SCRAP METAL
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 その日は墓地で葬儀が行われていた。わたしもヨナも、ただなんとなく、けれど最後までそれを見守った。二人とも口をきかなかった。今度の死者もロボットを遺して逝ったのだろうか、そんなとりとめもないことを考えていた。
 葬儀のあともあいかわらず口は重かった。けれどなんとなく立ち去りかねて、廃物のなかに立ち尽くしたまま、再び人気の絶えた墓地を見ていた。
「まあ、さ・・・・・・」気分を切り替えるようにヨナが軽口を叩いたころには空が赤く染まっていた。「あんなこぎれいな墓地の上にごみ捨て場があるっていうのも、気が利いてるって言えば言えるかもね」
 わたしは愛想笑いを返すくらいしかできなかった。
 ヨナはため息をついた。行こうか、と、手をさしのべてきた。わたしはいつもより少しだけ強くその手を握った。
 そのまま帰途についた。正直、帰りたくはなかった。マリアの待つあの工場へ帰って、何をするというのだろう? 擬似家族が欲しいのだろうか? マダムがいたころはそんな関係が成立していたのだろうか? けれど今は? わたしたちはちゃんと家族の真似事ができているだろうか? わたしはそんなものが欲しいのだろうか?
 わたしはただヨナと手をつないだままいつまでも歩きつづけていたかった。あの人との夜の散歩。わたしに求めるものがもしあるとすれば、それだ。夜ももう明けなければいい。工場になど着かなければいい。そう思った。
 わたしはマリアを疎ましく思っている自分に気づいて自己嫌悪を感じた。けれどどうにもならなかった。あの人以外は何もいらない、わたしはそうプログラムされている。ヨナはあの人の代わりだった。少なくとも、ヨナの手はあの人の手の代わりだった。でも、マリアは? わたしには要らなかった。
「海へ行こうってあの人は言ったの」
 気がつくとつぶやいていた。わざと歩調をおとし、ヨナから少し遅れて、手をひかれる格好になる。
「わたしを抱きしめながら、キスをしながら、手をひいて歩きながら、海のことを話すの。あの人の話してくれる海は広くて、明るくて、やさしくて、懐かしくて、まるで、現実ではないみたいにキラキラしているの。本当に、夢だったのかもしれない。海なんて本当はどこにもないのかもしれない。わたしたちはただ海という夢をみていただけかもしれない。そう思えるくらい」
「海なら見たことがある。ママが連れて行ってくれた。あの山の向こうに、海はちゃんとあったよ」
「そう。でも、わたしの海はあの人の海だから。きっとあの人の言葉のなかにしかない海なのよ。最初から思い出でしかなかったのかもしれない。・・・・・・結局、海には行かなかった。わたしを買ったときにはもうずいぶん体を壊していたの。少し出歩くくらいが精一杯。誰もいない夜の街を、こうして手をつないで、ゆっくりゆっくり歩くの。あの人はすぐに息が切れてしまう。道端に座り込んで、わたしを抱きしめて、『大丈夫だよ』って頭をなでてくれるの。でも、震えているのはあの人のほうだった。怖かったのね。だからわたしを買ったんだわ。怖くて、寂しくて、気が狂いそうで、誰かにすがらずにはいられなかったのね。ずるい人」わたしは笑った。「自分が死ぬまでのケアはさせておいて、そのあとのことは何も考えてくれなかったんだから」
「行こうよ」
 わたしの手を握るヨナの手に、少し、力がこもった。
「一緒に行こう。海なら、僕が連れて行ってあげる」
「うん・・・・・・嬉しい」
 わたしにはわかっていた。たぶんヨナにも。わたしたちは決して行きはしないだろう、わたし自身、それを望んではいないのだ、と。わたしはただ夢を見たかっただけだ。海という夢、あの人の夢。
 涙が出そうだった。あとは何も話さずに歩いた。
