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1, スクープ火災 | ||||
「スクープ火災」て何に? 「スクープ」としてのみ生み出される「火災記事」としておく。 報道は、難しい課題を抱えたまま、現在進行形で進んでいく、潮流のようなものだと思う。 それゆえ、記者を含めた多くの関係者の個別の利害関係を内包させたまま、大きくも小さくにもなり、 記事としてそれなりの体裁を整えて排出され、受け手もそれなりの期待感を含めて読んでいる部分が ある。 一昨年の2010年9月の障害者団体向け割引郵便制度の不正事件に端を発した村木氏の検察 捜査の問題で、大阪地検特捜部前田主任検事証拠改ざん事件が表出し、昨年は、地検の改革議論 がなされた。それも、時間の経過とともに一応の決着がなされた。この時ばかりは、強気の検察官に とっても「嫌な時代」となっていたが、それも過去形で語られるようになり、当面は、法制審議会の議論 を横目で見ながら、一部可視化の線上で裁判員裁判制度に見合ったスピーディなものとなるように、 公判前段階の一層のツメを急いでいるよう見える。しかし、この捏造事件の捜査問題を大きく取り上げ たのは報道機関だが、逆に、このような特捜検事の捜査を無自覚に支えていたのも報道機関ではな かったのかと思う。 昔から、事件の中には、「誤報道」とは、言えないまでもそれに近い報道姿勢が、世論を誤った方向 に導くことがあった。しかし、意外とそのことに当事者の新聞・TVの検証は、「・・十分な取材を欠いたこ とは認められるが、限られた時間内での情報ソースの中で作成した報道記事としてやむを得なかった。 今後は、報道姿勢の中立、公正を旨として、・・・・」とされ、終わってしまうように思える。その代表例が、 松本サリン事件だ。 毎日、様々な「報道」を作り、流す立場からは、少しぐらいの誤りは、迅速報道の中では許されること だとの思いもあり、そのことは、その仕組みからして、当然かなとも思ってしまう。1989年4月20日沖縄で、 朝日新聞社のカメラマンの自作自演のサンゴ礁損傷記事があり、そのことをカバーした5月16日付けの 謝罪記事も“誤り(虚報)”だった。この捏造事件で思ったが、行為者のカメラマンより、カバー記事を書き、 その記事を検証しえなかった編集陣に問題があるように思えた。 つまり、どこかで「醒(冷)めた眼」があってしかるべきで、編集とは、そのような立場を兼ね備えている 使命があり、現場サイドの「熱い思い込み」を、検証しうる能力が問われるものではないかと思う。今回の 特捜検事の証拠改ざん事件も、改ざんの問題を提起されているにも係らず、検証しえずに、放任した幹 部の力量にこそ「特捜検事」としての問題であるよう思える。 「スクープ火災」は、現場で出会った記者が独りよがりで作り上げた記事ではなく、どちらかと言うと、編集 の立場、つまりもう一歩先の段階の「醒(冷)めた眼」で見るべき立場の人が、サボタジューすることによって 作り上げられる記事である。 スクープを出したくて仕方がないと思う記者さんが、ありもしない「火災原因」 を勝手な思い込みで作り上げる。その構図が、どこにもチェックされることなく、かつ、その後の訂正も一切 ないまま、あたかも「既成事実」であるかのように報道機関によりなし遂げられることに、この課題の重さを 感じる。 今年(平成23年)は、終息の見えない原発事故に際して、当初の現地サイドの失策をカバーすべき、東電 本社と保安院が、揃いもそろって、実態の理解能力もそして実態を踏まえた「醒(冷)めた眼」も持ち合わせ ていなかったことが、「現地の失策」から「地球規模の失敗」へと導き、誰も責任の在りかを問われない不思 議な雰囲気が、日本的風土となりつつある。 前置きは、さておき。 |
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製品からの火災から 火災原因のコーナの「製品からの火災」のページに入れている記事です。 この記事は、12月30日と言う日が、正月になると社会面の記事が取り込まれにくくなることから、早く、記事 にしたかった。そんな勢いの中で作られたのではないかと思える。 火災による死者が発生した現場で、29日午前5時の火災で、翌日の朝刊にこれだけの「現場写真」が撮れた のは現場的には「すごい」ことだ。しかも、警察発表で「・・介護ベッドのモータからの出火の可能性・・」として いる。つまり、記者さん的には「確定情報」であり、しかもその「現場写真」が現場のありのままの状況で撮れた。 完璧な「スクープ」である。 が、翌日の小さな記事で、「電源のコードプラグが抜けていた。」と訂正記事を入れている。 それは、それなりに、「やむ終えなかった」報道であった、ように思う。 もう少しこの現場を良く見れば、ベッドのモータからの焼けだと、ベッド背面全体が焼損し、焼けの立ち上が りが頭の方に来るので、足の方が焼けが強いのはおかしい、と思うのが「火災調査的には普通の見方だ」 たぶん、足元の電気ストーブ等の接炎ではと思える。しかし、翌日31日に訂正されたのは「醒(冷)めた眼」が 働いたこととも言える。
