「哲学の道」から東に折れた閑静な所に「法然院」がある。かって、法然上人の草庵があり、弟子の住連・安楽と共に念仏修行を行ったところに建つ。住連・安楽と云えば、後鳥羽上皇が熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住連を慕って出家し、それが上皇の逆鱗にふれ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住連は死罪となったという逸話がある。そんな悲劇の舞台となった草庵跡地の法然院、今は、東山三十六峰の一つ、善気山の麓に閑寂な雰囲気を残し佇む。
今では銀閣寺や「哲学の道」から近いこともあってか、多くの観光客も訪れる所となった。通常は、境内は自由に散策出来るが、本堂内は非公開だが、4月と11月の1週間程特別公開される。
法然院の沿革
善気山 法然院 萬無教寺
浄土宗系単立寺院
1680年(延宝8) 知恩院の萬無和尚が念仏道場を建立することを発願。
弟子の忍澂が現在の伽藍の基礎を築く
石段を上り、参道の道を進む。小さな茅葺の山門が出迎えてくれる。晩秋には紅葉した木々の枝が覆っている。
山門をくぐると、両側に白砂壇といわれる白い盛砂がある。水を表す砂壇の間を通るということは、心身を清めて浄域に入ることを意味するそうだが、そんな域までは達しないまま進む。正面に方生池がある。かっては、ここにも白砂盛があり、五つの白砂壇であったが、池の拡張によって、今では二つになったとのことだ。文様は、水を意味する波や渦、或は季節を表す植物などで、4〜5日毎に、寺僧が描くとのこと。
特別公開のときに、伽藍内を見学させてもらう。庫裡玄関から入り、決して大きくはない建屋であるが、趣のある部屋が続く。
特に、本堂北側の中庭には、三銘椿(五色散り椿・貴椿・花笠椿)が整然と植えられている。このように、法然院は、椿が多く、椿をあしらった水桶など、心落ち着かせる。
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