古事記伝(こじきでん)を作成した国学者 

  本居 宣長  (もとおり のりなが)
● 活やくした時代    1730年〜1801年
                  江戸時代(えどじだい)

● 活やくしたこと

   1730年  松阪(まつさか)の木綿問屋(もめんどんや)の小津家(おづけ)に生まれる。

   1752年  京都にでて、儒学(じゅがく)と医学(いがく)を学ぶ。
           姓を本居(もとおり)に改める。

   1757年  本居宣長が松阪に帰り、医師を始める。
           本居宣長が医師のあいまに、国学(こくがく)の研究をする。

   1763年  本居宣長が松阪の宿屋で国学者の賀茂真淵(かものまぶち)と出会う。
           本居宣長が賀茂真淵(かものまぶち)の弟子となり、手紙で教えを受ける。
         
          【賀茂真淵(かものまぶち)との出会い】

           本居宣長とであった時、賀茂真淵(かものまぶち)は67才であった。
          このとき、賀茂真淵(かものまぶち)は、「冠辞考(かんじこう)」を出版し、
          「万葉集(まんようしゅう)」の研究もほぼ終えていた。賀茂真淵(かもの
          まぶち)は続いて「古事記(こじき)」の研究が必要であると感じていたが、
          自分の年を感じて、古事記(こじき)の研究を本居宣長にたくしたという。
         

   1764年  本居宣長が古事記(こじき)の研究に取りかかる。

   1769年  師の賀茂真淵(かものまぶち)が死ぬ。

   1798年  本居宣長が「古事記伝(こじきでん)」44巻を完成させる。

   1799年  本居宣長が「源氏物語玉の御櫛(げんじものがたりたまのおぐし)を出版する。

   1801年  病死(72才)

   1822年  死後21年目に「古事記伝(こじきでん)」の出版が完成する。


● 人 物 評

  国学(こくがく)は、古き日本の歴史や文学などについて研究する学問である。本居宣長の功績は、古事記(こじき)を通して、江戸時代の人々に古き日本の人々の姿(すがた)を紹介したことであろう。このことが、むかしの日本はよかったという印象を与えて、江戸幕府をたおす一つの要因(よういん)になることになる。


歴史人物いちらんへもどる