ボクシングのゲーム、実写でボクシングのバナー(3)

浅川誠二

神戸ジムのエリート、浅川誠二。
名前のとおり、誠実なボクシングをする好選手であった。
しかし、彼のボクシングの舞台は逆境の連続だった…


念願の日本タイトルを獲得後、
やがて迎える挑戦者は
映画出演の経験があり、若い女性にも大人気の
アイドルボクサーだったのである!

同級一位の実力者でもある福田健吾に世間の注目は集まった。
そして試合も周囲の期待通り、倒し倒されの名勝負となるのだ。

開始直後から王者浅川の左ジャブが福田の顔面にビシビシ決まる。
上体の動きがない福田は1R中盤に4連打を受けるも
顔色一つ変えずに前進する。

初回終盤にドラマが待っていた。

劣勢だった福田の右ストレートが一閃、
王者浅川からダウンを奪ったのだ。

福田ファンで埋まった後楽園ホールは沸いた。

が、猛然とラッシュを仕掛ける福田に対し、浅川は冷静に反撃。
隙を見逃さず、逆にダメージを与えると
すぐさま福田を押し返し、痛烈なダウンを奪い返す。

追撃はゴングで阻まれたが、試合はすでに決まっていた。

2R、浅川は福田をコーナーに詰めると強力な右フック。
福田は簡単に倒れてしまう。

ファンはアイドルのピンチに声援を送ったが、
冷酷な勝負の世界がひっくり返ることはなかった。

「僕はこの時点で、世界一強いと思っています。」
戦前、こう豪語する福田に対し、浅川は、リングで答えを返したのだ。

が、見事なTKO勝利にも関わらず、会場は沈んでいた。
会場の9割を占める福田ファン、浅川にとって酷なリングだっただろう。

が、浅川にとってもっとも厳しい逆境だったのは
平成4年1月、韓国で行われた世界戦だったはず。

従軍慰安婦問題もあって、対日感情が最悪だった韓国のリング…

黒いスーツを着て、ずらっと並んだ観客達は
笑み一つ浮かべずに試合を凝視していた。

2R、浅川がダウンすると歓声よりも大きな拍手が起こった。
9R、積極的に戦った浅川にカウンターが命中
つらい試合にテンカウントが告げられた…

浅川は最後に日本での世界挑戦を実現して引退。

どうしても、最後は母国で戦いたかったのだろう…
その気持ち、痛いほど…



投稿

「元東洋チャンプ浅川さん、湖で行方不明...」

2001年7月下旬、インターネットで
ニュースをチェックしているとそんな見出しが。

頭が真っ白になりました。

あの浅川さんが?「信じられない...」この一言を思ったまま、何も考えられず...。
そして数日後、遺体発見の一報...。

浅川誠二という選手は、見た目との華やかさとは裏腹に、
実に技術に傑出した選手でありました。

あの左の使い方、妙技とも言えるほどに
見事な左一本でのコンビネーション。
そして鋭角に鋭く差し込む右のショートストレート。

そして何より、実に誠実かつクリーンなボクサーでもありました。

加納一也選手への雪辱と同時に挑んだ日本タイトル戦、
加納選手のストレートに前半てこずりつつ、
耐えて耐えての逆転KO勝ち。

この試合を機に僕は浅川選手に関心を持ち始めました。

“格好付け”の福田健吾選手を相手に、
本当のボクサーとは何かを見せつけた初防衛戦。
ここで見せた、ジャブを外しざまの右のショートストレート。お見事、の一言。

ランサー中村選手との試合では格の違いを見せ付けての勝利。
ここでは豪快な左フックを浴びせ、とどめの右フックで圧倒。

元チャンピオン、タイガー道上選手とのチャンピオンカーニバルでは、
打ちつ打たれつのスリリングな試合で後楽園超満員の観衆を魅了。

そして福田選手との再戦。ここでも地力を見せ付け、実に呆気ない3RKO勝ち。

その後、元世界1位の杉谷選手を破った
世界ランカーの植田龍太郎選手を貫禄でノックアウトすると、
もう誰もが浅川選手の世界タイトル獲得は確実と思っていたでしょう。