 工場に帰り着いたときには月が出ていた。廃墟の輪郭がいつもより鮮明だった。割れた窓も、亀裂の走る壁も、錆びた扉も、何ひとつごまかしがきかない。何だか寒々しかった。
 ヨナが通用口を開ける。とたんに、マリアの声が聞こえた。狂おしい声ががらんどうの空間に響き渡っている。慟哭。マリアはマダムの名を呼んでいた。エコー同士が干渉し、不協和音を生み、やがてうつろな空間に吸い込まれて消えてゆく。割れた窓から青ざめた月光がさしこんでいた。可聴域に達しない残響だけがいつまでもその青い空間にわだかまっているようだった。
 わたしはヨナに身を寄せた。ヨナは少し驚いた顔をしたが、すぐに安心させるように微笑みながら、わたしの体に腕をまわしてきた。そうして寄り添ったまま歩いた。
 工場を横切り、事務室のドアを開ける。マリアの叫びが大きくなった。マダム、マダム、マダム、マダム・・・・・・ランプは消えていた。どうせもうアルコールはほとんど残っていなかった。暗闇のなかにマリアの声だけが響いている。マリアは泣き叫びながら残骸の山をかきわけていた。下半身を引きずり、腕の力だけで這い回りながら、首だけの、上半身だけの、腕を脚を失ったロボットたちを、つきのけ、ひきたおし、投げ飛ばす。落し物が見つからずべそをかいている子どものようだ。
 マリア、と、ヨナがささやくように呼んだ。
 マリアの動きが止まった。ふりかえる。表情の変化は劇的だった。それでいてどこがどう変わったのかうまく言えない。同じ泣き顔には違いないのに、それまでは恐怖にひきつっていた人工筋肉がゆるみ、安堵の表情へと配置換えをしたようだった。そうして、新しい涙があふれだす。その涙もそれまでの涙とは種類が違うのだろう。迷子がついに母親を見つけたなら、こんな涙を流すのかもしれなかった。
 わたしは見ていたくなかった。たぶん、見るべきでもなかった。特別な相手にしか見せられない表情というものはある。マリアの涙はまさにそれだ。けれどわたしは? わたしのあの人は死んでしまった、特別な相手はわたしにはもういない、だからわたしにはもうこんな表情を浮かべることは決してできない――そう思えた。マリアが憎かった。娼婦は誰とでも寝る。特別な相手というものを知らない、というよりは、特別な相手を次々にとりかえることができるのかもしれなかった。
 ヨナ、と、マリアが叫んだ。そうして、バランスを崩して倒れた。気ばかりがはやって、壊れた下半身がついていかないらしかった。ヨナ、ヨナ、と、泣きじゃくりながら、両腕をさしのべてくる。
 腰にまわされていたヨナの腕が離れるのを感じた。わたしはとっさにその腕をつかんだ。困ったような表情でふりかえるヨナを、唇をかたく結んで見つめ返す。
 ヨナが何か言おうと口を開きかけたときだった。
「誰?」
 マリアが顔をこわばらせてわたしを見た。わたしはいっそう強くヨナにしがみついた。
「その子、誰よ?」
 信じられない、信じたくないという表情。狂ったマリアの目に、寄り添うヨナとわたしは、どんな関係に映っているのだろう。娼婦にも嫉妬などという機能があるのだろうか? それともそれもまたプログラムのバグにすぎないのか? わからなかった。ただわたしはひどく残虐な気分になっていた。マリアの表情が人間的で真に迫っていればいるほど、わたしの擬似神経系はささくれだっていくようだった。
 わたしはヨナに身をすりよせながら笑みを浮かべた。嘲笑、といっていい表情だったと思う。マリアが目を見開くのが、暗闇のなかでもはっきりとわかった。
「アナだよ、マリア、知っているだろう? 何度も会っているじゃないか」
 ヨナの言葉がそらぞらしく響く。
 対するマリアの口調はぶきみなほど静かだった。
「嘘よ・・・・・・」
 棒読みのようにつぶやく。
 頭をふり、ゆっくりと両腕を持ち上げ、髪をかきむしる。
 そして、
「いやああああーーーーっ!!
 絶叫が響いた。
「マリア!」
