「朝霧の巫女」舞台探訪

〜伊勢・熊野巡礼編〜



舞台探訪者の心得
 ・探訪先では、地元の人の迷惑にならないように行動する。
 ・観光地でない場所や公共施設でない場所への探訪,撮影には十分注意する。
 ・探訪者の多い場所での行動は控えめに。


 今年の「海の日」を含む休日は7/16〜18の三連休。たまたま日本SF大会と重なっていて、いつものメンバーのQLAND氏もSUGI氏も横浜行き。
 そんなわけで、一人でどこかへ行こうと思ったのだけど、新規の場所へ行くとQLAND氏やSUGI氏からブーイングが出るに違いないので、既に両氏が攻略済みで悔しい思いをしていた「朝霧の巫女」の伊勢神宮へ行ってみることに。
 旅行の計画を立てるために地図を見ていたら、何となく熊野三山も近そうに見えて来て…?
 ちなみに、計画に使った地図は、90万分の1の広域地図だったという…。

 日瑠子陛下の行幸先 −三重県伊勢市 皇大神宮(内宮)−
7月16日(土)
○7:15 松本発 −中央道−
 長距離ドライブに備えて愛車(ベルレフォーン号)のサスの減衰力を下げて、いざ出発!

○9:45 名古屋通過 −東名阪道・伊勢道−
 一宮IC付近が例によって渋滞のため、小牧JCTから東名に入って春日井ICで一般道へ。
 19号をしばらく走って、勝川ICで東名阪に乗り、あとはひたすら西へ。
 そしたら、亀山IC手前で事故渋滞にぶつかってほとんど動かなくなってしまった。
 思い切って亀山ICで降りて一度下道へ。地図を頼りに走って芸濃ICから伊勢自動車道に乗る。あとはひたすら伊勢を目指して南下。

○12:30 伊勢市着
 予定よりちょっと遅れて伊勢市に到着。
 一般に「伊勢神宮」と呼ばれるが、「神宮」とだけ称するのが正式だそうだ。内宮(ないくう)と称される皇大神宮(こうたいじんぐう)と外宮(げくう)と称される豊受大神宮(とようけだいじんぐう)を合わせた呼称であり、またはそれに加えて、別宮、摂社、末社、所管社までも含めた総数125社の総称でもある。その場合、伊勢市内だけでなく四市二郡にまたがる大組織になるそうだ。
 料金所の先ですでに内宮と外宮の二つに分かれるので、最初にどちらかを選ぶことになる。一般に外宮に参拝してから内宮へ、というのがならわしだそうだが、今回は時間が限られているので、「朝霧の巫女」関係のみに絞ることにする。事前にQLAND氏から情報を聞いていたので、迷わず内宮の方へ。

 内宮近くの公営駐車場に車を止めて、歩いて内宮へ向かう。
 鳥居前町である「おはらい町」のにぎわいを抜けて、着いたのが内宮への入り口である大鳥居。

第四巻 P92

 さすがは大観光地、連休中のせいもあって観光客が多くて、大鳥居前で写真を撮る人がなかなか途切れない。あきらめて観光客ごと撮ったのが上の写真。ほぼ作品中と同じアングル。
 この大鳥居をくぐって、五十鈴川にかかる宇治橋を渡る。


五十鈴川

 この宇治橋から見る五十鈴川の流れが幽玄で、はからずも「神域に入っていく」感じがひしひしと伝わって来る。
 橋を渡ると、清廉な空気が満ちた中を、玉砂利を敷き詰めた参道が続いている。
 第一鳥居をくぐったあたりから、頭上からセミの声が響き出す。
 第二鳥居をくぐる頃には、巨木が立ち並ぶ参道に蝉時雨が降り注ぐ、外界とは隔絶された世界が広がっていた。

内宮付近の参道

 内宮の周辺は「神域」といって、伊勢へのご鎮座以来2000年間、全く斧が入ってない禁伐林だそうだ。
 そして、さらに進むと、ついに着きました、内宮手前の石段。

「ここが第四巻 P93のモデルだねっ」

 …こんな神域でも観鈴ちんが出てくるのは、このサイトのデフォと(笑)
 まぁ、「ええじゃないか」<今回のオチはそれか

 皇大神宮(内宮)
 祭神は、天照大御神(皇大御神)。御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)。
 古代において、天照大御神は倭大国魂神と共に宮中に祭られていたが、崇神天皇の時代に宮中から移され、約60年に渡る巡行の末、垂仁天皇26年(紀元前4年)に現在の伊勢の地に鎮座したとされる。
 当初、天照大神は豊鍬入姫命に託されたが、巡行の途中で倭姫命に引き継がれた。この倭姫命は日本武尊の叔母にあたり、後に倭姫命から日本武尊に手渡された天叢雲剣は、最終的に現在の熱田神宮に移った、とされる。(以上は「日本書紀」などの伝説によるもので、史実かどうかは不明)
 「朝霧の巫女」では、熱田神宮で天叢雲剣(草薙剣)を受け取った日瑠子陛下が、次に伊勢神宮に立ち寄り、八咫鏡と思われる鏡の前に立つ。はたして、その胸中に秘めた真意は?

