DIARY

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 とりとめもなく、いろいろと。私自身の覚え書きのようなものですが、
 お気の向かれた方、どうぞふらりとお立ち寄りください。
 絵にならない日々がならんでます・・・。

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2006年10月31日(火)

 秋田道の西仙北S.Aのレストラン・軽食コーナーが今日限りで閉店することを、さきがけの朝刊で知った。合理化の波には逆らえず、コンビニになるのだとか。淋しい。淋しいので秋田へ行く途中寄ってお昼を食べ、店の人と少しお話する。さみし〜。
 思えば、今をさかのぼること一年半。秋田の病院に足しげく行くようになった私はその頃まだまだ疲れやすく、大曲〜秋田間もノンストップではなく途中のここ、西仙北S.Aに寄ってトイレに行き、暖かいものの一杯も飲んで「ふぅ〜」と一息入れることにしていた。今じゃそんな事も忘れたふりして大曲〜仙台とか大曲〜(能代回りで)青森とか、ノンストップを身上とする今日この頃だけど、こうしていると初心に返るなあ。
 あれから、いろんな人と出合ったし、いろんな人と、逆に遠くなった。いろいろなことが、変わってしまった。さみしい。

2006年10月30日(月)

 歯医者さん。作り直して下さった甲斐あって、自然な感じの歯が出来て嬉しい。
 それはいいけど、セロフェン錠のせいか、だるく眠く無気力になる。ばたばた忙しいようでも、まとまった事は何も出来ていない一日。(←言い訳)

2006年10月29日(日)

 大町ニューシティのデザインフェスタでは、今日の鎌田沙織さんは、いつもの切り絵作家。秋田県モノポリーなど買う。
 千秋公園を紅葉狩りし、フォーラスへ。ひと頃は東京での体外受精のことを考えて節約モードに入っていた私達だったけど「もうどうせ、日々のチマチマでカバーできる額じゃないし」と開き直ってつい消費モードにシフトしてしまった。愚か者・・・。
 「憩7」に寄ると、みんなふらふら。聞けば、あれから更に朝6時まで飲んだのだとか。さすがだ。「私は一緒に行かずに帰ったんだからね。」と、恩着せがましい私に、夫は「もう、夜12時に帰っても朝6時に帰ってもいっしょやから。今度からは思う存分遊んで来なさいね」と優しくお墨付きを出したのだった。
 今夜から排卵誘発剤セロフェン錠(クロミフェン)服用始まる。

2006年10月28日(土)

 朝は秋田県立博物館の総会。終了後は熊野信仰関係のレクチャーを聞く。懐かしい関西の地名がぞろぞろ。
 その後はボランティア仲間の方の家にお邪魔させてもらい、静かに充実した時間を過ごす。いつも思う。行き届いた素敵なよそ様のお宅を見るたびに、私ももっとちゃんとしようと。
 借りた写真集を返しに「憩7」に寄り、そこでチケットを入手してライブハウスに。スカイホテル地下のスウィンドル。こういうのは好きなので、とても楽しい。切り絵の鎌田さんもハーモニカで登場するし。「東京事変」のドラムスの演奏を、間近で堪能できたゴージャスな夜、あとから来た憩7の人達と合流して、結局最後まで見たので真夜中。自分の耳鳴りを聞きつつ大曲までひたひたと帰る。自分の家は、散らかっていた・・・。

2006年10月27日(金)

 「憩7」でお昼を食べた時、「RED HOUSE」の三周年記念ライブが明日あるという話を聞く。明日、夫は仕事で大曲から出てはいけない日のはず。かわいそうに・・・。
 さて、繁殖活動方面では、夕方より生理。いよいよ3日目からは薬を飲む(今日はまだする事はない)。来月の予定表をにらんで「これより遅くなったらどうしよう」と怯えていただけに、始まってくれて一安心。
 夜は夫の職場の人たちと麻雀。途中でいったん家に帰り、お風呂に入ったのが良かったのか(お風呂の後はスッピン・部屋着で人様の前に・・・)、満貫上がってちょっと浮く。ところで七対子って、作りにくいうえ、最後は必ず単騎待ちになる割には点が低くて損じゃないです?
 それとは関係ないけど私の夫は、お気に入りの物は二つないと不安な人で、スペアを買うまではなかなか使えない。ゆえに彼の大事な物は二つずつあるわけで、私はこれを「七対子症候群」と呼んでいる。妻が私一人なのが不思議なくらいだ・・・って、実はほかにも居るのかも?私が知らないだけで。いや、いいんですけど、それならそれで。夫には、私が居るからって、不自然な我慢をしない人生を歩んで欲しい。私ゃ何だって受けて立ちますから!

2006年10月25日(水)

 今日は皮膚科へ。ところで。秋田県医師会の情報誌「すこやかさんinAKITA」の次の号(vol.25、12月に発行)の表紙は、裕子先生と私。その二人が会えば、その話題になっちゃうのは、もう必然。制作会社の方が良い人で、校正のことなどいろいろお世話になる。有り難い・・・。
 午後は某病院の花壇のホトトギスと、ハーブ(多分マロウ)を、枯れる前にと、急いでスケッチブックに収めに行く。診察などで行った帰りに描けばいいようなものなんだけど、患者として行った時は、とても無理。どう集中してもそんな気になれない。骨の髄まで「患者モード」入ってるし。
 帰り、もうずうっとお世話になっている看護師Kさんに遭遇。わあい。
 「あれ?今日は・・・?」と訊かれてつい証拠品(スケッチブック)を任意で提出してしまった・・・。また、今迄の治療の経緯を知ってもらっている心安さからか、ふと気が緩んで、東京行き以来ちょっとひっかかっていた事などあれこれ話してしまう。
 そして、私は初めて「聞いてもらって気が楽になる」感覚を体験。よく世間でいうのは、こういう感覚なのかと。
 私は何かあると胸一つに納めちゃうタチなので・・・って、とてもそうは見えないって?いけませんなぁ、ど〜もイメージが悪くて・・・。

2006年10月24日(火)

 鳥のふんを、つけられやすいタチです。
 先日秋田駅西口でムクドリのふんが私を直撃。その後ムクドリ対策として、市が駅前のケヤキを剪定したらしく(剪定というより丸坊主です、ありゃ)、やれやれと思っていたら、今度は仲小路でやはりムクドリと思われる鳥のふんが、いつの間にかカバンに付いていて大ショック。一澤帆布(京都の。最近相続のからみで分裂した)の布のカバンだったので、取りにくい〜。洗えないし。ましてや京都まで買いに行けないし(いや、帰省して、大阪の実家から行けば可能)。聞けば、ケヤキの剪定のせいで、こっち仲小路界隈にムクドリが流れて来てたのだとか。ムクドリさん、先に言っといてよ、そういう事は。
 家の洗濯物は、すぐにとんびその他のふんを付けられるので、あまり庭には干したくない。
 先月は銀座和光前で、鳩のふんを頭から浴びた。それも2羽ぶん(と思います)。天下の銀座和光の鳩でもふんはふん。高い所からだったし、量も多かったので、その瞬間の衝撃はなかなかのもの(びちゃっ、と)だった。で、その後どうしたかって?ふっふっふ、服に被害はなかったので、そのままに(えー!!!とか、言ってます?)。下手に拭くとかえって塗り拡げちゃうし。いや〜、乾くまで、地肌が冷たかったですぅ・・・。でも、頭は丸洗いできるから!
 今月は新宿でカラスのふんが袖に。こうなると、鳥のふんとは、深い縁で結ばれているとしか思えない。めったに、そんなもの浴びないって人もいらっしゃるんだし。
 それはそうと、最近スズメ、というものをあまり見かけない気がする。あれはふんもかわいいのに。セキレイの方が多いくらい(ウチの場合)。セキレイも、ふんはかわいい。もう、鳥ふん評論家です。

2006年10月23日(月)

 病院へ行くべく秋田道を走っていると、猛然と私(とター坊)に追いついて来る一台の車・・・。予感あり、即座にスピードをおとして様子をうかがうと、果たして!(これ以上の詳細は差し控えますが、私がいきなり法定速度遵守車となったことは言うまでもありません)。もともと今日は家を出るのが遅かったので、もうこれで外来受付終了の10:30迄に病院に入るのは絶望かと。でも捕まるわけにもいかないし。ということで、すみませんでした、「後ろの車」の方・・・。きっと、「今だけゆっくり走りやがって、ずるいヤツ!」と怒っておられたことでしょう。許して、事情が・・・。
 協和I.Cで「その車」が降りられ(たせいかどうか)、私はなんとか間に合う。でも、待合室にいる間もまだ胸がドキドキ。呼ばれて診察室に入ってもまだドキドキ(小心者です、はい)。しかし沈黙してるわけにもいかず焦りつつ何やかや話して、帰る私の手にはしっかり血液検査の結果のプリントアウトが持たされていたのだった・・・。と、いう事は、必要なことは話したんだね、私。
 本当は、「何々と何々」とか「○○年以内」とか、条件があったような気もするけれど(東京へ持っていく血液データ)。思い出せない様子の頼りない私に、「突っ込んで聞いてもムダ」と思われたのかどうか、先生は全〜部出して下さったのだった、ありがとう、先生・・・。「ハイ」「こ、これ?このまま出せば?」「医者が見ればわかります」そりゃそうですね。
 何かぼうっとした患者だった今日の(いつもか?)私、近場の「暖や」広面店でそそくさと「さんまの竹皮包み煮」定食で昼食を済ませ、アルスで買い物を済ませてとぼとぼと帰る。

2006年10月22日(日)

 ばしばし書きものをし、お昼を食べ、2時ころから弘前へ。奈良美智「AtoZ」最終日だったので。弘前に来たら絶対寄る「万茶ン」で焼きりんご&アイス。別に太宰ファンじゃないけれど。
 明日もあるので、夜遊びせず、ひたひたと帰る。能代南〜能代東まで高速道が伸びたので少しラクに。東北道の碇ヶ関〜大鰐弘前間に取り締まり用のカメラがあったように思うけれど、なくなったのだろうか?(気のせいかも知れません)。

2006年10月21日(土)

 病院での検査などが2日にわたる場合も考えて東京に泊まったけれど、昨日1日かけて全て終了。今日は江戸東京博物館へ。ボストン美術館所蔵の肉筆浮世絵展をみる。肉筆、とは言っても力の入り方はさまざま。「今描いている絵が、今後ずうっと多くの人目に触れるのだ・・・」と思いつつ作成する版画絵の方が、力がこもる、という事もあるかも。凄いものもいくつか。
 上野のダリ展はすごい人で入れず。まあ、来年1月までやってるし(とか言ってる間に見逃す)。東京版のTVのCMで、(実は)太田光がダリに扮装して、「私はダリでしょう」というCMが、とても面白かったらしい。一目見たかったです。
 明治神宮前から渋谷へ。ところで、昔この途中でよく食べた屋台のスブラキは、いつなくなったのだろう?最後は丸の内オアゾのつばめKITCHIN(つい「かもめ食堂」って言っちゃう)でビールを飲んで新幹線に。やれやれ〜。

2006年10月20日(金)