しかし、世の中には落とし穴、と言うものがあるものです。

何とかランキングを手に入れた無名の園選手を相手に、
ベストを尽くすことなくワンパンチでのKO負け。

これがなければ世界は...実に悔やまれます。

それでも復帰後、松本好二選手を底力で圧倒してタイトル奪還...。

しかしこの時点で、あのタイトル連続防衛を
重ねていたころの勢いはなくなっていました。

善戦をするも朴永均選手の機関車のようなパンチの嵐に惜敗。

クリス・サギド選手との壮絶な打ち合いから東洋タイトルを獲得するも、
ベネズエラの勇、エロイ・ロハス選手の非情とも言える右カウンターの前に玉砕。


浅川さんのボクシングキャリアは、
実にさまざまな出来事がありました。

浅川選手の試合ではじめて見に行ったのは、
福田選手との2戦目でした。

この試合後、控え室前ではじめて浅川さんと話を交わし、
サインをいただくことができました。

ここでのエピソードはこうです。

控え室前で浅川選手の記者会見が終わるのを
待っていると、お兄さんの岳彦さんが、
控え室を開けると「誠二!ちょっとこいや」と言って
浅川選手を僕のところに連れて来てくれました。

(記者会見、まだ終わってないよね...)
そう思いつつ、心臓の鼓動が激しくなったのを今でも覚えています。

そしてサインを書くと、
「わざわざ応援に来てくれてありがとう。またこれからも来てね。」、と。

浅川さん、岳彦さん、二人ともに実に親しみのある、優しい方々でした。
当時まだ中学生の私にとっては、感動以上のものがありました。

その後も浅川選手の試合には、可能な限り足を運びました。
そして試合を見に行くたびに、
試合後に岳彦さん、浅川選手とお話させていただくことができました。

そういうことから、浅川選手には特別な感情を抱いていました。

浅川選手の最後の世界戦、
そしてボクシングキャリア最後の試合、神戸ワールドホールにも足を運びました。

浅川選手がロハス選手の前に玉砕するのを目の当たりにし、
「よくやった」そう思いつつも「またやってほしい」と
複雑な心境に駆られたのを昨日のように思い出します。

でも、神戸までわざわざ行ってよかった、そう思えました。

浅川選手は、岳彦さんが言った通り、
世界タイトルを獲得するためにあらゆる努力を尽くしたと思います。

おそらく、悔しさ、「世界取れるはず」と言うもどかしさを感じながらも、
自分は目標を達成するためにベストを尽くした、そう感じ取れたはずです。

そしてそのボクシング人生を通じて、
どれだけの人々に感動、勇気、希望、夢を与えたことでしょう。

僕はその中の一人であることは間違いありません。


「いつも呆気なく試合を終わらせると思ってたら、
人生の終わらせ方も実に呆気なく」

岳彦さんが浅川選手の告別式で言ったと言われる内容です。
言い得て妙とはこのことでしょうか。

本当に呆気ないです。あれだけ人生凝縮されてたのですから。


33年間の人生、毎日充実してたと思います。
夢を追い求めて自分の限界と戦い、世界と戦い、
自分が自分であるためのすべてを尽くした人生。

そしてそこから、数多くの人間に
人生とは何かを教えてくれたと思います。

僕は浅川選手から学んだもの、いつ終わるか知れない
これからの僕の人生に活かしていこうと思います。

そして何より、浅川選手のご冥福、心からお祈りいたします。

浅川 誠二、
という一人の偉大なる人間に対する最大の感謝の気持ちとともに...。

イギリス・オックスフォードの空から神戸の空へ


(染谷氏)



投稿

はじめてメッセージを記します。

元・東洋太平洋フェザー級チャンピオン・浅川誠二は去る7月26日
神戸市と三木市にまたがる湖畔で、趣味のバス釣りの途中、
流されたボートを追いかけ、
湖に入りそのまま行方不明となりました。

