DIARY

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 とりとめもなく、いろいろと。私自身の覚え書きのようなものですが、
 お気の向かれた方、どうぞふらりとお立ち寄りください。
 絵にならない日々がならんでます・・・。

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2005年12月27日(火)

 年の暮れの佳き日。
 無事AIHも済ませ、今の自分にできることはきちんとした日。
 病院から一歩出て、目が痛いほどの(久しぶりの!)日差しに射抜かれた瞬間、2005年で一番、さわやかな気持ちになれたかも。
 2005年おせわになった人々に、胸一杯のSpecial Thanksを、ささげます。

2005年12月26日(月)

 ひえ〜っ。病院行きの朝、すごい吹雪と凍結。高速道も通行止。この中を、行くんでしょうか、私は・・・?
 結果的には、吹雪の中、国道13号線山越えを敢行して本当によかった!逃せない日だった!予約時間から大幅に遅れて着いてしまったけど、天候がこれなので、もう、順番とか、ぐちゃぐちゃだったみたい。駐車場の状態も、この世のものとは思えなかった・・・。
 思えば、ちょうど昨年の今日、私はいつものメニエールとばかり思って病院に行ったところ(生理が止まってるのは、もう、「終わり」なんだと解釈してた)、「妊娠されてます」とか言われて仰天して家に逃げ帰ったのでした。(バカ)。
 あれから一年・・・・あれから、もう、こんなに遠いところに来てしまった・・・・・。(物理的にじゃなく)
 さて病院、明日は9時に行くことになったけど、無事にたどりつければ、の話ですね、と看護士さん(去る7/13、一緒に泣いてくれた人)と笑い合う。
 病院でしばらく吹雪が収まるのを待ってみたけど、収まらなかった。また、吹雪&凍結の13号線。

2005年12月25日(日)

 新幹線「こまち」も止まった12/24、秋田市内の道路は一日中すごかった・・・。わだちが凍った夜からは特に。私が運転してたのに車をへこませずに済んだのは、奇跡としか言いようがないです。
 イヴの夜、ふと気付くと、このところ私は「アッシー」となり果てているかも。
 長い年月の間に、男女間降格人事が行われたらしい・・・・。
 さて明日は、非力ながら少子化に一石を投じるべく病院へ。12/22の失態を繰り返さないため、雪道脱出具とスコップを積んで。

2005年12月24日(土)

 このお正月を「夫大阪・妻秋田」とバラで過ごす私達(お正月の私は秋田県いち、寂しい女・・・)は、クリスマスだというのに唐松神社(繁殖系)におまいり。
 ここへのおまいりも3回目(二人で、は初めて)。前は妊婦だった時。
 神様、前回と前々回の事は許してあげるから、今度はがんばって下さいね、日本の人口も、ついに自然減に入っちゃったのよう。

2005年12月23日(金)

 自分の子供(凍結卵)を、保育園かどっかに預けっ放しにしているような気分のまま迎えるクリスマスの三連休、年末年始。
 凍結卵ができたことを聞いた日から続くこの気分。
 なのに、その卵はそのままにして、新たに別の卵をとろうとしているのは、年齢条件のキビシさや、1年3ヶ月後に迫るどこか遠くへの転居というタイムリミットの前に、心が千々に乱れているから・・・・。
 これからとる卵で、妊娠・出産したら、あのかわいい(きっとかわいいと思う。見てないけど。)凍結卵ちゃんはどうなるの・・・?
 これは、もう、かなりのトシになってからでも、2人目に挑戦するっきゃないでしょう!

2005年12月22日(木)

 秋田市で重い雪が43センチ積もったこの朝。
 間の悪いことに、どうしてもこの朝に病院に行かなくてはならない哀れな大阪ナンバーは、いきなり駐車場手前で雪に埋まった・・・・。
 病院関係の方々や、通り掛かった医大生カップル、5人がかりで、不慣れそうな大阪ナンバーを見てにこにこ笑いながら、周りを掘ったり車を押したりして脱出させて下さる。
 あんまり有り難く、嬉しかったので、数メートル行ったとこで停まって、窓から顔を出して「ありがとーございましたーー!!」と絶叫したら、みんな爆笑して「ほらほら、停まったらまた埋まるよー」と手を振って送り出して下さった・・・なんていいひとたち・・・朝から、すごく嬉しい。
 けど、そんなこんなで10時半までの外来受付に間に合わなかったら、次、診てもらえるのは4日先の月曜。そうなると、なんか、10月4日の状況がリピートされそうな気配だ・・・あせる〜。
 結果的には、間に合って診てもらえて、すーっかりほくほくなごんだ気持ちになれたけど(通院でなごめる私って幸せ者)、肝心の卵胞はまだまだで、結局月曜、また「埋まりに」(?)行くことになりましたとさ。
 ところで、帰り、駐車場の中で、も一度埋まり、今度は駐車場係の人に脱出させて頂きました・・・すみません・・・。
 「一日2回ずつ駐車場で大阪ナンバーが埋まってる」と、病院の怪談になるかも知れない・・・・。

