DIARY

とりとめもなく、いろいろと。私自身の覚え書きのようなものですが、お気の向かれた方、どうぞふらりとお立ち寄りください。

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2005年7月24日(日)

 夕方、腹痛。だんだんひどく。なんでなんで?とうろたえているうちに間隔は短くなってくるし、もう、ぜったい、死ぬとおもった・・・。感心したのが、そんな中でも、突然、「どっかトイレ(的な所)でしゃがまなきゃ!」みたいな啓示(笑)がありしゃがむと、本当にその瞬間に何らかのカタマリを産んでしまったこと。本能?夫が見かねて病院にTELし、私を連れて行く。「産んで」からは脱力して、ただもう眠い。もうろうとした意識の中で、(あれ〜この先生、日曜のこんな時間に病院にいらして・・・あした、外来なのになあ〜)とか、ひとの心配・・・してる場合じゃないのに・・・ぼんやり考えていた記憶があるのみ。あとは、冷食用小分けパックに入れていった例のカタマリが、あっさり捨てられて、ナゼかちょっと惜しかったこと・・・(惜しむな、そんなもん!)。カタマリは、何のことはない子宮内膜でした。これで、今回の件に関しては、全てが終わったのだなあ・・・という実感が、退院時よりつよく胸にせまった夜でした。

2005年7月20日(水)

 入院。まずは子宮口を広げる処置。さて、となったところで、いきなりではなく、「ではね、綱島さん、やむをえないのでね、処置をしていきますね。」と静かに言って下さった言葉が心にしみる・・・。午後から本番。あの〜ところでこの2005年前半部分は、自分といつか生まれてくる(?)子のための「繁殖日記」と化しているので、生々しいのがイヤな人はとばして下さいませね。って、今ゆってももう遅いか・・・。とにかく終了。ふと気付いたら、何人かの人が私を覗き込み、私は顔にビニールをかぶせられていた。映画で観る集団リンチと似てるけど、ちがーう!過呼吸になってたのでした。

2005年7月13日(水)

 岡部さんを助手席に、秋田へ。診察の順番がきて、先生の前にすわったとたん、昨日駅ですれちがった人の正体がわかってしまった・・・この人でした。外でお見かけすると、わからないもんですね〜。でもそれどころじゃない。やっぱりダメでした。流産確定。大丈夫だと思っていたけど、廊下で待ってくれてた岡部さんを見た瞬間、堤防が決壊して大泣き・・・。不覚。そんな場所で迷惑だったろうに、黙って背中をさすってくれてた岡部さん、通りかかって(?)一緒に泣いてくれた看護士Tさん(この人にはよく注射していただいてたなあ)ありがとうございました。多分一生忘れません。普段は忘れたふりしてるけど。

2005年7月12日(火)

 同じ門下の絵仲間、岡部慶子さんが我が家に泊まりにきてくれる。嬉しい。気も紛れる。秋田駅での待ち合わせに急ぐ途中、ふと、見たことのある人とすれちがった?ような気がするけど、はっきりせず、すぐ忘れる。ラ・グロッタでお昼を食べ、温泉プラザに一緒に入って(一応)妊婦的巨乳を自慢したりして遊ぶ。いつも、週数のわりに、すご〜く張るのです。酒房たなかで、合流した夫と三人でいろいろ食べる。シメはやはりそばで。

2005年7月6日(水)

 ・・・・・。だめじゃん。ぜんぜん。一応来週も診てもらうことになったけど。もう何も話すことはない。

2005年6月29日(水)

 病院。ちょっとは育った・・・かも・・・。でも心拍なし。「ちょっとゆっくりですかね・・・まあ来週も見ていきましょう。」ああいつもいつもいつも聞くこのせりふ。いっっつも。いつもだ。う〜ん。また、今までならこの時期、もう私のつわりぶりはかなりのもので、枕から頭はあがらず、トイレにも一人じゃ行けなくなるっていうのに、今回みょ〜に平気なのも不気味・・・。考えてもしかたないけど。会計窓口まで歩くあいだ、足がずぶずぶと床に沈んでいく感じ。こんな日はももさだカエル。

2005年6月25日(土)

