TAKESHI氏の物語

ボクシングのゲームの区切り画像

僕がまだ、物心がついたばかりの少年の頃
毎日のように学校で陰湿なイジメにあっていた。

イジメの先頭にたっていた奴が命令して
「今日は無視の日」「今日はあいうえおを言わす日」「今日は後ろから腹を殴る日」
と指示していたらしく、クラス全員から無視されたり
プロレス技をかけられたりで毎日がつらくて仕方がなかった。

恥ずかしいから両親や兄弟にも言えず
全てを自分の中に持っていて本当に苦しい日々の連続だった。

ちょうどその頃、偶然に
僕は生まれて初めてプロボクシングの試合を観た。



その試合が今ではあまりにも有名な
モハメド・アリ対ジョージ・フォアマン戦だった。


試合の前評判が圧倒的にフォアマンが有利で
賭け率も圧倒的にフォアマンが有利で
当時イジメられっ子だった僕は心情的に
「心」でモハメド・アリを応援していた。

モハメド・アリ、絶対に勝ってくれ!と。

当時のフォアマンは大きく、強く、知的なボクサーと
実況者が言っていたのを今でも覚えている。
戦績が40戦以上して全勝で
ほとんどの試合を5ラウンド以内に終らせていたらしい。

モハメド・アリに勝ったジョー・フレイジャーや
アリのアゴを砕いたボクサーとして大ブレイクしていた
ケン・ノートンの両者を2ラウンドでKOし、
アリの最後の試合になるという実況の声。

体格比較の数字から何から何までフォアマンが上回っていた。

唯一、アリが上回っているのが32才という年齢、
世界ヘビー級王者フォアマンは26才。

つまり、実況者の両選手の過去の実績なんかの説明の時、
モハメド・アリのKO負けを遠回しに言っているような雰囲気だった。

僕は生まれて初めて始めから観戦するプロボクシングの試合に
自分も緊張し、真剣にじっくりと観戦した。

1ラウンドからフォアマンの凄い強打!凄いパンチの連打!
素人の子供でも分かるぐらいのパワーの違い。

アリの蝶のように舞うフットワークが通用しません!
アリの蝶のように舞うフットワークが止まりました!と叫ぶ実況の大声。

フォアマンは初回から連打!連打!連打!

必死にロープを背にしてフォアマンの強打に耐えるモハメド・アリ。

時折、アリが放つワンツーがヒットしてフォアマンの頭から汗が飛び散る。

長いラウンドの経験のないフォアマンは
5ラウンド以降明らかにスタミナをロスしていた。

素人の子供でも誰でも分かるぐらい。


そして第8ラウンドに今でも頭から離れないぐらい
鮮烈な印象のある実況の大声を聞いた。





フォアマンがダウン!アリのワンツーがクリーンヒット!
フォアマンがゆっくりと倒れた!フォアマンがダウン!
立てない!フォアマンが立てない!
モハメド・アリー、アリー、アリー、アリー・・・・・


やたらとうるさくしつこいぐらいに大声で叫んでいた。



世界ヘビー級タイトルマッチでの歴史に残る試合を
ライブで観た僕は泣けるぐらいに感動した。

その翌日学校へ行き、アリがガードを固めながら
「牛をも倒す」と形容されたフォアマンの強烈なパンチに強烈なボディ打ちに耐えて いた姿を
頭の中に思い浮かべながらイジメの先頭に立つ奴の顔面を殴った。


それまでに絶対に勝てないと思っていた奴が
うずくまったから何度も打ち続けた。

ぐちゃぐちゃのケンカになったが、その時の自分は強かった。

何度も仕返しが繰り返されたが、
その都度反撃したらイジメがなくなった。


その時からモハメド・アリを「心の神」と思うようになり、
自分もプロボクサーになることを決心した。





初めに断っておきますが、僕はプロのA級ボクサーでしたが、タイトルホルダーでも なく
日本Bクラスランキング1位が最高ランクだった全国的には無名で去ったボクサーで す。

