徳川家臣。内藤清長の嫡男。通称は金一郎・弥次右衛門。佐貫城主。
御先手に属し、永禄6年(1563)の三河一向一揆の鎮圧(上和田の合戦)に活躍して以来、数々の武功を立てた。
天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦に従軍、小幡の合戦で功名を立てた。天正17年(1589)、羽柴秀吉から豊臣の姓を授けられる。
天正18年(1590)、徳川家康が関東に転封したときに上総国佐貫城2万石を領した。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役においては伏見城を鳥居元忠と共に死守する(伏見城の戦い)も、激しい戦闘の末に討死した。
遺領は子の政長が継いだ。