DIARY

トップページへ

 とりとめもなく、いろいろと。私自身の覚え書きのようなものですが、
 お気の向かれた方、どうぞふらりとお立ち寄りください。
 絵にならない日々がならんでます・・・。

<<前のページ | 次のページ>>
フレーム
2006年12月31日(日)

 と、いうことで(昨日の続き)バンソウコウを公開。こんな感じです。あまりわからん?秋田まるごと市場で回転ずしの流れを必死にニラミつけている・・・。
 大晦日の今日は「酒庵たなか」に頼んでいた年越しそばをもらいに行き、まるごと市場で魚介類やおもちを買う。驚いたのはのし餅。
 ペランとうすべったいおもちがビニール袋に入れて売られていて、私達は「なんでこんなに柔らかいんやろ!?」と触りまくってしまった(あんまり触ったので買った)。「特殊な餅やろか?」とまで言い合っていた私達を、周りの人はじっと見ていたけど、今から思えばよっぽどのアホと思っていたのでしょう。ただのモチじゃ!・・・だって関西では、のし餅と云えばカマボコ型の大きいので、もう既にわりと硬くなったのを売ってるんだもん!でもカマボコ型は切るのが大変。今日まるごと市場で買ったおもちはおいしく切りやすく、1280円の使い道としてはこの上なし。ええ買いモンやった〜。
 回転ずしを食べて、広域農道を走って西木村のKimotoへ三段重ときんきんをもらいに行き、大晦日は暮れ行く。
 さようなら、二度とはこない2006年。
 おせわになりました。なんか悲し。

2006年12月30日(土)

 突然だけど、私の顔(左頬)には今、ぺたりと大きな絆創膏がある。皮膚科にて治療中。化粧品売り場とかウロウロしていても、
「顔に絆創膏のある人に化粧品を勧めても悪いかな・・・」
 って感じで、売り場の人も遠巻きに見守って下さるので、のびのびと「買わない買い物」を楽しめる点が嬉しい。すれ違う人々のビミョ〜な視線にも、
「あっ、いえ、そんなに気を使って下さらなくていいです・・・」
 と思いつつ、そうか、どこかに少し変わった所がある人は、いつも、こういう視線を受け止め受け止め、生活されているのだなぁ、と、わずかながら、その一端に触れた感もあり。私、普段、どう接していただろう?
 今迄で一番面白かった反応は西木村のC子さん、パッと見た第一声が
「おっ、何!?かっこイイ〜!!」。
 おいおい。別に何かの仁義きったとか、ハッたとか、そういうわけぢゃあござんせん!ただモンじゃないなぁ。
 単に、何だか難しい名前の(なんちゃらかんちゃらメラノなんとか)普通より深〜い所にできるシミ(あざ?)の治療中で、顔が水玉模様になってるだけです・・・。

2006年12月29日(金)

 いままでこのHP上ではナイショにしていた事を一つ告白しちゃいましょう。・・・いや、けっこう隠し事はあります。いま秋田で出回って(?)いる「すこやかさん」では「包み隠さず書いて・・・」という事になっているのでそう思われるのですが、まぁ、やはり少しは包んでいます。害のないものからおいおいにお話してゆきましょう(別に誰も聞いてないけど。でも・・・害のあるものって・・・何?)。
 ズバリ!私は老眼・・・になっちゃったみたいです。母も超早く、35歳位から始まったとか。(私が今何歳かは、ここでは許して)。
 新聞を、ちょっと離して読んでいる自分に気付いて愕然としたのが数年前。そして先日、出先で戯れに老眼鏡をかけて近くを見たとき。
 もうそれは、別世界だった。大ショック。老眼鏡要るんだ、もう私・・・。
 ウチに赤ん坊が産まれたとして、一体誰が彼(または彼女)の爪を切ってやるのでしょうか?産まれてから心配するか・・・。

2006年12月28日(木)

 イヤ、でも、ここんとこ、実は繁殖の事は考えてられないほど年賀状に追い詰められていた私。描いても描いても使う気になれない絵が溜まっていくばかり、家の事は出来ず、メールのお返事書きもたまっちゃう、ちょっと今年は苦しかったです。
 で、ここに予言、そしてお詫びを申し上げるのですが、2007年の私の年賀状は、たいへん遅くなってお手元に届くことでありましょう・・・。お許しを・・・。
 何とか絵が決まったのが今日。それも、もうほとんど29日。これからレイアウトして刷ってetc。ああ、年末の私も、いつ寝るのでしょうか?眠いです・・・。(だったら出掛けるなって!)
 ハナシは関係ないところに飛ぶけれど、最近、西仙北SA(上り)で「ケイ子おばあちゃんの農家風まろやかチーズケーキ(冷凍)」を買えるのをご存知でしょうか?いつも前沢SAで買っていた私は、これをこんな近くで見つけて大感激。「最近、置くようになったんですよ〜」とのことでした。もちろん楽天ネットでも買えます。
 ああ、せめて西仙北まで出掛けたい。

2006年12月27日(水)

 昨日から生理。東京での採卵を終え、秋田の病院にも、もうあまり行く事もないだろうから挨拶して辞して来て、このところ人生の全てが終わったような気分になっていたので、またすこやかに生理が来たことに一瞬驚く。なんか勝手に、もう一生来ないような気がしていた(ばか・・・)。
 そしてすこし哀しくなる。いつもだったら「え〜と、今月は生理何日目に病院に行くんだったっけ?」とあたふたしたり、慌てて基礎体温表を整理したり、行くべき日に病院に行けない事に気付いて、何とか自分の体を(または病院の先生を?)ダマせないか、ないチエを振り絞って画策したり(でも結局ダマせなくて出頭する)、ドタバタしていたなぁ。
 生活を変えるのは、それが小さな事であっても少し痛い。ましてやけっこうな大(?)プロジェクトだったから。
 刺激周期中(注射期間中)にも車持ってフェリーで北海道へ走りに行ったり(大雪の真冬に・・・)。北海道で個展中って時もあったし、朝まで飲んでから病院に注射に行った事もあった。そんな不良患者の私でさえ、こうなのだから、キチンと専念していた人、生活全般を不妊治療にあわせて節制していた人が治療を終える時の心中はいかばかりか。でも、私も、もし不妊治療に手を染めてなかったら、今もそんなこと想像もできないヒトだったと思う。
 なってみるまで分からない感情、というものは確かにあって、それは、なってみるまで分からない。分かった時に、今までの自分の無明を深く恥じることしかできない。その感情が正しくないものであれば、もうイノセンスな自分には二度と戻れないつらさが沈む。
 ま、あまりにもコドモだった私にも、ちっとは想像力がついただけでも、この一年半は意味があったと言えるでしょう(すごいムリヤリな結論)!
 去年の今日は大雪嵐のなか通院して(根性だったなぁ)、人工授精してもらって年末の挨拶して帰った日。実は、あの日ふと、もうこれでやめようか、とも思ったのだった。でも思い切れなくて、ズルズルまた行ってしまった。
 とにかく、あとは胚移植。これで子持ちさんにでもなれば、こういった日々も忘却のかなたに沈んでゆくのでしょう。子育ての大変さの中に埋没して。そうでなきゃやってらんないですよね、きっと!(デキなかったらどうするか?そ、それは・・・おいおいに考えます・・・)。

2006年12月26日(火)

 昨日ZENで私達夫婦の馴れ初めを訊かれたので、
 「大学のオーケストラで、私が新入生の時に夫(4歳上)がOBで、指揮者兼指導係として来ていた」と話したら、今TVドラマで「のだめカンタービレ」をやっているせいか、「わ〜い、ごしゅじん、千秋真一だぁ〜」と盛り上がってしまった。だ、だいぶ違うと思うぞ・・・。
 それに・・・その場合、私ゃ「のだめ」かよっ!
 「のだめカンタービレ」、ドラマ化前から愛読していますが、面白いです。
 今日は皮膚治療のあと、ビューホテルで素敵にランチ。クリスマス時期なせいか、なんとなくまた、お互いの馴れ初めの話になるのだった。人の馴れ初めを聞くのって楽しい。
 そのあと秋田中央広域農道で角館へ、西木村へと向かう。この道は一本で56kmもある立派な農道だけれど、他道との接続が悪く、道を知らなかった最初の頃は使えなかった。案内看板を見ても、そこに載ってる地名が分からなきゃ手も足も出ないわけで。
 西木村で仲良しと過ごし、お茶を飲んで本を借り、大根を沢山もらい(これから毎日おでん?)、中仙のジャスコで洗車して帰宅。

2006年12月25日(月)