2005年12月21日(水)

 大曲イーストモールの美容室「ZEN」へ。いつものとおり大坂さんにお願いする。大曲にきて、この美容室に出会えて、本当によかった!と言えるところです。みんなとてもいい人で、ここでの時間を楽しく過ごせるし!
 そう言えば、8月、久しぶりに行った時、私のおナカがぜんぜん大っきくなってなく、ぺしゃんこだったので、「あれれ〜」って話になったコトもあったっけ・・・。その(流産の)前後のことも、今治療を続けていることも知ってもらっているので、かえって気楽。今も、仕切り直して頑張っていますよ、おかげさまで!
 私の髪は、もともと茶色く、白いものは比較的気にならない方だと思うけど、やっぱり、もう、染めたいなあ。
 髪が少しずつ白みを増してくるのって、カナしいと言えばカナしいけど、ま、美容院にちょっと行くだけで、すぐ元通りになるんだし。

 だから、上はいいのよ、上は・・・・・。

2005年12月20日(火)

 ある日の書簡より
  「○○ちゃんへ  わ〜い、HP、見てくれてるんやーありがとう!そうなんよ、 ありとあらゆる人から「バカ」とか「・・・・無謀な人ですね」とか言われまくった北海道5日間でした。
しかもHPにも書いた通り、北海道と秋田とでは、一言に「雪道」と言っても全然 路面が違うので、修行は生かされなかったという笑えるオチつき。これからもバ カ全開でいきますので、時々読んで笑ってね!
・・・こんな私 もいつ か母になる のだろうか・・・想像できにゃい・・・(とか言いつ つ体外受精に まで臨 んでいる私 って何者?)。  かすみより。」

 
さて、今回のこのHPをアップしてしばらくたち、色々なご意見をお聞きする機会に も多く恵まれました。で、「どこが一番面白かった?」とあちこちで聞いてみると、 何と、一番人気がDIARY10月4日!「その、病院でのやりとりが目に浮かぶよ う・・・」と・・・。

 ひ〜許して〜実は、強がってはみたものの、私も時間の経過とともに、あれ、ますます恥ずかしいんだからさ・・・削除したい・・・。
 唯一の救いは、患者さんはすんごくいっぱいいるので、病院側ではきっと忘れて下さっているであろうことだ・・・。

2005年12月19日(月)

 寒波も雪も私を止められない。今日は西木村のステキな食べ物のお店Kimotoさんへ。(以下お店名敬称略)。
 お昼をいただき、すっかり話に花が咲いて長ーくお邪魔してしまう。フッフッ、実はここでクリスマスの丸ごとチキンもお正月のお重&きんきんも予約してあるのだっ。(ウチの主婦は一体何をするの・・・?取りに行くだけ・・・?)
 お正月はかわりばんこに帰省するので(2人で空けると家に入れなくなっちゃう、雪と氷で)、三が日は大曲で私一人だけど、kimotoのおせちなら食べきる自信あり。
 県内の方はぜひ行ってみて下さい。外装・内装ともにステキで、何でもおいしい「kimoto」、美しい母娘で切り盛りしてらっしゃるアットホームなお店です。このHPとリンクしています。GO TO リンクページ!外見は作品集「クリスマス」のページにあります。今なら私の作品も飾られているかもよ。

2005年12月18日(日)

 大曲は大雪だっ!昨日は秋田から帰れないかもと思ったよ・・・。
 ごはん。ヨドバシカメラのネット通販(結局ノートパソコンもこれで買った)でたまったポイントを、ようやく札幌ヨドバシで使え(秋田にヨドバシはない)、炊飯器を持ち帰ったので、ゴハンを炊いてみる。おいしい。おかわり、おかわり。これで体重も戻るかも。
 実は11月前半に4キロ減ってしまい、気がつくとちゃんとした静養を失念したままさらに2キロを減らしてしまった私は、すっかり「宿題をやっていない小学生」の気分になってしまって、次、病院に顔を出しにくいような気がしていたのだった・・・・。
 これで大手をふって行けるだろう。別に私が痩せたくらいで誰もおこらないとは思うけど。

2005年12月17日(土)

 荒天のため8時ころ、すっかり明るくなってからフェリーが秋田に入港したので、5日ぶりの秋田の街並みや太平山がよく見えて嬉しい。帰って来たなあ。でも、なんかやたら白い?あとで聞いたら、秋田市は32年ぶりの最深雪だったとか。転居先々をくまなく記録的大雪にしてまわっている私のせいかも。すみませんです。
 帰る途中、近くを通ったついでに、勝手知ったるシャワートイレを求めて某病院へ。くー、今日がちょうど注射とかの日だったら、時間もピッタリなのにさー。トイレだけで帰るなんてもったいなし。
 大量のシャーベット状の雪に足(タイヤ)をとられとられ、北海道での雪道修行は秋田では通用しないことを思い知ったのだった・・・。

2005年12月16日(金)

