通称は彦三。河内守・太郎左衛門尉。美濃国西保(神戸)城主。不破通直の子。美濃国不破郡の豪族で、早くから土岐氏に仕え、次いで斎藤氏、元亀元年(1570)には織田氏の幕下となる。斎藤氏に仕えていた頃は美濃三人衆に比肩するほどに重用され、三人衆に光治を加えて「西美濃四人衆」と呼ばれていた。天正3年(1575)に織田信長の越前攻略に従軍し、勲功あって柴田勝家の与力大名として越前国府中10万石を前田利家・金森長近と共に賜り、3万3千3百余石を領有する。天正8年(1580)12月14日没。