ボクシングのゲーム、実写でボクシングのバナー(3)

畑中清詞

畑中にはライバルがいた。

両者は対戦こそ一度もなかったが
デビュー当時からお互いを強烈に意識していたはず…

昭和61年、全日本新人王を獲得した二人をファンはこう呼んだ。
「脅威の10代」と…。

ライバルの名前は高橋ナオト
数々の名勝負を演じたカウンターパンチャーだ。

高橋は故・阿部会長の厳しい指導のもと
スパーリング中心のハードなトレーニングをこなし
ストイックな態度と発言を貫く優等生タイプだった。

一方の畑中といえば
「遊び好き」と広言し
ガールフレンドを連れ歩き
カラオケで歌いまくった…。

まさに「東海のカマチョ」のニックネームがぴったり♪

面白いことにそのボクシング・スタイルも両極端。

相手の出鼻にカウンターを合わせる高橋に対し、
重い圧力を武器に自分から攻め込む畑中のボクシング。
同じKO勝利でも試合内容は全然別物だった。

両者は昭和62年2月、ほぼ同時に日本王座を獲得。

ここまでは両者、歩を並べて進んでいたが
意外にも地方ジム所属の畑中が一歩先に世界挑戦のキップを掴む。

全国的な知名度としてはやや低くまだまだ若い畑中に対し
専門誌には「時期尚早では?」との記事が踊ったが、
その高いKO率から不思議と一般ファンの期待は高かったと記憶している。

畑中はここまで苦戦、いやピンチすら経験したことがないパンチャー。
これまで通り果敢に攻撃を仕掛ける作戦で間違えていないはずだった。

が、迎えた世界戦の晴れ舞台。
自慢の強打がまったく当たらない…。

逆に2Rには右ロングフックを浴び脆くもダウン。
以後も一方的にポイントを奪われ続ける。

悔しかったのは王者が完全な防御型だったので
畑中に大きなダメージがなかったことだ。

過ぎていく時間、追っては打たれ追っては打たれ…
最終ラウンド、畑中は悔しさのあまり涙して戦っていた。

無念の初黒星は全国に放送され、畑中は意気消沈した。
「自分のボクシングはあんなものじゃない!」

再起した畑中は熱い想いを胸にハード路線を選択する。
グレート金山、呉張均といった世界的実力者と次々に対戦。
時に苦戦を経験しつつも着実に実力を蓄えていく。

階級も自分に適切な2階級上のJフェザーに決定、
厳しいとされた減量からも解放された。

平成3年2月、畑中は万全の調整を経て再び世界のリングに立った。

が、前回以上にベルト獲得への道は逆風が吹いていたと言えよう。
対する王者は名うての強打者デシマ。世界的評価を得ている超スラッガーだった。

「絶対に判定勝負はない。」
誰もがそう予想したこの試合。
ズバリ・予想通りの白熱した好試合となった。

いきなり初回、デシマの強烈な右ストレートが畑中の顔面にヒット。
厳しい再起ロードを歩んできた畑中が堪らずロープ際に倒れこんだそのシーン。

(こりゃ前評判以上のハードパンチャーだ…)
会場に重い空気が漂った。

ここで以前の畑中だったら「なにくそ」と反撃をしただろう。
が、数々の修羅場が畑中を成長させていた。

試合を終わらせようとするデシマに対し
丁寧なブロックとジャブで対応、見事にピンチを脱する。

劣勢で迎えた4R、畑中渾身の左フックがデシマの顎を綺麗に打ち抜く!
「ダウン!」

9分間に渡るデシマの激しい攻撃、いやここ数年の苦労を耐え抜いた畑中に
気まぐれな勝利の女神がやっと微笑んだ待望の瞬間だった。

王者は闘争心むきだしの表情で立ち上がったが
我らが畑中はもう止まらなかった。

その後、計6度もデシマはマットに這うこととなる。
畑中、8RTKO勝利!