 岩見沢へ。大雪だった上に、道の凍結の度合いは秋田の比じゃない。でも除雪を手伝ってみると、パウダースノーは軽い、軽い。秋田県民にとっては、こんなん、雪とは言わん〜。有意義な相談事やらアホな四方山話やらであっという間に夕方。さー、これからまた、ツルツル道を苫小牧まで走るのか〜。
 これで無事帰秋したら、私はもう、雪道担当大臣として我が家に君臨するだろう。

2005年12月15日(木)

 岩見沢からの友人とススキノ泊。もうすっかり「都会のネズミと田舎のネズミ」の後者になった私には、ススキノの猥雑さが懐かしく好もしい。
 通天閣のふもとだの、新宿の近くだのに住んでいた過去は、今は遠いもん。

2005年12月14日(水)

 このHPのお陰で、私が車で北海道入りすることをご覧になった人からご自作のビールをいただく。ありがとうございます、貴重なものを・・・何でも書いてみるもんです・・・。
 夜はススキノで忘年会。この人格者ぞろいのメンバーには、一生頭が上がらない・・・。西区T家に帰ってから、友人とご主人とでさらに酌み交わす。これが、毎度の楽し〜いひとときです。

2005年12月13日(火)

 明け方眠くなるのを警戒して3時頃出発。高速道は私と除雪部隊以外ひとっ子一人いない、貸し切り状態だった。雪と私と道路と車。それだけ。そりゃこんな日の真夜中に誰も走らないって。
 大荒れの海での結論は、フェリーは2等寝台が王道だってこと。繭状の空間で視界が狭く限られてるし、ベッドマットに程良い弾力があるので(つまり硬い)、超酔いにくく、安らかな眠りが得られる。特等から雑魚寝室までの全てを経験し尽くした私が言うんだから、間違いないですっ!
 (現にこの日、乗客で酔ってなかったのは私一人だったと言っても過言ではないかも・・・)
 そして上陸。寒波の北海道はハンパでなくツルツルだった・・・(北海道紀行は続く)。

2005年12月13日(火)

 日付がかわった。秋田道の秋田北ICより北は、ついに通行止めになったらしい。さっき、夕方から夜にかけて秋田まで用あって行き、横手をまわって帰ってきたけど、すんご〜い雪だった・・・。
 夫「心配やなあ」私「ほんなら、土崎港に着いたら電話しよか?」夫「いや、その時間寝てるからええわ」・・・・・ホンマに心配してるんかいっ!
 では、17日まで、更新おやすみとなります。まだ出先から更新するチエはついてないです。

2005年12月12日(月)

 大雪とか波浪注意報とか・・・やめて〜愛車ターセルの運命やいかに。とにかく、気を付けつつ、出掛けてみます。どうにも無理そうだったら帰ってくるし。
 新しいノートパソコン(MAXデンコードーで見て驚愕したLet’s note w4。ショックのあまり帰りにお寿司を食べたっけ・・・in11/23))。は働き者。無線LANも使えるようにしたので、札幌滞在中も、メール読んだり、お返事出したりできるので、皆様ご遠慮なさらずバンバンお便り下さい。札幌には、無線LANの来てるホットスポットもいっぱいあるし。
 ただ、このノートにマイクロソフトのオフィスが入ってるのはお得感あって嬉しいんだけど、いつも使ってきた家のパソコンのソフト(一太郎・メールは手裏剣)に対して、(Word・メールはOutlook)なのがなんとも、事故のもと。このところの私のメールの書式や添付署名などが混乱しまくってるのを発見された方は、「ああ、まだわかってないんやな・・・。」と、今は温かく見守ってやって下さいませ。自分で自分にメール出しちゃった事まであるもん。いばることないけど。
 とにかく、もう、お返事書くのため込みません・・・先月お待たせした皆様すみませんでした、11月の私は、ちょっと不調だったのよ・・・お許しを・・・。
 それでは、行ってまいります。

2005年12月11日(日)

 あと、時々その関係の話で聞かれるのが(また勝手に昨日の続き)、先生の中に女医さんはいらっしゃるのか、などといったこと。なんでや・・・。深い意味はないんでしょうけど、聞いてどうします、この県まで来ますか?確かに、来たらいい所だとは思うけど、とりあえず、先生の性別を気にするのはやめましょ(何科でも)。そもそも性別も頭文字も出してないよー。私が便宜上使っている「○曜日の先生」という言い方も、実際には、(例えば)もし火曜日に行ってみて、ふだんは木曜日の先生がいらしたら、今日はその人が「火曜日の先生」となるって感じで、人物を厳密に特定できてないかもよ。(私がいい加減なだけ?)。まあ、人様のことは・・・・自分のことは語れても・・・・。これで答えってことで、いいでしょうか。(掲示板つくってないからこれで・・・)
 話はかわって、13日から、フェリーで5日間北海道に行きます。愛車にも懐かしいであろう北海道を見せてやろうと思いまして。というか、乗り慣れないオートマチック車だと、自分が何かやらかしそうで緊張。突っ込み事故とか・・・。
 それなのに、あっち(北海道)もこっち(秋田)もイキナリの大雪&凍結・・・走り回れるのか・・・当面の目標は、生きて帰ることです。(たとえ車がへこんでも)。一番危ないのが、夜中3時頃から走る大曲〜土崎港間の道のりかもしれない。家の近くほど危ないって言うし。

