上杉憲房(うえすぎ・のりふさ) 1467〜1525

山内上杉氏。上杉周晟の子。第14代関東管領・上杉憲実の孫。第18代関東管領・上杉顕定の養子となった。通称は五郎。兵庫頭。
永正6年(1509)6月、長尾景春の拠る上野国白井城を攻略して景春を逐い、7月下旬には養父・顕定と共に、顕定の実弟・上杉房能を討った長尾為景を討伐するために越後国へと侵攻した。
この侵攻戦において一時は為景と越後守護・上杉定実を越中国へと逐うが、逆襲に転じた為景によって顕定が永正7年(1510)6月に敗死(長森原の合戦)すると、白井城に撤退した。
この間にも長尾景春や長尾為景と結ぶ北条早雲が侵攻を企てていたが、長享の乱以来の確執を残す扇谷上杉朝良との連携を復活させ、早雲を共通の敵として相模国権現山に援兵を派遣し、その進出を挫いている(権現山城の戦い)。
顕定の没後、同じく顕定の養子(実父は古河公方・足利成氏)となっていた上杉顕実が家督と家職を継承して武蔵国鉢形城に拠ると、これに反発して上野国平井城に拠って顕実に対抗し、永正9年(1512)6月に鉢形城に拠る顕実を破って下総国古河に逐い、山内上杉氏の家督を勝ち取って第20代の関東管領となる。
しかし早雲、ついでその後継の北条氏綱の伸張を抑えきれず、大永5年(1525)3月25日に病没した。59歳。法名は竜洞院大成道憲。