けれど、ボクシングを純粋に心から愛しています。

ボクシングに限らずどんなスポーツでも、
あらゆるジャンルでがんばっている方々を応援しています。


これを書いた訳は僕がボクシングを通じての失敗をふまえてのことで
これからの若い世代のボクサーに伝えておきたいこと。

僕のような失敗を繰り返してほしくないという思いが強い。

選手の実名やジムの名前を出して申し訳なく思いますが
大勢の方々が言ってくださるように
全員立派な選手や立派なジムなので名前を出すことにします。



ボクシング以外のスポーツはあまり経験がないので本当のところは分からないが、
他のスポーツと比較するとプロボクシングでの1敗はかなり大きいと思う。

2ヶ月に一度試合が組まれれば多い方で、プロボクサーは1試合するために2ヶ月ほ ど前から体を作り
ハードワークに明け暮れる。
減量という自分との戦いも行なわなければならない。

リング上で試合をしている選手は会場の中の主役。


スポーツ選手に限らず、歌手、アーティスト、ミュージシャン、あらゆる職業・・・ ・・
に関しても言えることだと思うが、生まれ持った才能に加え、
日々のたゆまぬ努力を続けた者が勝利者になる確立が高い。

アマチュアボクシング、プロボクシングもスポーツであり、
決して人を殴るのが好きだとか、人を傷つけるけるのが目的でボクサーは
リング上で戦っている訳ではない。

おそらくボクシングを経験した人間にしか分からない
一種独特の魅力があるのだと思う。

その反面、大勢の観衆が観戦している前で憎くもない人間と戦う逃げ場のない恐怖が あり、
あらゆる誘惑、葛藤を乗り越えた者にリングに上がる権利が与えられ、
そして勝利者になる権利を持つのだと思う。

僕はアマチュアボクシングとプロボクシングで11年間、
現役で試合を経験した結果にそう思う。

本心から勝ちたい!負けたくない!と強い意志を持って戦ってきた元ボクサーや
現役で戦っているボクサー達も
僕と同じような思いを持っていると思う。

少なくとも僕の知っている日本のトップ・世界レベルのボクサーは同じ部類の人達 だった。

人間の考えは十人十色というように多少の考えの違いはあるにせよ、
表面上は違っても内面の考えははとんど同じだった。





プロデビュー4戦目に日本フェザー級1位の大阪進光ジム所属の玉崎義和選手
と対戦出来るという大きなチャンスが自分に与えられた。

玉崎選手との試合でも精一杯に練習を続け試合に臨んだが
5ラウンドに滅多打ちにされ、レフェリーストップで負けた。
完全に強いプロ意識の差で負けた試合だった。



ボクサーは試合に勝てば言葉では表現出来ないほどに嬉しい。
逆に試合で負ければ各選手の性格にもよるだろうが
ほとんどの選手が表現出来ないほどだろう、悔しい!

僕もまだ若かったということもあったんだと思う、プロ入り後に初めて負けた時は心 底悔しかった。

練習はしていたが試合がなかなか決まらず、酒を飲んでいた頃だった。

僕のジムの先生は一生懸命に練習をしていると試合を決めてくれる人で
当時の僕をみてA級ボクサー賞金トーナメントにフェザー級でエントリーしてくれ た。

試合を決めて頂いたにも関わらず、
その時、筋力を使う仕事とボクサーとしての不摂生で75Kgにまで体重が増えてい た。
フェザー級のリミットまで約18Kgオーバーだった。
それはプロとしてはあるまじき不摂生だ。

仕事をしながら短期間での18Kgは無理な減量だった、はじめから断り切ればよ かったと思う。


案の定、試合の14日前に車が大破する交通事故を起こしてしまった。
事故を起こした瞬間から首を少しでも動かせば、激痛が走るほどの痛みだった
言葉では表現出来ないほどの痛みだった

その時は試合を諦めようと何度も思ったが、僕はそれまでに2度、
拳の怪我と骨折で試合を流していてジムや先生に対して
凄い迷惑をかけていたので諦められなかった、「試合」として成り立たすためだけの
減量だった