そして30日、
彼はふたたび立ち上がることなく
人生のテンカウントを聞いてしまった。

浅川氏は神戸市民の誇りであり、
ヒーローでありました。

どうか彼の業績をみなさま忘れないようお願いいたします。

そして心よりご冥福をお祈りいたします。

(CAMEL氏)



投稿

初めまして。

浅川くんのあるホームページの1つ1つを見させて頂いてたら
こちらのページへ辿り着き、きっと立ち上げたのは浅川くんの
こと大好きな方?方々?なんだろうなと感じました。

最後に浅川くんに関する文章とあったので、
思いきって私も送らせて頂こうと思いメールしています。

私は今から15年くらい前にTVでロッキー2を見て
BOXINGの大ファンになりました。

当時中学生だったのですが、高校生になり、
隣の席の彼女と話しをしていたらBOXINGが好きだと言う事で、
私達は気が合い17歳くらいから色んな人の試合を観に行ってました。

その中で確か生まれて初めて観に行った試合で
浅川くんが観戦に来ていて、
私より詳しい友達が「キャー浅川くんやー」と言ったのが
初めて浅川誠二さんの存在を知った時でした。

その1988年から1994年の引退まで
ずっと浅川くんの大ファンで応援していました。
 
学生だったので東京の試合とかは行けなかったのですが
神戸での試合や姫路の試合、大阪府立体育会館での
エキジビションマッチなど観戦に行けた想い出がたくさんあります。

ある試合では学校終わってすぐに会場へ向かったので
私と友達は学生服のままで、しかも勝手に前の方の席が
空いていたので堂々と座って、
あとで録画放送を見てたら、
しっかり映っていたと言う想い出もあります。
 
浅川くんの試合はとても楽しかったです。
今思えば浅川くん自身が楽しんでいたのでしょうか?

1990年の11月16日の園さん戦はかなりショックでしたけど…
でも次の年1991年の2月17日の試合には私は行けなかったのですが
その日の私の日記にはこう書いてありました。

今日は浅川くんの試合と辰吉さんの試合のある日
試合会場へは行けないのでTVで観戦。

浅川くんは3R、TKO勝ち!
浅川くんは試合に勝った後、
皆に挨拶してガッツポーズをしていた。

浅川くんの顔すごく嬉しいって言うか、
「なぁ、スゴイやろ?
俺の力! この前の試合なんか関係ないぞ」
って感じがした。
(全然違うかったりして…。)

と書いてました。

最後に
フェザー級のCHAMPIONベルトは浅川くんにしか似合わない
浅川くん、頑張って!応援しています。"
で締めくくっていた日記。

この間、私が今持っている唯一の試合のビデオ
(89’ランサー中村戦)を観ていました。

浅川くんの、試合前にリングで「浅川誠二」と名前を
コールされた時の笑顔?嬉しそうな顔がとても印象的でした。

試合前にあんな嬉しそうな表情をするなんて、
本当にBOXINGが好きだったのでしょうね。

世界戦は2度とも残念な結果でしたが
でも2度も世界に挑戦出来たと言うこと自体が
スゴイ事だと私は思います。

浅川くんと言えば
いつもリングへ登場する時、
ものすごくカッコ良かったです。

浅川くんほどガウンが似合う人はいません!