 クリスマスの日、NORADのサンタ追跡サイトで楽しむ。ルドルフの赤鼻の熱源を目標に(という設定)、47ヶ所のレーダーサイト、衛星を駆使し、サンタさんのライヴ映像を24日5:00〜25日3:30まで定期的にアップデート。50回目の今年は日本語版もできた。文字通り世界をつないでいる大プロジェクト。
 こういうファンタジーに多大なエネルギーと人手そしてコストをかけられる、アメリカという国の莫大な遊び心に圧倒されてしまった。そりゃ、こんなトコと喧嘩したら負けますわな、ウチの国・・・(まだ映画「硫黄島からの手紙」を引きずっている私)。
 発端は、「サンタさんの電話番号(サンタ・ホットライン)」として、間違ってCONAD(NORADの前身)の番号が掲載されちゃったのがきっかけらしい。サンタさんとお話しできると思って掛けて来た子供に、司令官がとっさに機転を利かせて「サンタは北極点から南に向かった」と答え(美しいエピソードだ・・・)、それから毎年サンタの追跡が行われるようになったとか。間違い電話事件から、こういうプロジェクトを立ち上げるなんて、ウチの国のお役所に思いつける事だろうか?(案外秋田県庁なんてやったりして?)。
 本来キリシタンの宗教行事であるクリスマスも、もはやそんなことは越えて、全世界の、大人と子供を、人と人をつなぐ行事となっている。クリスマス以外に、これほど国境を越えて人々が共有できる行事があるだろうか。なかなかに、すごいことだと思う。
 さて今日の夕食は、2日間散々むしった丸ごとチキンの残骸をガラとして大鍋に入れ、カレーだ。もう十年くらい、クリスマス明けはこのパターンでカレー(2年前、私のつわり時を除く)。とても美味しい。こうして鳥さんは、本当〜に骨だけになりましたとさ。南無阿弥陀仏。

2006年12月24日(日)

 クリスマス週末の昨日今日も、夫は実は仕事があった。急な呼び出しにも備え、大曲からそれ程は離れられない。それでも、件と件の間を縫うようにして何とか遊ぶ。夜秋田からの帰り、給油の為に寄った西仙北SAで、小腹が空いたので「なんか食べよか」とレストラン(上り線側のは営業を続けている)で食事していたら、すごく空いてる・・・ふと気付いたら、今夜ってクリスマスイヴじゃん。そりゃ誰も、SAでデートしないよ!
 SAから友達にメリークリスマスの電話をしたら、「あんたたち夫婦・・・地味。地味すぎるぅ」と泣かれてしまった。
 ところで食べたのは「秋田味三昧」。これはNEXCO東日本東北ブロック「みちのく華メニュー新メニュー発表会」でみごと銀賞に輝いたもので、ちょっとした工夫が微笑ましい良品。量も「小腹空き」にはぴったり。
 もう一つの銀賞、東北道・前沢SA(下り)の「前沢牛をあっさりと・・・」は牛たたきをお茶漬けで食べさせるもので、さいころステーキも付く。先週18日、仙台からの帰りに頂いて、これも満足の一品。
 ちなみに金賞はどこって?じゃ〜ん、岩手山SA(下り)「三陸と八幡平の"La fusion"」、洋食風らしいです。3つとも同値段。¥1200位だったかな。
 秋田の人は「秋田味三昧」、チェックしてみましょうね!(だからってイヴの夜に食べるなって?)。

2006年12月23日(土)

 皆様クリスマスはどのように?我が家では、秋田に引っ越して来てから毎年丸焼きチキンを西木村の「Kimoto」で予約するので、主婦の私はとてもラクになった。力任せに雪道を走って取りに行けばいいだけ(普通に走れよ・・・)。
 途中、角館「しちべえ」のお座敷で庭を見ながらお昼。「豆腐三昧」\1600なり。バラエティ豊かで美味しかった。私には少し量が足りず、和菓子のデザートを追加してもなおハングリーで、Kimotoで「ラ・フランス入りシフォンケーキ」やポテトカップに入ったグラタンなどを頂いてやっと幸せが完結。
 昔はクリスマスのチキンも丸ごと自分で焼いていたし、おせちも何段も、ほとんど一から作っていた。魚はさばき、味噌もうどんもパンも餃子の皮も梅酒もジャムも作ったし、ケーキなどは、一時もうこのままプロの道を目指そうかという位はまったので、今も製菓道具が天袋でひしめいている・・・どうしてくれよう?子供でも産まれたらまたやるかも?
 いや、やらないと思う。もうそこまでは。ゴメンね、子供。今はまだ卵のまま病院の冷蔵庫(?)で凍っている我が子よ。

2006年12月22日(金)

 愛車ターセルを連れて行き、2時間ほど「入院」させてあちこち診ていただく。治すところは治してもらい、お風呂に入れてもらって、ター坊は誇らしげにスッキリした顔で出てきた。か、かわいい・・・。もうずうっと、一緒にいようね。キミはクラシックカーとなりなさい。もうすでに、中身はだいぶ入れ替えてる。あと30年もすれば立派なクラシックカー・・・???
 夜は秋田スカイホテル地下のライブハウス、akita club swindleでhalosのライブ。草階亮一さんはふざけ気味に自分で「え〜お聞きのとおりの美声で・・・」などと言う人だけれど、本当〜に美声です。秋田の、特に市内の人はチェックしようね。ナマで聴く機会もあるのだから。ファーストミニアルバム「record」も出たし。タワーレコードやなんかに行ってみましょう。彼の禁煙生活。無事に続いているのだろうか・・・。
 ところで以前、「妊娠していても、普段の生活は普段どおりに続けていい」と産婦人科の先生には言われたけれど、ライブハウスに出入りするってのはどうなのか・・・。自分でもそれはちょっとあんまりかな、とも思うので、訊いてみる勇気なし。 

2006年12月21日(木)

 不妊外来に行き始めた頃(2005.3)は、私の人生の中で「子供が欲しいピーク」だったと思う。だからこそ行き始めたんだけど。思いがけない妊娠からの流産で、その頃はまだ、流産した事が悔しかった、というのもあると思う。(意地になるのは良くないですね)。
 今はどうか?今はもう、人生が思い通りにならない事に慣れてしまった。抵抗する無力さも分かってきたし。
 子供が居る人生も、居ない人生も、幸せはどちらも(無理に数値化すれば)70%位かと思う。子供がいればいたで体力的にキツい時があったり、やりたいことが制約を受けたり、子育てが終わったら年取っちゃってたり。そういう事態は容易に想像できるし。
 子供が居ない人生は人生で、好きな事がある程度できる。でもやっぱり、そこに「子」は居ない訳で、私達が死んでいく時、そして死んでから、何か残るものがあるのだろうか?(何かが残るような生き方をすればいいんですけどね・・・それはなかなか・・・)。
 どっちも70%。そう考えるともう、どっちでもいいかも。私に限らず、誰にも、100%の人生なんて、きっとあり得ない。だからせいぜい、いろいろ楽しい事をしたり、やりがいのある事を頑張ってしたり、笑えるときには笑いあったりして生きてるのでしょう、誰しも。
 深夜0時、大曲に向けてひたひた走る国道13号線は深い霧の中。今日は朝の博物館、昼食のサエラを始め、秋田市内を一日中、色々な所に行った。こんな日に、熊が出たら嫌だな(本当に出るんです、秋田じゃ)。人生は、選べているようで意外と選べてない。
 ん?ちょっと待って。この霧、本当に霧だよね?一人で走ってると確かめようもないんだけれど、いわゆる感覚遮断、とかじゃないよね?まぁ、現実に濃霧注意報も出てたので、大丈夫、本物の霧でしょう。
 帰ったら暖かいお風呂と飲み物が用意されていて、70%ながら、幸せを享受する私だった・・・。

2006年12月20日(水)

 よこてグランドホテルで、午後はお仕事の話。先様は初対面の人だったけれど、とても楽しいいい人で、仲良くなれそうな予感・・・。大曲の花火や飲み会、たこ焼きパーティの事など約して解散。いや、ちゃんとお仕事の話もしましたって!
 詳細はまだ・・・だけど、私にも深〜く共感できる良い企画で、その話にお役に立てるのであれば、うれしい。
 と、とにかく描かなきゃ・・・。

2006年12月19日(火)

 朝一で、由利本荘に向かう。そこでは、秋田出身で、今は神奈川のアトリエと秋田のアトリエと両方で活躍してらっしゃる画家五島まさを氏にお会いして、色々うかがう。絵のこと、私への助言、ためになる画集など。マットの切り方も教えて頂き、道具の事なども。目の前で電話して訊いて下さったのだけれど、残念ながら彩画堂にはマットカッター(小)は置いてない、とのことだった。
 いろいろ、本当に有難うございました。
 気分を変える為、帰りは国道107号を選択し、横手まわりで帰る。峠道は雪。黄桜温泉が私を呼ぶ。
 それにしても、石碾屋は今日も臨時休業だった・・・なんで私、臨時休業の日に来ちゃうんだろう。それとも、しょっちゅう休んでる・・・?