2005年12月10日(土)

 最近嬉しかったこと。
 私とほぼ同いどしのある人が、私と同じくらいの時期(すこしあと)に自然妊娠・流産し、落ち込んでいたとき、同経過ながら私のような者が俄然やる気を出して猛然と通院していることを知り、「あ・・・まだ、目指してもいいのね・・・」と立ち上がった・・・と聞いたこと。
 恥のかきがいもあるってもんです。私でも知らないところで役にたっていたとは・・・。ありがとうございます。
 ところで、こういう話につきものの、年齢。言っちゃいたいよ。実際、時々尋ねられるのですが、対面では隠したことなんてないけど(もったいぶってどうする?)、ここでは、生年月日関係を公表するのはなんかなあ・・・。ほら、今日び個人情報がどうとかこうとかって。個人情報として、顔とかってのは、髪型も変われば体重も増減するし年も取る。特に、頻繁に、知り合いの一人もいない土地に引っ越す私には、全然、脅えるほどの情報でもないけど、生年月日って、なんかヤバそうぎみ。(←へんな日本語)
 なので、適当に類推して下さい。写真は、夫が、シワ・シミその他が写らないように逆光ぎみで撮ってくれたものなので(夫はカメラマンの助手をしてたことがある)、年齢、ちょっと加算してもいいです・・・(しぶしぶ)。

2005年12月9日(金)

 ついに行って来ました乳ガン検診。7〜8年前ひっかかった事があって、その頃3ヶ月おき、のちに半年おき、一年おきとなったけど、ここに引っ越してからは、市の検診にマンモグラフィーがなかったこともあり、気になりつつほったらかし状態だったのです。(市の名誉の為言い添えると、今年からは精密な検査が行われていたそうです。私が妊娠中で行けなかっただけ)。異常なし。あ〜済んだ済んだ。嬉しい。これでまたしばらくは、マクラを高くして寝られる。
 しかし、かなりショックなことが。自分の中では、あの検査って、ものすご〜く痛いものだったんですね。ところが、今回行ったら、それほど、もんのすごく痛いわけではない。わりと抵抗なく、伸びる伸びる。確かに、流産する度に、張ってたものが(いつも週数以上に張る)一気にしぼむので自分でも「・・・・下垂したかも」とは思っていたけどっ!こんなにハッキリその結果を見せつけられようとはっ。腹が立って寝られん・・・ので日記の更新。
 と、またつまらない恥を暴露して世間さまの失笑をかってしまった・・・。でも今日のはホントにショックだったんですから。なので、今日の記述を読んで笑ったあなた、あなたには、あまねく私のノロイが降りかかるでありましょう・・・。(ウソ)
 もう、私に、往年の張りはないのね・・・・しくしく・・・・。

2005年12月7日(水)

 自分のことをあまり露出しなかった昔の私を知るある人から。「こんなにバラしちゃっていいの〜」と。
 いいのいいの。このくらいバラさないと自分の気持ちのおとしまえもつかないし。でも多分、年がかわったら2005年のは破棄して、もう少しニュートラルな感じでやっていくかな。これ(2005年)は、私のこれまでの人生の中で、一番苦しかった時代ということで・・・。
 そうこうするうちに、やっぱりトップページのサムネイルがこわれた・・・もうやめよう、サムネイルをここに入れるの。日記のリンクもリンク切れがち。破棄の日は近いかも。

2005年12月6日(火)

 大阪から帰ると、秋田が、いきなり冬!になっていておどろく。そうか、これが暴風雪の結果か・・・。さっそくHPの数々のトラブル修正に追われる。標準モードで作ってないので「ブラウザ共通のレイアウトに変換して保存」をやらせると、乱れる乱れる・・・。しまったなあ。
 夜は、ご指名を受け、角館は通称「親不孝通り」での宴会に途中から飛び入り参加。2曲うたう。「古城」をよろしく。

2005年12月4日(日)

 学生時代の友人と忘年会。中の一人が結婚したのでお祝いも兼ねて。「あのお〜、あたしも一応、新婚なんやけど〜」と言ってみるが、ウチは築21年にもなる古い組み合わせなので相手にされず。言ってみただけです・・・。
 大阪の住宅・建物は寒く、秋田県民としては風邪ひきそうな3日間でした。         

2005年12月2日(金)

 歯科。新しい歯は、2年間の保証がついているけど、もう、秋田にそんなにいられないだろう。なんかすごく秋田に定住したいけど。

2005年12月1日(木)

 3日からしばらく大阪。またコテコテ関西弁になって帰ってくることでしょう。それまでにすることが多くて・・・。師走の主婦。

2005年11月25日(金)