結局、試合までの7日間はほとんど何も口にぜず、ウェートを落す
ためだけに首を動かさないようにし、自分の限界まで動き、約8Kg落した。


計量には57.1kgギリギリでパスしたが
過剰な減量の影響と事故の影響で試合前からフラフラだった。

本当に悲しかった、負けることを分かりながらリングに上がった。

日本のボクシングのメッカ、後楽園ホールのリング上で大勢の観衆が観戦している前 で
あれほどつらく悲しいことはなかった。


立っているのが精一杯の状態でごまかしながら試合を続けたが、
ついに5ラウンド、立っている事を諦めて座り込んだ。

座り込んだ瞬間にセコンドからタオルが投げ込まれた。

相手選手の名前や所属ジムも覚えていないほど減量や首の激痛と戦った。

本当に苦しい14日間だった。

記録上の試合が終わるまで意地でも事故のことを
先生やボクシング関係者に言わなかったことが

僕のプライドだった。

その後、先生に首の激痛のために「引退します」と言った
屈辱感は一生忘れないだろう。

あの夜の出来事は今でも本気で試合だとは思っていない。

本当に孤独な14日間だった。



僕は高校当初から声をかけかけられていた大学ボクシング部の名門校、
拓殖大学に推薦入学した。

拓殖大学に入学したおかげで全日本大学リーグ戦で
日本一を2度経験するという貴重な経験をした。

国民体育大会で団体優勝も経験した。
大学4回生のときにはリーグ戦のフェザー級、優秀選手に選ばれた。

全日本代表メンバーに選ばれたり、海外で試合したこともあった。

しかし、大学生のとき、監督が思うほどの期待に答えられなかったのかも知れない。
後悔はしたくないが、監督の人柄を考えると心のどこかで後悔しているのかも知れな い。

個人的に拓殖大学での練習は大学日本一の密度の濃さだったと思っている。

多くを学ばせてもらった。

実際にアマチュアボクサーとはいえ日本のトッププロと
テクニック、パンチ、スピードを比較してもまったく遜色のないボクサー達のチーム だった。

驚くほどに強い先輩や同輩や後輩に恵まれ心から感謝している。



大学卒業後、少年の頃から追いかけ続けたプロボクサーになるため、
高校の頃から所属していたジムに戻り、
22才でB級ライセンスを取得し、平成2年の10月に試合が決まった。
プロボクサーとして試合が出来る!僕は気合いが入っていた。

少年の頃からの憧れであり、目標だったプロのリングに立つことだけを考え
Jrライト級(スーパーフェザー級)でのプロデビュー戦に向けて黙々と練習してい た。

デビュー戦をまじかに控えた僕はライバルでもあり親友でもある、
のちに日本フェザー級王座に君臨する、
園寿和と激しいスパーリングを積み重ねていた。

本来からサウスポーでボクサータイプだった僕は左フックの打ち方が悪かったために
まったく痛みはなかったが、試合のちょうど1ヶ月前に左の親指が動かなくなった。

ジムの近くの整形外科で診断してもらった結果、靭帯断裂と診断された。

手術が必要です。手術してからもボクシングを続けると
一生親指を動かせなくなる可能性があることも頭に入れておいて下さい。
と、いうことだった。

その時、すぐ隣りにいた先生が僕に対してもの凄く気を使っている事が察しとれた。


ジムから自宅へ帰宅途中に不安が消えずに
正直に言ってボクシングを辞めようかな。と、真剣に考えていた。

いつも何かが邪魔をしてプロのリングに上がれないようになっているのかな。
とさえ思っていた。

先生は決して現役続行を進めることはしなかったが
少年のころからの夢は簡単に諦めることが出来なかった。

一生親指が動かなくなってもそれは運命だ。
小学生のころのモハメド・アリのことがなければ!と腹をくくっていた。

そう考えていたことは今まで誰にも言ったことはなかった。

手術後、左親指の爪の下には8針縫った傷が残っていた。
入院中に僕のボクシングの先生は毎日のように見舞いにきてくれた。
それが僕の心の支えになっていた。

自分を信じ、回りのサポートして下さる方々を信じ、リハビリに専念した。

そして、平成3年7月にフェザー級でデビュー戦が再度決まった。

僕は試合の2ヶ月前から慎重に対戦相手の綿谷選手を
ビデオで研究しながら練習し、1ヶ月かけて減量した。

慎重に慎重にジムワーク、ロードワーク、減量をした僕は
最高のコンディションで計量にパスし、アマチュアの時に学んだ
「試合中、熱くなり過ぎたら負け」を思い出しながら、
入念に控え室でウオーミングアップをし、リングに上がる前に試合に集中した。

とにかく、どんな形でもいいから勝つことしか頭の中にはなかった。
リングに上がった時、僕は子供の頃からの夢がかなった!と思って感激していた。

プロのリングにやっと上がれたことが自分にとってどれだけ大きかったか実感してい た。
 

試合がはじまり熱くなり過ぎず、慎重に慎重に相手の動きを見切り、
初回終了間際に左カウンター1発で綿谷選手は痛烈なダウン!