 なぜか不倫相談をうけてしまった・・・なぜ妊婦に?
 それはともかく、愛の神様の前に、万人は平等ですっ。誰が誰を好きになっても、いいじゃないですか〜。この世にタブーなんてないのっ(3親等以内の血縁は除こう、さすがに)・・・と、妊婦が声を大にして言っても、ぜんぜん説得力はないのでした、ちゃんちゃん。

2005年6月22日(水)

 病院。大きく・・・なってるのかなあ?ここでは、「心拍が出てから」とか言わずに最初から当然のように超音波の写真を下さるのですごく嬉しい。やっぱり、把握したいじゃないですか、たとえどのような結果になろうとも。
 帰りに、思い立って、なにかのパンフ(ゆららだったと思う)で見た「ももさだカエル」なるものを見に行く。とてもよいところだった・・・。まず、1.ひとがいない。2.公園といいつつへんな整備をしていない。自然な状態。3.海が見える。4.風が強い。風車が見える。5.船もある。6.とにかく広い。と、わたしの好きな場所の条件を総ナメでした。愛用しよう。そして、夫を連れて行きたくはないな〜。一度でも、夫と行ったことのある場所は日常空間となってしまい、癒し効果がうすれてしまう気が。それもいいけど・・・。そういうことを解っているので、夫もむやみに私の領域に土足でふみこんでこない、いいひとです。(とここで褒めておこう)

2005年6月15日(水)

 おちうしゃ。この、どろっとした液が、入りにくいんですよ〜痛いけどがまん。これが私の妊婦生活を支えてくれてるんだから。帰りにトピコでインド綿の白いフレアースカート買う。これからの事を考えてウエストゴムのにする。ふふ。アルス地下の本屋で「シアーズ博士夫妻のマタニティブック」を買う。少し考えて「シアーズ博士夫妻のベビーブック」も。これを読むと、他の条件はともかく、出産はぜーったいに母子同室のところにしようとつよく思う。A大はどうなんだろう?それはともかく、妊娠の度に妊婦本とか、つい買っちゃうマタニティとかが増えていく私は、本当に懲りない性格です・・・。これも、物事の明るい面しか見ない驚異の前向き性格のなせるわざ・・・。

2005年6月8日(水)

 いや〜ちょっと聞いてもらおうじゃあ〜りませんか〜。キメたわよう、一発で。わたしって天才?(いや、入れて下さったのはドクターです)。先生は比較的クールなのに一人でへらへらするわたし。さぞばかに見えたことでしょう・・・。不安材料には事欠かないのにさ。さっそく夫にTEL。「そ〜やろ〜そう言うたやん。絶対そうやって。ふっふっふ。」なぜあなたが自慢を?まあ許す。こうして判定プラス!の日は過ぎていったのでした。

2005年5月25日(水)

 通院、注射。男の子がいいなあ(気が早い)。お昼は正直食堂で。(県外の人にはわからないとおもいます。すみません・・・)次は判定だっ。判定はキアイだっ。(違うって)

2005年5月23日(月)

 そしてAIHの日。ご主人のほうのは問題なかったですよ、と言われほっとする。夫は実は少し気にしていたので。処置。私は痛がり・・・痛がりの患者ってうっとうしいだろうなあ・・・でもすみません、先生、今となっては、「体から力を抜く」ってことがどういうものだったか、もうさっぱり思い出せません・・・。
 30分の安静の後、診察室。「ははは」って感じでにっこりされちゃったのでつられてにっこり。たのしみだ〜。これで子供が生まれたら、いつかこの記録群を読ませてあげようと心に誓って病院を後にする。

2005年5月22日(日)

 夫も一緒に、水曜日の先生に容器をもらい、説明をきく。私がいま一番気になっていること、今後も、もうずっと、私の卵胞はいくら刺激しても1コくらいしか育たないのか・・・という疑問に関しては、そうとは限らない、ということをお聞きして、ちょっとほっとする。でも、考えてみたら、今回のこれでキメればいいわけだし!
 それにしても、この科のドクターの方々って、いったいいつ休んでらっしゃるんだろう・・・病院なんだから当然なんだろうけど、いつ行ってもどなたかいらっしゃるみたいだし。休日に複数いらっしゃるのを目撃すると、患者の身ながら「だ、大丈夫なんですかっ?」と心の中でつぶやいてしまう。立ち入ったことだけど。