 そして朝6時半のこまちで東京の病院へ。こまちでは眠ってしまい、けっきょく丸の内線で揺れながら基礎体温表をつける(みっともなし)。丸の内線西新宿駅は、私が秋田に来るまで住んでいた中野坂上駅(イヤ、駅に住んでいた訳ではありません、念のため)の隣り駅。何かとよく利用したこの駅に、今日は全然違う目的で降り立つ。感ひとしお。
 そして、東京の病院。私立の病院なんだし、匿名にする意味ないかも知れないけど、いちおうKクリニックね。細かいコメントは差し控えよう。とにかくそこは、病院というよりは工場のよう。私はタマゴを産むメンドリ・・・。設備はいいし、どの階にもびっしり居並ぶ患者さんたちからも、すごい数のスタッフの方々からも、静かに燃える熱意のオーラが立ち昇る。
 うっかり「ちょっと行ってきます」なんて言って紹介状書いてもらって、軽い気持ちで門を叩いた私はその熱気に押し出されそうだったです・・・。ボスのK先生との会話がかみあわず、「わかってんのか、こいつ?」的な顔をされた瞬間がわかった・・・。とほほ。
 今回の採卵方法を決めた後、採卵後はどうするか・先の話だけれど最終的に子どもは何人欲しいのか(何人、って言われてもなぁ・・・)、など、次回までに考えてくることね、という「宿題」を与えられて病院を後にする。ふう。北の空を振り仰ぎ、いきなりホーム(ふつう病院をホームとは言わないけど)シックになる私だったけれど、どうせ血液検査のデータをもらいに行ったりなんやらで、週明けにも、すぐに秋田の病院には行くことになるのだった・・・。

2006年10月19日(木)

 このところ極力、繁殖と関係ないハナシで気を紛らわして来たけど、明日はいよいよ東京の病院へ行く日。もう、ほぼ1ヶ月が過ぎたのか・・・。しかも出発までにする事を一覧表にして、25項目中、達成は6項目・・・。何も手に付かなかった一ヶ月を物語っていますね。
 夕方、道の駅のハガキ、季節感を重視して種類を入れ替えさせてもらう(秋田の人はチェックしてね!)。春夏っぽいものは姿を消し、いよいよ季節は冬へ向かう・・・。しみじみ。
 と、いう事で2日間、留守に致します。基礎体温表つけなきゃ、問診表(ダウンロードして、書いて持っていくようだ)書かなきゃ、と、前夜になって慌てる私。この点は、病院がかわってもかわらない、劣等生患者なのでした。

2006年10月18日(水)

 突然ですが、私はハエ叩きの名手です。これは一応、誇り(自慢とも言う)です。静かに穏やかに、呼吸を整えて一気に叩けば百発百中。去年の夏、一度失敗してから以降では失敗なし。夏場に人さまから重宝がられるオンナです。
 きっと前世では、腕のたつ武士だったんでしょう(そうか?)。
 でも、原理は同じなのに、相手が、打ち損じるとコワいハチとかゴキブリだとど〜も調子が出ません。やはし、心が乱れてはなりませぬのう。

フレーム
2006年10月17日(火)

 道の駅「雁の里せんなん」へ、お借りしたものをお返しにあがり、今日は「軽食きらら」でネギトロ丼を食べる。至福。
 洗車しようと思っていたけど、きららで丼を食べている間にすごい夕立があり、終わってみるとター坊(車)はぴかぴかになっていた。ラッキー。

フレーム
2006年10月16日(月)

 一人の昼食(だれも聞いてないって?)。人参から時計回りに、ブロッコリー、大根、銀タラみりん漬け、じゃがいも(十勝こがね)、糸こんにゃく、小松菜、かんぴょう(全部大鍋のお湯で順番に、あるいはいっしょくたにゆでただけ。魚以外は)。真ん中は山形の枝豆「秘伝豆」。塩茹でしてるので、ほとんどこのまま、たまに少し胡麻ダレや梅肉をつける程度で食べられる。
 こういうものを作っておき、お腹が空いたらかぼちゃフレークと牛乳で簡単にスープを作り、黒豆煮出し茶(一度に2リットルつくる)を汲んでお昼に。あらかじめ作っておかないと、いざお腹が空いてしまうと、こんなことしない。たまごかけゴハンだけで済ませちゃったりするし(ほほほ)。
 私はなかなかに大食いなので、家に居る時は内容には気を配り、今日はもちろんこれに御飯はつけない(ホントは食べたいです、しくしく)。
 もっとキビシくするときは豆・芋・かぼちゃ・牛乳の代わりに、ごぼう・れんこん・ひじき・もずくなどを登場させる(肉類は減らさない)。ごぼうって、美味しい・・・。
 太平洋戦争の時、外国人捕虜の食事にごぼうを出した日本人が、「木の根を食べさせるとは捕虜虐待にあたる(外国人はごぼうを知らなかった)」として戦犯とされ、巣鴨で処刑されたとか。でも、その人は、ひょっとしたら自分もごぼう好きだったのかも?わからないけれど、故なき悲劇を生むのが戦争・・・。
 なんて、人の(それも遠い昔の)事にしみじみしている場合ではなく、絵の色塗りに、浴室のカビ取りに、そのほかすることはいくらでもある(私の仕事が遅いだけ?)主婦的一日、プールにも行かなかった。
 (今日はちょっと雑誌「ku:nel」(クウネル)的でしたね?)。

2006年10月15日(日)

 弘前の奈良美智展に行く予定が、麻雀の余波で早起き出来ず。代りに近場。日本海沿い、秋田から青森に入ったところの「福寿草」で、ボタンえびやイカをたくさん焼いてもらってわしわし食べる。・・・って、どこが「近場」なんでしょうか、じゅうぶん青森県ですから!
 7号線沿いだし、「あの、イカがべらべら干してある所」といえば、秋田の人はけっこう分かってくれる。誰でも簡単に見付けられます。千畳敷や十二湖への距離を書いた標識の所だし。
 思い出す、去年、初めての体外受精の前にここを見付け、ふと食べたボタンえびがすごく美味しかった。(そのおかげか?卵は人生最高の5個が採れたのだった)。お店の人も、ボタンえびは年内いっぱい獲れるけど、今が一番美味しい時期だからねぇ、と誇らしげ。また来ます!
 道の駅ことおかの豆板醤ソフトを食べ、御所野イオンにも立ち寄り、西仙北のユメリア(温泉)であたたまって帰る。
 こうして少しずつ気持ちに弾みをつけて、何とか・・・。金曜日には、いよいよ東京の病院に行くから。

2006年10月14日(土)

 秋田の奥座敷・最後の秘境(私が言ってるだけ?)太平湖へ。1,100円で遊覧船に乗る。
 で、不思議なんだけど、太平湖の遊覧船って、どうやって湖に入れたんだろう?ここまでの道、国民宿舎森吉山荘を過ぎたあたりからはさすがに道幅もすごく狭くなり、かつ曲りくねっていて、とても大型トレーラーなんか通れる道じゃない。かといって、遊覧船が昇ってこれるほどの川じゃない。
 ボトルシップのように、部品で運んで太平湖で組み立てた?気になる・・・。これをご覧の方でご存知の方がいらしたら、メール下れば嬉しいです。
 帰ってから、夜は夫の職場の人達と麻雀。ポリープの・・・と言うよりは胃カメラ、の恐怖を忘れたい・・・。

2006年10月13日(金)

 実は私、告白することが。それは、胃に、胃に、ポリープ(?)が・・・。
 大仙市内で受けた検診で引っ掛かり、仕方なく、紹介状を持たされて二次検診におもむく。ついでもある秋田市内の病院に行き、ちゃっかり、そこの花壇の秋明菊を描いて帰る。実はずっと狙っていたもの。
 それはいいけど。このつぎは胃カメラ。私は体の力を抜くのが下手らしく、かつ痛がりで、いつも各種処置のときはドクターの顔がビミョ〜になっていくのを見るのが辛い・・・。
 「ちなみにですね、実はわたくし」と、居住まいを正して前回(昨年11月)の胃カメラの時の苦労を先生に告白。
 「だ、大丈夫ですよ、いろんな方がいらっしゃいます。自分がやりますので。充分気をつけてやりますから、緊張しないでリラックスして下さいね!」と力強く(?)請け負ってくれた若い先生。気の毒に、私なんかに当たって・・・。ま、こうなったら一蓮托生、なにかのご縁と思って、一緒に苦労しましょう!(イヤだって?)
 数・内容ともに一番充実している産婦人科前のトイレを使用し、「この廊下もよく通った
なあ・・・」と感慨深く歩いていたら顔見知りのドクターとすれちがう。世間は狭いです。

2006年10月12日(木)

 朝から博物館の日。地道に書庫で資料整理、つい読んでしまうのがまた楽し。関西地方の地名に強い私は、こういう時、まあまあ役に立つのであった(これ一応自慢ね!)。
 数々の用事をすませ、6月に個展をさせて頂いた「陶彩サエラ」へ。おいしいオレンジティー、店内に並んでいる陶器、食べ物のいい香り。今日はお久しぶりなので懐かしく、いろいろな事を思い出し、一人秘かに胸を熱くする。恥ずかしいので、今日も普通のカオで笑ってはいたけれども。

2006年10月11日(水)

 さすがにゆっくり寝て、昼から、溜まった家事を片付ける。仕事が出来ない・・・。
 夜は湯沢文化会館で倉木麻衣のライブ。しあわせ・・・。よかった・・・。チケットを買った頃は、「ライブの時、妊婦になってたらどうしよう・・・」と心配していたけど、幸か不幸かハラはぺったんこ。身軽でしたわっ!(負け惜しみ)。
 倉木麻衣は、大学生をしていた頃より、ライブ力(と言うのか?)は向上していると思う。すっかり盛り上がった湯沢の夜であった・・・。また明日から頑張って生きて行こう(大げさ)。

2006年10月10日(火)

 朝、勾当台公園を散歩していたら、美大の学生らしき集団が思い思いにスケッチに取り組む場に遭遇。ほおぉ〜。よいものを見れた(ら抜き言葉ですね、ハイ)。
 夫を仕事に送っていった後、「おひさまや」でお昼。青葉城址からの仙台の眺めに「すごっ!都会や・・・」と感激し、また迎えに行く。
 ところで・・・いつも私のことを「異様に遊び人」と思っている皆様。伏せてはいるけど、実は夫婦どちらかの仕事がらみ、って遠出もあるんですよ・・・。まあ、いちいち言うのも何なので、遊びって事にしておいてもいいです・・・。

2006年10月9日(月)

 素敵なワイン会も終り一夜明け、名残を惜しみつつam9:20の飛行機に乗るべく北海道の友とお別れ。短い時間ですっかり意気投合してしまった私とX−TRAIL(RV車X坊)もナミダの別れ(私の片思いだったかも)。10:30には秋田空港に着き、一旦大曲の家に帰り、改めて荷造りして今度は仙台へ。北海道で2夜、ヨソのお方(RV車X坊)とお付き合いしてきた私を責めもせず、愛車ター坊は今日も元気一杯に走ってくれるのであった・・・。
 まずはせんだいメディアパーク1Fで軽くビールを飲んで街歩き。お馴染みの仙台も、いつも日帰りしていて、よく考えたら泊まるのは初めて。「今日は夜遊び出来るぞ〜」とはりきっていたけど、実際にはpm9:00頃には熟睡してしまった私、あまりにも健康的すぎる・・・しくしく。私の仙台’Sナイトを返して・・・。

2006年10月8日(日)

 長沼の「はのん」(昨年10月12〜23日、個展させて頂きました。DIARY参照。リンクもしています)に伺う。お元気そうなご夫妻のご様子にホッ。変わらぬ暖かいお人柄に、心あたたまるひととき。
 そして午後は今回のメイン、福家Cafeの秋のワイン会。今年7月オープン、私の友人が店主である、この福家Cafe。いずれ改めて店主の許可を得てご紹介しようと思うのですが、まあとにかくとてもセンスのいい人で、センスのいいカフェとして突如登場。ここの2階に2泊も泊めてもらった私はもうお客ではあるまい、働かなくては・・・。
 しかもこの店主は、秘かに(おおっぴらに)面白い人。昨年の今ごろ、私が受けている不妊治療を説明したところ(ちょうどその頃、卵胞刺激の段階だった)「卵胞を刺激するって?どうやって?イケメンを見るとか?」と発言した飛んだ人でもある(DIARY2005.10.19参照)。色気もなくシリに注射されてるだけだって!そんな・・・ヨコシマな患者には天の裁きが下るって!

