いや、わたしはそうは言っていない」 ということを言ってくる余地が今後のこっているのか、お聞きしたい。 <北澤委員長> これはヒアリングに応じてくださった方々に、 オンレコの部分とオフレコの部分をはっきり分けて ヒアリングをしております。 ですから、オンレコの部分でお話しになられたことは そのままクォテーションマークをつけて引用する、 ということがあり得ます。 これはマスメディアの通常のやり方と同じで、 オンレコであれば、そのことばは公の場で述べてしまったんだ、 と、そういう解釈です。 『2.28福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)記者会見』 1:32:00〜あらためて、記者会見直後のメディアの報道ぶりを検証していたら、さっそく、この「かぎかっこ」が問題を起こしていたことが分かりました。それは、「ぞっとした」ということばが波紋を広げた証言。
このメディアの報道について3月2日、その名前を明示されなかった「同席した1人」である当の本人、内閣審議官の下村健一氏が、「意味が違って報じられている」とツイッターで異議を唱えた。ツイッターに縁のないわたしが最初に見つけたのは、それを3月5日に取り上げていたこのブログ記事。(菅首相は)バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡し、 「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」と問うた。その場に同席 した1人はヒアリングで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどう なのかとゾッとした」と証言したという。 『菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調』 読売新聞 2012年2月28日05時02分報告書を読んだわたしは、たしかに「ぞっとした」という記述に記憶がある。けれど、マーキングもしなかったので該当ページを探すのに手間取った。メディアの伝える記事からは、いったいどんなコンテクストの中での証言なのか読みとれない。さらにメディアの記事にたいして反応するネット記事の中には、その間違いを増幅しているだけのものさえある。報告書が出版された頃には、あらためて本文に照らして検証しようという動きもない。『「ぞっとした」にぞっとした話』 BLOGOS 山口浩 2012年03月05日 00:07問題の引用句が使われたパラグラフは、報告書の第3章「官邸における原子力災害への対応」にある。
どう読んでも、マイクロマネジメントにのめり込む首相にたいしてぞっとした意味にしかとれない。これにたいして下村氏はどう真相を語っているかというと、他方で、首相自身による細かな技術的判断や情報収集過程への関与を、過剰な マイクロマネジメントとして批判する声もある。例えば、11日夜の電源車の 手配に際して、(中略)「どこに何台あるか私に教えろ」と秘書官らに指示を 行っていた。(中略)「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何m? 重さは? ということはヘリコプターで運べるのか?」などど電話で担当者に質問し、 居並ぶ秘書官らを前に自身で熱心にメモをとっていた。こうした状況に、同席者 の一人は「首相がそんな細かいことをきくというのは、国としてどうなのかと ぞっとした」と述べている。(P.109)事実の解明のためのインタビューのはずが、このような恣意的な引用に利用されていることに、戦慄する。<3月2日> 民間事故調が一昨日公表した、原発事故の検証報告書を巡る報道…ツマミ喰いは 各メディアの自由だけど、《正しく認識せねば、正しい再発防止策は導けない》 という意味では、この全体イメージの歪み方は本当にマズい。同事故調に全面 協力した者の1人として、明日以降、順次ここでコメントしたい。 <3月4日> まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した 際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が 自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した “同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。 私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。 そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように 動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」 のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。 「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず 目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事 するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが 日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。 下村健一ツイートいったい執筆者はどんな有識者なのかと、また403ページのワーキンググループ・リストを見る。すると、第3章を担当したのはまたも3人。ひとりはやはり大学教授、あとの2人はふたりとも弁護士。この教授の名前をキーワードに検索をかけると、自身が執筆者と名乗って、下村氏へツイッターで返信していた記録だけが見つかった。
なんのこっちゃ、と思う。わたしは「官邸研究」論文を読まされていたのか。有識者委員会も、財団法人日本再建イニシアティブも、だんまりを決めこんで、いまだこの件について釈明はない。<3月5日> 民間事故調で官邸部分を担当しました。官邸を研究する政治学者として、石原 信雄さんや古川貞二郎さんが官邸にいたら、展開は違ったろうと想像します。 信田智人ツイートそもそもこの第3章は、引用のしかたとその脚色に特徴がある。いくつか拾い上げると、
上記p.79の2例についても、下村氏はツイートしている。・いろいろな懸念を伝えたかったが、菅首相は「俺の質問にだけ答えろ」とそれを許さなかった。(p.79) ・隣に座った武藤栄東京電力副社長に「何故ベントをやらないのか」と初めから詰問調で迫った。(p.79) ・数ヶ月後にその事実を知った枝野長官は「えっ」と驚いている。(p.80) ・班目委員長は「あー」と頭を前のめりに抱えるばかりであった。(p.81) ・電話を切った海江田経産相は「これは大変なことになる」と背筋が凍る思いがした。(p.84) ・首相はそこで「そんなことないんですね」と言うと、清水社長は消え入るような声で「はい」と短く答えた。(p.86) ・清水社長はちょっと驚いた顔をしたが「はい、わかりました」と答えた。(p.86) ・右往左往した当時の官邸の様子を振り返り、「一つのボールに集中しすぎた」と子供のサッカーにたとえてみせた。(p.94)この延長線に「ぞっとした」が来る。これは、研究論文というより、週刊誌の記事の手法を連想させるが、同時に、裁判で検察が罪状を読み上げる冒頭陳述書にも似ている。裁判では、弁護側も検察側も、それぞれの結論が先にあって、それをバックアップする証拠だけを援用し、調書を都合のいいように引用する。都合の悪い証拠は隠すのだ。どうもこの第3章は、手伝った弁護士さんの職業病が出たとしか思えない。<3月9日> 報告書P.79◆福島の会議室で東電副社長が、ベントできぬ理由を「電力が無くて 電動弁が開けられないと説明すると、(菅首相は)『そんな言い訳を聞くために来た んじゃない』と怒鳴った」…確かに、Whyに答えたら“言い訳するな”と叱られた、 というのは理不尽にも見えるが⇒ やはりあの場面は、「電力が無くて電動弁が開きません」オワリ、じゃなくて 「だから次は○○という方法を試みます」と続けるのが、責任ある者の答だろう。 あの緊迫の数日、前者のような、次の一手の提示を伴わない単なる「出来ません」 発言を、どれだけ技術系から聞かされたか… 下村健一ツイート冒頭述べたように、インタビューはそのまま資料としてテキストに起こして付録にすれば良かったのだ。もっとも、最初からインタビューではなくて、ヒアリング、つまり調書をとる目的だったのかも知れない。せっかく事故調に協力した善意も「公の場で述べてしまった」のではなくて、密室での聞き取りの対象になってしまった。
いずれにしろ、最初から設定されていたこの章の役割は、事故後の官邸の対応がいかにまずかったかを印象づけることだったのだろう。メディアが軽卒に「かぎかっこ」のエサに食いついたのも、当然のことだった。