完全に急所をとられた痛烈なダウンだっので試合が決まった!と、思ったが
綿谷選手は信じられなかったけど立ち上がり、試合再開だった。


2ラウンドにも左カウンターでダウンを追加させたが、また立ち上がられ試合続行。

ダウンのあと、詰めに行って左アッパーや右フックが入って今にも倒れそうだった が、
倒れず、諦めず、試合を捨てずに向ってくる綿谷選手には驚いた。
ほとんど、カウンターで決めていたので倒れていても不思議ではなかったのに。

正直にプロのボクサーはなんて凄いんだ!と思いとまどった。
綿谷選手は僕と試合するまで7戦か8戦ほど試合をしていたし、
4回戦からの叩き上げのプロボクサーだった。

アマチュアボクシングはどんなに大きな試合でも3ラウンドまで。
6回戦を戦うにはスタミナに不安があった。

そして今まで経験した事のない未知のラウンドに入った時、
僕はやはりスタミナに不安を覚え、手数を少なくし
出来るだけ休みながら打たれないで打つボクシングに徹した。

インターバルの間に落ち着いてセコンドの先生の指示に耳を傾けた。
落ち着いてきた4、5ラウンドにセコンドと指示の打ち合わせをしていて
僕から意見したこともあった。

出来るだけ相手の出鼻にカウンターでダメージを蓄積をさせることを心がけた。
 
 
最後はオーバーハンドレフトで綿谷選手はロープ際まで吹っ飛び痛烈なダウン。
すぐにレフェリーがストップ、試合終了!

その瞬間、大袈裟ではなく僕は「神」に出会ったような気がした。
 
大勢の観衆の方々が大きな拍手や声援を送ってくれた。

嬉しくて仕方がない一生忘れられない日になったし、最高の気分だった。
誰もいなければ大声で叫びたいような心境だった。

コンディションが良かったためかパンチの軌道がはっきりみえて
顔面にはパンチらしいパンチはもらわなかった。

最後もあれだけ計算通りに試合を終わらせられるとは思っていなかった。
 
集中し過ぎていたらしく、試合が終わるとドッと疲れた。

決してアマチュアボクシングを馬鹿にしている訳ではありませんが、
あれがプロフェッショナルだ!と、思った。

モチベーションが高かったから、思うのかも知れないけど、
少年の頃から約17年間追いかけ続けたプロのリングに上がったデビュー戦が

自分の心の中では「世界戦」となり、あとの試合は消化試合のように思っているのか も知れない。


その後、僕との試合後に連勝して日本ライト級1位にランクされたこともある
クラトキジムの山内満選手に痛烈なダウンを与え勝ったこともある。

高校2年のインターハイ準決勝のときには松島勝之氏という物凄いボクサー
と試合したこともある。

強烈なダメージを与えるパンチは決して力んで打ったパンチではなく
アゴかテンプルの急所をタイミング良く打ち抜けるような感じだ。
何度かテンカウントを聞かせたことがあった試合でも
今でも不思議に思っていることだ。

それにボクシングは上半身ばかりを鍛えるのではなく、全身を使ってのスポーツ。
体の土台を作るためにロードワークは必ず必要になってくる。



痛烈なパンチで効いてしまって諦めようかと思ったことのある試合も何度か経験した が
僕はプロ、アマ通じてテンカウントを聞いた事はない。

そして「心の神」モハメド・アリ氏のような雄弁家でもなく、キャリアにも雲泥の違 いはあるが
自分のボクサーとしてのキャリアには誇りを持っている。

僕はボクシングに賭けていた!どの試合も精一杯練習し、精一杯戦った。

誰でも自分のやってるスポーツは
「最高」と思ってやっておられると思いますが

同じく、僕にとってボクシングは世界一のスポーツなんだ。



試合の2週間前の交通事故を隠しての
後楽園ホールでの試合から数年間ボクシングから離れていた。


10年間ほどかけて首の痛みを治療したときには現役続行は諦めていた。
今度はプロのトレーナーになり、選手に夢を託すことを決めた。

現役を退いた今だからこそ理解出来る、ボクサーは自分一人でやっているのではなく
チームワークで成り立っている。

強くなろうと思えば、各選手が強いプロ意識を持つのも必要だ。


世界王者なのに試合のない時にはタバコを吸っている選手という例もあるようだが
持久力を要するボクシングではタバコは禁物なので真似をしない方がいい。絶対に!