私は特に白いガウン、白いトランクスの浅川くんが
1番似合っていて素敵だと思います。
(あの赤いグローブのアップルケ(?)も
浅川くんそのものの感じで似合っていました)

私は「人間は必ずまた生まれ変わって来る」と信じています。

浅川くんはまたBOXERになるような気がします。
その時、私も同じ世代に生まれて、
また浅川くんのファンになって
浅川くんの試合を観にいきたいなと思います。

絶対に。

それまでは神様のそばで、
ゆっくり休んでいるのでしょうね

私は(他の方も皆そうだと思いますが)絶対に
浅川誠二さんを忘れません。

(浅川誠二さんの大・大・大・ファンより)



投稿

ん〜〜〜。
一報を耳にした時は・・・・・。
残念でした。

彼との始めての出会いは三宮でした。
そして、三宮から東京後楽園に向かうバスに、
共に乗り込みました。

もちろん、ボクシングの応援バス。(浅川君の友人の試合)
車中で彼が我々に応援のコツ!?(ノウハウ!?)を、
力説していたのを思い出します。

残念ながら、その友人の試合はKO負け。

皆が肩を落としながらの帰りの車中・・・。
彼は再び立ち上がり、
「ボクシングには、交通事故みたいなものがあります。
まさしく、今日の試合は交通事故です!!」

短い言葉でしたが、ボクシングの奥深さを、
教えてもらった様な気がしたのを今でもハッキリ覚えています。

そして、浅川君の優しさも同時に感じたものでした。
心より、ご冥福をお祈りいたします。

(dream.kunio.より)



投稿

今日12月20日は、浅川さんのお誕生日です。
とても、気持ちよく晴れた一日でした。
でも、彼はもういないのですね。。。

何を書いたらいいのか分からないけれど、
宛ても無く書いています。
なんとなく、繋がっていられるような気がして。
このページに辿り着いて来られた方達も、
同じような気持ちなのでしょうね。

「お誕生日、おめでとう」
今年も言いたかったのに・・・

(ビバリーヒルズの住人より)



投稿

浅川誠二を初めて知ったのは
もう昭和の終わりの高校生の頃だった。

島田伸介の雑誌のインタビューで
「若い友人のボクサーがいる」
「そいつは自分は多分世界チャンピオンにはなれないって言うんだ」と。

でも「俺はそいつの人生間違って無いと思うねん」と…


夢を持って生きていく事、そして自分を信じる勇気。
まだ高校生だった僕には強烈な言葉だった。

その後なにか困難な状況になる度に
その言葉を思い出し歯を食い縛り頑張ってきた。

その言葉を残した彼よりももっと年齢がいってからも
(今日は2002/05/30です)
たまたまネットで昨年亡くなってい事を知りました。

伸介さんがインタビューでそいつが年喰ってから
「いやー俺はチャンピオンになりたかったんだけどねー
才能無かったよ。」
ってきっと笑いながら言えるだろうから、
そいつの人生は間違って無いと
そんな意味を語っていた。

間違ってないですよ、きっと
最高の人生だったはずです。

羨ましいです、あなたが。

これからもあなたの影を追って行きます。
いつの日か また…

(ktomi氏)



投稿

浅川誠二・・・
私と誠二君の出会いは、彼が、引退してからです。

彼がボクサーだった頃は、私は、知りません。
でも、私にとって彼は、大きな存在でした。
私の事を妹のように見てくれていました。

家に来ると父や母は、「誠二、肘ついて食べたらあかん!!」とか親の様に接していました。
私は、お兄ちゃんが出来てうれしい。ただそれだけでした。

いつも、『お前が結婚したい相手がおったら、親父が、
納得しても俺が納得できひん男やったら認めへんからな』
って話してたのを、思い出します。

父に向かって『親父の葬式俺がしきったるから』

その言葉を約束しないまま逝ってしまいました。

この頃、やっと思い出に出来ました。
テーマ曲の『THE FINAL COUNTODOWN』も
聞けるようになりました。
泣かずに。

お葬式の時『泣くなよ。泣いたら負けやぞ』って
聞こえたきがします。
少しの間、やっぱり泣きました。

やっと心の余裕が出てきた感じがします。
泣かずに。前を向いて強く。生きていこう。
そう考えれる様になりなした。

(murakami yuji氏)



