cinema / 『ロング・エンゲージメント』

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ロング・エンゲージメント
原題:“Un Long Dimanche de Fiancailles”(婚約の長い日曜日) / 英題:“A Very Long Engagement” / 原作:セバスチアン・ジャプリゾ『長い日曜日』(創元推理文庫・刊) / 監督:ジャン=ピエール・ジュネ / 製作:ジャン=ピエール・ジュネ、フランシス・ボーフラッグ / 製作総指揮:ビル・ガーバー、ジャン=ルイ・モンチュー / 原案・脚色:ジャン=ピエール・ジュネ、ギョーム・ローラン / 脚本:ギョーム・ローラン / 撮影:ブリュノ・デルボネル / 美術:アリーヌ・ボネット / 特殊効果:レ・ヴェルサイエ社 / デジタル視覚効果:アラン・カルスネー<デュボア社> / 編集:エルヴェ・シュネイ / 録音:ジェラール・アルディ / 音楽:アンジェロ・バダラメンティ / 出演:オドレイ・トトゥ、ギャスパー・ウリエル、ジャン=ピエール・ベッケル、ドミニク・ベテンフェルド、クロヴィス・コルニヤック、マリオン・コティヤール、ジャン=ピエール・ダルッサン、アンドレ・デュソリエ、ティッキー・オルガド、ジェローム・キルシャー、ドニ・ラヴァン、シャンタル・ヌーヴィル、ドミニク・ピノン、ジャン=ポール・ルーヴ、ミシェル・ヴュイエルモーズ、アルベール・デュポンテル、ジョディ・フォスター、チェッキー・カリョ、リュファス / ワーナー・ブラザース・フランス、タピオカフィルムズ、TF1フィルムズ・プロダクション共同製作 / 配給:Warner Bros.
2004年フランス作品 / 上映時間:2時間14分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年03月12日日本公開(R-15指定)
公式サイト : http://www.long-eng.jp/
東京厚生年金会館にて初見(2005/03/08)※先行試写会

[粗筋]
 第一次世界大戦下のフランス、対ドイツ最前線。手首に枷をかけられた五人の兵士が、“ビンゴ・クレピュスキュル”と名付けられた塹壕から、中間地帯へと放り出された。彼らはいずれも除隊目的で故意に傷を負ったとして軍法会議にかけられ、死刑を宣告されたのである。そのなかに、マチルド(オドレイ・トトゥ)の婚約者マネク(ギャスパー・ウリエル)の名前があった……
 マチルドとマネクは幼い頃に出逢った。僅か四歳で両親を失った彼女は叔父のシルヴァン(ドミニク・ピノン)とベネディクト(シャンタル・ヌーヴィル)の夫妻に引き取られ、愛情を注がれ育てられたが七歳で小児麻痺を患い、歩行に障害を負った。そんなマチルドを見かけたマネクは父が働く灯台へと彼女を誘い、ふたりの幼い恋が始まり、やがては大きく実らせる。だが、戦争がその誠実な想いを引き裂いたのである。
 その後、阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈した“ビンゴ・クレピュスキュル”は多くの死傷者と行方不明者を出し、やがて終戦を迎えた。だが、マネクの最期を明確に見届けた者は誰ひとりとしていない――マチルドはその事実に縋った。
 彼女はまず、病院で療養中の生き残りダニエル・エスペランザ元伍長(ジャン=ピエール・ベッケル)を訪ね、初めて戦地で行われた惨い“制裁”の様子を知る。上層部は冷たかったようだが、処刑される五人に対して仲間は同情的だったという。なかでも、戦地で食料などの調達を請け負っていたセレスティン・プー(アルベール・デュポンテル)はマネクの無理なリクエストに応えてパンとスープを調達し、自らの手袋を彼に与えた。
 エスペランザはフィアンセを捜すと言うマチルドに、“処刑”された五人の遺品を託す。家族や恋人に手渡されるべきだったそれらを、機会があれば渡して欲しい、と。大切に箱に収められながら音の途中で止まってしまう懐中オルゴール、残した家族へと向けた手紙の控え、等々。マチルドは心の中で験を担いだ。夕食までに愛犬が部屋にやってこなかったら、マネクは死んでいる――犬はやって来た。マチルドは本気で、マネクを捜し出す意を固めた。
 まずマチルドは、遺産の管財人を務める弁護士ピエール=マリー・ルヴィエール(アンドレ・デュソリエ)をわざと車椅子の姿で訪ね、調査費の捻出をはじめとした協力を願い出る。最初は渋ったルヴィエールだったが、マチルドの揺らがない信念に屈して協力を約束した。同時にマチルドはパリの探偵ジャルマン・ピエール(ティッキー・オルガド)に調査を依頼する。ジャルマンはやはり足の不自由な娘の境遇とマチルドを重ねて、破格の安い費用で調査を快諾した。手懸かりは、マネクを含む“五人の死刑囚”の関係者、そして直前まで彼らに接触していたと思しい調達兵ブー――
 マチルドは、マネクと自分とを繋ぐ運命の糸を信じていた。果たしてその糸は彼女を愛しい者の元へと導くのか、はたまた彼女を縊ることになるのか……

