徳川家臣。三河国牛久保に生まれる。通称は藤助・平右衛門。
初め、牧野右馬允成定に従って軍功があり、今川氏真より偉功を称せられた。
のちに徳川家康に属して牧野康成に付せられ、康成と共に各地を転戦、駿河国興国寺・長久保・上野国大胡の城を守衛した。
その後に牧野康成・岩瀬氏俊・山本帯刀らと岡崎に入り、御家人となる。
天正3年(1575)7月、遠江国諏訪原城攻めに功があった。
天正18年(1590)の小田原征伐を経て家康の関東入国の際には下野国足利・上野国山田・勢多の3郡内で3千石を与えられた。慶長6年(1601)には上野国佐位郡で加増されて1万石の領主となり、上野国伊勢崎城に居住した。
慶長17年(1612)10月22日死去。74歳。墓所は伊勢崎天増寺。