2006年12月18日(月)

 採卵してもらった東京の病院に確認の電話をする日。採卵・顕微授精した3コのうち、残り2コが無事に胚盤胞になったかどうか。1コは先週のうちに4分割で凍結されている。結果は。
 折しも今朝、凍結作業しようと見ると、その2コの私のベビー達は・・・変成、を始めてしまっていた、という事だった・・・。
 電話を切れば当然ながら無音の世界。窓の外は雪。
 それだから、と言う訳ではないけれど、雪の中、仙台に向けて出発する。
 泉の一葉で和食のお昼、J−WOODでバリ雑貨。白洋社でクリーニング品を受け取り、佐々重、阿部かま、フォーラス、ウンナナクールで少しずつ買い物。・・・そうかぁ。結局今回増えた凍結卵は、4分割の1コのみか。
 夜、定禅寺通りのイルミネーションの下を通る。クリスマス前(だからかどうか)、若いカップルがくっついて行き交うのが微笑ましい。
 私に関係ないけど、世界中の恋する人たちが、クリスマスを、好きな人と一緒に過ごせますように。

2006年12月17日(日)

 朝御飯の後も一回くらい温泉に入るかも、と思ってヨレヨレの浴衣・素顔のまま朝食会場に行ったら、皆さんもうキチンと身支度済みだった・・・いや、あの、私はフロントで宿代の精算などしていたので(言い訳)。
 帰りにバスが男鹿海鮮市場に寄り、スーパーでは見られない見事なハタハタがトロ箱で売られているのや、巨大なイカ、アンコウなど見る。夫に
 「ハタハタ、トロ箱で買って帰っていい?」と電話したら、
 「そんなぎょうさん(いっぱい、の意の大阪弁)、誰が食べるねん、誰が!」と言われたので、涙を呑んでオス・メス2匹ずつ、という可愛い量を買う。そうだよね、付近住民も全員単身赴任者で週末はいないし。
 運転免許の更新を終えた夫と合流し、ブルーメッセでお昼を食べ、フレスポ御所野の青山で夫がスーツを買ったりハートアップで眼鏡を作ったりするのに付き合い、「硫黄島からの手紙」を観て深夜帰宅。それから根性でハタハタを鍋物にして食べる。
 ところでお店の人によると、フレスポ御所野、オープンした先週には8万人が来たのだとか。秋田市の人口って、確か30万位じゃなかったっけ?どこからそんなに・・・(そう言う自分も大仙市から来てるけど)。

2006年12月16日(土)

 バスで博物館を出発、男鹿の大龍寺と、五社堂を見学。
 大龍寺(楽水亭庭園)、いろいろな花の咲く時期に、ぜひまた来ます!昨冬の大雪でダメージを受けた枝々が痛ましい・・・今冬は穏やかでありますように。
 冬の荒海と男鹿の切り立った山々と。厳しい風景に雑念が削ぎ落とされる・・・わけではなくて、相変わらずよこしまな自分が哀しい・・・名は、「つなしま」ですが。(あっ、寒かった?・・・みなさん石を投げないで下さい!)。
 宴会は楽し。男鹿の夜は更け行く。

2006年12月15日(金)

 ・・・とも言っていられないので、今日は着替えて出掛ける。大曲は深〜い霧に包まれていたというのに、沿岸部は秋田では珍しい程の快晴。
 アルスで買い物したり、「憩7」にお届け物ついでにお昼を頂いたり。フォーラスのヴィレッジヴァンガードで買い込んだビンゴゲームの景品を仕分けして札をつけ、博物館に持って行ったり、その帰り「サエラ」に行ったり。仲良しの人々に会うのは嬉しい。人々の明るさや優しさが心に滲みる。私には、とんでもなく悪いところもあって、分別も、どうやら長年自分で思って来たほどにはないみたいなのに。
 そしてそれは、きっと「子授けの神様」にはバレていて、しかも自分のコドモにもすぐバレて、「あっ、ちょっと、タンマ・・・考えさせて・・・」とフェードアウトされてるんだろうな・・・と思ったりする(いや、単に医学的な問題なんでしょうけど)。
 それはともかく、国道13号線の追越し車線はついに使えなくなっていた。まだ積雪がないので使用可かと、例によって追越し車線少し手前からギアを3速に落として様子を窺がっていた私は、バリケードを目にしていたくショックをうけたのだった・・・。おやすみ、追越し車線ちゃん。春までゆっくり休んでね。
 さて明日の夜は男鹿の「楽一」で博物館アイリスの会の泊り込み忘年会。この時期にこのような予定が入っていて、本当によかった!私は幹事さんだし、楽しく、頑張ってこようと思う。

2006年12月14日(木)

 珍しく、家から一歩も出ずに過ごす。起きたままの姿、顔も塗らず、寝巻きのままで・・・。
 東京の病院に預けてある卵は、1コはすでに凍結され(さぞ寒かろう、ごめん、わが子よ・・・)、あとの2コは胚盤胞になるべくセッセと分割しているらしい。
 なんか、「もう私の役目は終わった」ような気がしてしまう。孫まで育て終わったお婆ちゃんのように。ちょっと違う?
 これが、「燃え尽き症候群」というものでしょうか?それもちょっと違う?
 疲れた。もう何もしたくないです。

2006年12月13日(水)

 昨日の余波でぼんやり。抗生剤は効いてると思う、熱は下がった。いろいろな考え事に苦しみつつ色塗り。
 お風呂の用意だけしておいて夕方から出掛け、夜は角館での忘年会に夫と共に(私は途中から)参加。今日は運転手で、一滴も飲まないのにいきなり盛り上がって何曲も歌える、ノリのいい私だった。なんか欺瞞がある・・・?いえいえ、あっちの私もこっちの私も一応真実。誰しも色んな面があるってことで。
 死ぬまでに一度でいいから、妙な曇りのない仙人のような心境になってみたいと願う今日この頃です・・・。でも絶対無理。煩悩は苦し・・・。

2006年12月12日(火)

 出血はなくなったけれど体が熱っぽく、東京でも「秋田の病院に行って下さい!」と言われたので、起きて着替えて秋田の病院にたどり着く。実は昨日37.6度、今日は37.3度の微熱。
 恥ずかしいので書かなかったけれど、もう先生にも言っちゃったので書くけれど、実は採卵の時、痛いのと驚いたのとで、けっこう動いてしまったのだった。初めての採卵でもあるまいに・・・。で、仕方なく恥を忍んでその事を告げ、診ていただく。血の溜まっている所などはなく(つまり私がただ痛がってるだけ)、抗生剤を処方してもらう。
 いったん言っちゃうと気楽になって「もお〜、すんご〜い、イタかったんですよぅ〜あの病院手術台が怖いしぃ〜」などと、余すところなく恥をさらけ出してしまう私だった・・・。
 ちょっと事情があり、どの卵も胚移植は春以降に行いたい事など話す。と、いうことは、もうあんまり、この病院に来ることもないのだなぁ、と思ったので、一応すこし改まって挨拶をする。
 私がこの病院で流産した時(2005年7月)。廊下で号泣してしまった情けない患者の私と一緒に泣いてくれた看護師のTさんが、ちょうどこの時診察室に詰めていて、目を合わせてにっこり笑う。何か言おうと思ったけれど、言いたい事がありすぎて、何も言えなかった・・・。きっと、口を開いたら、泣いちゃったと思う。
 なんか、すっごくお世話になったなぁと思う。不妊治療を始める前に思ったより、けっこう長丁場になってしまって、いろんな事、いろんな時があったし。不妊治療の患者さんは多かれ少なかれ皆そうだと思うけど、ここに来るのは、ある意味生活の一部(というかほとんど?)になっちゃっていたので、これからどうやって生きていこう・・・と、ちょっと呆然となってしまった。
 人生が終わったような気分になって、フラフラと市内を徘徊し、夜遅くに大曲に帰着する不良主婦(?)だった・・・。いいのいいの、家族の者は今日も忘年会です。

2006年12月11日(月)