2005年5月21日(土)

 17日の超音波でも、今日のでも、卵胞は1コだった・・・今日は木曜日の先生、だいぶ探して下さったのですが・・・。キビシイなあ、年齢って・・・普段は意識せず強気に過ごしているけど、こういうときはがっくりする。1コなのでAIHに。ナサニールが切れた(最初の1本はロスも多くて)のでもらう。注射も、これも、今日からは保険が効くと思うと、嬉しいような、複雑な気持ち。
 でも「物事の良い面だけを見る」得意技を発揮して、浮いたおカネでスカートを買いに行きましょっと。ながらく遠ざかっていたフレアースカート(ジーンズ・パンツ類かタイトなスカートが多かった)の必要性がにわかにクローズアップされる今日この頃です。

2005年5月13日(金)

 ドオルトンを飲み終わってから12日まで、けっこうあったなあ・・・ようやく今日から注射の日々。帰りに秋田県立博物館の棚田展に。なにをかくそう、私も、友人のA(前述の女医さん)も、札幌のMさんも、棚田フリークなのでした。

2005年5月7日(土)

 花巻の廣美亭へ。バラ園はまだまだでした。ここも部屋に露天つき。このところ、繁殖貧乏のくせにこういった宿泊を選んでいるのには訳があって、実はドオルトンを飲み終わってしまったので、気が気じゃないのです・・・。

2005年5月5日(木)

 山形の橋本屋。石をくりぬいた露天風呂が部屋にあるぜいたくなものだけど、まあいいの、今年は遠くへも行けないし。自分の車で行くので全体として許せる範囲です。
 ほとんど部屋から出なくても充実して過ごせる(食事は部屋外だけどここも個室)こんなすてきなところは、やはりカップル(それも人目を忍ぶような!)で過ごしたいものですが、私の連れているのは20年連れ添っている夫でした・・・とほほ。って嘆くことないけど。ごめん、夫。

2005年4月29日(金)

 大阪から、学生時代からの古い友、A子が角館の花見に来る。いらっしゃい、ようこそ秋田へ。このひとはれっきとした現役の女医ですが、2年前、私と二人でカンボジアへ行くとき、私のパスポートで出国しようとしていたお茶目なヒトです。出国できるわけないっつうの。それにしても女二人のカンボジアンナイトはデンジャラスだった・・・あまりにデンジャラスだったので、毎晩ぐうぐう寝ただけのシェムリアップの夜でしたとさ。

2005年4月20日(水)

 先週の、でかタマゴはまだ潰れてなかった・・・つのる不安。今後の治療のことなどいろいろ話してもらって気を取り直しつつ帰ると、九州のMさんより豊後水道魚の干物セットが届いていた〜ありがとうございますMさん。まいう〜。麦ちゃんも元気ですか?

2005年4月13日(水)

 やはり無視できない痛さになってきてしまった・・・。正直に先生に申告して診ていただくと・・・先月の卵胞がそのまま巨大に!しかもそれ1つだけ、ということで今月はIVFには持ち込めなかったのでした。すべてキャンセル。プレマリンとドオルトンで周期を整えて、来月をまちましょう、お休みなさい・・・。

2005年4月12日(火)

 朝、廊下で木曜日の先生に会う。「注射に入りました〜」と、報告。チーム医療なんだからご存じなんだろうけど。「よかったですね〜がんばりましょうね〜」と言ってもらって嬉しい。お見かけすると、つい話しかけちゃってすみません、お忙しいのに。
 注射、昨日・今日はふつうに痛い。やっぱそうですよね。なぜ最初の日のみ、あんなにラクだった?右のお腹がすこし痛いけど、まあ無視して角館での宴会に参加。たのしい。かくのだて温泉に入って帰りました。ところで、注射期間、アルコールはいいんだろうか?

2005年4月10日(日)

 初めてのhMG注射。怖かったですう〜。でも、人から脅されてたほどには痛くなかった。一瞬だったし。嬉しくてついにこにこしちゃった。さぞヘンな患者だったことでしょう、シリに針を刺されてにやにやしてたんだから・・・。

2005年4月8日(金)

 たくさん出血、病院へ。かねてからの予定通りにすすめていいでしょうということで、点鼻薬始めたんですが・・・ナサニールをご存じの方、あれって、プシュってやる瞬間、けっこうコワくないです?

