練習問題

文例と解説:文章の要約

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文章(ぶんしょう)要約(ようやく)方法(ほうほう)については【→文章の要約】を参照(さんしょう)せよ。なお、以下(いか)解説(かいせつ)は「文章の要約」の内容(ないよう)(したが)っている。

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段落(だんらく)への分割(ぶんかつ)

問題文(もんだいぶん)()れば、5つの形式段落(けいしきだんらく)からなっていることはすぐにわかる。

また、文章(ぶんしょう)の内容を()ていくと、

(1)国際日本文化会議(こくさいにほんぶんかかいぎ)での出来事(できごと)
(2)欧米人(おうべいじん)日本語(にほんご)会話(かいわ)することについて
(3)ソ(れん)旅行(りょこう)での体験(たいけん)
(4)まとめ

という(じゅん)()かれていることがわかるだろう。

このことから、問題文(もんだいぶん)は、4つの意味段落(いみだんらく)からなる「四段構成(よんだんこうせい)」の文章(ぶんしょう)であると(かんが)えることができる。具体的(ぐたいてき)には、以下(いか)のように(かんが)えればよい。

今から十三年ほど前のことになるが、国際日本文化会議が京都で行われたことがある。同時通訳の設備について説明があった時、「外国人の代表は原則として英語で発表します」と通訳側の誰かが言ったところ、主催者の一人である吉川幸次郎教授が怒って「そういうのは常識外れである」と述べ、かなり激しい調子で抗議された。

確かに日本で催される国際会議では外国人は英語を使うことになっている。しかし、日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、又、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。ということで吉川教授が予想なさった通り、日本語で発表する外国人代表が何人もいた。


正直に言って、私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。


二十年ほど前にソ連旅行をしたことがあるが、モスクワやレニングラード大学の日本語科の教師や学生に会い、専ら日本語を使っていた。レニングラードのホテルから空港までのインツーリストの自動車に乗る前、三人のソ連人の女性に見送られ、丁寧な日本語の挨拶を言われた。「折角遠いところまでおいでになって下さいましたのに何のお構いもできませんでした」と言われたので、私も負けずに「いいえ、身に余るほどのご接待に与ってお礼の言葉もございません」と相槌を打った。言うべき挨拶を全部言ってからいよいよ自動車に乗った。その時始めて分ったが、私と同様に空港へ向かう日本人旅行者が前から乗っていて私たちの会話をずっと聞いていた。彼は、私がソ連人ではなく、共通な言葉は日本語しかないということを勿論知るすべがなく、どうしてソ連人同士が日本語をしゃべるのかと不思議がっていたに違いない。が、空港につくまで彼は黙っていて私の方を一度も見ようとしなかった。


やはり、日本人にとって外国人が日本語を話すのは不気味のようである。が、好むか好まざるかは別の問題として、日本語はどんどん国際語になっていっている。日本で行う国際会議の場合、日本語を使う外国人の代表が増えていっても驚くにはあたらない。

中心文(ちゅうしんぶん)()つける

まず、文章(ぶんしょう)意味段落(いみだんらく)にわけることができた。(つぎ)は、意味段落(いみだんらく)中心文(ちゅうしんぶん)()つけなければならない。

問題文(もんだいぶん)では、形式段落(けいしきだんらく)意味段落(いみだんらく)がほぼ一致(いっち)しているので、そのまま意味段落(いみだんらく)中心文(ちゅうしんぶん)(かんが)えることができるだろう。「文章の要約」では、形式段落(けいしきだんらく)中心文(ちゅうしんぶん)()()してから、意味段落(いみだんらく)中心文(ちゅうしんぶん)(かんが)えたが、そのような手順(てじゅん)()必要(ひつよう)はない。

それぞれの意味段落(いみだんらく)中心文(ちゅうしんぶん)は、(つぎ)のように(かんが)えればよいだろう。

段落(だんらく)中心文(ちゅうしんぶん)