 まだちょっと出血。・・・びょ、病院・・・?いやいや、このくらいなら・・・?
 ところで、東京が思いのほか寒かったので衣類を買い足しに行ったユニクロで、試着室に時計を忘れ、そのまま、それは帰らぬヒト(時計)となってしまった。
 はい、ここで、なんで新宿だの池袋だのまで行ってユニクロなのかって?私は高い服は買いません(買えません、とも言う)。他の事にお金もかかるし、それに高い服って、絶対に老けて見えるもん!←(負け惜しみ)。デパート(秋田じゃ西武と中三)ではまず買わないので、セゾンのクラブオン(秋田の奥様方御用達)にも入っていないくらいだし。さらに!ユニクロでも、まっすぐワゴン(セール)に直行し、ワゴンだけで帰る特技も持っている・・・と書いてきて空しくなったので話を元に戻すと、とにかく池袋東武百貨店7Fのユニクロに、17年の付き合いになる腕時計を忘れて、今生の別れとなってしまったのだった。
 一生懸命一緒に捜してくれたユニクロの人、東武の忘れ物センターの人、有難うございました。親切が嬉しかった・・・。
 でも、あの時計を持って行った人は、そのまま届けずに行っちゃった位だから、きっと気に入った(またはいいものだと思った)のでしょう。細身のベルトが真っ赤で可愛かったし。きっと今頃、自分で着けるにしろ売っ払ったり誰かにあげるにしろ、有効に活用してくれていることと思う(私よりも)。
 時計も、もう、私と一緒に居ることに飽きて来ていたかも知れない。いまごろ、私と一緒にいたら見れなかったものを見たり、会えなかった人に会ったり、行けなかった所に行ったりして、第二の人生を歩み始めていて、楽しいと感じているのかも知れない。
 そうであれば、私も嬉しい。
 元気でね。さようなら、アンクラインU。

2006年12月10日(日)

 なんと。朝7時50分、という超早い時間帯の採卵を指示されてしまった。やはり前回採卵前に排卵しちゃった前科者なので、しっかりマークされているのだった・・・。
 手術室入りまでは前回(11月9日)に同じ。
 それにしても、初めての麻酔なし採卵・・・動かないようにと思って緊張するし、やっぱり痛い!!!なかなかにコワいものだった。私が痛がり?何度も「はい、チカラ抜いて〜動かないで、深呼吸して下さい。あっ、お腹は押さえないで!」などと励まされる情けない患者、それが私。このコワさ&出費が、継続を考えるに、やはりネックかも。
 安静時間は20分。私以外の人はさっさと20分で起きてトイレに行き(止血ガーゼを抜くため)、着替えて、さっそうと帰っていくのだった。情けない私・・・。その私とていつまでも寝ていられない、後がつかえているので、七転八倒してガーゼを抜き(絶対、膣が裏返って出てくると思った)、ヨロヨロと着替える。
 診察室。卵は、3つ採れたという。嬉しい。今回のは凍結してもらうことにするので、採卵の先生は「じゃあ、これからもドンドン採卵して行きますか!」と、実に楽しそうにニコニコしてらっしゃる。つられてついニコニコしちゃって、頷きそうになるけれど、いや、まぁ、ちょっと落ち着いて考えさせて。いろいろあるんです。
 お腹がまだ痛いのと、出血も少しあるので、秋田に帰ってもアヤシい感じだったら病院に行くように、と言われる。今はいいの・・・?
 「うん、今は顔つき見たところ、大丈夫そうだから!」
 いや、私、わりと何があってもニコニコしてる人なんで、見た目は当てにならないと思うよ・・・と思いつつ、「んじゃっ、また(また、なんてあるのか?)!」と退去。
 やはり荷物を持って乗り換えなどする間にどんどん痛くなって、歩けない程に。秋田に帰りつき、ゴハンはとても作れないので、「酒庵たなか」に寄って美味しいものを少し食べて、大曲に帰着。
 怒涛の5日間だった。ただいまです。

2006年12月9日(土)

 一日中寒い雨。表参道の「茶茶の間」で目の前でほうろくでお茶を焙じてもらい、それをチャイにしてもらう。要するに日本茶のチャイ。
 一緒に頂いたあんみつは、寒天はほうじ茶寒天、餡も豆も一から手作りで、それに食べられる棒茶「おかしな茶棒頭」をトッピング。どちらも信じられない位美味しくて、それでいて、普通のあんみつとかの倍、はしないのだから、凄いことだと思う。東京にいる人はぜひ行ってみましょう!日本茶ソムリエ和多田さんによると、ある日スケッチ集団がやってきて、雨だったので一部の人はここの店内やお料理をスケッチして行ったのだとか。う〜む、その手口(?)、画風、ど〜も、我が同門の一味のような気がする・・・。すみません、私達、かさ高いスケッチ族で・・・。
 帰りに2Fの「WANOMA」にも寄り、シルバーアクセサリー作りを習う。
 これからは自分でもいろいろ作ってみます、ありがとう!

2006年12月8日(金)

 朝8時前に西新宿の病院に出頭。卵胞、左17ミリ、右15ミリと13ミリ。血中ホルモン値はもう採卵できるくらいらしく、今日はもうhMG注射はうたず、クロミッドを最後にもう一錠、昼に飲むだけと決まる。
 それはいいけど、左の卵巣がまたわかりづらい所にあるらしく、超音波の機械が捜しまわるので痛い・・・。この、秋田や東京の、先生という先生を手こずらせる左の卵巣、この深い位置。このヒト(卵巣)は、申し訳ないとは思わないんでしょうか?私に対しても。
 「じゃぁ、ずっとこの辺に滞在されてるんですよね、緊急の連絡先はこの携帯の番号で宜しいですねっ」と再三念を押される。先生、そんなに私、脱走でもしそうに見えますか・・・。前回、採卵前に排卵しちゃった「前科者」に、世間(病院)の風(チェック)は厳しいのだった・・・。
 五反田の和食処「たく庵」の昼ごはん後にクロミッド一錠、これで最後。
 今、三井ビルでは鈴木一雄さんの写真展が開かれていて、産卵の為の「鰍(かじか)の滝登り」のさまなどを見る。すごい・・・。
 こんな小さなものが激流に逆らい、岩にしがみついてでも産卵に向かうさまを見ると、私が秋田から飛行機で採卵に来るくらい、どうってコトないかも・・・と頭が下がる思い。ちょっとモンダイが違う?まぁ、似たようなものでしょう。
 夜は表参道「ロータス」にて。ここは、ちょっと、札幌の「のや」を思い出すカフェです。
 24時と25時(夜中)に鼻スプレーでhCGを入れて就寝。

2006年12月7日(木)

 板橋に住んでいた頃のパート仲間で、その後一生の友達となってしまったサカネ嬢(二人の子持ち)に会いに行く。懐かしい。常磐線に乗ったのも久しぶり。さらに昔、南柏駅の近くに住んでたこともあり、その時は初めて大阪を離れたので、この地方の人の何割かに軽く残る東北訛りが聞き取れずに苦労したことがある。今?「軽く」ならお茶の子ですっ。東京にいて、耳に東北訛りが入ると嬉しい今日この頃。
 しかし当時は十数年後に秋田に住むことになるとは思わなかったなぁ。
 ところで今回はウィークリーマンションに連泊。江古田。病院(新宿)には大江戸線一本だし、池袋にも近いし、中野(前住所地)にもバス一本で行ける。ブックオフもコミックバスターも24時間スーパーも飲み屋もあるし、すごく良い所だ・・・。
 中野といえばサブカルチャー好きにはコタエられない中野ブロードウェイ!特に「タコシェ」で買える脳そっくりの「脳ポーチ」はすごく笑えます(また絵にしてアップします・・・しなくていいって?)。
 一応台所もついてるし、鍋でも作って食べたいけれど包丁・まな板がなく、涙を呑んで(?)「つきじ植むら」でかき鍋を食べる。

2006年12月6日(水)

 朝一番で秋田出発、東京・西新宿の某「Kレディースクリニック」へ。卵胞はまだ小さかった。今日も前回の採卵(採れなかったけど)の時の先生で、驚いたことに、前回私が話したことなど、一ヶ月も前のことをだいたい覚えてもらっていたようだった。すごい・・・って単に、秋田から来てる大阪弁の客(患者)ってのが珍しいだけね。
 「また秋田との往復になっちゃって気の毒だけど・・・」
 「はぁ、それで今回、もうずっと東京に泊まっておこうと思いまして」
 「そりゃよかった!じゃ、あさって、朝8時に来てもらって血液検査もね」。
 看護師さんの今日の採血が全然痛くなく、後で彼女にそう言うと、
 「ふふっ。今の、血管のド真ん中に入りましたもんね!」と、誇らしげだった、かわいい・・・ありがとう。
 ところで、ここだけの話、私はトイレの鍵をかけ忘れるたちで(今日も忘れた)、うっかり開けてしまった人様には実に申し訳ないことと思う。以前、同い年くらいの男性で、私が悪いのにすごく恐縮して下さったので、フォローしようと思って
 「いえいえ〜。お宅の奥様と、ついてるモンは一緒ですから!」と申し上げたら大変ウケてしまった事がある。誰もそこまで見てないって・・・。
 病院の窓から見えている新宿センタービルの別館、「音音」でごはん。