2005年4月6日(水)

 久しぶりにA大病院の日。基礎体温表を見せ、各種検査の結果を聞き、治療法を聞き、卵胞もチェック、採血6本!をすませ、点鼻薬を処方され、と盛りだくさんな内容でした。終わったらよれよれ・・・。でも、こっちは自分のが済めばそれで帰れるけど、病院の中の人って、なんというか、本当に・・・。
「そらそおやろ、文系職場とは脳みそのストレスのレベルが違うで〜ぜんぜん。すっごいしんどいと思うで。病院てすごいなあ。いや〜ほんま。」と手放しで怯える夫。根性なしっ!あっ、そういえば、もうほんとに夫なんだ、このひと。今日から診察券がこの人と同じ苗字になってしまった。まだなんか・・・(仮名)みたいな気が・・・。

2005年3月29日(火)

 乳頭山で遭難した43人の人は、無事に帰られたのでした、よかったよかった。この時期の山は、まだまだコワい〜。四ツ屋の土間人でごはん。

2005年3月26日(土)

 「さわらび」でのんびり。ここのゴハンはおいしいです。きっと太っただろう・・・。なんか老人夫婦っぽい私たち。しかし、かろうじて色っぽいことに、二人の苗字は違うのでした。ふふふ・・・。

2005年3月20日(日)

 酒田は土門拳記念館へ。凄すぎ。鐙屋もよかったです。前の駐車スペースに、なんとっ!私の車とまったく同じ型のターセルがっ(このひとも12年前に買ったのか?)。色まで同じ。もちろんわざわざ横に停めました。

2005年3月11日(金)

 免疫の検査。結果が出るまでしばらく通院お休み。

2005年3月10日(木)

 這うようにしてA大病院へいき、いろいろお話。20年続けてきた夫婦別姓に別れを告げる決心をしたのでした。木曜日の先生、ありがとうございました。あなたは事実上の私たちの仲人さんかも。(メイワク?)まずは染色体検査。一歩前進。

2005年3月9日(水)

 退院しなければ。夫と揃ってA大病院に行けるのは、明日を逃せば1ヶ月先になるし。
「どうしても行きたい所があるので退院させて下さい・・・。」「どこなんです。旅行とかだったらぜんっぜん無理ですよ、まだ食べれてないし。」「いえ、大丈夫です、行き先も病院です。」「・・・・・。」胃カメラ飲むことを条件に、退院をGET。

2005年3月5日(土)

 御所野イオンに行くも、胃が痛くてすぐに帰る。ビレッジバンガードにすら寄らずに。・・・痛い。だんだんどうしようもなくなってくる。これはもう家で寝ていていいレベルではない。S組合総合病院へ。即入院になってしまった。

2005年3月4日(金)

プールに行こうと思っていたら・・・始まってしまった・・・。流産後、お初にお目にかかります。それにしても近年にないキレイな色・・・。(こおゆうこと書くかなあ。イヤなひとは飛ばしてください)。処置とかでゼロクリアされたのかね?うちのおちびは、おへやが古くなりすぎててイヤだったのかも。今回キレイになりましたよー。またきてねー。

2005年3月3日(木)

 初めてA大病院に。高速道は朝少し凍っていてコワし。受診。経過とか希望とかを話し、診察。行ってみて、なんとなくほっとしたわ〜。本当はいろいろなことが不安だった私。さっそく何種類かの検査の予定が入ったりと慌ただしくはなったけれど、気持ちは少し落ち着く。頑張って通おう。

2005年3月2日(水)

外来受付で紹介状をもらい、先生に宛てて簡単なお礼の言葉を看護士さんに託し、事態の展開に緊張しつつ帰る。受診はいつでも好きなときでいいですよ、と言われているけれど、落ち着かないので、明日さっそく行くことにします。

2005年3月1日(火)

 流産後二度目の病院。退院時に言われていたとおり、ちゃんと基礎体温表を約1ヶ月分作って持っていく。今までの事(実は習慣性流産?)や今後の事を話すうち、それならば大学病院に紹介状を書くので行ってみては、ということに。秋田ではそこだけだとか。大曲なら、比較的近いのでよかったですね、と言われる。本当にそう思います。

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