僕には息子がいる。
もしも将来、息子がボクシングをやりたい。と言い出したら
妻とも相談しなければならないが、本心かどうか確かめて
本心からボクシングを始めたいと言うのであれば、とめようがないことだと思う。

しかし、簡単にプロになれるほど、甘くはないということを伝えたい。



尊敬する方や教えてもらうことのある方々や友人は大勢いらっしゃるが
僕の身近な選手では園寿和は凄い奴だと思っている。

プロ入りしたら、毎朝10Km走る!と言いそのまま最後まで実行し続けたナイスガイ だ。


他に同期で全日本上位ランカーだった
2002年現在、トライアスロン選手の西田庄司も非常に意志が強かった。
練習、減量、試合において自分に負けることがなかった。

全日本新人王にも輝いた徳久勝人もそうだった。練習の礼儀と意志を兼ね備えてい た。


日本のトップ、世界レベルまでいこうとしたらそういう意志の強さもなければなれな い。

実力はあったが、事情の為にプロ入りは諦めざるをえなかった加藤康夫氏は男として 尊敬
出来る方だった。
威厳があり、何事にも動じることがない人物だったからだ。

最低限度、各選手がどうすれば自分がボクサーとして伸びるのか
自分の体格なども考慮し、頭を使い考えることは大切なことだ。

僕は試合がないときは走らなかった。
そして回りから凄い才能がある!と、言われ天狗になってしまっていた。

現役の頃、運が悪いことが多かった。運も実力のうち。
僕には実力がなかった。

数え出したらきりがないほど僕が在学していた拓殖大学には先輩、同輩、後輩とわず に
世界の器が大勢存在した。

僕の知っている限りでは強い選手は高い意識レベルを強く持続し続けていた。
そして遊びの息抜きとボクシングをうまく両立させていた。

僕はそれほど強くは意識レベルを持続出来なかった。
息抜きしたら自分に対する甘えが多く、ボクシングと両立が下手だったように思う。

現役のボクサーには悔いのないようにがんばってもらいたい!ボクシングは年齢に限 りがあるから。
若い時にしか出来ないから!

これからの若い世代のボクサー達もボクシングに誇りを持ってもらいたい。
そのためにも悔いのないように精一杯がんばってもらいたい!

自分で目標を定め、自分に負けることなく目標に向って行ってもらいたい。



いくら上の地位まで登りつめたとしても達成感は得られないのかも知れない。

もしかすると世界王者になれたとしても達成感は得られないのかも知れない。

けれど、悔いの残らないように努力すれば、自分のボクシングキャリアに誇りを持て ると思う。


そんなことをこれからボクシングを始めようとする人達や
これからの若い世代のボクサーや現役のボクサーに何を伝えたいのか
理解していただれれば幸いなことだ。

選手を指導する立場に変わった今は、一生懸命に練習している
選手達がかわいくて仕方がない。

選手が一生懸命に練習している姿を見て気が付いことだが
プロになり試合に勝っていけばC級、B級、A級とライセンスが上がっていく訳だが、
そうなるまでには相当な努力が必要だったことを忘れかけていた。

ボクシングは奥が深い、引退してからボクシングを思い出すまでに相当の歳月がかか る。


僕の現役時代の先生だった、現在ジムのチーフトレーナーの加藤謹吾先生は
非常に優れたトレーナーだと思う。

長年かけて培った、加藤謹吾先生の持つボクシング理論は素晴らしい。
個人的には日本有数のトレーナーだと思っている。
実際に加藤謹吾先生は過去に名勝負を生む、芯の強いボクサーを育てている。
特に先生の人間性が素晴らしい、あれだけの人格者はなかなかいないと思う。