 ヨナがわたしの手をふりほどいた。マリアにかけよろうとする、その瞬間、カツンッといやな音が聞こえた。急な負荷のせいでヨナの膝がついに破断する音だった。ヨナの体が不自然な沈み方をする。折れた人工骨格が膝を突き破り、潤滑液があふれ、破片が飛び散る。ヨナは受身さえとらずに転倒した。
 わたしはヨナの名を叫んでかけよろうとした。
 けれど、ヨナの声がそれを制した。
「だめだ、マリア!」
 わたしは見た。残骸の足をつかみ、棍棒のようにふりかざすマリアの姿を。
 とっさに腕をあげてふせいだ。いや、ふせごうとした。しかし千切れた左腕はぴくとも動かなかった。
 わたしはなすすべもなくマリアを見ていた。目を閉じることができなかった。あるいは見とれていたのかもしれない。口惜しいが、マリアは美しかった。髪を振り乱し、獣のような雄叫びをあげ、無骨な武器をふりかざす少女。瞳にはまぎれもない狂気を宿して、なまの激情をほとばしらせている。にもかかわらず、いや、だからこそ、そこには原初的な美があった。わたしは目を疑った。これが“お人形”だろうか? この狂気すらもフェイクと呼ばなければならないのだろうか? 発狂。それすらもあらかじめ仕組まれたプログラムの産物だというのだろうか?
 マリアが武器をふりおろす。女性型駆体の膝から下――そんなどうでもいいようなことを意識した瞬間、衝撃が訪れた。人工皮膚が破れ、内部フレームにひびが入る音が聞こえた。
 ああ、ああ、と、獣じみた声をあげるマリアが、倒れふしたわたしの上で、ふたたびスクラップの足をふりかざしていた。わたしは無表情にそれを見ていた。わたしも“死ねる”のだ、と思ったとたん、不思議な満足感が訪れた。誰かに殺意を向けられることは、流れ作業で解体され、ベルトコンベアで溶鉱炉に投げ込まれることとはわけが違う。わたしは微笑みさえうかべていたかもしれない。死んだらあの人に会えるだろうか、あの世とやらにも海はあるだろうか、そんな思考が脳裏をよぎった。
 マリアが武器をふりおろす。わたしは目を閉じた。
 けれど、二度目の打撃は訪れなかった。
 ただ、音が聞こえた。硬いものがぶつかる音、金属が割れる音、カーボンが砕け散る音。
 そして、何か重いものがわたしの上におおいかぶさってきた。
「ヨ・・・・・・ナ・・・・・・?」
 マリアの声が聞こえる。
 わたしは目を開いた。
 わたしの上に、わたしをかばうように、頭蓋を破壊されたヨナが倒れこんでいた。
 マリアが呆然とそれを見ている。腕から力が抜け、乾いた音をたてて、壊れた女の足が床に落ちる。
「大丈夫・・・・・・」
 ヨナがささやく。瞳は焦点を結んでいない。割れた頭蓋のなかからLEDのまたたきがもれる。
「大丈夫だよ・・・・・・ママ」
 光が消えた。
 ヨナはもう動かなかった。
「ヨナ・・・・・・?」
 マリアが不思議そうにヨナを覗き込む。肩にふれ、ゆさぶり、ヨナの名をくりかえす。ヨナ、ヨナ、ヨ、ナ、ヨ、ナ・・・・・・マリアの声、あるいは音。理性の響きはもはやない。やがてマリアはヨナの頭を抱きかかえてうずくまった。背中が震え、駆体の奥からしぼりだすような音が聞こえはじめた。

 おおおおおおおおお・・・・・・

 膝の上にヨナの頭を抱いたまま、ゆっくりと上体をのけぞらせて、マリアは吼えた。それは獣の咆哮であり、機械の慟哭だった。ギチギチと人工脊椎が鳴る。咆哮はもはや人工声帯ではなくマリアの全身から発せられているようだった。

 おおおおおおおおおおおお・・・・・・

 と、その音が止まった。
 残響が長い尾をひいて消え、あとにはただ静寂。
 ヨナの亡骸を抱き、背をのけぞらせて天をあおいだまま、マリアは機能停止していた。
 青ざめた月光がマリアを照らしていた。
 美しい、と、わたしはもう一度思った。

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