上杉重房(うえすぎ・しげふさ) ?〜?

上杉氏祖。式乾門院蔵人・修理大夫・左衛門督。
藤原北家勧修寺流の流れを汲む公家・藤原清房の子。
はじめ蔵人として式乾門院利子(後高倉院の子)の用務を務める公家であったが、建長4年(1252)3月に宗尊親王が鎌倉幕府6代将軍として鎌倉に下向するのに供奉し、将軍側近の近習として武家となった。これに際して丹波国何鹿郡上杉荘の所領を与えられたので、その地名をとって上杉氏を称す。
娘が足利頼氏に嫁して足利家時を産み、孫の清子が足利家時の子・貞氏に嫁すという重代の縁戚によって足利氏との関係を深め、この清子が室町幕府初代将軍となる足利尊氏やその弟・直義を産んだことから、上杉氏は足利氏の外戚として重用されるようになった。