長尾景長(ながお・かげなが) 1469?〜1528

山内上杉氏の重臣。下野国足利長尾氏。鎌倉長尾景人の二男。長尾定景の弟。通称は新五郎。但馬守。笑泉斎と号す。
この足利長尾氏は、関東管領上杉氏に仕えた長尾氏の惣領家・鎌倉長尾氏の嫡流にあたり、父の景人が文正元年(1466)8月に下野国足利荘の代官職を与えられ、その経営のために足利荘の勧農城に移ったことから足利長尾氏と称されるようになった。
景人のあとを継いだ兄の定景が早世したため、明応5年(1496)頃までに叔父の房清の後見によって家督を継いで下野国足利城主となり、のちに関東管領職を世襲する山内上杉氏の家宰となった。
永正7年(1510)6月に主君・上杉顕定長森原の合戦で戦死したのち、顕定の養子となっていた上杉憲房(実父は上杉周晟)と上杉顕実(実父は足利成氏)が跡目をめぐって抗争を起こすと、景長は憲房方に与し、永正9年(1512)6月に顕実の拠っていた武蔵国鉢形城を攻略して憲房方の優位を確実にした。
大永8年(1528)1月15日に死去。享年60。寛正4年(1463)生れの享年66とする説もある。法名は長林寺殿笑岩禅香大居士。
画図の技に長じ、画家としても著名。狩野松栄に技法を学び、菩提寺の長林寺に自画像や山水図の作品を残している。その画才は子の長尾憲長、孫の長尾当長にも継承され、3代の自画像が栃木県足利市の長林寺に所蔵されている。