一領具足(いちりょうぐそく)

半農半兵とも呼ばれる。土佐国長宗我部氏における被官形態のひとつで、少量の田地を与えられ、それを自ら耕して生計を立てる武士のこと。長宗我部国親がその基礎を作った。
替え馬もなく、ただ1領(1着)のみの具足(武装=鎧)のみを有して忠勤に励んだことからこの名がついたとされる。
平時には普請や領国経営の公事・公役に供出されることはないが、軍事においては武士として奉公する。いわば軍務専門の家臣である。
このためこの一領具足と呼ばれる者たちは、日々の農耕に携わるときも槍や具足を携行し、いざ召集がかかったときにはそのまま駆けつけたという。
身分としては直臣に相当し、長宗我部氏家臣団の中核をなした。
慶長6年(1601)、長宗我部氏の取り潰し後の山内氏土佐入国にあたって、この一領具足らが中心となって、「浦戸一揆」と呼ばれる激しい抵抗を見せた。