2006年10月7日(土)

 台風並みの悪天候の中、飛行機は遅れ、しかも揺れる〜。
 ところがいいことはあるもので、レンタカー、「マーチ」クラスで予約していたのだけど、出払っているとかで「X−TRAIL」というRV車になるという。「あ、あのう、サイズがずいぶん大きくなりますけど、宜しいでしょうか?」とレンタカーデスクの人。いいですとも!もちろん乗ったことないけど、だからこそ乗ってみたい。料金はマーチと一緒ってことだし(大阪人にはこれが重要ね)。

 おかげで木の枝が道路を転がる暴風雨の中、千歳空港から岩見沢まで、水溜りをものともせずX−TRAILちゃんが無事にエスコートしてくれたのだった。ありがとう、X坊。ウチのター坊だったらウラがえってたかも。ター坊は休ませてあげてよかった!

2006年10月6日(金)

 この週末7日(土)〜9日(月)、2泊3日で北海道に。そして9日は朝一便で秋田空港に帰り着き、一旦大曲の家に帰ってからすぐ出て、今度は高速を一路仙台へ。9(月)〜10(火)は仙台。
 とまあ、隠居宣言(in 9/14)をした事は忘れたような日々となりますが、これも運命(便利な言葉だ)かも・・・?

2006年10月5日(木)

 今度行ってみることとなった東京・西新宿の病院、Kレディースクリニック(仮)は、実は私が秋田県に来るまで住んでいた家の近くにある。直線距離1キロメートルくらい。しかも!3日にあげず利用していた「Kinko's(キンコーズ)」の近所、向かいにはスターバックスがあるのでよく行った野村ビル。その隣は新宿鮫、鮫島警部の居る(居ないってば)新宿署。懐かしいam.pm、ヨドバシカメラ、よくコーヒー豆を買いに行った小田急ハルク。死ぬほど渋滞する大ガード下。
 と、まあ馴染んだ街なのでそれは懐かしいけれど。そんな所まで行って・・・そこまでしますかね、と他人ごとのように思うこともあり。ああ、なんであの時「じゃあちょっと行ってみます」なんて言っちゃったんでしょ。
 でも、話の流れ、ってものには逆らわないのが私の基本姿勢なので、アキラメて運命に身を委ねましょ。ここであっさり妊娠できて「子持ち」になったら、それはそういう運命だったんだろうし。ここまで来て駄目なら、それはそれで、そういう運命だったんだろうし。
 なんか、肩から・・・というか、全身から力が抜けていく思いの今日この頃です。

2006年10月4日(水)

 秋田県立博物館アイリスの会の、館外研修の日。県南の民である私は車で105号線山越え、「道の駅にしめ」でバスに合流。蚶満寺や象潟郷土資料館をまわり、午後は鳥海山ブルーラインの鉾立から展望台まで少し歩き、TDK歴史資料館ではフェライトの説明や最先端科学の話も聞く。す、すごい・・・。
 今日は、頭の文系部分・理系部分、その上足も使ったし、人間同士の交流も。人間として、すごくまんべんなく全機能を駆使した(?)充実の一日だったかも。
 鳥海山では、紅葉もキレイだったけど、皆で「この辺、ちょっと入ったら絶対キノコあるのに・・・」「こんど時間とってキノコ狩りしましょう!」などど口々に口惜しげに言いながら歩く。キノコはおいしい・・・。

2006年10月3日(火)

 用ありて田沢湖を一周(どんな用や・・・)、田沢湖ハーブガーデン、むらっこ物産館を経て西木村「Kimoto」へ。好きな友達と会うのは楽しい。餃子もラスクもハーブティも(並べて書くと組み合わせが変?)、美味しかったよ!
 ちょうどやって来たお友達のIさんとも楽しく話が弾み、友達になって名刺交換・・・って、そもそも名刺交換ってトモダチのすることだろうか?まあ、最初はしますか。

2006年10月1日(日)

 「仕込み水コーヒー」と「吟醸アイス」を頂きつつお酒を買おうと神宮寺の「福乃友の蔵」へ行く。なんだか今日は車が多いな〜と思ったら、「時まち蔵」という、新しい試みがお披露目されていた。「時まち蔵」。買ったお酒(三種の吟醸酒から選べる)を蔵で保管してもらい、熟成酒となった頃の、好きな記念日に蔵から出してもらうというもの。もちろん申し込みましたとも!記念日?それはナイショ・・・。
 ステキな杜氏さんや社長さん、デザイン関係の方、いつも試飲の時お世話になる方、いろんな人とお会いできて、偶然ながら今日来てよかった、運のいい一日に。
 どっしりした古い蔵と新しい試み。停滞することのない、爽やかな風がお酒を美味しくする。ここの蔵が好きで、よく訪れています。多分来春、こちらの内蔵2Fカフェスぺースにて1ヶ月ほどの作品展示をさせていただく事になると思います。お近くの方は(遠くの方も)、ぜひ、よろしく!
 左の絵は道の駅「雁の里せんなん」のお酒の中でも地元勢のもので、福の友からは「秋田のおみやげ」と「冬樹」(右から4番目と5番目)。でもほかにもまだまだいいのがあるので、追ってシリーズ化しましょう。家にいっぱいビンがあるし。すでに空ビンになっちゃってるところがトホホだけど・・・。

2006年9月30日(土)

 横手のダイニングカフェ「レン」へ。素敵なお庭、ハーブの香り、体に良さそうな厳選素材のゴハン。教えて下さったZENの経営者の方に感謝!
 家からそれほど遠くないのに、とっても遠くへ来た気がするのは、どことなく北海道の雰囲気があるからかな。そう、「紫竹ガーデン」的な感じで。
 実はおとといの木曜、横手の病院の帰りに一人で来てみたので、私は2回目。すでに「メンが割れていた」のには驚いてしまった。お店の人って、やはり、さすがにプロ。人の顔を覚える事に関して、一般人とはチカラが違うのだろう・・・。(前回から48時間しか経ってない事もあるけど)。

2006年9月29日(金)

 道の駅「雁の里せんなん」へ、絵のモデルとしてお借りしていたお酒をお返ししに行く。ラベルなどをキチンと描くのがわりとたいへんで、思ったより長くお借りしてしまった、申し訳ないことです・・・。奥の食菜亭で日替わりランチを頂いた後、秋田市の岡田皮膚科へ。
 今日は何をしたかというと、胸元の小さいいぼなどを取っていただく。ちょ〜どブラジャーのアンダー部分に当たる所に長年コロンとあって、いつも当たって痛かったもの。ヒモが当たる所にあってレースが引っ掛かりがちだったもの。ワキ下にあって、いつか剃っちゃいそうでコワかったもの。など。(そんな事まで言わなくていいって?)。
 長年あったものを取ると淋しいかと思ってたけど、取ってみたら全然、そんな事はなかった!すっきりスベスベでラクチン。保険の利く処置だし、気になっている方にはオススメです。
 でも、今日のメインイベントは、東京の病院に電話をしたことだった。昨日、秋田の病院から紹介状も頂いたことだし。最初はどういうタイミングで行くのがいいのかしら?

 「お薬を飲み始められるという事でしたら、生理の3日目とかですね・・・」
 え〜っ、今日が3日目です・・・。でもまあ、1週間前に診て貰った時、左の卵巣がちょうど判りにくい所にあった。で、「今回も左の卵巣は腸のウラ(にあって採卵できない)かも」と言われていたから、来周期の方がいいかな、と思い直す。心の(お金の?)準備もいるし。
 ところで、いぼの写真(ちゃんとアブナイ所は避けて)を撮っておけばよかったかも。そしたら、Before & After を並べてみられたのに・・・って、誰もそんなモノ見たくないですよね!失礼しました!

2006年9月28日(木)

 ガン検診の結果を聞きに横手の病院へ。これはセーフ。10年位前から数年は、ほとんど毎回ひっかかっていた、という時期もあったので、とりあえず安心。おかげさまで東京の病院に行くハナシになりました、と報告する。
 「(東京に通院しながらも)卵胞チェックとか、大学病院でもいいし、こちらでも出来ることは協力しますからね」
 と励まして頂いて、あっちでもこっちでも、有り難いことです。本当は心細いし、サミシイし、不安。秋田の病院→東京の病院と移った人の話(伝聞)では、東京での1回は秋田での6回分のおカネがかかった、というのを昨夜聞いたばかり。改めて激しくビビッていることは、言うまでも無い。
 家に帰ったら、秋田の病院より、紹介状が郵送で届いていた。これでいよいよ逃げられない(何から?)気分に。

2006年9月27日(水)

 25日帰ってから、もともとお腹が痛い上に頭痛も加わり、寝ちゃう。26、27日ともに一歩も出掛けず。
 こんな時は、と絵の色塗りにいそしむも、ともすればぼんやり、筆が宙に浮いたまま止まってしまうので時間ばかりがいたずらに経過。

2006年9月25日(月)

 病院。結局どういう話をするか、心も決まらないまま出頭(おいおい)。
 本に目を落とすものの、目が活字の上を上すべりする状態で待合室にしばし。名前を呼ばれて入ったら、声がかすれて出ないのには我ながら驚く。いや〜こんなに緊張しますかね、いまさら。恥ずかしいなぁ。
 基礎体温表を見せたり、「(このさき)どうなんでしょう」みたいな話をする。
 「ああ、何も言わず、このままここで、いつも通りに(体外受精)やっていくって道も、今ならまだあるのに」
 と、つよく思う・・・。でも、こうして来たからにはね。
 正直に、こういう方法(病院)の話を人から聞いたんですけど、迷ってるんです、とそのまま言ってみる。
 うん、それもいいかもね、みたいな話の流れとなり、
 「どうします。行かれるんだったら紹介状を書きます」 
 と言われて、つられて(?)
 「じゃあ、ちょっと行ってみます」と背中を押されるように頷いてしまった私だった・・・。言ってから後悔しても遅いってば。だって・・・東京なんだよ、転院先!なにが「ちょっと」だよっ、なにが!はひ〜。
 
 ところで、私に妙な知恵(?)を授けたのが横手の先生(春まではこの病院の先生だった)であることには特に言及しなかったけど、帰りに木曜日の先生に廊下で会ったので、横手の先生にお会いしたことをちょっと言ってみる。大変に盛り上がって頂けた。
 「先生、喜んでくれたでしょう〜(いや、あのクールな方はいつも通りの淡々としたお顔でした)、また時々行ってあげてね!(いや、婦人科ってトコは、そうそう用も無く行けないでしょう・・・)。そう、東京の○○へ?うんうん、いい病院みたいですよぉ。頑張って来て下さいね!」
 いつも思う。木曜日の先生って、なんて明るくて(軽くて?)いい人なんだろう、と。ちゃんとしたドクターでありながらこのキャラ、ってトコが非凡・・・(でも治療の話は単刀直入、悪い可能性もハッキリ言ってくれる)。病院では普段あんまし個人的な話ってしないモンだけど、この人とは違う。ついあれこれ、話してしまう。いつも。お忙しいところ、申し訳なし。
 帰りはどこをどう通ったものやら。やっぱり・・・動揺してます、私・・・。

2006年9月24日(日)