 石段の上では撮影禁止とされているので、内宮の写真はこれだけ。P92に、上の写真中央の杉の木の前で日瑠子陛下がお清めを受けるシーンが登場するが、見たところ実物と合ってないので、宇河先生も石段の上で写真を撮ったわけではないようだ。
 内宮の御門の前には御簾がかかっていて見えないのだが、偶然に御簾が風にひるがえって見えた御門は、熱田神宮の模様に似ていた。
 二礼二拝一礼をして参拝をすませ、順路に従って西御敷地の前へ。

「ここが式年遷宮の予定地だよ」

 作品中で日瑠子陛下が言及しているように、伊勢神宮は20年毎に新しく建て直される。これを神宮式年遷宮という。
 今年(2005年)は第62回式年遷宮の開始の年にあたり、これから8年後の2013年の正遷宮にむけて諸儀式が行なわれていく。上の写真は、その式年遷宮の内宮の御敷地。

御正殿を望遠で

 第四巻P95に上空からの構図や、御正殿の屋根を間近から見た構図があるが、どちらも塀に囲まれていて同じ構図を見る事は出来ない。
 が、順路の途中で木々の間から御正殿の屋根が見える場所があって、望遠で撮ったのが上の写真。
 作品中と千木(ちぎ)がそっくりである事が判ると思う。

 せっかくなので、参拝順路にあった別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)も参拝した後、お札などを売っている神楽殿へ。

幸鉾(さちほこ)

 お目当ては作品中に登場する幸鉾だったのだが…、\2,000はちょっとネタとして高すぎ。突発旅行のため予算が限られているので涙を飲んで見送りということに。

 以上で、内宮の参拝は終わり。
 続いて足を向けたのは、内宮の近くにある猿田彦神社。

猿田彦神社

 ここへ寄ったのには、もちろん理由がある。
 天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨(天孫降臨)した際、道案内を務めたのが、天狗のような顔の猿田毘古(さるたびこの)神であり、この神は「妖の寄る家」(P77)によると、乱裁の一族の祖神とされている。
 また、この時に猿田彦神の名を尋ねたのが天宇受売命(あまのうずめのみこと)であり、のちにそのことをきっかけとして猿田彦神から一字をもらって猿女君(さるめのきみ)と呼ばれるようになった。この猿女氏が稗田氏の始祖である。(「朝霧の巫女」第壱巻でも触れられている)
 そして、実はその天宇受売命を祭る佐瑠女神社が、この猿田彦神社の中にある。
 まさに、稗田姉妹の祖先と乱裁の祖先が一堂に祭られているのが、ここ猿田彦神社というわけなのだ。


佐瑠女神社

 …すんません、ウソつきました。
 単に、この神社の例祭のポスターがなぜか毎年少女マンガ系の絵で描かれていて、一部で「萌え神社」と呼ばれているというので寄っただけです。
 そのポスターの作者さんのサイトはこちら→きりんごミステリー さん
 しかし、この日はまだ例祭には早すぎて、ポスターは貼って無かったのだった。残念。
 天宇受売命は芸能の神というだけあって、お守りにも芸能関係のものが混じっていたのが珍しかった。

○15:00 伊勢市発 −伊勢路−
 昼食を取ったり周辺を探索したりしているうちに、予定時刻になったので伊勢市発。
 本来なら外宮もお参りしたいところなのだけど、今回は時間が勝負の企画なので見送り。
 伊勢自動車道を勢和多気ICまで戻って、一般道に降りて、あとはひたすらR42を南下。
 南紀は高速道路が無いので、車での移動は時間がかかる。高速道路が無いのをカバーするためかR42の信号は黄色点滅になっていることが多く、止まらずに走れるのがせめてもの救いだが、それでも広域地図で見ていると時間の割に距離が伸びないのを実感する。途中、「南紀に高速道路を!」の看板を何度も見たけれども、実際走ってみるとそう思います、ハイ。
 2時間ぐらい運転して尾鷲を過ぎたあたりで眠気に耐えきれずに、途中の道の駅で仮眠。まだ目的地まで半分だよ。
 15分ほど寝てから再び行軍開始。険しい山また山が続くつづら折りの峠を抜けた後、熊野市へ。
 熊野市は、熊野灘に面した砂浜の横を道路がずっと続いて行く、峠越えをした身には気持ちが洗われるような風景が広がっていた。走っていて実に爽快。
 「熊野古道」と呼ばれる熊野三山への参詣道のうち、伊勢神宮から熊野三山までの道は「伊勢路」と呼ばれている。その中でも、この尾鷲市から熊野市の間の八鬼山越えは「西国一の難所」とうたわれたほどだそうで、昔の人も峠越えの後の熊野灘の眺めは心安らぐものだったに違いないと想像したり。

○19:00 新宮市着
 熊野灘に広がる七里御浜をずっと南下して行くと、目の前に雄大な熊野川の流れが出現。
 熊野川にかかる新熊野大橋を渡ると、そこは南紀州、和歌山県。今夜の目的地である、新宮市に到着。
 駅前のホテルに、19:00頃チェックイン。予定時刻ちょうどだったのには我ながらビックリ。
 夕食を取りに駅前に出てみたけれど、…何というか、想像よりもちょっと寂しい駅前。一応ここは、熊野三山のうちの一つ、熊野速玉大社の鳥居前町のはずなのだけれども…。
 とりあえず駅前の食堂で夕食をすませて、明日に備えて就寝、就寝。

  熊野巡礼編へ続く