いぬぢる版・未来日記 前篇

(「妄想日記」より転載)


 



          

「いぬぢる版 未来日記 その1」

 馴染みの古本屋で、ちょっと変わった本を見つけた。
 古ぼけた羊皮紙で装丁されたその本には「運命の書」というご大層なタイトルが書いてあり、一番奥の棚の片隅でひっそりと埃をかぶって埋もれてた。
 これはどんな代物だいと尋ねると、店主は神妙な顔で、この本には持ち主となる人間の未来が全て書き記されているんだ、そう言って500円でいいから買わないかと言ってくる。
 そんなに大したモノにしちゃ、随分と安いじゃないか。そう言ってやると、彼は渋々といった様子で、この本をなるべく早く手放したいような意味のことを言うのだ。
 あまり釈然とはしなかったが、なにせ500円だ。駄目で元々、うまくいけばいい暇つぶしになるだろう。そう思って、結局買うことにした。

 家に帰ると、着替えもそこそこに本の梱包をひもといた。
 巻頭には、作者のお言葉らしきモノが記されている。
「この書を読む者には、このさき訪れる全ての運命が告げられる。それを前にしてはあらゆる努力が徒労に終わる。夢も希望も、怒りも絶望も、全ては意味のない無益なジョークのようなものなのだ。いうなれば、あなたの人生は台本に沿って進む役者の演技のようなもの。大いなる結末に向けて、自由意思のない三文芝居を続けるていく。・・・」
 ふん、いいじゃないか。いまの私にはおあつらえ向きさ。所詮報われることのない無駄な努力の連続でなりたってきた人生だからな。
 どれどれ、私にはどんな未来が待ち構えているのか、ひとつ教えてもらおうじゃないか。
 ランダムに頁を開くと、そこにはこう書いてあった。

    「2004年10月31日の行状」

「もう何もかもいやだーっ!」
 オレは床に寝そべって子供のように足をばたつかせ叫んだ。
 どうしてこう何もかもうまくいかないのだろう。会社は解雇され、妻子は愛想を尽かして出て行ってしまった。
 飼っていたペットも天寿を全うし、いまやオレは天涯孤独の身だ。いっそのこと栃木あたりで温泉芸者にでもなっちまおうか。
 そんな自暴自棄な考えが頭をよぎったが、温泉芸者というのは、あれはあれでかなり肉体に過酷な仕事のようだ。
 なにせ温泉に棲むのだから、四六時中高温に耐えうる皮膚構造、そして水中で自在に芸を披露する俊敏な身体能力、こういったものを兼ね備えていなければ、とても一人前の温泉芸者とは言えないのだ。
 というわけで、このプランはボツ。他のライフスタイルを模索しなければ。

 そんな感じで物思いに耽っていると、床下からかすかに、トントンとなにかを叩くような音が聞こえた。
 ん、誰か冬眠でもしてるのかな?
 しばらく放っておいても、まだ音は鳴り止まない。無性に気になるので、畳みをめくり上げ、その下の床板をひっぺがした。
 縁の下の暗がりに目を凝らすと、2畳ほど向こうに弱々しく動く人の影が見える。やっぱり冬眠してた人だ。
 珍しいので傘を持ってきて、ツンツンとつつくと、その人は日の光を求めて床の穴からぬっと顔を突き出してきた。
 青白い顔、痩せ衰えた躯、薄汚れた蓬髪に伸ばし放題の髭。かなりの高齢に見える。
 ジジイ好きのオレとしては放っちゃおけねえ。手を貸して引っ張り上げた。
 畳の上に座り込んだ老人はしばらく呆けた様子でポカンとしていたが、やがてポツリと言葉を漏らした。
「いまは何年じゃ?」
「・・・は?」
「いまは西暦何年じゃと訊いとる」
「2004年だけど・・・」
「ふーむ、あれからもう10年にもなるのか」
 なにやら感慨深げな様子で一人うんうんとうなずいている。
「儂はきよい荘ならびに、ここいら一帯の賃貸住宅を束ねる、先代大家、大塩公八郎じゃ」

 しばし言葉もなく顔を見つめてしまった。
 そう言えば風の噂に、先代大家は謎の失踪を遂げたと聞いていた。それがどうして、きよい荘の地底で冬眠を?
 オレの疑問を見透かしたかのように老人の独白が続く。
「その昔、儂は自分で言うのもなんだが、店子たちに愛される、良い大家じゃった。
「困っている者を見ると放っとけん質の儂は、あの当時中国から出てきたばかりで蛇頭への借金に苦しんでいた××の一家を、ただでアパートに住まわせてやった。それが間違いのもとじゃ。
「最初のうちは奴らもしおらしい面もちで、このご恩は一生忘れませんなどとほざいておったが、いま思うとそれも策略だったのかもしれぬ。故郷から送ってきたタクアンだ、食べてくださいなどと抜かして、少しずつトリカブトの毒を儂に盛っていったのだ。
「原因不明の病でだんだんと衰えていく儂を、××の一家は看病する振りをしてきよい荘の地下牢に閉じこめた。そして、煉瓦塀で階段を封じ込め、儂の存在を世間から抹殺したのだ」
 淡々と語る彼の口調からは、言いしれぬ無念と、狂おしいまでの怨念が感じられた。
「××一家はその後、K川と名を変え、儂を言いくるめて書かせた遺言状によって、全ての財産を手に入れた。この儂が自らの血と肉とを引き替えに手に入れた金と土地と人と。全ては強奪され、汚されたのだ」
 思い詰めた顔をして俯くその横顔には深い無数の皺が刻まれ、その怨みの念の深さとは裏腹に、どうしようもない無力さをさらけ出していた。
 やがて顔を上げた老人は縋るような顔で言葉を投げかけてきた。
「悔しいが、いまの儂にかっての力は無い。独りでは、復讐はおろか、奴らの牙城に近づくことさえも叶うまい。
「哀れな老人の生涯最後の頼みじゃ。儂の復讐に手を貸してくれんか?」

 面倒なことになった。あの強大な権力を誇る大家に反旗を翻せというのか。ただの無力な、人生の落伍者であるこのオレに・・・。
 だが、どうしても老人の頼みを断る言葉は口をついて出てこないのだった。

 


 この本がこの世にふたつとない、特別な書だということは判った。でも、ひとつ腑に落ちないことがある。持ち主の未来が全て記されているというこの本。どうして、どうしてこんなにも薄っぺらなんだろう? 何年、何十年分の重みを持つはずなのにどうしてこんなに軽いんだろう?
 私はこの先、一体どうなってしまうのだろう?

 かけがえのない特別な宝を手に入れたはずのいま、なぜかとても恐ろしい。もし巻末まで読んでしまったら私という存在の全てが終わってしまう。そんな気がして、無性にこの本が恐ろしい。
 でも、気が付くといつのまにか本を手にとっていて、指は勝手にページをめくっているのだ。少しずつ終末へと向かって・・・。

          




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