 相変わらずあまり調子は良くないけれど、そうも言ってられないので、歯の治療と冬支度とホームページ整備と絵関係の整理にあけくれる。こんなに忙しくていいのだろうか・・・。

2005年11月23日(水)

MAXデンコードーにノートパソコンを見に行く。たっ、高い・・・。画像処理ソフトも見る。たっ、高い・・・。炊飯器も見る。たっ、(以下略)。帰りに広面の伍助でお鮨を食べて帰る。あまりに高いものを見過ぎて金銭感覚がまひしたのだ・・・。普段なら平禄寿司にしただろう・・・。

2005年11月19日(土)

かいしゃの旅行に行く夫を送っていくついでにアルスでケサランパサラン買う。全国の皆様!新しいシリーズのケサパサのフェイスカラーは、粉散りがすると思いませんか?私の使い方が悪い?検査結果のみ簡単に病院にメールして就寝。

2005年11月17日(木)

 あ〜しんどかった〜私ほど胃カメラを飲むのが下手な人はこの世にいないだろう。だんだんスタッフの顔つきもビミョ〜になっていくのがわかって、切ない・・・。バリウムが出来れば・・・。でも1ヶ月分のくすりをもらって嬉しい。基礎体温は低値安定。

2005年11月14日(月)

 判定日で病院だが・・・。どうせ妊婦じゃないんだも〜んといじけてヒールのある靴にタイトスカートだっ。体重は結局10日で4キロ減ったし、言わないわけにはいくまい・・・。「どうして。精神的な・・・プレッシャーとか?」と笑い含みの目で指摘されて一応否定。(なんでや・・・)。胃を診てもらうようにいわれ(やだな〜胃カメラになるだろう)、今後のプランを色々練って一段落。がっ、帰るときに基礎体温表の値動きに注意するように(妊娠してる可能性ゼロではなし)指摘され、ひえ〜じゃあこのヒールはこのまま履いて帰って良いのだろうか、乳ガン検診は行っちゃいけないのかも、歯の治療も始めてるしお酒も飲んじゃったよ・・・と心は千々に乱れるのであった・・・。会計済ませてからもう一回聞きに行ってみるけど新たな情報も得られず、動揺のあまり(?)高速走行中に足がつって、ほうほうの体で大曲にたどり着くのでした。ああ、疲れる1日だった・・・。もう寝る。
 今日の教訓。よいこはヒールの靴は、履き替えて運転するべし。

2005年11月12日(土)

 やはり続く出血。こうなったからには黄体ホルモンって・・・いらないよね?念のため病院にTEL。やはり飲まなくてもよい(のんでもムダ)ってニュアンスだ・・・。受話器をおろして・・・そのままの姿勢でしばし固まる。ほんとうにほしいものは、なかなか手に入らない、わたしの人生でした・・・。

2005年11月11日(金)

 感動のIVF・ETだったが・・・空振りだったようだ・・・。あと、胃が・・・。

2005年11月5日(土)

 胃の調子が・・・。夫を空港へ送っていき、その足で由利本庄市のごてんまりコンクールにいく。あそこまで行っておきながら石轢屋のそばも大内のとろろめしも食べずに帰ってしまった。一人なのをいいことにゴハンも作らず。

2005年11月4日(金)

 病院。OHSSの心配はひとまずなし。凍結卵が、昨日、作成されていた!!!そして、聞かなきゃ、と思ってた事も聞く。「あの〜温水プールとかは・・・」「うん、まあ大丈夫でしょう。」「あの〜・・・ふ、夫婦生活とかは・・・ふ、普段通りで・・・」「うん、普段通りでね」。私の目を見ずに答えてくださった金曜日の先生、ありがとうございました!実は結構勇気がいった・・・。そのあと読書しつつ注射の番を待ち、注射してもらって、・・・帰る。

2005年10月29日(土)

 ET。部屋が、分娩とかもできる、ひろ〜い金属質な部屋だったせいもあり、すごくすごく緊張する。でも、もしこれで子供が生まれたら、いつか話してやる時もあるかもと思って(また懲りずに言ってら)、ここでこれから起こることを、なにもかも憶えておきたいと思う。(なので別日記にしてとってあるのだ)。なかなかに・・・感動的だったわ。ああいうのも、よいものです。最後に、じゃ、1時間ほど安静にして、と先生がタオルを掛けてくれながら「寝ちゃってもいいですよ」といわれたので笑ったけど、本当に寝てしまった、誰も起こしには来てくれないのね・・・。

2005年10月27日(木)

 採卵。麻酔をしてもらえるので、脅えまくってた割にはらくに済んだと思う。途中、「針を刺します」「もう半分すみました。」などと、こまめに声をかけて頂けたのが安心感の源。あとが、次の日まで歩くと痛いけど。これを外来でやって、その日に帰る人ってのは豪傑だとおもう。ここの入院も2度目なので、いろいろな勝手がわかって過ごしやすい。

2005年10月25日(火)