 今日は、お世話になっている道の駅「雁の里せんなん」で、バザーや曲り家の一日蕎麦屋さんなどある日。朝からはりきって出掛け、今日はお客(?)に徹して色々食べたり買ったり。手打ち蕎麦も豚汁(なんと250円で豪華な内容)もとても美味しかったのだけれど、この日だけのイベントだったので読者の方には申し訳ないです。
 昼から雄和ダリア園へ。帰りに立ち寄った御所野でも、ヴィレッジヴァンガードで本一冊買っただけの、地味な一日。心も落ち着かず、「病院どうしよう・・・」そればっかり考えている。
 つまり、今回このままいつもの体外受精に臨むか、薬を1か月飲んでから来月するか、そもそも治療をやめるか、心機一転思い切って東京の病院に転院するか・・・それすら、全然決まってないのよ〜(おいおい)。
 でも今度の生理の前に一度、基礎体温表など持参して今後の事を相談するように言われているし、もう生理は目前に迫っている(みたいだ)し、どのみち病院には行かなきゃ。なので、夜は基礎体温表を作成し、そのまま眠るに眠れず布団の中で悶々と寝返りを打ちつつ朝を待つ私だった・・・(だったら仕事しろって)。

2006年9月23日(土)

 思い切り良く、すっぱり髪を切る。ぐだぐだと心の決まらない自分と決別!・・・なんて、髪切った位ではどーにもこーにもなりゃしません。
 美容室ZENの後は、月岡シネマで「日本沈没」を観てきた夫を「停車場こまち」(大曲駅前のおみやげ・休憩スポット。天井など内装が凝っている)前で拾って帰宅、お昼は家で作る。なにげに節約モード入ってる?
 そのあと田沢湖のむらっこ物産館で名物ほうれんそうソフトをなめ、田沢湖ハーブガーデンを経てORAEで枝豆コロッケを食べ、田沢湖駅前に出来た物産館「田沢湖市」を見に行く。古民家浦山邸を移築した重厚な建物、「停車場こまち」はちょっと負けたかも。悔しい・・・。
 でもなんとなく、無駄な買い物を控えている感のある私達。やっぱり、東京の病院に転院するかどうかが、ず〜っと頭の中にあるのだ・・・。

2006年9月22日(金)

 昨日からの考え事で頭が一杯(もともと容量が少ない?)。秋田から、東京までタネツケに行くなんて、クレイジーじゃないんでしょうか・・・。
 夫は基本的に私さえよければその決定でいい、という人なので、相談にならない。けど、彼がここまで悟りを開くには開くなりの、長い長〜い私とのバトルの歴史あっての事なので、今更ワタシには文句の一つも言えません・・・。
 夫「ま、ここでシロウト二人で考えててもしゃ〜ない。とりあえず病院?」
はぁ〜その通りでやんす。まずは行ってまいります。
 「でもさ、私ら、そこまでして、欲しいのかなぁ・・・?」
 「その答え、今まで一回でも出たことある?考えてもしゃ〜ないやん」
 なんか、アンタとしゃべってると、全てが「考えてもしゃ〜ない」事に分類されていくんですけど・・・。でもその通り。
 こうして考えなし夫婦の、計画性を欠いた人生は突き進んでいくのであった・・・。でも、こうなるんだったら、もっと節約しておけばよかった!

2006年9月21日(木)

 ふと思い立って、隣町の病院へ、子宮ガン検診に。わざわざここに来たのは、以前お世話になった先生がいらっしゃるから。ついでにちょっとお顔拝見して、「色々お世話になったけど、もう(繁殖生活)そろそろムリみたいです」と、報告しておこうと思った。・・・と、思っただけなのに、なんか大ごとに。その時ちょうど先生は病棟でお産のお世話の真っ最中、当然外来には出ていらっしゃらない日だったのに、看護師さん達がいい人で、電話して呼んで下さったのだ。うう・・・結果的にだけど、忙しい先生を呼びつけた上に仕事を増やした私って何者・・・と、身がちぢむのであった・・・。
 別に相談、をするほどのつもりもなかったのだけど、いろいろ、別の排卵誘発の方法や、他の病院(東京)のことなど、たっぷり話して下さる。う〜ん。この人と、こんなに話した事があっただろうか・・・。変わりばえのしない顔合わせながら、話の方はバラエティに富んでいた今日の会談。
 それにしても、検討することが、「もうそろそろ終り時?」から「東京まで行っての繁殖作戦継続?」まで、すごい方針転換となってしまった。BeforeとAfterで。夫と、この話題をネタにガンガン飲める今日の夕食でした・・・。

2006年9月20日(水)

 HPの壊れたページの復旧作業に疲れ、買い物がてらスーパーセンター仙南(大きいスーパー)へ。ここの敷地は、見渡す限り広々と、田んぼに囲まれた環境(この辺はどこもだいたいそういう環境ですが)で、この周りの田のあぜ道が、私の回復スポット。鳥海山をはるかに眺めながら、イナゴを蹴散らし蹴散らし、いくらでも歩けてしまう。
 そもそもは昨年6月の妊娠時、「妊婦の仕事は散歩だぜぃ!」と開拓した散歩場、他にも神岡町の湿原や中仙町の幕林八幡神社周りなど数々の名スポット(自分で言ってるだけ)のストックのみ、豊富に残る・・・。
 でも、時間をもったいないと思わず歩くようにする習慣、生きてる子供全般を貴重なものと思える感覚(よそさんの子もしみじみ可愛く思えるようになった)、など、彼がおかあちゃんである私に残してくれたものは多い。きっと、私より良く出来たヒトだったのでしょう。うう、もったいないなぁ・・・。

フレーム
2006年9月19日(火)

 大曲(大仙市)の胃ガン検診の日。受付は保健センターで、朝5:00〜7:00。秋田に越してきて初めての年は、印刷ミスか何かだと思った、この時間帯。おそるおそる行ってみたら本当にズラ〜っと受診者が並んでいて仰天したものだ・・・。
 その日の他の予定に与える影響は少ないし、絶食時間は少なくて済むし、やってみればいい時間帯。でも驚いたなぁ。
 涙を流しながらバリウムを飲み、帰りは下剤をもらう。保険所の人、
 「便秘するほうですか?」。私、「いいえ、滅多にしません」。保「じゃあ、けっこう、キクかも・・・」。いや、ホントでした。おかげでこの日は出掛けられず、雁の里せんなんのお菓子の絵作成で一日をすごす。
 比重的に重いのか、流れにくいバリウムとトイレにて格闘するうちに、早くも釣瓶落としの秋の夕暮れ。でも、あれって、本当に流れにくくないです?あっ、すみません、またまた話題が下の方向に流れて・・・でも、もうこれがこのHPのカラーということで許していただければ・・・。

2006年9月18日(月)

 病院の駐車場のおじさんの話が出たところ(9月16日)で、もう一つ。
 この一年半で、病院の看護師さんたちとも結構顔なじみになった。中には、私が悲しかった時、一緒に、本当に泣いてくれたTさんもいる。会えなくなると淋しいと思う。一緒に泣いてくれたこの人と、いつか一緒に笑いたいとも。感傷的?
 実際には、用事のこと以外、個人的な話なんてほとんどしない、病院って所は。でも、無駄を削ぎ落とした抑制のきいた会話や、ちょっとしたやり方の工夫や違いなんかの中に、一人一人のやさしいキモチやその人の個性が透けて見える時がある(と思う)。
 まあ、私に限らず、日本人って、こういう微妙さをしみじみ愛する民族。それだけに、「赤の他人」でも「身内・友人」でもない不思議なつながりに、心が支えられている部分は大きい。
 「失いたくないもの」というのが、こうしてトシとともに増えて行くんですね〜。ああ、執着多き凡夫(凡婦)の私・・・。

2006年9月17日(日)

 秋田さきがけ新聞2006年5月18日木曜日(夕刊だったかも知んない)の4面「ちょっと遠くへ」に載っていたカフェ森風に行く。岩手県葛巻町。くずまき高原という、ものすごくいいところだった。ちょっと北海道っぽい、パッチワークの丘的な風景もあり。
 とちゅう道の駅3箇所に寄って3時間半。でも森風についた瞬間、こんなトコに来れるなら3時間半は遠くない!と思う。小学校の建物を再利用した「岩手子ども環境研究所」の敷地内にあり、手作り感あふれるすてきな建物。もちろんエコ・ナチュラルな美味しい食べ物・飲み物。雑誌「ソトコト」に載ったというのも、うなずける。
 面白いことに、今日はもう一組秋田からのお客さんがあり、私と同じくさきがけの切り抜きを持って来てたとか。でも実際、あの記事は写真も素敵、文も行きた〜くなる良い文で、秋田の人であの切抜きを持っている人はまだまだ居ると思う。外で走り回っている鶏の卵も買い、大曲の花火の宣伝をし、詳細をメールで送る約束をして退出。ああ、良い所だった〜。いろいろお話もできたし。とてもすてきなHP・ブログ(森風、で検索できます)もあり、いつかリンクしたい野望(?)も・・・。皆様お楽しみに。
 帰りは滝沢から高速に乗り、湯田で降りて我が秋田県南、山内いものこ祭り(鶴ヶ池荘前にて)へ。鶴ヶ池荘は、一度泊まったことあるけど、食事も美味しくよいお宿。居酒屋も併設してるし。いものこ汁をすすりつつ花火を最後まで見る(大曲を擁する秋田は花火のレベル高し)。あまりの混みように反対に出て、も一度湯田から高速に乗って帰宅。
 今日、一体何キロ走ったのか?ガソリン高いってのに(岩手は秋田より安かったけれど)。それに、私・・・数日前、隠居宣言してました?あし、あし、あしたから、ってことで・・・。

2006年9月16日(土)

 不妊治療って、何時をもって「終り」とするか、が難しいものなんだなーと、最近かんがえる。もちろん「妊娠・出産」で終わるのが花道(?)なんだろうけど、人生って、大概の事は思い通りにはならないもんだし。欲しいものに限って、手に入りにくいもの・・・(そんなん私だけ?)。
 病院に行かなくなったら。
 ちょっとした事なんだけれど、いつも会う駐車場の係りの人と会えなくなるとさみしいとか、そういう事も思う。行き始めた頃は、受診を終えた私が車でランチの本とか見てると
 「お昼かい?どこそこに○○○○あるよ。あと、○○○○とか。」
 な〜んて親切に教えてくれてたっけ。そういう事って、わりと嬉しい。そのうち大阪ナンバーのせいか覚えられてしまい「いよっ、まいど」なノリに変わったけど、それもまた楽し。「ここに入れな」って指示に従えなかった事もあったけど、反抗じゃなく私のウデじゃ入らない所だっただけ。やがてその事に気付いたおじさん、私の車庫入れを添削してくれるようになったのだった。
 「ハイ、切って切って、もう戻して。大丈夫、この位じゃ当たんないから。ハイ、ちっと下げてOK!」なんてね。今曲がりなりにも車庫入れ出来てるのは100%ここでの修行のおかげ。予約時刻とか10:30(外来受付〆切)とかの時間制限もあるので、こっちも必死だった・・・。
 「不妊治療はどんな結果に終わっても、何か得るところがあったはず」と、不妊雑誌(広い世の中にはこんなものまであるのだ、その名も気恥ずかしく「赤ちゃんが欲しい」です)で見たことあるけど、それ(得たもの)って私の場合は「車庫入れ」!?
 「うっ、つまらん女・・・」とか言ってるのは誰でしょう?車庫入れだって、立派な一生モンの宝ですっ。負け惜しみじゃござんせん!