段落(だんらく)は、国際日本文化会議(こくさいにほんぶんかかいぎ)での出来事(できごと)()かれている。

一般(いっぱん)に、中心文(ちゅうしんぶん)は、事実(じじつ)記述(きじゅつ)する(ぶん)ではなく、意見(いけん)()べた(ぶん)である。しかし、1段落(だんらく)はすべてが事実(じじつ)記述(きじゅつ)であり、筆者(ひっしゃ)意見(いけん)などは()かれていない。

このような場合(ばあい)は、具体的(ぐたいてき)事実(じじつ)()いた(ぶん)(たい)して、より一般的(いっぱんてき)事実(じじつ)()いた(ぶん)があれば、それを中心文(ちゅうしんぶん)(かんが)えるのが自然(しぜん)である。

そこで、1段落(だんらく)()んでみると、『しかし、日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、又、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。』という(ぶん)が、会議(かいぎ)での具体的(ぐたいてき)出来事(できごと)()いた(ほか)(ぶん)よりも一般的(いっぱんてき)事実(じじつ)()いていることがわかる。したがって、この(ぶん)が1段落(だんらく)中心文(ちゅうしんぶん)だと(かんが)えることができる。

段落(だんらく)中心文(ちゅうしんぶん)

段落(だんらく)にはひとつしか(ぶん)がないので、それがそのまま中心文(ちゅうしんぶん)だと(かんが)えればよい。

つまり、『正直に言って、私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。』が2段落(だんらく)中心文(ちゅうしんぶん)である。

段落(だんらく)中心文(ちゅうしんぶん)

段落(だんらく)は、ソ(れん)旅行(りょこう)での体験(たいけん)()いたものである。

段落(だんらく)同様(どうよう)に、すべてが事実(じじつ)記述(きじゅつ)であり、筆者(ひっしゃ)意見(いけん)などは()かれていない。また、すべてが具体的(ぐたいてき)出来事(できごと)(あら)わしており、(ほか)(ぶん)よりも一般的(いっぱんてき)事実(じじつ)()いた(ぶん)もなさそうである。

要約(ようやく)をするときには、要約文(ようやくぶん)をできるだけ簡潔(かんけつ)なものにするため、具体的(ぐたいてき)事実(じじつ)省略(しょうりゃく)するのがふつうである。そのため、(もっぱ)具体的(ぐたいてき)事実(じじつ)()いている3段落(だんらく)は、全体(ぜんたい)要約(ようやく)から省略(しょうりゃく)してよいと(おも)われる。

段落(だんらく)中心文(ちゅうしんぶん)

段落(だんらく)には、3つの(ぶん)がある。

1つ()(ぶん)は、3段落(だんらく)(たい)する筆者(ひっしゃ)感想(かんそう)()いたものである。

2つ()(ぶん)は、先頭(せんとう)接続詞(せつぞくし)の「が」があることから、1つ()(ぶん)(たい)する筆者(ひっしゃ)意見(いけん)()べたものと(かんが)えられる。

また、3つ()(ぶん)は、2つ()(ぶん)から(みちび)かれるより具体的(ぐたいてき)帰結(きけつ)()いたものといえる。

以上(いじょう)のことから、4段落(だんらく)は、

話題(わだい)提示(ていじ) → 意見(いけん) → 補足(ほそく)

という展開(てんかい)であることがわかる。したがって、筆者(ひっしゃ)意見(いけん)()べた2つ()(ぶん)が、好むか好まざるかは別の問題として、日本語はどんどん国際語になっていっている。』が中心文(ちゅうしんぶん)だと(かんが)えられる。

自分(じぶん)言葉(ことば)でまとめる

ここで、それぞれの意味段落(いみだんらく)中心文(ちゅうしんぶん)(なら)べると、(つぎ)のようになる。

しかし、日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、又、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。

正直に言って、私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。

が、好むか好まざるかは別の問題として、日本語はどんどん国際語になっていっている。

もちろん、このままでは要約(ようやく)にならないので、表現(ひょうげん)修正(しゅうせい)しなければならない。具体的(ぐたいてき)には、以下(いか)のように(かんが)えていけばよいだろう。

冗長(じょうちょう)語句(ごく)削除(さくじょ)

まずは、接続詞(せつぞくし)修飾語句(しゅうしょくごく)補足的(ほそく)語句(ごく)削除(さくじょ)してみる。

しかし、日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、又、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。

