終始十数台規模の車両で運営されていた、小規模の公営バスでした。乗客の減少等の他、非効率な路線網も経営に影を落としていたようです。2008年3月一杯をもって廃止、路線は芸陽バスを中心に中国バス、トモテツバスが大半の路線を引き継ぎました。
〔参考文献〕
「バスラマインターナショナル№62」(ぽると出版)
2007(H19)年4月1日改正の時刻表。市営バスの他、三原市内の民営各社のバス路線の時刻も掲載されています。クリックすると拡大します(1/4ずつ)。
山間部を走る頼兼線。1車線の峠越えの区間もありました。
三原市内宮沖5丁目、沼田川にかかる沼田大橋の袂にありました。3階建てのコンクリートの1階部分が整備場という、公営バスらしいレイアウトでした。もっとも、訪れた時には車両の出入は全くありませんでした。
敷地内には市営から譲渡されていた芸陽バスがいます。芸陽バスは自前の三原営業所もありますが、この車庫も市営から引き継ぎ、宮沖車庫として使用。
三原はタコが有名なのですね。JR三原駅は20年ほど前に在来線も高架化されていました。ただ、駅前はこぎれいになりましたが、天満屋の閉店もあったりして、あまり活気が感じられなかったのは気になる所です。
三原市営バスで最後に残ったのは本郷線、頼兼線、市バス車庫線でしたが、一日1往復だけだった市バス車庫線は、芸陽バスに引き継がれず、そのまま廃止となった様子。
最終期の三原市営バスから
(撮影:2008年3月5日)
三原駅前
福山200か253 Non-step
型式/-
撮影場所/広島県三原市(三原駅前)
撮影日/2008年3月5日
PA-MK217FHと推測される2台も頑張っていました。
福山22く1218
型式/U-MK517J(1993年)
撮影場所/広島県三原市
撮影日/2008年3月5日
この車両は市営バス廃止後、中国バスに移籍。
京覧カントリークラブ前
福山22く496
大型車の「ブル」。黄色の帯が一本入っていますが、どういう意味だったのでしょうか。行先表示にご注目。当時は市境を越えて尾道まで走っていたのですね。
(今は市境の手前の登山口までトモテツバスが運行)
交通局車庫
福山22く1217
型式/U-MK517J(1993年)
撮影場所/広島県三原市(三原駅前)
撮影日/2008年3月5日
三原市営に最後まで残ったのは中型車のみです。
Sepember ?, 1942 - March 31, 2008
福山22く643
約20年前、1989年~1990年位に三原駅前で撮影したと思われます。当時は駅前に天満屋もあり、反対側の「ペアシティ」ビルにはニチイも入っていました。今と比べて駅前も活気があったようです(確かJR山陽本線はまだ高架化工事中)。