フレーム
2006年12月5日(火)

 体外受精のため明日よりしばらく東京に滞在。今回はバタバタせず、一人きりでゆっくりしようと思う。雪でいきなり腰も痛めてるし。ノートパソコンは持って行くので、メールは生きてます、どうぞよろしく。
 タケダ歯科さん待合室にあったクリスマスオブジェを、診療の待ち時間などで描いた絵が完成したので持って行き、掲載の許可を頂く。
 なので、東京から帰秋したら、次のHPの表紙扉絵はこれになります。簡単なご紹介記事もお付けしますので、お楽しみにお待ち下さいませ。

2006年12月4日(月)

 朝から病院。今日は時間フリーの予約で、何時に行ってもよかったので助かった。そうでなかったら、久々の大雪を前に挫折していたかも、という位大曲では降った。
 病院に着くと、去年からおなじみの駐車場係の人が「いや〜雪降ったねぇ。また冬だぁ」と笑顔(?)だったけれど、大曲から走ってきた私は「市内はこの位?こんなん、県南の民は雪とは言いません!」とツッコミを入れつつ、お互いに、巡り来た冬を寿ぐ。
 今日は秋田でhMG注射、あさってからは東京。東京との往復は疲れるし、卵が採れても採れなくても、今回あたりで終りにしようかとも思う。ここにも、よく通ってお世話になった・・・と、何気に物悲しく、「いつ見てもヘラヘラ笑ってる」と言われる私も、さすがに今日は笑顔になれなかった・・・。悔いを残しつつ、次の予定のため除雪状況の悪い農道をひた走って角館へ。
 片付けの始まっている「世古寸喜(よこずき)展」をなんとか見せてもらい、帰る前に西木村へ。
 「Kimoto」(リンクしてます、見てね)で、お惣菜を買いがてらバンバン話してバンバンお茶飲んで、お土産をやり取りしたりして。そうこうするうち、あらら、気付けば、バンバン笑っていたのだった・・・。C子さん有難う!午前中笑えなかった分まで、午後笑えたよ!

2006年12月3日(日)

 奥村信子バレエ研究所のバレエフェスティバル、秋田市文化会館へ。
 人間の体って、ここまでの事が出来るようになるんだ・・・という驚きと、そうか、それでも、スタート地点はここなのか、という感慨と。両方から感銘を受けた一日となる。「何かをやっていく」ことの意味を、出演者も観客も、今日この場所で、みんな改めて考えたのでは。素晴らしい一日を、有難うございました。
 この日秋田市内は吹雪。憩7に寄って、御所野のユニクロで買い物して帰る。

2006年12月2日(土)

 牛島で昼食をとった後フォーラスを歩いていたら、向うから、絶対に見覚えのあるよう〜な方が・・・。いったん目をそらして、ちゃんと記憶を整理してから、パッ、と見たら、わかった、わかりました。何と大学病院の不妊外来の先生。昨年、私は点鼻薬のせいで顔を鼻水だらけにしたまま「あの〜、もう鼻かんでもいいでふか・・・?」と訊きに行ってこの方の笑いをとってしまった事がある。忘れて頂いてれば嬉しいのだけど。
 病院では(他の所でも?)いつも赤っ恥をかいているまぬけな私、こんな所で急に病院の先生に会ったら恥ずかしいってば!「こ、こ、こんにちは!」と、どもりながらやっと言えただけ。でもきっと今ごろは、向うで「ん?どっかで見た顔かな・・・」と思っておられることでしょう。

 帰ると、秋田県医師会より情報誌「すこやかさん in AKITA vol.25」が届けられている。おお。ちょっと忘れていたけれど(何せ取材は9月7日)、表紙のヒト(何と私です)、何でこんなに大口開けて笑っているのか?歯磨きのCMじゃないんだから!ああ、笑いジワがくっきり。
 ・・・と、ついつまらないことを気にしてしまったけれど、秋田県医師会様にはお世話になりました。いろいろ、とても面白かったし。いつもお世話になっているだけの医療の世界に、少しでもお役に立てたのであれば嬉しい。恥のかき甲斐もあった・・・かなぁ・・・?

2006年12月1日(金)

 いよいよ12月に突入。街はジングルベルの喧しく、大人は年賀状の心配に、忘年会にと忙しい。子供にクリスマスプレゼントをねだられる事もない私の12月、それはそれで、静かなよいものかも(負け惜しみです、はい)。
 それはともかく、ショップページ新設。今まで希望して下さる方にはあたふたと個別に対応していましたが、これで品目やシステムなど、お互いに分かりやすく簡単になりました。どうぞよろしく・・・。
 出掛けたり、パソコンに向かっていたり、家のことをいろいろしていたりで、思うように彩色も進まなかったここしばらくの生活だったけれど、雪国の長い冬、落ち着いて絵筆をとって過ごそうと、静かに思います。

2006年11月30日(木)

 さすがに、今降っている雨も、明日からは雪に変わるという。
 いいこともある。雪が降ると、特に吹雪の時なんかは、ベテランドライバーも初心者マークも全く「雪の下に平等」って感じになって、お互いのライトを頼りにお手々つないでよちよち歩む。それは、なかなかに、心温まる微笑ましい光景と、言って言えなくもないのだった・・・。冬の秋田。
 でも別に吹雪の時でなくても、車って、いったん乗ってしまえばドライバー同士お互い、性別も年令も社会的地位も関係なく、注意してなきゃぶつかるし、違反をすれば捕まる。「いま車を運転している」という事実の下にみんな平等なので、そして、こういうフラットな世界は他ではあまり見られないので、そこは車社会のいい所かなと思う。

2006年11月29日(水)

 あと、この地域さえマスターすれば、私は秋田市内でタクシー運転手になれるかも!?という、(イエ、なれないと思うけど)私にとっての未解決地区、牛島・楢山界隈へ。やはり目的地に一発ではたどり着けず、途中、コープの駐車場から電話して道を教えていただく。(いつもの事ですが、今日も秋田県人以外の方には判らないであろう地名の数々、申し訳ありません。お急ぎの方はとばしてお読み下さい・・・)。
 この地域が何故そんなに未解決だったかというと、Yの字に枝分かれしている2本のJR線路と国道13号線がハナシをややこしくしている地帯で、道路標識の地名がある程度分ってくるまでは手も足も出せなかったから。今日も、「や〜ん、私は13号線に乗りたいのにー」と泣きながら13号線の高架の下をくぐらされ、さらなる混迷の中へ・・・。
 なんとか一度は脱出したものの、妙〜に闘志が湧いてしまったので、リベンジをかけてもう一度、牛島マスターの旅に出る。・・・本当はすごく忙しいのに、こんなことに時間とエネルギーを費やしてるなんて・・・。
 でも頑張りの甲斐あって、これでまた、未解決地区を一つ減らせた今日の私です。
 今日からクロミッド服用はじまる。

2006年11月28日(火)

 そこで、やっぱり今日は病院へ。排卵誘発のクロミッドを飲み始める前に、前周期のモノが卵巣や子宮に残っていないか、チェックしてもらってから飲み始めるように、と言われていたので、診てもらいに行く。
 いつもながら駐車場は混んでいて、昨冬の惨状が思い出される。大雪のため、特にスゴかった。今となっては懐かしいなぁ(とか言って、今年も大雪だったりして)。先月スケッチした正面玄関前の秋明菊・ホトトギスたちが、まだ頑張って咲いているのを発見して驚く。・・・驚いてないで彩色しなきゃ。
 実は、今周期に採卵するかとか、そのあとどうしようとか、イマイチ方針がはっきり決まらないまま来てしまった私。まぁ、診察でもしてもらってるうちに自然と心が決まるでしょう、と・・・。でも、もし私がお医者さまだったらイヤだな、こんな「出たトコ勝負」みたいな患者さんが来たら。
 いつも、待つ間、周りの患者さん方をじろじろ見ているわけにもいかないし、壁をにらみすえているわけにもいかないので、何か文庫本を持っていくことにしている。「目のやり場」として。ところが今日は、本当〜にただの「目のやり場」。頭になんか入りゃしない。
 でも順番が来て、ざっと「前号までのあらすじ」(?)や今の状況を説明したり、診察してもらったり、しているうちに
 「まぁ、乗りかかった船、ゆう言葉もあることやし、もう一回くらいは行くかなぁ」という軽い気分になる。火曜日の先生とは関西人同士だからかも知れない?
 世間話(診察とも言う)ついでに東京の病院のことなどあれこれ話す。私はスパイ?秋田のマタ・ハリと呼んで〜(古い)。

2006年11月27日(月)

 現在の名前で新たにHPを作り直したのが昨年、12月。最初のうちはトラブル続きでテストを繰り返していたので、いつから開設、とは明言できないけれど、とにかくそろそろ一年。
 そこで。記念事業として(?)、かねてより懸案のSHOPページを開設することにし、作業にいそしむ。・・・しかしはかどらない。それというのも、今日から今周期の生理が始まったから。病院・・・やっぱり、病院に行くんでしょうか、私。やっぱり?

