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京都御苑というより京都御所の方が通りが良い。しかし、現実には、天皇が住居していないので、旧御所というべきかもしれない。
今の御所は、1331年(元弘元)、光厳天皇から即位して以降、東京遷都までの歴代の天皇の居所であったわけだが、元々の御所は、今の地より西に2Kmほどのところにあったが、度々の火災で天皇の居所を変え、里内裏の一つであった東洞院土御門殿が、現在の地となった。京都御所は、事前申し込みによる見学制であり、春と秋に一般公開が行われる。一度、その一般公開で、御所内に入った事があったが、人の多さに壁壁して以来、訪れる機会のないまま来てしまった。
御所周辺の宮家や公家の屋敷跡が、今の京都御苑だが、東京遷都により、公家達も東京に移り無人屋敷となっていたものを、明治10年代に跡地を整備し、御苑となり、植樹作業などを継続的に行ってきたところから、四季折々、楽しめる市民憩いの場となっている。

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京都御苑と周辺
清所門方向 建礼門 建礼門
仙洞御所門
蛤御門

仙洞御所方向

現在地の御所は、1788年(天明8)の大火で焼失後、王朝の昔に戻っての造営が図られ、1790年(寛政2)に完成している。これは、徳川幕府が、反幕運動を抑えるという政治的意図があったという。この後、再び火災にあったが、1856年(安政3)に、寛政の時のままに再造営された。
御所の南東側に仙洞御所がある。1630年(寛永7)、明正天皇に譲位した後水尾上皇の御所として造営され、以降五代の上皇の御所として使用された。残音ながら、訪れる事がなかった所だが、小堀遠州が作庭したといわれる回遊式庭園を散策しながら、後水尾上皇の思いでも感じられればなどと思ったりする。

梨木神社

御苑の東に位置する、梨木神社は、王政復古で功績のあった三条実万を祀るもので、明治18年に創建された比較的新しい社だ。実万は、将軍継嗣問題や開国問題などで江戸幕府とことごとく対立したため落飾謹慎を命じられ、失意のうちに逝去した。
今は、実万の息子実美も祀られている。
そんな梨木神社は、萩の宮でも有名だが、境内西側にある「染井」の水は、京都名水の一つで、多くの市民が水を汲みに来る。試しに飲んでみたが、正直それほど上手いとは感じなかったが・・・

廬山寺

廬山寺(ろざんじ)の沿革
  円浄宗本山  廬山天台講寺
  938年(天慶元)  天台宗の僧良源(元三大師)が、船岡山山麓に与願金剛院を開いたのに始まる
  1245年(寛元3)  廬山天台講寺になる
  1571年(元亀2)  現在地に移される
  

梨木神社の東側にある廬山寺は、紫式部の邸宅跡として有名。白砂に映える緑の苔、その苔の上には、桔梗の花。そんな源氏物語の世界を表現したという「源氏庭」が昭和40年に造られた。訪れたのが5月中旬なので、その可憐な姿を見ることは出来なかったのが口惜しい。
鎌倉時代以降、後醍醐天皇の勅願寺となるなど、円・浄・土・戒・密の四宗兼学の寺院として、洛中の叡山とも呼ばれ隆盛を誇った時期もあったというが、今ではそんな面影も感じられない。
毎年節分の日に行われる追儺式鬼法楽は、創建以来の行事で、赤・青・黒の三匹の鬼を紅白の蓬莱マメを撒き、退散させるという珍しい儀式との事だ。

下御霊神社

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、御苑の南東、寺町通りに位置する由緒ある社。元々、京都御所の産土神として崇められ、今では厄除け祈願などで地元の人達が訪れている。
元々、下御霊神社は、上御霊神社と共に京都御所の産土神として崇敬されてきた。桓武天皇との政争の犠牲となった早良親王らを祀ったことに始まり、その時祀られた六柱に、吉備真備と菅原道真を加えた八柱が祀られている。
訪れた日、神社の大祭「下御霊祭」の準備をしている時で、多くの奉納提燈などが、飾られていた。