蘆名盛員(あしな・もりかず) 1296?〜1335

陸奥国蘆名氏。蘆名盛宗の二男。蘆名判官と称す。出家号は道円。
元徳元年(1329)、父・盛宗の隠居を受けて蘆名氏の家督を相続した。
正慶2:元弘3年(1333)2月、鎌倉幕府の命に応じて、後醍醐天皇勢を追討するため畿内に出陣した。
建武2年(1335)7月、信濃国にて挙兵した北条時行が鎌倉を制圧した際(中先代の乱)、本宗家(三浦介)の三浦時継やその同族の三浦時明(若狭判官。三浦景明の子で、時継の再従兄弟にあたる)が時行方に与したのに対し、盛員や時継の子・三浦高継らは足利方に属した。
盛員は長男の高盛とともに、足利直義と合流した足利尊氏の軍勢に属して奮戦したが、同年8月19日の辻堂・片瀬原の合戦で父子ともに戦死した。享年40ともいうが不詳。法名は正伝院殿月圃道円大禅定門。
『太平記』では、盛員は時継らとともに北条時行方に与したとしているが、足利方の文書で「御方打死人数」にその名が見えることから、足利方に与したものと思われる。