[感想]
 とりあえずまず忠告しておくべきことがふたつある。ひとつは、「口ひげを生やした男性」がやたらと、とりわけ戦場の回想場面で登場するので、なるべく見分けられるよう口ひげ以外の特徴に注意すること(戦後は剃っている人もいるので尚更に)。もうひとつは、『アメリ』と同じ、マニアックだけど心和むファンタジーの延長という頭だけで観るのは極めて危険だ、ということ。
 本編はアカデミー賞の撮影賞と美術賞でノミネートを受けているが、その所以の一部は恐らく戦争場面の迫力にある。塹壕の異様な気配、回想シーンで描かれる五人の兵士が自らの躰に傷を付けるシーンの強烈さ、弾幕と砲撃によって倒れ無惨に弾け飛ぶ人体……CGを応用した視覚効果技術の発達によって昨今の戦争映画は迫力を増す傾向にあるが、ストーリーとの相乗効果もあって本編は『プライベート・ライアン』や『スターリングラード』、『コールドマウンテン』といった戦争映画の秀作に匹敵する質を示している。ジャン=ピエール・ジュネ監督が『アメリ』で見せた、善意や恋心をファンタジー的な演出で表現する手法がなりを潜めた代わりに当て嵌められたのがこの激しい戦争描写であるため、単純にあの『アメリ』のスタッフが、などと捉えて観てしまった場合のショックはかなり大きいだろう。また、戦場での兵士たちはそれが当時の流行だったからか、口ひげを生やしている人物が多く、そうでなくても画一化された軍服と激戦により顔も着衣も薄汚れた状態になる彼らを見分けるのは序盤なかなかに難しい。それ故、どれほど凄惨なシーンであっても、各人を見分けられる程度に把握するためには目を逸らす訳にはいかない。多少の覚悟は決めるべきだろう――R-15指定は決して、美しくも躊躇いのない性描写のせいばかりではないのだ。
 だがその反面、『アメリ』に近い要素が随所に認められることも事実である。20世紀初頭のフランス及び戦場の様子を再現するためにセットのみならずCGを多用する必然性もあってか、セピアがかった独自の色遣いは『アメリ』とも共通し、集中線ふうに風景をいじったりふたつの映像を同じ画面上に重ねて映したりといった漫画風の表現が時折現れる点もまた近しい。キャラクター的にも、『アメリ』ほどエキセントリックな人物は(深刻なテーマ故でもあろうけれど)登場しないまでも、恋人の生存を確信したいためにいちいち条件を付けて験を担ごうとするマチルドや、有能だけどやたらに癖のある言動をする探偵、いちいち自転車で砂利を弾き飛ばしていく郵便配達の姿など、ところどころ織り交ぜてくるユーモラスな人物や出来事に面影が窺える。いま挙げたキャラクターがいずれも『アメリ』に何らかの形で登場していることにも留意したい――尤も、ジュネ監督は従前から特定の役者を繰り返し起用する癖があるので、その方針を今回も貫いたまでではあろうけど。生憎と私は気づかなかったが、アメリの父親を演じた俳優も登場している。
 ミステリ作家による原作原作を得たことで、『アメリ』では彩り程度に使われていた謎解きの要素が全篇に横溢し、悲劇性と共にミステリアスな雰囲気を盛り上げることに成功している。但し、そうした原作付きの映画にありがちなことだが、ふんだんなエピソードと登場人物が詰め込まれたために密度が高く、そうでなくても口ひげの問題があってややこしいところへ尚更に判別がつけづらくなっている、という弱点がある。監督は本編の企画を十年近く温めていたという話で、それ故だろう、脚本の整理整頓はかなりついているのだけれど、それでも序盤はなかなか人物と名前とが一致しないし、筋運びが把握しきれず混乱する。ただ、何も考えず受け身だけで観ていない限り、次第に全体像は見えてくるし、それとともに登場人物の個性が浮き彫りになり、いつか見分けが付くようになるはずだ。
 そうして明確になっていくのは、消息を絶った恋人の謎もさることながら、戦争というもののどうしようもない悲劇性である。意に染まないまま戦場に送られ、家族や恋人の元に戻るために自らの躰を傷つける男達も悲惨だが、待つ家族――とりわけ女性達の姿の対比が痛ましい。マチルドと似たような境遇にありながら逆の選択をしてしまった女、戦場から早く戻るために夫が選んだ作戦に従ってしまったがために醜い葛藤に心を苛まれるようになった女。やはり恋人を戦場に連れ去られながら、生存を信じて追い続けるマチルドの姿が毅然としているほどに、却ってそうした脇役の身に起きた悲劇がまた胸を打つのだ。
 謎解きとしては決して独創的ではないが、丁寧で多くの伏線がやがてマチルドをある場所まで導いていく。それまでの劇的な展開とは異なって、ラストシーンは意外なほどに静かで穏やかだ。だが、この静けさこそが、戦争という悲劇に対する挑戦への幕切れには――マチルドが見届けてきた数多の哀しみの果ての出来事には相応しいように思う。
 戦争映画であると同時によく練り込まれたミステリ映画であり、かつこの上なく真摯な恋愛映画でもあり、ジュネ監督らしい映画でもある。そういう意味で豊潤かつ贅沢な一本であり、劇場で鑑賞する価値は充分にある、と断言する。

(2005/03/09)


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