2006年9月15日(金)

 さっそく隠居を実践、今日は大曲から出なかった(威張るな)。車が寂しげ?
 私の車は14年目なので、皆からさんざん「買い替えないの?」と言われるけれど、このDIARYにも絵にもよく登場する愛車ターセル坊。新しいヤツを迎える事によってター坊と別れることになるのかと思うと、悲しすぎて踏み切れない(おカネも体外受精とかに使っちゃったし)。いよいよの時が来るまで一緒に居ましょう!
 私の、ター坊に寄せる想い、これはもう既に「所有者→車」の域を超えている。これはもはや、恋愛感情・・・!?
 「ヘタしたら、僕とよりも行動を共にしてるもんなぁ」と夫。出来た人なので、
 「いつも家内がお世話んなってます、今後もよろしィにお願いします・・・。無茶しよったら、ゆうたって下さいね」
 などと、姦夫(?)に丁寧に挨拶していた。

2006年9月14日(木)

 朝は秋田県立博物館ボランティアの日。10月4日の館外研修の準備を詰めたり、パネルに活動報告写真集を作成したりするうちにお昼。
 午後からある人と話していて、「も〜とにかく、忙しすぎて子供も来る暇無いから!それでは!」と図星(?)をさされ、自分でも「やっぱりそ〜だよね」とも思うので、ちょっと大人しくしようかなと思う。これから、私の事は「ご隠居」と呼んで下さる?
 秋田市内に出張だった夫の飲み会が終わるのを、そのまま山王界隈で遊びつつ待つ。・・・ところが帰りがけに秋田のえらい人に見つかってしまい、何と私もそのままえらい人々と二次会に・・・。ミイラ取りがミイラになっちゃった、って、このこと?でも夫の仕事関係の人って、大曲の人々も秋田の人々も、さらには角館の人も横手の人も、とっても面白いいい人が沢山なので、飲み会や麻雀会ってとても楽しい。(車なので)ウーロン茶でがんがん盛り上がる私だった・・・。さっき隠居するって言ってたのは誰でしょうか?明日から、ってことで・・・。

2006年9月13日(水)

 昨日は夫の職場の人々と飲み会で北野水産。この前はここでカエルの姿焼き(?)を食べた話をして「ひ〜食べてる時にやめて〜」と言われたけど、あのぅ、れっきとした「食べ物」の話なんですけど・・・。
 私は食いしん坊の上に好奇心が強く、普段食べつけないものでも何でもいける。ちょっとくらい「うっ・・・」となるものでも、ちゃんとメニューに載ってたり、他の人も食べてたりすれば「大丈夫なんだな」と安心し食べちゃえるので、絶対、「ウルルン」向きの人材だと思う(自薦)。
 カエル?うん、全身これササミ、って感じで、そこらの焼き鳥よりヘルシーっぽかったです。

2006年9月12日(火)

 大曲イーストモールの美容室ZENへ。今日は、大坂さんに会って子宝草を分けてもらうだけだったので、頭は家に置いて出掛けた・・・わけではない(当然)。
 この子宝草は、超縁起もの。大坂さんのお知り合いの所からやって来たんだけど、その人も、元になる子宝草を10月に人からもらったんだそう。で、その後みごとに妊娠して今は妊婦さん(いい響きだ・・・)。しかも、私と同じ病院に通ってらしたらしい。詳しくは、お名前などもあえて訊かなかったけれど、袖くらいは摺りあってたかもね、待合室とかで!その後、彼女が増やした子宝草を10年位お子さんの出来なかった人にあげたら、その人も妊婦さんになられたとか。
 実はウチにも古くから飼ってる子宝草がある。札幌で葉っぱ一枚、水に浮かんでたのを買って飛行機に乗り、東京で育ててみたところ巨大に成長したので、秋田に引っ越す時にも持って来た。秋に取り込むのを忘れてうっかり霜に当てちゃってもなんのその(ちょっと色変わったけど)、我が庭でブイブイいわせているツワモノ。ただ、親木はこの通りのブイブイなんだけど、子ドモのほうは増やしても増やしても、途中でいつの間にかなくなってしまう。なんか、私の繁殖計画状況を暗示してる?
 で、縁起モノをもらうことに。ありがとう!その方の、無事のご出産を心よりお祈りします!(貰ったから言うわけじゃないけど)。

2006年9月11日(月)

 突然だけど、私の夫はいい人です。どの位いい人かと言うと・・・。
 ある時、私がワッシャー加工(シワシワ加工)のブラウスを、説明書通りにねじって干して出掛けたところ、帰宅した夫はそれを見て
 「おっ、干しかけのまま慌てて出掛けよったんやな。シワになってるやんか。いけませんなぁ」
 とばかりに、パンパン、とキレ〜イにシワを伸ばして干し直してくれたのだった・・・。深夜に帰宅した妻の激怒をかった事は、言うまでもない。かわいそうな夫。
 そんな夫を連れて晩ゴハンの後「柵の湯」へ。日帰り温泉の本(スタンプブック)にスタンプを押してもらって半額。少額の事だけど嬉しい。秋田県に住んでいながら、この本を持ってない人なんて、居るのだろうか?居たらメールちょうだい。

2006年9月10日(日)

 道の駅「雁の里せんなん」に、秋物のハガキを納品に。いつもお世話になります。ありがとうございます・・・。
 レストラン「食菜亭」でしょうが焼き定食、「きらら」でコーヒー。お菓子の絵を作成するべく、お菓子も一杯買い(描いた後食べてしまうのがコワい)、晩ゴハン用に野菜もた〜んと買って、増田町へ。
 まんが美術館の秋田出身漫画家5人展は今日が最終日、中途半端に近くなので油断して結局ぎりぎり今日に行く事になってしまったけど、見られてよかった。
 ささ、と、いうことで、秋田県(特に県南)の方、道の駅「雁の里せんなん」に行かれましたら、つなしまかすみの絵ハガキをチェックしてね!秋物入荷しました!

2006年9月9日(土)

 秋田県民(特に県南の民)のお豆腐やさんヤマダフーズのレストラン「遊心庵」でお昼。美味しく見た目は豪華でも、ブツが豆腐なのでリーズナブルな価格なのが嬉しい。お茶が変っていて、香ばしく美味しいので訊いてみたら、おからを煎ったものを煮出して作ってあるのだとか。すごい、まねできない・・・。
 婦気の交差点からそのまま岩手に向かい、道の駅スタンプを集めつつ花巻へ。一般道を延々走らされた訳だけど、この区間の高速道は、都会の人にはなじみの少ない片側一車線(県南の人にはこの辛さ、分ってもらえるよね!)。つまり決められた所でしか追い越し出来ない高速なので、いつでも(?)追い越し出来る一般道の走りやすさもまた楽し。
 で、何の為の花巻かというと、花巻まつりです。風流山車や神輿は見れたけど鹿踊を見そびれたので、来年のリベンジを誓って(でも来年って私達秋田に居られるのか?)、早目に大曲に帰宅。実は忙しい私、こんな事してる場合?気を取り直して秋物のハガキを作ったり行方不明のポジフィルムを探したり、過去作を引っ掻き回したり(整理ともいう)している内に、夜は白々と明けるのだった・・・。

2006年9月8日(金)

 歯医者さんへ、歯根治療の続き。帰りに口腔衛生指導説明書(保険の関係で、渡すことになったらしい)をもらうと、「大変良好、衛生管理もしっかりされてます」と書かれている。奥様(ハッキリ聞いた事はないけど、多分)に
 「こんなに褒めてあるのは珍しいんですよ〜」と言って貰い、大変嬉しい。
 子供の頃、元々の歯の色があまり白くないことを気にして、あまり笑わない子供だった。今写真を見ると、奈良美智のイラストのようだ。
 歯はそのままだけど、大人になり、なんだかいつもニコニコしている人となってしまった私(人の3倍の速度で笑いジワを増やしていると思う)。せめては笑った時の歯肉がキレイであれば、と歯肉の健康には気を配っているので、このように歯肉の管理を褒めて貰うと単純に嬉しい。
 でも別に歯の色が白くなった訳ではないので、今でもナチュラルな薄い色の口紅じゃカオがきまらない。スッピンばかり見せられている夫は気の毒です。
 午後はコンタクトレンズ(乱視用のにするかどうかで迷っている)を買いに行って、今日一日が終了。

2006年9月7日(木)

 秋田県医師会の広報誌「すこやかさん in AKITA」の表紙インタビュー記事に、何と!私が載ることとなり、インタビュー収録のため秋田県医師会館へ。
 頂いた資料、前号までの幾つかを読むと、みなさん難しい事をしゃべっていらっしゃる・・・いいんでしょうか、今号わたしで・・・。でもまあ、「イラストレーター」に、誰も福祉事業や医療政策の話は期待して・・・ないよね?
 夫に、この「すこやかさん in AKITA」の話をした時、「今まで、ほかにはどういう人がでてはるの?」と無邪気に聞いてくるので、「ええと、秋田県医師会の会長とか寺田県知事とか・・・」。
 「お、おいおいっ。そのあとアンタかいっ。ええんかなぁ。すごいギャップやで」。まあ、たまにはソフトな号があってもよろしいかと。
 行ってみたら、応接室は広く絨毯はフカフカで、まあめったに医師会館の応接室なんて入れるものじゃござんせん(絨毯にびびる庶民・・・)、なかなかに充実の、得難い体験だった・・・。秋田県医師会さま、有難うございました。
 岡田裕子先生(今回のインタビュアー)にも、本当にお世話になりました。内緒のハナシですが、ちょこっと打ち合わせしておいてよかったですね!ん?(ヤラセ?)とかゆってるの誰?急にはしゃべれないんだから!

2006年9月6日(水)

 今日は佳き日。皇室、紀子さまに、無事に赤ちゃん誕生。男の子だからとあまり盛り上がってもいけないんだろうけれど、単純に考えても、今まで女の子二人を育ててこられて、今度は男の子の育児も経験できるって事だから、それって、やっぱりイイよね!おめでとうございます。巷間のみんなで共有できる明るいニュースは久々かも。
 皇室も、帝王切開、とかが普通にある時代になったなぁ・・・と一瞬思ったけれど、よく考えたら「帝王切開」って、字面がすごく皇室向きじゃん!
 ・・・などと、こんな日だからもっと盛り上がっていたいけれど、ナミダをのんでパソコン作業の続き。
 それにしても、東京から帰ってきたらいきなり「秋!」になっていて驚く。季節の変わり目はいつもそうだけど、やり残した事が頭を駆け巡って「うう・・・」とか思ってしまう。一度でいいから、胸を張って季節の変わり目を迎えたいものです。

2006年9月5日(火)

 やれやれの帰宅。深夜1時半に大曲駅に迎えに来た夫と顔を見合わせ「くまー!!」とゲラゲラ笑ってしまう。せっかく熊として生まれたのに、こまちにはねられてその短い一生を終えたヒトには悪いけど。ま、早く生まれ変わって下さい。人間になってウチに来てもいいよ。
 そして、東京滞在中、忘れようと努めていたことと向き合う一日となる。このぐちゃぐちゃになったホームページを、今から直すのかぁ・・・。いやですぅ・・・しくしく。会社員時代の悪夢(プログラミング・バグ退治など)がよみがえるじゃん。
 でもこんな日にも救いはあるもので、夫の職場の飲み会、産休に入る人(男性。今日びはちゃんと男性でも産休がとれるの)の、代わりに来る人の歓迎会があり、私も行っていいみたいなので喜んで参加。
 夫の仕事場の人はみんなとても楽しいので、お声が掛かればどんなに忙しい時でもついホイホイ出掛けていってしまう腰の軽〜い私でした。でもちゃんと帰ってから、酔っ払いつつも作業の続き。

2006年9月4日(月)

