相模国より台頭してきた北条氏に高輪原の合戦、岩付城の戦いという2つの合戦に敗れ、武蔵国への進出を許してしまった上杉朝興は勢力を回復するため享禄3年(1530)1月、兵を率いて居城・武蔵国河越城より出陣、まずは小沢・瀬田谷(世田谷)の両城を攻め、南武蔵に進んだ。さらに6月には自ら武蔵国府中に出陣。
この上杉勢を迎撃するため、北条氏綱は嫡男・氏康に出陣を命じた。氏康にとってはこの合戦が初陣だったという。戦いは6月12日に府中の南、多摩河原の小沢原で繰り広げられ、北条方の圧勝に終わった。
この合戦での氏康の指揮は、初陣とは思えぬほどの見事な采配ぶりであったと伝えられている。