その他、プロ、アマの2人のトレーナーが存在する、彼らはジムにはなくてはならな い存在だ。

彼らから学ぶべき点は多い。
加藤謹吾先生達と
選手達を高い地位まで導いて行って頂ければ!と、強く願い思っている。


個人的には日本のプロボクシング界が現在以上にレベルアップし、一昔前まで世界戦 が

「国民的行事」
であった時のように人気スポーツに戻って欲しいと心から願う。


全て個人的な考えであり、賛否両論はあると思うし、絶対的なことではないのかも知 れない。

自分が勝手に思いこんでいる部分もあるのかも知れない。

そして、今まで出した選手の実名やジムを批判、中傷している訳ではないことを理解 していただきたい。


ボクシングをはたから冷静に観ている人達は
戦っているところしか観ていらっしゃらない方も多いので、残酷な。と、思うのかも 知れない。

それは間違ったことだと思うのはボクシングを経験したことのある方々なら理解出来 ると思う。
何故なら、ボクシングというスポーツも鍛えあった男同士が

知性や個性や野性や情熱やプライドを賭けて戦うスポーツであり、
あらゆるスポーツの中でも歴史が古く、

幾度も時代を動かしたことのある偉大なるスポーツなのだから。






プロボクシングの興行が行なわれている試合会場の控え室でこのような光景がある。

応援に駆けつけたであろう友人達とおどけた様子で落ち着きなく、談笑している選 手。
目を閉じたまま椅子に座り膝を上下に動かしている選手。
どこか遠くを見つめ無表情で何かを考え込んでいるような雰囲気の選手。
コンビネーションを何度も繰り返し、シャドーボクシングでフォームを確認している 選手。
トレーナーの構える手にパンチに打ち込む選手。
一人でこつこつと軽く壁を打っている選手……。

控え室はそういう数人のボクサーでごった返している。

リングに上がれる権利を得られたボクサー達が10分後、あるいは数十分後に
リングへ上がろうとし、試合の順番を待つボクサー達が思い思いに行なう仕草だ。

控え室でボクサーが取る行動はモラルさえわきまえていれば、決まりがある訳でなく
ボクサー全員の行動、仕草が様々である。

僕も現役時代に何度も経験して来たことだ。
逆に現在は自分が試合するためではなく、試合のセコンドに付くためにその場にい る。

自分が試合する時とはまったく別の観点でその控え室の光景をみることが出来る。

僕が試合をしていた現役時代とは逆にある意味冷静に控え室の雰囲気を感じ取れるこ ともある。
たとえ、前座のボクサーの試合前でも関係者以外の人達が決して入ってはいけない
緊張感に包まれた、神聖な空間に思えてならない。

これから、真剣勝負を行なおうとする選手の控え室は間違いなく、神聖なる場所であ る。


選手の持つ能力が勝つための一番大切な条件であることは重々承知しているが
僕の所属するジムのボクサーであるからこそ、勝って欲しいという重圧感を常に感じ る。

僕自身が試合する直前の緊張感とは違う緊張感だが、選手を指導する立場に置かれて から
まだまだこれからの新米のトレーナーだから、緊張することは当然のことなのだとは 思うが
自分が戦うわけではないが、覆い被さる重圧感。

それは、これから僕がトレーナーであり続ける以上、その答えが出るのは自分が現役 の頃
試合前の緊張感をある程度克服したほどの歳月がかかるのだろう。

自分のことであるのなら自分で解決できるし責任は全て自分、それの方が気持ちは楽 だ。
自分以外の人間に与えるアドバイスが正しいのか、それで選手も考えてくれているの かが
今の自分に与えられた役割であり、乗り越えないといけない壁であると思う。



あるボクシングのビデオで観たことのあるワンシーンで、ラテン系の2階級制覇を成 し遂げた
元世界王者が話している場面でこういう会話があった。

「もし、本当の恐怖心を味わってみたいと思う人がいれば、ボクシングを始めてみる といい」

試合の控え室で自分の試合の順番を待っているときに
「おい、時間だぞ。と言われたとき、本当の恐怖心というものがどういうものか分か るよ」

ビデオでのこのワンシーンを観た時、僕はこの言葉に共感した。

この言葉を発したのが、世界的な名選手の言葉なのだから多少の驚きもあった。
この言葉にはビデオ撮影の脚本は当然あるのだろうが、この言葉を聞いて僕は確信し た。

アマチュアボクシング、プロボクシング共に共通して言えることは
試合のときに向おうとするボクサー達の場所は四角いリングの上。

絶対に勝つために、絶対に負けたくないと考え、覚悟を決めているボクサーのリング 上は
神聖なる場所なのだ。

僕は全てのボクサーのファンだ!
リング上で戦っているボクサーは格好いい。


ボクシングのゲームの区切り画像

あるボクサーの物語へ。

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