 なんと火曜日の先生は京都のおひとでした。「うわ〜、そうなんですか〜」と嬉しくなって、なんか関西弁でしゃべってみようかと思ったけど、よく考えたら、私はもともと関西弁でしゃべってたのでした・・・。
 卵胞十分。今日は夜注射して、あさって入院。

2005年10月23日(日)

 このところ無駄話をしていたのには訳があって、ひとつには自分の個展をほったらかしにしていることの不安、ひとつには卵胞発育の不安(なにしろ、前回、8回注射してタマゴ1コだったんだから)から何とかして目をそらせたいがため。そんな中、個展は今日で無事終了(う、売り上げが気になる)。卵胞チェックの結果は、今回は両方の卵巣が反応してて、複数取れそう、とのこと。何とか気をそらせて精神の安定を保ったかいがあったというもんです・・・。注射は追加。

2005年10月22日(土)

 今日は久しぶりに木曜日の先生に会う。流産以来だわ。「また、仕切り直して出直してます!」と明るく挨拶したら、「あれからお元気でしたか〜、また頑張りましょうね!」 といって下さる。

2005年10月21日(金)

 そう言えば、おしりの注射のほうが、なんとなく恥かしいかなあ、なんででしょう、服の脱ぎ方が、中途半端だからかなあ。(だれも聞いてないのに昨日の続き。)注射といえば、私は、最初のうち、そういうもんだと思って、スカートを、下からがばっとめくってたんですね。そうするうち、ある時、偶然、ほかの患者さんが注射されている場がカーテンの隙間から見えたのです。そしたらなんと!スカートを上からちょっとずらしておしりの上半分だけ出しているではありませんか!そおか〜ああすればよかったんだ〜と気付いた瞬間、それまでの自分の所業が恥ずかしく・・・。そのトラウマかも知れない。道理で、さりげなく下の方をバスタオルで隠してから注射してくれる人あると思ったよ・・・。

2005年10月20日(木)

 よく、女性が数人集まると、「内診って、恥ずかしくない〜」って話になるけど、もう、私はそれはあんまり思わないなあ。思わないようにしてるっていうのもあるけど。思いつつガマンするってのもストレスっぽいじゃないですか。する方もされる方も伊達や酔狂や遊びでやってんじゃないんだから。真剣勝負みたいなもんです。あと、私は、うまく「力を抜く」っていうのがど〜も出来なくて、深呼吸を必死で工夫してたりしてて、それで頭が一杯っていうのもあるかも。いずれにせよ、もし学生さんとかが20人くらいぞろぞろ来て見学しててもぜんぜん平気。大学病院だから、そういう事もあるかもとか思って、一応心の準備はしてある今日この頃です・・・。

2005年10月19日(水)

 やっぱりWさんは面白い人だ・・・。わたしが、「たくさん採卵出来るように卵胞を刺激していって・・・」と話すと、「卵胞を刺激するって?どうやって?イケメンを見るとか?」「・・・・・・・。」超ナイスな突っ込みありがとう!それもいいかもね!
 でも、実際には、色気もへったくれもなく、おしりをだして注射されているだけです・・・。

2005年10月18日(火)

 今日から仕切りなおして毎日注射の日々。ふと気がつくと、このところあまりにも忙しくしていたお陰か、夏場のど〜しようもない程の無気力感からは、脱出していた・・・。やっぱり私は飛び回ってないとね。←夫に対する言い訳?

2005年10月17日(月)

 病院。予約なしで月曜日に行くってことがどんな事態になるか、もうわかっているので、ちゃ〜んと本を2冊用意していく。もう病院通いのプロ?昨日の夜から、なので、注射は明日からになる。
 ランチにはすこし遅めになったので、八橋のピーコックでカレーを食べて帰る。

2005年10月16日(日)

 週明けにもう一度北海道に行こうとしていたのに、夜10時頃から始まる・・・。私の個展は23日までなので、いろいろ打ち合わせをして、すべてを北海道の人に託す。予想された事態だったので、早くに話しておいてよかった・・・。

2005年10月12日(水)

 ホテルをチェックアウト、セントラルで額装上がったのを受け取って一路はのんへ。高速を使うが・・・あ〜ハラたつ!乗り慣れないオートマチック車・・・加速が遅いのよ、加速が・・・いやいや、それはさておき、初日。ぼうっとしてました、私。もし失礼のありました段は、お許しを・・・お買いあげ下さった方々、ありがとうございました!皆様のお陰でこうしてなんとかやっています・・・。

2005年10月11日(火)

 札幌入り。空港でレンタカーを借りて「はのん」へ。搬入、展示。ご夫妻には、本当にお世話になりました!
 昨日完成させた絵を、ギリギリ駆け込みでセントラルの額装に出し、ホテルへ。勝手知ったる札幌の夜〜いえいえ、寝ただけです。

2005年10月4日(火)