投稿

浅川誠二さんへ

ご冥福お祈り申し上げます。
私が、初めて浅川選手とお会いしたのは、大阪でありました、
島田伸介さんの人間マンダラの三輪自転車の耐久レースでした。

もともと、神戸出身の私にとって、浅川選手のファンだったのですが、
レースに出場されていることを知らずに、友達の応援についていっていたのですが、
私たちの応援のコースの前を浅川選手が通るのを見て、
メチャメチャ嬉しかったのを覚えています。

思い切って浅川選手に応援の声を掛けると、
浅川選手は、笑顔とガッツポーズで、答えてくれ、
私たちの、コーナーを通る度に、
「神戸のどっからきたん?」とか、
走りながら声を掛けてくださいました。

私は、浅川選手のタフネスさと、
兄貴のような優しさに、感動しました。

最後のウイニングランの時も、私のコーナーで、
探してくれていたのを、鮮明に覚えております。

その後、ワールド記念ホールの世界戦にも、足を運ばしていただきました。

結果は残念でしたが、
その後、AM神戸でのインタビューを聞き、潔さを感じました。

その後、どうされているのか、気になっていましたが、
ある日、某ジム会長から、事故の事をお聞きし、ショックでした。

今でも、変わらず、浅川選手のファンであることに誇りを感じています。

FOREVER 浅川誠二

これからも、浅川さんを胸に、
少しでもあなたに近づけるよう、日々頑張ります。

本当にありがとうございました。
心から、ご冥福申し上げます。

赤穂のファンより



投稿

私は今でも浅川誠二さんの思い出を
励みに誇りに思っています。

FOREVER HARBOR FIGHTER 浅川誠二

2008、11,28
誠二さん、ありがとう。

(メールにて投稿 差出人不明)



投稿

久しぶりに貴HPにお邪魔しました。

浅川誠二さんは私が大学生当時、まさに国内最強のフェザーウェイトでした。
園寿和さんとの一戦はリアルタイムでは見逃しておりました。
「あー、見逃しちゃったな。でも、浅川の序盤KOで決まりでしょ」と思っていました。

携帯もインターネットもまだ普及していない頃で、結果を知ったのは翌朝の一般紙。
それでも私は実際見てもいないのに
「あ〜、誤植や。勝ち負け逆になってるで〜コレ。」
と本気で思ったものです。

昨今、国内世界王者が多数誕生しています。
複数階級制覇もさほど珍しいことではなくなりました。
この状況は我々ファンが夢見た状況だったのかもしれません。

しかし、浅川誠二がKO玉砕し、坂本博之が4度挑んでも獲れず、
松村謙二が豪腕に跳ね返され、渡辺雄二がインファイトで一方的に打ちのめされ、
吉野弘幸の左フックが当たらない…

そんな遥か遠い世界の頂を、日本人ボクサー達の挑戦によって
垣間見ていることが私は好きだったのかもしれません。

(iPadから送信 金丸様)



投稿

私が16歳の時、神戸の三ノ宮駅で電車を待ってると
肩をトントンと叩かれ、振り返ると
黒いサングラスをした男性とモデル風の綺麗な女性がいました。

私は人違いだと思い、また前を向くと
また肩をトントンと叩かれ、もう一度振り返ると、
サングラスを上にあげ顔を見せてきました。

すると!!

それはチャンピオン浅川誠二さんでした。
私は『わぁ!お疲れ様です!!』

すると浅川さんは
『なんちゅう学生服着てるんや!お前は不良か!』って怒られました。

『ボクシングしてるなら、そんな格好するんじゃないぞ!』
そう言って振り向きざまに
『おう!じゃあな!』と女性と歩いていきました。

私は後姿を見ながら『むっちゃカッコイイ〜』と心の中で叫んでいました。
私が間近でみたチャンピオンで憧れであり尊敬する人でした。

こんな人になりたい!そんな思いは今でも心にあります。

私が実写でボクシングに辿り着いたのも
実は浅川誠二さんの検索からなんです^^/
(あ!その当時はまだ浅川さんはチャンピオンじゃなかったと思います〜)

実写でボクシング掲示板より はまこ〜氏)



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