ボクシングのゲーム、実写でボクシングのバナー(3)

平仲信敏

渋い職人の面構えから放たれる硬質パンチで
相手をギブアップさせる沖縄のタフ・ファイター。

かといって、ぐいぐいと前に出るボクサーではなく
相手の出会い頭にゴツンッと
カウンターを決める居合切りタイプだった。

「俺は兄貴や琉球カタリューニャと
スパーしてきた実績と自信がある。
どんなパンチでも絶対に倒れないよ…」

きっと彼と戦う選手は寒気を感じたはずだ。
それほどの殺気とオーラを帯びていた。

キャリア前半こそ、試合数と好カードに恵まれなかったが
兄、明信の引退をきっかけに表舞台でのファイトが増え始める。


平成4年、無敗で迎えた日本タイトルマッチ。
初の後楽園ホールでの試合だった。

東京のファンは平仲について
「偉大な兄の弟」
といった印象しかなかったに違いない。

当時、日本王者だった松本好二は同階級屈指のテクニシャン。

しかも下がりながらのカウンター攻撃は
松本にとって得意中の得意。

じりじりと前進する平仲のスタイルは松本に対して通用しない。
それが大方の予想だった。

が、その予想には大きな誤算があった。
それは平仲のタフネスと精神力…
強打の兄、明信とのスパーで培った迫力…。

カウンターを浴びても
ケロリとした表情で前進を繰り返し
その硬い拳で松本を追い詰める平仲。

技巧派王者は中盤からその圧力に屈し、消極的なボクシングに陥る…
最終ラウンド開始直後に平仲の放ったストレートで
松本は後方に一回転する強烈なダウン!

平仲はこの勝利で
「弟」のレッテルを見事に返上。
誰もが「平仲信敏」という一流の選手を認めることとなる。


その後、平成6・7年と世界に2度挑むも
その高い壁に弾き返された…。

が、筆者にとって印象的なのは
平仲の世界奪取、失敗後のキャリアだ。

国内ハード路線をひたすら走り続けるその姿は
「リングに対する飢え」そのものだった。

三谷大和、長島健吾、コウジ有沢といった
世界を狙う新鋭と次々に対戦。。

どの試合もベテランの味をたっぷりと効かせた一撃で
KO寸前にまで追い込んでいる。

結果としては敗北を繰り返すのだが
どの試合も新鋭にプロ根性を見せつける、立派な試合内容だった…


平成12年3月23日深夜、大雨の沖縄。

見通しのいい緩やかな右カーブにて
平仲の運転する軽ワゴンが電柱に激突。
大破した車に挟まれ即死の状態…

数々のドラマを演じた男の最後。
今はただ、心からの冥福を祈ります。


彼の熱いファイト、一生忘れない…


投稿

私は平仲信敏選手(彼はまだ現役だと思うからあえて選手と書きます)の兄、
信明氏の日本チャンピオン時代に挑戦した、真中哲也というものです。

私は怪我でボクシングを続けられなくなってから、
平仲明信をそして、信敏選手を東悟さんをずっと応援してきました。

信敏君とは一度、長嶋健吾とやる前に沖縄で食事をしました。

その席で今度の試合に勝ったら
3度目の世界戦が実現すると言い、
私は楽しみにして、その試合も迎えました。

充実した練習ができて、体調さえ万全なら必ず勝つと思ったからです。(長嶋戦以外も)

しかし、試合は観ていて完全に信敏君が
圧倒していたにもかかわらず、判定負け。

確かにダウンの応酬になりましたが、
長嶋はホーリディングで減点までとられ
(減点するのが遅すぎると思った)たのにもかかわらず、
結果は負けだった。

確かに結果が全て、
それでも私は平仲信敏がもう一度
世界戦の舞台に上がるのがみたかった。

試合が決まらない時でも、不利を承知でも、
偉大な兄、信明氏に追いつき追い越そうと
懸命にもがきながら日々を闘い続けた、
平仲信敏が「世界チャンピオン」になるのをみたかった…

ボクシングは結果が全てだとは思う。
それは私自身、悔しいが知っているつもりです。

平仲信敏、彼こそは後世まで
誰も歩いたことのないような
ボクシング人生を送った人間として語られるべきだと思う。



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