 さて病院。結局金曜には来られなかったので。超音波。「あれ〜綱島さんね、排卵したね〜」やっぱり。いつだろう?聞こう。でも、診察室で、先生の方から、「排卵したばっかり」と言って下さったので、間に合ったかっ、と嬉しくなって、尋ねられてもないのに勢い込んで「あっ、それならっ、昨日の夜、性交渉(!)持ったんですけどっ!」と報告してしまった・・・だれも聞いてないよ〜。
 帰って夫にその話をすると、夫「超恥ずかしーヤツやなあ。もう、あんたと雁首揃えて病院には行きたくない・・・」と。
 好きに言ってなさい。病院ってそういうとこなんだから、平気ですっ。

2005年10月3日(月)

 千葉県松戸で、私が人生の師と仰ぐC嬢に会って、空港へ。板橋税務署での仕事仲間です。

2005年10月2日(日)

西村先生、高原泉さんとともに明け方まで話しまくっていたのでふらふら。三人とも。世田谷のマルクトまで行ってお茶。お二方ともお疲れさまでした。解散した後、私は新宿の世界堂で大量の額装の一仕事(ここでやって、そのまま送ってもらう方が安いし、選択肢豊富だし)。懐かしい新宿の夜をすこし楽しんだ後、ホテルに入って、ちょっとベッドの寝心地を確かめるだけのつもりが・・・朝まで眠ってしまった・・・。

2005年10月1日(土)

 東京へ。永沢先生の個展は、やっぱり圧倒的だった・・・。酔いしれる。酔いしれつつお宅にお邪魔させていただいて、すばらしいお料理と絵の数々・・・。お料理方のみなさま、ありがとうございました。もう、排卵を逃しても、しかたないわ・・・と一人ひそかに心の中で思う私。永沢先生、本当にありがとうございました。私も、仕切りなおしてまじめにやっていきます・・・。

2005年9月28日(水)

 DMの束を「はのん」に発送。ふ〜ギリギリ。東京へ絵を持っていく為のファイルを買いに「とみや」へ。北海道の会場での販売用のはがきも作らなくては。「かすみ文具」シリーズは、Wさんが作って下さってる。(ありがとうございます)。

2005年9月27日(火)

 ポジがあがってくる。スキャナーの出番。ダイレクトメール(DM)の作成に、やっと入れる。まだ色塗りも残ってる。(この期に及んで!)寝るヒマなし。

2005年9月26日(月)

 病院。15日に来たときは今月の方針を考えてなかった(かんがえるヒマなかった)ので、その時、この日来ることになったのだった、月曜って病院混むけど。とりあえず卵胞チェック。まだまだ、排卵、1週間くらいは先だとか。・・・待てよ、1週間?その頃は東京で永沢まこと先生の個展とパーティだ・・・「あの〜私、10月の1,2,3,と、出かける用があって・・・」「ご主人も一緒?」「いえ、一人でです。」「だったらしょうがないですねえ、性交渉もてないんだったらね。」そうなんですよね・・・でもとりあえず金曜日にもチェックしてもらうことにする。頭の中身をまとめるのを先延ばしにしただけ?

2005年9月24日(土)

 タカヤナギのポイント券を貯めていたおかげで、夫だけでも、例のプラチナチケット、SL乗車をGET。私は終点の湯沢まで、車で夫を迎えに。忙しいんだよう〜でも楽しい。これからもタカヤナギ・グランマートに行くときは、袋を用意してエコロジーポイントのGETにつとめよう。(今日の記載は、秋田県民がわかってくれればいいの。)

2005年9月21日(水)

 札幌の西村先生の教室へ。ちゃっかり「はのん」個展のアピールもさせていただく。初めてお会いするMさんと先生とで「ボーノ」(お久しぶりです)にてお昼。Mさんは、私の事を色々聞いて、どんなヒトか想像してたそうです。Mさん「わたし・・・東さんって、もっとコワイ人と思ってたんですよ〜」私「それって、ヒョウ柄の服とか着てるような?」Mさん「うん・・・。」・・・に、西村先生、いったい普段、私のことをどんな風におっしゃってるんですかあ〜。
 昼食の後、イースト・ウエストに、絵をまとめて出しに行く。ポジフィルムにするため。間に合うかなあ。いまだかつて、こんなにキビシイ日程での個展準備があっただろうか、いや、ない(反語)。
 空港で、すご〜くかわいい指輪発見!私は、5000円を超えるアクセサリーは身につけない主義なので(貧乏なだけ?)値札を見るときはどきどきしました。ダメだった時の自分のショックを考えて、見ずに帰ろうかと思ったくらい。(これって、女の子が「告白せずに胸の内で思い続けておく」心理だ・・・)でもどちらかというと「告白して玉砕」型の性格なので思い切って値札を見た!4410円だった!そして、今、私の左手親指に!(しかし、10円の端数は、何・・・?)

