遠江国の国人領主。井伊直満の子。幼名は亀之丞。肥後守。遠江国井伊谷城主。
遠江国の井伊谷を本貫地とする井伊氏は、南北朝期には南朝方として名が見え、室町時代に今川氏親が遠江国を勢力下に収めた頃より今川氏に属したと思われる。
天文13年(1544)12月、父の直満が重臣・小野和泉守の讒言によって駿府で今川義元に殺害されると信濃国伊那郡の松源寺へと逃れ、10年にも及ぶ潜伏生活ののち、小野和泉守没後の天文24年(=弘治元年:1555)2月に井伊谷に帰り、井伊氏嫡流で従兄にあたる井伊直盛の養子となり、元服して直親と名乗る。
永禄3年(1560)5月の桶狭間の合戦で直盛が戦死すると直親が井伊氏の家督を継ぎ、同じく桶狭間の合戦で討死した義元の子・今川氏真に仕えたが、永禄5年(1562)に松平元康(のちの徳川家康)と織田信長に内通して謀叛を企てているとの疑いをかけられ、この陳弁のために駿府へ向かったが、同年12月14日、途中の遠江国掛川で掛川城主・朝比奈泰朝の軍勢によって討たれた。享年27。
なお、没日を同年3月2日とする史書もある。