種子島(たねがしま)銃(鉄砲)

天文12年(1543)8月、一艘の舟が薩摩国種子島に漂着した。
舟にはポルトガルの宣教師が乗っており、島主の種子島恵時・時堯父子はこれを助け、宣教師が持っていた鉄砲(火縄銃)2挺を譲り受けた。時堯がこの「飛道具」に興味を持ち、その構造や製法、使い方を学んだのが始まりという。
従来の飛道具である弓の射程距離は50〜60メートル程度であるが、鉄砲の鉛弾は200メートルほど飛び、有効射程距離も100メートルほどといわれている。
この新兵器は当初、玉籠めに時間がかかるなどの難点ばかりが目立ったため、兵器としての実用性は疑問視されていたが、集団使用による攻撃力は群を抜いており、やがては戦国日本における主要な武器としての発展を遂げることになった。
名前の由来はもちろん、この武器がもたらされた種子島によるものである。