色部勝長(いろべ・かつなが) ?〜1568

上杉家臣。揚北衆。色部憲長の子。通称は弥三郎。修理進。越後国岩船郡小泉荘平林城主。
天文3年(1534)頃、父・憲長の死没を受けて幼少で家督を継ぐ。
永禄2年(1559)10月28日、上洛した上杉謙信が京より帰国すると諸将は太刀を献じて祝賀したが、色部氏も披露太刀の衆として名を連ねている。
勝長は永禄4年(1561)9月の川中島の合戦:第4回で戦功を挙げ、9月13日には謙信から『血染めの感状』を賜った。
永禄7年(1564)に下野国唐沢山城を攻めたおりにも功があり、攻略後には駐留して残務の処理にあたるなど、信任が厚かった。
永禄10年(1567)、越後国本庄城主・本荘繁長が甲斐国の武田信玄に内通して謙信に背くと、勝長は謙信軍として本庄城を包囲した。年が明けて1月9日、繁長は謙信軍に夜襲をかけたが、その合戦において戦死した。