2006年11月26日(日)

 お昼、雄和のヴィラ・フローラのステーキバイキング、というのに行ってみる。バイキングって、炭水化物さえ避ければどんなに食べても体重にひびかないので好き(私の場合です)。
 アルスで生チョコをもらえたし、飯塚さんにも会ったし、憩7にも行けたし、充実の一日に。風邪ひいてる場合じゃないです!

2006年11月25日(土)

 朝から県立博物館で会。私も幹事なので、「楽一」(男鹿)での泊まりこみ忘年会の計画など詰めて、ハチ公剥製里帰り展示を皆で見て帰る。ノブ君とも握手した!
 小泉潟には白鳥が渡来していて、下手なラッパのような鳴き声で遠くからでもそれと判る。
 午後はアトリエももさだ。中国甘粛省と秋田県の文化交流関係の講演・展示・交流会に館の人、ボランティアの人と参加。17日の餃子講習で講師だった交流員盧燕玲さんも出席され、いろいろなお話をして下さる。
 一人になっての帰り、携帯電話を充電するべく楢山のサティに寄る。秋田のショッピングモールでどこが好きかと訊かれれば(誰も訊いてないって)、きっとここの名も挙げると思う。巨大施設が次々できる中、このサティの程よい規模も好もしく、面積の割に商品は多いし、まだ私には関係ないけど赤ちゃん休憩室もちゃんとあるし、好きな店(大したものではない、ミスタードーナツとか銀たことかヴィレッジヴァンガードとか)もだいたいあるし。こまち健康ランドが近くに出来たし。
 何より屋上駐車場が私のお気に入りで、特に、暗く寒くなってから上がると、どの方向にも街の明かりがキラキラまたたいて郷愁を誘い、忘れかけていたいろいろなことを思い出す、みたいな。ちょっと罪な場所ですね。
 (今日も、秋田県外の方にはさっぱりわからない地名の数々、失礼しました)。

2006年11月24日(金)

 22日の夜より発熱。18日(土)の風邪ぎみは、やはり完全には去っていなかったのだった。
 今宵はやっと起きられるようになり、ゴハンの支度ををする。色塗りも溜まっているし、HPの表紙も替えたい。メールBOXも満杯。でも、2日間夫に大変な世話をかけてヨレヨレにしちゃったので、今日は私がゴハンを作っておきたいところ。
 ・・・こういうとき結局、家のコト、ゴハンつくりのほうを取る私って・・・。
 まぁそれもいいかも。一応主婦だし。

2006年11月22日(水)

 不妊治療の話の時、よく取り上げられる永遠の話題。
 それは、「不妊治療」というものにあたって、不妊専門病院に行くか、ほかの事もやっている産婦人科医院に行くか、はたまた総合病院に行くか、という選択の問題(選べない状況の方も中にはおありかとは思いますが・・・)。
 不妊専門病院には、確かに数々の利点がある。設備面。受付の人などスタッフの心得た対応。妊婦さんと一緒になるのが辛い、という人にはやはりこちらがいいと思うし。
 でも全体的な産婦人科にも侵しがたい利点があって、それは、「いろんな人がいる」ってこと。子供が産まれて(妊娠して)喜んでいる人もいるし、「デキ」ちゃって「どうしよう・・・」と青ざめている(?)人もいるし。また、腫瘍関係で闘病していて、生きるか死ぬかの世界を闘っている人もいるし。時には、更年期に悩むご婦人方がホルモン療法などに来て、連れ立って談笑していたりもするし。
 そういう、いろんな世界が、狭い待合室にぎっしり詰まっている中に身を置いていると、自分の抱えている問題なんて小さく思えてくる。
 これが総合病院であれば、一歩廊下に出れば他科の外来・入院患者さん達もそれぞれにいろんな症状を抱えてうろうろしていたり、家族が疲れた顔で着替えを運んでいたりするし。サイレンが鳴って救急車が着けば、身内がうろたえながら、ガラガラいう担架について走っていたりもする。
 また、大学病院などだと、初々しく凛々しい学生さん(らしき若者)が緊張した面持ちで先生にピッタリくっついていて(中にはやたらに世慣れた感じのヒトもいる)、こちらの言う事に、先生よりもぶんぶん頷いていたりして、笑いをこらえるのに苦労したり・・・。
 もうこうなってくると、相対的に、私の問題はどんどん小さくなっていくわけで、私はそういう環境の方が好きだったのだなぁ、と思う。
 まあ、私はもともと、一つの大集団が「目的を一にしている」という感じが苦手なので、ついそういう所では後ずさりしてしまう性格、なだけです。
 ・・・と、いう訳で、病院選びに正解はないというような、締まらな〜い結論の今日で失礼しました。

2006年11月21日(火)

 新しい歯を調節してもらいに行く。なかなか予約が取れないこの人気歯科医院では、野暮用で忙しい私がこの一年にどれほどのご迷惑をおかけしたか知れない。でも、おかげさまで口がさけるほど笑えるの!(少なくとも歯的には)。待合時間に少しずつ描いていった院内の小物スケッチもキリよく終了。
 夜は夫の職場のボーリング大会に参入、小まめにミゾそうじ(ガーター)する地味な私だった・・・。
 五人百姓で打ち上げ、バー「Pot Still」で60度、だの58度、だのとステキな度数のスコッチの数々をストレートでいただく(しっかり水を飲みながらです!)。キチンとしたお酒は、そうそう悪さをしないもんです。
 とても素敵なこのお店はペアーレのすぐ近く。今後、プールの帰りの誘惑に、打ち勝てるか・・・。
 お風呂に入り、プラノバール(卵胞・黄体ホルモン合剤。明日で一周期分のみ終り)を飲んで就寝。

2006年11月20日(月)

 一日じゅう雨。これがもうすぐ雪になって降るのだなぁと思う。月曜午前、他に予定のない日はペアーレのプールで泳ぐことが多い。泳ぎながらいろいろなことをかんがえる。
 たとえば病院の(体外受精の)こと。
 ある程度覚悟していた事だけれど、東京の病院と秋田を往復しつつの治療生活は、心身および家庭経済に少なくはない疲労をもたらす。他のことができない。QOL(クオリティオブライフ)という言葉が頭をよぎる。
 さて、いま私には三つの選択肢がある。(「スカイハイ」の釈由美子の口調で)。←知らない人ごめんなさい。
@ この次の生理が始まったら(多分一週間くらい先)、素直に東京でもう一回トライする。
A 前回はげしく疲れたので、とりあえず休む。で、その次トライ。
B (         同上            )。続行については再考。
 話の流れからいけば@が素直な選択かと。気持ち的にはB。なか取ってAにするか?いや、だめだめ、Aの場合モロに年末年始にかかる。飛行機も新幹線も宿も、取れやしませんって(取れても高い)。結局、@かB、という両極端から選ぶのね・・・。
 こんなこと考えながら泳いでたら健康に悪いってば!

