今でも神保町の古書センタービルに事務所兼直販店がある新世界レコード社の話をします(後記:2007年7月3日閉店と聞きました:「歳月人を待たず」の感があります)。 元来は共産圏特にロシア書籍文物の輸入商社だったが、新世界レーベルとしてメロディア(MKマーク)やスプラフォン(ARTIAマーク)の音源によるレコードを出していた(歌声喫茶や銀座にロシア民芸店「白樺」があった70年中頃まで)。日本レコード協会会員社の変遷によると、1956年入会、1975年退会とある。製作は日本ビクターだったのでレコード製作から手を引いたときメロディアは日本ビクターに、スプラフォンは日本コロムビアに版権をそれぞれ移譲したようだ。 旧ソ連が没収したフルトヴェングラーのテープにもとずき90年頃発売されたメロディアシリーズを薄暗い事務所に買いに行ったら、売れ残りがわずかで驚いた覚えがある。韓国で出されたDGのLPセット(Live Recordings 1942-1944 returned from Moscow)とそのシリーズは一部内容が重なっていた。ライブの録音はあまり音がよろしくない(音質が一定でない)がその演奏がよけければフルト氏以外の演奏が含まれていてもかまわないと思っている(クナ氏と同じくフルト氏のだめな演奏だって沢山ある)。ギレリスやリヒテルやムラヴィンスキーのレコードも多く出していました。以下に新世界レーベルのいくつかを紹介します。
MKマーク:ウラル民謡合唱団による<ウラルのぐみの木>。MKマークは不思議なロゴだと思っていましたが80年以上の歴史を持つロシアの書籍商(http://www.mkniga.ru/)Mezhdunarodnaya Kniga (International Book)のマークでした。
ムラヴィンスキーの十八番のショスタコビッチ交響曲5番。トスカニーニばりに少し軍隊調ではありますが一糸乱れぬキビキビした演奏です。レニングラード・フィルハーモニー交響楽団との組み合わせによるムラビンスキーのショスタコビッチを聞いてからカラヤンがショスタコビッチを演奏するのを止めたという話があります。又、ムラビンスキーはチェコフィルでのターリッヒのドボルザークを聴いて以後、ドヴォルザークを演奏するのを止めたという話です。曲と指揮者と楽団の仕合せを感じます。カラヤンは何を振っても不出来なものはないと感じられますので、彼がショスタコビッチを演奏したらそれなりに面白いとは思いますが(10番だけは録音があるらしい)。
他に愛聴しているのはタチアナ・ニコライエヴァ(piano)のバッハBWV-1080「フーガの技法」SMK-7587-8など、このレーベルのものが結構あります。
SUPRAPHON "ARTIA SHINSEKAI PRODUCTION"の10インチ盤<新世界より>。1949年録音の音質やレーベルを云々するよりもこれは素晴らしい演奏です。チェコフィルでアンチェルの前任者位にしか思っていなかったのですがターリッヒは大指揮者でした(因みにアンチェル指揮「新世界より」も私の愛聴盤です)。Artiaはチェコの出版社でしたー東独レコード会社VEB Deutsche Schallplatten(レーベル名Eterna/Amiga)とその母体だったLIED DER ZEIT(出版社)の関係を連想します。ハープを弾くライオンの紋章も見えます。ドボルザーク(ドボルジャック)はチェコのライオンと楽譜出版者のジムロックから呼ばれたことがありました。PRESSED BY VICTOR COMPANY OF JAPAN LTDの記述も見えます。
話は変わりますが、古くは講談社King、日本リーダースダイジェスト社、河出書房など出版社が月極め契約でレコードを配布する時代(1960年代初頭)がありました。他にも日本メールオーダー(レーベル名=コンサート・ホール・ソサエティ)などレコード通販もありました。1970年前後にはB級レコードレーベルがいくつも存在しました: HOMEROS RECORDS(ホメロス音楽配給株式会社)やFRC(フェーマスレコードクラブ)など、いわゆる企画会社でカラオケ音楽やアニメソング・戦隊もの・アングラ音楽なども配給してその中には今では名盤・珍盤として面白いものがあります。FRCには「ジミー竹内とエキサイターズ」などの演奏も含まれていました。ホメロスには木村好夫のギターとホメロス・レコーディング・オーケストラによる「不滅の古賀メロディー」。これらのB級レコードに惹かれる自分がいます。ハードオフなどでアニメソングやアイドルEPを漁っている若い人となんら変わりません。
私はMood Musicのジャンルでは新品レコードを買ったことがありません。現在ハードオフは店舗数を減らしましたが、世紀の変わり目頃迄は中古レコードが一枚100円で段ボール箱に無造作に入れられて売られていました。その多くが内外のMood Musicでポールモーリア楽団・ハウゼ楽団・バッキー白片とアロハハワイアンズなど楽団ものと中心的な独奏者によるもの(ニニ・ロッソや木村好夫やジミー竹内)でなんやかんや50枚以上集めてしまいました。1960年代は未だ海外旅行が夢の時代だったのでバッキー白片の豪華なアルバム「ハワイ音楽のすべて」(テイチク1968年4月発売)はハワイのカラー画像を満載したハワイ案内とも言えました。タンゴも主に戦前戦後流行し「コンチネンタル・タンゴのすべて」(テイチク1966年12月発売)はタンゴの歴史から踊り方まで解説されていました(演奏は東京タンゴ・オーケストラ)。アンデスのケーナなどフォルクローレは1970年代に紹介されたものが多い。演奏者は主にフランスで活躍した南米出身の音楽家で、現地の民謡とは異なる。本来民謡はMood Musicではないが、それを受け入れやすくしたものがポピュラー音楽上フォルクローレと呼ばれる。それぞれのアルバムがその時代を象徴しているーその時代を知る老人には懐かしくその時代を知らない若い人には新鮮に感じられる。1975年〜1980年代前半はクロスオーバーの時代ともいえ内外で流行しました:渡辺貞夫/スパイロ・ジャイラ(アオミドロの学名のもじり)/ネイティブ・サンなどジャズ風さわやか音楽。奇妙にも曲の内容だけでなく曲名まで似通っています(Morning何とか)。同じころ日本のフォークでも「風」というグループがあって中間的な音楽を作っていました。各時代には同じ風が吹いていて分野が違っても共通の核があるようです。