2005年9月20日(火)

 昨日一緒にお昼を食べたMさん、いつも乗せてくださって、遊んでくださって、ありがとうございます!今日整体してくださったO先生、もっと通えたらどんなに健康状態も違ってくるか・・・。
 夜は、岩見沢は北村の「ターシャ・チューダーのガーデン」(すみません、勝手にゆってます。)で宴会だあっ!Hさん、お久しぶりです・・・ってこともないですね、3週間じゃ。みんなで楽しく。

2005年9月18日(日)

 9月18.19.20.21と、三泊四日の予定で私の本拠地(?)札幌へ。岩見沢のWさんに乗せてもらって「はのん」さんにごあいさつと打ち合わせにいきました。夕方、例によって西区Tさん宅へ。彼女とは、8年前、東京での図書館司書のスクーリングで出会って以来の仲です。そしてFさん宅で家族ぐるみのパーティ。いつもありがとうございます。おいし〜。こうして酒池肉林の夜は更けゆくのでした・・・。

2005年9月1日(木)

 迫り来る10月12日、「はのん」の個展。もう先延ばしにできない。どうしようもなくうつ状態のときは、キャンセルしようかとまで・・・。今、妊娠中だったらどうしてただろう?少なくとも気持ちは今より明るいだろうし、安定しつつある頃だろうから、やっぱり決行するな。と、いうことで(何が、ということ、だあ。話がびみょ〜につながってない!)頑張ることにします。日記はしばらくお休みします。

2005年8月27日(土)

 今日は、私が「岩見沢のターシャ・チューダー」と崇めるWさんがフェリーにて来秋。言わずと知れた大曲の花火にだっ。同じく花火フリークのHさんとともに。Hさんは、映画のプロデューサーで、カンヌにも招かれたすごい人だ。そんな人が、我が家のせんべい布団に寝るなんて・・・す、すまねえ・・・。今年は私の体力に(精神力にか?)不安あり、グランドパレス川端の屋上夕食つき、でラクして観ることとする。・・・実は、今日は、1月の妊娠の分の予定日。コドモを撮るはずだったカメラ(大)で、夫は機嫌良く花火の撮影をしてはしゃぐ。彼のバカっぷりには、いつも救われている私でした・・・。(あ、褒めてるように聞こえなかった?)

2005年8月23日(火)

 久慈市のもぐらんぴあ水族館(なにをかくそう私は20年来の水族館フリーク)に行くべく高速をひた走る。眠っているとばかり思っていた夫が実は起きていて、私が×××キロで爆走し続けていたのはしっかりチェックされていた・・・やば。帰りは八戸の番丁庵のそばを食べ、さくら野デパートで流しの三角コーナーゴミ入れと100枚入り198円の大葉を買って帰る。なんでここで?って買い物ですね。金入の画材コーナーで絵の具を補充。顔彩もすこし買ってみた。アクリル絵の具も。

2005年8月20日(土)

 鹿角花輪ばやしへ。行きしなに、八郎湖SAにてストラスモアF0スケッチ一枚制作。能代、大館をまわって夜までの時間をつぶす。それにつけても夏祭りって、どうしてこんなに・・・(以下略)。

2005年8月17日(水)

 病院。お盆だが病院はいつも通りだ・・・すごい・・・。今日は胎児の染色体検査の結果を聞きに。今回の流産の原因は、染色体の異常だったことははっきりした。今までのは解らないけど。細胞が減数分裂するときに、46本の染色体をちゃんと23/23に分ければいいものを、てきと〜に割っちゃって22本とかね。さすがは私(夫のかも)の細胞だ・・・。二人のうち、どっちの由来のものかは、かなり詳しい検査になり、普通そこまでしないみたいだし、私も別に、それはいい。だって、どっちのか調べて、「じゃあ、次のAIHかIVFの時までに夫(または妻)替えてきます」って訳にもいかないじゃん。
 そうして書いてもらう説明のメモの一部に目が釘付けになってしまう・・・XY・・・ついに思いあまって「XYって・・・」とつぶやくと、すぐにあっさり「男性ですね」と受けて下さり、瞬間、急に泣きそうになってぐっとこらえる。AIH、してくれた先生だっしな〜。残念なのは私だけじゃないよね〜。ああ、5月23日は遠くなりにけるかも。私はあれから、もう何年も歳をとった気がします。(もともといいトシ)。
 それにしても、性別をはっきり知ってしまうことが、あんなに「くる」ものだったとは・・・恐るべし、「具体」のチカラ。このトシになっても、人生は発見に満ちていることでした。

2005年8月16日(火)

 西馬音内盆踊り。体力にまだ自信がないので桟敷席を買って観る。すご〜くいい席に当たって快適だった。うまい人のは本当にすごい。もうそこには、小宇宙があるとまで。盆踊りのことなので、やはりどことなくもの哀しい。夏祭りってどうしてこんなに・・・いや、今年の場合、こっちの心のありようもあるかも。ちょっとウツ?明日は朝から病院なのに最後まで観てしまった・・・。

2005年8月7日(日)

 能代のねぶ流しを見に行く。昨日街を練り歩いた見事なしゃちほこ達が、つぎつぎに燃えては夜の海に流れていく。もの哀しいなあ。