 今回の宿泊は銀座だったので、2日間にわたって銀座周辺で食べたり遊んだり。一人の気楽さ、銀座鹿乃子のあんみつ、銀座立田野の小倉アイスと、甘味もはしご。資生堂パーラーのスペシャルチーズケーキ、ホテル西洋銀座の銀座マカロン、東京ばな奈のチーズうさぎ、三原堂の塩せんべい、と買い物も充実(ヒカリモノには手が出ません)。
 でも、外食は、やはり秋田が美味しいと思う。なかなかに凝っているのは解るけど、秋田のワイルドな美味しさが恋しい。そもそも蛇口から出てくる水(地価も)が全然違うのだから、秋田のレベルを東京に求めるのは酷というものなんだけど。丸の内の丸善で腕が抜けるほど本を買い、4Fでマンゴーワッフルを食べ(お菓子ばかり食べている訳ではありません。有楽町のMeal MUJIで、ちゃんと大量の野菜を食べました)、こまちの最終に乗る。
 ところがですね。11時半には大曲に帰れると考えていたら、思わぬ伏兵が。なんと!一本前のこまちがはねた熊(今年は特に多い)が、その後線路上でばったり死んでしまった為、私の乗っているこまちは赤渕ー田沢湖間で2時間近く立ち往生。それでも、今回使ったパックプラン(別に高くないけど)のおかげでたまたまグリーン車に乗っていたので、まだ楽だったと思う。2時間、銀座で買い込んだお菓子の数々で、一人楽しくティータイム。本はたっぷりあるし。
 それにしても、熊とは。車内アナウンスでそれを聞いた瞬間、「ああ、帰ってきたなあ・・・。」と実感しみじみ。ついさっきまで銀座・丸の内界隈に居たってのに、すごいギャップや・・・。

2006年9月3日(日)

 そして東京。和菓子・・・じゃない、わが師、永沢まこと氏の個展へと、吉祥寺へ急ぐ。今回のテーマはアフリカ。いつもとても明るく優しい永沢先生だけど、内面に荒々しい激しい所もお持ちだという事は、これを見ると、本当にしみじみと胸に迫ってくる感じ・・・。
 思ったよりゆっくりお話できて、私が秋田で出合った鎌田沙織さん(この人も5年位前に永沢先生の本を読んで、このスケッチ方に出会われたという方)、の切り絵作品をお見せしたり、周りの誰彼と情報交換したりも。
 先週東京に引越してこられたばかりの、高原教室(岡山)の生徒さんの絵も見せて頂く。小さなお子さんが2人いらして、お忙しいだろうに、凄く沢山の力作が並んでいて驚く。特に赤ちゃんのスケッチ!手の仕草とか、足指の丸め方とか、子供って独特だし、ドンドン成長するから変化があって飽きないし練習になるし。うんうん、私もやろう。
 ・・・って、それにはまず産まなきゃなんねぇんだよなぁ・・・。そこでつまづいている私に未来はない!?

2006年9月2日(土)

 能代へ。県内の切り絵作家、平野庄司さんの原画展に行く。凄い作品の量(約300点)とその迫力。あるものは激しく、あるものは愛らしく優しいその描線、私が生まれる前から続いてきた秋田のいろいろ、人々の暮らし・・・。なんだか(感動のあまり?)ぼうっとなってしまう。ふと、横に立ってらっしゃる方の胸の名札を拝見すると、なんと!平野庄司さんその人ではあ〜りませんか。私が大喜びで話しかけた事は、言うまでもない。いや〜感激。来てよかった。
 画集をいろいろ購入しての帰り、サインを頂けることになってまたまた大感激。名前だけでなく、短い、心に滲み入る詩もサラサラと書き添えてくださる。有難うございました!ぜひまたいつか、お目に掛かりに行きます。ますますのお元気をお祈りしつつ・・・。
 P.S そして東京へ出発する前の深夜になって、パソコンの大トラブル勃発。ホームページの大切なトップページが壊れてしまい、一体何をどうしたらよいのやら・・・。今日の作業全てのみならず、リンクページその他、あちこちでページやリンク、アクセスカウンターが行方不明に。みんな、どこ・・・?朝7時半のこまちに乗るのに、もう3時。仕方ない、全てを忘れよう!

2006年9月1日(金)

 今日から9月。8月を振り返ると、心ゆくまで現実逃避に打ち込んだ夏だったと言えるでしょう。遠くの他人の間には行けても、近場の知り合いに会えない時は「心が弱っている時」なのだと、何かに書いてあったのを思い出す。それって、遠くの町のお祭りにばかり行っていた私の事?ご無沙汰を重ねてしまったいつもの皆様、申し訳ございません・・・。
 手入れの悪いライオンのようになった頭を何とかしに、いつもの美容室ZENへ。今日も全開バリバリの(何が?)大坂さんと私。ところで、私はここに、もう1年半くらい通っているのに経営者の方とお会いしたことはなかった。たまたまだけど。このほどお会いする機会に恵まれ、いつもお世話になっているご挨拶など(やっと)出来た。さらに!リンクすることに。便利な時代になったものだとおもう。お庭の木や草花のお話を聞いたり横手の良いお店を教えたもらったりしつつ終了。そのお店も、行ったら、またきっとここに書いちゃうんだろうな。県南のみなさまお楽しみに。

2006年8月31日(木)

 道の駅おおうちで「大内とろろめし」。由利本荘市の生涯学習課で「五島まさを画集」。道の駅象潟では海産物の串焼きなど買い食い、道の駅岩城ではレストラン「ケベック」に入る(しめて道の駅スタンプ3個の収穫)。
 今日は去り行く夏の打ち上げをしよう、と決めていたので「酒庵たなか」へ。私の絵「ももさだカエル」、店内の壁に掛けて頂いていて、嬉し恥ずかし・・・有難うございます。冷や汗です・・・。
 「酒庵たなか」さんは、当ホームページのリンクページからリンクしていますので、秋田県内の方もそうでない方も、ぜひ一度飛んでみて下さい!ほんとう〜においしいです。お酒食べ物はもとより、器も、そのたたずまいも調度も(壁の絵も?な〜んて)。
 許可をいただいたので、当ホームページの次号の表紙には「ももさだカエル」が登場します。自分で言うのもなんですが面白い、かわいい絵です。もうすぐアップしますのでお楽しみに・・・。

2006年8月30日(水)

 光栄堂でカキ氷(今日はあずき白玉ソフトクリーム)を食べるのを優先したために昼御飯時を逃してしまい、目に付いた瞬間「なんか懐かしい」と感じたファミリーレストラン「TOMATO&ONION」に入り、ハンバーグで遅目のお昼にする。
 テーブルで会社沿革を読んで、「懐かしい」と感じたわけが判明。1号店は舞鶴(京都府の港町)、本社は大阪の江坂、などと、主に西日本に展開するチェーンらしいので、大阪で暮らしていた頃、きっと、あちこちで見掛けていたのでしょう。(江坂には私が就職しかけた会社もあるし。結局は守口市の電機メーカーに入ったけど、江坂の会社も良いところだった)。一度も入った事なかったトマトアンドオニオンに、ここ秋田、山手台のおいしい広場内でご縁ができるとは。
 ところで、今日の私の用事というのは皮膚科の病院に行くことだった。秋田に来てから顔のも含めて、皮膚、というものを大切にし始めたのには、深くもないけどちょっと訳があって。
 それは、もし子供というものが生まれたら、やがては授業参観なるイベントが私の身にも降りかかると気付いたから。そのころ私いくつ?きっと子供に「エーン、よそのお母さんは若くてキレイなのにぃ〜」と泣かれるんだろうな・・・と思うと、子供(まだ会った事ないけど)に申し訳ない気がして・・・。実年齢は物理的に変えられない以上、出来る事を1コ1コやっていくしかない!とか、思ったんですね。(夫「一体、いつの心配してるんだか・・・」)。
 授業参観という目標は刻々と遠のきつつある現実の中でも、何となく、出来る事はやっている今日この頃です。そもそも、コドモの授業参観でエエ格好しよ、ちゅ〜ような動機が不純だったんだってば!

2006年8月29日(火)

 三陸海岸、宮古の浄土ヶ浜へ。同じ海とは言っても裏日本秋田(ウラ、という言い方は良くないんだそう。まあたしかに響きはネガティブかな)の男鹿半島と太平洋側の三陸海岸とはずいぶん趣きが違う。
 お目当ては、ウニを練りこんだ麺にウニエキススープ、具は蒸しウニ、と、「もうええっ!」と言う位ウニづくしの「雲丹麺」。これが850円なんだから岩手も良いところだ〜。
 往路は角館から盛岡経由で行き、復路は釜石から遠野、東和〜北上まわりで帰ったので、一日で道の駅スタンプが8個も集まった。そう、これ、集めてるの。

2006年8月28日(月)

 大仙市神宮寺にある福の友酒造にて、今日は冬樹・嶽・神宮寺など試飲させてもらう。酒造りにも使う水で入れた「仕込水コーヒー」や「吟醸アイス」を蔵で、ある時はお座敷で庭園を見ながら頂くのも風情があり、時々来ている大切なカフェ場。13号線沿いとは思えぬ静寂のひと時が持てる良い所で、もしこれが東京にあったら、いや仙台札幌にあってもこんな静寂は得られないだろうと思うと、いや〜大仙市はホントこの世の天国!
 その後サンクエスト大曲の検診会場に大腸ガン検診用の「検体」を持参。それというのも25日の検診時には「便」が2本揃わず、今日まで猶予をもらって採り直したから。なんか、ここぞ、って時には必ず便秘するのが私の腸の性格なんですかね?く〜腸のヤツ、先月の採卵日の恨みは忘れん・・・(まだ言ってます)。
 ・・・と、最後はびろうなるお話となってしまい、グッと品を下げちゃったところで、今日の日はさようなら。

2006年8月27日(日)

 花火から一夜明け、まだ町には普段じゃ考えられない量の車が走っている。昨日もスーパーや屋台で買い物するとオニイサン方が「いつもの大曲と違う町みたいですよねっ!」と感動していたっけ(もちろん一緒に感動した)。
 夫は、「なんで僕らが地元民やと分かったんやろ?」と不思議がってたけど、そりゃ、私が牛乳だのキャベツだのトイレットペーパーだのぶら下げてぺたぺた歩いてる脱力した姿を、この町で見られた事あるんでしょう、どうせ。顔に「大曲(大仙)市民」って書いてあるはずないもん!
 さて、黒藻を食べに男鹿半島へ。黒藻とは、秋田県内でしか消費されない海藻で、黒藻漁は夏場の11:30〜12:00のみと決まっている。まあ食べてみればモズクとだいたい一緒なんだけど、おいしいものです。海を見ながら男鹿半島一周し、秋田市内でお茶して帰宅。夕方の大曲は、もうだいぶ片付いていてちょっと寂しい。

2006年8月26日(土)
大曲の花火

 そして花火当日。もう私達大曲市民は町から出るに出られず、腰を据えて花火。「グランドパレス川端」屋上で見る。ここはお食事つきで少しぜいたくだけど、ここを確保した7月中旬、ちょうど私は体外受精に臨む前だったので、「花火のころ妊婦かも〜」(お調子もの!)と、楽な道を選んでしまった・・・。桟敷席等に入ってしまうと、何かあっても救急車にもスグには乗れない「大曲の花火の恐ろしさ」を知っているから。去年の花火の日って、計算上は出産予定日だったというのも怖い(1月中に流産したけど)。とんでもない話でございます。
 とにかくグランドパレス川端は、花火の1ヶ月半くらい前に、普通に(別に何のコネもなく)問い合わせて十分とれるので、わりと穴場といえましょう。7月の体外受精?そっちは、たった1コの採れた卵が使えない変成卵だったので、採卵後は何もすることがなく、この夏はたいへん虚しい夏となりませり。そういう事々を深く考えさせない為にも、花火ってあるのかも(お祭りも。って、それ自分の個人的な主観入ってます・・・)。
 大曲市民の喜びをかみしめるこの日このイベント。これで、秋田県の夏祭りはほぼ終了。名実ともに、秋を実感する季節に入ります。