執念の逆転劇はもとより
念願の名古屋初の世界王者誕生に
会場は沸きに沸いた。

関係者がリング上で畑中を胴上げすると
畑中は目を真っ赤にして歓喜した…

その後、名古屋のジムから続々と世界王者が誕生するのだから
畑中の残した功績は計り知れない…



投稿

いまから15年前、高校2年生だった僕にとって、
実家の岐阜から電車を乗り継いで名古屋まで通うことが、
週末の恒例行事となっていました。

母親から、半ば強引に願書を申し込まれた、
受験対策のゼミを受ける為です。

そんな、退屈極まりない名古屋までの時間を
どうにか埋め合わせるべく手に取ったスポーツ新聞の片隅で、
一人の若者がファイティングポーズをとっていました。

地元 名古屋出身のその彼は、
18歳、プロボクサー、デビュー以来5連続1ラウンドノックアウト勝ちを続ける、
若手有望株なのだそうです。

その彼に関しては、特に興味を持つことも無い代わり、
“ボクシング”と言う5文字が僕の何処かに残っていました。

「ボクシングねぇ…」

僕の住む岐阜には、
当時ボクシングジムといったものなど無く、
自分にとってのボクシングとは、
テレビ中継される世界タイトルマッチのことでした。

それからしばらくして、電車の中でスポーツ新聞を
見ていたことさえも忘れてしまった頃、
期末試験が明日に控えていることにようやく気付いて、
デイパックに旅行用の荷物を押し込むかのように
教科書を広げはじめると、
隣の部屋のつけっ放しのテレビから、当時大好きだった
ハウンドドッグの“ラストヒーロー”が流れてきました。

当然のようにテレビに目をやると、
それは名古屋ローカルのドキュメント番組のオープニングテーマでした。

その日のタイトルは、
“名古屋のロッキー 畑中清詞19歳の青春”。

ブラウン管の向こうで、ロードワークをし、カラオケを楽しみ、
減量に耐え、試合に勝ちつづけているのは、
名古屋行き電車の中の彼でした…。

いまでは家庭をもつ立場の僕を形作る物のひとつに、
畑中選手があるのは間違いありません…

(レビュー・長谷川さん)



正直いって現役時代の会長の事は、ほんの少ししか知りません。

私の彼を通じて会長を知り、
大好きだったボクシングへの熱い思いがみ漲ってきました。

会長本人からサイン入りの本“魂の箱”をいただき、
あっという間に読んでしまいました。

何回も読みました。

本を読んで涙が出るという経験を初めてしました。

心から応援したいと思いました。
私一人の力なんて微々たるものかもしれません。
だけどできることを一生懸命頑張って精一杯応援したいと心から思っています。

杉田君の世界戦も決まって、喜びもひとしおでしょう。
お体に気をつけて益々頑張ってください!!

(畑中清詞のファンのさっちゃんより)



2月8日・・・運命のリング・・・
杉田君よくがんばったよ。

貴方の純粋な思いや努力、きっと全ての人に伝わったはず。
けど、貴方の世界への挑戦は、今始まったばかりです。

私は他の誰よりも、純粋に心から、
杉田君を、畑中ボクシングジムを応援し続けます。

まだまだこれからです。
ちっぽけな私の純粋な思いが届きますように…

(畑中清詞ファンのさっちゃんより)



8月14日(土)の杉田君の試合見に行きました。
2月の世界戦以来の再起戦で、本当にドキドキしながら見ていました。

判定での勝利で杉田君も会長もスッキリしてはいないようだったけど、
まだまだ第2ラウンドは始まったばかりです。

会長だって2回目の挑戦にて世界を獲ったのだから・・・。
まだたま゛応援し続けます!!

誰よりも純粋に頑張っている自分を信じ、
支えてくださる会長や先生たちを信じ、
心から応援してくれるたくさんの人たちを信じ、
一歩一歩前に進んでいってください。

(畑中清詞ファンのさっちゃんより)



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