廃棄場は閑散としていた。
錆の臭いのする風が吹いていた。
子猫が一匹、ゴミの山をかけのぼり、かけおりていた。
親猫の姿はない。どこかへ行ったのか、あるいは死んだのかもしれない。
ただ、子猫は元気だった。
わたしは薄く微笑むと、丘の端に立って、墓地を見下ろした。
広々とした敷地に墓標が列をなしている。周囲には緑があふれている。梢で小鳥が鳴き交わしている。そして、それだけだった。そこもやはり閑散としていた。墓地も廃棄場も、ちょうどあの工場のがらんどうのように、寒々しく、空っぽだった。あそこにあの人が眠っている、そう自分に言い聞かせてみても、少しも実感がわかなかった。
ここにあの人はいない。
わたしはあらためてその事実を認識した。
たぶん、そのためにここへ来たのかもしれなかった。
落胆はなかった。悲しみもなかった。
寂しくはあった。けれど不思議と、すがすがしいような気もした。
「わたし、海へ行こうと思うの」
語りかけるように、言った。
あの人に届くと思ったわけではない。ただ、気分の問題だった。
「行ってどうなるものでもないことはわかっているの。でも、ここに坐っていてもどうなるものでもないのは同じだわ。ここには誰もいないもの。マリアも、ヨナも、あなたもいない。もうわたしをここにつなぎとめておくものは何もないの。だから、行くの。行きたいから。それがプログラムのせいなのか、わたしの自由意志なのか、そんなことも、もうどうでもいい。どんなに考えたって、わたしはわたしでしかないもの」
わたしは工業製品だ。
それがどうした?
わたしはあの人のために作られた。けれどあの人はもういない。目的も意味ももはやなく、それでもわたしはここにいる。ただ在るように在ることしかできない。それは自由ということかもしれない。誰に仕組まれようと、何のために作られようと、わたしはわたしだ。そしてそのわたしは、海が見たいのだった。
わたしはケーブルの先にぶらさがる左腕をつかんだ。引きちぎる。ふりかえり、ゴミの山に向かって、無造作に投げた。腕はきれいな放物線を描いて飛んだ。まもなく見えなくなる。それから、カン、カン、と、ぶつかりながら落ちてゆく音が聞こえてきた。乾いた、軽い、よく響く音だった。わたしはまた少し微笑った。
足元で小さな鳴き声がしたのはそのときだった。いつのまにかそばに来ていた子猫が、不思議そうにわたしを見上げている。妙に人間じみたしぐさで首をかしげた。
「おまえもひとりなの? ママはどうしたの?」
猫はこたえない。わたしの足に体をすりよせてくる。
猫は死ねるんだね、と言ったヨナをふと思い出した。
わたしに微笑みかけてくれたヨナ。
わたしと手をつないでくれたヨナ。
夜の闇を一緒に歩いてくれたヨナ。
そのヨナももういない。マリアもいない。あの人がもういないように。生きとし生けるものは死ぬ、とマダムは言った。ヨナは“死んだ”のだろうか? そして、“生きた”のだろうか?
ヨナの“死”を悲しめばいいのか祝福すればいいのか、わからなかった。ただ急に涙がこみあげてきた。ひどく熱い涙だった。ヨナ、と、気がつくと言っていた。ヨナ、ヨナ、ヨナ、ヨナ・・・・・・わたしもどこか狂いはじめているのかもしれない。まるでマリアのようにその名だけをくりかえした。それでいいと思った。ヨナのために泣こうと思った。泣くだけ泣いたら、海へ行くのだと思った。
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