鋭いサーベルで突き抜かれた様な衝撃を顔に浴びた。 「今の左ジャブで、お前負けてたぞ」 なんて事は無い、顔に相手の左ジャブがめり込んだだけだ。俺は顔を使って左ジャブを弾き飛ばすと、両手を下げた。 「バカ、打て、打て!!」 このジムの会長が下からゲキを飛ばしている。もちろん無一文の俺に対してでは無く、ジムに高い金を払っている俺の相手に対してだ。 相手から無数にパンチが触手の様に飛び出してその全てが俺に襲い掛かって来た。 さて、思い出して見る。何で俺はリングの上に立っているんだ。つい今しがたまで、ジムの会長に俺と俺の親父は2人でボクシングと金について講釈を受けていた。 「17億8千万稼いでる日本人ボクサーがいるんですよ!」 父親はへーとニコニコ笑い、俺はとにかく周りにいる色んな練習生をジロジロ見ていた。あいつは出来る、あいつは出来ない。あいつはこっち見てるけどやる気は無さそうだ。 結局、最初から道場破りに来た俺は父親の制止を振り切り、土足のままリングに上がった。 俺はだらしなく口から血をダラーッと垂らすと自分の無様な倒れ方にすら気付けずにいた。 練習生たちはいつもの事の様に俺を横目で見ると自分たちの練習を続けている。 会長は、練習で疲れ切った俺の横に立ち遠慮もせずタバコの煙を口から吐き出しながら 「お前、夢があるか?」 唐突にそう聞いて来た。 「夢なんかねえッス。俺を最初にブッちめた奴どこのヤツッスか」 俺は顎に手を付けて首を横に2回捻じ曲げると首の関節が2回ゴギッゴギッと鳴った。 「あいつはもう地元に帰って40近くなっちまったぞ」 「関係ねえッス。次会ったらメタクソにぶん殴ってやる」 会長は目を強く閉じて首を横に振り払うと 「お前には未来のビジョンが見えないんだ」 と呟いた。 「大体コイツはサラリーマンになるとか、役所に勤めるとか想像出来るだろ?」 「はい」 「お前は、全く、ナーンも見えない。強くなってどうすんだ」 「え?」 「だから、お前はそんなに汗かいて何になりたいんだって聞いてるんだよ」 「昔スゲえムカつくヤツらいたんスよ。そいつらぶっ殺してやる」 俺はそう息巻くと、また鏡に向かってシャドーを始めた。 会長は深く帽子を被り直すと、リングサイドに持たれかかってまたタバコを吸い始めた。しばらく会長と俺は目も合わせずそれぞれ思い思いにため息を付いたり、動き回ったりした。 「俺の夢叶えて見ないか。人の役に立つのも良いもんだぞ」 俺はシャドーを止めると、振り向いた。 「会長の夢ッスか?」 会長は目は笑ってないが口で笑っている。 「世界チャンピオンだよ。俺の夢はボクシングの世界チャンピオンになる事だった」 「……会長って、ムカつくヤツらどうしたんスか?」 「ムカつくヤツなんか、とうの昔に散々殴り付けてやったよ」 俺はサンドバッグの方に走って行くと、右ストレートを打ち込んだ。 「ほらなっ!!みんなそう言うんだ。俺はそれが出来てねえんだよ!!」 それから5年も経つと、体付きも以前とは全く別人の様になり、みんなが俺を避けて通り、誰も目を合わせなくなっていた。 そうなると、急につまらなくなって来る。戦う前から向こうがビビってたら世話が無い。 俺は次の違うジムへ通う金を用意するとボクシングジムに退会届を提出した。 俺にとってボクシングとは一体何だったのだろう。ボクシングを愛してやまなかった会長や無数に拳を合わせて来た色んなゴンタクレ共。彼らの最も訴えたい事は何だったのか。 当の本人である俺は今、静まり返る部屋の中でカツ丼やコーラ、ラーメンをただひたすら貪り食い、1人キーボードを打ってニヤニヤしていた。 久し振りに見学に行ったジムは、以前と変わらずいつも通りのゴンタクレ達が睨み合ったり罵声を浴びせ合ったりしていた。 「テメエは落ち目なんだよ!バーカ!」 喧嘩腰の若い10代位の男に全く持って久し振りに悪口を言われたのだが、何故かどうもピンと来ない。「俺は一線を退いたのだから」と言い訳がましい事も今では定着しつつある。 そして、家に帰ってからフツフツと沸いて来る誰に対してでも無いフラストレーションを感じた俺は、居たたまれずにその場で腕立てを始めた。 ……プロテストは30までに間に合うだろうか。 |