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「ショットの火災」 記事の誤配信はあるが、その中でも「スクープ火災」と呼べるのは、現場の記者ではなく、編集しているデスクで、 この方達が容認される時に、発生する記事だ。なぜなら、「スクープ火災」となり得るには、もっともらしい科学的裏 付けを加えて、始めて「スクープ火災」と呼べる「世にも不思議な火災」が作り出されるからだ。 わざわざ、ソレらしい「原因」を作って、世論に「警鐘を鳴らす」報道姿勢のなさせるわざから作られる「火災」だ。 下の2010.04.11 新聞で「ショットで火花」と言う題で、いかにも在り得るような火災を報道している。しかし、枯草に 火花で「火」を点けるのは至難で、「警察署の談話」記事とまとめられている。
単に、警察署で言われた発表をなぞっただけの記事であったが、たぶん、「これて、ホント」となった。 で、 2010,04.16にM新聞の記者著名入りで、「科学論文」的な掲載の追いかけ記事がだされた。 この「ショットで火花」による、芝生火災となった場所は、宮城県黒川郡大和町の「ミヤヒル36ゴルフクラブ」 17番ホールと明記され、今まで、ゴルフクラブの火花で芝生火災となった事例がなかった中で、この新聞 報道により、「火打石」のような砂石が一杯あり、かつ、着火しやすい枯草が多い、「日本でも稀有なゴルフ場」 となっしまった。 火花は、可燃物を直接着火させることは難しい。可能性があるのは、可燃性ガスの雰囲気状態がある、又は、 綿のような微小火源との取り合わせの良い可燃物があり、かつ、火花(つまり高熱の金属の塊)のエネルギー が着火させるに足る必要がある。普通には、溶接の火花のように「明らかな灼熱の熱鉄」が存在する。 果たして、「火」になるかどうか、ゴルファなら、ゴルフ場の芝生が燃えないことは自明で、ゴルファの隠れタバコ が主たる原因であることは、推定されるところだ。 当初の報道記事の云々よりも、このように「あたり前の事実」に検証しえる能力がない、編集に問題があると 思える。そして、このような時に「顔を出す」学者が居られることだ。この「スイング火災 なぜ?」では、早稲田 大学教授不破章雄氏だ。 見解が、一見もっともらしい権威を与えて、あり得ないことをあるかのような蓋然性 の中で語られる「科学」的見解だ。 もっとも、今回の原発事故で、大勢の科学者の方がTVの前で、よくもこんな にもいい加減な楽観的見通しが言えるな、と思うような解説もあったが、ま、ソレとは話が違うか!。
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「火の球の火災」 古い話題だが、「雷の火災」に際して、「火の玉現象」の火災と報じた記事もある。 記事は1989年10月で、当時都内の作業所から出火した火災だった。原因は、雷が落雷した際に、誘導電圧が アース線から侵入し、電動機器用の位相コンデンサから出火した。図面の絵では、ほぼ合っている。 しかし、火災原因を面白くするためか「火の玉現象」と銘打って、さらに、副題として「国内の実例確認」とした。 なお、この記事以後20年以上経つが、このような「火の玉」による火災の事例確認はまったくない。 この時も、記事の幾つかは、現場の状況を取り込んで、そして原因の所で、さも有り得るかのようなような記事 に仕立てている。 (この記者に、これ以後の20年間の「火の玉現象」火災事例を、書いてもらいたいものだ。) |
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むすび 「火災」を話題の提供として、そのために、ありもしない「科学的記事」を作りあげる体質が、実は、最も忌避される べき姿勢だと思う。火災は、その多くが被災者を生んでいる、つまり社会的事件である。 にも関わらず、「火災」と 言うことで、人の興味を引き立てて、その対象を「科学的分析」と言うまやかしのような手法を取り入れて「スクープ」 にしてしまうもの、と思う。 これは、報道機関の人だけの責任ではなく、消防の側にも「そのような態度がある」ことにもよる。 それにしても、これらの記事に見られる「まやかしの誘導的姿勢」は、決して、朝日新聞の珊瑚礁損傷事件だけで はなく、良くあることだと思えるだけに、文字で書いて、反論の余地を与えない“報道”と言うもののあり方を考えて しまう。 常に、「醒(冷)めた眼」で、火災を見てほしいし、面白おかしく「話題づくり」にはしてほしくないものだと思う。 |