2006年11月19日(日)

 昨日見切れなかった作品も見たいので、再び「スマイル」。絵の具の話、紙の話、落款のことなど、画伯との話は尽きず、本荘or秋田での再会を約して名刺交換。全部で184点の展示、だった。すごい。今日は最終日だったので、3時になり、片付けの人々が来てどんどん片付けて行く様子も楽しい。
 ふるさとが秋田である、というのは羨ましい。いいなぁ、ふるさととして描くものがいっぱいあって。「ふるさとの郷愁を詩う」という言葉が今展示の副題に掲げられていたけれど、それって、大阪や東京にはとても当てはまりにくい言葉だと思う。天王寺区出身の私・・・寺でも描くしか、おませんなぁ。
 ついでなので(?)道の駅象潟で夫を拾って秋田の「憩7」へ行って帰る。

2006年11月18日(土)

 にかほ市の洋食屋さん、キッチン森本で美味しい昼食の後、総合福祉交流センター「スマイル」にて、五島まさを氏の「新生にかほ市」百景展に。作者の方にもお会い出来て、とてもよかった。画伯とのお話に燃えていたので見切れないほどの作品数!
 そのあと、温海温泉へ職場旅行で行く夫を道の駅象潟で降ろす。風邪ぎみなので私はおとなしく帰り、夜は地味に色塗り作業。水曜日に大曲タイヤ館で、冬タイヤに履き替えるのを待つ間を利用して描いたポインセチア。JR飯詰駅全景。「憩7」のえりちゃんのおばあさんから頂いたお花。など。

2006年11月17日(金)

 遊学舎(赤十字病院前)にて、秋田県立博物館で交流員として研修中の盧燕玲さん(甘粛省博物館 副研究所員)の、手作り餃子講習会。この日私は買出し係。ふだん自分じゃ絶対に買えない程の量の食材をドドーンと買い込んでマイバスケットを誇らしげに満杯にする。
 内容はとても本格的で、目にも留まらぬ速さで作られていく餃子の皮に、芸術的に包まれていく餃子に、ただただ口をあんぐり開けて見守る・・・ヒマもなく、私達もやるのだった。いや、もう私、これから餃子の皮は手作りしますからっ・・・と、少なくとも今は思う。
 途中で御所野イオンで材料買い足し、余った皮で面ピンなども披露して頂く。これまた凄いスピードでお鍋に千切り投げられる、もう芸術・・・。これをマスターすればホームパーティなどで喝采を浴びられること間違いなし。一同うっとりして、大満足(腹)、大感激の内に終了。良い会でした。

2006年11月16日(木)

 先日、西仙北S.Aに駐車してトイレに入り、出て来て見たら何と。私のターセル坊はベンツとBMWの間に挟まれていた・・・。しかしまぁ、何と申しましょうか、そこでちっとも見劣りしていない美しい上品な車体ラインの我がター坊。いよっ、大統領!ほれぼれするなぁ。大事にしよっと。(「いや、それ欲目。やはし見劣りしてるってば、客観的に・・・」←By夫)

2006年11月15日(水)

 朝病院に行くと「健康と食生活展」というのをやっていて、絶食中の身には地獄・・・。
 さて胃カメラ。やっぱり「力を抜く」って難しい。「でも前回(別の病院)よりはラクでした」と後で先生に言ったら「えっ、これで?」と驚かれてしまった。やっぱり私、そんなにカメラ呑むの下手ですか・・・。
 注射の影響でしばらく目がかすむから運転するなと説明書にあったので、一応用心して、会計待ちの間に雹(ひょう)降る中、歩いて食べに行く。歩くと遠い、堤敷は伍助のおすしとパティスリー・ストーブの赤いマドレーヌ。雪のある日、この2軒の駐車場はつながっていると思って、車で塀(膝くらいの高さ)を越しちゃいそうになったことがある。それは、大雪が悪いんです!
 病院の会計を済ませ、自由の身になって「陶彩サエラ」へ。普段ならランチのハシゴが出来るのに、今日はさすがに絶食・胃カメラ明け。オレンジティーでくつろがせてもらい、大曲タイヤ館に電話して大曲に帰る。雹に降られ、絶対に今日はタイヤを替えようと決意。ほらほら、高速道路も雪ですやん!

2006年11月14日(火)

 2日間(11/13、14)、ぼんやりしてしまった。やはり私には、東京の水は合わないのか・・・。この一週間の間に溜まった用事も片付かない。
 このところ、久々の灯油ストーブの匂いをかぐせいか、久々に除雪車が並んでいるのを見たせいか、去年の今ごろ何してたかなぁ、と思ったりする。
 歴史をひもとく(?)と。
 体外受精・胚移植を受けたものの生理が来て。とにかく判定日病院に行ったら妊娠の可能性はゼロではない(かもしれない)ので今後の基礎体温の動きに注意するように、と言われて混乱して、動揺のあまり帰りの高速道走行中に足がつったという、2005年でもっともトホホな馬鹿な一日だった・・・。

 やっぱり、大したことはしていなかった。しかも、一年経って状況は進展していない、どころか、同じ所をぐるぐる回っている日々。
 いや、もう、振り返るだにカッコ悪くサエないこの一年です(だったら振り返るなって)・・・。
 今後に期待しましょう。

2006年11月13日(月)

 去年もこの時期、12月初め頃、大阪に帰省していて、秋田に帰ってきたらイキナリ冬!になっていて驚いた記憶がある。
 そのころ、秋田のお人からもらったメールに「風雪厳しく、風邪にはご注意下さい」とあって、それを大阪駅前のホットスポットで見た私は「ん?風雪?」と思ったものだったが、雪積もっている秋田に帰ってみて深く納得したのだった。そうですか、秋田の人はすでにこのような現実世界を生きていたのね!と。なにか、それは感激だった。今では私も、そのフレーズをつかってメールをかく。
 今回はその去年より時期の早い11月中旬の帰省だったけれど、昨日の夜中、秋田からの高速道では思いっきり雪に降られ、「なんでいつもいつも私の留守中に冬化(?)が進むんだよ!季節に置いていかれるようでさみしい〜」と泣く。それよりタイヤ替えなきゃ。

2006年11月12日(日)

 大阪の人には「ワイは大阪人や!」みたいなアイデンティティがわりとあって、それが、よその人からは、実際以上に押しが強いようにもエネルギッシュなようにも見えるのじゃないかと思う。かく言う私も実は大阪人の中の大阪人。梅田地下街、阪神梅田駅〜地下鉄谷町線東梅田駅界隈の雑踏の間を、すごいスピードですり抜けることができるのだった・・・。ただ、この特技、現住所地の秋田県・大曲ではちっとも生かされないのが惜しいところ(いや、惜しくない惜しくない)。
 ホットスポット(無線LANを使える所)を求めてさまようも、そもそも近場のホットスポットの場所を検索するにもまずはネットに繋がなきゃならない。諦めて大阪駅南のフロートコート2F、ネットカフェ「X−TIME」で繋ぐ。似たようなネットカフェ「コミックバスター」が最近はアルヴェ(突然秋田駅東口のハナシです)にもあり、こっちの方が設備も感じもよい、と身内びいきに思ってしまう私はすでに秋田人・・・。
 空港で見送ると悲しくなるから、という母と家の近くで別れ、秋田へ。「酒庵たなか」で芋のこ鍋や鮎の天麩羅、郷土(この場合秋田ね)のものをいただいて、ホッとひと息。
 まだまだ今宵は「大阪弁モード」から抜けきっていない私だけれど、大丈夫!ここのご主人はもと大阪人です。

2006年11月11日(土)

 珍しく親といるせいか、私だったらどういう子育てをするかな、などと考える。
 今考えても分からない事だけれど、わりと何でも、「どうでもいいや!」と明るく突っ走ってしまう性格なので、けっこう放任主義になっちゃうかも。おかあさん(私)は、もう「つくって、産む」ところまででふらふらです・・・。それ以上のこと(勉強とかお行儀とか)まではとても手が回らない・・・。
 ただ、これだけは。必然的に私は親としてはちょっと高齢になるので、子供と世代もずいぶん違うし、順当にいけば早く死に別れる。子供には、外でたくさんたくさん、いろんな人と楽しく(ある時は苦しく)付きあって、いろんな人に好かれる人になって欲しい。

2006年11月10日(金)

 このところ秋田・鳥海山を最高!と思っている私だけれど、やはり昨日、久しぶりに見た夕日の中の富士山も美しかった。あの、官能的なまでになだらかな裾野の曲線は誰にも真似できない・・・。
 東京に寄って来た事で「なんで?」とか訊かれるのは「いや、まあ」などとかわして、ここではここの用に徹する。
 私が産まれた時に住んでいたアパートは、小さいながらマンションになっていて、その前で母や姉と記念写真を撮った。

2006年11月9日(木)

