今川一族。今川範忠の弟・小鹿(今川)範頼の子。母は犬懸上杉政憲の娘。通称は新五郎。
駿府郊外の小鹿の地を領有したため、小鹿姓を称した。
文明8年(1476)4月に従兄で今川氏第6代の当主・今川義忠が戦死したとき、その嫡子・龍王丸(のちの今川氏親)が幼少だったため、今川家中は次期家督をめぐって龍王丸派と範満派に分裂する内訌が起こったが、密接な関係にあった堀越公方・足利政知や扇谷上杉氏の家宰・太田道灌の支援を得て、範満が家督を代行することに落着した。
しかし龍王丸の成人後も家督を握り続けたことに対する家中からの不満、加えて文明18年(1486)の太田道灌の死没、その後の扇谷上杉氏と山内上杉氏の抗争(長享の乱)によって後ろ盾が脆弱となったところを、長享元年(1487)11月に龍王丸の叔父・北条早雲に攻められて敗死した。