2006年8月25日(金)
花火前日

 大仙市(旧大曲市)の検診のためサンクエスト大曲へ。何でこんな日に・・・と思うほど、もう町は花火仕度一色。普段はただの草ぼうぼうの荒地までキレイに草刈りされ「駐車場・4000円」などと書いてあって、我々市民の花火気分を盛り上げる(?)。私の住む町内は観覧席付近まで歩いても近いし、家からも見ようと思えば見られるという恵まれた距離。どのご家庭も他府県からのお客や親類縁者を迎えていらして、「この忙しい時に検診・・・」とぼやきつつも、地元民同士、順番待ちしながら花火仕度のよもやま話に花が咲いて楽しい。(写真は花火の筒。観覧席対岸)。

2006年8月24日(木)

 昨日の今日で、起きられるのか心配だったけど、何とか起きて岡田裕子先生の岡田皮膚科医院へ。もうすっかり「病院に行く」感じではなく、親しい方たちに会いに行く楽しさの中に終了。元気になれた・・・。
 ところで、私がいつもこちらで何をしているのかって?うう、言いたくない・・・言いたくないけど、数々の皮膚トラブル治療の他に、例えば今日ですと、腋下の脱毛。って、結局言ってるじゃん。あ〜恥ずかし。隠し事の出来ない、この性格が憎い・・・。
 それと言うのも、私は、髪や腕の毛などは茶色く細い毛質なのに、何故か突然ワキのみ亀の子タワシ。きっと私の前世は亀の子束子だったのだろうと思われる程で、朝キレイに処理しても午後には「おじさんのあご」状態、とてもノースリーブなんて着て出れません・・・(着て出る時はシェーバー持参)・・・という人生。秋田市内に本宅のある人とあれこれしゃべっていた時、ふとこの悩みの話となり、「それなら」と教えて頂いたのが岡田皮膚科さんだったわけです。秋田市中通4-1-41(覚えやすい数字の並びだ・・・)、当ホームページのリンク集からリンクしています、是非ご覧下さい!裕子先生の、お肌の為のエッセイ「美肌レシピ」、とてもいいのです。秋田さきがけ新聞をとっている人なら、医療コラムでも、時々裕子先生の文に触れられるし。
 今となっては、よくぞあの時、ふと「タワシ」の悩みを話したことよ・・・と素敵な出会いに感謝。「言って失敗」って事々も多いけど、それでも。何でも、言うべきものだ、と思います。

2006年8月23日(水)

 2日間にわたり、私が穴のあくほど見詰めたので、きっと今ごろ伊藤若冲・曾我蕭白・長沢芦雪・鈴木其一やなんかは穴が開いてるんではないかと・・・心配・・・(なわけないだろっ!)。東京国立博物館はなかなかの混雑ぶりで、東京の人々も「凄く混んでるね・・・」とグッタリしてらしたけど、こちとら大曲市民。大曲の花火の混雑ぶりを一度でも経験した身には、上野の博物館の混み具合なんてメじゃござんせんことよ。
 午後は九段上、暮らしの器・花田にて林京子さんの器展の初日なので、行って色々見せて頂く。いつもながら、とても強くかつ涼やかな作品の数々。財政難の折から大皿等には手が出ないものの、小鉢・お茶碗・八角鉢など少しゲット。このお店は、良いところがいろいろあり、中でも私が一番嬉しく感じるのは、選ばせて下さるところ。ほら、器って、色とか肌合いとか、絵の付いているものは特に、一つ一つ微妙に違うでしょう?ここでは、同じアイテムが奥にもあれば、ズラ〜ッと出して来て、心ゆくまで選り好みさせて下さる。
 ついでに信号わたって靖国神社参拝。私が参拝しても何の問題にもならない、一般市民は気楽でよいわ〜。遊就館(入館¥800)もみっちり観たのでふらふらになり、夜中にこまちで大曲に辿り着いて、さすがにぶったおれました・・・。

2006年8月22日(火)

 今日は上野の東京国立博物館「若冲と江戸絵画展」へ。これには、英語で「JAKUCHU & THE AGE OF IMAGINATION」という副題がついていて、ど〜考えてもこっちの方が素敵でしょう。このところ秋田で34、5℃の気温に馴らされてきた身には29℃の東京は涼しい。
 いろんな路線を乗り換え乗り換え、移動に体力&時間のかかる東京だけど、欲しいものが何でも揃う便利さも懐かしく嬉しい。昨夜、毛馬内から夜中に大曲に帰り着き、朝一で「こまち」に乗ってきたため眠く、ゴハンを食べ、丸善で買った本を読む間もなくホテルでばったり。
 ところで今回、「車窓風景を楽しもう」と飛行機でなく新幹線こまちに乗ってみるも、移動時間のかなりの割合、意識を失って過ごしたので、無意味だったかも。

2006年8月21日(月)

 今日は毛馬内盆踊りの日、鹿角市十和田(つまり十和田湖の近辺)へ。大太鼓の演奏も、昨日鹿角でも聴いたけど、感動的なもんです。秋田県三大盆踊りの一つだとか。これと、西馬音内と、・・・もう一つって、どこだ?
 物凄い雷雨の中をたどりついたので、雨も上がり無事開催されて嬉しい。
 言葉が違うためか「どこからお越しですか?」とよく訊かれるけれど、「大曲からです」と答えると、「おおっ、あの!もう今ごろ、花火の仕度で大変でしょう〜」とウケるので、すかさず花火の宣伝。 そうか。私も今なら、このように「自分の地元の祭り(私は何もしていないけど)」を持っているんだ・・・。そういうのって、やっぱり、イイと思う。
 菅野食堂でヒレかつ丼、喫茶えんで白玉ぜんざい、しっかりお腹に入れてからお祭りに。

2006年8月20日(日)

 鹿角花輪ばやし。囃子方だけでなく各町内の役員・OBの人たちにもいろいろとすること、役目があるようで、そういうのを見ていると、「こういう人生もあるのになぁ〜」と、選べなかった道が妙にうるわしく思えたりする。でも、それって、ないものねだり・・・。
 地縁的にはどこにも属せないほどの激しい引越し人生を、羨ましがってくれる人もいるし。お互いに、「じゃあ、一遍やってみろっ!」と思ってたりするのね。
 去年も見たけど、来年も来たいと思わせる、なかなかに不思議な魅力のある街と祭りの鹿角花輪ばやしの夜でした。

2006年8月19日(土)

 洗車。高速道を走るたびに車の前面が虫さんたちの、この世での仮の肉体(まだ昨日の名残で仏教モード?)の残骸で一杯になってしまうから。都会の人達にはあまり実感ないでしょう?
 そのあと「崎さんち」でゴハンを食べただけの休養の日。

2006年8月18日(金)

 三十三年に一度、松島、五太堂のありがた〜い御開帳。暑がりの私も大人しく行列に並ぶ。心配された台風があっさり逸れて行ってしまったのも、神仏のご加護によるものかと(突然信心深い仏教徒に)。日吉山王神社・三聖堂もあわせての御開帳。急な石段も上り、全部回る。
 次の御開帳、三十三年後に、生きてるだろうか?
 ところで、6月〜8月、太平洋側常磐沖のアナゴは旬。松島一の坊で穴子ごはんを食べたらとても美味しかった・・・って、結局さいごは食べ物の話ですか・・・。

2006年8月17日(木)

 今日も引き続き地元秋田県南の祭り。西馬音内盆踊りへ。昼間に当日券を買っておき(15:00発売)、一旦家に帰って、改めて夜行くパターンは去年と同じ。
 去年は翌日に病院行きの予約が入っていたので、「早く帰って寝なきゃ・・・」とか思いつつ最後まで見てしまったんだったっけ。そしてその翌日は流産後初めての診察で、原因を聞いたり、今後のことを話したりして帰ったのだった・・・。それはそれで悲しかったけど、「でも来年の西馬音内盆踊りの時には子持ちor妊婦になってるかも」な〜んて事も考えた私はまだまだ能天気だった。ちっ、この世は思うに任せぬもんです。
 踊りは去年以上に良かったと思うけれど、今年は踊りの輪の中をわらわらと通行する観客が多くて・・・。どんどん県外観光客も増えているこの盆踊り、来年くらいからは、ちゃんとした「通路」を確保しないとマズイかも。でも、そう大きな通りじゃないからなぁ、そんなスペースがどこに・・・?

2006年8月16日(水)

 横手送り盆。ほとんど地元民なのに毎年見逃していたので、今年は蛇の崎橋の上に席を確保して堪能する。祭りの進行と平行して花火も上がる。
 おとついの男鹿の花火の時もそうだったけれど、花火が、その地の大きな病院から見えるところで上がると、なんか嬉しい。これなら入院している人も見れるよね。今日のは平鹿総合病院から丸見えだったもよう。よかった、よかった。
 冬の横手のぼんでん、六郷の竹うちなど、この辺の祭りは荒っぽい・・・。秋田でこの夏最高気温35.6度となったこの日。蛇の崎橋でぶつかり合う男達は熱いけれど、さすがに橋上、夜は風が抜けて観客席は涼しい。

2006年8月15日(火)

 AKITAカジュアルアーツフェスタへ。日赤跡に駐車し、仲小路の、MORRIS横を南に入った通り(通称モンパルナス通りとか)の「よっとブリッジ」でお昼。「かもめ食堂」のような雰囲気の、しみじみおいしい、かわいいお店だった・・・。この通りには素敵な小さなお店がいっぱいで、ここだけ、ちょっと神戸みたいです(と言っても、私の知っている神戸は20年前の神戸)。
 その後、どきどきしながら切り絵の鎌田沙織さんに会う。う〜ん、あんなに凄い作品の作者なのに、本当に高校生だった・・・。才能、というものに関して、神様って不公平かも。しくしく・・・。私よりずいぶん年下の人なのに、やはりどうしたって敬語になってしまう。
 秋田に住んでいる人は幸運です、中通2のRed house(フラワーおの2F)に行けば彼女の作品が見られるのだから。
 今日の秋田は34度。仲小路角のお菓子のくらたで日本酒ゼリーを買って帰る。くらたはこのカジュアルアーツフェスタに数々の協賛をしているようで、ゼリーも5%引きだった。いよっ、太っ腹。

2006年8月14日(月)

 男鹿日本海花火。司会など演出もよくて、「また来年も来よう」と思わせるいい花火大会だった。来年の今ごろも、もし秋田県に居れば見よう。
 あまりに前で見たので燃えカスがばらばら降ってくるのも面白い。広い芝生で寝転んで見られるし、県内、大曲の花火以外はおおむねのどかで楽しい。大曲?いやぁ〜あれはこの世のものとも思えない混雑です。PLの花火(大阪、富田林市)に匹敵するか、もしくはそれ以上。
 大曲市民の私共は、大曲の街から出るに出られず、その日は花火を見るしかないのでした・・・。

2006年8月11日(金)

 岡田先生の皮膚科のあと、物凄くおいしいという「光栄堂のカキ氷」を食べに行く。私はあずき白玉。噂どおりすごくよかった・・・。席がなかったので、お店の奥の大理石の作業台に座らせてもらって食べたのがまた、楽し。
 そのあと憩7でおひる。順番が逆だけど、そのおかげで光栄堂の大混雑のちょっと前に入れてよかった、私がカキ氷を食べ終わるころには店の外まで行列が・・・。この日の秋田市も30度以上、無理もない事で御座います。
 コンタクトレンズを買いに行く途中、余りに暑いので冷たいものを飲みに入ったRed house(仲小路をちょっと入った所、フラワーおの2F)に、なんだか凄い切り絵がいっぱい飾られているのに度肝を抜かれる。聞けばまだ高校生の人だとか。
 く〜、いるんだよね〜。ときどきこういう、造形の神に愛されて生まれてきたような人が!扇子や、切り絵のしおりなど色々いただく。8/14・15、仲小路での「AKITAカジュアルアーツフェスタ」で会えますよ、と教えてもらって嬉しい。