 朝一飛行機で東京の病院へ。驚いたことに、大江戸線都庁前駅と丸の内線西新宿は、ついに地下でつながっていた!
 採卵時のシステムは、いろいろ違う。ここはほとんどのケースで麻酔なし外来採卵。外来採卵なので着替えないのだと思って濃い色のフレアスカートとシワにならない服で行ったけど、ここではまず個室のリラックスルーム、というのに入れられ、そこでピンクの術衣とピンクのヘアーキャップに着替え。採卵方法や注意事項を書いたものが置いてあり、読みつつ待つ。呼ばれたのでロッカーに鍵をかけ、トイレに送り込まれ、お腹を押してまで尿を絞り出すようにと云う事なので最後の一滴まで出す。
 と、そのせいか、にわかに便意を催し(またまたびろうなるお話ですみません・・・ご不快な方はとばして読んで下さい)、今日はまだだったので喜び勇んで便を出す。前回(7/20)は腸の(便の?)せいで採れない卵もあったので、「ふっふ、私も成長(?)したなあ、採卵直前に便を出せるなんて!」とほくそえみ、いざ手術室へ。手術室は卵にダメージを与えないためとかで暗くしてあり、必要な所のみ無影燈で照らされるのが何やらおそろしい感じだ・・・。膝から下に手術用のカバーを掛けられ、ぐっと緊張する。採卵数が少なかろうと、採卵針がすご〜く細いやつであろうと、私にはやっぱり「気楽」になるための麻酔が欲しいとしみじみ思う。できれば点滴のやつで!(ちょっとぼうっとなれるのがGood)。
 ところが採卵前の超音波検査が長くかかり、「前の時もだった・・・また卵巣が腸の後ろなのかなぁ」と考えていたら、先生から
 「あの。排卵済みです。採卵できません」と・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・。
 いや、あるんですね。こういうことも。話には聞いたことあるけれど。
 ここまでのIVF固定費、というのを払って帰る。出費は覚悟の上で来た訳だけれど、これまでの何回かの往復(秋田⇔東京)、宿泊、検査や薬、精子凍結、などの出費が頭をよぎる。病院は遠方なんだし、方法としてナサニール(GnRH薬)とかの薬で排卵を抑えている訳ではないので、こういう事態(採卵前の排卵)が起こりうるってことは充分理解できる。でも、それだけに、今後も同様のことが起こりうるって可能性もあるわけで。今後のことをつらつらと考えてしまう。
 朝と同じルートでまた秋田に帰る気力なし。大阪に行くことになっていて、ちょうどよかったと思う。新幹線で大阪へ、わが故郷・天王寺へ。

2006年11月8日(水)

 朝から上野にダリ展を観にいく。絵の前は幾重もの人垣でなかなか近づけない。それでもスタッフ同士が「今日はあんまし混んでないね」と話しているのを小耳に挟んで、驚愕する大曲市民であった・・・。東京は恐ろしい所だ・・・。
 銀座に出て、事務用品やカレンダー、手帳などを買い込む。毎年使っているお目当て品は普段なかなか入手できず、やっと札幌や仙台に出た時には売り切れてたりするので、今年(というか来年の分)は入手できて嬉しい。
 今日はいったん秋田に帰って体勢を立て直し、明日朝いちの飛行機で東京の病院へ。採卵後は、大阪の実家に手伝いに行く用があり、そこで数日滞在。
 さ〜明日は採卵。またパン生地のようにこねられるのね・・・。まあ、でも、もう覚悟は出来ているので、存分にこねてもらおうじゃありませんか!

2006年11月7日(火)

 西新宿は高層ビルが鬱蒼と生い茂っていて、昼なお暗し。こうなると、かえって屋久島みたいで風情があると言って言えなくもない・・・かなぁ・・・。東京のKクリニックはどの階も、エレベーターも人また人。ここは、他でだめだった人が最後の望みをかけて来るような所でもあり、今日も思い詰めた雰囲気が漂っている。こんなにぎっしりの人口密度でありながらこんなに静か、というところがそもそもおそろしい感じ。そこまでの思い詰めぶりもなく来てしまった私のような腰の引けた患者は、ただただうつむくばかり。
 卵胞は、意外なことにすでに大きくなっていて、右21ミリ、左20ミリ。あさって(11/09)採卵。
 この病院で使用する採卵針はとても細いらしく、採卵時の麻酔もほとんど要らないとか。なので、普通の人は朝ごはんをちょっとなら食べていい。私の場合、例によって左の卵巣が分かりにくい所にあり、採卵時にお腹を内外からぐにぐにこねることになるかも知れないので、軽く・・・というか、食べない方がいい、と教えてもらう。
 「吐いちゃうかも知れないので・・・」と心配そうなスタッフに、「うん、私、前回の採卵(7/20)のときもそれだったんで、慣れてます、大丈夫!」と安心させてあげられた。何事も経験ですなぁ。
 今夜は池袋に泊。8年ほど前、板橋に住んでいた時は税務署で確定申告事務のパートをしていて、パート友達とここ、メトロポリタンのケーキバイキングに来たりした。(辛党の人、今オエッ、となりましたね!)。きょう夜中12時と1時に点鼻で薬を入れるので、寝てはいけない。寝ないためにも池袋で散策(夜遊び?)。池袋は相変わらずデンジャラス、うかうかしてるとトルエンとか売りつけられそうだ・・・。
 夫に電話する。「なんか私、あの病院に行ったら、自分が不妊患者になっちゃったような気がするよ・・・」「いや、それ。なってますから。とっくに」。

2006年11月6日(月)

 明日から東京。卵胞がまだ小さければ、採卵までにいったん秋田に帰されるかも。診てもらうまで予定が立たないってところが、切符&宿泊の手配の難しいところだと思う。飛行機なんて急に乗ったらすごく高いし。そもそも秋田〜東京便は機体も小さいし、便数もそんなにないので、急には取れない。
 などと考えつつ荷造り。といっても実質、体を持っていけばいいだけ。
 夜は会合の夫を横手セントラルホテルまで迎えに行く。横手で何かあるっていうと、セントラルホテル率が高い。別にいつもいつも迎えに行かなくてもいいのだけれど、お迎えを口実に夕方からブラブラとその地で買い物したり、あちこちのお店に入ったりできるので、わりとお迎えにはこまめに行く(はい、自分のためです)。私が迎えに行くからといって夫の二次会、三次会出席率が低くなるという事は全然なく、そのまま私も乱入して夜が長くなるだけなのだった・・・。運転手の私は一滴も飲めないのが辛いけど、誰の目にも「ひとりシラフの人が混じっている」ようには見えないみたいなので、いいか。(よくないか)。
 明日は朝6時台のこまちで出立。

2006年11月5日(日)

 由利本荘での「ごてんまりコンクール」が今年も開催されているけれど、何となく行かなかった。去年の今日は一人で(夫が出張中だった)はるばる見に行って、「来年も見よう」と思ったものだ。
 一年後の今日は、由利本荘どころか大曲から一歩も出ず、夫とグランマートで買い物してミスタードーナツでお茶しただけの、トーンの低い一日に。

2006年11月4日(土)

 46号線で盛岡へ。昨日は、この道(仙岩道路)の開通30周年のイベントがあったとか。30年前までは不便だったことでしょう。盛岡の美術館でロダンを見て帰る。
 そして、一日3回の点鼻薬(hMG)。一日1回の服薬。
 昨年の今日(11/4)は初めての体外受精の胚移植後で、お尻に注射(黄体ホルモン補充)を受け、「では次は判定日に・・・」と、帰った。余剰胚もできて、1コ凍結されたと聞いて、感慨深かったことも憶えている。
 その日はいていたスカートが、今日はゆるゆるだなぁと思ってつらつら考えてみるに、実に6キロ、痩せたのだった。その日から今日までに。

2006年11月3日(金)

 頭の外身を修理してもらいに美容室ZENへ行く(中身はちょっと・・・)。今回やっている体外受精のやり方など大坂さんといろいろ話し、なんか不安ではあるけれど、もう、ここまで来て四の五の言ってても仕方ない頑張っていかなきゃ、という気分になる。(ならなくても、もう7日の東京行きの切符買っちゃったし)
 髪はさらに短くなった。

2006年11月2日(木)

 道の駅のお客様が「後三年の駅の絵ハガキはあるのに、どうして飯詰の駅(これも近所の駅です)の絵ハガキはないの?」と仰せだった、とお聞きしたので飯詰駅を描きに行く。秋とはいえ、すごい日差しでジーンズ越しにも足の肌がひりひりする。お昼過ぎ、ふらふらになって食菜亭(雁の里せんなん内)に辿り着き、秋刀魚塩焼き定食をいただく。ここの、いろいろな説明書きや、お酒「青」のラベルなどの書は、食菜亭の江畑さんの筆によるもの。少しだけ「書」の話などをする。いろんな人が、いろんな所で、いろんな事をしているのがこの世、すばらしいことです。
 しかし、今日の絵、いつになったら色を塗られて完成するのか・・・。それというのも、私はここのところ、どうにも体がだるく、無気力に頭がぼんやりして、実情は何とか日々の最低限のことを済ませているだけ、の状態にあるから。クロミフェン(セロフェン錠)のせい?いいわけ?
 人がやっている何か、は見に行けても、自分で何かまとまった事をすることが出来ない。はた目にはふつうに見えても、こういう時って、やっぱりトーンが落ちているのだと思う。
 セロフェン錠のせい・・・であってほしい。