寒河江光俊(さがえ・みつとし) ?〜?

最上家臣。外記を称す。5百石を給された。
寒河江一族は天正12年(1584)に最上義光に滅ぼされたが、この光俊は登用され、義光に忠実な家臣として活躍した。
天正17年(1589)、義光が徳川家康の勧めで、上杉家による出羽国庄内地方への侵攻は不当なものであるとの訴えを起こしたとき、この光俊を上洛させて上杉家臣・本荘繁長の不当を訴えさせた。この武将は政治的にも敏捷な人物だったとされている。
天正18年(1590)の出羽国仙北地方における太閤検地の際には、検地に反対する一揆が蜂起すると、鎮圧と称して湯沢城を占拠した。また、由利12頭の平定にも功があったという。