2006年8月10日(木)

 雄物川の花火。インターバルが長いのがちょっと気になるところだけど、「水中花火」というものを初めて近くで見られて、水中花火は船に乗っている事を知った。本当に水中から打ち上げるのかと思ってたんです・・・そんなわけないよね・・・。

2006年8月8日(火)

 今日は仙台七夕の最終日。「気分転換」と言うよりはもはや「現実逃避」の感がある私のお祭り行脚だけど、今までの2年は流産直後だったり何やかやでで夏祭りを逃してきたし。更に、来年どうなっているか、わからないし。と、自分に言い訳して仙台へ。東北四大夏祭りグランドスラム達成してしまった・・・。
 これは、言ってみれば七夕飾りがぶら下がっているだけであり、商店街が極めて歩きにくくなる祭りなんだけど、それが妙に楽しいところに、仙台という都市の底力を感じてしまう。吹流しをかき分けたとたん、向うから同じようにかき分けてきた人とぶつかって笑いあったりして。マーブルロードとか歩いてると、秋田竿灯うちわを持ってる人、「泣ぐ子はいねがぁ、なまはげTシャツ」を着てる人、などをお見掛けして嬉しくなる。秋田にも寄ってくれたんですね!
 こういうのを見ながらそぞろ歩いて「間が持つ」ようになったのは、たぶん大人になったから。この日の為に集まって、またはそれぞれの家で飾りを製作して準備してきた人々の様子やなんか、家族とかを想像できるようになったから。
 ところで、仙台に開店したBAGEL&BAGELでは、アイスベーグルを扱っていない事が判明。立ち上がれない程のショックを受ける。帰って夫にその事を話したら、彼もショックのあまり倒れ伏していた・・・あほな二人ですね、はい。

2006年8月7日(月)

 で、病院。産婦人科は生殖内分泌外来。話の流れで、もう(繁殖は)ムリっぽいでしょう、という事であれば今日で、通院するのもほぼ最後かも知れないし、「長い間お世話になりました〜」などと嫁入り前夜のような挨拶と共に退出してくる事になるのかも、とか考えつつ門をくぐる。
 結果は、ほとんど結論を先延ばしにしただけの、優柔不断な私・・・。でも、もう、そう若くもないし、状況はキビシイです、と言われてしまったのは予想どおり。
 秋田に来てからも自然妊娠したし、病院で受けた人工授精でも1回目で妊娠したし、昨秋の体外受精1回目の採卵では年齢に似合わぬ良好な卵が採れていたし、自称「妊娠の天才」(ばか・・・)だった私。いつかはいけるだろう、と思っていた、その頃までは。過去写真の自分を見ると、その頃まではまだふっくらしているし、笑顔が幸せそうで歳のわりにかわいいかもと思う(自分でそれ言うかっ、という突っ込みはこの際置いといて)。
 もうなんか、今はすっかりフケてしまった(ような気がする)。秋から6キロやせ、その当然の結果としてシワも増えたし(!)、顔の感じが全然違うのが自分でも判る。どうしたらいい?気が付いたらすごーく遠くまで来てしまっていて、砂漠の真ん中に突っ立っていた、みたいな感じがする(実際に砂漠に行った事はないですけど)。そろそろ潮時かも知れない。
 と、このように、どーしても気持ちが切り替わらないままで困ってしまったので、青森のねぶた最終日の海上運航と花火、というのに行くことにして、時間は遅くなってしまったけど青森へ向け出発。(ちなみに病院の名誉のため言い添えますと、遅くまでかかったのは、なかなか出頭する決心がつかずに、予約時間を過ぎてから行った自分のせいです。)
 途中、五所川原にも立ち寄ったのち、青森市のねぶた用臨時駐車場に車を入れる。新町のサンドリオンで休憩してからアスパム(秋田で言うとアトリオンにあたる建物です)へ、さらに青い海公園へ。とても良く見える場所があり、夜風に吹かれ、うっとりと見入る。
 なぜ「お祭り」というものがこの世に必要なのか、今日わかった。大人の人生には(子供にもかな)、辛いことがひそんでいるから。(ちがうかも?)。
 帰宅したら、「青森からで、この時間?・・・早すぎ?」と、夫が私の走行スピードの計算を始めた。や、やめれ・・・。

フレーム
2006年8月6日(日)

 ・・・とは、言うものの(勝手に昨日の続きです)、繁殖は自分一人で決められる事でもなく、要は自分のカラダとの相談なので、いずれにせよ病院は行かなきゃ・・・とか思いつつ昼竿灯。
 秋田竿灯は、本当に堪能したければ昼。差し手の技もよく見えるし、妙技会のバトルが熱い。「あくら」のビールで一息入れ、お菓子の勝月の麩まんじゅうや冷菓を気にしつつ暑さに耐え、決勝戦を最後まで見る。
 夜は夜で、昼間は惜しいところで新川向南町Aチームに破れて男泣きに泣いていた準優勝の川口Aチームの人たちが、気持ちを切り替えて、明るく元気よく、次々に凄い技を繰り出していたのがよかった。

2006年8月5日(土)

 今日は「ZEN」(イーストモールにある美容室)へ行って、大坂さんに髪を染めてもらう。いつも思う。ちょっとくらい白髪が出始めたって、染めりゃ元通りなんだから、上はいいんだよ、上は・・・。
 大坂さんとは、「そうですよね、ちょっと染めにくそうですよね、下は!」と笑いまくった事あり、すみません、げひんな客で・・・。
 先月の採卵日(7/20)、ちょうどシャンプーが切れていたので帰りにZENに寄って(まだ痛み止めが効いていたので動けた)、大坂さんに「いま採卵して来たの」と言って驚かれたっけ。大坂さんはその後、心配してHPを見てくれ、励ましメールを下さった・・・うるうる、ありがとう。心配かけてごめんね。
 すっかり心配をかけちゃった私だったけど、根が単純なので励ましてもらうと、「そ、そう?じゃっ、もいっちょ、やるかっ」みたいな軽〜いノリを取り戻しつつあるのだった・・・。

2006年8月4日(金)

 青森ねぶたへ。やはり熱気の祭りだった・・・。青森ねぶたは一般の人もハネトとして参加できるので、すっかり友達になって、「また来るね!」と毎年来ている人も多いらしい。青森は本州最北端ながら古くから交通の要所、港町でもあるので、人の気風も結構ひらけているのだとか。
 秋田の竿灯にもリピーターが欲しいところだけど・・・竿灯は技が要るので急には参加できないし、秋田人っておおむねシャイだからなあ・・・。そこがいいトコロなんだけど。観光って難しいですね(迎え入れる方側は)。
 ひたひたと大曲まで走る。7月末に大曲西道路は秋田道までつながったし、秋田道は能代南から能代東まで延長されたし、本当に青森も近くなったものだと実感。ねぶたをやっている青森から2時間半あれば帰り着くのだから。
 大曲の宣伝。大曲は交通が四方八方にひらけているので、ここに住んでいれば、東北のお祭りなどはほぼ全部、日帰りで充分行けます。あんまり使わないけど鉄道も便利(新幹線の駅があるってのが自慢!)。空港も近いし。
 ここに住んで、ここからあちこち行くのって、凄〜く恵まれている。都会の皆様、どうでしょう、定年退職後の終の棲家として大曲などは。地価は比較的リーズナブルなので経済的にも助かるし。子育てにも絶対いい土地だと思うので、それまでに定住するのもいいかも。
 私?狙ってますよ、充分!でも、てんきんぞくなの・・・。

フレーム
2006年8月3日(木)

 今日は地元で秋田竿灯。ちびっこ竿灯が、悶絶しそうなほどかわいい。
 私の希望。私はほんとう〜〜〜に教育ママ的なことやそういう人と性が合わない性格だけど、これだけはやらせて欲しい。それは子供を特訓して竿灯を差させること!(充分教育ママじゃん)。あ、忘れてた、その前に産まないと・・・。
 東北のお祭りの中で、秋田の竿灯はビジュアル面ではちょっと地味かもしれない。力技なので基本的に「男の祭り」的で、さんさ踊りのきらびやかさはない。大きな絵や立体のあるねぶた系にもちょっと負ける。お囃子の演出も地味。
 だけど、一番技術が要るもの、普段からの絶え間ない練習と体調を整える為の節制をも求められるもの、それは竿灯で決まりでしょう!人間って、ここまでやれるものなんですねー。
 ということで、他県の皆様、どこのお祭りに行くかなー、って時は、迷わず秋田の竿灯へ!

2006年8月2日(木)

 弘前ねぷた。弘前では扇形の扇ねぷたの方が立体的な組ねぷたより多く、絵を堪能できる利点がある。
 昨日も隣の席のおじさんが地元の人で、「ほらほら、あれが盛岡市長」とか「あれがミスさんさ!」とかいろいろ親切に教えて下さったし、今日は今日で駐車場のことをはじめ地元の人に多大のお世話になる。これもまた、祭りの楽しみ。
 パレードの時、ねぷた金魚を貰いそこねてしょんぼりしていたら、斜め前のおじさんが気付いて御自分の金魚を「ハイ!」と下さる。ん〜〜、なんて、優しい上に太っ腹な方!
 「どこから来たの」と聞かれて、「秋田は大曲だっ!」と胸を張って答えられるのも嬉しい。都会から来てる場合よりも、話題ってもんがあるし。ちゃっかり大曲の花火大会の宣伝もできるし。東北人どうし、お互いの祭りを訪ね合いましょう!
 ところで、昨日からページを替えました。今までの日記はどんどん前ページに。壊れるのがコワくて未だかつて削除してないので、1年半分くらい溜まっている・・・どうしてくれよう・・・。

2006年8月1日(火)

 盛岡さんさ踊りの日。昼前に着いてぴょんぴょん舎で焼肉、上の橋の丸竹茶屋でおもちの三点盛り、一茶寮でふかしパンセットを完食したのち、白沢せんべい店で南部せんべいを買い食い(かぼちゃと抹茶がおすすめ。教えてくれた岡部さん、ありがとう!)。
 さすがに食べ過ぎで動けなくなったので深沢紅子野の花美術館で一休み。・・・のつもりが、やたら長時間真剣に観てしまったので小腹が空いて、一階の喫茶室でマドレーヌと手作りクッキー食べちゃう。何やってるんでしょ。
 深沢紅子氏の花の絵を見ると、普段「塗り残さなきゃ」「ぼかさなきゃ」「影つけなきゃ」などど、細かいことに汲々としている自分が無意味な愚か者に思えてくる。そしてそれは、なかなかに、嫌じゃない感覚なのだった・・・。
 さんさ踊りは、去年、能代の「おなごりフェスティバル」でちらっと見ただけで心が残っていたので、今日、堪能できてよかった。あのリズムの繰り返し。妙〜に気が昂ぶりますね。
 さんさに驚いたのか、出血が引っ込んでしまった私の子宮の中身はどうなっているのか?考え出すとまた思考は無限ループに陥るので考えないことにする。
 が!そこに幼稚園児のグループのさんさがやって来る。可愛いい・・・。かわいすぎるぅ。あの小っちゃな手で撥を持って太鼓をたたき、ヒワヒワのあんよがステップを踏む。たまりまへんなぁ。もう少し頑張ったらあんなのが腹から出てくる、つーのならば・・・もう少し頑張る?・・・(そして思考は無限ループ地獄に)。