武田家臣。信虎時代からの侍大将。備中守(古備中)。信濃国海尻・小諸城代を務めた。
郡内の小山田氏とは別系であり、混同しないために所領地と居館が甲府石田にあったことから「石田の小山田」と呼ばれた。また、昌辰の子・昌行も備中守を称したので、昌辰の方を「古備中」と呼んだ。
城攻め、築城、守備の名手といわれ、敵方の城を陥落させた後は、必ずその城の守将を命じられたという。
信玄による信濃南佐久から北信濃方面への侵攻作戦では板垣信方の副将として活躍した。
天文9年(1540)に村上義清に属す信濃国海津城を奪い、その奪回のために反攻してきた義清軍の猛攻に耐え、よく城を死守した。
天文21年(1552)3月8日、常田の合戦において討死した。