正直に言って、私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。

が、好むか好まざるかは別の問題として、日本語はどんどん国際語になっていっている。

(なが)(ぶん)分割(ぶんかつ)

これで、3つの(ぶん)(つぎ)のようになった。

日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。

私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっている。

しかし、1文目(ぶんめ)と2文目(ぶんめ)は、まだ(なが)すぎる。それぞれの(ぶん)分割(ぶんかつ)できないか(かんが)えてみよう。

まず、1文目(ぶんめ)は、以下(いか)のように2つの内容(ないよう)(あら)わしている。

  1. 日本語ができても英語を話せない外国人もいる
  2. 国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある

これらは、〈英語(えいご)(はな)さない外国人(がいこくじん)がいる〉という共通(きょうつう)した内容(ないよう)(あら)わしている。そのため、より特殊(とくしゅ)事実(じじつ)(かんが)えられる後者(こうしゃ)省略(しょうりゃく)して、(ぶん)(みじか)くすることにする。

日本語ができても英語を話せない外国人もいるし、国民的プライドの一つとして英語を知っていても使いたがらないこともある。

私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっている。

また、2文目(ぶんめ)も、以下(いか)のように2つの内容(ないよう)(あら)わしている。

  1. 私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がした
  2. 一旦やってみると当然のように思われてくる

これらは、どちらも「欧米人(おうべいじん)日本語(にほんご)会話(かいわ)」するときの筆者(ひっしゃ)感想(かんそう)である。しかし、前者(ぜんしゃ)最初(さしよ)だけの特殊(とくしゅ)なものであり、後者(こうしゃ)一般的(いっぱんてき)内容(ないよう)(あらわ)わしている。そこで、(ぶん)(みじか)くするために、前者(ぜんしゃ)省略(しょうりゃく)することにする。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

私が初めて欧米人と日本語で会話した時、何となくヘンな気がしたが、一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっている。

語句(ごく)補充(ほじゅう)

2つの(なが)(ぶん)分割(ぶんかつ)して、一方(いっぽう)削除(さくじょ)した結果(けっか)、3つの(ぶん)(つぎ)のようになった。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっている。

しかし、これでは「やってみる」の内容(ないよう)(なに)をやるのか)がわからない。そこで、(つぎ)のように語句(ごく)(おぎな)ってみる。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

欧米人と日本語で会話するのも一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっている。

結論(けつろん)明示(めいじ)

ここまでの作業(さぎょう)で、3つの(ぶん)(つぎ)のようになった。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

欧米人と日本語で会話するのも一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっている。

要約(ようやく)では、結論(けつろん)やまとめがはっきりわからなければならない。そこで、結論(けつろん)明示(めいじ)するために(つぎ)のように修正(しゅうせい)してみる。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

欧米人と日本語で会話するのも一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっているのである

表現(ひょうげん)(こま)かな修正(しゅうせい)

ここまでの作業(さぎょう)で、3つの(ぶん)(つぎ)のようになった。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

欧米人と日本語で会話するのも一旦やってみると当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になっていっているのである。

このままでも、一応(いちおう)意味(いみ)(とお)文章(ぶんしょう)になっているが、いくつかの表現(ひょうげん)修正(しゅうせい)して、自分(じぶん)なりの要約文(ようやくぶん)にしてみよう。たとえば、以下(いか)のように修正(しゅうせい)することができる。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。

欧米人と日本語で会話するのも、慣れれば当然のように思われてくる。

日本語はどんどん国際語になってきているのである。

また、全体(ぜんたい)意味(いみ)()えないように注意(ちゅうい)すれば、以下(いか)のように表現(ひょうげん)(おお)きく()えることもできる。

英語だけが国際語なのではない。今では日本語を話す外国人も珍しくない。日本語も国際語化しているのである。

要約(ようやく)作文例(さくぶんれい)

問題文(もんだいぶん)国際語(こくさいご)としての日本語(にほんご)」は、以下のように要約(ようやく)してみることができる。

日本語ができても英語を話せない外国人もいる。欧米人と日本語で会話するのも、慣れれば当然のように思われてくる。日本語はどんどん国際語になってきているのである。

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